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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。将来まで夫婦でありたいなら、少々辛いことがあっても耐え忍んで、気にかけないようにして、嫉妬の少ない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分には立派な私の正夫人でありうるわけだと利己的な主張をした。女は少し笑いながら、そのうち出世もできるだろうと待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思わなかった。あなたの多情さを辛抱して、良人になるのを待つことは堪えられないことだと思った。別れる時になり色々な事を言い憤慨させ、女も自制が出来ない程、私の手を引き寄せて一本の指に噛みつき 、私は痛みに耐えられず、痛い痛いと声をあげた。こんな傷もつけられては私は杜会へ出られない。侮辱された子役人は人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろうと脅して、指を痛そうに曲げて、いよいよ別れだと言い家を出た。「手を折りて相見しことを数ふればこれ一つやは君がうきふし」言いぶんはないと言うと、さすがに泣き出し、「うき節を心一つに数へきてこや君が手を別るべきをり」反抗的に言ったりもした。本心では我々の関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていた。賀茂神社・石清水八幡宮の臨時の祭りに行う舞楽を、楽所で予行練習するが、霙が降る夜で、皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないと思いなおす。御所の宿直室で寝るのも惨めだし、また恋を風流遊戯にしている局の女房を訪ねて行くことも寒いことだろうと思わ れ、様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうと思いながら、入って行く。
2024.06.14
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。昔、まだ重要な役をしてないとき、一人の愛人があったが、容貌は良くない女だったので、若い浮気な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わず、妻とは思っていたが物足りなく外に愛人を持っていたが、とても嫉妬するので、何ともいやな思いで、穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われ、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあり、自然に身持ちが修まるようだった。この女性というのは、自身にできぬものでも、この人のためならばと努力してかかり、教養の足りないところも自身で努力し補い、恥のないようにと心がけて、行き届いた世話をしてくれて、私の機嫌を損ねないよう心を尽くし表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折って、この顔で他人に逢っては、良人の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づかなくなり、とにかく賢い妻になり、同棲するうちに、彼女の利巧さに彼の心は引かれて。ただ一つ嫉妬癖、それだけは彼女自身どうすることもできない厄介なもので、みじめなほど私に参っている女なんだから、二度と嫉妬をしないように懲らしめる仕打ちに出ておどして嫉妬を改めさせよう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど自分を愛している女なら、うまく成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出して、女がおこり嫉妬し出す時、あさましい事を言うなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも、この関係を破壊してよいのなら、今のような推量でも何でもするがいいと言ってやった。
2024.06.13
