うそ 0
人類の将来 0
ものがたり 0
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世の中には色々なタイプの人がいる。その人達と付き合っていくのが人生である。買い物に行って笑顔で応対してもらえでばうれしくなる。歯医者さんにいって、親切に応対してくれるとうれしい。人と人との様々なつながりの中で思いやりを示されると人間はうれしくなるものだと思う。職場では一緒に働く人達との気持ちが合っていて、ツーカーという感じで仕事ができれば最高だが実際には必ずしもスムーズにいっていない職場もある。私の職場は病院なので、全ての職種の人は患者さんのためにそれぞれの立場で全エネルギーを使っているのだと信じている。その共通認識のもと様々のケースで臨機応変に対応しているのだと思っている。しかし様々なタイプの人がいるのでそれをあまり表面に出していないように見える人もいる。挨拶しても知らん顔の人もいれば、的外れというか患者さんの立場でない発言や質問をする人もいる。相性が合ってツーカーで仕事が出来る人もいれば、何となく苦手な人もいる。こちらはいつでも100%相手の人と楽しく仕事したいと思っており、100%誠意を持って接しているが、全く受け入れてもらえないで石のような人もいる。でもここ数日で体験したことだが、そのような人でも打ち解けて楽しい仲間になれるものだなと思い、それが実感出来た時の喜びは大きい。あの人の態度が悪いから、あの人はだめな人だと決めつけずに、その態度は態度としてこちら側の姿勢は100%変えないでいれば、いつかは打ち解けていい協力者になれるものだなと思った。写真は動物園で孫が山羊に餌をやっている写真で、動物と付き合っているところである。この世の中は人の立場から見ると、人と人、人と動物、人と植物、人と自然との付き合いから成り立っている。全ての人はいい付き合いを望んでいるが、必ずしもそれは叶えられていない。そして落ち込んだりしている。考え方をしっかり整理するといい結果が出ると思う。付き合いはお互い様だが、相手の態度に惑わされないのがいいと思う。相手の態度は気にしないで自分の目いっぱいの誠意を常にだしていればいい付き合いは必ずできると確信できた。
2009.06.22
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ベルガモット:シソ科多年草、北アメリカ原産、花言葉「感受性豊か」「やわらかな心」「野性的」日曜日の朝は8時からのサンデーモーニングを観るのが楽しみだ。今日は北朝鮮が国連安保理決議案に対抗して「核開発を全面的に推進する」「封鎖されれば戦争行為とみなし、軍事的に対応する」との宣言をしたことを取り上げていた。中国を除く世界中、中でも米、韓、日の三国に対してはいつでも戦争を行う準備があると宣言し、しかもその場合核兵器の使用もいとわないと言っているのだから、大変なことである。米国を会話に引き出すための戦略なのかも知れないが、米国が本当に怒りだしたらどうなるだろうか?ちょっとした事件が引き金になり、イラクを攻撃したような事態になれば、北朝鮮は真っ先に日本に向かって原爆を積んだミサイルを撃ち込んでくるだろう。まさかと思うようなことも現実になるかもしれない。何をするか分からない北朝鮮に対しては水面下で防衛体制、特にミサイル迎撃体制の強化が必要だと思う。戦争になったらイラクの場合と違って正に日本は火中である。我々も生きていられないかもしれない。のんきにブログ等書いている場合ではないかも知れないが自分が心配してもどうすることもできない。地震の場合もそうだがその時は寿命がきたとあきらめるしかないのだと思う。戦争の危険は危険としてその後2歳半の孫と動物園に行ってきた。動物をみて孫が喜ぶ姿を見ている内に北朝鮮のことを忘れていた。今日採用の花はベルガモット、花言葉はやわらかな心である。金正日氏は大病をなされて人生いろいろ考えられたことと思うが、心は益々硬くなっている印象である。やわらかな心で、自分自身のこと、後継者のこと、自国民のこと、世界のことを考えてもらいたいと願う。
2009.06.14
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カーネーション:ナデシコ科ナデシコ属、原産、地中海沿岸から西アジア、花言葉「真実の愛」「愛情」「情熱」誕生祝いに私の4人の兄弟姉妹が集まった。子供の時は一緒に過ごしたがもう何十年も前に分かれてそれぞれの家庭を持って暮らしてきた。葬式とか結婚式の時には会うがそれ以外の時には滅多に会うこともない。腰が曲がった人、持病があって病院通いしている人、ヘルパーとして介護の仕事をしている人等がいた。久しぶりに会って子供時代のこと、親のこと、村の同級生や先輩達の消息などを話し合った。兄弟姉妹といえどもそれぞれ進んだ道や生活基盤が異なり、一緒に暮らしていた期間の2倍以上の期間が経っている今、あまり共通の話題もないのではと思っていたが、あれやこれやの話が尽きず昼前に来て4時近くまで話していった。いくつになっても兄弟姉妹は兄弟姉妹なんだなと思った。
2009.05.24
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6日前に弟が生まれて2歳のお姉さんは複雑な気持になりました。今まで母親や周囲の関心を一身に集めていたのに、母親は自分より赤ちゃんを大事にしているように感じられるし、周囲も赤ちゃんを大事にするし、少し寂しい感じがありました。写真は母親に言われて赤ちゃんに両手を回してだっこのかっこをしてみたところです。以外に一体感が得られたみたいで、にこにこ顔でした。以来自分が何かもらった時、赤ちゃんには?など赤ちゃんのことを気にかけてくれるようになりました。姉弟仲良く成長してくれることを願っています。
2009.05.03
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昨日は、外来の勤務をしたあと横浜ベイシェラトンホテルで行われた北里大医学部教授の退任記念祝賀会に行ってきた。会場のホテルの豪華さにも驚いたが、集まった人の多さにも驚いた。1000人以上だったと思う。私は先生がまだ教授になる前の講師時代に一緒の職場で色々お世話になったことがある間柄だが、そこにはそのような古い付き合いの人から現在までの様々な付き合いの人が集まったのだと思う。先生は学生時代に学生運動のリーダー兼マネージャーとして、運動家学生の生活等の面倒をみていたとのことだが、就職してからも若手医師の面倒をよくみて、業績的にも診療面でも活躍してきたので、こんなに多くの人に祝福されるのだなと思った。様々なスピーチがあったが、情熱、真摯、ぶれない、冷静、お世話になった人を心から大切にする、いかにもでなく何気なく後輩や周りの人を大切にする、などの資質があったから今日が迎えられたのではないかという内容が多かった。教授になることも大変だが、教授になってからも様々な苦労があったことと思う。よく耐えて今日を迎えられ本当に心からお祝いを申し上げたい。今後の第二の人生も充実したものになるよう心から願っている。
2009.03.15
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今夜は飲み会で今帰ってきたところである。久保田を飲んできた。美味しかった。でも私には好きな酒がありそれは春鶯囀という酒である。そのお店にはそれがなかったので飲めなかったが、春鶯囀は山梨が生んだ名酒である。とても美味しい。今夜の席でその名前を言ったがお酒通の外科の先生は知っていたが他には誰も知らなかった。春鶯囀で検索したらある人が春鶯囀について書いていた。山梨県外の人だが春鶯囀のフアンでわざわざ山梨まで飲みに来たとのことである。その人の文章からの引用である。「蔵出し純米生原酒」はさすがに絶品。失礼を承知で言わせてもらえば、春鶯囀は純米大吟醸よりも、純米酒の方がはるかに旨い。例えれば、磨き上げ化粧を施した美人より、味わい深く凛とした飽きのこない女性が得意、と言ったところかな。私も全く同感である。春鶯囀にも安いお酒から高級で高価なものまである。大吟醸は高価で高級酒である。普通は高級酒の方がおいしくて流石に高いだけのことはあると思うのだが春鶯囀についていえば一番安い春鶯囀が一番美味しい。全く同じ感想である。私は日本酒をコップについで冷で飲むのが好きだ。酒好きの人からは邪道だと非難されるが、そのコップ酒をご飯と一緒に飲むのが好きだ。今日は春鶯囀ではなかったが久保田をご飯と一緒に飲んできた。今日の席で春鶯囀を知っている人は前述の外科医一人だったが県外から来た人は誰も知らず、県内の人も知らなかった。まさに幻の名酒といってもいい位美味しいが山梨以外の人にはほとんど知られていない。でも大吟醸などの高い春鶯囀はあまり美味しくない。1500円位の一番安い春鶯囀が一番美味しい。山梨に来る機会があったらぜひ味わってみて頂きたい。
2009.03.11
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寒紅梅:バラ科サクラ属、中国原産、花言葉:上品、忍耐、厳しい美しさ(甲府、不老園)今送別会から帰ってきたところである。小学生の時、担任から希望の希の字の書き順のことがきっかけでいじめにいじめられたが、たくましく成長し、医者になって、留学生や友人に無償の援助をしていたY先生がお辞めになられて信州に帰ることになり、今夜その送別会が行われた。先生は辞任挨拶のなかで、当院就任当時医者が少なかった中で、内科医の自分を外科医が様々な形で助けてくれたことを心から感謝していると述べた。先生は寒紅梅の花ことば、忍耐、厳しい美しさ、そのものの先生だったと思う。いじめられた先生の次に担任になった先生がいい先生だったので、その先生が認知症になり、精神病院に縛り付けられて入院していると聞くと、信州から自分の車で山梨までつれてきて自分の病院に入院させ、リハビリをしてかなり機能を改善させて元気にし、また自分の車で信州まで送っていった人である。外科の先生に対する恩義、小学生の時いじめないでふつうに接してくれた恩師など、恩を受けたことは絶対に忘れない先生だった。信州に帰られても元気に患者さんのために、ご家族のためにがんばって下さることを祈っている。
