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6月3日から長い夏休みに入ります。その後我が家は、休暇で日本へ帰国します。9月、この国のインターナショナルスクールは新学年が始まります。しかし、私たちは同じ学校へは戻りません。具体的な事は決まっていませんが、私たちの安全のため、この国から離れることになりそうです。この国は10月に大統領選挙を控えています。選挙前後には、大変な混乱が予測されています。昨年11月に有ったような、内戦にまで進んでしまうかもしれません。約2年間、子ども達がお世話になった先生達ともお別れです。子どもがどれほど英語に苦労しているか、ことあるごとに私は学校へ行き、先生達と話し合いました。先生が子どもに伝えたいこと、子どもが先生に伝えたいこと、いつも私は仲介にたちました。時には、先生達の認識の甘さに、私はけんか腰になることもありました。たくさん、たくさん話し合い、ここまでやっと着た、という感じです。昨日、一人の先生と「もう少しでお別れですね」と話し合いました。二人で抱き合い、言葉が出なくなってしまいました。彼女は、「英語ができなかった貴方の子どもも、ここまで成長した」「子どもには、それぞれの成長の仕方があるのですね」「子どもは、本当に可能性を秘めているのですね」「これからの、成長を見ることができなくて、本当に残念」と話し、これからも連絡を取り続けましょう、と約束しました。この学校ともあと3日でお別れ。信じられません。最後に泣かずにお別れできるように、心の準備をしなくては。子どもにとって、今は大嫌いな学校だし、私にとっても、大変な思いのほうが多かったけど。何より、国外に移動する私たちより、この国に残る彼らのほうがずっと困難に面しているのだから。先生たちの身の安全、そして、仕事がいつまでもあることを心から願っています。
2005/05/31
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楽天のブログの中で、アフリカからの発信をしている人もたくさんいらっしゃいます。多くが東アフリカのようです。これから、せっせと仲間探しをしたいなと考え、あちらこちらの掲示板へお邪魔しました。お返事を頂いた方々、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
2005/05/30
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写真は我が家の庭のバナナの木です。若いバナナの実がたわわに実っています。あと2ヵ月くらいすると、熟しておいしくなります。我が家の庭には、バナナの木が30本くらいあります。実はバナナは「木」ではなく「草」だそうですね。巨大な草。一本のバナナの木に一房のバナナがつきます。実が熟すと、機は枯れて行きます。熟した房を取り、そのバナナの木は切り倒します。木は次々と出てきます。竹の子みたいです。庭の四隅にバナナの木が茂っています。いつもどこかしらの木に熟したバナナがついています。この家に住んでいる限り、バナナには不自由しないようです。しあわせ!
2005/05/29
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町にはたくさんのちびっ子が溢れています。道ばたでオレンジやバナナや焼きとうもろこしを売っているお母さんお近くに、ちびっ子が二人、三人います。少し大きい子達は集まってなにやら遊んでいます。小さい子はお母さんの背中におんぶされています。みんな元気そうで、まつげがクリンクリン。肌色の違う私が近寄ると、泣き出してしまいます。にっこりすると、とてもかわいいけど、なかなか良い写真が取れません。また、町へ出て、かわいい写真が撮れるようにチャレンジしましょう!
