9月25日(水)
「幸福論」(ヒルティ)(第二部)(468)
ヒルティ著草間平作訳
発行所 岩波書店(1935年5月15日)
(注) あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や
表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し
ています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。
人生の階段(111)
四(22)
(前日)このことを聖書は「神を求める」(ヘブル人への手紙十一の六)と呼んでいます。そうすれば、神もまた「思いがけなく」来たり給うて「多くの善きことをしてくださる」のです。誠実に神を求める心さえあれば、たとえごく不完全にしか神を知らない人達にさえも(だいたいすべての人がそうなんですが)神は来てくださるのです。(よりつづく)
しかし、もし神が来てくださらず、また昔の言い方をかりると「われらにくみし給う」(これはどんな方法でも強要することはできない)ことがないとすれば、あらゆる現存の形式の、あるいは将来考えられる形式の宗教的実践もすべて、いわば死産に終るべき人間の 業 にす ぎません。そして、わたしたちすべてが宗教によって求めているもの―幸福を与えてはくれないのです。
「アーメン、神はほむべきかな、
われらの霊をキリストに向け給う。
願わくはわれらすべてを助けて、
もろともに 永遠 のいのちに入らしめ給え、アーメン。」
幸福論第二部完結
(第三部へつづく)
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