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そんなわけで、昨夜は飲み過ぎましてね。でも、それはいたしかたあるめぇよ。昼頃、のんびりと小田原へ出発したです。明日は寄り道せずに箱根越えのみに専念したいので、今日のうちに小田原城と、小田原宿あれこれを色々見ておこうと思いまして。小田原駅に14時30分。そのまままっすぐ小田原城へ。小田原城と言えば、天正18年(1590年)豊臣秀吉が天下統一の仕上げとして隠居北条氏政と当主氏直が指揮する北条氏と開戦した小田原攻めで有名ですね。秀吉は、小田原城を取り囲んで、連日茶会などを開きどんちゃん騒ぎをしただけ(!)で落としたという・・・。そんな舞台にもなった小田原城ですが、「城好きに言わせれば」なんともつまらないお城だそうで。本丸跡にはなんと動物園(!)がありまして。文化庁の指導で「史跡の中にふさわしくない施設」と位置づけられていたそうですが、9/17にゾウのウメ子が息を引き取ったため、閉鎖されるようです。ワタクシが訪れたときには、ゾウ舎の前に記帳所が設けられており、たくさんの花、そしてチビッ子達が手を合わせておりましたよ。天守閣は鉄筋コンクリートで復元、つまりは靴のまま登れ(笑)、最上階には土産物屋さん(!)が。さすがに土産物屋さんには閉口いたしましたよ・・・。こういうのを見てしまいますと、現存天守はええのぅ~と思ってしまうのは当然のこと。全然違うもの。ま、眺めて思いを馳せるには良いですが。ですから、 「城は中に入るべからず、 外から眺めるものなり」と言うワタクシの持論がうまれるわけです。でも最近、常盤木門(昭和46年)~銅門(平成9年)~馬出門(平成21年)と続く、江戸後期の小田原城正規登城ルート整備計画に沿って着々と復元がされて来ており、これからがちょっと楽しみな城でもありまするな。 天守 常磐木門 銅門そう言えば、小田原城では\500ほどで甲冑の貸し出し(!)をしておりまして。甲冑フェチのワタクシ、激しく興味があったのですが、さすがに一人旅での甲冑プレイはいかがなモノかと、珍しく冷静に判断しましてね、ヤメましたのん。残念無念でござった・・・。
Sep 21, 2009
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読み終わりました。 信長に無理な注文を突きつけられながら建てた城 信長を恨む輩に妨害されながらも建てた城 それこそ命を削りながら建てた城建てる工程を初めから読んでおりますからね、感情移入しちゃってもー(笑)。そんな我が子も同然の城を。戦国の世と言うこともありますが、武士の意地ではなく「(信長が建てた城と言うことが)気にくわない」と言う個人的感情で燃やしてしまう。 は!?何!?気にくわないって何よ!?しかも「焼いてはならぬ、焼かせてはならぬ、のちの世まで守り通せ」と遺言された建てた者の目の前で。 なんちゅーことをっそれだけ安土城が「信長のこだわりが強い城」だったと言うよりは、他の武将から見れば「信長そのもの」だったわけで。佐和山城も然り。「三成の城」ってだけで毛嫌いされ、跡形もなく壊され。 それも武士の意地、そしてけじめなのかしらん一国一城の主が夢だった武将にとっては、自分のこだわった城が欲しいもの!?それにしても安土城は信長色が強すぎましたな。城は武将の象徴とも言いますから仕方ありますまい、、、かな!? 「武士というのは勝手で不便なもの」・・・確かに。 安土城、見てみたかった・・・
Sep 17, 2009
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今週の本はコレでござる。 「火天の城」山本兼一著もうすぐ映画が公開されるだぎゃーも。最近、城にご執心にござれば
Sep 7, 2009
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今週も洋ちゃんに泣かされましてね(笑)、すっかり眠れなくなっちゃったですよ。ですから、がっつり夜更かしさん。したっけ、読み終わりましたのん。「○○記」などをはじめとする後生に残すために書かれた色々な書き物は、書き手によって都合の良いように書かれていることが多く、実際には定かでなかったり、時には違っていたりもします。歴史的な場所へ出かけて行っても、「・・・と伝えられている」「・・・と言われている」とあったり、同一人物の墓がたくさんあったりすると本当(本物)のことが知りたいワタクシはテンションが下がった時期もありましたが(笑)。 でも、それが歴史の面白いところ。謎だからいい。もう知るすべもなくなってしまった現代人としては、とても想像(妄想!?)をかき立てられるのですな(笑)。歴史ロマン。こうだったかも、ああだったかもとあれこれ新しい諸説を読むのも面白いのでございます。だって、原点は一緒「本当(本物)が知りたい」なのです。たとえわからなくとも。その面白さを前作「信長の棺」、そしてその続編であるこの「秀吉の枷」で知りました。この中では秀吉の人間像がとてもリアルに書かれています。 天下は取ったけれど弱く寂しい人でしたな。「この歴史ミステリーの玄妙な世界に、読者の皆様が心地よく遊ばれることを祈って止みません」(「あとがき」より) 心地よく遊ばれましたともっそれにしても。このドラマで初めて洋ちゃんが泣くのを見ました。好きな人が泣いているとグッと来るですな・・・。洋ちゃんも、そしてワタクシも毎回泣きます、よく泣きます。* 赤鼻のセンセイ:http://www.ntv.co.jp/akahana/
Sep 2, 2009
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1月5月9月の15日の年に3回、御開帳される増上寺の黒本尊阿弥陀如来様。(普段は御代仏様が安置されております。)まぁ、どちらかというと、ワタクシ、家康は好きではありませぬが。この黒本尊様はこちんまり(身の丈78cm)としていて好きなのですな。そして「密仏」と言う言葉も魅力(笑)。ワタクシは毎年9月の御開帳で、黒本尊様をガン見するのを恒例としておりましてね。今年も楽しみにしていたですよ。したっけ、今年の9月15日は・・・。 平日なのですよっ ・・・がび~ん。ちなみに、1月・5月の御開帳も平日でしたのん。今年は御代仏様をガン見してこようかな・・・。
Aug 9, 2009
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「信長の棺」が終わりましたからね、新しい本をご購入~♪ 「秀吉の枷」同じ方が書いた本で、ちろっと読んでみましたならば、その「信長~」のちょっと前の話でございまして。「信長~」の重要なポイントの話が出てくるです。 ヤバいっ、(すでに)これも面白いっでも、夜更かしちゃんにならないよう、我慢がまがま、一章ずつ読むことにします。 くぅ~っ、先が気になるぅ~っ!!!