2005/05/27
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アフリカへの引越しが決まったとき、多くの人が子どもに向かって、「アフリカなんてすごい」「英語ペラペラになるね」「きっと将来の役に立つね」と、言いました。私も、もし、自分が当事者でなければ、同じようなことを言ったろうなと思います。我が家の次男、現在小学校6年生は、砂をかむ思いで英語を学習したと、いまさらながら思います。英語が嫌、というだけではなく、ざわざわした教室の雰囲気にも、ついていけなかったようです。子どもが通うインターナショナルスクールはアメリカ系。お誕生会・イースター・クリスマスなどなど。日本の学校では考えられないような、イベントがたくさんあります。「クレヨンしんちゃん」のような「のり」の良い子どもには、とても楽しいところでしょう。残念ながら、我が子ども達はあまりのりの良いほうではありません。みんなで騒ぐより、静かに本を読んでいたいタイプでした。しかし、静かにしていると、周囲が「どうした?」「元気ないね」とどんどん話しかけてきます。言葉のわからない息子には、相手が何を言っているのかわからず、ますますイライラするばかり。数ヵ月後、相手が何を言っているのかわかるようになっても、次に「大丈夫だからほっておいて」が言えない。結局、爆発して、教室から逃げ出すしかなかったのでしょう。今、この国で2年近く過ごし、子どもから教えられました。「子どもには今しか見えないんだ」ってことを。将来何の役に立とうが、今、苦しいのが嫌なんだな。将来、役に立たなくて良いから、日本に居たかったんだな。10年先、20年先なんて、子どもには見えないんだな、って。昨日の日記に書いたように、息子が一つ乗り越えることができたからこそ、ほっとしていますが、近くにいて、子どもの本当の心を見て居なかった自分に、改めて気づいています。
2005/05/26
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「ちょっとは、英語も良いかな、と思うときもある。」今日、子どもがポツリと話した言葉です。次男は小学校4年生の8月から、インターナショナルスクールに入りました。日本の学校でローマ字を始める直前です。彼はローマ字も知らないうちから、英語を始めました。彼がインターナショナルスクールに入ったとき、一部のアルファベットしか知らず、書くことは当然できませんでした。はじめは興味を持って楽しそうに学校へ通っていましたが、数日で英語アレルギーになりました。一日中、英語に浸って家へ帰ると、脳みそまで茹であがっているようでした。本当に真っ赤な顔をして、汗をかき、イライラしているのです。疲れ果てていました。ひと月もしないうちに、授業中に爆発するようになりました。頭を抱え、机にかじりつき、目を閉じ、耳を押さえ、外界を遮断するようになったのです。英語が大嫌い、英語を話す人が大嫌い。先生が「どうしたの?」「わかる?」と、話しかければ、話しかけるほど、余計にイライラが募り、最後には大声を張り上げながら外へ出てしまうのです。私は、毎日学校から連絡を受けて、早退のためのお迎えに行きました。大変でした。学校へ行き、事務所へ迎えに行くと、息子は、石のように、岩のようになっていました。真っ赤な顔をして、目に涙をためて、体を硬くして、いすに座っていました。入学してから3カ月間くらいかな?週に3日は早退していたかもしれません。家と、学校は歩いて3分。連絡が入ると、すぐに飛んでいきました。帰宅しても、体がほぐれるまでに時間がかかるのです。自分でも、どうにもならないようでした。つらかったのでしょうね。いろいろあって、インターナショナルスクールで二年近くが過ぎました。そして、今日、彼の言葉。「ちょっとは、英語も良いかな、と思うときもある。」うれしかった。何気ないように、私は返事をしました。「うん」「そんな日もあるよね。」「はじめは、つらかったよね。」それ以上の言葉をそのときに、彼から聞くことはできませんでした。しかし、ここまで来るまでの彼の苦労、努力を思うと、私はうれしくて、仕方がないのです。写真は子どもが通うインターナショナルスクールの庭に立てている、在籍生徒の国旗です。
2005/05/26
