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1日中雨との天気予報。少しは人出が緩和するのではとの淡い期待も北鎌倉の駅に着いたときに崩れた。 人人人、傘傘傘の波。考えてみれば、有数の観光地である。天候などに左右されるわけがない。 最初にアジサイで有名な明月院を訪ねた。院に至るまでの小道も脇に小川が流れていて趣が深い。 境内は傘が一本道に連なっている。アジサイか傘か? 淡いブルーのヒメアジサイが雨に濡れて美しい。 次に向かった先は東慶寺。山の中腹まで延びた境内がよい。出るときに門碑を見たら鈴木大拙のほか、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、小林秀雄、高木惣吉、田村俊子ら文化人のお墓が多いとのこと。入る前に見ればよかった。 鎌倉までJRに乗り、江ノ電で長谷へ行き、長谷寺を訪ねる。 ここのアジサイも素晴らしかった。 今日はアジサイづくしの1日。 (鎌倉スライドショー)
2008年06月29日
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先日は久しぶりに、銀座で開かれた異業種交流会に参加した。 異業種交流会と言ってもピンきりなので、その選定が難しいが‥‥。 ここしばらく、このような会合に足が遠のいていたが、参加するとやはり刺激がある。 若い方が中心であるが、いろいろと発想が豊かで頼もしい人が多い。50代60代のサラリーマン世代とは根本的に違う何かを備えているような気もする。もちろん十把一ひと絡げで断定できる話ではないが‥‥‥。 いろいろな行動を起こす上で、素地になりえるものが含まれていると思うので、こんな時間を再度日常の中に織り込んでいきたい。
2008年06月28日
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以下は この方が毎日愛用している書評ブログである。 これらに一通り目を通すと、最近のほとんどの本は買わなくても大体中身がわかるとのこと。 書籍について有益な情報が含まれているので、参考にさせてもらおう。 とりわけ、ブログの題名で気に入ったのは、例の俳句をもじった「分け入っても‥‥。」であるが‥‥。・ 偉愚庵亭憮録 ・ 若林計志の東京漂流記blog ・ 浅沼ヒロシの書評ブログ 晴読雨読日記 ・ マインドマップ的読書感想文 ・ 404 Blog Not Found ・ かわうそ亭 ・ ダイアリー・フォー・アファメーション ・ わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる ・ 精神科医が読み解く、ビジネス・投資・自己成長のヒントになる本 ・ 分け入つても分け入つても本の山 ・ Makeup Life! メイクアップ・ライフ! ・ みんなのビジネス書 多読のすすめ ・ 粋な提案 ・ 【海難記】 Wrecked on the Sea ・ 仕組みと掛け算でビジネスを成功に導く【平成進化論】 ・ 俺と100冊の成功本
2008年06月28日
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夕刊フジのコラム「あたりちらす」から 毎週月曜日は名作採録ということで、過去に掲載した記事を再度取り上げている。 今回は梶山季之氏の名作再録(S46.12.19)である。 題は「贅沢について」 以下、一部抜粋引用 ”本当のゼイタクとはどんなものだろうか? むろん人によって、ゼイタクの尺度は違うであろう。 終戦直後、私のゼイタクとは、銀シャリに肉の缶詰をオカズに、腹一杯、メシを食うことだった。‥‥ ‥‥あれから二十数年。いささか趣を異にしているようだ。 今の私にとって、最高のゼイタクとは、なにか? ‥‥それはハッキリ云って、自分の時間をもつことである。‥‥ ‥‥自分で自由に使える時間をもつことが、人間にとって最高のゼイタクなのではなかろうか。 私はそう思う。 ただ、若い時には、その自由な時間の尊さに気づかない。 私も不惑を過ぎてから、やっとその貴重さに気づいたのだから。 若き夕刊フジの読者よ! どうか、時間を大切にしたまえ。 なんでもいい。自分のためになるようなことを、その自由な時間の中でしたまえ。 それが人間のゼイタクなのだ、と云うことだけを銘記しながら‥‥” 遅まきながら、時間が何よりも貴重だと実感し出したのは50歳前後から‥ ‥‥と云ってもうまく使えているわけでは全くない。 ただ、他のものと天秤にかけて、どんな場合も時間を優先するようになったのは確かである。
2008年06月27日
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「おでん」のお店。新橋の「お多幸」 以前に何回か、熱燗でおでんを食べたことがある。 久しぶりに店の前を通ったら、何かちょっと違和感が‥暖簾が下がっているはずが、と、片隅に張り紙がある。 「25日を持ちまして移転することになりました。‥‥」とのメッセージが‥‥。 ビルが建つので8月に場所を変えてオープンするとのこと。 また、ひとつ、味わい深い風物が消えてゆく。東京の一角。