Jul 29, 2009
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しばらく遠ざかっておりましたが。先の連休で城巡りなんぞしておりましたら、また再燃いたしましてね。ずいぶん前から読みかけだった「信長の棺」一気読みしましたです。今まで史実に基づいた作り話や一説の類はあまり興味がなかったのですが、「関ヶ原」やらそれぞれの武将の本を一通り読み、人物像や相関、歴史の流れが(以前よりは)ある程度把握できるようになったら、これはこれでなかなか面白い。途中でやめることが出来なくなって、結局最後まで。しかも、その後脳味噌がギラギラしちゃって眠れず、、、むぅ夜更かしちゃんでございました。
Jul 22, 2009
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犬山城の麓に、城主成瀬氏歴代御祈願所の「三光稲荷神社」がありまして、お参りしたです。その境内に、「おもかる石」と言うのがありましてね。目をつぶってお願い事を願い、石をなでた後、持ち上げ、叶うならば軽く上がり、叶わない時には重く感じると言う、ある意味わかりやすぅい石なのですな。先日、某神社にて神様に喧嘩を売ってみましたように(笑)、ワタクシ、コレと言ってお願い事はないのですが、思い当たる節を思い浮かべてやってみましたのん。したっけ、、、 重くて持ち上がりもせず・・・ ・・・・・・・・あり!?わはは~。前のおばさまは持ち上げてたで!?今回は、ちょっち真面目にお参りして御朱印を頂いたワタクシでございました。 隣にある犬山猿田彦神社の御朱印もゲットん。朱印が逆さまなのは、どうやら間違えちゃった、、、らしいある意味レアかも~♪・・・と思うことにします(笑)。いやぁ、今回の旅も色々ありますなぁ・・・。楽しい
Jul 19, 2009
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犬山城を堪能いたしまして、今日は織田信長の実弟「織田有楽斎」が造った「有楽苑」にて茶を一服しばいたです。玄宮園のような大名庭園ではないので、池などはありませんが、国宝茶室「如庵」をはじめ、趣深い静かなたたずまいでございましたよ。 いや~、癒されますなぁ・・ お茶をいただきましたらね、、、茶碗の底には、家紋が・・・。 こ、これは、織田家の家紋ぢゃね!?と、一瞬にして思ってしまったワタクシは、着々と「歴女」の道を歩いているようでございます!?後で調べましたならば、やっぱり織田家の家紋「五つ葉木瓜(もっこう)紋」(または「織田木瓜紋」)でした。
Jul 19, 2009
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城の脇には大きな杉の木がありましてね。 「大杉様」案内板によりますと。樹齢:約650年、枯れる前の高さ:約24m犬山城築城の頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風除けにもなったりして、城を守る御神木としてあがめられてきました。しかし、1965年頃枯れてしまいました。巨木も大好きなワタクシ、枯れてしまったとは言え、さわさわタッチしてパワーをもらったのでございます
Jul 19, 2009
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大阪7時30分出発のバスに乗り込みましてー。名古屋に着いたのは10時過ぎ。そこからまたまた電車に乗り換え、本日最初の目的地は「犬山」。名古屋からは30分足らずで着いちゃいます(近っ!!!)。 「犬山城」ですよっワタクシ、4つめの現存天守でございます。3層4階地下2階で、別名は「白帝城」。日本最古の現存天守と言われています。犬山城は、天文6年(1537年)に織田信長の叔父にあたる織田与次郎信康によって作られました。小牧長久手の戦い(1584年)の際には、豊臣秀吉は大阪から12万余の大軍を率いてこの城に入り、小牧山に陣をしいた徳川家康と戦いました。このときに、昨日行った彦根城の「「井伊の赤備え」に手こずったわけですな。戦国時代と言う背景もあり、城主は何代も代わりましたが、江戸時代になり尾張藩家老、成瀬隼人正正人が元和3年(1617年)城主となってからは、成瀬家が代々受け継ぎました。今まで見てきた城と違い、木曽川沿いの高さ約88メートルほどの丘に築かれた城でして、川越しからの姿も魅力的でしてね。ぜひとも見ておきたかったのん。 右の画が見たかったのですいかにも「戦国時代の城」って感じがしますでしょう!? いやはや、素晴らしいそして外から愛でた後は、現存天守鉄則、お靴を脱ぎまして、いざ、中へ~ 中:上段の間1階にある「上段の間」は、書院造りの城主の居間です。奥の戸は「武者隠し」と言って、いつでも飛び出せるように奥に護衛の武士が控えていました。殿様が座る間の背後には大抵「武者隠し」があります。1階に殿様の居間があったからビックリ。いつも最上階・天守にいるわけではないのね・・・。 ここに秀吉も座ったのかしらん・・・。そう考えただけでも鳥肌でござる。 床板には隙間があったり、甲冑が並べてあったり。天守からの眺めは素晴らしかったですが、、、作りが小ぶりなので「廻縁(まわりえん)」を歩くのは、ちょっち恐かったなかなかワタクシ的イベントが盛りだくさんでした(笑)。最上階・天守には歴代の城主が紹介されているのですが、実は、平成16年に財団法人に譲渡されるまでは、成瀬家が個人所有していました。最後の成瀬家12代城主成瀬正俊氏(1930~2008)は、なんとウィスキーグラス(!)を手にしておりましてね、しかもロックですよっ!!! 凄ぇ。渋い。素晴らしい。とっても親近感が沸いちゃったんだからもー、殿様っ!!! あの信長の叔父さんが造った 日本最古の現存天守 あの秀吉も入城したゾクゾクしましたな。これまた素晴らしいお城でございました
Jul 19, 2009
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やっとの思いで(?)彦根城を後にしましてね、佐和口多聞櫓近くにある井伊直弼が17才から32才までの15年間住んだ「埋木舎(うもれぎのや)」をサラッと見まして、結局約4時間近く(!)おりましたわー。 だって見所満載なんだものーその他にもう一つ、どうしても見たかったモノがありまして。なんでも、この近くに淀殿が持っていた阿弥陀如来様があるお寺があるらしく。ネットでそう見た。 寺の名前は、、、よく見なかった 寺の場所は、、、なんとなくわかるかも ・・・・・・・・・。なんとかなんべ「城の位置からすると、確かこの辺だったはずー」とフラフラと趣のあるキャッスルロードと名付けられた道を気の向くままに歩いていましたらね、ありましたよ。 「宗安寺」でした 寺の入り口には「赤門」がありましてね、その赤門は、、、 佐和山城の正門なのですよっ!!!えぇ~っ!?あの佐和山城!?「三成に過ぎたるもの」の一つの佐和山城!?関ヶ原の後、ことごとく破壊され残っていないと思っておりましたから、しばし唖然。しばらくしてゾワゾワワ~っと大感激!!! その門は、馬に乗ったまま通れるように敷居がなく、高さも高くつくられておるのですな。また阿弥陀如来様は、大阪夏の陣(慶長20年・1615年)の時に井伊家家臣が大阪城の仏間より拝持したもので、淀殿の念持仏と言われています。ワタクシ、戌年、阿弥陀如来様なのですよ。その淀殿の阿弥陀如来様をいつもの如くガン見し、お参りしました後、御朱印げっと~ん。この御朱印は一番嬉しいかも 佐和山城 淀殿 大阪夏の陣 阿弥陀如来ワタクシにとって、これらは絶対的なツボなのでございます。それにしても、佐和山城の門はサプライズ。嬉しかった* 宗安寺:http://www3.ocn.ne.jp/~souanji/
Jul 18, 2009