2009.02.25
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今回は、小学4年生の時、担任教師に徹底的に陰湿にいじめられたがその後の担任がいい先生だったことでぐれないで成長し、最終的には医師になった同僚医師の話を紹介する。その先生はYさんというが、Yさんは理科系の大学を卒業してから、医学部に入って医師になったが、理科大時代の親友がこの経済不況でリストラされてしまった。生活に困っているだろうと思って何も言われなかったが10万円送ったとのことである。いくら親友でも普通はたとえ自分が困っていても友人からお金をもらうことはできない。でもそのまま受け取ってくれたとのことである。それからしばらくしてその友人から30万円貸してくれとの要請があった。よっぽど困っているのだろうと思って奥さんに相談したら、困っているのだろうから40万円送ってやりなさいと送ってくれたとのことである。Yさんの家計のカード決済をみたら赤字で次の給料日まではひっそり暮したとのことである。Yさんはこの病院に来る前は長野県の病院に勤めていたが、その前は信州大学に勤めていた。そのころ大学には色々な国から留学生がきていて、医学部ではなく他学部の留学生とも交流を深めていたとのことである。バングラディッシュからの留学生が、アメリカに留学する時お金が100万位いると言っていた。その時も奥さんに相談したら、200万渡してやりなさいと渡してくれたとのことである。親友の場合も、留学生の場合も貸してくれとのことで、貸した形になっているが、Yさん達は貸したのではなく与えたと思っているとのことである。貸したら返してもらいたいと思う。返せなければお互いが深刻な不信感を抱くことになる。返す期限を定めていないのは、返せる時がきたら、返してくれればいいという考えだからである。いまどきYさんのような人は珍しいと思う。道楽と見る人もいるかも知れない。そのような道楽を持ち出しても大体は奥さんが「何を言っているのですか?!自分の家の家計を考えて下さい。どこにそんなお金があるのですか?」とピシャリとやられて終りである。そのような道楽を許してくれる奥さんはあまりいない。奥さんとは大学時代に知り合ったとのことである。北九州市出身で栄養学を学んでいたとのことである。その関係か今でも弁当を作ってくれて医局で食べている。「自分には過ぎた奥さんです」と何時も言っているが、当に理想的な奥さんだと思う。私も一度会ったことがあるが、昔風と言ったら失礼になるかもしれないが、何でも旦那さんを立て、世の中のことも考え、他人のことにも気を使い、まさに良妻賢母の鏡だと思った。
2009.02.18
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昨日は職場の人が辞めるので送別会に参加してきた。帰りは代行で帰ってきたが帰宅後は色々勉強する予定を立てていたが、帰りが遅かったので、ブログを更新してその後風呂に入って寝てしまった。今日も家内の兄弟が飲み会をしようとのことで、甲府の裏春日の串多津に飲みに行ってきた。二晩続けて飲みすぎで、医者たるものそんなことでいいのかなと思った。お酒は人を愉快にし、食事も進むし、いいことが多いがマイナス面もある。帰ってきてから何をする気もなく寝てしまうことが多い。酔っ払ってすごく眠いのに無理して風呂に入って、眠くなり、命の危険にさらされることもある。ここまで書いていつしか寝てしまった。目を覚ましたら家内が布団をかけてくれていた。時計をみたら12時を過ぎていた。風呂には入らないで寝てしまおうと思う。
2009.02.03
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この頃2階、3階、4階それぞれに敗血症の患者さん、肝がんで腹水の溜まった患者さん、尿毒症の患者さんと明日にも危ないような患者さんを抱えていて、心が重い。今日は外来の日で、外来をしながらも、病棟の入院患者さんのことを思い、心が重く垂れこめていたが、ある外来患者さんの付き添いの方の笑顔に救われた。明るい笑顔で、うち沈んだ私の心を明るく持ち上げてくれた。いくらくよくよしても死ぬ方は死ぬ。それよりも明るく振る舞う方がずっと大切だと気がついた。外来が終わって夕方も6時過ぎと遅くなり、疲れきっていたが、病棟に今日入院させた90歳の腹痛の女性を診に行った時には疲れも見せず、重症患者を抱えていることも見せず、看護師に笑顔を向けることが出来た。何はともあれ笑顔によってこんなにも人、一人が救われるのだということを学んだ。どんなに疲れていても、苦しくても笑顔ができる人間になろうと思った。家では私は戦争のこと、不況(失業)のこと、自分の能力のなさ、勉強がまったく思うように進まないこと、病院のことなどが気になって、大体苦虫を噛み潰したようなしかめつらをしている。さぞかし奥さんも不愉快な思いをしていたと思う。しかめつらをしていれば失業がなくなるわけではなく、むしろその逆だと思われるので、今日から心を入れ替えて、奥さんと面する時でも笑顔でいようと思った。今日の外来患者さんの付添いさんありがとう。
2009.01.08
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昨年当ブログをご訪問くだった方々に心より感謝申しあげ、本年もよろしくお願い申し上げます。昨年は世界的な不況と医師不足が国民の上に大きくのしかかった年だと思います。今年はどんな年になるでしょうか?どんな年にするかは人任せにするのでなく自分がどのような年にしていくのか考えなくては無責任ですね。しかし不況とか医師不足は自分の力だけではどうすることもできません。社会の流れの中で自分はどのように対応したらよいか精一杯考え、努力して関わっていくことが大事だと思います。個人的問題については、昨年より一歩前進を合言葉に、新たな気持で様々な問題に挑戦していくことが必要だと思います。最初に掲げた写真は昨年暮れ(12月30日)に愛宕山子供の国に孫と行った時に孫が綱渡りしている写真です。最初は戸惑っていましたが、苦労の末見事にクリアしましたが、人生は綱渡りみたいなものだと思います。人生は甘いものではなく、油断すれば落下してしまいます。だからと言ってあまり硬くなると前に進めません。平常心で油断しないことが綱渡りの秘訣ではないかと思います。なぜ綱を渡らなければいけないのか。それにはその向こうに次のハードルが待っているからです。そうです人生でも次に何が待っているか分かりませんが、必ずなにか困難が待ち受けているものです。でもそれを嫌なこと、怖いことと思わないで、挑戦できることを幸せに感じ、希望を持つことが必要だと思います。新しい年は希望の年です。勇気と情熱と知恵で挑戦して行こうではありませんか!
2009.01.01
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昨夕、石和で高校時代の同級会があり、参加してきた。43人のクラスで3人亡くなり、生存者40人中21人が出席してかなり盛大な同級会だった。その中に運送屋を起業して、現在トラック40台を所有し、年商数億の社長が参加していた。彼は高校時代は目立たない存在だったが、卒業してからよほど頑張ったのだなと思った。ハーレーダビッドソンを2台所有し、1日200キロ走っているとのことだ。一尾数百万の錦鯉を何尾も飼っており、朝夕はボランテアで幼稚園児をマイクロバスで送り迎えしているとのことだった。お金と時間が有り余っている人をうらやましいと思った。ハーレーのサイドカーの部分に私を乗せてくれると言ったが、怖そうなので、お断りした。昔の仲間達と何十年ぶりに会って、飲んで語りあった。あの勉強などほとんどしてなかった生徒達が社会に出たら結構活躍していたのだなと思った。ちなみに同級生中大学に進学したのは3人だけで他は全て高校卒で、県の職員や国家公務員になって活躍した人も多かった。農業高校だったので、家業の農業を継いで果物、野菜などで立派に農業をやりぬいている人もいた。何十年も離れていても瞬時に昔に帰れる同級会はいいものだなと思った。
2008.11.22
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本日4時20分に待ち合わせをして家内をリバース和戸の玄関に車で時間通りに迎えに行ったが、中々出てこない。携帯に電話したが、話し中で全く連絡がつかない。何度も何度もかけたがずっとツーツーという音ばかり。時間はどんどん過ぎていく。どうなっているのか分からないが、待ち合わせ場所のリバース和戸の玄関には間違いない。だんだん怒りがこみ上げてきて、帰ってしまおうかと思った。かなりたってから電話がかかってきて、リバース和戸の隣の勤労青少年会館の玄関でずっと待っているとのことだった。すれちがっていたのでは逢える訳がない。それにしても電話はどうなっていたのか?従姉妹に電話したら相手がペラペラしゃべっていて中々切ってくれなかったとのことだった。すれ違いでお互いいやな思いをした。帰りの車中でも不機嫌は収まらず、途中アマノで買い物している内にやっと収まった。偶然にしろ、準備した上にしろ、どんぴしゃでうまくいった時にはご機嫌である。 準備していったのにすれ違いは悲しいし、悔しい。今回の場合は携帯が繋がれば、不運は最小限で抑えられたが、携帯もつながらず、最悪のケースだった。でも人生にはどんぴしゃでうまくいく場合とすれ違いの場合が結構ある。これくらいのすれちがいでイライラしていたらもっと大きなすれ違いの時はどうなってしまうか分からない。すれちがいはよく起ることである。行動だけでなく、お互いの考えがすれちがうこともある。イライラしないで、怒らないで、心を大きく持って生きていかなくてはいけないなと思った。
2008.10.13