2008年06月26日
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新聞のコラムに読めない字が出てきた。 さあ、これを引用するのにどう電子化すればよいのか?思案のしどころ。 基本的にはすべてネットで解決することをモットーにしている。 解決まで何分くらいでできるか?一つの楽しみである。 最初、「耳偏 一覧」で検索してみたが芳しくない。 「耳偏 卯」でも見つからない。 「教えてgoo」を頼ってみたら、同じような質問者がいた。 そこで見つけた漢和辞典 ‥‥ KO字源 早速調べてみると、なんと「いささか」と読むとは?! これは便利!! 使える!! 早速ブックマークした。
2008年06月24日
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本屋に並んでいるのは横目で見ていたが、手が伸びなかった。しかし、この方のブログをみて読んでみようと思った。 背表紙にこの本の本筋が端的に書かれているので。以下引用。 ”地頭力の本質は「結論から」「全体から」「単純に」考える三つの思考力である。この三つの思考力は訓練によって鍛えることができるものであり、地頭力を鍛えるための強力なツールとなるのが「フェルミ推定」である。” ちなみにここではフェルミ推定について「つかみどころのない物理量を短時間で概算すること」と定義している。 本筋についてはいろいろな書評に書かれているので、少しそこから離れたところで、本文から以下一部抜粋引用してみたい。 ”コミュニケーションで一番重要なこと、それは「自分が何を伝えたか」でなくて「相手に何が伝わったか」である。言葉で表現するのは簡単であるが、大多数の人はこの「ベクトルの逆転」ができていない、あるいはそれを自覚していない。皮肉屋として数々の名言を残し、ノーベル文学賞も受賞しているアイルランドの劇作家、バーナードショーの言葉に「コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である」というものがあるが、コミュニケーションギャップの本質をとらえたなかなかの名言である。” ”「どんなに少ない情報でも仮説は立てる」という話をすると必ずある反論は、「そうは言っても何も情報がなければ仮説は立てられないでしょう」というものである。つまり、「ニワトリが先かたまごが先か」という議論である。ある意味正しいのであるが、ほとんどの場合こう考えるのは正しくない。なぜなら「情報がない」という認識が間違っているのであり、実は必ず何らかの情報は持っているのにそれを使おうという姿勢がない場合がほとんどであるからだ。‥‥「情報を集めたい病」を克服するのが、仮説思考への第一歩であると考えていただきたい。” ”なぜフレーム思考で考えることが重要なのか?それは一言でいえば「思考の癖を取り払う」ためである。すべての人は過去の経験や知識から知らず知らずのうちに思考の癖がついている。これは必ずしも悪いことではなく、個人の個性や独創性もここから生まれるわけである。その一方で新しいアイディアをしがらみにとらわれずにゼロベースで考え出そうとするときや、認識が共有されていない他者とコミュニケーションするときには弊害となる。すなわち、フレームワークで考えることは、アイディア創出に役立つと共に、コミュニケーションを円滑に進め、後戻りを最小化させて効率化させることにつながるのである。 ”すべての人はものを見るときの立ち位置(視座)、方向(視点)や視野の広さ、あるいは具体的にはある言葉を聞いたときに思い浮かべる事象に違いがる。暗黙のうちに個人が持っている固有のものの見方のことでフレームオブリファレンスと呼ばれ、個人ごとの「思考の座標系」ともいえる。” ”二つの事象を比較してまず共通点から見るのと、相違点から見るのとではまったく異なった価値観になるのだ。「まず相違点から見る」というのは、地頭力に一番必要な「考える」という姿勢を拒否した思考停止の状態に陥ることを意味するのである。 ところが往々にしてイノベーションというものは、こういった「似ても似つかないようなものに共通性を見つける」という発想から生まれるものである。‥‥‥‥抽象化思考にあっては「対象とする課題が特殊である」と考えた途端に思考停止が起きる。そのため、本当に特殊なのかをきちんと切り分けて考えて部分的にでも抽象化・一般化ができないか、他の事例や歴史や一般法則から学べることがないかと考えてみることが非常に重要である。” 一般的に行われている考え方であるとは思われるが、系統立ててわかりやすくまとめられている本である。 特に「共通点を探し出す」ことが一つのキーワードであると感じた。 「地頭力」‥‥今年の流行語になりそうな感じである。
