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写真展のブログのトップに以下の一文を入れました。だんだん、夢が形になっているような気がします。 * ** ** ** * ** ** * ** ** * ** ** ** * ** ** * ** ** * ** ** ** * ** ** * ** **リベリアにひらけ!ビーズの花西アフリカのこと・リベリアのことをいつまでも覚えていて欲しい。そんな思いから、写真展会場でアフリカンビーズを使った作品を販売することを企画しました。この企画に協力して下さる方々が、今、日本各地にいらっしゃいます。アフリカンビーズに関して、ブログへアップしてくださった方をご紹介します。viviさんの製作途中経過輝々さんへ送ったアフリカンビーズ * ** ** ** * ** ** * ** ** * ** ** ** * ** ** * ** ** * ** ** ** * ** ** * ** **こうしてひとつ、ひとつ重ねていくプロセス全てが、リベリアへつながるような気がしています。心から皆さんに感謝しています。
2005/10/31
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寒くなると、動物は冬ごもりのために体重を増やすって、本当ですか?私の体重増加は、冬ごもりのためですか?。・゜(*つд<*)゜・。 ホットヨガで思いっきり汗をかいたのに、体重が増えている。おまけに、ホットヨガの帰りは寒くて寒くて、めちゃくちゃつらいっす。((((( ̄_ ̄;)サササササッ体脂肪も体重も、ここに書けません。最近いやにスカートがきついと思っていたのです。(//ー_ー//)ゞポリポリ原因のひとつはわかっているのです・・・・ 真夜中の間食 真夜中の間食 真夜中の間食
2005/10/31
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子ども達がネットの味を知ってしまいました。始まりは、のまネコのフラッシュです。もう、ここでは紹介できないようなめちゃくちゃなフラッシュを自分たちで見つけて、大喜びしています。「モナーが」「2ちゃんねるが」なんて、「何でそんな言葉知ってるんだ」っていうような単語まで飛び出す始末。定額でネットにつながるパソコンは一台しかないので、私は子どもがネットを使い終わった10時以降、やっと自分の時間がまわってきます。で、こうして日付が変わったころ、日記を書いているわけです。皆さん、夜中3時になると楽天は「整備のため」回線が使えなくなるのご存知ですか?毎晩ではないかも知れませんが、ほとんど毎日です。4時近くまで、楽天広場は使えなくなります。そこで寝れば良いものを、私はまだネットサーフィンをして、5時近くまで起きていたりするのです。で、ガスの火を消し忘れたり、朝か夕方かわからなくなっているのです。 ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ・・写真展に向けて、たくさんの方にアフリカンビーズを使った小物を、ボランティアで作成していただいています。今日は、自分でも作りました。こちらにアップしていますので、見てやってください。珍しい、骨のビーズを使ってみました。
2005/10/30
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青年海外協力隊は今年40周年を迎えました。今日、明日と催し物が行なわれます。今日は東京で記念式典が開かれました。本当は夫婦そろって子どもも連れて、参加しようと思っていたのですが、小学校の文化祭とぶつかってしまいました。仕方なく、夫だけの参加となりました。ところで、夫の任期は12月までだったのですが、情勢不安のためコートジボワールから9月に帰国しました。式典参加の注意書きを読むと、参加者は正装、自分が派遣された国の民族衣装でも良い。更衣室を準備している、しかし、参加者が多いのでできれば民族衣装を着たまま来て欲しい。会場には、駐車場はないので、電車など公共の交通機関を使うこと。って、アフリカや南米の民族衣装を着て東京のど真ん中を歩けるのでしょうか?参加した夫に聞くと、民族衣装の人もちらほら居たそうです。式典会場には、アフリカや南米などの民芸品の展示や販売が行なわれていたそうです。ああ、大好きなアフリカ土産を見たかったな。でも、行っていたらお店に釘付けになって動かなくなるかも。子ども達は、そんな私の気持ちを見抜いていて、夫に「お母さんを連れて行かなくて良かったね。」なんて言っていましたよ。
2005/10/29
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見てください。「線を引く」って、難しいじゃあ~りませんか。成功玉ありません。次週、更なる特訓です。ところで、今日、トンボ玉を作りながら、ふと、「あれっ、ガス消してきたかしら?」と心配になりました。麦茶を沸かしたままかもしれない・・・・写真の青い玉をちゃっちゃと仕上げ、家まで戻りました。あらっ、やっぱりガスが開いたまま。お茶が溢れたのか、火は立ち消えしていました。ガスは自動で止まったようです。トンボ玉燃やしても、家焼くな。です。昨日の寝坊といい、ちょっとやばい最近の私。
2005/10/28
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「もう、6時15分前だよ」娘が私を起こしに来ました。いつも娘は6時半ごろに、私が起こしているのに、今日はずいぶん早起きだね、と思いつつ。「まだ、早いよ。いつも、6時に起きているから、もうちょっと寝るよ」と私。横を見ると、息子ももう起きている。「みんな早起きだねえ、今日は。」と、私。「違うよ、お母さん、5時に起きるって言ったのに、晩ご飯どうするの?」「へっ!!!???」夕方、あまりにも眠いので「ちょっと、寝てくる」と言った私は、そのまま熟睡。起こされても、朝なのか、夕方なのかさえ分からなかった、というおバカな昨夕の話しです。
2005/10/28