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われるが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を上手にこしらえ上げるのは名人でなければできない。また絵所に幾人も画家がいるが、席上の絵の描き手に選ばれ大勢出る時は、どれが良いのか悪いのか分からないが、非写実的な蓬莱山や荒海の大魚や、唐にしかいない恐ろしい獣の形などを描く人は、勝手ほうだいに誇張したもので人を驚かせて、それは実際にほど遠くても通る。普通の山の姿や水の流れとか、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を写生的におもしろく混ぜて描き、我々の近くにある高くない山を描き、木をたくさん描き、静寂な趣を出したり、あ るいは人の住む邸の中を忠実に描くような時に上手と下手の差がよくわかるものだ。字でもそうである。深味がなく、あちこちの線を長く引いたりするのに技巧を用いたものは、ちょっと見がおもしろいようでも、それと比べてまじめに丁寧に書いた字で見栄えのせぬものも、二度目によく比べて見れば技巧だけで書いた字よりもよく見えるものだ。ちょっとしたことでもそうである、まして人間の問題なので、技巧でおもしろく思わせるような人には永久の愛が持てないと決めている。好色がましい多情な男に思われるかもしれませんが、 以前のことを少しお話ししましょうと言って、左馬頭は膝を進めるが、源氏も目をさまして聞いていた。中将は左馬頭の見方を尊重すると見せて、頬杖をついて正面から相手を見ていた。坊様が過去未来の道理を説法する席のようで、おかしくないこともないのであるが、この機会に各自の恋の秘密を、持ち出されることになった。
2024.06.12
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。子供の時に女房などが物語を読んでいるのを聞いて、物語の女主人公に同情した立派な態度だと涙までも零したもので、今思うとそんな女のやり方は考えが浅く、調子にのり行動する様子は、実にわざとらしい。自分を愛していた男を捨てておいて、その際にちょっとした恨めしい事があっても、男の愛を信じないように家を出たりして、無用の心配をかけて、そうして男をためそうとしているうちに取り返しのつかない困った事態に至るし、嫌なことだ。りっぱな態度だと誉めたてられると、図に乗ってどうかすると尼にもなる。その時は爽やかでない未練は持たずに、すっかり恋愛を清算した気でいるが、 何とも悲しい、こんなにまであきらめてしまいになってと、知った人が訪問して言い、心の底から憎くは思っていない男が、それを聞いて泣いたという話が聞こえてくると、召使いや古い女房などが、殿様はあんなにあなた思っているのに、若い体を尼にしてしまいになり惜しいと言う。このような事を言われる時、髪を短くして後ろ梳きにしてしまった前髪に手が行って、心細い気になると自然に物思いをするようになる。忍んでもう一度涙を流せばあとは始終泣く事になる。弟子になった上でこんな事では仏様も末練を憎み、一般庶民であった時よりも罪は深く、地獄へも落ちるように思われる。また夫婦の縁が切れずに、尼にはならず、良人に連れ戻されて来ても、 自分を捨て家出をした妻である事を良人に忘れてもらう事は難しい。
2024.06.10
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「宮中に行くわけにもいかないから」 「Dog photography and Essay」では、愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。兼通さまを、こんなにいい加減に思っていたわけではないだろうがひどく投げやりに手紙を綴った。 ささわけば あれこそまさめ 草枯れの 駒なつくべき 森の下かは笹を分けて来られても わたしはますます離れて行くでしょう馬も寄りつかない森の下草のわたしですからと申し上げた。侍女が言うには、この返歌をもう一度というので、大臣さまは半分まで詠まれたそうですが、下の句がまだできないとおっしゃっているそうですと。そう聞いてから随分経つのに、そのままになっており、おかしいと思った。 賀茂の臨時の祭が明後日というのに、道綱が急に舞人に召されてしまった。このことで、あの人から珍しく、支度はどうするなどと手紙が来たので明後日までに揃えられなく、必要なものを伝えるとすべて届けてくれた。試楽の日、あの人からの手紙に、穢(けがれ)に触れて出仕しないで謹慎中なので、宮中に行くわけにもいかないから、そちらへ伺って世話をして送り出そうと思うが、あなたが寄せつけてくれないだろうからどうしたらいいのだろう、とても心配だと書いてある。
2019.06.10
