5月21日(火)
近藤芳美「土屋文明」より(74)
岩波書店近藤芳美集第七巻「土屋文明 … 鑑賞篇」よりの転載です。
第八歌集『山下水(やましたみず)』より(6)
にんじんは明日蒔けばよし帰らむよ東一華(あづまいちげ)の花も閉ざしぬ
(昭和二十一年)
山に来て拓いた畑は彼は野菜の種をまいている。にんじんの種だけが今日はまきおくれた。さあ、にんじんは明日蒔くことにして帰ろう。日も昏れ、峡の流れの上には夕霧もただよい始めた。草のまに可憐に咲いていたあづまいちげも、いつか一日の花を閉ざしてしまった。
東一華はうらべにいちげともいい、キンポウゲ科の山地の植物。淡白色の花を夏咲かせる。ひとり呟いているような自然な発想の中に、作者の孤独な生活と感情とがおのずから語り出されている作品である。
「甘草も未だ飽かぬに挙(こぞ)り立つ浅葱(あさつき)の萌えいづれを食はむ」「浅葱の群がる萌に手を触れて春ぞ来にける春ぞかへれる」「折りて来て一夜おきたる房桜うづたかきまで花粉こぼしぬ」「刈りてゆく鎌に触れつつかをる木も茨も惜しも今芽ぶきの時」などの作品が相つづく。作者は今は山中の一農夫である。
彼の岸に旗なびくメーデーの行進も釣橋よりは渡ることなく
(昭和二十一年)
疎開地の村々にもメーデーが行われる。敗戦の翌年である。赤旗をなびかせながら対岸を歩むその一団も、はるかに見えている釣橋を渡って、自分のいる山の方にはやって来ない。貧しい峡の村の、貧しい村民たちのメーデーなのであろう。はじめて許された自由に、彼らはとまどいながら赤旗を立てて集っているのだろうか。そうした時代ともかけ離れた自分の生活である、と、土屋文明は歌おうとしている。「この者もかく言ふ術を知れりしか」とか、あるいは「怒りわく夜には来り腰おろす草こそしたし土こそしたし」などといった、そのころの作品にひそかに共通する憤りと孤独感が、この作品にも流れている事がいえよう。
「青き谷」と題した作品。「青き谷の上にいつしか月はあり光をもちて黄昏ながし」「鳥が哭(ね)のつひの一声しづまるにこぞる下谷の蛙等のこゑ」などの歌が、一人の世界を守るように歌われつづけている。
(つづく)
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