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普天間移設 「いまだに沖縄は植民地」怒りや戸惑いの住民在沖縄米軍基地の整理・縮小を求めるうねりへとつながった米兵による少女暴行事件から10年。沖縄県民悲願の普天間飛行場(宜野湾市)移設の結論はやはり「県内移設」だった。戦後60年。政治にほんろうされ続けた沖縄が「千載一遇の好機」(稲嶺恵一知事)と期待した在日米軍再編協議は「基地の固定化」を意味する結論をもたらした。(毎日新聞) - 10月27日以上、ニースからのコピーでした。私がここに書きたかったのは、テレビを見ていて感じたことです。それは、このニュースに関連して、インタビューを受ける沖縄の人たちがとてもきれいな言葉(標準語?)を使っている、ということです。最近、こんな本を読みました。ねじれた絆このブログで概略が説明されていました。→こちら昭和46年に沖縄で実際にあった、新生児取り違え事件の話です。取り違えられた子どもの親は、子どもが6歳の時に真実を知ります。この本の中で、沖縄がアメリカから返還されるのを受けて、沖縄の方言を本土と同じような言葉に矯正しようとする動きが紹介されていました。私は、「琉球」という名前を「沖縄」にするにあたって、多くの人が反対したニュースがあったのも子ども心に覚えています。日記「私の反戦」にも書きましたが、灰谷健次郎の太陽の子や、野坂昭如の火垂るの墓など、これらを読むたびに、戦争はまだ終わっていない、私たちの近くにあるんだ、という気になります。(正確には、「火垂るの墓」は悲しすぎて読めません。でも、「アメリカひじき」や「死児を育てる」は読みました。きつかったです。)
2005/10/27
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少年兵という言葉を聞いたことはありますか?私のサイトでは、ときに出てくる言葉です。今、コートジボワール情勢が悪くなりつつあります。昨年、我が家は11月4日から始まった内乱のために、日本まで緊急退避しました。そのときの様子は、ここにまとめています。→EVACUATION ~退避~もうすぐ、11月4日が来ます。去年の内乱では、フランス軍兵士が殺され、コートジボワール人もたくさん死んでいます。また、一般のフランス人や、巻き添えを食った形で、ヨーロッパ人が大変な目にあっています。政府軍、反政府軍、祖国を愛する若者の団体。いろいろな組織が、入り乱れています。今週から、来週にかけて、コートジボワールは緊張が高まります。何が起こるかわかりません。戦争?クーデター?もちろん、何も起こらないかも知れない。しかし、人々のストレスはマックスでしょう。アラーの神にもいわれはないコートジボワールの軍隊は、まったく頼りにならないそうです。統率も取れていないし、銃器の使い方もわかっていない。それは、それで良いのです。今まで、コートジボワールは「平和ボケ」していたのです。それだけ、平和だったのです。アフリカの、優等生だったのですから。人々が恐れているのは、リベリアからの民兵、傭兵です。つまり、少年兵などです。リベリアの少年兵は、恐れることなく引き金を引くかもしれない。手当たりしだい打つかもしれない。本当かどうかは、わかりません。しかし、彼らはずる賢い大人たちの手によって、麻薬中毒になっているとききます。鉛中毒にされていると聞いたこともあります。善悪の判断、恐怖心が麻痺しているのです。1889年から14年間続いたリベリアの内戦。今、少年兵として使われている子ども達は、生まれた時から戦争しか知らないのです。まともな教育を受けたことがありません。武器を下ろして、職につくようにリハビリが行なわれています。しかし、社会復帰までの道は遠い。ずる賢い大人は、ここでも少年兵を使うのでしょうか?彼らを、今から戦いが始まるコートジボワールへ連れて行くのでしょうか?また、銃を持たせるのでしょうか?
2005/10/26
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最近、ホットヨガは大変な人気のようですね。先日も、テレビで紹介していました。また、OLが始めたいお稽古事のトップは「ヨガ」だそうです。もう、はじめてるも~ん、と喜ぶじょじょでした。毎回行くたびに、参加者が増えています。私が通っているホットヨガの、一回の教室の定員は22名ということ。しかし、22名入ったら窮屈です。手がぶつかってしまいます。熱気が増して、その点は良いかもしれないけど。私が行っている教室は、普通のクラスの中に体験コースの人も入って一緒にヨガをします。私も、体験で行った時にはそうでした。この体験の人が毎回順調に増えています。昨日私は、教室が始まって3分ほど遅刻しました。すると、もう空いているマットレスがなかったのです。インストラクターが、床の隙間にマットレスを敷いてくれました。隣の人と手がぶつかるし、周囲を鏡に囲まれているので、どこを見ても人の顔があるし、こういう状況って結構ストレスです。「もっと、自然の中で雄大な気持ちでやりたい!」なんて思いつつ、ヨガなら可能でしょうが、ホットヨガは無理ですね。ヨガが終わるとシャワーです。シャワーは8部屋ほどあります。やはり参加者の数に対しては少ない。「シャワーではシャンプーをしないでください」という張り紙があります。理由はわからないのですが、順番を待っている人がいるからでしょうか?でも、あれほど汗をかいたまま、シャンプーをしないと言うのは、これもまたストレスです。ひとまず、お湯でしっかり汗を流しますが。他のホットヨガスタジオでは、シャワールームがもっと少ないと聞いたこともあるので、ましなほうでしょうか?
2005/10/25
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9月11日に書きました、ホワイトバンドのことが、ニュースになっていました。<ホワイトバンド>趣旨説明不足で購入者から批判 以下、ニュースからの引用です。 世界的な貧困根絶キャンペーンに合わせて国内で300万個販売された腕輪「ホワイトバンド」に対し、購入者から批判が出ている。「売り上げの一部は貧困をなくすための活動資金となる」との触れ込みだったが、食料などを送るわけではなく、細かな使途も決まっていないため。事務局は「ホワイトバンドは『貧困をなくす政策をみんなで選択する』意思表示が狙い。分かりにくかったかもしれない」と説明し、店頭で、募金活動ではないことを強調する表示を始めた。(毎日新聞)全てを納得した上で、ホワイトバンドを買ったり身に付けている人もいると思います。しかし、このようなニュースを見て、「寄付じゃなかったのか!」と嫌な思いをする人もいると思います。そこで、「じゃあ、もうホワイトバンドはいらない」「だまされた」ってなるとさみしいですね。本来300円のものが、手に入りにくいからと、ネットオークションで高価になったということも聞いたことがあります。それでは、ファッションでしかありませんね。一時的な流行。熱しやすく冷めやすい、日本人の弱いところかもしれません。それを、いつまでも忘れないように、白いものを身に付けて、それを見るたびにアフリカやそのほかの国の人の事を思い出して欲しい。それが、ホワイトバンドが始まった理由だと思います。何百年もかかって、複雑にこじれたアフリカの民族闘争。宗教の問題が絡めば、起源はいつのことになるやら。おまけに、バックにはアメリカやフランスや、最近では中国なんて大国がついて、問題をますますややこしくしているんだから。そんな、一時的な流行で、アフリカがどうにかなるなんてこと、期待するほうがよほど考え甘いです。最後、投げやり?ごめんなさい。アフリカを理解するきっかけにしたい、というホワイトバンド本来の目的を見失いで欲しいな、って思ったのです。