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「これは真実なのだろうか2」 「中国上海写真ライフ」では、日中戦争--南京!南京!の映画の写真を公開しています。スペインサンセバスチャン国際映画祭で最高賞のゴールデン・シェル賞受賞したが中国作品は初。陸川監督映画「南京!南京!」は第53回ロンドンの映画祭でも注目を集め中国のテレビ取材班も訪れた。旧日本皇軍が中国を侵略した事は紛れもない事実である。虐殺もあったに違いないが30万人となると眉唾物である。だが、親しい中国人に話した所で信じる筈もなかった。私は中国へ行ってより2回大きなホールで中国人を集めマイクを持ち15分ほどの話の中で、南京事件のことを話したことがあったが、600人以上居ると私を密告する者も現れ、かなり厳しいお叱りを工場側から受けた事があった。(上の写真は角川の上官の伊田少尉役の木幡龍)話の内容は「南京大虐殺は事実だと思うが30万という数は中国政府が水増ししたものだと私は思っている。しかし、数が少ないからと言って虐殺したことには代わりがなく、ここに私からも皆さんに対し謝罪したいと思います」と約7分ほど。バカにつける薬はないと言うが、工場側から日本本社に苦情がそして日本から「中国人の気持ちを逆撫でするような発言は慎むようにしなさい。ましてや集会の中での発言は言語道断。あなたの代わりは幾らでも居るんだから肝に銘じるように」映画「南京南京」のあらすじと言うか感じた所を思うままに書き綴ってみたいが、南京南京を見ていない人にとってはストーリーが見えてこないのかも知れない。物語は南京が陥落し多くの中国兵が虐殺されたあとのシーン。日本人主人公「角川」が慰安所へ行き、初めて女性と交わる。その日本人慰安婦は百合子と言った。角川は新年の慰問袋を持って再び百合子を訪れるが、病を患っていた。(上の写真は中国人慰安婦で真ん中が足にブレスレットを)角川の持ってきた慰問袋に手を入れ無邪気に喜ぶ百合子。角川は彼女と再び契りを結ぶ。角川は三度慰安所を訪れるが百合子の病状は重かった。角川は触れることをためらう。若い兵隊が角川に「終わりましたか」と尋ね、百合子が横たわるベットの脇に腰掛け百合子を犯すベットのきしむ音を頭を垂れて我慢する角川の姿が映し出されていた。日本人慰安婦の数が足らなくなり中国人の中から募った。100人の中国人慰安婦が集まった。角川はベットに横たわる中国人慰安婦に手を触れず共に時間をすごした。そしてカメラは彼女の右足首のブレスレットを撮った。ある日、憲兵の角川は中国人慰安婦が力尽きて裸体のままリヤカーで運ばれようとする場面に出会う。その時左足にブレスレットをつけた慰安婦の死に臨み愕然とする角川。(上の写真のリヤカーに乗せられた左側の女性の足首に飾りが)久しぶりに日本人慰安所を訪れた角川は、百合子が死んだ事を告げられ「百合子は私の妻でした」と純真な心中を話すシーン。捕虜への凄惨な虐殺が続く中で神経をすり減らしていった。その最中で角川は百合子に愛情を抱き、戦争による疲弊を癒して行ったが百合子はあくまで慰安婦でしかなかった。百合子にとって角川大勢の中の一人だが、角川にとっては精神的な拠り所であり百合子を妻と思うほどになっていた。百合子と逢うが満たされぬ思いのまま、再び暴行、虐殺が蔓延する街の所属部隊に戻って行く心の葛藤とのジレンマ。実際には、日本人従軍慰安婦は居なかったようである。最後には銃殺するために縄で縛った中国人子供と大人二人を、逃がし、「死ぬ事より生きる事の方がずっと大変だろうな」と、言い腰の拳銃で自殺した。そのシーンが妙に心に残った。35歳以下の人達で作成した映画で残酷なシーンは少なかった。だが、虐殺の人数より、虐殺した事の事実は歴史からは消えない。今回、非常に感動したのは、日本軍人から見た南京大虐殺をテーマに作品が作られて行ったが、それでも悲惨な場面が多い。主人公の日本軍人が日本人慰安婦の百合子と始めての情事でその女性を妻のように愛し通い続けたが、慰安婦の百合子は過労で病死してしまった。目の前には中国人慰安婦が過労死し全裸のまま、脇と足を抱えられリヤカーに放り込まれる。中国人慰安婦の足につけたブレスレットと百合子の死とをオーバーラップさせ、何とも切ないシーンである。日本人の主人公である角川は中国での映画のキャンペーンに訪れた時、観客席の中国人は角川に罵声を浴びせた掛けた。やがてそれを打ち消すかのように若い中国人から「日本人の俳優にそんな事を言うものではない」「彼らこそ尊敬に値する」「彼らは勇敢だ!」という声が次々と、会場全体が熱い拍手に包まれ、角川役の中泉英雄は舞台裏で感動し泣いたという。現在、中泉英雄と木幡龍は日本で嫌がらせを受け、陸川監督の計らいで中国北京で暮らしているが彼らも被害者なのかも・・。
2011.05.15
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。悪くても良くてもいっしょにいて、どんな時も許し合って暮らすのがほんとうの夫婦で しょう。一度そんなことがあったあとでは真実の夫婦愛がかえってこないもの。また男の愛がほんとうにさめている場合に家出をしたりすることは愚か。恋はなくなっていても妻であるからと思っていっしょにいてくれた男から、これを機会に離縁を断行されることにもなる。なんでも穏やかに見て、男にほかの恋人ができた時にも、全然知らぬ顔はせずに感情を傷つけない程度の怨みを見せれば、それでまた愛を取り返すことにもなるもの。浮気な習慣は妻次第でなおっていくもので、あまり男に自由を与えすぎる女も、男にとっては気楽で、その細君の心がけがかわいく思われそうであるが、だが、ほんとうは感心のできない妻の態度だ。