5月19日(日)
「幸福論」(ヒルティ)(第二部)(326)
ヒルティ著草間平作訳
発行所 岩波書店(1935年5月15日)
(注) あくまでも、訳に忠実にしていますが、簡略化や意訳や
表現の変更(例えば、「…である」を「…です」に変えたり)し
ています。それもすべて自分自身のためです(後藤瑞義)。
キリスト教序説(28)
(前日)職業や生活環境にとって必要な秩序を乱さないかぎりにおいて、金銭などに心をわずらわさないことも、贅沢を断つ一つの方法です。なぜならば、金というものは元来、哲学の邪説のように良くない魅力を持つからです。両方とも人はそれにあまり深くたずさわると、容易に離れることができなくなるものです。(よりつづく)
名誉は、多くの人にとって、黄金崇拝と同様に、強い枷(かせ)となります。人間としての、あるいは市民としての、ありきたりの名誉は、つねに同時代人の、また多くは後世の人たちの判断にゆだねられるものです。それなのに、こうした名誉をひどく気にしたり、また、人に尊敬を払わせるような高い地位を得たいと心を砕くことは、いずれも心の自由をしばる枷です。ひとは、市民的尊敬をまったく罪がなくて失うことは、ほとんどないのです。神は、以前の敵と和解させ、親密な関係を結ばせて、イザヤ書六十の十四「あなたを苦しめた者の子らは あなたのもとに来て、身をかがめ あなたを卑しめた者も皆 あなたのあしもとにひれ伏し 主の都、イスラエルの聖なる神のシオンと あなたを呼ぶ。」ということもあるのです。あなたが、キリスト教を受け容れようとするのであれば、まず耐え忍ぶということが出来なくてはなりません。自分の方では一向尊敬していない相手からさえ自分に対する尊敬を求めるような、あまりにも神経過敏なキリスト教信者は、世間なり世間の評判なりにまだまだ無関心になりきっていない証拠です。
(つづく)
山桝忠恕先生のイギリス滞在記 「東も東… 2024.09.22
「幸福論」(ヒルティ)(第二部)(46… 2024.09.22
内村鑑三「一日一生」より 神の命令 2024.09.22