5月12日(日)
山桝忠恕 先生のイギリス滞在記
「東も東西も西」師弟友情通信 ―― (上)(179)
同文舘発行(昭和 41 年)山桝忠恕著「東も東西も西」より
(注)わたしは、39年40年に山桝ゼミに在籍しました。
「栄光の都ロンドンの明暗」(6)
第四に感じますことは、なにが仕合せになり、なにが不仕合せになるか、わからないなァということです。この国は、さきの第二次世界大戦でも、形の上では戦勝国でありました。有形無形の過去の遺産が殆どそのまま残ったばかりでなく、根が素晴らしく物もちのよい人たちのことですから、あくまでも旧来のものを持ちつづけようとします。そして、そのことが、この技術革新の激しい時代には、この国の現在ならびに将来にたいして、却って禍をなしているように思えてくるのです。
この国は、ながいありだ「世界の銀行」としての地位にありましただけに歴代の為政者とも、ポンドの価値の安定には、異常なまでの熱意を傾けてきました。そして、事実げんに幾度となくお伝えしましたように、一八六〇年の一ペニー銅貨が、こんにちもなおそのまま巷に流通しているほど、それほどに貨幣価値が安定しているのです。この100年のあいだに、日本では、物価が実に二、〇〇〇倍にもなっているのに、英国では二倍にも満たないという安定ぶりなのです。
(つづく)
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