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今改めてBUCK-TICK関係の書籍を読み返しています。 如何にB-Tが素晴らしいバンドであったか再認識している最中です。 では続きです。 アニイがプロの道を諦めようとしていた前後、B-Tも大きく揺らいでいました。 地元群馬で就職したあっちゃんは会社に馴染めず辞めてしまい、上京したくても両親の事を気にして何もできない日々が続きます。 84年10月にお父さんを亡くした踏ん切りがつかず、またドラマーとしても限界を感じていました。 しかしぼんやりと色々なバンドを見ていくうちに、自分だったらもっとヴォーカルを格好良く出来るのにと思い始めている事に驚いていました。 ヴォーカルをやりたい…そう思ったあっちゃんはアニイの家へ行ってS.Pのヴォーカルを志願しました。 さすがにアニイも驚いたようですが、この申し出を断りました。 あっちゃんがB-Tのドラマーである事、S.Pが解散したこと、ヴォーカルとしての実績が無い事を理由に。 やりたいことが見つかったのに…。 一方B-T内でも一つの問題がありました。 今井さんの考えるB-Tのイメージ、ポップでキレイなメロディを重視したスタイル。 このスタイルをアラキがこなせないことが分かってきました。 このままではダメだ…。 アラキは今井さんの幼馴染であり、長年の友達…どう話をするべきか? しかし今井さんたちは決断します。 アラキがBUCK-TICKのヴォーカルに適していないことを告げることに。 85年11月アラキは脱退しました。 ここからの1ヶ月大きく動きだします。 次回新ヴォーカル櫻井敦司、新ドラマーヤガミトール、真正BUCK-TICK誕生へと続きます。
2024.01.31
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昨日会報が届きました。 感想は後日するとして、前回の会報のときよりは普通にページをめくれました。 前回はマジでめくるとき手が震えて中々動かなかったので。 バンドヒストリー編3、アニイことヤガミトールがドラムを始めるところから始めます。 それは1977年、亡くなった5歳上の兄亨さんのドラムセットをお父さんが片付けようとしていたのをアニイが止めて形見として、ドラムを始めました。 それから次第にバンドに興味を持ち始め、文化祭でバンドを結成しました。 名は「SHOUT」キャロルのコピーバンドでした。 それからバンドにのめり込み、プロの道を志します。 1983年「SPOTS」その後「S.P」というバンドを結成。 同時にヤガミトールと名乗り始めました。 ヤガミは確かアニイが尊敬している矢沢永吉さんから矢沢をカタカナでもじってヤガミにしたと言っていたような、トールは亨さんから。 アニイの本名は…まあ知っている人は知っているだろうからここではあえて書きません。 当然アニイはS.PのメンバーなのでB-Tとは先輩という立ち位置で接していました。 あっちゃんにドラムを教えたり、対バンとしてライブをやらせたり、B-Tの良き理解者でした。 しかしS.Pは群馬ではいちばんだったとしても、その先までは届かず、他のメンバーがバンドに対する温度差があって行き詰まり、とうとう続けていく事に疲れて解散してしまいました。 そしてB-Tも大きな問題を抱えていました。 続きます。 次回は大きな転換期となる話になります。
2024.01.30
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続き。 まずあっちゃん、今井さん、アラキの3人は高校を卒業、今井さん、アラキは上京して専門学校へ。 まあ学校へは上京するための口実ですが。 あっちゃんは地元の自動車の部品を扱う会社へ就職。 ヒデとユータは3年生なのでバンドの活動は地元群馬で週末に行ってました。 しかし結成して即ステージに立つとは…。 けどとにかく1歩を記したいという気持ちが大きかったのでしょう。 スターリンのコピーを3曲演奏して非難GO-GOはバンドの1歩を歩み始めました。 やがてオリジナルの曲を作り始め、ヒデが作った「フリークス」がオリジナル1号となりました。 余談ですが最初は「ソルジャー」という名前で「フリークス」と変わりましたが、曲調が暗いということでステージで披露することなくお蔵入りとなったという話を聞いたような…。 続けて今井さんもオリジナルを作りました。 「PLASTICK SYNDROME1」 2024年1月の時点で200曲以上作り続けた今井寿のオリジナル曲第一号の曲です。 音源が存在しないのでどのような曲なのかわかりませんが、ラブソングだったようでメンバーの反応は良かったようです。 この曲をきっかけにオリジナル曲をやる様になったので、バンド名を変えることなりました。 BUCK-TICK…1984年夏に誕生しました。 なお、この頃のステージはYouTubeやニコニコ動画で検索すると見つかるので視聴してみては。 前ヴォーカルのアラキ、ドラマー時代のあっちゃんの貴重なプレイが見れるので。 続きますが、次からアニイが登場します。