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昨夜遅くまで、ネットでトンボ玉の情報を見ていました。アンテークビンテージミルフィオーリシェブロン「専門用語」ずいぶん知りました。数週間前までは、まったく興味がなかったのです。アフリカンドレスには以前から興味があって、布を買って仕立て屋さんへ出して、たくさん作りました。治安がよくないので、あまり外へ出歩かないので、サボっていたアクセサリー作りを再開したことが、トンボ玉に興味を持った一番の理由です。実は「曼荼羅」に以前から興味があり、どこかでちらりと、トンボ玉と曼荼羅の関連、みたいなことが書いてあって、もしかして、トンボ玉の世界観、宇宙的なものに興味があるのかな?などと考えています。写真はアフリカンマルシェのビーズやさんです。ずらりと並んださまざまなビーズ。まるで、博物館のようです。もっと、もっといろんなビーズやトンボ玉を見たいなと思います。この中から、本当に価値のあるものを探すのは苦難の技。鑑定の目のない私は、ついに悟りました。「たとえ、価値はなくても、本当に自分の好きなものを買おう」
2005/05/25
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今朝、ふと、もし、メイドさんが白人だったら、私はやりにくかろうな、と思いました。それに関連して、あることを思い出しました。「コソボ」だったか、「ボスニア」だったか。『難民』と書かれた写真が雑誌に載っていました。その写真には、白人の親子が仮設のテントで肩を寄せ合って、不安げな表情で写っていました。私はとても驚きました。「白人でも、難民がいるんだ」どうぞ、私の無知を笑ってください。私の認識では、難民=黒人だったのです。時代が平成になったばかりのころ。私はユーゴスラビアへ行きました。今は、もうない国ですね。周辺の国々に比べて、なんとも暗い国でした。しかし、その暗さは髪の色から来るものかもしれないと、思うところもありました。周辺、ヨーロッパの人々は金や黒や茶やと、髪の色も肌の色もさまざまです。ユーゴスラビアには、そのカラフルさが一切ありませんでした。みんな、ほぼ同じ肌の色、黒い髪でした。その後すぐに、内戦が始まったのでしょうね。じゃあ、日本だって?みんな同じ肌の色、同じ髪の色。しかし、日本には服装や町並みの華やかさがあります。話を戻して・・・黒人だから、メイドさんに気兼ねがないのでしょうか???自問自答しています。もし白人だったら・・・????私の中に、肌色コンプレックスがあるのかも。それは、差別感につながるものでしょうか???しばらく考えたいと思います。
2005/05/24
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自分では結構シンプルな生活ではないか、と思っています。大雨が降れば電気が切れるし。庭ではニワトリが朝早くから鳴き出すし。ネットを除き、日本のマスメディアからは遠ざかっているし。ネットもなかなかつながらないし。ほとんど愚痴です。シンプル、というより、不自由なだけかも。しかし、そんな生活が好きだったりします。ところで写真は、最近アフリカンマーケットで買った、手さげ鞄です。四角い形がかわいくて、同じ柄のアフリカンシャツも持っているので、うれしくて買いました。大きさは、25×15×15くらいかな?チャックが付いています。生地は、綿です。キルティング、というのでしたか?中に綿のようなものが入っているので、ふわふわです。同じ柄の小さな財布もついています。早く日本へ持って帰って、友人に見せてあげたいです。他にも買ったので、順次アップしていきますね。
2005/05/23
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我が家では、二人のメイドさんに働いてもらっています。一般的には、メイドさん一人の家が多いようです。我が家は5人家族で洗濯物や食事を作る量が多いことや、家がとても広くて掃除も大変だからという理由からです。小さな子どもさんがいる家庭では、「ヌーヌー」と呼ばれる子守さんを雇う家もあります。私たちは2年、3年の短期間しかこの国に滞在しません。一般的に、任期が終了すると後任者が交代に来ます。メイドさんやドライバーは後任者へ引き継がれていきます。この二人のメイドさんの内、一人は前任者からの引継ぎです。私たちが、この国へ赴任した当初、ある一人の職員に、後任者が来ないことになってしまいました。後任者の来ない職員宅で働いていたメイドは、失業の不安がありました。そこで、夫がそのメイドさんも我が家で働いてもらうことにしたのです。大変、感謝されました。はじめに引き継いだメイドさんは、現地食を作るのがとても上手です。後から雇ったメイドさんは、日本食が得意です。私や夫は、現地食が大好き。子ども達は、メイドさんが作る、ファミーリーレストランのような日本食が大好きです。写真はこの国の食事「フーツー」を作っているところです。この国の食生活について、まとめているので、よかったら、こちらも見てください。↓みんな大好き! アフリカごはん!