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今夜は陰暦の九月十三日で十三夜とのことで、居間のテーブルの上にススキ、お団子、栗、里芋、大根、果物が飾ってあった。月は満月ではなくいびつだったが、きれいに輝いていたので写真を撮った。先月の陰暦8月15日の十五夜とこの十三夜の両方を鑑賞するのを平安朝の貴族は習わしにしていたとのことで、ずっとその風習は続いているとのことだが、私はあまり落ち着いて眺めたことはない。十三夜の月を眺めると、成功して、財力にも恵まれるとのことなので、見逃した人のためにここに掲げる。十五夜は芋名月、十三夜は栗名月とも言われる。
2008.10.11
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彼岸花:ユリ目、彼岸花科、原産:中国、花言葉「悲しい思い出」「思うはあなた一人」「また会う日を楽しみに」今日は秋分の日である。地球が秋分点(地球の自転軸と太陽の方向が直角になる瞬間)を通過する日で、国立天文台が正確に測定して、その日を決めている。2011年までは9月23日とのことである。その後は22日になったり23日になったりする。この日はまたお彼岸の中日(その前後の3日を彼岸といい合計7日)とされており、先祖を敬う日とされ、お墓参りに行く人も多い。私もお墓参りに行き今帰ってきたところである。庭に彼岸花が咲いていたので、写真を撮って掲載した。彼岸花は雌雄株の区別がなく、種で増えることはできないので、中国から伝わった一株の球根から日本各地に株分けの形で広まったものと考えられている。お彼岸さんのころ、何もない所にいきなり、茎のみが飛び出してきて、その先端に真っ赤な花をつける。花が無くなった後線形の細い葉をロゼット状に出すが、その後は枯れてしまい、地上には何も無くなる。全草有毒で動物が食べても、人間が食べても死ぬことがある。家内は種で繁殖すると言い張る。それは自分は一度も彼岸花の球根を植えたことがないのに、庭の2か所に生えてくるのは、種が舞ってきたからだというのだ。我が家だけではない。わざわざ彼岸花の球根を買ってきて植えた人はいないのではないかと思う。植えない花が彼岸の時に限って花を開くのである。球根が離れた土地に人手でを介さずに生えるのはモグラ等の動物が運ぶことも考えられるが有毒植物である。動物なども近づかないとされている。それなら先祖の霊が、彼岸の時だけ地上に顔を出して現世で生きてる人達に挨拶してくれるのかもしれない。生命は永遠なのでその可能性は大きいと考えるが、科学的証明は難しい。お彼岸になると、いつも真っ赤な彼岸花が目に入るが、それは亡くなった方の霊ではないかとと私は思っている。
2008.09.23
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今日は家内の誕生日である。何時もその少し前までは今年は絶対忘れないでいようと思うのだが当日になると忘れてしまう。今年も忘れてしまった。滋賀県に住む孫から電話があり家内が話していたので、孫の電話なら私も出させてと昨日の雷雨停電のお見舞いと思って「お見舞いありがとう」といった。孫はきょとんとして親に言ったらしい。親から電話があり、「だれか病気にでもなられたのですか」と質問された。家内のひんしゅくを買ってしまい、今年もここ暫く小さくなっていなければならない。今年こそはと思うのだが、当日になってしまうと忘れてしまう。ごめんなさい。写真はつくば市に住む孫が親とハッピーバースデーを歌い終わったその時の写真だという。「プレゼントは後でそちらに行く時何かします」とのことなので娘も忘れていて、慌てて携帯で孫の写真を送ってきたのかなと無理に自分と同じ仲間と考えようとしたが、彼女らは、毎年なんらかのことをしているので、私とは本質のところで違うだろう。後で気まずい思いをするので、お世話になっている人の誕生日は、今度はきちんと覚えておこうと思うのだが・・・・
2008.08.05
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キキョウ:キキョウ科 キキョウ属、多年草、原産、日本、朝鮮半島、中国、花言葉「優しい愛情」「誠実」「変わらぬ愛」今日アピオで行われた歌謡祭に出演してきた。出番を待って舞台のソデにいる時は緊張して咽喉がからからになった。私の前で順番を待っていた女性も同じだったと見えて、舞台脇の台に乗っていた誰の飲みかけか分からないお茶のペットボトルを指差して、「あれ飲んでいいかしら」と私に聞いてきた。無責任にも私は「いいと思いますよ」と答えたら彼女、それを口に含んでうがいしてそれを飲み込んだ。そしてそれを元の所においた。きっとその後も何人もの人が同じように飲むのではないかと思った。いよいよ私の順番がきた。最初は緊張して硬かったが、2番になったら少し落ち着いてきたので、家内にもいいところをみせようと思って思い切り大声で歌ってきた。まあまあだったかなと思ったら、家内から「2番になったら力みすぎて歌詞がはっきりしなかったし、曲にも遅れていた」と言われてがっかりしてしまった。緊張し過ぎてもいけないが、いい気になって調子に乗りすぎても失敗するものだなと思った。
2008.07.27
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キョウカノコ(京鹿の子)バラ科シモツケソウ属、宿根草、日本原産、紅紫色の花は京染めの鹿の子絞りを思わせるところよりこの名がつけられた。花言葉は「はかなさ」先日白衣の襟がねじれていて、午後鏡をみて気が付いた。午前中外来をしたり、病棟回診もしているし、健診室にも行ったのに誰も指摘してくれなくて、そのままの乱れた変な格好をして歩いていた訳でショックだった。前の勤めでも同じようなことがあった。家内にその話をしたら、「人の世はそんなものだよ。自分だって旦那だったら言うけど他人だったら言わないかも知れない。人が変な格好していようが、自分のことでなければ構わないものだよ」と言われた。そういえば昔若い医者が自分と同じように白衣の襟がひねくれたままで健診をしたり、廊下を歩いていたことがあった。すごく奇異な感じがしたが、誰か忠告してやるだろう、その内に自分で気づくだろうと思って進み出て積極的に注意しなかったことを思い出した。自分も含め、人の世ははかなくも冷たいものだなと思った。自分にとってはかなり大きなことでも、他人からすると関わりたくない感じで無視されてしまうことがあるのだ。仕事前に必ず服装等、鏡をみてからスタートすべきことを肝に銘じた事件であった。
2008.06.18
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カルミア(アメリカシャクナゲ)ツツジ科 常緑低木 北米東部原産、花言葉「大志を抱く」「野望」「優美な女性」昨年は一本の木が全て花で囲まれ小山のように咲いていたが、今年はただこれだけしか咲かなかった。私の大志がしぼんでしまったからだろうか。今朝出かける時また饅頭をくれた。「おなかすくと思うからおやつに食べなさい」というわけだ。前に一度菓子を持って行って「おいしかった」と言ったら以後毎日くれる。仕事の途中でおやつを食べる訳にはいかない。結構食べる時間がなくて帰る時になって慌てて食べて帰ってくることもある。かんにんしてもらいたい。ある人から「食べきれないほどご馳走を作ってくれるとか、はい飲みなさいとビール瓶や日本酒を机の上に置いてくれるなどと人にあまり言わない方がよい。自分などこっそり冷蔵庫からビール瓶を取り出すと‘見ていたわよ’と怒鳴られる。そんな人達が多いのに、君がそんなことを言うとおのろけに聞こえて‘こんちくしょう’と思う」と忠告された。言われてみるとその通りだが、あれもこれもしてくれすぎてたまには愚痴を言いたくなることもある。これ食べなさい、これ飲みなさいでどんどん出してきて私の健康を考えてくれているのだろうかと思うからだ。今度の場合も今時小学校の子供でさえおやつなど持っていかないと思うが、OO才過ぎの労ワーカーにおやつを持たせるなんてひどいと思う。これもおのろけでいやみに聞こえるかもしれないが、世の中にはとんでもないことで悩んでいる人もいることを知ってもらいたい。私の健康を考えてくれていないのではないかという懸念はあるが、あれこれつくしてくれるのはもったいないなという気持もある。まだ国境なき医師団への夢は捨てていない。アフリカに行くのを阻止しようとしているのかなとも時々思う。
2008.05.30
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ツボサンゴ:ユキノシタ科、ツボサンゴ属、耐寒宿根草、原産;北アメリカ、メキシコ、花言葉「きらめき」昨日かっての医局の後輩が私の病院を訪ねてきてくれた。色々話をしているうちに「先生にも白髪が出てきましたね」といわれた。「出てきたねどころかずっと白髪で、染めてるんだよ。生え際がそまってないものだから目立つようになっただけなんだよ」「染めてるなんておしゃれですね」と言われた。「おしゃれ」の意味は何なのか量りかねたが、あまりいい意味ではないと思う。「いい年をしてそんなことをしなくても」とか、「元が元なのにいまさら飾らなくても」の意味が含まれていたかもしれない。染めていない人もいる。それはそれで綺麗だと思う。私の場合は、髪の白さに比べて気持が若いつもりがある、或いは幼稚と言ってもいいかも知れない。今の私では染めた方がいいのではないかと思っている。おしゃれとか何とか言われても、もう暫くの間、染めてもらおうかと思っている。我が家では、30年以上前から家内が髪を切って染めてくれる。今日も「昨日そのようなことを言われたのなら」と整髪、染毛の準備をしてくれている。「何をもたもたしているの、早くしなさい」と言われているので、ブログはこれくらいにして、自宅床屋に行くことにする。
2008.05.14