2024.01.28
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今回から1989年に出版された「LOVE ME」について語ります。 まずは出会いから。 高崎から八高線に乗って藤岡高校へ通学していたユータこと樋口豊はある1人の先輩に連れられて藤岡駅前にあるタバコ屋を訪れました。 そしてそこの4畳半の部屋の主と出会いました。 「無口だし、何を考えているかわからない、むずかしそうな人だな」 これが1つ年上の今井寿との出会いで、以後この部屋の常連となりました。 聖地今井商店のエピソードがここから始まります。 部屋には今井さんが好んでいる音楽が常に流れていました。 特にYMOを好み、やがてRCサクセションを聴いてバンドに興味を持ち始めました。 それを幼馴染のアラキに告げてバンドをやろうと2人で決めました。 ヒデこと星野英彦は小中学校と続けていたサッカーを高校に入ってからも続けていましたが、実力がついていけないと思い始めた途端、サッカーをやめて帰宅部に。 そして2年生のときにユータと同じクラスに、「なんとなく、入学式の時から目立っていて、いつも先輩たちの中にいる、おもしろそうなヤツ」 ユータ「背のデケェやつ」 2人は意気投合しました。 ある時ユータからヒデへバンドへの誘いが。 ユータは自分はベースをやると告げ、ヒデは心の中でギターをと考えてましたが、ユータは勝手にヒデをヴォーカルとして紹介しようと相談もせずに決めてました(笑) 今井さん高校3年のとき1人の同級生が今井商店の4畳半の部屋に現れました。 名前は櫻井敦司。 1年生のとき2人は同じクラスでした。 今井「目つきの鋭いヤツ」 櫻井「ちょっと変ったヤツ」 このときはただのクラスメイトという関係でしたが、あっちゃんの遊び仲間たちが事件を起しバラバラに。 そのあと今井さんの家へ誘われてやがてあっちゃんも常連になりました。 そうしてあっちゃんもバンドに興味を持ち始めドラマーとして参加。 こうしてヴォーカル アラキ ギター 今井さん ギター ヒデ ベース ユータ ドラム あっちゃん と持場が決まりました。 あとはいつスタートするか? それはあっちゃんの一言「とりあえず、バンドをやってみよう」 そしてバンド名は「非難GO-GO」。 こうしてバンドはスタートしました。 といったところで続きます。
2024.01.21
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最終回…になるかどうか…メンバー5人による座談会です。 トール 最近、特に変わったこと、ある? ユータ 有名人に会えるようになった! まあよくある話ですね(笑) ユータ この前、ビクター行ったときにはキョンキョン見ちゃったもんな!(ヒデ、ニヤつく) ユータ ヒデ、キョンキョンのファンなんだよね?…。なんとか言えよ。 ヒデ 好きだよ…。(ひたすらニヤニヤ) 目に浮かぶな…( ˊ̱˂˃ˋ̱ )この頃キョンキョン人気全盛期だったし。 ユータ 気持ちわり〜って。 トール てめえだって同じだろうがよ。 ユータ アニイは特に汚ねえんだよ。 アツシ 兄弟ゲンカすんなよ。 樋口兄弟のケンカを止めるあっちゃん、そういえば野球絡みのケンカで止めたという話もあったなぁ。 イマイ 次の朝、頭さわったら、なんか変なんだ。3センチか4センチぐらいの長さでみんな切れちゃってんの(笑) 髪を染めたときのエピソードで、お金がなかったから自分でやった結果そうなってしまったのでしょう。 ヒデ みんな熱くなっちゃって、アツシなんか、女の子泣かしちゃうぐらいすごいんだから(笑) トール みんなをノセようとして叫んでたら、泣きだしたんだよな。 ユータ だって、普段からそう見られるとこあるのに、その顔でどなっちゃったら、やっぱ、おっかねーよ…。 アツシ わるかったな。だけどおおげさなんだよ。泣いたっていったって、たったの1人だろー。 私だったらあっちゃんが目の前で叫んでいるのを見たらめっちゃ嬉しいけどな♪( ´▽`)。 ユータ ヒデだってギター、すごく上手くなったよ。 ヒデ そうかなー。