2008年06月22日
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この方の紹介を見て、早速、誉田にある岩盤浴に行ってきた。駅から大網街道沿いに千葉方面へ歩いて数分。 道沿いにさりげない佇まい。55年の歴史があるという。 入場時に簡単な説明を受けて、岩盤浴を開始。 中に入ると7~8名が仰向けに、下にバスタオルを敷いてねている。 BGMのクラシックが流れるなか、20分ほど汗をかき、外で中庭を見ながら休憩を取り、3度ほど繰り返した。 最後にシャワーを浴びて外へ出たら、さわやかな気分。 安い料金で時間は無制限。たまにはこのようなところでひと時を過ごすのも良い。 誉田ラジウム岩盤風呂
2008年06月22日
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夏至の日。20時から22時まで二度目のキャンドルナイト。 真っ暗な中、急に音に敏感になる。外から聞こえる車の走る音。モータリゼーションの世の中。あらためて音に浸食された世界になっていることに気がつく。 微妙な風の流れで揺れ動くろうそくの炎。時間と共に溶けてゆくろうそく。有限であることを実感できる。 自然との協調が意識でき、自然の息吹き・息遣いを感じ取れるようになる。 キャンドルナイト‥‥、今後、確実に拡大していくだろういい予感がする。
2008年06月21日
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帯に出井伸之氏の推薦の言葉が書かれている。 ”「ソニー、ホンダを超えてほしい」現代ビジネスは、20世紀とはまったく違うロジックで動いている。本書を読めばそれがよくわかる。” 世界初を次々に生み出しているベンチャーの起業物語。 著者はいずれもが1974年生まれの若者で、優良企業を飛び出してまで起こした会社。 バイマ、プレスブログ、フィルモ、シェアモなど、今までのフレームから飛び出したアイディア商品を次々と世に送り出している夢のある会社。 会社ができてまだ4年ちょっと、短いながら、そのプロセスでのいろいろな問題が描かれていて、これから起業を目指す人にとっては、大変に参考になる指南書である。 エニグモという社名もいい。謎をあらわすエニグマとウェブビジネスとしてのイメージのクモの巣を引っ掛けてあるとのこと。 これからの益々の発展が期待できる頼もしい会社であり、拍手を送りたい 今は本当にドリーミーな時代。もし、自身があと30年若かったら、と思ってしまう。 ------------------------------------------------------------------この本の著者であるマーク富岡氏は、英語も交渉もできなかった、会社でもその他大勢のひとりの普通の会社員でした。マーク富岡氏は、あることをきっかけに働き方を変えたことによって一転し、その後世界76カ国訪問し、数々の難航案件や数十億円の商談をまとめることができるようになったのです。この本は、若い頃のマーク富岡氏がユダヤ人マイヤー氏との出会いからはじまります。ユダヤ人をはじめ世界の一流のエグゼクティブとの交渉を通じ、実践で学んできた交渉やコミュニケーションのコツやヒントをストーリーとエピソードを中心に、楽しみながら読んで、自然と身につくよう書かれています。これまでになかった交渉術の本が堂々完成しました。「交渉術」にとどまらない相手に自分を印象づける「コミュニケーション術」「人間性が磨かれる」「仕事に自信が持てる自己啓発本」、として高く評価されており、 「エピソード中心なので、読みやすくておもしろく、自然に交渉力が身につく」「すぐに実行できる実践的なコンテンツが豊富」「これで相手の心をつかめる」など有名な書評家や多くの著名人そして各方面からの前評判が凄い本です。是非ともすべての人に読んでもらいたい、価値のある1冊です。6月22日(日)18:00~24日(火)24:00 豪華3大プレゼント付のアマゾンキャンペーンをやっているそうなので、この時期に買いですね! 詳しくはこちらから http://www.yemcojapan.co.jp/markbooks/------------------------------------------------------------------
2008年06月21日
