全4件 (4件中 1-4件目)
1
飛瀧神社(ひろうじんじゃ)熊野那智大社 別宮和歌山県那智勝浦町那智山 ■御祭神 大穴牟遅神(おおなむち) 先に御紹介した2社、花の窟神社や神倉神社同様自然崇拝の形を残す神社で、御神体は那智滝。もちろん本殿はなく、拝殿もありません。神社御由緒によれば、神倭磐余彦尊(神武天皇)が当地に上陸の際那智大瀧を大穴牟遅神と仰したことが大瀧崇拝の始まりだそうです。 ここには熊野那智大社から歩いて行きました。熊野那智大社では参拝者を迎える準備が始まったばかりでしたがこちらは既に大勢の参拝者が訪れていました。そのほとんどが観光バスでやって来た団体さんたちのようでしたが。 熊野那智大社・青岸渡寺から那智滝にはこうした道を下りて行きます。熊野那智大社には車での参拝でしたので、またこの石段を登って熊野那智大社前の駐車場に戻らなければいけませんが帰りのことはあまり考えないことにしました。 途中に遙拝所があります。礎石は昔の建物跡だそうです。現在もここでは例大祭の時、神事が行われる聖地とのこと。 那智滝は日本三名瀑のひとつで、その高さは日本一の133m。流れ落ちる水量は、毎秒1屯と言われます。ここの1週間後、箕面に紅葉を見に行きましたが箕面の滝がちっぽけに見えてしまいました。ちなみに箕面の滝の高さは33mです。 滝を拝し、飛沫を浴びると長寿のご利益があると言われているそうです。社務所に申し込んで(有料)拝所に向かうと、途中に滝の水をいただける場所があります。社務所から拝所へは約3分。御神体を間近で拝することが出来ます。 十津川村から熊野本宮~那智。いったいこの山々はどれだけの木々を育み、どれだけの水を蓄えているのでしょう。ここまでの山々では、数えきれないほどの滝や湧水を見ました。 こういう水を私がいただかないわけがありません。熊野や吉野など、紀伊半島の水はなかなかのお水です。上の画像は、熊野本宮大社に近い「果無(はてなし)の水」前回もポリタンクにたっぷり持ち帰りましたが、今回も忘れないように往路で汲みました。この水で湧かしたお茶の味は水道水はもちろん、スーパーでいただけるピュアウォーターとは比べものにならないほどおいしいです。 .
2010.11.28
コメント(8)
和歌山県新宮市神倉1 ■御祭神 高倉下命(タカクラジノミコト) 天照大神高倉下命は神武東征の折、神武一行のピンチを救った神。熊野の荒ぶる神たちから、神武たちを護るために天照大神と高木神(高御産巣日神)の計らいで建御雷神の横刀を神武に献上。建御雷神(タケミカズチニカミ)は大国主命に国を譲らせて葦原中国を平定した神。春日神の一柱として祀られている神で、その横刀とは石上神宮の御祭神となっている布都魂神。 鳥居から山上への石段は源頼朝が寄進したと伝えられ538段あるのだそうですが、自分で数えようとは思いません。場所によっては「階段」ではなく、ほとんど「梯子」のような感じ。和歌浦天満宮や紀州東照宮でも「武士の石段」を体験しましたがここの石段はダントツのすごさです。 毎年2月に行われる「お燈祭(おとうまつり)」では、この石段を松明を持って駆け下りるそうです。あんまりあぶないことはしない方がいいと思います。高所恐怖症の私には、少々キツイ箇所もありました。ただし「さて、もうひとがんばり」と、ジャケットを脱いだ途端に到着。思ったほどの高さではありませんでした。 この手水鉢は、新宮城主第二代の水野重良の寄進で新宮市指定文化財。近くの阿須賀神社にも同じような手水鉢が寄進されているそうです。 御神体は「コトビキ岩」と呼ばれる巨石。「コトビキ」とは新宮地域の方言で、ヒキガエルのことだそうです。熊野の神々が最初に降臨した地とも言われ、神倉神社の御朱印には、「熊野三神元宮」と記されています。社務所にも、「神倉神社は熊野速玉大社の元宮です」と書かれてありました。ただし御朱印は熊野速玉大社でいただきます。 御神体あたりからは新宮市街と熊野川河口が見渡せます。あいにくの天気で残念でしたが、晴れていれば熊野灘はもちろん遙か太平洋を望むことも出来るのでしょう。 この場所は切り立った崖の上なのだそうですが、この崖が神武一行が登った「天磐盾(あめのいわたて)」だとも言われます。一度この神倉山全体も下から眺めて見たいと思いました。「天磐盾」は古事記には記述がなく、日本書紀に一度だけ出てくる地名です。ここに登ったとき、滋賀県東近江市の太郎坊宮を思い出しました。 手水鉢のあたりからコトビキ岩の下まで、現在は平らな道が造られています。地元の方のお話では、昔はこの岩の斜面が参道だったそうです。毎日ここに来るというおじさんや、地元の方々とお話しさせていただきましたが半分くらいしか方言が理解出来ませんでした・・・。 お天気がいい早朝に、また参拝したいと思います。 .