(満足そうな笑顔) アツシ その顔!ヒデってそれがいいんだよ。 イマイ それはいえる。 やっぱヒデはみんなの心のオアシスなんだな、( ´∀`)。 アツシ でもまだまだ。もっともっと歌い込まなきゃ。 イマイ オレ、曲を作るようになってから、まだ3年ぐらいしかたってないじゃない?まだ自分のなかで、曲作りがパターン化されてないんだ。 この2人の向上心が原動力となってB-Tは常に進化していったのでしょう。 イマイ 自分たちがやってて気持ちのいい曲を、もっとたくさんの人に聴いてもらいたいって、ただそれだけ。 アツシ そしてみんながBUCK-TICKの曲を好きになってくれたらサイコーだな、ってね。 私はそんなB-Tに惹かれてファンになった1人です。 というところで終了です。 デビューして間もない頃なので掘り下げた内容ではありませんが、ここからBUCK-TICKは37年後の今を経てこれからも歩み続けていきます、最後の1人が天へ召されるまで。
2024.01.21
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最近たまにX(Twitter)でつぶやいたのが何人の方からいいねされて、いい気分な私です(笑)。 まあ調子にのって炎上しないよう気をつけないと。 さて続きです。 「自分の人生は自分で決めるよ。親父の敷いたレールには乗らないよ」って、親父に宣言した。 アニイが15〜16歳のときにお父さんに告げた話です。 まあ反抗期もあったし、バンドをやり始めた時期でもありました。 お父さんからしたら長男(アニイのお兄さん)を亡くした事もあってアニイを気にしていたのかも。 解散した当初は、オレも、もうバンドはやめようと思ってたんだよね、実は。 B-T加入前は「SP」というバンドで活動していましたが、うまくいかず解散、音楽は趣味でやろうということであきらめていました。 ユータに誘われたのは、ちょうどその頃。 ヴォーカル離脱からのあっちゃんヴォーカル転向、そしてアニイ加入、1つでもタイミングが合わなかったらB-Tは無かったのかも。 他のメンバーは、オレより才能のあるヤツばっかり。 これはアニイが常々語っています。 でもそんなメンバーを支えていたのはアニイでしょうね。 経験とキャリアがあるアニイが加入したから今のB-Tがある、そう言い切っていいと思います。 次回がBUCK-TICK(ワニブックス)最終回かな?
2024.01.21
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現状休みの日に書く余裕があるので。 トリはアニイことヤガミトールです。 性格 普段はねくら、一見陽気、演奏中はCrazy。 ねくらな印象はないけどな…当時はそうだったのかな? どちらかというとCOOLじゃないかな?演奏中は。 趣味 スティックを買うこと。 ドラマーらしい趣味ですね。 LIKE 矢沢永吉大先生。 これは有名な話です、永ちゃんファンなのは。 ベビースターラーメン。 確か金が無いとき、これで飢えを凌いでいたんだっけ、ユータと共に。 モスバーガー(ダブル)。 今はないな。 ちなみに私はスパイシーモスバーガーが好きです😊。 DISLIKE 雨の日の仕事。 わかります、私も外で仕事してるので雨の日はホントやだ(T_T)。 通天閣。 どんな理由で? 大阪在住なので気になるな。 自分よりうまいドラマー。 多分そのまんまの意味だったら、尊敬しているボンゾや村上ポンタさんや高橋まことさんもそうなるけど、まあそういう意味じゃない。 オレだって負けねえぞ‼️っという意味でしょうね。 明日に続きます。
2024.01.20
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続きです。 ライブハウスに売り込みに行こうと思いたったんだ。他のメンバーは愛想悪かったからね。 積極的にバンドの売り込みやってたのユータがいちばんやってました、確かに。 まあ他もやってはいたはずですが、より熱心で愛想が良いのはユータでしたからね。 これからどんな方向の音楽でもやっていけるっていう面白さがあるよ。 そのあたりは作詞はあっちゃん、作曲は今井さんとヒデが、それを支えるのがユータとアニイとしっかり分担が決まってましたからね。 ただ目立つだけで、女の子にはほとんどモテない。 そうなのか? ユータだけの話ではないけど、女の子を泣かすようなことは絶対にしない人だけど、まあ巡り合わせとかも関係あるかもだけど。 バンドとしての集合体っていうのを凄く大切にしたい。 だからこそ今もBUCK-TICKは輝き続けているのだと思います。 そんなユータだからバクチク現象2023でのMCで泣いたのだと。 これからもバンドを支えてください。