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散歩写真という新たなジャンルでの著作である。 最近はデジカメで気軽に取り、手間やお金がかからずにすぐに写真を見たりHPにアップしたりすることができるので、今の時代にマッチした題目であろう。 以下、本文から一部抜粋引用 ”人は対象の中に自己と響き合うものを感じたとき、シャッターを押すものだ。つまり切り取った光景というのは自分が選び取ったものにほかならない。自分で選び取ったもの、自分が肯定したものは、自分をも肯定してくれるはずである。そんな写真をプリントして眺めると、肯定の循環が起こるというわけだ。さらには肯定した自分が何を見て、何に動かされたかを記録するという行為は、そのまま自分の居場所を確認する作業にもなる。 ただ撮るというだけではない。散歩写真にはこのような意外な効用もあったのだ。” なるほど、確かに写真を撮るときには、感性に揺り動かされて撮るもので、特に理論や明確な理由となるものが表立って常にあるわけではない。 そのような被写体を通して、自身の居場所や自身の潜在心理が浮き彫りになることもあるような気がする。 到知出版社発行 安岡正泰著 「安岡正篤 一日一言」から引用 6月9日 心花、静裡に開く 人間は改めて勉強する時とは別に思いがけない時、ふと目についた柱かけや扁額(へんがく)の文句などに、はっと心を打たれ、目をみはることが少なくない。そしてそれが又、思いがけない時に思い出され、心の養いになり、決断の力になることもある。 先日友人の家で、心花静裡開……心花、静裡に開くという額の文句を見て好い気分になり、主人の心胸をも窺う気がして楽しかった。
2008年06月09日
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今日の読売新聞の朝刊に「幻の時計CM 23年ぶりに復活」との見出しで目を引く記事があった。 以下、一部抜粋引用 <「はじめまして」/この一秒ほどの短い言葉に、一生のときめきを感じることがある。/「ありがとう」この一秒ほどの短い言葉に、/人のやさしさを知ることがある。> 23年前、美しい詩に彩られた時計会社のCMが、テレビで一度だけ放送された。評判が口コミで広がり、詩は今年、教科書にも載った。その「まぼろしのCM」が時の記念日の10日、‥‥放送される。‥‥ ‥‥リメークされたのは、セイコーウォッチの「一秒の言葉」(60秒)1984年にラジオCMとして制作され、翌85年にテレビCM化、同年暮れの民放「ゆく年くる年」で、一度だけ放送された。商品名はいっさい出ず、学校の校舎を背景に、小泉さんの歌が流れるイメージCMだった。 放送後、「あの詩を結婚式のスピーチに使いたい」「授業の教材にしたい」「卒業式で朗読したい」という問い合わせが、毎年のようにセイコー社に。詩はファンによりネットにもアップされ、今年4月には、小学5年生用の「道徳」副読本にまで採用された。” わずかな時間とちょっとした言葉の大切さをうまくドッキングさせた、さすがのコピーであると感心してしまう。 セイコー社のサイトから(一秒の言葉)
2008年06月08日
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気になるページや役に立つページを「お気に入り」にクリックしてそのままやりっ放し。 パソコン毎に散らばっていて、いざ使おうという時にどこに入れたかわからなくて有効に活用できない。 「お気に入り」を整理する必要があると前から思っていたが、面倒でそのままにしていた。 やっと、重い腰を上げてソーシャルブックマークを活用して整理を始めた。 使い方がよく把握できていないが、まずは、「はてなブックマーク」に何でも入れてみよう。 Diigo Buzzurl del.icio.us フロッグ AddClips livedoorクリップ はてなブックマーク
2008年06月08日
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5~6年前の小泉内閣のときから取っているが、当初は話題になり、興味本位に見ていたが、最近はあまり腰をすえて読んだことがなかった。 今朝の日経に官邸メルマガの発行部数の推移が記載されているのを見て、思い出した次第である。 記事によると、小泉内閣の最盛期には210万部を発行していたが、今では150万部とだいぶ落ち込んでいるという。 改めて思い出して、中を覗いてみると、首相のメッセージ、各大臣の言葉、私の住む町、編集長のひとこと、官邸こぼれ話、政府インターネットテレビ番組ガイド、福田内閣の動き、という構成になっている。 福田首相になってからは、表題に必ず「福田康夫です」という言葉が入っている。 以下、昨年10月の創刊準備号のメッセージを一部抜粋引用 ”国民の皆さんの気持ちになって、必要な政策を一つひとつ丁寧に積み重ね、さらに、その政策を皆さんに理解していただくことが、大事であると思います。そのためには、お寄せいただくご意見が大変重要であり、皆さんとの対話を重ねていきたいと考えております。 そうした思いから、小泉元総理、安倍前総理と続けたメールマガジンは、福田内閣においても引き継ぎます。 メールマガジンは、皆さん一人ひとりとのホットラインです。色々なご意見やできごとなどを、是非ともお聞かせください。皆さんとの双方向の対話の場として育てていきたいと願っております。” 「国民の皆さんの気持ちになって」の言葉‥‥忘れずにと言いたいが、とき既に遅し‥‥であるか??