2005/10/24
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今日のことでも書き残しておきましょう、さて、テーマは何にしようかな?と、テーマ一覧を、見てびっくり。テーマ一覧の上にある7つのテーマの、カッコの中の数がみんな一緒。たぶん、このカッコの中の数はそのテーマを使った書き込みの数。 ビジネス・起業に関すること。 (65535) 今日のこと★☆ (65535) 今日の出来事 (65535) ★つ・ぶ・や・き★ (65535) 暮らしを楽しむ (65535) 妊婦さん集まれ~!! (65535) 0歳児のママ集まれ~ (65535) 「今日のこと」と「今日の出来事」がともに同じ数というのも驚きました。今まで気がつかなかったけど、こんなことは良くあることなのかしら?これで、今日の出来事は終わりにします。おやすみなさい。
2005/10/23
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青年海外協力隊は、今年40周年になります。私が派遣されたころは、20周年を過ぎたころですね。私が派遣された直後から、「隊員倍増計画」が始まりました。また、男女雇用機会均等法が施行され女性隊員がどんどん増えてきたころです。そんな18年前の日記です。今日から7月です。気分も新たに楽しく過ごしましょう。昨日は、△△さん宅で、肉じゃがとスパゲティスープ。タイプライターで遊んじゃった。夜10時帰宅、☆☆さんに送ってもらって。電気があったから、シナモンクッキーを作っちゃった。40分で出来上がり。バケツシャワーのあと、ベッドへ。11:00。なんか、興奮して眠れず。明日からまた仕事。小人閑居して悪癖をなす。忙しい中へ自分を置いてみよう。仕事の忙しさじゃなくて、プライベートの忙しさ。そしたら、きっと時間のたつのがもったいなくなるだろう。時間に追われるのではなく、時間を追う。その上、さらに時間を待つのではなく、時間を使う。これですよ、今月の目標ね。"プライベートタイムを楽しく過ごそう"長くこのリベリアの「思い出日記」にお付き合いしてくださっている方には、私の変化を感じていただけるかもしれませんね。自分でも日記を見ていて、文字まで違うのです。明るい。力強い。あの、日本へ帰りたい、いじけ虫のじょじょは少し息をひそめています。リベリアに着任して3ヵ月が過ぎ、かなり落ち着いてきたと思います。こうして成長できたのは、同じ田舎に住んでいた日本人隊員のバックアップのおかげだったなって、いまさらながらに感じられます。彼らには、今後も会う機会があります。次に会ったときには、思いっきり「ありがとう」って言わなくちゃ。
2005/10/22
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本当は動物が大好きです。HPの自己紹介の「職歴」にも、ペットショップのバイトや、動物園の飼育係になりたかったことを書いています。しかし、ここ10年ほど、自分の子育てや「助産婦として子ども虐待をどのように防止できるか」などを考えているので、動物のことまで頭が回っていませんでいた。でも、実験動物の問題も理解しているし、お化粧をしない理由のひとつになっています。ここへリンクしてくださっている、シュナさんの日記に動物虐待の記事がありました。毛皮を取るために、生きたまま皮をはぐという内容のようです。写真もたくさんあるようですが、恐くて見ることができませんでした。また、オレンジリボン運動などを積極的にされている、姫子さんも動物レスキューをなさっています。「動物は好き」と言いながら、私はシュナさんや姫子さんのように、道端にぼろきれのように倒れている犬やネコを助ける勇気はありません。その素晴しい力にただ感謝するだけです。ところで、皆さんは「児童虐待防止法」って聞いたことがありますか?その名のとおりの法律ですが。「動物虐待防止法」というものもあります。さて、これらの法律、どちらが先に制定されたと思いますか???答えはここにあります。 ↓動物虐待防止法と児童虐待防止法100年ほど昔には、「子どもを救う法律」がなかったのです!!虐待されている少女を救うために、「動物虐待防止法」を適応したのです。考えられますか?私は、子ども虐待防止を自分なりに勉強している時、その事実を知り愕然としました。また、このようなサイトがありました。 ↓児童虐待と動物虐待の類似性と共通性子どもを虐待している家庭は、動物も虐待している可能性が高い、ということらしいです。最後に、このサイトをぜひご紹介したいです。 ↓STOP!犬猫「里親」 里親・里子を人間以外に使わないで!ネットで「里親」と検索すると、山のように「犬・ネコの引き取り手」を探すサイトが出てきます。果ては、山、公園、道の里親もあります。人間と動物を、どちらがえらいとか、崇高だとか決めているのではありません。ただ、親からの愛情に恵まれなかった子ども達の里親を探す活動と、そのほかのものを混同しないで欲しいというサイトです。私のネット経験は、「がんばれ!養護施設出身者」から始まりました。そのため、養護施設や里親に関しては、ちょっと深い思いがあります。動物愛護から、ずいぶん話しが広がってしまいました。長い文章、読んでくださって、ありがとうございます。
2005/10/20
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yahooのメールを使っています。最近迷惑メールが増えています。yahooメールの受信箱は、アドレスによって普通のメールと迷惑メールを分けてくれます。感謝( ̄人 ̄)感謝普通のメールが2件、迷惑メールが20件なんてこともあります。迷惑メールは「まとめて」削除できます。ブログのアダルトトラバと同様、ちくちく削除していくしか対策はないのでしょうね。。。。ふぅ・・・ε=(´。` )
2005/10/20
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体脂肪、減らないのはなぜでしょう?そもそも、体脂肪と言うものは、それほど簡単には減らないものなのでしょうか?前回報告したのは、29.7%→29.0%でした。実はその後、また29.2%になり、今日は29.7%なのです。イイモン( ̄^ ̄)泣イテヤルゥ(ノへ≦、)グスン明るい話といえば、体重が1キロほど少なくなったのですが、それくらい、一度ドカ食いすれば一巻の終わりだし。ふぅ・・・ε=(´。` )体脂肪って、どうすれば減るの????