2024.01.20
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さて、来週誕生日を迎える、ユータこと樋口豊さんです。 性格 腰がひくいとよく人に言われる。 交友関係はB-Tでいちばん広いし、世渡りが上手い感じだし。 趣味 レコード鑑賞、麻雀。 そういえば高橋まことさんに麻雀でカモられてたな、まことさんの自伝に書いてあったし。 LIKE のりピー うん、私も好きですよ今も。 やらかしたのは事実だし、そのことを未だにネチネチ言ってるヤツらもいるけど、それがどうした⁉️ これ以上言うと脱線するので割愛します。 アツシの目。 しかしヒデもそうだけど何故かあっちゃんと今井さんを呼び捨てにしてるけど、この本の執筆者がキャラ付けしているのか? でも私もあっちゃんの目好きですよ😊。 DISLIKE 満員電車の中のオヤジの頭のにおい。 マニアックな人じゃないかぎり好きな人はいないだろうな。 酔っ払った私の母。 割とお母さんが呑んで酔っ払う事が苦手な男多いのかな? というところで続きます。
2024.01.20
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DIQ2023の払い戻しが届きました。 あっちゃんが健在だったらどんなライブになったんだろう…。 などと考えても仕方ないけどついつい考えてしまう。 まあ戻ってきたお金はB-Tの為に使いますか。
2024.01.15
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始める前に、スマホでブログを書いてます。 まあ今はこのほうがしっくりくるからなんですが。 ではヒデこと星野英彦さんです。 性格 おとなしいけど、けっこう2重人格かもしれないしれ。 え!?2重人格!?そうかな…? 趣味 街に繰り出すこと。 これはヒデらしいかも。 LIKE サッカー。 元々サッカー少年だったからね。 女性の髪の毛のにおい。 これは、いや…年頃の男子らしいですね(^^;)。 両親。 まあヒデに限らずみんな親思いな良い人ですよ。 DISLIKE 早起き。 ギタリスト2人共苦手なようで(笑) 勉強。 けど専門学校ちゃんと卒業してる、さすがヒデ。 散らかっている部屋。 几帳面なヒデらしい。 小学校の頃は、かなりうるさいヤツだったの。 そうだったの!? でも成長した頃におとなしくなった人は結構いるから。 たった1回だよ、そうしたらコーチが「もうお前はこなくていい」って言われて…。 1回休んでしまった事で起きた話で、良くも悪くも昭和らしい話なんだろうな…。 親父とはどうも合わないみたいで…。 まああっちゃんの場合とは事情は違いますが、多分趣味とか違っていたみたいな話なのかも。 声をかけてくれるヤツがいなかったら、やっていなかったかもしれない。 確かにユータの誘いに応じての加入だったから…もし誘いがなかったらどうなっていたのだろう? バンドの中でのオレの存在って…。 いやいや、貴方の存在がどれだけかけがえのないものか、4人は当然ですが我々ファンも充分承知してますよ。 もしかして重要な存在なのかな、オレって。 全くその通りで御座います。 時間ができたらバイクの免許をとりにいく。 これは実現したのかな? デビュー当時のヒデはまだ自己をこれから確立しようとしている真っ最中だったのかも。 ここから今井さんに負けない名曲を作り始めるのだから、それはこれからも。 頑張れ‼️ヒデ‼️
2024.01.14
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今井さんのLIKEとDISLIKE忘れてました(ー ー;)。 LIKE オギノメヨーコサン。 なぜカタカナ表記? そういえば荻野目洋子さんもビクターだったか。 眠っていて目が覚めていてでもまた眠くて寝るとき。 今井さんの地蔵体質はここからか? のどがかわいたとき思いっきりウーロン茶を飲んでのどをヒリヒリさせること。 わ、わからん…(ー ー;)。 DISLIKE 味噌汁のついていない食事。 わりと日本人的な…味噌汁の具は何が好みかな? 早起き。 眠るの好きだからね。 眠くないのに眠らなくてはならないとき。 ここから約2年後、やらかして数十日ほどそういう目に遭うことに…( ̄▽ ̄;)。 音楽の授業。 多分自分の好みじゃない音楽をやらされる事なのかな? しかしホント今井さんの感性は独特というか。 天才と言われる人はこういうものなのかな。