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近年修復された城の中は、大抵博物館になっておりまして、城の中に所狭しと展示物があったりしますが、現存天守はさにあらず。彦根城は、別に「彦根城博物館」があり。涼ついでにはいりましたのん。 目的は「武具」ですけどなにか!?(笑)したっけ、のっけから甲冑があるんだものー。彦根藩は「井伊の赤備え」として知られ、藩主をはじめ家臣すべてが朱塗りの具足を身につけたことでも有名です。初陣の小牧・長久手の戦い(天正12年・1584年)では大いに活躍し、徳川・織田連合軍の約10倍近くの兵を有していた羽柴軍の総大将である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)やその配下の武将達もこの井伊の赤備えには、大変手こずったと言われています。この頃から井伊の赤備えは、『戦国屈指の精鋭部隊』または、『徳川家臣団最強の部隊』と見なされ、諸大名に恐れられるようになったのです。 赤い「井」の文字の旗『纏(まとい)』は実際に関ヶ原の戦いで使われた(!)モノ やだもーゾクゾクしちゃうー説明書きによりますと、藩主のみが脇立て(兜の側面から角が出ているモノ)、家臣が前立て(兜の前に角が付いているモノ)だとか。 ほぇ~、初めて知った~このことが一番の収穫でございました* 「井伊の赤備え」について:http://longlife.city.hikone.shiga.jp/museum/past/theme/0703/outline.html
Jul 18, 2009
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城をおりまして、名勝・「玄宮楽々園」へ。玄宮楽々園は、第四代藩主が延宝5年(1677年)に作った、彦根藩の下屋敷で、庭園部分を玄宮園、屋敷部分を楽々園と称しています。岡山城の後楽園も素晴らしかったですが、こちらの玄宮園も素晴らしい。 なんとも贅沢で、 なんとも風流・・・。結構ですな。大変結構ですな。玄宮園にある、藩主が客をもてなすために作られた客殿「鳳翔台」で、見事な庭を眺めつつお茶を一服しばきましたのん。今日はまだ何も食べておりません(!)で、歩き回りましたから、甘い和菓子に熱くないお抹茶が、なんとも体に優しいのですな。 お抹茶、お久しぶりに飲んじった♪結構なお手前で。大変美味しゅうございました 秋にはライトアップされた玄宮園で虫の音を聞きながら邦楽・野点などを楽しめる「玄宮園で虫の音を聞く会」が、また紅葉の時期にも夜の特別公開がされているそうです。機会があれば是非とも行ってみたいイベントですなぁ・・・。
Jul 18, 2009
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人気の「あのお方」、事前にスケジュールを調べておきまして、感激のご対面でございました。「あのお方」とは、彦根市キャラクターの 「ひこにゃん」10時30分、太鼓門櫓の方から、手下げ袋を持った(!)ひこにゃんが手を振りながら、側近(笑)に付き添われてゆっくりと登場。事前に側近の方から「ひこにゃんは、目も悪く(よく見えないw)、そして臆病者なので、どつく(!)ことはもちろん、触ったり、あまり近づいたりする事もしないでくださいね」と言う様な旨のお達しが出ておりまして。ツーショットを撮りたかったので、とても残念だったのですが、じょうろの水で一線を引いた(!)舞台の中を放し飼いの撮り放題です。その舞台の中を歩き回っては立ち止まり、さながらモデルさんの様に色々なポージングする大サービスっぷりに、あちこちから「ひこにゃ~ん♪」「ひこにゃん、かわいい♪」「ひこにゃんコッチ向いて~♪」と黄色い声が飛び、大興奮の撮影会でしたのん。 撮影会の様子なのです(刀をふりおろしているひこにゃん)胸に下げている鈴はちゃんと鳴る(!)のです手下げ袋の中から、ボンボンに、 お花に、扇子に、小道具もたくさんお持ちですプレゼントされた「日焼け止め」(!)人気者ですから、プレゼントもたくさん頂いておりましてね。お辞儀をしてお礼をした後、手下げ袋を広げて中をしばしジッと見つめ・・・。それから側近にしまうように手渡すひこにゃん。ぬかりありませぬな。プレゼントされた「日焼け止めクリーム(のぬいぐるみ!?)」には「SPF500+守る白肌UVカット」と書いてありまして、早速ひこにゃんは塗っておりましたよ。 ポージングも豊富で堂に入っているのです もーすべてが激しくかわゆい・・・時間一杯の写真一杯。全然飽きず。すっかり「ひこにゃん」の虜になっちゃったワタクシでございました。* ひこにゃん特設サイト:http://hikonyan.hikone-150th.jp/
Jul 18, 2009
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彦根は、湖と山の間、5キロメートルほどの狭い平地に立地しておりましてね、中山道と北陸道が合流し、水陸から京に至る東国と西国の結節点でありまして。壬申の乱(672年)・姉川の戦い(1570年)・賤ヶ岳の戦い(1583年)・関ヶ原の戦い(1600年)など、古来、多くの合戦がこの地域で行われてきました。 信長や秀吉、家康などに、それらの戦の戦略拠点として注目されてきたわけですな。彦根城の天守は、姫路城の様な通し柱を用いず、各階ごとに積み上げられており、3層3階地下1階の構造です。京極高次が築いた大津城の天守を移築したと言われています。実は、彦根城はこの天守を始め、天秤櫓は長浜城の大手門を、佐和山城から佐和口多門櫓(非現存)と太鼓櫓門、小谷城から西ノ丸三重櫓(これは昭和30年代に行われた解体修理では、そうした痕跡は確認されず)、観音寺城からや、どこのものかは不明とされているが太鼓門、などの移築伝承が多くあります。 これらは、建物や石材の移築転用はコスト削減と工期短縮のために行われました。エコですな。 琵琶湖に、佐和山(!)を眺めます「佐和山ってこんな近くにあるのかー」と感慨ふけりましてね、天守からしばらく佐和山を眺めておったですよ。 あぁ、三成に左近・・・きりがないので(笑)、いい加減天守を降りまして。西ノ丸三重櫓に入りましたが、上には登れず残念でしたよ。そして、ついにあのお方(!)と対面することになるのでございます
Jul 18, 2009
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表門橋に向かう中濠(なかほり)の道沿いに植えられている「いろは松」は、当時47本の松が植えられていたことから名付けられ、人馬や車などの通行の邪魔にならないよう、根が地上に張り出さない「土佐松」を、わざわざ高知(!)から取り寄せたそうです。 ほほ~、高知ですか、お懐かしいですな いろは松の先にある「佐和口多聞櫓(さわぐちたもんやぐら)」を抜けると「馬屋」があります。 でかい。21頭の馬を収容することが出来まして、こうして馬屋が城内に残っているのはここ彦根城だけだそうです。入ってビックリ、馬がいた。・・・・・・・よく見たら人形だったけどぉ当時の馬は、木曽馬(だったかな?)あたりの種らしく、サラブレッドよりは小さい馬だったそうですよ。「佐和口多聞櫓」を初めとする、彦根城の櫓の壁は波状にうねっておりましてね、外向きの壁と内向きの壁の厚みが違うのですな。もちろん、防御目的で外向きが厚い訳で。厚みは30cm以上(!)あるとか。 内堀を渡り、表門からえっちらおっちらと山を登っていきますと、まずは「天秤櫓(てんびんやぐら)」があります。表門と大手門からの道が合流する要の位置に築かれた櫓です。この橋(門)を中心として、両側に伸びて櫓があり、あたかも天秤の様に見えることから呼ばれています。また非常時には落とし橋となり、橋がなければこの高い石垣を登らなければ城内には入れなくなるわけですな。素晴らしいよく時代劇の撮影に使われているようですよ。天秤櫓の先に、「太鼓門櫓(たいこもんやぐら)」がありまして、櫓としては珍しく裏側(東側)の壁はなく高欄になっており、開放的な構造をしています。これは、登城合図用の太鼓の音を響かせるためではないかと言われておるそうですが、定かではないようです。なるほどなるほど。 太鼓門櫓の表と裏そして太鼓門櫓をくぐりますと、天守があるのでございます。
Jul 18, 2009