2005/05/23
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今朝、ものすごい雨が降りました。上の写真は、そのときのものですが、暗くてなにもわかりませんね。車のタイヤが1/4くらい水没しました。さて、私は、リベリアで水道も電気もない田舎暮らしでした。雨季には雨水をドラム缶に貯めて使っていました。屋根からドラム缶に流れ込むように、ドレーンを引いていました。どこの家にも、雨水をためるためのドラム缶がありました。乾季には、井戸水を使います。乾季の始まりは井戸も潤沢で、何の心配もありません。しかし、乾季の終わりころになるとだんだん水位が下がります。雨水も、井戸水も一度沸かして、フィルターを通してから飲みます。とてもおいしい水でした。「甘い」水でした。自然の水です。さて、今、コートジボワールに住んでいます。ここでは、大都会に住んでいます。多少、田舎へ行っても電気のないところはありません。どこを探しても、水を貯めるためのドラム缶なんて売っていません。はじめ、ここに来たとき、雨が降るたびに「もったいない」「貯めておきたい」という気持ちに駆られました。しかし、ここの環境に慣れるうちに、その思いもいつしか薄れました。そして、最近の断水です。水道をひねれば水が出る。当たり前のように生活していますが、やはりここはアフリカ。水を貯めたい!ただ流しっぱなしはもったいない!と、雨を眺めながら、ぶつぶつ言っていました。
2005/05/22
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断水の話しです。日曜日にすると聞いていたのに、土曜日に断水しました。朝10時から午後5時近くまで止まりました。再開後、汚い水も出てこなかったし、今回は良かったです。しかし、どこをどうのように修理したのか、まったくわかりません。誰も文句言わないし、断水しても、とくべつ困った様子もないし。不思議な感じです。
2005/05/21
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子どもが、学校から連絡プリントを持って帰りました。学校や我が家を含む、この近辺の水道水の品質が、低下しているので日曜日に大掛かりな工事をする、というものです。いったいどれくらいで、水が再開するのか?一日で済む?2日3日???誰もわかりません。また、コーヒー牛乳が出てくるかも!大変!大変!空いているペットボトルに、水を貯めておかなきゃ。プラスチックの衣装ケースにも、貯めよう。ミネラルウオーターも、もっと買い込んでおかなきゃ。あたふたあたふたなまじ、水道のある便利な生活に慣れているから、こんなときに困るのでしょうね。
2005/05/20
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またまた、アフリカンマーケットへ行ってきました。ちょっと、癖になりそう。今日は、買ってしまいました。ちょっと、ネットで勉強したので、言います。「ミルフィオーリ」を、買いました。本物のアンテークかどうかを、どうしても見分けられません。古そうなのは、本当に色がくすんで、美しくありません。自分では、まあ良い買い物だったかな?と満足しています。写真のビーズがそれです。このお店のマスターと仲良しになってしまいました。帰りに、おまけ、といって一本アフリカンネックレスを頂きました。なんだかうれしいです。
2005/05/19
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英会話スクールの無料体験の話の続きです。 日本へ退避した当初は、いつアフリカへ戻るのかまったくわからない状況でした。 私は、短期間でも子ども達が英語から離れないように、と考えてスクール探しをしました。 スクール探しはインターネットを使いました。 「子ども 英会話 無料 体験」で、検索するとたくさんのヒットがありました。 その中から私は、 ・家に近いこと ・できるだけすぐに無料体験が受けられるスクール を、中心にできるだけ多くの無料体験を受けたいと考えました。 スクールには大きく分けて3種類ありました。 ・全国展開し、広告も大々的に出している大手。 ・一部地方中心に展開している、規模の小さい企業。 ・個人経営の小規模、地域限定の学校。 以上に加えて家庭教師も調べてみました。 スクール探しを始めたのが12月始めだったので、年末のお休みが目の前に迫っていました。 親としては、早く全部のスクールを見学して、本格的な授業をスタートしたかったのですが、 子どもの希望もあり、週2.3回の体験を入れていくことにしました。 体験を受けて、わかったことは規模の大きいスクールは講師がほとんど外国人ということ。 規模が小さくなるにつれて、日本人講師の割合が増えました。 また、当然かもしれませんが、規模が大きいスクールにはたくさんの講師がいます。 