2024.01.14
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さて、今回は今井さんです。 性格 極端、タンジュン&フクザツ&ハレンチと言われることもある。 うーん、わからん(笑) 趣味 絵日記。 今はインスタか? 藤岡駅のちょうど目の前にあるタバコ屋さん。 今井商店のことですが、今やファンにとって聖地ですね、私も一度行きました。 バンドやろうぜ、と最初に言ったときからプロになりたいと思っていた。 確かに別のインタビューなんかで就職とか言っていたような。 ホントB-Tって今井さんが居なかったら誕生しなかった可能性高いもんなぁ。 将来性5。 これ評価した審査員マジで見る目あるなぁ…他は低かったみたいだけど。 みんなの先頭に立って、いちばん目立つ存在でいるより、ふだんは陰にかくれていて、実はとても重要な役割を果たしているタイプの人間がいい。 これまでは確かにそうだったけど、これからはそうもいかないだろうな…あっちゃんの分も頑張らないと。 このあいだ「店にお前たちのポスターを貼っておいたら、女子高生が欲しいっていうからあげちゃったよ」なんて電話がかかってきた。 うん、貼ってましたね。 これからが、BUCK-TICKにとって、本当の意味での勝負になるんだろうな。 当時はデビューしてからが…という意味だろうけど、今の状況だと違う意味になるだろうな。 私は何があろうともB-Tを応援するし、今井さんの考えている方向性を心から支持します。
2024.01.14
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しかし1日に4回書くなんて初めてだろうな… あっちゃんが逝った事、これからのBUCK-TICKに対する期待と不安がこうさせるのかな? ではあっちゃんこと櫻井敦司さんです。 趣味 空想 うん私もそうです、空想いいですね。 LIKEですが、まずステージ5分前のキンチョー感。 観ている側は期待感いっぱいですけどね。 ステージの上で聞く歓声。 ええ…これからも届けますよ。 DISLIKEは、ケンカ。 そう言えばライブ後の打ち上げで某ドラマーが暴れていたらあっちゃんが一喝して騒ぎを収めたという武勇伝があったらしい(尚ドラマーはアニイではありませんのであしからず) 本編ですが、家族の事を語っています。 この頃はお母さんはまだ御健在でしたが、お母さんへの思いはこの頃から充分気持ちが伝わってきます。 まあその後発行される書籍ほど掘り下げてはいませんが。 それは今井商店での出会いもですが。 ドラマーからヴォーカル転向への話もあっさりしているし。 でも自分の声が好きと言っていたのは嬉しいですね。 そう、だからファンになったんだし。 彼女がいてどっちをとるかと言われたら歌を取ると思うよきっと。 そうですね…貴方は確かに歌を取りました… だからこそそんな貴方の思いを受けとめてこれからもBUCK-TICKを見届けます。 ありがとう、あっちゃん…
2024.01.13
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続き、メジャーデビューまでの話はこれが最後です。 アルバム作成、1987年4月1日豊島公会堂での"バクチク現象"、初のツアー、そしてメジャーデビュー。 たった3年と少しでここまできた… 確かに凄いなぁ…ラッキーもあるのだろうけど、運も味方につけるだけのものをB-Tは持っていたのでしょうね。 BUCK-TICKだけのサクセスストーリーを完成するために。 というところで締めてますが、果たして今完成したのでしょうか? いや、サクセスストーリーはまだ続いている最中なのかも。 だとしたらなんとか完成を見届けたいですね。 まだ続きますが、次回から各メンバーの話となります。
2024.01.13
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さて、続きです。 あっちゃん、ヴォーカル転向とアニイ加入です。 しかしこのときの話はそれこそバンドの歴史上重要な話なのに、あっさりした描写で… あっちゃんにとって人生初の自己主張と、バンドへの情熱を無くしたアニイを是が非でもバンドへ加入させたいユータの思いとか、もうちょっとページが有ってもいいのに(−_−;) デビュー直後だからなのか仕方ないのかなぁ。 86年3月の「DOOL」32号のNew FaceというコーナーにB-Tのことが小さいながら載ってました。 もしこれまだ古本屋やオークションとかであったら手に入れたいな… それは置いといて、これがきっかけでB-Tに注目され始めました。 からのレコード制作。 なんかいい方向へ向かい始めたかな。 そして1人の人物がB-Tに興味を持ちました。 サワキカズヲ、太陽レコードなる自主制作のレーベルの主催者。 ちなみにカズミと表記されてますが、正確にはカズヲです。 サワキ氏に見込まれたB-Tは太陽レコードでのシングルリリースとなりました。 というところでまた続きます。