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仕事が終わり、すぐに東京駅前へ。 今回の深夜バスは2階建てですよ4列シートですが、2階は女性専用となっておるので安心なのですな。そして、指定された座席は、、、ぬぁんと一番前っ!!!2階建て新幹線には乗ったことはありますが、バスは初めてで、しかも一番前でございましょう!?目の前に大パノラマが広がっておりましてね。 そりゃ、子供じゃなくたってはしゃぐってばよー4列シートとは言ってもさほど狭くも感じず、適度に睡眠も出来、快適に過ごせましたのん。東京を定刻通り22時に出発いたしまして、京都に7時着。そして京都から電車に乗り換えまして1時間弱で、本日最初の目的地「彦根」に到着ぅ~♪彦根と言ったら、あーた、そう現存天守の一つ「彦根城」に、そしてなんと言っても「ひこにゃん」ですがな彦根駅の前には、井伊直政公の銅像と彦根城の模型がありましてね、気分はすっかり戦国武将になったです。 ウキウキしちゃってもー♪彦根城域一帯および彦根市内全域にて2010年3月まで「井伊直弼と開国150年祭」が開催されておりましてね、街のあちらこちらに「ひこにゃん」のポスターやらのぼり旗やらがありましたよ。徳川四天王の一人・井伊直政が、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城しました。でも直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、琵琶湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していましたが、関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去してしまいます。その後、直継が家督を継ぎましたが幼少であったため、直政の遺臣が彼の遺志を継ぎ、再検討の末、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始したのが始まりです。そして彦根城と城下町の建設は、1604年(慶長9年)に始まり、20年近い歳月をへて完成したのです。以後、井伊氏の居城でした。「桜田門外の変」で暗殺された井伊直弼は、この彦根城で生まれ、この彦根藩の第15代藩主です。山は「金亀山」との異名を持つため、「金亀城(こんきじょう)」とも言います。そして。 いざ、彦根城へ突撃じゃぁ~っ* 国宝・彦根城築城400年祭公式サイト:http://www.hikone-400th.jp/
Jul 18, 2009
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寄り道した「豊川稲荷」ですが。自分的メモも含めちょっくら。豊川稲荷の仏法守護「豊川ダ枳尼眞天(とよかわだきにしんてん)」様は、七百年前、順徳天皇第三皇太子である寒巖禅師が再度の渡宋を終わって中国からご帰朝のとき海上において感得さたされ、稲穂を荷い白狐に跨り給う美しいお姿の善神です。「われはダ枳尼眞天なり。いまより師(寒巖禅師)の法を護り、師の教えに帰依するものを守護するであろう。我が神咒『尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(オンシラバッタニリウンソワカ)』と唱えるものには安穏快楽を授け与えるであろう。かならず疑うてはなりませぬぞ。」と感得されたと伝えられています。八代将軍徳川吉宗の頃、名奉行で知られた北町奉行「大岡越前守忠相」が深く信仰された由緒ある御尊像をまつり、もと赤坂一ツ木の大岡邸にあったものを、明治20年、現在地に奉遷し、愛知県豊川閣妙厳寺(豊川稲荷)の直轄別院となり今日に至ったものです。 * リーフレットより抜粋 どの仏様にも、神様にも、それぞれのお唱えする言葉が決まっておりますよね。御朱印を頂いたときにもらった説明書(?)によりますと。まず「南無豊川ダ枳尼眞天(なむとよかわだきにしんてん)」と3回。お名前の頭に「南無」をつけるのは「心から帰依いたします」と言う誠心誠意の言葉だそうです。・・・初めて知った。そして「オン尸羅婆陀尼黎吽娑婆訶(オンシラバッタニリウンソワカ」と21回(!)「オン」は「すべての所、すべての場合にいきわたる」と言う意味。「尸羅・婆陀・尼黎・吽(シラ・バッタ・ニリ・ウン)」は、それぞれ意味がありますが、続けて言うと「仏の戒力によって、苦難のあらゆる原因を取り除いて安らぎを与える」と言う意味だそうで、「娑婆訶(ソワカ)」は「祈願しました」と言う意味があります。 ・・・・・・・・・・・・・・・・。 む、難しい、、、覚えられんその紙を見つつ、お唱えしたワタクシでございました(笑)。お稲荷様っておキツネ様を祀ってあるのかと思ったら、そうではなく。しかもちょっと恐いイメージがありましたが。大変お勉強になりました。なかなか興味深かったです
Jul 11, 2009
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そうそう都合良く「お願い事」は聞いちゃくれませんな。ってか、一度も聞いてくれてないし・・・ アノ時も、アノ時も、アノ時も。でも、「色々な話」は聞いてもらっているから(?)、まぁ、良いけど!?
Jun 8, 2009
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「ひろめ広場」で小腹を満たした後。高知と言えば、坂本龍馬、坂本龍馬と言えば桂浜!?っちゅーことで、桂浜へ行って来たぜよ。 ぬぉ~、キレイですなぁ「あり!?『暴れん坊吉宗・マツケン』が、白馬にまたがって疾走する全回転(!)は、もしかしてここの浜かしらん!?」とも、ちびっと思ってみたり・・・。 戦国の世は好きですが、その先幕末まで行ってしまうと急に興味がなくなるワタクシ。ぶっちゃけ。じゃけん、坂本龍馬のことは詳しくは知りませんが、天下のNHK大河ドラマ「天地人」の次は龍馬(龍馬役は「ちい兄ちゃん」がするそうですね)だそうだし、特に男の子の方が好きだよね、幕末とか龍馬とか。んが、さすがあまのじゃくん。ワタクシのもっぱらの興味と言えば、その桂浜にある「桂浜水族館」にいらっしゃる幻の魚「アカメ」さんでして。わはは~。 アカメさんついでの桂浜なのねん高知では「アカメ釣り」なる大物釣りがあるらしく。みんなメーター越え(!)を目指しているですよ。だもんで、大分でのフカセカンダイ釣りと同じように、ワタクシの 大物好きの血が、ちょっちウズウズするのですな巨大な鯉とかライギョ・ソウギョには全く興味ないのに、何故かアカメには微妙ながらも興味ありありの摩訶不思議。波止で釣れる(?)からかしらん!?釣ってみてぇっ。けんど、まずは見てみてぇってなもんです。てやんでぇっべらぼうめっ。残念なことに写真のような130cm、33kg(!!!)の巨様はいらっしゃいませんでしたが、色々思いを馳せること(?)は出来たのでございます。でもさー。子供の頃に川で泳いでいた田舎モノのワタクシにとっては、そんなデカイ魚が川に泳いでいたら恐ぇってばよ・・・。いやぁ~、高知さんったら、思いの外たくさん楽しいことをお持ちになっていらっしゃいますなぁ・・・。 まだまだ満喫するきねー
May 30, 2009
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昨夜は盛り上がりまして、結局3時就寝の5時起床。2時間(!)睡眠。 眠ぅい・・・。相変わらずアホですな。アホですとも。苦手な飛行機を、前日遅くまで飲んでいようが朝8時前だろうが例の如くおビールでやり過ごし、それでも少し涙ちょちょ切れながらも、やってきたぜ高知県っ!!! 路面電車が走っているのですそして、高知と言えば、 高知城じゃきぃふふふ、早速行きましたですぅ そりゃ~っ、つっこめぇ~っ By慶次全国に12ある現存天守のうちの1つで、土佐藩初代藩主「山内一豊」が慶長8年~(1603年)築城、創建当時のままの「追手門」、寛延元年(1748年)再建された天守が当時のまま残っています。 追手門に天守閣なのです 本丸の書院、そして天守内の階段はやっぱり急なのです 天守から三の丸を見下ろすのですここの石垣は「野面積み」で趣があるのです やっぱり梁は太いのです(「詰門」内)とっても嬉しそうで楽しそうなワタクシでしょう!?写真で見たときに「なんか縦横比、おかしくね!?」とは思っていましたが、実際もそう感じましてね。 「やっぱり、なぁ~んか縦長っぽくね!?」そうは言いましても、本丸の書院は素晴らしく。 「ここに住みてぇ~っ!!!」 一部屋でいいから貸してくれないかな・・・。と、激しく思ったワタクシでございました。あり!?岡山城の「月見櫓」でもそんな事を言っていたような!?こじんまりとしていますが、高知城もとても素晴らしいお城でござった。無料でお城のガイドツアーをしてくれるのを知ったのは、下りてきてからだったり。む・・・。次回はじっくりガイド付きでお願いしよう。・・・え!?また来るつもりなのん!?とにかく。 満喫・堪能~現存天守、残るは後10なり
May 30, 2009