2008年06月08日
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所要で六本木に行った帰り道、足を伸ばして恵比寿ガーデンプレイスにある東京都写真美術館に寄ってみた。 コーナーが3つくらいあって、それぞれ入場料を取る仕組みになっていて戸惑ったが、ちょうど森山大道展をやっていたので、それと、もう一つの展覧会を組み合わせてチケットを購入した。 入場者は絵画展と違い、比較的若い男性が多いようである。 森山大道展は大道作品が60年代から10年ずつの時代でテーマ分けされている。「ブレ、ボケ」写真の時代から、一時のスランプを経て、一貫して街頭や路上での撮影が多い。が、初期の比較的なじみやすい作品からだんだんと抽象性を増しているように感じた。 構図やカメラアングル、作品名などを今後の趣味の参考にしてみたい。
2008年06月08日
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ブログをにぎやかに‥‥ということで音楽のブログパーツの貼付けにチャレンジ。 使用したのはIVOONという米国のソフト。 好きな曲を選曲できるが英語なのでわかりづらい。 とりあえず、わかりやすいビートルズとカーペンターズ、サイモン&ガーファンクルの曲をセレクトしてみた。 Elanor rigby Lady madonna I want to hold your hand The fool on the hill Twist and shout All my loving Close to you There's a kind of hush I won't last a day without you Heather Desperado Love me for what I am うまくいくかどうか?? はこちらにて。 ブログ開くと必ず、流れる?? ビートルズはちょっとうるさいのであとで削除。
2008年06月07日
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所用があり、いつものようにバスに乗り、JRの駅に向かった。 駅までもう2~3分のところの信号で止まり、発進しようと運転手がギヤを入れるが、動かない。しきりにあちこちに動かし入れようとするが入らない。 だんだんとあせり出し、ついにはマスクを外して携帯で連絡。 事情の説明が終わってしばらくしたときに、後ろに同方向に向かうバスがやってきた。向こうの運転手に事情を話し、乗り換えて何とか駅にたどり着いた‥‥。が、こんなこと、初めて! 故障して動かない空っぽのバス ↓
2008年06月07日
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米国のソフトを使ってスライドショーを作成したみた。 写真をアップして、タグをつけるだけで簡単にできる。 ひとつは BUBBLESHARE 、もう一つは Flickr Slidr を使用して作成した。 関連した写真を載せることにより、ブログにもそれだけ情報が増えて、彩りを添えるので、使用価値は十分にある。 スライドショー 近所の桜を懐古調で 中山法華経寺の桜
2008年06月07日
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Flickr の写真共有サイトにチャレンジしてみた。 利用するにはアメリカのYAHOO IDが必要でこれを取得して中に入れる。 無料サイトは最新版の200枚のみ見ることができる仕組みになっているよう。 ここにアップロードした写真をブログに転載するのにFlickr to HTML というサイトを使うと簡単にHTMLを見ることができる。 このHTMLをブログに貼り付ければOKということで意外と簡単。外国のソフトは機能優先であまりややこしくない感じがする。 写真をブログに掲載する際には、この方法が役に立つ場合がありそうである。 ↓↓Wクリックで写真が拡大↓↓ 写真は先だっての連休中に、皇居東御苑で撮影したもの
2008年06月06日
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デジカメが爆発的に売れたが、プリンターで印刷する、フォトアルバムに共有する、パソコンで見る、ホームページやブログにアップする等、その後の楽しみ方が、今ひとつだった。 額縁のような液晶画面にメモリーカードを差し込むだけでスライドショーを楽しめる、デジタルフォトフレームは一歩踏み出したツールという感じがする。 お茶の間や居間などに、従来の写真立て等に変わって置かれる時代が目に見えるようである。 その他、応用範囲もいろいろ広げて考えられそう。 デジタルフォトフレームがブレークしそうな予感がする。
2008年06月05日
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先日はNHKの「プレミアム10 赤塚不二夫なのだ!!」を見て久しぶりに赤塚漫画に浸った。 ハチャメチャで奇想天外、型破り。 テレビで一つの漫画を完全放映したが、久しぶりに見て、単純明快なナンセンス?漫画に思わず吹き出してしまい、当時読んだときの面白さが蘇った。 少年サンデーのおそ松くんに始まった赤塚漫画とのつき合い。「シェー」!や「ニャロメ」‥‥、 そしてナンセンスで軽快なハチャメチャストーリーに続く、対照的で何とも重みのある言葉「これでいいのだ!」 このどっしりした肯定感が心地よい! 氏は6年間、意識不明のまま眠り続けているという。どんなストーリーを練っているのだろうか?