2024.01.13
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BUCK-TICK(ワニブックス 1987年)続きです。 最初は"非難GO-GO"というバンド名でした。 まあ知られている話ですが、高校の先生や親たちから非難を浴びながらのスタート? そうだったっけ? なんか話を盛っているような… しかし始めて1週間でイベントに参加… よほど自信があったのだろうなぁ。 で、3か月でオリジナルを作り始めたのでB-Tとなったと。 今井さんとヴォーカル(あっちゃんではない)は高校卒業後上京、あっちゃんは地元で就職、週末は地元群馬に集まってバンド活動という感じか。 これがヒデ、ユータの2人が卒業すると上京して活動拠点が東京になって、あっちゃんが群馬から東京まで来てとなって、その後あっちゃんも上京する。 まあ細かいところはともかく大体流れは他と一緒ですね。 しかし客集めはさすがSNSが無かった時代、ビラやステッカー貼りなどで頑張っていたようで。 で前ヴォーカルが脱退となってB-Tにとって大きな転換期となります。 という事でまだ続きます。
2024.01.13
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さて、まずはBUCK-TICK(ワニブックス 1987年)から。 メジャーデビュー直後までの話ですが… 5人共若いなぁ…( ´ ▽ ` ) 考えてみたら22〜21歳(アニイは25歳だったか?)でメジャーデビューしたんだなぁ… 動きは荒削りで演奏はヘタ… そりゃそうだ、アニイはともかくあっちゃんはヴォーカル始めて間もないし、今井さん達然り。 けど何かしらセンスがあったからメジャーデビュー出来たのだから。 まず結成に至るまでの話ですが、今井さんの実家である今井商店での今井さんの部屋でB-Tが誕生。 まあこれはファンなら誰もが知ってる有名な話ですが、ユータなんか余り物の如くベースになったような描写に… 普通に自分から希望していたはずなのにな(ー ー;) と、結構長くなりそうなので続きます。
2024.01.11
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2023年12月29日 ”バクチク現象2023”を体感して気持ちを吹っ切ることが出来ました。 なのでこれから不定期ながらBUCK-TICK関連の本の感想なんかを書こうかとかんがえています。 ちなみに私が所有しているB-T本は BUCK-TICK(ワニブックス 1987年) BUCK-TICK LOVE ME(シンコーミュージック 1989年) HYPER(ソニーマガジンズ 1989年) HYPER NUMBER 3(フールズメイト 1990年) BT8992(ロッキングオン 1992年) 月刊カドカワ 4月号(角川書店 1992年) WORDS BY BUCK-TICK(シンコーミュージック 2002年) ORAL HISTORY₋20th ANNIVERSARY SPECIALBOOK(ソニーマガジンズ 2006年) MASSIVE(シンコーミュージック 2012年) ROCK AND READ 042(シンコーミュージック 2012年) bridge VOL72(ロッキングオン 2012年) bridge VOR73(ロッキングオン 2012年) Simply Life 星野英彦(音楽と人 2012年) B-T DATA(エンターブレイン 2013年) bridge VOL75(ロッキングオン 2013年) ユータ 樋口豊(音楽と人 2014年) 1977 ヤガミトール自伝(音楽と人 2018年) 別冊カドカワ総力特集BUCK-TICK(KADOKAWA 2018年) ROCK AND READ 091(シンコーミュージック 2020年) 別冊音楽と人 櫻井敦司(音楽と人 2023年) 大体こんなところですか… いつ終わるか…或いは挫折するか(笑)わかりませんがとりあえす始めます。
2024.01.07
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