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受験シーズンです。大学も共通1次が終わり、いよいよ本番の受験です。1000年前にも「大学受験」がありました。源氏の君の子である夕霧は、元服後「従四位下」に叙せられるならわしでした。特に源氏の君の権勢を考えれば「四位」に叙せられることも可能なはずでした。それが、「四位」ではなく「六位」に叙せられたことは祖母の大宮にとっては不満でした。源氏の君がなぜ、自分の息子を高位に任官させずに下位に任官させたかについて源氏の君は、「少女(おとめ)」の中で次のように語っています。(源氏の君)「思ふやうにはべりて、大学の道にしばし習はさんのほゐ(本意)はべるにより、いまふたとみととせをいたずらの年に思ひなして、おのづからおほやけ(朝廷)にも仕うまつりぬべきほどにならば、いま人となりはべりなん」原文の現代語解読文は次の通りです。(源氏の君)「思うことがありまして、夕霧を大学に入れてしばらく勉強をさせようと以前から考えておりました。もう、二、三年ほど学問のために遠回りをさせたとしてもその方が得るものも多いことでしょう。そのうち、朝廷に御仕えするようになりましたなら、人並みの官位に就くことができるでしょう」この後、夕霧は父・源氏の君の願い通り勉学に励んだことが「少女(おとめ)」の巻に記されております。下の原文の写真7行14字目から10行8字目まで。 「もんにん(文人)ぎさう(擬生)などいふなることどもよりうちはじめ、すがすが志(しう志(し)は(果)て給(たま)へれば、ひとへに心にいれて、師も弟子もいとどはげみし給(たま)ふ」 原文の現代語解読文は次の通りです。「夕霧は、擬文章生(ぎもんじょうせい)という試験をはじめ、どの試験もすんなりと合格した。今はひたすら勉強に励んでいるので、教える師も弟子も共に学問に勤(いそ)しんでいる」平安時代の大学とは、式部省大学寮のことで、文章(もんじょう)・明経・明法・算の四道を学んでいました。
2005年01月23日
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久しぶりにゲーテの本を読みました。「若きウェルテルの悩み」という本です。昔は、何度も読みました。ポケットに入る文庫本を何冊も買ってよく読みました。「源氏物語」に関わるようにになって、若い人の悩みは洋の東西、そして時代を問わないものだと確信することができます。今から1000年前のこと。源氏の君と女三の宮の子である薫の君は19歳になりました。 冷泉帝や秋好中宮から愛され、大切にされていました。 ある日、薫の君は自分の出生の秘密を知ります。 自分が源氏の君の子ではなく、柏木の子であることを。 薫の君は、悩みます。 薫の君の心情が「匂宮」の巻に記されています。 下の原文の写真10行7字目から11行11字目まで。 「中将は、世中(よのなか)を ふか(深)くあぢけなき物(もの)に 思(おぼ)すましたる心なれば・・・」 現代語訳文は次の通りです。「薫の君は、わが身の出生の秘密を知り、 人生を味気ないものと、 深く悟ったお気持ちになられたので・・・・」 自分の出生の秘密を知った薫の君が、 人生の悲哀を思い感傷的になっている場面を描いております。
2005年01月21日
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銀行の前を通りましたら、「初夢宝くじ」の看板が出ていました。ふと、「源氏物語」の中の夢のことを思い出しました。内大臣(昔の[頭とうの]中将)の姫君・雲井雁(くもいのかり)と源氏の君の子である夕霧の幼い恋は、内大臣が養育先の母・大宮の元から自分の邸へと連れ帰ることで一旦は終息します。 源氏の君の子である夕霧との交際を、なぜ内大臣は認めなかったのでしょう。「源氏物語」「少女(おとめ)」の巻にその理由が記されています。下の原文の写真6行4字目から7行3字目まで。「わくらはに、人にもまさることもやとこそ思ひつれ」 原文の現代語解読文は次の通りです。