2008年06月03日
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今日は機会があり、以前から一度入ってみたいと思っていた品川の京急側の高架下の「麺達七人衆 品達」に寄ってみた。 メニューをみてつけめんの店「TETSU」に行った。 昼時前というのに、何人かが列を成しているので、評判らしい。 どっしりとしたふと麺がでてきた。スープは鰹節のだしが効いていて、辛めである。 並を注文したが、食べるのにけっこう体力を使う骨太のメニューである。 並が麺200g、大盛り300g、その上(メニュー名を忘れた)が400g、その上が600gとある。 600gなど食べたら動けなくなるのではないか? どちらかというと若者向けの店である。
2008年06月02日
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今日は会社で年に一度の定期健康診断の受診日。 つるんで受診する人はあまり見かけない。 皆、自身の身を振り返りつつ、言われるままに黙々と種々の診断を受けていく。 久しぶりに見かける人もいるが、それぞれが微妙にイメージが変化していて、時の流れを感じずにはいられない。と共に、それを鏡にして、自身の変化を想像してしまう。 健康診断は診断内容もさることながら、あらゆる意味で自分を客観的に省みるささやかなひと時である。
2008年06月02日
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”多くの人たちは旧いフレームから世界を見ている可能性がある。旧いフレーム――それは「工業社会のフレーム」である。” このような仮設を立て、本書は書き進められている。 以下、本文から””部 抜粋引用 ”現代は情報が爆発的に広がる社会で、その特徴は、「情報というものが膨大な量で流通し、それを処理することに人の志向が向かざるを得ない。」このような成り立ちの社会だからこそ、ビジネスでは「感性」に焦点を合わせる必要がある。なぜならば、「感性」は人が高次に(高いレベルで)情報を処理するメカニズムそのものだからだ。” ということで筆者はこのような社会を「感性社会」と定義している。 再度引用 ”かっての工業社会においては、他社の解をそっくり真似ることで成功する確率が高まった。しかし、今日重要なのはむしろ真似ではなく、「差異」や「らしさ」があることだ。” ”感性社会の特徴は三つある。 一つ目は、これをやれば必ずこうなるという決まりきった解答がなく、単一の解もないこと。 二つ目は、今日の解は明日の解ではないこと。 三つ目は、A社の解はB社の解ではないこと。” ”私が強調したいことは、他社で成果があがったことを真似てはいけないということではない。 何も考えないで真似てしまうことが、今日のビジネス社会において危険であるということだ。‥‥‥‥そこで重要なことは「考えること」そして、さらに重要なことは、そうした成果や現象を見るときに「どこを見ることができるか」だ。‥‥‥‥それは目の前にある結果ではない。その結果に至るプロセス、「思考のプロセス」である。” ”それを見ることのできるフレームが重要であり、そのフレームから自然に物事が見られるようになることが重要だ。” ”先の読めない社会では、小さな物事から、大切なものを見通すことが重要なのだ。” ”実は、われわれが生活している社会は、データ社会と呼ぶべきものではないかと思う。(中略)データはコミュニケーションを構築するための原材料であり、完全なメッセージではないのでコミュニケーションとしての価値がないと考えられる。(中略)データは情報になってはじめてわれわれに伝達するのにふさわしい形になる。データを整理して意味のある形にまとめ、適切な方法で提示し、それを含むコンテクストを伝えることで情報に変わることになる。‥‥‥‥自分にとって「意味あるもの」として受け取れたもの、それが情報である。” ”いまや実社会で求められるビジネスパースンの能力が、「こなす能力」から「自らスピーディーに新しい価値を生み出す能力」へ変わったと認識している。