2010.11.23
コメント(6)
花の窟神社(はなのいわや)三重県熊野市有馬町上地 花の窟神社公式HP■御祭神 伊弉冊尊(イザナミノミコト) 紀の国や花窟にひく縄の ながき世絶えぬ里の神わざ 本居宣長 「御綱掛け神事」で知られる花の窟神社は、伊弉冊尊の墓所と伝えられています。現在、宮内庁が伊弉冊尊の墓所として指定しているのは島根県松江市八雲町にある「岩坂陵墓参考地」です。古事記に、「伊邪那美神は、出雲国と伯伎国との境の比婆之山に葬りまつりき」と記されていて、岩坂陵墓参考地はその比婆之山の伝承地とのこと。一方、この花の窟神社が伊弉冊尊の墓所とされる由縁は日本書紀。日本書紀の神代の記述は「一書日(いっしょにいわく)」という形で、何種類もの伝承が記されていてストーリーが見えにくいのですがその様々な伝承のひとつとして次のような記述があります。「伊弉冊尊が火の神を生むときに体を焼かれてお亡くなりになった。それで紀伊国の有馬村に葬った。土地の人がこの神をお祭りするには花の時に花をもってお祭りし、鼓・笛・旗で歌舞する」 質素ですが優しい雰囲気の参道。画像ではわかりませんが、鎮守の杜には11月初旬にもかかわらずかわいい小さな花々がたくさん咲いていました。大きな神社ではありませんが、境内には多くの参拝者が訪れていました。 奈良の大神神社など、本殿のない神社は珍しくありませんが花の窟神社には拝殿もありません。御神体はこの後にそびえ立つ巨岩です。 御神体には浸食された穴がいくつか見られます。この穴に白い小石を入れると願いが叶うという信仰があるそうです。御神体の岩の高さはおよそ70mだそうです。この岩の向かいに、よりそうように鎮座する岩があります。祀られているのは軻遇突智尊(カグツチノミコト)。古事記では火之迦具土神と表記されるように、火の神様です。伊弉冊尊はこの神を生んだ時、体を焼かれて亡くなってしまいました。 火の神であるが故、その燃える体のせいで母である伊弉冊尊を焼いてしまいました。愛する妻を亡くした怒りから、伊弉諾尊(イザナギノミコト)はこの軻遇突智尊を剣で斬ってしまいます。この岩からは、自分の誕生が母の死を招いたという永遠に癒されない哀しみを感じました。その軻遇突智尊を、伊弉冊尊が大きな母の愛情で優しく包んでいるようでした。 この神社のすぐ東は七里御浜。その名の通り28kmほど(七里)に及ぶ海浜。この辺りから、時々クジラの姿も見られるそうです。 花の窟神社から約700mほどの所に、有名な獅子岩があります。ガイドブックなどで見る形と少し違うようですが、どうやら写真を撮る位置、角度が悪かったようです。 境内に咲く花の蜜を吸う美しい蝶に出会いました。あまり見かけない蝶ですが、暖かい地方に生息する蝶のようです。なんとなく季節を間違えてしまいそうな光景ですね。参拝したのは11月13日です。ちなみに花の窟神社は軻遇突智尊の墓所であり、伊弉冊尊の墓所は、近くにある産田神社だという説もあるようです。この伊弉冊尊の墓所、前述の岩坂陵墓参考値の近くに熊野大社があります。出雲と熊野のつながりを感じさせます。 .
2010.11.20
コメント(6)
日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)京都市山科区日ノ岡一切経谷町29 日向大神宮公式HP ■御祭神 内宮(画像奥) 天照大神 多紀理毘賣命(タギリヒメノミコト) 市寸島比賣命(イチキシマヒメノミコト) 多岐都比賣命(タギツヒメノミコト) 外宮(画像手前) 天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト) 天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ) 内宮・外宮という呼称や社殿の造りから「京のお伊勢さん」という感じですが、伊勢の神宮とは御祭神が違います。神社御由緒によればこの神社、「第23代顕宗天皇の御代に筑紫日向の高千穂の峯の神蹟を移して創建された」とのこと。神社名の通り、伊勢ではなく九州の「日向」に由来する神社のようです。 地下鉄蹴上駅から約15分。蹴上取水場を見ながら坂道を登った、静かな場所。 京都市内の神社としても、桜や紅葉の名所としても穴場的な神社。紅葉の見ごろは11月中旬頃とのこと。桜や紅葉の季節には、私はよく日向大神宮参拝後インクラインや琵琶湖疏水(びわこそすい)沿いを歩き有名な煉瓦造りの水路閣の辺りから南禅寺へ向かいます。この日は南禅寺から永観堂、哲学の道の起点にある熊野若王子神社まで足を伸しました。 外宮(下ノ本宮) 実はこの神社の記事は、このブログでは2回目。日向大神宮は、「龍水御朱印帳」で最初にご紹介した神社でした(2008/11月)特にこの神社にこだわりを持っていたわけではないのですが、このブログにとって言えば記念の神社ということになります。 内宮(上ノ本宮) 紅葉の季節には、南禅寺や永観堂は大勢の参拝者が押し寄せますがここはいつ来ても静かです。時折数人~数十人のグループがやって来ますが、そのほとんどは参拝者ではなく、内宮の先から大文字山などに向かうハイカーたち。 内宮の前にあるこの道の先に「天の岩戸」などがあります。ハイカーたちはここから大文字山方面に向かうようです。ここから歩いて行こうとは思いませんが、大文字山には登ってみたいと思っています。 京都市内の有名な神社は、観光地化している感もありますが日向大神宮は、静かな古社がお好きな方にはオススメの神社です。これからは紅葉も楽しめると思います。 .
2010.11.04
コメント(4)
全4件 (4件中 1-4件目)
1