2005/10/19
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写真展中心のブログに、リベリアで世話になったディアナのことを書きました。夢に出てきたのです。彼女の写真もアップしました。写真展、きっと前進させなくちゃ、と思った今朝のじょじょです。と言いながら、今日はホットヨガです。行ってきま~す。
2005/10/19
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今日の私は、ただガスを無駄に使って、地球の空気を汚した悪者です。 本気で、アップしたくないですが、次はがんばるぞと言うつもりでアップします。 ε=ε=(((((((*ノノ)イヤ~ン ハズカシダッシュ!今日の教室は、点打ちを目打ちで引っかいてハートやクローバーを作りました。黄色の玉目打ちで引っかくのが下手。地玉を変形させてしまいました。淡い緑の玉配色がもうひとつ。おまけに徐冷剤へ入れるのが早すぎ、徐冷剤が付き、少し変形しています。赤の玉配色、めちゃくちゃ。 ε-( ̄ヘ ̄)┌ ダミダコリャ・・ああ~~こんなダメな私。ぶって、ぶって。 壁|..;)イジイジ
2005/10/18
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ジョニーに始めて会ったのは、もう2ヵ月くらい前のこと。それから同じ場所を何度探したけど、会えなかった。そして今日、やっと会えたジョニー。そのもっちりした口当たり。濃い味わい。私は貴方のトリコ。ジョニーを作っている会社<三和豆友食品> のサイトは不思議なワールドです。特に、「商品ラインナップ」と「テーマソング」はぜひ押さえていただきたいです。ちょっと楽しめますよ。
2005/10/17
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写真展開催の企画書を作りながら、自分はやはりリベリアに思い入れが強いんだなあって、改めて感じています。多感な二十代を過ごした国。良い意味でも、悪い意味でもいろんなことを学んだ。子どものころから、忘れていた感情を、ひとつひとつ思い出した。そんな国なんだなあ、私にとってリベリアは。18年前の日記です。30日今日で6月も終わり。うれしいことだ。昨日は昼まで電気が来て、その間サツマイモだのトウモロコシだのトーストだの、太るものばっかり食べてた。体重が恐い。なぜか、3:00pm~6:00pmにも電気が来たけど、それで終わり。サウスタウンのMrs.ロビン(ディアナの友人、アメリカ人ボランティア)が来た。「affiliation(注:下記参照)のために、サウスタウンまで学生を連れて行ったが、途中の橋が壊れていた。」「これから、学生をサウスタウンへ出す時は、学生を町まで連れて行かなくてはならない(橋のところへ置き去りにしてはいけない)と、学校のドライバーに伝えるよう」に言われた。で、私はMr.ウイヤー(リベリア人校長)宅へ行ったが、留守。Mrs.デスワ(リベリア人教師)留守。あげく、アリス(学生→次にaffiliationへ出る学生)のところへ行ったら、ちょうどMr.スワ(ドライバー)にあって、万歳。(注:村中を歩き回りました。しんど)でも、3日ほど前にキャロラインにみんなの家を教えてもらっていて良かった。フリーシア(メイドさん)はマラリアだって、エスター(15歳くらいのフリーシアの娘)が来た。おちゃわん洗いを一緒にした。夕方、15~18歳くらいの男の子三人が何か言いに来て、よく聞くとコンドームくれ、だって。笑っちゃう。でも、驚いた。(注:コンドームは手元に持っていなかった。今の私なら、笑わずに渡したと思います)今、秘書を監視しつつ書いています。今日は仕事の日なのに、デスワもウイヤーもサボってやんの。わる~~。休暇で、ディアナがいないものだから、みんな怠けはじめました。フリーシアのマラリアも怪しいかも。「affiliation」リベリアの助産婦教育では、卒業までに50例の分娩を介助することが義務付けられています。私たちが実習施設として使用している病院だけでは、必要な分娩件数を得ることができません。学生達が分娩介助を主な目的として、地方のクリニック3ヵ所を4週間ごとローテーションすること。
2005/10/17
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先日作った玉に、紐をつけました。かわいいと噂の、赤地に黄色の花です。大切な友人にあげようと、紐結びに挑戦。吉祥結びというそうです。とてもシンプルな結び方で、高校生のころよく作っていたのですが、すっかり忘れていました。その友人宅にアジアンノットの本があったので、黙々と研究して「習得」しました。皮ひもなので、大きいノットになりました。華やかで良い、ということで。もう、忘れないように、時々作らなくては。でも、これ、何に使えるかしら?どこかにぶら下げてもらうかな?
2005/10/16
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ここ2,3日写真展関係でパソコンから離れがたい日々が続きました。で、寝不足のまま今日のトンボ玉教室へ。眠かった~~。ゴーー シューー とガスとエアの音。今まで、ガスの音がこんなに単調なものだと気付きませんでした。顔ばかり温かい。ガスの火にかなり近づいているのに、熱いと感じない。手先だけくるくる動かしている。とろんとした目で作った今日の玉です。 最後まで集中力が続かないのですね。花芯のボタリとした点打ち。気持ちとしては小さな点を、プチッとつけたいのに、ドボッととついてしまった。花の中心から外れているし。ああ、情けなや。赤に黄色い花は、かわいいですね。ピンクの花もかわいい。下手でも色合いでカバーって感じですよ。次はもっと体調を整えて、もっともっと良いのを作るぞ!
2005/10/14
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写真展など話題が広がりましたが、リベリアの協力隊時代の昔の日記は続けたいと思います。今までの概要です。私が協力隊隊員として配置された助産婦学校のプロジェクトリーダーのディアナさんが、2ヵ月の休暇に入りました。今まで、反発しながらも、心の中ではディアナさんに頼っていた私は、彼女の休暇を前に気持ちが弱っていました。その弱った中で「人は一人では生きていけないかも」と言う気持ちが芽生えてきました。当然ながら、私はいつも心の中で「人は一人一人、孤独なものなんだ」なんて「ニヒル」に考えていたのです。「ニヒル」って、死語?「人って何?」「人と共に生きるって何?」子どものころから感情を少し捨ててきてしまった私は、ここでひとつ感情を見つけたのでした。泣くだけ泣いて、学生に多少とも向き合えるようになったころの日記です。では、18年前に、どうぞ。27日今日は休み。なんとも言えずのんびりした気分。朝起きてフリーシア(メイドさん)と一緒に市部へ行って、スネル(アフリカカタツムリ)に挑戦しようと思う。(食べるのです!)フリーシアの親戚が、明日結婚式で、彼女ケーキを私の家で作って、すごく甘くて、お昼ご飯が食べられなくなった。今、学校秘書がターミノロジー(専門用語をまとめたもの)のコピーを製本している。それを監視しならがこれを書いている。(注:日記に「監視」と私は書いています)昼間、電気があったからシャワー浴びて、ポーチに籐の椅子を出してすわったら涼しくてうとうとした。今日、クリニック(乳幼児健診)ピンセットが盗まれる。生徒が、家の外に置いて私は気付かず、一夜外に置いていたから。全部、盗まれなくてラッキーですよ。助産婦学校には、いろんな器械がありました。それらは、学生の管理下に置かれていました。将来、学生が助産婦になったとき、自分の器械を管理しなくてはならないので、その学習の意味があります。しかしこの日、クリニックが終わったあと、私へ直接渡さず、家の前においてしまったらしいのです。そのため、ピンセットを盗まれてしまった。リベリアでは、盗難は日常茶飯事でした。壊れてもそのまま。なくなっても探さない。こうして、物の管理ができず、使いたいときには何もないとなってしまうのです。秘書を監視、と言うのも無礼な書き方ですが、本当に見張っているのです。物を盗まないか。仕事をきちんとしているか。どこかで手を抜かないか。客観的に見れば、リベリア人に対して「信じていないのか」と言われるかも知れません。しかし、信じることはできないのです。彼らは、壊れても自分の責任ではないと言うでしょう。使い方もめちゃくちゃ、力任せです。そこにあるものは、自分の家に勝手に持って帰っていいと思っているかもしれないのです。悲しいかな、これが私の知っている多くのリベリア人の姿であり、彼らの生活なのです。
2005/10/13
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高橋さんの写真展を開きたい。その思いは日に日に高まっています。実は、ギャラリーを借りることになりました。開催は来年1月5日から、9日までです。詳細は、今後アップしていきますね。高橋さんのことをアップしたご縁で、素敵な書道家(カリグラファー)の方とお知り合いになることができました。そして、私の名前の一字をとった作品をいただきました。こんな素敵な字が似合う、素敵な人間になりたいなと思いました。kiyoさん、ありがとうございました。昨年行なわれた、写真展の詳細はこちらをご覧ください。高橋さんとじょじょの出会いはこちらをご覧ください。写真展中心のブログを作りました。写真展ぷれぜんとbyじょじょよろしくお願いします。
2005/10/12
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腕に汗が浮き出る。粒のような汗。体を動かすとしたたりおちる汗。肩を、背中を、汗が流れていくのがわかる。体がいつもより柔らかくなる。もっと、ぎゅっと絞りたい。思いっきり体をひねってみる。あと、一呼吸、吐きながら、体をひねる。気持ち良い~!終わったあと、冷たいシャワーに入る。いつまでも汗が引かない。体の芯が熱い。遠慮なく燃えてくれ、体脂肪!