また、外国人講師か、日本人講師かによって、授業料が違うスクールもありました。 子どもの英語力によって、外国人講師にするか、日本人講師にするかを決めるスクールもありました。 まだ、英語に不慣れな場合は、日本語も取り混ぜながら学習したほうが良いと考えている学校もあるようです。 まず、体験を受けるとアンケートに回答します。 そして、実際の体験を受けて、講師が子どもの英語力を判断します。 このシステムは大体どこでも同じでした。 私は、兄妹の英語力はほとんど同じなので、一緒のクラスに入れて欲しいと考えていました。 また、安くできるのなら、グループ学習でも良いと希望しました。 二人とも、同年代のほかの子どもよりは英語力があるので、グループ学習は難しいといわれました。 帰国子女が数名在籍するグループもありましたが、そのグループは逆に英語力が高すぎるので入れないということでした。 また、年齢が離れているので、兄妹を一緒にするのも難しいということでした。 すると、兄妹それぞれが個人レッスンを受けることになります。 料金の概算を見てびっくり。 一番高いところでは、入会金や年会費を加えて、ひと月分の給料が軽く飛んでしまうほどでした。 チケット制で、たくさん買えば安くなるシステムの学校もありました。 長く日本にいるのならメリットもありますが、数ヵ月で日本から出る場合には割高になってしまいます。 講義以外に、クリスマス会やお楽しみ会など、教室以外で自由な英語を話す機会を作っているスクールもありました。もう少し詳しい内容は次回に。今日は、タグ打ちに挑戦しました。リンクの付け方も練習しておこうと思います。自分のHPへのリンク、うまく付くかな?私の知ってるアフリカ
2005/05/19
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車に乗って走っている途中、信号で止まると必ずといっていいほど、車の周りに人が集まってきます。多くは物売りの人たち。リベリアでは、小学生くらいの子どもから、おばさんまでが、頭に大きなバケツを載せて、小さな袋詰めの水や、オレンジなどを売っていました。コートジボワールは、かなり内容がリッチです。ビジネス街ではネクタイや電卓、スーパーマーケットの近くでは、アイロンや携帯電話の充電器など、それはそれはさまざまなものが売られています。売っている人も、若い男性が多く、精力的ですが、買い手が少なくなり、あまり売れていないようです。少し若い男の子は、新聞を売っていることが多いです。車に乗っている人が、新聞を買いたいと言えば、全速力で走って車を追いかけます。よく怪我をしないことだと思います。ちょっと心が痛むのは、まだ小学校低学年くらいの子ども達が、学校へ行くべき時間に、道路で仕事をしているのを見かける時です。主に、車の窓磨きの仕事をしています。運転手が何も言わなくても、勝手に磨き始めます。ほとんどの車は「彼らが、勝手に磨いているのだから、お金はやらない」という様子です。一日中、車の多い道路で働いて、時折10円、20円を受け取ることができるくらいです。さらに辛いのは、自分の体の障害を見せて、お金を受け取ろうとしている人々です。ポリオで麻痺が残るからだを引きずり、車の窓までやってくる若者。ひどいやけどの跡が残る腕を、窓にくっつけるようにする女性。障害がなくても、赤ちゃんを抱いた女性、老女など、物乞いの人がいたる所にいます。彼らは町へ出て、そうしてお金を手に入れて生きているのでしょう。厳しい現実である反面、アフリカの人々の力強さも感じます。
2005/05/18
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アフリカンマルシェで、ビーズを買ってきました。治安の悪化で、マルシェなど人ごみには立ち寄らないように、といわれているのですが、「ちょっとだけ!」行って来ました。2.3年前まではたくさんの外国人が訪れ、お土産としていっぱい買い物をしていた場所です。今日、肌の色が違うのは私と一緒に行った友人と、そのほか数人だけでした。しかし、特に身の危険はなく、普通に買い物を楽しんできました。さて、写真のビーズが、その昔、奴隷貿易に使われたものです。私の手のひらに乗っている、大きなビーズ、ひとつ一万円!!!!最も、お店の人の言い値なので、交渉して6000円くらいにはなるかな?ひとつですよ。玉、ひとつだけ!しかし、これが、イタリアでは数万円するかもしれません。粒が大きく、傷もないので、大変高価なものではないでしょうか?とても手が出ない私たちは、同じ種類の小さな粒のものを買いました。言い値は一粒、1000円。長い交渉の末、10粒で4000円となりました。日本では、トンボ玉、はやっていますか?いくらくらいのお値段なのでしょう?あまり、日本では興味がなかったので、よくわかりません。ご存知の方は教えてください。
2005/05/18