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昨夜は夜更かしの日でございましたでしょ。BONESまでザッピングをしておりますとね、思いがけず面白い番組を発見しちゃったりしませんか、しますよね。深夜は特にしますです。時代物をやっているとつい「ぬぉっ」と手を止めてしまうワタクシですが、昨日も思わぬ収穫がありまして。天下のNHKさんの「タイムスクープハンター」。箱根越え(!)のお話でしたのん。 「箱根越え!?なんてタイムリーな」ほら、ご存じのようにワタクシの五十三次の旅は、ただいま小田原あたりでございましょう!?次にいよいよ箱根越えが控えておりますから、そりゃ釘付けにもなるってもんよっ、てやんでぇっ、べらぼうめっ当時の女性の旅行というのは何かと不便を強いられまして。手形を取ることはもちろん、物騒なわけですな。特に箱根の関所は「入り鉄砲出女」で厳しかったでござんすよ。そんな話の内容を、イケメンきゃなめ(要潤)が手持ちカメラ(!)で取材し「ドキュメンタリータッチ」で描くのです。「再現」じゃなかとです、かなりマジ「ドキュメンタリー」。 だって、関所内なんか隠しカメラ(!)だもの 凄ぇ~、ホントに江戸時代のドキュメンタリー見てるみたいなのん女3人の伊勢参りの旅で、関所におけるあらため具合の理不尽さに、1人の手形が偽造とわかり関所を通れなかったときのヒステリックなモメ具合。更に江戸から旦那が追っかけてきて・・・。 やりとりがかな~りリアル 江戸時代を垣間見ちったさあまりのリアルさに、本当にドキュメンタリーを見ている気がして、内容が内容なだけにちょっちドン引きなワタクシでございました。この時代はねぇ・・・「さすがは天下のNHKさん、面白い番組を作ってらっしゃる」と思ったら最終回でしたのん。がっかり・・・。調べましたらオンデマンドで見られるようですけれども。興味がある方は是非。 斬新な番組でございましたよ。他の回も見てみたい・・・。* タイムスクープハンター「女たちの関所越え」江戸時代、伊勢神宮へ参る旅が人気を集めた。しかし、女性には手形申請の煩雑さ、関所での厳しい取り調べという壁があった。自由な旅を渇望する女性たちの姿を追う。 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2009007118SC000/index.html
May 20, 2009
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ワタクシの場合「ブルーウェンズデー」なハズなのに、なんか今日の夕方からどよ~ん うーん、ヤバいウェンズデーどころか、まだサンデーですけど!?一週間始まってませんけど!?しかも、底スレスレですけど!?まぁ、どうしてそうなっちゃったのかは、だいたい察しが付くんだけどもー。でもそれは仕方がねぇ。ワタクシの気持ちの問題、気持ち次第。天井でも底でも1人勝手に盛り上がってレベルMAXまで持っていってしまう得意技を実はワタクシ、持っておりましてね。浮き沈み激しいの、わはは♪休日の〆飲みをしているうちに、泣きそうになるまでレベルがいってしまったので、早々に帰宅することにしましたのん。ちょちょぎれたー。で、お参りですがな(笑)。したっけ、あーた、浅草寺も修復工事(!)ですってよ。もー、笑える。ホント、一斉ですな。金曜の晩(土曜の朝!?)に来たときには、、、幕はなかったよね、ね!?・・・えっと、あまり覚えてないし今日は「半ベソ」状態で、いつもの階段にてぼへっと考え事をした後、帰宅したのでございました。一週間乗り切れるかしらん。うーーーーーーーん。
May 10, 2009
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ルーブル美術館展を十分堪能しましたならば、そのまま「阿修羅展」へGO!!! 今日は「美術館のはしご」・・・こちらの昨日の待ち時間は40分ほどでしたが、本日は待ちナシでございました。 いざいざいざっ!!! 阿修羅さんとメンチ切り対決っ良くある仏像のお顔と違いましてね、人間に近い少年のようなお顔でスラッと七頭身なのです。華奢なのにこの存在感。 いやぁ~、実に素晴らしいメンチ切りと言うよりも、目が離せないの。釘付けなの。 ・・・って事は、引き分けかしらん!?飽きもせず1時間近く(!)切ってましたか、切ってましたな。また像の周りをぐるっと一周できるので右のお顔も左のお顔も、後ろ姿も拝むことが出来ます。実に興味深いのです。他にも、康慶作の四天王立像のデカさと力強さに圧倒されたりと、ぐるぐるぐるぐる館内を3周(!)もしちったワタクシでございました。興福寺の中金堂もこれまた復元再建中ですが、展示が終わり帰山した記念に興福寺仮金堂において「お堂でみる阿修羅」が開催され、普段は国宝館に展示されている阿修羅をはじめとする全ての仏像を仮金堂に安置するそうです。お堂に安置されている本来の姿、全体像。う~ん、これまた魅力♪ 行ってみたいっす・・・。* 興福寺:http://www.kohfukuji.com/
May 6, 2009
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昨日の待ち時間は50分でしたが、本日20分弱なり。さすが雨とGW最終日。フェルメール、レンブラント、ルーベンス、良いですなぁ。神話系・宗教系の絵が特に好きです。肌の透明感、服のひだひだ感、 吸い込まれそうでなんともたまらんのです別世界にいるようです。うっとり~特に宗教的・政治的・意図的に描かれた絵というのは、静物画よりも興味をそそられます。フェルメールの「レースを編む女」もディエゴ・ベラスケスとその工房の「王女マルガリータの肖像」も良いですが、 ドメニコ・フェッティ「メランコリー」 カルロ・ドルチ「受胎告知」 バルトロメ・エステバン・ムリーリョ 「6人の人物の前に現れる無原罪の聖母」の前では、かなり長い時間おりましたの。それにしても入れすぎ混みすぎ。もっと遠くから愛でたいのにちっとも見えないのんその辺は残念だったのでございます。* ルーブル美術館展~17世紀ヨーロッパ絵画:http://www.ntv.co.jp/louvre/
May 6, 2009
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美術館巡りをしようと思ったら、待ち時間が半端なくヤメ。雨が降っておりましたが、おビール片手に藤堂高虎さんのお庭をプラプラいたしましてね、「上野東照宮」に行きましたのん。東照宮と言えば徳川家康をお祀りする神社で、日光東照宮が有名ですが、全国に数多くあり上野にもあるのでございますよ。上野東照宮は家康・吉宗・慶喜が祀られています。ここの社殿は家光が造営替えしたもので、戊辰戦争でも、関東大震災でも、世界大戦でも焼失せずに当時のままの姿で残っているのですよ。びば現存水舎門をくぐり、たくさんの石灯籠の並んだ表参道を歩いていきますと、正面に唐門と社殿があるのですが、遠くから社殿を見て「おぉ~、まるで絵みたい。さすが(?)だわねぇ~」と思ったらホントに絵でした。わはは~、アホか 「水舎門」に「表参道」なのです 社殿もまた修復中で、見られず・・・根津神社と言い、秋には姫路城と言い、修復ラッシュなのん???でも、御朱印もゲットしたし、唯一の総金箔の門である唐門の左甚五郎作「昇り龍・降り龍」をガン見することが出来、満足したワタクシなのでございました。 「唐門」に「銅灯籠」なのです唐門だけでも素晴らしいので、ぜひとも社殿も見てみたい♪修復が終わった頃にもう一度行こうっと。こじんまりしておりますが、なかなか良かったです* 上野東照宮公式サイト:http://www.uenotoshogu.com/
May 5, 2009
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姫路→岡山と来まして、夕方には何故か今度は倉敷(!)におりましたワタクシ。あり!?早々ホテルにチェックインいたしまして、温泉に浸りまったりんこ。とても良いお湯でございましたよそして、めくるめく素敵な夜(え!?)を過ごし、朝から颯爽と美観地区をお散歩したですよ。 失礼ながらね、倉敷の美観地区は もっと歳を取ってから行くモノと、思っておりました。若いもんには、この良さが理解できねーべ!?みたいな。お散歩しながら「こんなに早く訪れることになるなんてさー」なんつって、感慨深げに思っておりましたなら、中坊の修学旅行生がどばーっといらっしゃいまして、おばちゃん驚いちゃったわー。チョイス渋すぎね!?色々思うところ多々ありましたが、気が付けばなんだかんだとはじからはじまですっかり堪能しちゃったワタクシなのでございました。 あり!?それって年相応ってことなのかしらん!?今回、夜行バスは使いましたが、それでもワタクシらしからぬ(!)とてものんびりと、そして旅らしい旅でした。たまには良いですな♪ いつもは弾丸ツアーみたいなことやってますけんでも、本当は『「備中松山城」を見るついでに』って計画した旅(!)だったのに、大本命は行かず・・・ま、いっか、計画通りじゃない方がいと楽し、また次のお楽しみってことで♪大人しく(?)新幹線でばびゅーんと東京に帰りましたが、結局その後もまだまだ遊び倒したのは言うまでもなく。わはは(笑)。