2005/10/12
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耳から離れません。♪マイヤヒー♪マイヤフー♪マイヤハーハー皆さんご存知でしょうが、息抜きにひとまずここを見てください。 ↓ 恋のマイヤヒ フラッシュ他にもいっぱいあります。 ↓ いろいろしかし、著作権の関係か、閉鎖されているサイトもたくさんあります。のまネコのキャラクターに関しては、2ちゃんねるとエイベックスの間で問題がありましたね。まだ問題は解決していないようですが。エイベックスのまねこ問題まとめサイトのまねこ総合ホームページついでにこれも楽しいです。 ↓ もすかうネットから発信されたキャラクターから大きな経済効果が現れるのですから、企業もネットから目が離せないでしょうね。
2005/10/10
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二日ほど前に作った玉です。他に書きたいことがあったので、今日まで順番待ちでした。やっとご紹介できます。見てやってください。(*'v'*)テレテレ点を打ちながら「目指せ!サイクスさん!」と、ずっと思っていました。「丁寧に、丁寧に」と呪文のように唱えて作りましたが、もちろん足元にも及びません。さらに、点打ちの円(←円じゃないし!)の大きさがみんな同じで、もっと大小をつけたほうが良かったです。3時間の教室では、冷却時間も考えて、3個作るのが精一杯でした。これが、今のじょじょの「秋色」です。
2005/10/10
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帰国まであと10日ほど。こんな最後になるとは誰も想像していなかったでしょう。心からご冥福を祈ります。そして、今も生き埋めになっている人たちが、少しでも早く救出されますように。パキスタンで地震、2千人以上死亡…日本人父子もパキスタン北部で8日午前8時50分(日本時間同日午後0時50分)ごろ、マグニチュード(M)7・6の強い地震があり、パキスタン当局などによると、同国カシミール地方、インド北部、アフガニスタンを中心とする広い地域で2000人以上の死亡が確認された。 国際協力機構(JICA)などによると、この地震で、JICAパキスタン事務所の楢原覚(さとる)さん(36)と、長男の輝(ひかる)ちゃん(2)が死亡し、楢原さんの妻ひろみさん(34)が左足骨折の重傷を負った。楢原さんは福岡市出身。都市廃棄物対策の専門家で、2003年10月20日から今月19日までの予定でパキスタンの環境保護庁に派遣されていた。(読売新聞) - 10月9日テレビで崩れ去ったマンションが映し出されていました。その上まだ、多くの人が生き埋めになっていると。パキスタン・・・さっと検索するだけでも、「インド・パキスタンの核実験実施」 「カシミール問題」「印パ戦争」など、この国の危機を知ることができました。加えてこの地震、人びとの苦しみはいかばかりか、思い測ることすらできません。青年海外協力隊に参加した私。ひとつ、強く思うことがあります。「生きて帰ってこそ、国際協力」協力隊や、JICAの専門家が派遣されるのは、治安・保健など日本に比較すれば整っていない国が多くあります。そこで事故や病気になったり、強盗被害に会うこともありえます。この地震でなくなった方は、まったくの不可抗力でしょう。この方に何の非もないでしょう。しかし、協力隊員で、抗マラリア薬を確実に服用していなかったために、重篤なマラリヤに罹患したケースや、許可を受けずに車やオートバイに乗って事故を起こしたケースがあります。それは自己管理ができていないことです。そのために、もし命をなくすことがあったら、どれほど無念なことか。志半ばに、病気や怪我で道を中断しなければならなくなる。受け入れた国にしても、送り出した国も元気に仕事をして、元気に帰ってくることを期待しているでしょう。もう一度言います。今回のケースは、地震で亡くなった方はまったくの不幸でしかない。何の非もない。でも、そのほか、多くの協力隊やさまざまなボランティアで海外に出て行く人たち。死んではいけない。できれば、怪我も病気もしないように自己管理して欲しい。生きて帰ってこそ、国際協力。活動した国の状況を、日本国内の人々に伝えるためにも、生きて帰国しなければならない。協力隊活動というのは、その国にいる期間だけが活動ではなく、日本へ帰国してからもずっと続くものだと思います。
2005/10/09
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協力隊時代の古い日記、読んでくださってありがとうございます。これからアップする日記は、昨日の日記の続きなのですが、雰囲気がまったく違います。自分でも、なにがあったのか?と思うほどです。おそらく、何かが吹っ切れたのです。もう、そのときの気持ちがわからないので残念ですが。そんな、18年前の日記です。25日めでたく8分の1をぶっちぎりました。昨夕、4:30病院着。14歳のあのひたすら疲れるお産は、お昼に何とか生まれたそうな。そのほかは何もないし、すぐ帰ろうと思っていたけど(注:夜間実習は、産婦さんがいない場合、早めに帰宅してもよい)ぐずぐずしているうちに8時になって、9時になって。10時になって、さあ帰ろうと思ったら、クロロキン(抗マラリア薬)8錠飲んだという昏睡の人が来て。水飲ませて吐かせているうちに、10:40産婦が来て、4回目のお産の人。11:20生まれた。キャロライン(学生)がのんびりしているから、イラツイてしまった。"how is enema?"(浣腸するか?)なんて聞いて来るんだもん、バカ!(注:お産の初めには浣腸をすることがある。それが刺激になって、お産が早く進む。この場合、たったの30分ほどで生まれたのだから、浣腸どころではない!→助産婦として、基礎中の基礎。)まあ、昨日あんな時間かかる分娩見たから、仕方ないけど、昨日の産婦さんは初めてのお産だもんね。で、夜中2時、帰宅。●●さんと☆☆さんが作ったカレーパーティ(ディアナが休暇をとりアメリカへ戻る&お誕生日が近いので)には参加できず。でも、分娩もあって、Good babyで文句なし。26日朝7時半に起きたら、ディアナは出かけた後だった。う~~残念。でも、2ヵ月会えないだけのこと。気にすることないかもね。さあ、一人で羽を伸ばせるようがんばってみよう。(と、すでに意気込んでいるね)2か月分のスケジュールを見た。どきどきしてしまう。う~~どうなることやら。手を抜け気を抜け頭を抜け!細かいことにブチブチ言わない。この助産婦学校のプロジェクトリーダーで、助産婦でもあるアメリカ人のディアナ。彼女は二年に一度、2ヶ月間アメリカへ休暇に戻ります。その日が来ました。それは、私に大変なプレッシャーを与えていました。何があっても、自分で対処しなければならない。私の中には、まだ、○○さんへの対抗意識が残っていたのかもしれません。「やればできるわね」と認めてもらいたい。その思いが強いばかりに、ディアナが不在になることが逆に不安でたまらなかったのかもしれません。しかし、落ち込むところまで落ち込んだ私は、「手を抜く」ことで結論を見出しました。「できないものはできない」「○○さんのようには、できるはずがない」それは、逃げ腰ながら、当時の私の最大限の解決策だったのでしょう。明るい雰囲気の日記になった理由は、割り切ることができたからでしょうか。