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4月11~13日(金、土、日)に有楽町駅のすぐ近くの東京国際フォーラムで内科学会が開催された。金、土は勤務なので日曜日だけ出かけた。内科認定医、専門医というのがあり、5年ごとに更新しなくてはならない。それには必要な単位数があり、単位が足りないと折角とった専門医などの資格が消失してしまうので、単位をとりに教育講演会などに出席する。今回の総会に出席すると15単位くれるので、日曜日に参加した人が多く、あの広い会場が超満員であった。知り合いの医師に大勢あった。彼らも単位をもらいに駆けつけたのだと思う。5時半から翌朝8時半まで病院の当直なので、それまでに帰ってきて病院の当直にはいった。5人位外来に来たがそれほど忙しくなかった。夜中もいつ呼ばれるかびくびくしながら靴下をはいたまま寝ていたが遂に呼ばれなかった。今日は月曜日、これからまた通常業務である。がんばろう。
2008.04.14
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モクレン:自宅庭、3月20日午前9時に雨の中撮影モクレン科、モクレン属、原産:中国、花言葉:自然への愛、持続性、恩恵、地球上で最古の花木と言われており、1億年以上も前から自生していた。このは花は私が医学博士号を取得した時に記念に植えた花である。私が大学を卒業した当時はインターン制度廃止、博士号ボイコットを掲げて学園紛争真っ只中の時代であった。今では博士号の価値が下がり、むしろ専門医の方に価値をおいてそれを目指している医師が多いが、当時は博士号を取りたい人が多かった。そのために無給で働いたり、教授の命令で関連病院に出張したり、商家の丁稚みたいに下働きでも何でもして学位をもらうまで我慢し、貰った後もお礼奉公で、数年はその教授の下で働かなければならなかった。そのような抑圧的身分はたまらない、また報酬もない(アルバイトは許された)インターン制度もひどい制度だとして学生達が立ち上がったのである。ボイコットだったので、私も博士号を取るつもりはなかったが、その後次第に社会も落ち着いてきて、インターン制度の代わりに報酬がもらえる研修医制度がスタートして、同級生の内でもぼつぼつ博士号を取る人が出てきた。私も卒業して7年目頃友人が取得した博士号を見せてもらい、自分も取れるものなら取りたいと思った。当時国立甲府病院に勤めていたが、もっと勉強したくて相模原市にある北里大学病院に移る決心をしていた頃で、大学病院ならもしかしたら博士号が取れるかもしれないと思ったが、それが転勤の目的ではなかったし、大学院に入るわけでもないので夢の夢と思っていた。しかし幾つか学会発表し、論文も書いていたら思いがけずに教授から学位の話があり、主論文「肝機能検査の軽微異常値の評価」で北里大学に移ってから7年目の昭和59年1月24日に医学博士号を頂いた。学会発表や論文を書く時は統計数字の計算や表を作ったりしなければならないが、よく家内に夜遅くまで手伝ってもらい感謝している。医学博士号の価値はそれほどのものでないことは自分にはよく分かっていたが、両親は喜んでくれた。家の新築祝いを兼ねて親戚中を呼んで祝ってくれた。両親には苦労ばかりかけてきたので、少し恩返しできたかなと思った。今日は彼岸の中日である。お墓参りして、心からの感謝の気持と今後の決意を伝えてこようと思う。
2008.03.20
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日本水仙(雪中花)ヒガンバナ科スイセン属、原産 地中海、日本の北陸地方以南に分布花言葉:うぬぼれ、神秘的、秘めたる思い、自尊心、とても繁殖しやすい花で、植えた記憶がない所に雪が溶けたら芽がでて花を咲かせました。とてもいい香りがします。植えもしないのにあちこち生えていると家内は言っていますが、私は畑を耕した時に球根があちこち移動したのではないかと思っています。「自尊心」や「やうぬぼれ」は「自分はそんなことはない」と強く否定しますが案外私に当てはまるのかも知れません。今日のテーマはブログの表題です。毎日書きたいことが幾つか頭に浮かびます。どれを選ぶか迷いますが、その時の気分で決めています。その時選ばなかったのは次の日に回ることもありますが、次の日は次の日でテーマが浮かんでくるので、殆どは没になります。写真を載せて公式サイトになったので、週間予定表を作ってテーマをより選別して記事を書いていこうと思い立ちました。月曜:自由、火曜、水曜:健康情報、木:生き方や生活全般、金:政治、経済、国際情勢、土:ニュース関連、日:読書感想、遅く帰ってきて書けない日もあるし、今日は政治の日だが健康について書きたい時などもあるので流動的にしたいと思いますが、原則は以上のようにしたいと思います。
2008.03.12
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これは庭に咲いているクリスマスローズです。学名ヘレボラス、キンポウゲ科、クリスマスローズ属、花言葉:慰め、癒し、追憶、私を忘れないで など私は先日初めてこの花の存在に気がつきましたが、寒い寒い2月頃から咲き出すそうです。花が下を向いていて申し訳ないですが、これがこの花の特徴のようです。ブログの文章を書く時は、間違いがあってはいけないので辞典などで調べて念には念を入れて書いています。それでも公表してから、誤字などがあった場合には、再度その記事を抜き出して訂正してから公表しています。コメントを書く場合も同じようにしています。公共性を第一にプライバシーに配慮して書いていますが、悩みもあります。ある人から「文章が長いと誰も読んでくれない。短く書きなさい」との忠告を頂きました。自分もそう思っていたので、書く時はいつも短く、短くをモットーになるべく短く書くことを心がけていますが、推敲しているうちに付け足したくなることもあり、どうしても長くなってしまいます。他人のブログをみても長い人と短い人がいます。たしかに短いブログは読み易いですが、内容のないものにも遭遇します。内容のあるものにしようと思うとどうしても長くなってしまって敬遠されて読んでもらえなくなる。短かすぎてもいけないし長くてもいけないということだと思いますが、浪人時代から日記を書いてきたので40年以上文章を書いていますが、短くて内容のあるものは難しいと思っています。今回のテーマが「文章を短く書く」ブログなのにこんなに長くなってしまって困っています。困っているといえばプロフィールに写真を載せたことです。止めろと言う人もいるし、いいではないかと言ってくれる人もいます。止めるか続けるか、それが問題でハムレットの心境です。
2008.03.11
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これはある夫婦の話である。夫は神経質、妻はおおらかというのかいい加減、夫は部屋の扉を閉めて本を読んだりパソコンをしたりするのが好きだが、妻は何でも開け放すのが好き。風呂の水を入れるのに夫は入ってからお湯を足したり沸かしたりすればいいので溢れるまでは入れないが、妻はお構いなしにバンバン入れて溢れていても平気である。夫は柔らかい御飯が好きだが、妻はどちらかと言えばこわい御飯が好き、それでいながら私は普通が好きなのだと言い張って喧嘩ばかりしている。趣味も異なり何から何まで真反対で、よく離婚しないねと不思議がられている。私のよく知っているある夫婦は性格も趣味も合っていて、旅行が好きでヨーロッパや韓国など夫婦で世界中を旅している。性格が合っている夫婦と真反対の夫婦の割合はどの位あるか正確なデーターはないが、半々位ではないかと思っている。長年連れ添うとお互いが似てきて、似たもの夫婦と言われることがある。冒頭に挙げた夫婦はかなり長年連れ添っているが、似たもの夫婦の片鱗はさらさらなく、その違いがさらに際立ってきているようにも見える。でも性格が合わなければ離婚した方がいいのであろうか?それなら私の推定では合わない夫婦が何百万といるので、その何百万組が離婚しなければならなくなる。それぞれの夫婦は性格が合わなくてもそれなりに工夫してつきあっているのだと思う。一方が賢明だとその違いをカバーできるらしい。冒頭に挙げた夫婦はあっけらかんの妻が賢明で、その違いをカバーしているように見える。夫も全くのバカではないみたいで、性格は真反対だが、お互いのよさも認めているみたいで離婚に至っていないのだと思う。性格の不一致で今離婚の危機にあるカップルがありましたら、性格は真反対でも、お互いを思いやることによってなんとか持ちこたえている夫婦もあることを知って頂ければ幸甚です。
2008.02.23
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昨日の朝は有価物収集の日だったので朝6時から新聞紙やダンボールを決められた所に出してきた。先月出しそびれたのでペットボトルその他一杯あったので、朝勤めに行く前に何回も出しに行くのは大変なので夜の内に出せればいいなと思った。かっては前日の夜出していたが、ある時から夜出さないで朝出すようにとの回覧板が回ってきた。夜わいわい騒いだり、がらがらひっぱって出しにいくのはうるさいのと、夜出していいことにすると、自分達の自治会でない人が夜置いていくと言うのが理由とのことだった。夜は時間があって出し易いが、朝だと寒いし早起きしなくてはならないし、時間もないので大変不便で、出す人が激減し、自治会に入るお金も少なくなってしまった。夜出せないのは不便だし収入も減ってしまうので、夜出してもいいようにしようと組で決めて自治会に提案するように決議したが、朝でないとだめだと強硬に言い張る人がいて、未だに多くの人が不便を感じながらそれに従っている。朝、私が資源ごみを持って行くと業者の人が寂しそうにトラックの脇に座っていることが多かった。夜出していい時には山のように資源ゴミがあり、商売になったが、朝だけだとほんの僅かで商売にならない様子で気の毒でならなかった。朝だけだと言い張る人は夜自分がうるさく感ずるからだろうが、月に一回のことである。ましてやそれは自治会の収入になる。自分はともかく一般的に考えて夜のうちにも出せる方が都合がいいことが容易に想像できるはずである。自治会の幹部にも分かっていると思う。でも強硬に言う人がいれば逆らえないのだろう。自治会の決定は逆らえないことになっていて夜出した人はきまりが守れない人として非難される。どんなに不合理なことでも発言力のある人の意見で多くの人は虐げられ、がまんしなければならない。不合理なことなので私が自治会の役員になったらきちんと言おうと思っている。でも今はそういう決まりになっているので従うしかない。でも今度ばかりはペットボトルや一升瓶、ビール缶等が一杯あり、朝だけでは運びきれないので掟破りを知りながら半分前夜に出してきた。不合理なことでも掟は掟である。それを破るのはかなり気が引けたが今回ばかりは勇気を出して掟破りをした。有力者の意見で不合理が掟としてまかり通っていることは多いと思う。その有力者と対決して合理は合理、不合理は不合理を分かってもらうべきだと思っている。