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マルシェ(市場)へ買い物に行ってきました。きれいなビーズを買ってきたので、後ほど写真をつけます。
2005/05/17
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先日、断水がありました。珍しいことではありません。二ヶ月に一回くらいは、数時間とまります。意味もなく止まることもありますが、定期的なのは貯水槽の掃除のためのようです。掃除の後、水が再開すると、大変!すごく汚い水が出てきます。はじめはミルクコーヒー、しばらくすると、コーヒー、その後紅茶になります。今回は写真を撮りました。あまり見ても楽しいものではありませんがアップします。もっと見たい人は、こちらへ。http://home.att.ne.jp/kiwi/yaoko/lifeline.htmlほとんど肝試しです。再びきれいな水になるのには、半日ほどかかります。事前に何の連絡もなく断水しますから、からのペットボトルなどに水をために備蓄しています。私はもともと、リベリアで水道のないところに暮らしていましたから、水が出なくても平気です。逆に「使った水はバケツにためてね!」「トイレに使うからね!」など、子ども達に号令をかけて、喜んでいます。
2005/05/16
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今、住んでいる国の内戦のため、私たち母子は、昨年11月から約二ヶ月間日本へ退避しました。日本へ帰国した当初、まずは怪我もなく日本へ戻ってきたことにほっとしました。しかし、しばらくすると私は、せっかく慣れ始めた英語の学習を、中断したくないと考えるようになりました。退避がいつまで続くかわからない、もしかしたら、このまま日本にいなければならないかも。少なくとも数ヵ月は日本語だけの環境になってしまう。あせった私は、近所の英会話スクールめぐりを始めました。「お試しコースを受けるだけでも、英語に触れる時間が持てる」という、あさましい思いも持ちつつ。だって、日本の英会話スクールの授業料もバカになりませんから。娘は英語を話すことに違和感がありません。息子は英語に抵抗を持ちながらも、仕方ない、お試しくらいなら、としぶしぶ付き合ってくれました。ノバ・イーオン・ジオス・ミネルヴァなどを訪れました。そのほか、個人の英会話学校も2.3件見学しました。どのスクールも「年間契約」が基本なので、年会費や入会金を考えると大変な金額になってしまいます。私たちの条件として、臨時の入会なので年会費は免除して欲しい、できれば兄妹一緒のクラス(送り迎えを一度にするため)、いつまで日本にいるかわからない、という無理難題を出しました。スクール探しのスタートが遅かったため、すぐ年末の休暇に入る状況でした。1月はじめにアフリカへ戻ることが決まり、本当にお試しコースを受けたのみで終わってしまいました。どの英会話スクールも大変印象が良く、このように時間をかけてじっくり見学できるチャンスもなかなかないので、入学はできませんでしたが、楽しい経験になったと思います。お試しコースの様子は次回に。
2005/05/16
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現在、子どもをインターナショナルスクールに通わせています。「将来はバイリンガルね」「うらやましい」という、周囲の声を聞きながら、母と子は英語と戦ってきました。インターナショナルスクールに入学した時、末っ子は7歳。女の子だし、小さいし、彼女は結構すんなりとなじみました。しかし、日本語の基礎が不十分だから、文章を日本語に置き換えても、イメージが着かないようでした。母国語をしっかり押さえてから、外国語を始めたほうが良い、といわれますが、私もそう思います。次男は、小学4年生でした。彼ははじめから英語嫌いでした。海外転勤をはじめから渋っていたので、拒絶反応が強かったのです。しかし、2年目の今、やっと学校で英語を話すことをはじめました。自分自身が学生時代、英語なんて赤点すれすれで過ごしましたから、えらそうなことは何もいえません。それでも、青年海外協力隊に参加できたのですから、英語力なんてどうにでもなるのかな、とも思います。大切なのは、人とコミュニケーションを持ちたい、という気持ち。それが日本語でも、英語でも、あるいは言葉でなくても。今は、英語はできなくても良い。コミュニケーションツールのひとつとして、英語もある、くらいの気持ちです。
2005/05/15