Apr 19, 2009
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姫路城の興奮冷めやらぬまま、午後には何故かお隣の岡山県(!)にいたワタクシ。あり!?岡山と言えば、現存天守の一つ、備中松山城ですがな。でも、まずは岡山城へ。 「城のはしご」って・・・、どんだけやねんだって遠いんだもん、しょっちゅう来られないもん。見たいんだもん。岡山後楽園からの愛でまくりんぐが目的ですのん姫路城が白い城「白鷺城」ならば、岡山城は黒い城「烏城」。 左:後楽園から見た岡山城右:月見橋から見た岡山城黒いので「なぁんか(見たことのある)熊本城っぽくね!?」なんつー素人感想を持ちながらも、庭園越しに、そして水面越しに見える城はどの城とも違ってこれまたやっぱりすんばらしい庭園をぐるっとお散歩いたしましてね、月見橋を渡り岡山城内へ。 右:廊下門 左:不明門岡山城は天守内には入らず(!)、ただただひたすら愛でまして、城内にあるこれまたこの時期特別公開中の、当時から現存している「月見櫓」(1600年代)の中を見たのでございました。1階にはそれこそ「石落とし」なんかがありましたが、2階は縁側が付き望楼のようで開放的、とても風流な作りでしてね。「ここで酒でも飲みながら花見や月見をしたらさぞかし」なんつー事を、酒飲みなワタクシでなくとも、、、思いますでしょう。そうさ、みんな思うさ。こじんまりと、それでいて風流な、こんな建物が欲しいでござる。* 岡山城:http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/okayamajou/
Apr 18, 2009
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今まで 「城は中に入るべからず、 外から眺めるものなり」と思っていたワタクシ。 すまん、ワシが間違っておった。全てがケタ外れだった姫路城。すっかりやられちまったよ。シビレたね・・・。どうもありがとう、また登城するでござる* 姫路市/姫路城公式ホームページ:http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/
Apr 18, 2009
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本丸の薄暗い地階に入った時には、そりゃ~っ、突っ込めぇ~っと、とっくに前田慶次になりきっておりまして。スリッパ(!)ですが。そこにはなんと「流し台」があります。「流し台」があるのは非常に珍しいそうで。人が生活していたと実感いたしますなぁ。城の存在が嘘臭くない(笑)。そして特別公開の「厠」。これは実際には使われなかったそうですが、刀が立てかけられるようになっているのが男性用、そうではないのが女性用と、警備の方が教えてくれました。もうお馴染みになっちゃった急な階段を上がりまして1階へ。史料は展示してあるものの、今までワタクシが見てきた城の内部とは全く持って違うのですな。上がれば上がるほどに。 ただただもー感動でございますよ 床が板張りなのはもちろんのこと、柱や梁、そして壁の武具掛けなどなど。 なんじゃこりゃ~っ マジ、凄すぎね!?当時にタイムスリップしちゃったような、そんな感じさえしますです。天守閣は「東大柱」と「西大柱」の2本の柱で支えられています。昭和の大修理の時に西大柱は取り替えられましたが、東の心柱は地階部分以外は慶長当時のものが使われておるのですよ(驚)。もちろんスリスリしたのは言うまでもなくそれぞれが100トン(!)もの重量を350年(!!)もの間支えてきましたが、取り替えられた当時の心柱は三の丸広場の片隅に展示されています。5層7階の天守閣最上階にある「長壁神社」でお参りをし、今度は池田輝政になりきり姫路の町を眺めたのでございます。あっぱれっそして特別公開の「乾小天守」、「東小天守」、「イロハの渡櫓」へ向かいましたのん。 左:ロの渡櫓右:乾小天守から見る大天守 いやはや、もー言葉が出ーん最近の「落書き騒動」からでしょうか、各階、要所要所には警備員の方がおりましてね。ぼへっとアホ面下げて眺めていたら、色々説明してくれましたよ(笑)。すれ違えない狭い急な階段では人の整理なども行われます。ちなみに城の階段と言うのは「板戸」が付いていて下からの侵入を遮断できるようになっているのですよー。気分は大興奮の最高潮で戦国武将。 やべー、拙者はまだまだココにいたいぞよ・・・。
Apr 18, 2009
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開門は9時なので、それまで愛でまくりんぐ開門の太鼓を聞きながら入りまして、菱の門をくぐりますと、どどーんと天守が。 菱の門と天守 いやぁ~、圧巻ですなぁ すんばらしい、実にすんばらしい真っ直ぐ天守には行かず、左に折れまして登っていきますと、西の丸。 枝垂れ桜が綺麗でございましたよ。その西の丸のはずれにある、西の丸長局に入り、百間廊下を千姫になりきり(!)ずずずいーっと歩きまして ほら、眉だけは千姫だから!?その作りに大興奮しちゃってもー。あり!?ワタクシだけかしらん!? 西の丸の枝垂れ桜さんに百間廊下雑巾掛けは大変そうだわね・・・ 当時の服装でこの急階段を!?廊下より天守を眺めました特別公開中の化粧櫓内部まで堪能した後は、いよいよ天守へ行くですよ。常に天守をガン見(!)しながら、入り組んだ道をてくてく。この辺では千姫から前田慶次になりきり(!)はの門、にの門、ほの門と次々と城門を突破っ、目指すは本丸天守閣なりっ、えぃえぃお~っみたいな(笑)。 屋根の鬼瓦や軒丸瓦には築城した城主や、修理をした歴代城主の家紋が掘ってあります。「羽柴家」「木下家」「池田家」「松平家」など。だから種類がたくさんあるのですよ。実に興味深く長い歴史を感じるのでございます。いざいざいざ、本丸突入~っ、みなもの~我に続けぇ~っ!!!←興奮しすぎ・・・
Apr 18, 2009
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作られた当時のままの現存天守閣は12あります。 弘前城(青森県) 松本城(長野県) 犬山城(愛知県) 丸岡城(福井県) 彦根城(滋賀県) 姫路城(兵庫県) 松江城(島根県) 備中松山城(岡山県) 丸亀城(香川県) 高知城(高知県) 伊予松山城(愛媛県) 宇和島城(愛媛県) ほとんどが西なのですな去年は熊本城、数ヶ月前には大阪城を愛でましたが、近年復元されたお城であって、コンクリートづくりの中は資料館みたいになっており、エレベーターがあったり(!)するわけです。がっかり。「現存する=当時のまま」と言うことは、「そう言う作りではない」ということ!?これは是非とも、愛でるだけではなく中を見てみたいと言う抑えられない(?)好奇心がございまして。その中で秋から修復工事が始まってしまう「姫路城」に行くことにしたのです。 なんつったって、国宝にて世界遺産ですから今は、姫路城非公開部分の特別公開(化粧櫓内部、大天守地階の厠、乾小天守、東小天守、イロハの渡櫓の特別公開)を行っており、否が応でも盛り上がっちゃう訳です。えっと、ワタクシが。姫路駅に降り立った瞬間から真正面にどどーんと見ちゃった日にはあーた、、、大変ですよ。あーもー我慢出来ーんっ誰に会うわけでもないので、寝起きすっぴんぴんのまま(!)あたふたと某ロッテリアで朝食を済ませ、駅のコインロッカーに荷物を預け、早々と城へ向かってダッシュしたのでございました。 ・・・いや、ダッシュはしてないけど。
Apr 18, 2009
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深夜バス乗ったです。予定よりも早く約9時間。そして、 やられなかった~ん いぇいいぇい。意外とイケるわ、深夜バス。まぁ、前日かな~り夜更かししてますからいつもと同じくらい、ってか、それ以上に(!)眠れたのでございます。あり!?なんか拍子抜け。 恒例の出発ブサイク顔にて候すっぴんぴんで眉が尻切れ、失礼つかまつる朝もはよから、んがしかし爽やかに(?)着いた場所は、 姫路ですよっ姫路と言えば、世界遺産の・・・・・ですがないつものように「出発恒例ブサイク顔」をTeam ROCKSメン々に送りつけてやりましたら、案の定非難囂々だったらしく。ふふふ。やだもーワタクシってば愛されてる