2008.02.13
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滋賀県に住む息子夫婦がたねやのバームクーヘンを送ってくれたので、昨日3時頃食べた。昼食をろくに食べていなくて空腹だったこともあってかすごく美味しくて幸福感に満たされた。食べるものが美味しくて幸福感を味わったということを人からはよく聞くが自分がそれを感ずることはまずないと思っていたが、今回はまさに幸せを感じた。今朝起きる時、あのバームクーヘンがまだ少し残っていたみたいだから今日も食べられるなとうれしくなった。食べ物でこんな感じになったのは初めてで不思議な感じがした。たねやのホームページをみたらそれこそ真心こめてバームクーヘンを作っていることが書いてあったが、その真心に触れたのかも知れない。今はメタボリック・シンドロームなどといって食べ過ぎてはいけない、グルメはいけないなど厳しい規制の風潮があり、食べ物、特に菓子が美味しいなどといったら国賊扱いされかねないが、美味しいものは美味しいのである。これからも美味しいものには遠慮なく感動していこうと思っている。
2008.02.10
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背中に負ぶさってご機嫌の子供つくば市に嫁に行った娘が子供を抱いたまま倒れて、子供は無事だったが自分が怪我をして子供の世話や家事ができないとのことで里帰りしてきた。おかげで孫と一緒に生活できることになった。よちよち歩きで何処へでも行くので転落しないかとの不安、食事中何にでも手を出して皿をひっくり返す、落ちているもの、手に入るもの何でも口に入れて、のどに詰まらせたり、有毒物質を舐めたりすることの心配があり、ひやひやどきどきの毎日だが、本人は全く意に介せず天真爛漫に活躍している。井上勝六氏の新刊「脳で食べる」丸善書店を送って頂いたが、その中に子供の笑顔について書いてあった。子供は本能的に笑顔を作る遺伝子を持っており、それによって周りの人から愛され好かれ、無事成長することができるとのことである。しかし子供が言うことをきかないで泣き叫び、憎らしいので、叩きつけて殺してしまったという事件があった。笑顔の子供は可愛いが、泣き叫び、叱っても泣き止まない子供は邪魔者として災難を受ける可能性がある。子供が泣くのは自分が満たされていないことや、自分に苦痛があることを知ってもらいたくて泣くのだが、その前に周りの大人に不快感を与えてしまう。これでは身を守ることにならない。これらの子供には笑顔の遺伝子が不足しているのであろうか?そうではないと思う。いつも泣いている子供は両親から満たされていないのだと思う。満たされていれば子供は自然に笑顔になり周りの誰からも愛される。満たされていないと何時も泣いていて周りから嫌われ、うとまれ、身の危険にもさらされる。なにも知らない幼児にはその責任はない。いつも笑顔でいられるように子供を育てるのが両親の役割だと思う。母親と父親で力を合わせ、子供がいつも笑顔でいられるように温かい愛情を注いでもらいたいと思う。
2008.02.07
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写真は2月3日に降った雪の上で遊ぶ子供である。1歳2ヶ月である。この子も大きくなたら友情とか恋愛に関わることになると思うので今日のテーマは友情にした。モームの自伝的小説「人間の絆」も最後の方に近づいてきた。医学生フィリップは5年間勉強し、後1年で医師免許がもらえるという所まできた時に、学業を支えていた父親の遺産を株で摩ってしまって、文無しになってしまった。下宿代も払えず野宿するような境遇になってしまった。医学生として病院勤務していた時に受け持ち患者だったアセルニーが退院する時、「遊びに来てくれ」と言ってくれたので、遊びに行って奥さん子供(9人)全てと家族ぐるみの付き合いをして、毎日曜日遊びに行くのが楽しみになっていた。文無しになって食べるものや寝る所もなくなった時、アセルニー家のあたたかくて美味しいご馳走のことが、頭に浮かんだ。しかし、金があって医学生だったフィリップだったから歓迎してくれたが文無しの自分は前と同じようには迎えてくれないと自分で思い込んでしまい、中々行くことができなかった。でも2週間ぶりにおそるおそる訪ねてみたら、前と同じように子供たちがまつわりついてくれた。アセルニーも奥さんも前と同じように接してくれたが、フィリップの心は前と同じようにはいかなかった。文無しと知ったら追い出されるかも知れないと思ったりした。実はアセルニーは約束していた先週の日曜日にフィリップが来なかったことを不思議に思い、彼の下宿を訪ねており、フィリップが何週間分も下宿代をため、今は何処にいるかも分からないことを下宿のおばさんから聞き出していたのである。文無しを知っていながら前と同じように迎えてくれたのである。年は離れているが、彼らは真の友情で結ばれていたのだと思う。アセルニーは一番末の子供を年長の子と同じ部屋にさせ、フィリップに寝る所を提供してくれた。そして自分が勤めているデパートの臨時職員(ボーア戦争で南アフリカに出兵した人達の穴埋め職員)も斡旋してくれた。金があるなしで友情が結ばれたり破綻したりすることはないと言われているが、実際には金の切れ目が縁の切れ目で、文無しになった人間は友達でも何でもないとそっぽを向かれることが多い。金を貸してくれと言われたり、保証人になってくれなど碌なことはない。できることなら貧乏人とは関わりたくないと思うのが本音だと思う。アセルニー夫婦は違った。文無しで、医学生を続けられないかも知れない乞食のようなフィリップをあたたかく迎えてくれたのである。涙が止まらなかった。今フイリップはデパートでお客さんの案内係等の仕事をしているが、医学生に戻りたいとの気持ちはある。しかし何ヶ月も休んでカムバックするのは難しいし、お金のあてもない状況では今後、医学を断念するのではないかと思うが、そんなフィリップをアセルニー夫婦は心より迎えてくれた。大抵は夫が「友人を数日家に止めてやろう」と言えば奥さんが旦那の袖をひっぱって片隅に呼び、「何ということ言うの」と怒られることが多いが、彼女は心から迎えてくれた。その人ありてその奥さんありだと思った。フィリップが医学を続けることになるのか断念するのかまだ分からないが、いい友人をもったことは大きな財産だと思う。立ち直ってもらいたいと願う。
2008.02.06
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きょうお年玉年賀はがきの当選番号が発表になった。民間に移管したからか、今回は4等の下二桁の当選番号が37と64の二つしかなく、当たる確率が低くなっていた。500余枚調べたが例年のごとくはずれが殆どで、4等当選が8枚あったのみだった。他の当り番号は以下の通りである。1等5745782等957358 769466 3979403等 9660特別賞 935473 588104 520056 700871C組812751C組5611014等 下二桁 37、64
2008.01.27
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今日はお客さんが来た。しばらく前までは客が来てもあまり気にしなくてそのままだったが、最近は来る前に、色々準備して迎えるようになった。様々なタイプの客があるが、どの客に対しても、誰か来るとなると部屋の掃除とか、片付け、テーブルや椅子の配置などを手伝うようになった。廊下のゴミを拾ったりスリッパをそろえるのが私の役割みたいになっている。今は時代が変ってご馳走を山ほど並べられるより、量より質で、上品なもの数品の方が喜ばれる時代なのに、家内は相変わらず昨夜から、あれもこれもと食べきれないほど準備していた。私はやっと最近、客が来る時にはいろいろ準備しなければと思うようになったが、家内は昔から、客を迎える時は過剰と思えるほど神経を使っていたようだ。今お客さん達が帰った。後片付けが大変なのは分かっていたが、「手伝って」と言われなかったので今まで殆ど手伝わなかった。客が来る前のところでスリッパなどほんの少し手伝うようになったので、これからは言われなくてもほんの少しでも後片付けも手伝っていこうと思っている。客を迎えるということはもてなしの心がないとできない。客には歓迎する客、来て貰いたくない客など様々なランクがあると思う。私は自分の家に来てくれる客は、誰も最大限尊重し、心からもてなそうと思っているが、こちらが忙しいとか体調が悪いとかの時は思うように対応出来ないことが多い。自分が客として訪問した時、心からのもてなしを受けた時は嬉しい。それは誰でも共通の感情だと思うので、人が客として訪れた時には心からもてなせる人間になりたいと思う。
2008.01.20