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戦闘を避けるために、反政府軍から武器を回収する必要があります。リベリアの場合、聞いた話しですが、例えば武装解除に応じてライフルなどを持ち込むと、いくらかのお金がもらえるそうです。しかし、数ヵ月の社会復帰の訓練を受けなくてはなりません。そんな面倒なことをするより、国境近くへライフルを持ち込むと、もっと高く買ってくれる組織があるそうです。そうして、買われた武器が違う国の戦闘に使われる。特に、リベリアの若者は、生まれたときから内戦が始まっていましたから、十分な教育を受けるチャンスも少なく、家族も戦闘で殺されていることがしばしばです。紛争の中で生まれ育った彼らに、銃以外で食べ物を手に入れる教育を行なう必要があります。数ヵ月の訓練で身につくことには限りがあるでしょう。今、リベリアでは学校や病院の建設が急ピッチで進んでいます。電気や水道の設備がまだまだ不十分、ということでジェネレーターが大きな音を一日中立てているそうです。空気も大変汚染されているそうです。それに加えて、建設による大気汚染も大きいようです。しかし、それらの施設を建設することは、人々が武器を捨て、仕事を手にする機会を生むことにもなるし、本当に、今リベリアには教育が必要でしょうから、さまざまなプロジェクトが順調に進むことを願っています。
2005/05/14
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この国にある、日本人学校補習校の話しです。私が担当しているのは二年生の女子二名。とてもかわいい子達です。彼女達はこの国で生まれ育ち、フランス語中心の環境に育ったため、日本語が苦手です。昨年一年間、1年生として学習しましたが、週一日、3時間だけで日本語をマスターするのはなかなか難しい。また、昨年は政情不安などで臨時休校することも多かったので、継続的に学習できなかったことも、彼女達にとってはアンラッキーだったと思います。私はほとんどフランス語ができませんから、授業は100%日本語で行ないます。もし、私が知っているフランスがあっても、日本語で通そうと考えています。彼女達は日本国籍を持ちながら、彼女達にとって日本語が外国語になりかねないのです。算数、国語を学習しなければならないのですが、今は日本語や私を嫌いにならないように、手遊びや折り紙など体を動かしつつ、日本語をたくさん話しかけています。手探りの私で、彼女達に申し訳ないけど、毎週土曜日、嫌がらずに登校してくれているので、私もがんばりたいな、と思っています。
2005/05/13
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ガーナやコートジボワールなど、西アフリカの海岸線の諸国ではビーズが有名です。どうしてか、ご存知でした?私は無知でした、ずる賢いヨーロッパ人が奴隷と交換していたなんて、知りませんでした。今年2月、イタリアへ行ったとき、ビーズやさんで見ると「トレードビーズ」なるものがあり、何百年も昔、奴隷貿易に使われていた、古いビーズが目の飛び出るような値段で売られていました。今も、私が住む、このアフリカのマーケット(アフリカン市場)へ行くと、さまざまなトンボ石が売られています。古い本物から、新しいものまで。ビーズアクセサリーも時折作っています。複雑なものは苦手で、一連の輪っかしか作れません。アフリカンマーケットに行くと、きれいし、それほど高くないのでどんどん買ってしまいます。でも、作らずたまる一方。時間はいっぱいあるのだから、作れば良いのに>自分。
2005/05/12
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今、我が家の子ども達が通うインターナショナルスクールは、数年前までアフリカ屈指の優れた学校だったそうです。アフリカ開発銀行がこの国にあったこともあり、そこの職員の子弟がたくさんいたようです。また、西アフリカのビジネスの中心でもあるので、日本をはじめヨーロッパ、アジア、アメリカの商社がありました。当然、外国人家族も多く、インターナショナルスクールに在籍する生徒は、40数カ国、400名以上だったそうです。しかし、数年前から内乱がおこり、多くの企業が撤退しました。それでも、まだ半数以上は残っていたのですが、引き続き毎年のように内乱、政情の混乱が起こり、次々と外国人は引き揚げました。そして、最近は昨年11月の内乱。このときは、私たち家族も日本へ緊急退避しました。当時の様子をHPにアップしています。EVACUATION~退避~http://home.att.ne.jp/kiwi/yaoko/evacuation.html現在、生徒数は30名前後、10数カ国の子どもが在籍していますが、ほとんどがこの国の子ども達です。彼らは、昨年までフランス系のインターナショナルスクールに通っていました。しかし、4校あった代表的なフランス系のインターナショナルスクールは、内乱で全て焼き討ちにあい、閉校してしまったのです。今の生徒数では、9月からの新学年を迎えることが大変困難になります。5月中には今後の方向が決まると思われます。閉校か、何とか続けていくのか。子どもにとって良い学校が、その国にあるということは、海外から家族と共に赴任する人たちにとって、重要な問題です。もし、学校がない場合、単身赴任になったり、赴任を辞退することになります。それは、すなわち、この国にとってマイナスにつながると思います。もし、インターナショナルスクールがなくなれば、我が家の子ども達もこの国で学習できません。つまり、日本へ帰るしか選択がないのです。インターナショナルスクールや、他のフランス系の学校が今後どのようになるか、今は判断を待っているところです。