Apr 18, 2009
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仕事が終わったら乗るです。 夜行バスに知る人ぞ知る「深夜バス」ですな。やってみたかったのん♪今まさにDVD全集第11弾「桜前線捕獲大作戦/十勝二十番勝負/サイコロ5~キングオブ深夜バス」が発売されておりますな。シンクロ率高し。ワタクシも、「寝れないんだよぉ~」「お尻の肉が取れる夢」と、やられちゃうかしらん!?楽しみそしてデートするです。 戦国武将と時を越えて(!)一緒に愛でますよ。これまた楽しみ 行って来ま~っす* 水曜どうでしょう:http://www.htb.co.jp/suidou/
Apr 17, 2009
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愛知県蒲郡市にある「上ノ郷城」跡から徳川軍のモノと見られる鉄砲の弾(たま)1個が見つかったそうですね。* 家康軍の弾丸か?・・・東日新聞よりワタクシ、大徳川展で鉄砲の試し撃ちをしたとされる甲冑を見たことがありますが、玉側ですか。玉ですよ。 おいしそぉ♪記事によると、なかなか落ちなかったこの城に、家康は忍者を城内に忍ばせて火を放ち落城させたことが歴史書に載っており、鉄砲が使われたことの記述はないそうですが、でもでもワタクシの目を釘付けにするには十分なお品モノでございます わっくわくぅ関ヶ原の約40年ほど前のお話。ところでさ、弾丸に着いている白い錆、落とさないのかなぁ・・・。
Feb 18, 2009
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最近のワタクシ、戦国の本を色々読んでいますでしょう!?大阪に来たもう一つの目的、それは「真田の抜け穴」を見に行くことなのでした大阪城より2駅ほど離れた「玉造」と言う所がありましてね、そこに「三光神社」があるのですが、その中に「真田の抜け穴」がひっそりとあるのでございます。 大坂の陣の頃、真田幸村がこの地に堅固な砦「真田丸」を築き、この場所と大坂城に通じていたと伝えられている抜け穴の跡です。そして、「真田の抜け穴」と切っても切れないのが「大阪城」。季節柄、梅見の人たちで大層賑わっておりましたが、その中でワタクシは1人大阪の陣を想いながら炎上した大阪城を偲んだのでございました。 涙が出そうになっちった(笑)。
Feb 8, 2009
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兼続系の本は何冊か読みましたが、謙信絡みは初めてでございます。だって、ほとんどが景勝絡みじゃね!?それにしてもー。描かれている時期が時期だけに、兼続さんはそれはそれは爽やかで聡明な若者に描かれておりますですよ。 うっとり~んしかも内容量的に「兼続>景勝」なのですな。それにね 「与六、ゆるす。斬り捨てい!」 「ごめんっ」 ズバーンっこんな描写があっちゃった日にはあーた、涎がこぼれちゃうってばよ。 かっこいい~ん「よろず買い集め屋」の個性豊かな面々が登場し、いくつかのドラマで構成されており、それぞれにピンチがありクライマックスがありますから、それはもードキドキもんなのですな。途中で止めることが出来ないじゃないのー、、、みたいな。 大変面白かったですどうもね、ワタクシの中ではまだ謙信と景勝がだぶってしまうので、今度は謙信の本でも読んでみようかな。
Dec 17, 2008
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先日、堀北真希ちゃん絡みで、最近どうやら「エリカ様化」しているらしい↓本人はどうやら「アゴのライン」を気にしているらしかった↓だけど12月6日放送のスペシャルドラマ「男装の麗人~川島芳子の生涯~」(テレビ朝日)で潔く頬からアゴのラインを出した姿を披露なんつー流れでゴシップネタを読んでおりましてね。色々調べているうちに、いつの間にやら謙信の話にすり替わっちゃったのですけれどもだって、 「上杉謙信は男装の麗人!?」ってんだから、尋常じゃあ~りませんよっ!? ・・・有名な説だそうですが。 読み進めていけばいくほど なぁ~るほどぉ~と、納得。 「女じゃね!?」と言われれば、そーかもーとも思うし、 「違くね!?やっぱ男じゃね!?」と言われれば、だよねーとも思う。 かな~り流されやすいワタクシなのです素人が史料を目にする機会はほとんどなく、実際目にしたところで理解不能だろうし、結局の所は作家さんがイメージして書いた本でその人物像を作り上げるわけで。 だって、会ったことないもんワタクシの中で謙信公は「常に眉間に皺を寄せた眼孔鋭い無口で髭面の男臭い男」・・・あり!?それは影勝か!?と、とにかく「男臭い男」なのにさー。女性説は他にも徳川家重や家定、沖田総司(!?)なんつーのも聞いたことがありますが、逆パターンってないのかなー。ワタクシも、何百年もたったら「実は男だった(!)」なーんて言われてるかも!?・・・言われねーよっ 「ね~さん流」でなく「に~さん流」にでもするぅ!?とにかく。 信じるか信じないかはあなた次第っ* スペシャルドラマ「男装の麗人~川島芳子の生涯~」:http://www.tv-asahi.co.jp/dansou/index.html
Nov 19, 2008
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今、若い女子に「戦国武将ブーム」が来ているらしいですね。ゆかりの地にわんさかと押し掛けているそうで。 わかる、わかるよその気持ち。* 若い女性に「戦国武将ブーム」 「写真撮らせて」「甲冑着たい」* 「政宗さま」サイコー 若い女性のハート射止めるどうやら大河ドラマやゲームソフトの影響だそうで、中には快く思わない(?)ファンもいるようですが、かく言うワタクシも「パチンコ」(!)からハマった口だもん、文句は言えまいま、どんな理由でさえ、自分の国の歴史に興味を持つのは良いことでございます。ワタクシはぁ~、慶次もぉ~、兼続もいいけどぉ~、やっぱりぃ~、今はぁ~、 左近、まじサイコーちなみに今読んでいるのは「永岡慶之助著:上杉謙信と直江兼続」です。
Oct 16, 2008
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「嶋左近」を読んで、「三成に過ぎ足るもの二つあり、島の左近と佐和山の城」どころの騒ぎではなく、 もー、三成のバカバカバカっ!!!と叫んじゃったワタクシですが違った三成像を求めて童門冬二著「石田三成」の旅に出たのでございます。 ・・・・・・・・・・・ま、基本的に三成のイメージはあまり変わりませんでしたが(笑)。 頭が良すぎて 義にこだわりすぎて もう少し上手く立ち回ればいいのに周りを取り巻く人間とかみ合わず、生きた時代が合わなかったなー、とも思ったのでありますよ。 時代の流れはとても面白く、興味深いのでございます。 「真実は常に虚偽に敗れる」興味深い言葉でした。最後の章、あの世で「諫争(かんそう)の臣」三成の小言と、それを嬉しそうに聞く秀吉の会話がとても感慨深かったです。
Oct 9, 2008
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「三成に過ぎ足るもの二つあり、島の左近と佐和山の城」 全く持ってその通りでござる!!!って叫びたくなっちゃうほどイラっとしっちゃったんだからもー「政の才」には長けていたけど「戦の才」がなく、自らもそれを認めていたために、左近を召し抱えたんじゃなかったのけ???左近を「軍師殿」と呼びつつも、 その軍師殿には耳を傾けずー 戦の最中にも関わらず書状ばかり書いてるしー しかも決断力なしーお腹痛くなっちゃってる場合じゃないって。「戦は書院で起きているんじゃないんだ、現場で起きているんだ」歴史には禁句のあの言葉を使っちゃいますよ!? 「もし」あの時左近の言うとおりに動いていたら・・・しかも一度や二度にあらず。何度も好機はあったのに。嶋左近、関ヶ原に散る・・・。 もー、三成のバカバカバカっ!!!もう少し三成を掘り下げてみたいので、次の本は「石田三成」でござる。また違った三成像が見えてくるかしらん???