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昨日アゲハチョウを家の外に出してやったが、夜もだんだん深まり、温度も下がってきたのでアゲハチョウのことが気になり出した。家内が「家の中に入れてやったら」と言ってくれたので10時半ごろ外に出て、懐中電灯を点けて庭の中をあちこち探した。どこを探しても見つからず、雲を掴むような話で、諦めかけた時、庭の砂利の上に羽をたたんで横たわっていた蝶を見つけた。まだかすかに息をしているようだったので、部屋の中にいれて、シクラメンの花に止まらせたが落ちてしまった。暫くして家内が「飛んでる、飛んでる」というので部屋に入って聞いてみたら、部屋が暖まってきたら元気になって部屋の中をあちこち飛び回ったとのことである。本日の朝、起きてみたら、床の上を弱弱しく這っていた。気にしながら出勤して、夜勤めから帰ってきて早速様子を聞いたらあの蝶はもう家にはいないとのことだった。義理の兄Tさんが家内を買い物に乗せていってくれることになり、家まで迎えにきてくれて、我が家のアゲハを見つけた。Tさんが広口カップに砂糖水を作って、それをテーブルの上に置いて買い物に出かけた。蝶がそれを吸ったかどうか分からないが、家内達が買い物から帰って窓を開けた途端、蝶は飛び立ち、隣のアパートの屋根に止まってしまったとのことである。永遠の別れだと思う。今夜の寒さで確実に死ぬだろう。温かい部屋に住まわせてもっと生かしてやりたいと思ったが、何事も自然に帰れで、自ら自然の中に飛び込み、その自然の中で死んでいくのは本望かもしれない。突然我が家に出現し、最後は大空の中に消えていったキアゲハ蝶、誰かの化身かもしれない。楽しい夢を見させてくれて有難う。コメント:図鑑で調べましたらこの蝶はアゲハチョウ属のキアゲハでした。
2008.01.17
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家内が部屋の戸締りをしてお使いに出て帰ってきたら、部屋の中にアゲハチョウがよちよち歩いていたとのことで、写真を撮った。床をヨチヨチ歩いているところカーテンに止まった所を撮影した。家内は寒いので家の中に草木を入れているのでそれについていた幼虫が暖房で孵化して蝶になったのでないかと言っていたが、私は戸締りをする隙にどこからか紛れ込んだのではないかと思った。だがこの真冬に蝶が飛んでいるだろうか?家の中にそのまま置くべきか外に出してやるべきか迷った。家の中に置いたっていずれ死ぬ。外に出せば寒さで早々と死んでしまうだろう。でも自由がある。外に出して庭のパンジーの花に止まらせてやった。自然の方がいいと思ったからだ。2日前のブログで前世をとりあげた。人には必ず前世があると書いてある本を紹介した。その本では人の前世はやはり人間と書いてあったが、仏教等の考え方は人の前世は必ずしも人間ではなく、あらゆる生物の可能性があると説いている。私も、現世が人間だからといって、その前世も人間だったとは思っていない。蝶だったかもしれないし、動物や魚だったかも知れないと思っている。この蝶は誰かの霊で、何かを告げに我が家に入ってきたのかもしれないと思った。科学的根拠は何もないが、真冬に、アゲハチョウが締め切った家の中にいたとなるとそのような想像も浮かんできた。不思議な蝶だ。家の外に追出した私を恨まないでくれと願う。
2008.01.16
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年末年始には滋賀県に住む長男夫婦と二人の孫(6歳と5歳)が遊びに来てくれた。上の写真は暮れに愛宕山の子供の国に連れていった時の写真である。鉄網でできた長いトンネルや難しい橋や長いすべり台など全ての遊具を完了したあと仲良くシーソーに乗っている写真である。空中にあるトンネルに自分ももぐってみたが、かなり怖くて早々と下りてしまったが、子供は怖いながらも全て夢中で次から次に走破した。子供の怖いもの知らずとバイタリティはすごいと思った。その彼らも昨日滋賀県に帰っていった。今日からは仕事始めである。病院の仕事始めは普段と殆ど変らなかった。気になる患者さんがいるので昨日も様子を診にいっているので今年初めての出勤でもないので、自分は事改めた気分ではなかったが、看護師達も夜勤や日勤で出勤している人が多く、特別こと改めた挨拶をし合うこともあまりなくて助かった。というのは自分は仕事始めの日にこと改めて挨拶し合うのが苦手だからだ。本当は年の始めの仕事始めの日に、お互い「これから1年間頑張りましょう」「よろしくお願いします」と挨拶し合うことは大切だし、意義もあることだと思うが、どうも苦手で困ったものだと思っていた。でもあまり得意な人もいないみたいなので、そこそこにできればいいかなとも思っている。仕事始めの1日。気になる患者さんの検査や指示、きちんとできたと思う。充実した1日が送れて感謝。
2008.01.04
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シクラメン:サクラソウ科、シクラメン属、多年草、原産:地中海沿岸、明治末期に日本に渡来。花言葉:はにかみ、内気、切ない愛を受け取って昨夜職場の部署の忘年会をかねた送別会が石和の居酒屋で行われた。4千円位の会費で、時間を決めて飲み放題で、ジュース、生ビール、日本酒何でも時間内なら飲み放題、生ビールのお変わりが一番多かったが、ジュース類のお変わりも結構あった。かなり楽しかった。かって参加していた英会話の飲み会も甲府市内の居酒屋で行われ、飲み放題で4千円位の会費で結構楽しかったが、この居酒屋の雰囲気、特に飲み放題のスタイルは結構現代人にマッチしているのか、どこも満席のようだった。普通の料理屋なら「飲み代追加です」と言われて6千円、7千円はざらだと思う。薄利多売だと思うがこれだけ盛っていれば、やっていけるのではないかと思った。若者から老人まで幅広い層を引き付けているので、これから益々人気がでてくるのではないかと思う。話し変るが、年賀状と一緒に喪中のハガキを受け取った人に寒中見舞いとして、お悔やみのハガキを出したら今日、ある人からご返事を頂いた。奥様をなくされた方で寂しい思いをしているとのことだった。3人の娘さんが週末に交代で一泊して掃除洗濯をしにきてくれるとのことが書いてあった。心温まる話だ。私も家内を失ったらどうしているだろうかと思った。娘は一人いるがつくばに嫁にいっている。週末泊まりに来てくれるだろうか?家内には先に死なれたくないものだと思ったが、家内自身が、「何もできない主人なので、1日でも後で死にたい」と言ってくれているが、実際はどうなるか分からない。
2007.12.27
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これから年末年始にかけて何日か休日をとられる方も多いと思う。それぞれの楽しみ方があると思うが、私はたまの休みには本を読んだり、勉強したりしたいと思っている。でもいつも家内が覗きに来て、あれをしろ、これをしろ、どこそこへつれていけとさまたげる。本を読み始めたばかりなのにと思っても逆らえない。しぶしぶ言いなりになってこき使われる。休みの翌日の勤務のことを思って心を整え体調を整えておこうと思うが、休みの日が終わる頃には明日のことを思って不安になる。休日は日頃の勤務から全く離れてリラックスして明日への鋭気を養うという考え方や勤務も勉強、休日も勉強、休日は明日からの勤務への備えをするものだとの考え方等がある。私は後者の考え方に近く、休日に欲張ってうんと勉強しなくてはと思ってきた。だから無為に過した休日を反省して落ち込むことが多かった。勤務の日より、休日の方がストレスが強かったように思う。でも残り少ない人生、休日まで緊張していてどうするのか?と思い始めている。家内に色々言われるのをしぶしぶ応じるのではなく、「今日は休日なのだから何でもしてやるよ、どんな用事でもいってくれ」と受身ではなく、積極的に協力する気持ちに切り替えようと思う。今までは、廊下にスリッパの足音がすると、また何をやらされるのかと恐怖の気持ちにさらされていたが、気持ちを切り替えれば足音が反って喜びになるのではないか(実際はどう感ずるかまだ分からないが)と思っている。今を境に切り替えようと思っている。切り替えた今日はよくても次の休日は元に戻ってしまったということのないように、強い心を持っていきたいと思っている。
2007.12.26
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甲州市中央公民館大ホールで開催された第7回東日本歌謡連合祭に出演して今帰ってきました。写真は歌っている時の写真です。元々音痴で有名だった私も数年前から月に2回土曜日の夕方車で50分位かかるところに習いに行くようになって、何とか少しは歌えるようになりました。今回は冠二郎が歌う横浜物語を歌いました。習いに行く所までの往復の車中や通勤の車中等で繰り返し練習したので大丈夫かなと思いましたが、いざ舞台に立ったらかなり上がってしまいました。でも歌ってるうちに 少し落ち着いてきたので、客席も少し見たほうがいいかなと思って客席の方をみたら、曲に遅れてしまいました。終わってから先生に「少し遅れた所があったね」と言われました。客席を見回して表情をつけたりするのにはまだ十年は早いと思いました。クラブ活動というのか60の手習いというのか、勤務の余暇に英会話、歌、ゴルフ、囲碁を勉強しています。英会話と歌は先生について習っていましたが、7月で英会話教室は辞めたので、今先生についているのは歌だけです。全く歌えなかった人が何とか歌えるようになるのですから、先生につくことは重要なことだと思っています。ゴルフもすごく下手なので、前にも先生について習ったこともあるので、また先生について習っていこうと思っています。これらの習い事は時間やお金(歌の場合1回2000円)がないとままなりませんので、そのようなチャンスとお金を与えて頂き、したいと思ってもそのような機会に恵まれない人たちのことを思って申し訳ないと思います。仕事をさせて頂けるのも幸運です。このようなクラブ活動をさせて頂けるのも幸運です。誰に言ったらいいのか分かりませんが、兎に角感謝申し上げます。ありがとうございました。
2007.11.11