2005/10/08
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今から書く、18年前の日記は、ひとつの区切りになるかも知れません。長くなりますが、どうか、最後まで読んで欲しいと願います。ありがとうございます。24日なんと言えばいいのか。今のこの気持ち。人が人と生きてゆくことが 複雑で 複雑で。私がここにいることが もっと簡単なような もっと何か違う意味があるような。ひとつ分かることは みんなそれぞれに いろんな背景を持って その中で、その人なりに一生懸命 時には なまけながら 悩みながら その人の人生を生きている ということ。その人の人生は その人のものだけど その人だけでできているんじゃなくて いろんな人と関わり合い 助け合い 苦しめあって。ああ 「人」という字は 本当に支えあって あるいはもたれかかりあって 在るんだなあ と 思う。この世に 私ひとりなら ずいぶん楽だろう。だけど 「私」は存在しても「人」としての私は どうなっているんだろう。どうして こう 悩み苦しみ 涙を流すことがあるんだろう。どうして 人は 笑い楽しんでばかりじゃないんだろう。人をはげますって 何?私は弱い人間です。支えをもらわなきゃ 生きてゆけない。私は人の支えになれるんだろうか?人をはげますって 何?昨日 4:00pmから 今朝8:00amまでつきあった産婦さん。14歳。初めてのお産。私は 彼女を支えたのだろうか。あの人と私は 人と人だったのだろか。私は彼女をつきはなした。言うことをきかないから。おびえていたから。人と人として。もう リベリア人だから 日本人だからじゃないの。ただ言葉が通じないことが問題じゃない。日本でだって つきはなした産婦さんは居た。人をいつか つきはなす私。そんな自分を悪いとは思わない。人と人の 葛藤は あるものだから。私が どう対応するか それは 誰にも 責められない。ディアナが、アメリカへ行く。それは、どんな可能性を、私に与えるんだろう。フリーシアのこと、ジョージのこと、鍵のこと。(家の管理に関すること)ひとりで抱えきれるだろうか?神経をすり減らさず、のんびりやってゆけるだろうか?学校のこと、病院のこと、責任は生命にかかっている。それは大きい。Mr.ウイアーに聞こう。Mrs.デスワに聞こう。Mrs.ヤンリに聞こう。(リベリア人スタッフ)ディアナは言う、ひとりで部屋で泣いていてはダメだ、と。そして、今、ひとりで、部屋で泣いている。この田舎に居る日本人の仲間たち。私をはげましてくれる人。でも あまり弱いところを見せては みんなでも支えきれないだろう。みんな それぞれに 背景を背負っている。その人 その人にとって それが一番大きく 大切なこと。みんな 人として悩んでいる。自分ひとりきりなら 悩まない。人として 人といるから 悩んでいるんだろう。人として 生きているからそう 人として 生きているから 人 人 人として 人と出会い 人として 人に迷い 人として 人に傷つき 人として 人と別れて それでも 人しか 愛せない悩むから人?苦しむから人?そんな人だから 愛せるのかな?苦しみのない 世界へ行きたいというのは ? どんな意味があるのかな?☆☆さんと、●●さんがごはんを作ってる。ありがとうございました。途中、唄は海援隊の「人として」です。
2005/10/07
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リベリア時代の古い日記。まだまだ続きます。●●君とのことと同時に、助産婦学生の実習指導に頭がいっぱいの若き日のじょじょでした。では、18年前の日記です。19日16件目の分娩、イデス(学生)と。7センチ(お産までもう少し時間が必要)から、よそ見していたら排臨(はいりん=赤ちゃんの頭が出かかっている)になって、大声で叫んでしまった、恥ずかしい。チャコー(炭=ガスや電気がないため、炭の火で消毒をする)が、なくなってステアライズ(滅菌消毒)ができず困った、困った。金曜日まで10日連続の夜中12時までの勤務。私ばっかりしんどいから、ブツブツ。21日今日はメアリとイデス(学生)。どうも、メアリは信頼ならん。アリスの信頼は少し回復したが、どうもハナもちならん。いろいろ個性が出てきて、私としてはやりやすいような、やりにくいような。22日17件目、イデスと。夜7時までメアリと他のお産を待ったけど、空振りだった。残念。ディアナ(アメリカ人、プロジェクトリーダー)は夜11時まで学校でお仕事をしていた。ごくろうはん。明日から、4日間夜中まで。おまけに午後、セクレタリー(秘書)に製本の仕方教えるのよ!!そして、明日はエバリエーション。あれっ?休めないぞ~~!協力隊隊員として数ヵ月がたち、わからないなりにも助産婦学校の仕事ができるようになったころです。この助産婦学校の学生評価に関して少し書きます。1年生に対しては試験結果や日ごろの出席状況などの行動を総合的に評価しました。2年生に対しては、実習が中心になるため実習指導に当たるリーダーのディアナや私も含め、4人のインストラクターが集まって、評価会議を開きます。評価項目にそって、「素晴しい」「良い」「普通」「劣る」という評価を事前につけて評価会議に参加します。一人一人の学生に対して、評価項目に沿って4人がつけてきた評価のすり合わせをします。各項目に全員が同じ評価を入れていたら、問題なくその評価を最終的な学生の成績としてつけます。もし、インストラクターの誰か一人でも違う評価をつけている場合は、話し合いが行なわれます。話し合いの結果、最終的な学生の成績をつけます。評価項目は全部で25項目くらいだったと思います。実習に対する態度→遅刻がないとか、記録物を提出するとか。学習姿勢→教科書で勉強しているとか、積極的に質問などをするとか。技術→学生の実習進度に応じて、観察力が向上しているとか、血圧計がちゃんと使えるとか。全体の態度→言葉使いとか、服装が整っているとか。細かなところは忘れてしまいましたが、大まかこのような内容でした。今の日本の看護教育と比較しても遜色のない内容だと思います。というか、看護者に求められているものは古今東西、基本的には変わらないのではないかなとも思います。私は、評価の結果が他のインストラクターと同じだったら「ほっ」とするのですが、大きく異なっているとその理由をうまくいえなくて困ってしまいました。大体、他の先生と同じだったのですが、日記にも出てくるメアリだけは、他の先生方が「問題なし」といっても「この学生だけは問題あり」と主張を曲げませんでした。メアリは、性格には問題はないのですが、算数ができない!体温計が読み取れない!体温を表に書き込むことが正確にできない!それらは、看護者にとって重大な欠点だと考えたのです。ひとまずこの評価会議では、今後メアリの数学的な部分を要注意とすることで、終了しました。その後、メアリがどうなったかは、いずれ書くことになると思います。