お客さんにとって新たな価値を創造すること、これがいま日本のビジネス界における、大きな課題なのである。” ”価値創造のために「感性情報をデザインする」とは、消費者の心の中の変化を起こすために、「どういう情報をどう構成すればいいかを考える」ことである。” ”言いたいことは、われわれは今仕事上で、感性情報をいかにうまくデザインできるかを問われている、ということである。 あなたが今どんな業種についていようと、会社の規模が大きかろうが小さかろうが、扱っているものがモノであれサービスであれ、働いている場所が東京のど真ん中でも、遠く離れた離島であっても、それが問われているのである。 だからこそ、感性社会に適したフレームでビジネス現場を見て、出来事やデータを分析し、課題解決に取り組むときの基本的な見方は、「感性情報デザインがいかになされているか」ということになるのである。” ”‥‥軸が必要だ。 この軸は自分そのものだ。 この軸は仕事の根っこ。 この軸を変えてはいけないのである。 この「軸」をもっと本質に近い言葉で置き換えると、こういう言葉になる。 「道」である。 感性社会で問われるものは「道」である。 道には信念も含まれるし、哲学も含まれる。ミッション、使命という言い方もある。人によってはライフワークだろう。あるいはもっと噛み砕いて、何をお客さんに伝えたいか、教えてあげたいか、どんなことをやっていきたいかということでもいい。 それを私は「道」と呼ぶ。感性社会では道が問われるのである。” ”われわれが仕事をしている社会は、変化が速く、単一の解をもたない社会だ。そこでは動いているものを動いているままに扱う態度が重要だ。” ”大切なことは、感性社会のフレームの存在を知っており、そこから世界を見ようと意識していることだ。 したがって、感性情報デザインの匠になる第一歩は、まずフレームを知ることだ。「知る」ということは尊いことで、そこからすべてが始まるのである。 そうして、情報の集め方やその受け取り方、さらには仕事への具体的な活かし方まで、感性社会のフレームで物事を見て、そのフレームからいろいろな振る舞いをすることが大切だ。 そして、その基盤の上に立って重要なものは、行動量である。” ”仕事を通じて道を普及させている人たちを数多く知っているが、彼らに共通するものがある。 それは仕事に喜びを感じているということだ。 彼らの仕事はやりがいに満ちている。 彼らの姿を生で見て、語る言葉を聞いたとき、多くの人は感想をこう語る。 「自分の仕事を語るときの表情が違うね」‥‥ ‥‥楽しいからやるのである。 感性社会では、「仕事」はこうして「遊び」になる。 まさにかって、いまや世界的企業であるGEの創業者でもある、かのエジソンはこんな言葉を残した。 「やりたことを見つけなさい。そうすればあなたは明日から働かなくていい」 あれはこういうことだったのではないだろうか。” 感性社会のフレームをまず知り、そこから世界を見る習慣をつけ、行動していくことにより、「何か」を発見していきたい。
2008年06月01日
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江戸時代の街並みを再現したテーマパーク「日光江戸村」 最近は外国人観光客の誘致にも力を入れており、ここのところ外国人の入場者も急増しているらしい。 武器になったのが「忍者」とのこと。職業が「忍者」の社員を約20人抱えていて、海外営業に実際に連れて行き、大変に興味を引いている様子。 そして場内には入場者が侍や忍者、お姫様のコスプレができる「変身処」これも人気を呼んでいるとのこと。 事務所では文字通り、江戸時代の人々が最先端のIT機器を駆使して仕事をしている、このユニークさ。 テーマパークもそれぞれが「らしさ」を発揮していて面白い。 いずれにしても、これからしばらくは江戸文化が注目される時代であろう。 下記写真は先週号のアエラより
2008年06月01日