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ユリ科の多年草、ニラの花です。庭の片隅に咲いていました。星型の可愛い花です。中国西部原産です。花言葉は「星の願い」です。花が星型をしているのでこのよな花言葉がついたのでしょうか?星は空から眺めて色々人間どもに願っていることが多いと思いますが、医者はもう少しまともな字を書きなさいと願っているかも知れません。今病院に勤めていて、色々な医師がカルテに書いた字をみますが殆ど読めません。昔はドイツ語などを書いて患者さんにわざと分からないようにしていた面があったそうですが、今はできるだけ日本語で書きなさいということになっています。誰にも分かるようにです。ナースが見ても事務員が見ても患者さんが見ても分かるようにカルテを書くのが義務なのですが、医師の書いた日本語は他人には殆ど読めません。自分には読めるのかも知れませんが、他人に読めなければ意味がありません。カルテは共通の財産ですが、それでは全く役に立ちません。なぜこれほどに医師は字が下手で読めないのでしょうか?患者さんを診断して、所見を書き、薬などを処方します。丁寧に書けばもしかしたらまともな字が書けるのかもしれませんが、次の患者さんが待っていたり、看護師が側についてじっとまっていられると丁寧に書いていると悪いような気がします。のろまだとんまだと言われるのは嫌ですから、どうしても大急ぎでぐちゃぐちゃと書いてしまいます。ゆっくり書いてでもいようものなら、看護師にいやな顔をされます。早く書かなければならない環境におかれてぐちゃぐちゃと書いているうちにそれが習い性になってしまって、普段でも下手な字を書く人になってしまうのだと思います。何百人という医者を知っていますが、まともな字が書ける人は数人しか知りません。一般に女性医師はまともな字を書く人が多いと思いますが男性は殆ど例外なくだめです。私もその例にもれず悪筆ですが、まずい字でも分かり易いことを心がけています。まずくて読めない人が圧倒的ですが、少なくとも人に読める字を書いてもらいたいと願っています。
2007.11.10
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今、7月まで行っていた英会話メンバーとの飲み会に「茶蔵酒蔵」に行って帰ってきたところである。昼間の仕事で、自分の技術の未熟さに落ち込んでいたのだが酒を飲むほどに気が大きくなり、楽しいひと時を過ごすことが出来た。集まったメンバーはアイルランド人の女性ティーチャー、29歳のミヤンマーにラブしている美人警察官、30歳の一児のママ、一級建築士の50歳代の男性、32歳の県立大学の男性講師、66歳の男性医師の6人だった。このうち二人は合コンで結婚した。合コンがないアイルランドの先生は大変興味をもって詳しく合コンについて聞いていた。30歳の女性は10年前に合コンで彼氏と会い、互いにメールアドレスを交換して、5年後に、相手を結婚相手と考えるようになったとのことである。32歳の男性は東京エレクトロンとの合コンで知り合い、1年以内に結婚したとのことである。長いカップルもあれば短いカップルもあるものだと思った。アイルランドから日本人男性のもとに嫁いできた先生も自らのロマンスについて語ってくれた。もう夜も更けようとしている。家内から「もう夜も遅いのだからパソコンのスイッチなど入れてはいけません」と厳しく言われたが、楽しかったので日記に書いておきたくて家内ににらまれながらあえてこれを書いている。酒は悪いこともあるが、時にはうさを晴らしてくれていい時もあることを実感した。
2007.10.19
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同窓会にも様々なものがある。小学校、中学校、・・・大学と学生時代の同窓会が一般的だが、その外に、仕事仲間、勉強グループなどが何年か経って集まる同窓会がある。今日は一緒に勉強したり仕事した仲間の同窓会に行ってきた。飲みすぎて代行車で今帰って来た所である。この同窓会の責任者をしており、昨年もこのブログに参加者が少なくて責任を感ずると書いたが今回も少なくて残念だった。でも昨年同様集まった人は楽しい一時を過すことができた。どの同窓会でも、出席したい人と出席したくない人がいる。社会で成功している人はよほど都合悪くなければ出席する。社会で苦境にある人とか、不義理を重ねた人とかはなるべく古い人には会いたくなくて、欠席する。私は殆どの同窓会に出席しており、来る10月28日には昼東京での同窓会に出席して、夕方からは地元での中学時代の同窓会に出席する予定を立てているが、人生落ち目の時には、なるべく同窓会には出たくないと思ったものだ。同窓会の出席率は幹事が責任を感じて、一喜一憂するが、基本的には相手に原因があるのだと思う。出たくない人は、それはそれでそっとしておいてやるのも幹事の役割かも知れないと考え、自分を慰めている。
2007.09.08
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警察官が飲食店につとめる女性を好きになり、お金をつぎ込み、身も心も捧げたが振り向いてもらえず、ストーカーのように付きまとい、遂にはそれを警察に通報する言われて、相手を殺して自分も自殺した事件があった。モーム作「人間の絆」の中で医学生フィリップも喫茶店の女給ミルドレッドを好きになり、そこに通いつめるが彼女は全く関心を示してくれない。一等席で見れるミュージカルに誘ってそれが始まる前に豪華な食事もはりこんだが、そんなことをしてくれる男性は他にもいくらでもいるという感じで、感謝の気持ちも示してもらえない。それほどの美人というわけではなく、下品な笑い方をするし、人の悪口しか言わない女性で、一目ぼれの恋愛に憧れていた自分が、なぜそんなに好きになってしまったのか考えてみた。最初、フィリップの友人が彼女を好きになり、自分も一緒にその店に行くようになったが、客の自分達に彼女が生意気な態度をとるので、チャンスがあったらギャフンと言わせてやろうと思っていた。しかし相手が自分達に全く関心がなく、こちらでギャーギャー言っても全くこたえない感じで、何とかへこましてやりたいと店に通っているうちに、何故だか好きになってしまったようだ。好きになると大変だ。馬鹿にされ、足蹴にされても、お金は勿論、あらゆることをして尽くしたくなる。尽くしても尽くしてもそれに対する感謝の言葉はない。時には殴りたくなるが、殴ってもなんの足しにもならない。それによって自分を好いてくれる訳ではないし、自分の心も満たされる訳ではない。どんなに尽くしても最後まで振り向いてもらえず、地獄のような惨めな数年を送り、後年別の女性と付き合うことになるが、それでもミルドレッドのことが忘れられない。世の中にはあまたの女性がいる。彼女より、ずっと美人で気立ての優しい人もきっといるはずである。自分を何とも思ってくれない女性など、さっさと諦めて別の人生を歩めばいいと思うが、恋の奴隷になってしまった人にはどうすることも出来ないらしい。今回の事件と似たようなストーリーだが世界中でこのような苦しみを味わった人、今味わっている人は沢山いると思う。その人を好きでたまらないが、相手はなんとも思ってくれない。想いつのって時には後を付けたり、家の周りを見張っていたりすれば、かえって気持ち悪がられたり、恐ろしがられたりする。そうなったら可能性はゼロなので、諦めた方がいいことは頭では分かっても、感情が切り替わってくれないので苦しいのだと思う。そのような苦しみから抜け出すには時間が最高の良薬と言われる。どんな苦しみも時が解決してくれるものである。それにはまず相手を追っかけるのを止めて、自分一人で旅に出るとか、仕事や勉強に打ち込むとかして、相手から離れての時間を積み重ねていくことが必要である。
2007.08.29
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網走から見たオホーツク海である。千の風はここにも漂っているのかも知れない。作詞者不詳、新井 満作曲、秋川雅史歌の「千の風になって」が大ブレイクしている。子供から老人までが大声で歌っている。作詞者不詳だが、あるアメリカ人女性が母親を亡くして悲しんでいた女性に書き送ったものとの見方が有力で、その女性や友人が同定されている。歌詞の内容は、私は死んだけれどもお墓の中に眠っているのではない。風になって世界中をかけめぐり、ある時は光、雪、鳥、星になって貴方を見守っている。だから悲しまないでおくれ。と言う内容だ。親しい人に死なれて人が悲しむのは「もう自分とは関係ない世界に行ってしまい、永遠に逢えない」と思うからだ。目に見える世界から考えると、確かにその人は自分の目の前からいなくなり、話したり、触ったりできないので、もう完全にいなくなってしまったのだと思う。そして悲しむ。この歌詞では、「私は消えてしまったわけではない。あなたの側にいつもいる。それは風になったり、鳥になったり、雪になったり、死ぬ前の容姿とは違うけれど必ず何らかの姿をして貴方の側にいるので安心して下さい」と言っている。本当はどうなのだろうか?本当に死んだ人の命はその辺りに漂っているのであろうか?そのことの十分な証拠はまだ科学的に実証されていない。従ってそのことは各人の自由判断にゆだねられている。様々な意見があるが、私は生命は永遠であり、死んだからといってどこかに消えてしまうものではないと思っている。
2007.08.26
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今夜、12時過ぎてしまったので正式には昨夜、は石和の花火を見に行ってきた。笛吹川べりで1万発の花火が打ち上げられ、ズドーン、ズドーンと腹にしみわたる大音響や頭上に次々と広がる大輪の花に驚嘆してきた。驚嘆したといえばそこに集まった人の多さにも驚いた。川の土手は勿論、通行止めになった道路全てに人が溢れていた。屋台もずらりと並んでおり、こんなにも人が集まるものかと思った。7時半から9時までとのことだが私の連れの女性2人は電車とタクシーを使い、5時半頃から現場に到着して待機しており、私は仕事が終わってから現場で7時頃合流した。彼女らは現場で待ち時間も合わせると硬い石の上に3時間半座っていた。私は何度も何度も「終わりまで見ると最後はどっと人が押し寄せるから早く帰ろう」と促したが2人は「最後のナイアガラを見るまでは絶対帰らない」と動かなかった。その忍耐力にはつくづく脱帽した。これがナイアガラ