2005/10/06
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●●君とのこと、続けて書こうと思います。日本からアフリカへ、一日おきに手紙を出した●●君。でも田舎に住んでいる私の手元に手紙が届くのは、数週間に一度。距離と同じように、気持ちも離れていくものなのでしょうか?18年前の日記です。23日 昨日の夜、電信の隊員が仕事でモンロビア(首都)からズエーデル(私が住む田舎)に来て、手紙やお母ちゃんからの肩こりの薬を持ってきてくれた。私から日本へ送っている手紙は、イレギュラーでも全部届いているような感じ。うれしい。●●君は私への返事として「待っている」「信じている」ということだった。静かに、時の流れを待つしかない。早く帰りたい。●●君からの手紙を何度となく読み返す。先月の、落ち込んでいたころの私が書いた手紙が、迷子になっていたけど、遅れて無事日本へ到着したらしい。「指輪をして欲しい」「一生に最初で最後」だと。そういう言葉には弱いが、どうしてものめりこめない何かがある。●●君の「この先一年間は、信じていて欲しい」「待っている」という言葉はどうしても消極的だ。何もせず過ごすなら、誰にでもできる。●●君は・・・とにかく早く2年、たって欲しい。私は、●●君になにを求めていたのでしょう?いま、思い返しても分かりません。あのころの感情。協力隊へ参加することを、止めて欲しかった。でも、きっと止めても私は行っていた。でも、止めてほしかった。堂々巡りです。もし、あの時、私が違う選択をしていたら、私は今どこで何をしていたのでしょうか?
2005/10/05
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自分に投資してしまいました。30回分の回数券、63000円なり。買っちゃいました。これを半年の間に使い切らなくてはなりません。ひと月10000円。来年の春は、すっきりのじょじょ?と、言うことで、今日は二回目のホットヨガへ行ってきました。今日は、前回より汗の量が少ない!なぜ?前回と違うことは・・・@家を出るのが遅かったので、スタジオに入ったのが開始直前。 前回は、ヨガ開始10分前から暑い中に居たけど、今日はそれがなかった。@インストラクターが違った。 今日のインストラクターは呼吸を丁寧にする人。 動きもゆっくりで、途中「ギブしたい」とは思わなかった。汗の量は少なくても、今日のほうが良かったな。こういう体操って、呼吸が大切だと思うので、今日のインストラクターのように「吐いて、吸って」を丁寧に良いながらヨガをしてくれるのはうれしいです。今日の体脂肪:29.0%前回は:29.7%でした。体重は誰にも言えません。ちょっとあごのラインがすっきりしたような。←勘違いをしているじょじょでした。
2005/10/04
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青年海外協力隊隊員として、西アフリカのリベリアの田舎町、ズエーデルに赴任した私。着任当初から私は、不平不満だらけでした。そしてそんな私を支えてくれたのは、同じ村に住む仲間でした。以前もご紹介はしましたが、もう一度書いておきますね。家政の△△さん→婦人子供服の先生。我が家から歩いて40分位の、職業学校(モンテラテラ)の宿舎に住んでいる。電子機器の●●さん→私と同期。△△さんと一緒の、職業学校の宿舎に住んでいる。農業の☆☆さん→△△さん、●●さんとともに、職業学校に住んでいる。この3人は、私が住む家から歩いて30分くらいのところに住んでいました。学生指導に明け暮れた私でしたが、この3人が住む家へ行くのがいつも楽しみでした。そんな18年前の日記です。15日あわただしく、ついに9分の1となった。うれしいの一言。最近、心底日本へ帰りたい。完全なホームシック。日本で、あれもしたい、これもしたいという気持ち。13日の金曜日には、夕方モンテラテラへ行った。11日が△△さんの誕生日だったのを思い出して、私はケーキを作って、☆☆さんはコロッケ作って、お祝いした。そのまま△△さん宅に泊まった。フリーシア(我が家の女中さん)が眼鏡を作るためにモンロビア(首都)へ行って、1週間留守。今日、市場へ行ったら玉ネギ1個5~15セント。バナナ3本10セント。玉ネギ5個買ったから1個まけてくれて、ポテトリーフ(芋の葉っぱ)一束5セントで、二束買ったら一束まけてくれるし。うれしくて、ニコニコしてしまった。現金な私。18日夜、●●さんがモンロビアから帰ってきて、手紙持ってきてくれた。●●君の手紙、やっぱりNo.33が29や30より先に来ていて、めちゃくちゃになってる。私が一月前に送った手紙が神戸に届いていないそうで、ずいぶん不安なこと言っているが、それだけでブツブツ文句言われたらこっちはたまんないね。ここはリベリアなんだぞ。リベリアの郵便事情は以前も書きましたが、ここはアフリカ、まして田舎の村ですから、手紙がスムーズに届くはずがありません。日本に住む、●●君には分からなかったのでしょうか。彼は、二日おきくらいに手紙を出していたようです。一通一通ナンバリングをして。リベリアで自分の生活、学生指導に精一杯の私。日本で私のことを思ってくれた●●君。私たちは、少しずつ、何かがずれていったのかもしれません。
2005/10/03