「もしかして、この雲居雁(くもいのり)を帝の元に后(きさき)として入内(じゅだい)させることができたかもしれないと思っていたのに」 源氏の君の親友であった頭(とうの)中将は、内大臣に昇進後、自分の娘を帝の后(きさき)に、との夢を抱いていたのです。 以前、「夕霧と雲居雁の淡い恋」が、内大臣の父の意向によって裂かれた箇所の原文の画像を公開しました。 そのおり、海外在住の「areaさん」と「Administrationさん」から「源氏の君と葵の上の息子である夕霧との結婚は、娘をもつ親なら誰しもが望むはずなのに雲居雁の父はなぜそれを裂いたのでしょうか?」という趣旨のメールが寄せられました。理由は、原文の中に記されている通り、「娘を帝の后(きさき)」というもっと大きな夢と野望があったからです。 原文は、「もっと良い人に」とも訳せますが、古来、この箇所の原文には次のような読み方が定着しています。「もし、まれにも雲井の后(きさき)にもやと思ひ給(たま)ひし也」(湖月抄) (「湖月抄」は、江戸時代の「源氏物語」の注釈書です。)
2005年01月15日
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「新年」という言葉の意味について話をしました。毎日、平安時代の古い言葉に接しているせいでしょうか。「新(あたら)しい」と「新(あらた)に」という言葉の使い分けがあります。「新(あらた)に」は、「改(あらた)める」がその語源です。江戸時代に言葉遊びが流行し、「あらた」が「あたら」にひっくり返ってしまいました。正月の書初めをしているお子さんも多いと思います。「源氏物語」の中にも習字のことが出てきます。紫の上は、幼いころ若紫(わかむらさき)と呼ばれていました。 その若紫に源氏の君が習字を教えます。 源氏の君は、若紫に、「をし(教)へきかえんかし」 (私が教えてあげますよ) と言って、習字を教えてあげます。 この箇所は、「若紫」の巻に記されています。 下の原文の写真1行6字目から14字目まで。 若紫は、源氏の君が下書きをした和歌を手本にして手習いをします。 しかし、書き損じてしまいます。 下の原文の写真5行3字目から同行末字まで。(若紫)「か(書)きそこなひつ」 はぢ(恥)てか(隠)し給(たま)ふ 原文の現代語訳は次の通りです。(若紫)「書きそこなってしまったわ」 と恥ずかしそうに書いたものをお隠しになられた。 幼い若紫の姿を生き生きと描写しています。
2005年01月08日
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年末から体調を崩しておりましたが、ようやく復調しました。あらためて、あけましておめでとうございます。 最近、室町時代の古い自筆の「伊勢物語」を読んでいました。 わが家には、平安時代からの古い和歌などがたくさんあります。ときどき、その書かれている字を指でなぞらえながら、1000年前も前の古い時代のことに思いをはせています。 全国各地で正月の行事が続いております。 1月初めの名古屋の熱田神宮や大阪の住吉大社で「踏歌(とうか)神事」という行事が行なわれます。 舞人や笛役など10人ほどの人が「扇の舞」の披露から「祝詞(のりと)」の奏上を行います。この時に演奏される鼓(つつみ)の音色から、その年の豊作を占うものです。 この行事は、平安時代から行われ、「源氏物語」の「真木柱(まきばしら)」の巻にも記されています。下の原文の写真1行17字目から3行19字目まで。 「御前、中宮の御かた(方)、朱雀院とに参りて、夜いたう更(ふけ)にければ、六条院には、このたびは所(ところ)せしとはぶき給(たま)ふ」 原文の現代語解読文は次の通りです。「踏歌(とうか)の一行は、冷泉帝の御前、秋好中宮の御前、そして朱雀院(前・朱雀帝)の御所にそれぞれ参ったので、夜が更けてしまったこともあり、源氏の君の居る六条院に行くのを省くことにした」 写真の原文をより見やすいようにするために原文の箇所3行文をさらに拡大しました。それが、下の写真です。
2005年01月03日
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