2007.08.21
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山梨県北杜市白州町の尾白川渓谷に行ってきた。行ってきたというより、夏休み、日曜日、水のある行楽地ということで大勢がつめかけ、渓谷入り口付近は大渋滞だったので、やむなく引き返すことにしてその途中、尾白川の下流だが、大勢の子供や大人が川の中に入っている所があり、我々も道路脇に車を止めてガードレールを乗り越えて尾白川に入ってきた。清流の中には何の魚か分からないが5~6ミリの稚魚やおたまじゃくしが泳いでおり、子供たちはそれを捕まえて楽しんだ。運動神経の鈍い私はこのような川に行くと必ずといっていいほど川底の不ぞろいの石につまずいたり写真を撮ってやるとバックして川の中にしりもちをついたりして倒れこむことが多いので、今日も6歳以下の子供たち3人より私が一番要注意人物ということで「そら危ないよ、そら倒れる」とうるさい位注意された。尾白川の水は甲斐駒ケ岳の花崗岩層をろ過されてくる水でミネラル類がごく微量バランスよく溶け込んでおり、飲用にも適する上質の水で、近くにその水を利用した酒造りの工場もある。尾白川の名前は古来白州の山中に体が白黒で尾が白い霊験豊かな神馬が住んでおり、そこを源とする川であることからこの名で呼ばれているとのことである。我々一行は全部で9人(うち一人は8ヶ月の女児)だったが全員が霊験豊かな水にも入れて愉しい一時が過せて、ラッキーだった。あのまま渋滞していてとても何時間待っても入れそうもないからと帰ってしまって、フラワーパークにでも寄って帰ろうかと帰ってしまたらこの思いができなかった。感謝である。
2007.08.12
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メドウセイジ:シソ科、サルビア属、北米原産、花言葉:素朴、三重県から尋ねてきた38年来の友人から名前を教えてもらった。約38年前、中野区上高田の3畳一間に下宿して、昼は沖中仕などの仕事をし、夜受験勉強をしていた受験浪人の頃、同じ下宿にいた、M君が三重県からはるばる尋ねてきてくれた。M君は大学卒業後三重県熊野市の新聞社に入社し後に社長にまでなった人である。その当時やはり一緒に下宿していた仲間にI君がいる。彼はもともと料理に興味があり、大学の経済学部を卒業したが、板前修業をして、板前になり、数年後独立して、渋谷の道玄坂に若者相手の店を開店している。私と上記二人はそれぞれ悩みを抱えており、経済的にも恵まれていなくて、アルバイトをしながら学業や受検勉強をしていたので、一緒の下宿にいたのは1年にも満たないと思うが、苦学時代の数ヶ月はとても長い期間の付き合いだったように思われ、以来この3人は堅い友情にむすばれ、近況報告や激励の手紙のやりとりなどをしてきた。その内のM君が今回車で冨士山を観て回る旅を計画し、その一環としてご夫婦で、当地甲府に寄ってくれた。武田神社とか恵林時等の武田史跡を案内した。私が熊野に行った時には熊野古道を案内してもらった。M君、I君、私は、恐らく様々な辛苦を舐めながら、打ちのめされ、這い上がり、そしてまた打ちのめされたりしながら、それぞれ別の道を歩んできたが、結婚もして子供にも恵まれ、それなりの人生の集大成を迎えようとしている。あの上高田当時には想像も出来なかったような現在の3人だが、これからもお互い、励ましあい、助けあいながら、余生を明るく、充実したものにしていきたいと思っている。
2007.08.05
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ツユクサ(露草)ツユクサ科、原産:日本、東アジア、花期6~10月、花言葉:懐かしい関係、尊敬、小夜曲、写真少しぼけてしまって済みません。今度新しい病院に転勤になったが、そこでは毎週月曜日に会議があって遅くなるので、今まで7時からの英会話教室に通っていたが、その会議のためにそれに出席できなくなって5年位続けていたその教室を止めることになった。それで昨夜はわたしにとっての最後の教室ということで、オーラ先生の自宅で送別会を開催してくれた。生徒は男5人、女6人だった。クラスには若い人も年配の人もいて、愉しい愉しい仲間達だった。K駅の南口の土間土間で桜の季節といえば花見会、冬は忘年会、クリスマス会とよく飲み会もした。普段の教室は休む人が多かったが飲み会というとみんな出席した。皆と別れるのは悲しいが、職場の会議と重なっては仕方ない。教室は止めたがこれからも会話の勉強は何らかの形で続けていきたいと思っている。
2007.07.31
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本日アピオ一階吉兆の間で行われた泉ちどりディナーショーとカラオケフェスタ(歌謡発表会)の第一部カラオケフェスタで歌っている私の写真である。全県下から集まった歌手56人のトップバッターとして最初に私が「横浜物語」を歌った。大森先生の門下生は100人位いるが、今回その内の代表選手4人が出場したが、4人とも他の出場選手に比べて遜色なかったと大森先生が褒めてくれた。私については今回は力みがなく、素直にそれでいてきちんと声が出ていたと褒めてくださった。家内と家内の義理の姉が応援にきてくれて歌い終わった時姉から花束を頂いた。今まで何回かこのような発表会に家内もきてくれていたが、写真を撮ってもらったことはなかったが、今回は帰ってきてから携帯で撮った写真を見せられた。もっと近づいた写真を撮ってくれればよかったがテーブルがあってそれを超えて行くのは恥ずかしかったからと遠慮した写真になってしまったが、それでも貴重な写真なので大切にしたいと思う。前回の時は声がかなり出て自分ではいい出来だと思ったが、家内から「大きい声で歌えばいいというものではない、強弱とか、メリハリとかなければだめ」と言われたので、今回は強弱をつけて歌うことを心がけたら、けなすことしか知らない家内が、今回は「よかったよ」と言ってくれた。短い言葉だったがうれしかった。帰り際、出口の所で大森先生がタバコを吸っていた所に出くわせ、家内が「お世話になってありがとうございました」と挨拶してくれた。
2007.07.29
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キンギョソウ(金魚草)です。ゴマノハグサ科、地中海沿岸原産、江戸時代後半に渡来、花言葉は、図太い、騒々しい、推測、予知、清純な心などがあります。私は極度の音痴でした。私が歌うとみんな転げまわったり、腹を抱えたりして笑いました。母親が音痴で、それでいて結構歌が好きでよく歌ってくれましたので、自分たち子供が音痴になったのは仕方ないことだと思っていました。あるとき人間ドックを受診なさった方が「素人だけれど歌を教えている」と言われたので「とんでもない音痴でも教えてもらえますか?」と聞きましたらOKとのことで、土曜の午後月に2回車で50分位かかる遠いところですが習いにいくことにしました。教える方も最初は大変だったと思いますが、次第に何とか歌えるようになり、市民会館等での発表会に既に4回出演するまでになりました。草葉の陰で母がどのように思っているかなと思います。どうしょうもないと思われた才能も、努力によってある程度までいけるのだとの実感を掴みました。明日は県内最大の会場と言ってもいいアピオ一階で行われるサンレック音楽祭の12時半から始まる第一部の歌謡発表会のトップバッターとして出演することになりました。曲目は冠二郎が歌う「横浜物語」です。昔の自分の姿を思うとあまりの違いに自分でも驚いています。教えて頂いた大森先生に心より感謝します。
2007.07.28
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ブルースター(ルリトウワタ、オキシペタルム)ガガイモ科、ブラジル・ウルガイ原産、多年草、花言葉:信じる心、幸福な愛昨日の日曜日、買い物にいって、買ってきた網戸の網を取り出した後、ドアを閉めずに夜をあかしてしまった。朝出勤の時、後部ドアが開けっ放しになっているのを見て、愕然とした。昨夜の雨が車中に吹き込んでおり、さらに一晩中室内灯を点かせたことでバッテリーが上がりエンジンもかからなかった。慌てふためきおたおたしてしまった。とりあえずタクシーで行くしかない。今度は勤めが遠くなったのでタクシー代はかなり高いが仕方ない。その時K子さんが機転をきかしお隣の奥さんに頼んでくれて車を私の車の傍につけてもらい、バッテリー同士を電線で繋いでエンジンをかけてもらい、無事始動することができた。勤めにも遅刻しないで済んだ。エンジンがかからなかった時には真っ先に遅刻が頭に浮かび、とにかく今はタクシーで行くしかないと思ったが、K子さんとお隣の奥さんに助けられた。日頃から隣近所と仲良くしているK子さんなればこその思いつきだったのだと思う。今までにも何回か不注意でバッテリーをあげてしまったことがある。その結果、どんなに困ることになるか身に沁みているはずだが、しばらくすると忘れてしまってまたやらかしてしまう。これからは車から離れる時は必ず入念にチェックしようと思ったがはたしてこの気持ち、どの位続いてくれるものやら。
2007.07.23
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これは6月28日のブログにアザミとして掲載した花です。私の花の先生K子さんはめったにパソコンを開けないし、ブログもあまり見ません。所が今日たまたま見たら間違って花の名前を掲載してあったとして、かなり怒られました。これはアザミではなくストケシアでしたので、訂正して深くお詫び申し上げます。ストケシアはキク科の多年草で、北アメリカ南部原産です。日本には大正初期に渡来しました。花言葉は追憶、清らかな乙女、清楚な娘です。花言葉は誰がつけるのか分かりませんがその花に相応しい言葉をつけてあるものだなといつも思っています。
2007.07.13
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