つながれない船は浮き歩くということになると言うと、中将はうなずく。現在の恋人で、深い愛着を覚えていながらその女の愛に信用が持てないということはよくない。自身の愛さえ深ければ女のあやふやな心持ちも直して見せることができるはずだ。方法はほかになく、長い心で見ていくだけかもと頭中将は言って、自分の妹と源氏の中はこれに当たっているはずだと思うのに、源氏が目を閉じたままで何も言わぬのを、物足らずも口惜しくも思った。左馬頭は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしき りに相槌を打っている。ほかのことに当てはめるならば。指物師がいろいろな製作をしても、一時的な飾り物でしかない。
2024.06.11
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源氏物語〔桐壺13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。若宮が目ざめるのを待って、若宮にお目にかかり、くわしい様子を陛下へ御報告したいのですが、使いの私の帰るのを待ちかねているでしょうから、それではあまりおそくなると言って命婦は帰りを急いだ。子をなくした母親の心の、悲しい暗さがせめて少しでも晴れる話をしたいと思っているのですから、公の使いでなく、気楽な気持ちでお休みがてらまた立ち寄ってくださいと伝えた。以前はうれしいことでよく来てくださいましたが、こんな悲し い勅使であなたを迎えるとは何ということだろう。返す返す運命が私に長生きさせるのが辛い。故人のことを申せば、生まれた時から親たちに輝かしい未来の望みを託した子で、父の大納言はいよいよ危篤になるまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことを実現させてほしく、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことはしないでほしい。何度も何度も遺言を書いたのですが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思い、私はただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けて、その光でみすぼらしさも隠していただき、娘は仕えていたのですが、皆さんの嫉妬の積もっていくのが重荷になり、寿命が尽きたとは思えないような死に方をしましたが、陛下のあまりに深い愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛からだと思います。
2024.05.17
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。横を向いて一人で思い出し笑みを浮べたり、かわいそうなものだなどと独言を言うようになった。そんな時に何なんですかと突っ慳貧(つっけんどん)に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではないか。ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものである。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものだ。一緒にいる時は可憐さが不足を補い、それでも済むでしょうが、家を離れている 時に用事を言っても何もできないような。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできない。だからそんなのもまただめで、平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあると、こんなふうな通な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深くため息をついた。だからもう階級も何も言いません。容貌もどうでもよく、片よった性格でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思う。その上に少し見識でもあれば、満足して少しの欠点はあってもよいことにする。安心のできる点が多ければ、趣味の教育などはあとからできる。上品ぶって、恨みを言わなければならぬ時も知らぬ顔で済ませて、表面は賢女らしくしていても、そんな人は苦しくなってしまうと、すごみをきかせた言葉や身に染む歌などを書いて、思い出してもらえる言葉を残して、遠い郊外とか、まったく世間と離れた海岸とかへ行ってしまいたい。子供の時に女房などが小説を読んでいるのを聞いて、そんなふうな女主人公に同情したものです。
2024.06.09
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