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”「どうして勉強しなきゃいけないの?」「退屈力を鍛えるためだよ」 退屈の中に宝がある。 退屈力で子供は伸び。人生にも効く!” 帯に書いてある文言は言いえて妙である。 若いときにラッセルにはまってしまったという著者。ラッセルの『幸福論』の第四章に「退屈と興奮」と文章があるらしい。退屈の心理をそこから学んだことが本書から読み取ることができる。 以下、本文から抜粋引用 ”そしてラッセルは退屈の反対の概念を提示する。「ひと言で言えば、退屈の反対は快楽ではなく、興奮である」‥‥‥‥興奮状態は快楽につながってゆくので、それを完全に排除することは、現代人において非常に難しい。 しかしラッセルは警告する。 「戦争、虐殺、迫害は、すべて退屈からの逃避の一部であった。隣人とのけんかでさえ、何もないよりはましに思えるのだ。」 「人類の罪の少なくとも半分は、退屈を恐れていることに起因しているからだ。」 酒をはじめとして、他人を攻撃することなど、そのようないろいろな罪が、退屈を恐れることに起因しているというのは、なかなか大胆な指摘に思われる。どうしても、罪とは、何らかの利益を得ようと思って犯すものだと考えられがちである。人を殺すのも、その人が憎くて殺すと考えるのが普通だろう。しかしラッセルは、退屈を紛らわせるためにはじめるものがあるという。 そこで思い浮かぶのが、「いじめ」の問題である。‥‥‥‥ローマ人はコロッセウムで奴隷同士を戦わせ、獣と奴隷を戦わせた。民衆は興奮した。興奮のためには、別にその人間が死んでも構わなかった。‥‥‥‥共通するのは、何かをいじめて、それがもがくのを見るのは楽しいことであり、退屈を紛らわせてくれるとおいうことだ。ラッセルの指摘は、あながち外れてはいないように思われる。そしていよいよ、ラッセルは興奮を求めるあり方に疑義を差しはさむ。「結局、前の晩が楽しければ楽しいほど、翌朝は退屈になる。中年がくるだろうし、さらに、ことによれば老年さえくるだろう。」つまり、刺激の強度を高めていっても、やがて無理が来ると指摘する。刺激を強めることで、中年、老年を乗り切るのは無理だろうと言う。そして、興奮を求めるメンタリティを排除することはできないにしても、興奮欲ともう一本、退屈の力というものの二本立てにすることによって、生活のバランスはとれるのではないかというのだ。” ”いろいろなものに接したとき、一見退屈そうに見えるものの中に、豊かさを見つけ出してほしい――それがこの本の、一つの提言である。そのとき必ずや、独特の喜びを得られるはずだ。” ”本当の豊かさというのは、ゆるやかな刺激の中にこそ、そして、退屈なものの中にこそあるのだということを強調したい。 そして退屈なもの、特に古典と呼ばれる、時間の洗礼を受けたものの多くは、反復に耐える豊かさを持っている。” ”一見退屈そうに見える世界に入り込む楽しさを覚えてしまうと、人生でやることがなくてつまらないということには、もう絶対にならない。そしてこれらのすごいところは、絵画を見ること、クラシックを聞くことが、何かの役に立つとか、何かの手段になるといったものではなくて、それ自体が最終的な喜びをもたらしてくれるというところだ。それが、芸術の持つ価値なのである。” ”ユトリロは、生涯を通じて、教会も描き続けた。パリの教会を描き、旅先で出会った小さな教会まで描いている。それを見ていると、ユトリロにとって、描くということは祈るということと同義だったと感じずにはおれない。サント・ヴィクトワール山を描き続けたセザンヌの晩年も、描くことは同時に祈りだったように思える。 祈りはまさに神との対話であると同時に、自分の心を安らかにすることでもある。画家の作業はまさに「退屈力」に裏打ちされた祈りである。しかし、画家でない私たちも、自分の風景を、特に自分の住まいの周りで、身近な場所で持つべきことは、とても大切だ。” ”日本人はこれまで、いまの比ではないほど、寂しくて、手持ち無沙汰な日常を過ごしてきた。だから、花をめでるだけ、月をめでるだけで、何時間も過ごし、それを伝統的に歌に残してきた。日本の文学の多くは、退屈を味わうことを教えてくれるものになっている。ちょっとしたことでも、こんなにも楽しめるのかと驚いてしまうほどだ。‥‥‥‥次から次へと刺激を求めさせられる「高度刺激社会」では、自分自身の人生が、消費社会の側に奪い取られてしまいかねない。そうではなく、それとは真反対の、退屈を味わう生き方が、日本の伝統として脈々と受け継がれてきたのである。” 退屈を見方にして豊かで穏やかな時間を過ごしたいものである。
2008年06月01日
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