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ただ毎日をこなしているような協力隊生活。前回の日記にも書いたように、助産婦学生の実習指導を中心に流れていく日々。そんな毎日の中、こんな風にたくさんのお産に恵まれた日もありました。18年前の日記です。13日昨日は忘れられない日になりそうです。イブニング(夕方からの実習指導)に行こうとして、とぼとぼ歩いていたらドクターBに会って。ラッキー、車で病院へ。モンロビアからの手紙もあるとか、ムフフ。で、4時より早い目についたら、なんと「あの」産婦(前日、夕方に入院してきた産婦さん)が二人とも残っていて。P8(8回目のお産)は、no contraction(陣痛無し)。「家へ帰りたい」と言っているけど、浣腸もしたし、まあ様子を見ている。(注:分娩のはじめには浣腸をする、それが刺激になってお産が進むことがある)そして、P5(5回目のお産)が問題。顔面位だというのです。(注:お産は頭から生まれるはずが、顔から生まれようとしている→普通に生まれるのはかなり困難)Mrs.ヤンリ(リベリア人助産婦・実習指導者)アニー、イディス、メアリ(朝から夕方までの実習のグループ)がいて、アニーが受け持っているんだけど、8:15amで7-8センチ、+1、顔面位。(注:かなりお産が進んでいる状況)14:30 10センチでpushしはじめて(がんばって、気張り始めた)もう1時間30分もたつのに。(注:この時期の遷延は、母児の命に関わる)ジョアンナ(リベリア人助産婦)へ、これはOP(帝王切開)の適応ではないかと聞いたら、「ドクターには報告しているが・・・」といいつつ、もう一度ドクターに報告するということ。なので、私も一度診てみようかと思ったら、しっかり頭位なのです!(注:正常に戻っている)もう、他のスタッフはあきらめた様子で、誰も分娩室にいなくて、ジョアンナを呼んで、頭位であることを告げると、みんな喜んで飛んできて。キャピ、キャピAP6-7点(まあまあ元気)のメコニュム(注:メコニュムは赤ちゃんのうんちのこと。赤ちゃんがお母さんのお腹の中でうんちを漏らす→仮死の症状)だらけの子だったけど、まあやっと生まれた。私が見たとき16:15で、アリス(イブニングの実習の学生)に分娩を取らせてやりたかったのに、彼女は「時計が壊れた」とか言って(本当?)ちょうどそのころ来て(遅刻)アニーのお産となった。アニーはこの日、午前に1件分娩していて、トータル8件となって、めでたしめでたし。お産が終わって、やれやれと思っていると、別の新しい産婦が入ってきて、もう9.5センチ、P1(初めてのお産)10分ほどで生まれて、これはアリスのお産。すてきなこと。みんなでキャラキャラよろこんだ。その後、P1が帰るときに、悪露や子宮底をチェックした、していないで話がこじれて、アリスを私は信じられないな、と感じている。(注:産後の出血の観察は大変重要。この学生は確実な観察を怠った。遅刻もしたことから、助産婦としての資質に問題があると考えられました。)協力隊へ参加する直前まで、私は日本の総合病院で勤務していました。そこでは、人工的な処置が多々行なわれ、助産婦本来の「自然なお産」は多くはありませんでした。それは、短所ではありますが、反面、どんな状態の悪いケースでも救命しました。立派な施設、多くのスタッフ、何時でもスタンバイしているドクター。薬、器械何もかもそろっていました。そして、何もない、このリベリアの病院。「顔面位」→「どうせすぐには生まれない」と、産婦を残してどこかへ行ってしまうスタッフ。それが、一転、正常な位置にあると聞けば、キャピキャピ言って戻ってくる。なんとも、おおらかというか、感情むき出しというか。当時の私はきっと、そんなスタッフを不信感いっぱいで見ていたと思います。でも、今読み返すと、赤ちゃんが無事であったこともあり、それがアフリカ、それがリベリアなんだな、なんて、のんきなことも考えてしまいます。
2005/10/02
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高橋さんの写真展開催に関して、たくさんのコメントありがとうございます。私はまだ何をどうすれば良いのか、皆目分からない状況でなんとも頼りない状況です。参考までに、これまで開催された高橋さんの写真展の、関連サイトをまとめました。高橋邦典写真展 in 横浜この写真展が開催されていた時、コートジボワールから緊急避難して日本にいました。どうして見に行かなかったのか!と悔やまれてならないです。「ぼくの見た戦争」高橋邦典写真展まつもと長野県で開かれた写真展のプログラムです。内容がすごいです。とても一人の力ではできない。いわさきちひろ美術館も協力しています。高橋邦典さん写真展「紛争の地から」大阪府四條畷(しじょうなわて)市市民総合センターにて。2004年8月26~29日。個人のサイトで、紹介文のみです。参考になるサイト『ぼくの見たイラク戦争――2003年イラク』写真集の内容が、細かくまとめられています。高橋邦典横浜写真展「紛争の地から」高橋さんの大学時代を知る人が、写真展に関してまとめていらっしゃいます。私にできること、皆さんに一緒に協力していただきたいことがはっきりしましたら、ここにアップしますので、よろしくお願いいたします。今、高橋さんからこの写真展の目的の連絡が入りました。以下の内容です。「日本の外のいろいろな国では、現在でもこんな紛争や戦争がおこり、その中で生きている人々や子供達が存在している」ということを知ってもらうこと。そして「平和で物資の溢れている日本に住む者として、なにかできることはないだろうかと考えてもらうこと」です。ただ、今回はリベリアのものに絞るので、(勿論、昨年と同じく、イラク、ハイチ、リベリア、南アフリカを混ぜた写真展も可能ですが)内戦後も良くなっていないリベリアの子供達を、せめて学校にでも行かせてあげられればというのが目標です。 私が時折日記に書いていますように、リベリアの状況は20年前から何もよくなっていません。逆に悪化しています。私が助産婦として関わった赤ちゃん達が、少年兵として人殺しの兵器とされているのです。彼らには教育と安心して働ける環境が必要です。そのために、この写真展の開催はリベリアの復興につながるものと信じています。これらの事を胸に置きながら、できることを考えて行きたいと思います。
2005/10/01
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私のブログのトップに写真集を紹介していますが、フォトジャーナリストの高橋さんが日本での写真展を開こうとしています。ぼくの見た戦争そこで今、開催にむけての協力者を探しています。高橋さんのサイトじょじょと高橋さんのつながりはここに書きました。フォトジャーナリストとの出会い追加でこんな日記も書きました。自己満足で終わらせないために日本各地で写真展が開催されることを願います。そこで、私も何かできないかな?と考えています。しかし、一人では何もできない。今、身近なリベリア関係者に声を掛けている所です。戦争が終わってもこのブログを読んで、興味を持った方。神奈川県にお住まいの方。もし、何か活動を始めることになったら、一緒にやってみませんか?何をどうするか、まったくわかっていません。これから調べるところです。こんな状況でも、力を貸しても良いという方は、私書箱にメールを入れてください。
2005/10/01
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