Sep 18, 2008
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この本のせいではないと思うけれど。読み終わったその日の晩に。切腹の次は、、、 電気椅子(!)でございます、なんですとっ!!!電圧(?)を徐々に上げていくですとっ!? またしても死にたくなくて またしても頼み またしても号泣 寝ているのに激しく体力消耗、、、つ、疲れたでも、「電気椅子」って、、、普通思いつかんでしょー。 ・・・ひょっとして天才!?(激違)ワタクシの頭の中はどーなってるのかしらん・・・。
Aug 27, 2008
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寝る前に前田やら石田やら、直江やら上杉やら、豊臣やら徳川やらを読んでいたらねー。 立志式に切腹しなければならない夢を見ましたわー(謎)。 どーしても死にたくなくて どーしても腹は切れそうになくて 先に切る友達に「迎えに来てね」と頼み 泣きながら父に「切腹することになったからー」と電話をして 結局、切る前に起きましたけど。たまに竹やりで背後からぶっ刺される夢は見ます(!)が、切腹は初めてだったので、ちょっくらビックリしてしまいましたよ。たぶん、この本の「上杉魂」の章が原因なのですいくらワタクシが寝る前のことに影響を受けやすいって言っても、切腹はいくらなんでも凄過ぎね???激し過ぎ。ち、遅刻するぅ~と慌てちゃったり、荒れた工場から脱出を試みたり、心霊写真に振り回されちゃったり、妊娠してみたり、オランダの刑務所に入れられそうになったり、、、いやはや、寝ていても忙しいのでございます。 ・・・ってか、ロクな夢見てねーなーさすがに「切腹」は夢占いのキーワードにはありませんでした(笑)。
Jul 27, 2008
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そもそもー。眼鏡をしても右目はあまり見えず、見え方の左右バランスが悪いため、細かい字の読書などはしないワタクシでしたのだけれども。だってねー。読んでいる途中で、どの行を読んでいるのかわからなくなっちゃうんだもん、わはは~。でもでもー。きっかけは慶次なのねん子供の頃、日本史で 秀吉の死後、石田光成と徳川家康が、、、 1600年関ヶ原の戦い、、、 家康の勝ちでその後徳川幕府が、、、なんつー感じで習いましたが。 裏(?)では、こんな人間ドラマがあったなんて。今まで、歴史上の・紙の上の人物だったのが、とっても人間臭く身近に感じるようになったのでございます。 ん~、やっぱ歴史って、お~もろ~次はー。童門冬ニの「直江兼続~北の王国」なのです♪
Jul 13, 2008
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時代物・甲冑フェチなワタクシ、この番組を見た時から以前にも増してその辺の(?)フェチ度が増しまして 今回大分に来ており。 熊本はお隣。 こ、これは行くっきゃねーべ!?と、今回の最終目的地は名城:熊本城なのでございます。日本三名城のひとつなのです昨年築城400年を向かえ、今年には本丸御殿の復元が完成し、それはそれは賑わっているのです。加藤清正像なのです当時の城は燃えてしまいましたが、石垣は清正時代のモノが多く残っており、清正公を初め当時の人が同じところを同じように歩ったかと思うと・・・。 た、たまら~ん当時の面影を残しているのですたまらないのです今度はワタクシが夢中で、マミポコちゃんを放置(笑)。マミポコちゃんは、仕返しとばかりに夢中になっちゃってる私を激写しておりました。井戸を覗くときには鼻の下をのばすのですワタクシの撮影スタイルは彼女と違ってフツーなのです1時間ちょっとしかいられず、とてもじゃないけど全部は見切れませんでしたが、それでも十分堪能できました。また機会があったら行きたいです。 いやぁ、やっぱ城はえぇのぅ~
Jun 1, 2008
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深夜に「日本の城」をテーマにしたトーク番組をやっていましてね。戦国時代が大好きで、しかも甲冑フェチであり、そして未だに「慶次」をバカみたいに毎日毎日読み返しているワタクシでございましょう!?つい深夜にもかかわらず、連続2話全部見ましたの。見終わったのは3時過ぎですよ番組で実施された、お城ファンが選んだ「好きな城ベスト10」の1位は、城が残っていないのに「真田の上田城」ですって!!!慶次を読んでいるだけに「ほぉ~、あの真田の上田城ですか」と、それで火がついちゃったのはトーゼンの流れで(笑)。 いやぁ~、実に面白い* BS熱中夜話「日本の城を語る」・・・ランキングなど当時から現存する城はほとんどといっていいほどありませんが、再現された建物はもちろん、石垣や堀だけでも、その場に立っただけで思いを馳せることが出来ますから。 あぁ、戦国ロマンっふ~んとは言っても、ワタクシ素人にちょろっと毛が生えた程度なので、有名どころから攻めていって、もう少し勉強してみたいです。 どうせ見るなら、その歴史も知っていたほうが楽しいもん♪特にお城は山の上に建っていたり、敷地が広大だったりと、見て回るのにちょっとしたウォーキング感覚に近いものがありますよね。それもまた魅力♪寺めぐりも良いけど、城めぐりも趣味(?)に追加することにいたしましょう趣があるのです
Apr 2, 2008
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まだ慶次から離れられないと言うのに。怒涛の一気読みなのです めちゃめちゃ面白いっ!!!全6巻で1部完結、2部へ続く・・・、とあるのが平成7年の話で未だ出ず。 は、はやく続きが読みてぇ~~~っ
Jan 16, 2008
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