つきあたりの陳列室

つきあたりの陳列室

2006.01.02
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カテゴリ: Book
短編集 『地を這う虫』 より

元刑事の俊郎は暴力団組員の紹介でサラ金に再就職し,借金の取り立てをしている.堕落したとは思っておらず,自分なりに一定の線を守っているという自負がある.その自負は,じつは危うく曖昧なものだが,矛盾が露呈しかけるたびにそれをねじ伏せ,自分を納得させてきた.

俊郎が東京都福生市の町工場へ行くためにJR青梅線に乗ると,必ずその電車内で元同級生の姿を見るようになった.最初に会った時に声をかけ,なごやかに言葉を交わしたのだが,それ以降,くたびれたスーツ姿でシートの端にうつむき座る彼の様子に,声をかけることができなかった.

やがて,取り立てを代行するやくざが工場を訪問したのと前後して,工場の従業員に怪我人が出た.警察が捜査しはじめ,俊郎は夜遅くに電車で現場へ向かった.とても他人にかまっていられないような緊迫した状況下で,またしてもその元同級生の姿を見たとき,俊郎は怒りにも似た疑問をおぼえる.なぜあいつは,こんな時間に電車に乗っているんだ,いったい毎日何をしているんだあいつは..

人は絶望したときですら笑顔になれることを知り,俊郎はそうした人びとの幸せを願うようになる.ひるがえって,そうした場所からあまりにもかけはなれてしまった自分のあわれさに気付き,狼狽する,俊郎の姿が痛々しい.




物話は青梅線の立川駅と福生駅の間に終始し,『照柿』の舞台とかなり重なります.規模こそ異なるものの,どちらも金属部品工場で,それぞれネジやベアリングを製造する過程が描かれます.

登場人物が見た風景,歩いた経路,とくに地名は必ず書かれ,それを地図上に落とすだけで,読者はその経路を正確に再現できます.部品の製造プロセスの描写も「はしょり」がありません.さらに心理状態についても,おそらく,説明がむつかしいものだからこそ,それを可能な限り言葉に置き換えて人物に語らせます.

高村薫はこうした「すべてのプロセス」を書かないと気がすまないのかもしれません.まるで,登場人物が見たこと,したことを全て示さないと,読者はその心理や言動に納得できないだろうと言うかのように.

こうした書き方は当然,読む速度か,読む精度の,どちらかを著しく低くさせます.私はのろのろと,しかし丁寧に読むことを心地よく感じています.他の人の文章はいざしらず,高村薫の「誠実な列挙」には,なぜか安心感をおぼえます.



TEASEED

関連日記
『地を這う虫』 「愁訴の花」
『照柿』 (一)







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Last updated  2006.01.03 00:54:20
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inalennon @ Re[1]:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子(09/19) フィンちさん >この世は なんてままなら…
フィンち@ Re:「記憶の中の源氏物語」 三田村雅子 「人生のままならなさ」への強烈な疑問と,…
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ハオ@ 4年はあっという間 バーチュー&モイヤー組見ました。 優雅…

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