2005/05/12
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週三回エアロビクスのクラスに参加しています。今、エアロビクスから帰ってきました。ちなみに、こちらは今、夕方です(まだ11日)。エアロビクスのインストラクターは、コートジボワールの男性です。やや年配の方ですが、鍛えた体は大変しなやかです。始めて彼のクラスを受けたときに「アフリカのデゥーク更家!」と思いました。私は、昨年11月から2ヵ月間、日本へ退避していました。そのとき、初めてテレビで、デゥーク更家を見ました。細身で、しなやかな体。何の苦もなくエアロビクスをしている。その辺が、このアフリカのデゥーク更家もよく似ています。現在私がいる国は政情不安のため、外出や遠出もままなりません。家に居る時間が長くなり、運動不足の日が続きます。筋肉も弱る一方。週三回のエアロビは、ストレス解消にもなるし、友人とお話しできる貴重な時間です。
2005/05/12
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さて、問題です。アフリカにはいくつの国があるでしょうか?アメリカの州とどちらが多いでしょうか?20年前の私は「アフリカ」というひとつの国があると思っていました。今は分かります。でも、その歴史はほんの一部分しか知りません。奴隷の歴史、植民地の歴史、まっすぐに切り取られた国境。同じ部族が戦うこと。宗教、言葉、内戦。あかるい、陽気な人々の中に、厳しい生活を乗り越える強さを感じます。今、私がいる国は、アフリカで屈指の豊かさを誇っていました。しかし、今、混乱のさなか。この国が、いい方向へ向かうことを心から願っています。
2005/05/11
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昨日の続きです。といっても、日本時間では同じ11日ですが。私にとっては昨日です。昨日、「サンキロ」買いたかったお米。家に帰って、計ってみると2.5キロしかない!ガーン。すでに袋から出してしまったし、クレームが通るかしら?と思いつつ、今日、再びお店へ行きました。結果、快く不足分をくれました。良かった~。そのお店では、大きな袋から小売りをしています。上皿天秤で量って売ります。昨日、若いお兄さんが対応してくれたのですが、その秤には「キロ」と「ポンド」が表示されているのです。お兄さんは「ポンド」で「5」のところを見たのです。今日は、お姉さんが対応してくれて、彼女はつたない私のフランス語もすぐ理解してくれました。私が買ったのは、ローカル米というものです。現地米ですね。日本の米のように丸い米です。少し赤い線が入って、炊き上がると全体に赤くなります。あっさりしていて、変なにおいもクセもなく、とてもおいしいですよ。私のHPに、米のことをまとめたページもありますので、良かったらご覧ください。http://home.att.ne.jp/kiwi/yaoko/food.html
2005/05/11
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時差9時間のところから発信しています。今、日本は11日の朝です。こちらは10日の夜9時半です。今日、夕方、このブログの外枠だけ作りました。まだ、何も書き込んでいなかったのですが、今、見るともう訪問者が!びっくりです。さて、西アフリカのとある国に住んで1年と9か月、いろいろありました。一番、困ったことはフランス語。アン・ドウ・トロアくらいしか知りませんでしたから。毎日、必要な単語を辞書で引きながら生活しています。今日も、悔しいことがありました。米を5キロ買いたかったのです。「サンキロ」がフランス語の「5キロ」です。これ、トリビアに出ましたね。で、「サンキロ」と言いました。店の人が秤で計っているのを見ていたのですが、ちゃんと見ていなかったのですね。なんだか少ないように感じて、家で計ってみると・・・2.5キロしかなかったのです!!!秤が間違っているのか、秤のみ間違えか?私の語学力不足か?すぐにクレームをつければ、不足分を出すとは思いますが、自分の至らなさのほうが悔しくて、結局そのままです。明日、朝になったら、一度その店に言ってみようかなと思います。ちゃんとフランス語でクレームが説明できるかな?多分、無理だろうな。
2005/05/11
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