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May 16, 2023
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カテゴリ: 教学

1 回  誓 願

日蓮大聖人の 60 余年にわたる御生涯は、全ての人々の不幸を根絶し、仏の境涯を開かせたいとの慈悲の誓願に貫かれています。それは、民衆の幸福を阻む悪を責め抜き、大難に次ぐ大難を勝ち越えられた不惜身命の大闘争の一生涯でした。

新連載「日蓮大聖人――西岸と大慈悲の御生涯」は、「日蓮大聖人御書全集 新版」に基づいて、時代状況や御文から推測されることも踏まえ、伝承に対して再検討を加えながら内容を構成します。さらに池田先生の講義を学び、私たちが末法の御本仏と仰ぐ日蓮大聖人の御事跡をたどります。

池田先生はかつて、戸田先生の指導を教えてくださいました。

「太平洋のような大境涯の信心で、御書を拝していかなければ、大聖人の御心に近づくことはできないよ。ただ才智で御書をわかろうとすると、大きな過ちを犯してしまうものだ」

大聖人の御生涯をたどる中で、明らかになっていない点もありますが、一つ一つの事実を積み重ねながら、どこまでも求道の姿勢で、大成人の御心に、少しでも近づいてまいります。

「一人の人間」が、偉大なる仏の境涯を開いていけることを証明されたのが、日蓮大聖人の御生涯です。その偉大な生命が万人に具わっていると信じ、それを現代に示したのが、創価学会の第三代の会長であり、創価学会員による人間革命運動にほかなりません。

激動の鎌倉時代にあって、人々が持つ無限の可能性を開こうとされた大聖人の慈悲の大闘争は、 800 年の時を経て、感染症や自然災害、官許追う問題等の困難に直面する現代を生きる私たちに、大いなる希望と勇気と智慧を送っています。

「一人の人間」として

仏の境涯を開けることを証明

庶民の生まれを誇りに

今から 800 年前の貞応元年(=承久 4 年【 1222 年】月 16 日、日蓮大聖人は、安房国長狭郡東条郷の片海(現在の千葉県鴨川市内)で誕生されました(注 1 )。

大聖人は御自身について、「安房国の海辺の旃陀羅が子なり」(新 1196 ・全 891 )、「海人が子なり」(新 310 ・全 370 )と記されています。「旃陀羅」とは、サンスクリットの「チャンダーラ」の音写であり、古代インドで四つの身分の再下層よりもさらにしたとされた階層で、狩猟や漁猟、屠畜(家畜を食肉用に解体すること)などの仕事と関係があるとされていました。このことなどから、片海の海辺の漁村であり、大聖人の漁業に関わるお家にお生まれになったと考えられます。

また、「辺土に生をう(受)く。その上下賤、その上貧道の身なり」(新 69 ・全 200 )、「貧窮・下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり」(新 1287 ・ア全 958 )「遠国の者、民が子」(新 1768 ・全 1332 )等とつづられています。

法然や親鸞、道元といった鎌倉時代に誕生した所収の開祖たちが、貴族や地方豪族など、社会的身分の高い家柄の出身であったのとは対照的に、大聖人は庶民の子としてお生まれになり、むしろ、御自身はそのことを誇りとされていたのです。

ご両親については、はっきりとしたことは明らかになっていません。御書を拝すると、「領家」とつながりがあったことが分かります。領家とは、荘園領主のことで、荘園制において土地の所有者から寄進を受けた中央の権力のある貴族です。大聖人は、「領家の尼」と呼ぶ人物について、「日蓮が父母等に恩をかほ(被)らせたる人」(新 1208 ・全 895 )と仰せになっています。また、御兄弟の存在がうかがえる御文もあります(新 70 ・全 200 等参照)。

本格的な武家政権

御生誕の前年の承久 3 年には、後鳥羽上皇が執権・北条義時追討の命を発し、これに対抗した幕府側が勝利した「承久の乱」が起こっています。これにより、それまでの朝廷と幕府の力関係和大きく変化し、本格的な武家政権が確立されていきました。

当に、時代の転換期に大聖人は誕生されたのです(ノート参照)。

仏教という側面から見ると、後鳥羽から朝廷は、真言密教で最高とされる、「十五段の大法」をはじめ、当時のさまざまな調伏(敵や魔を退散させる祈り)の祈禱を行っていました。これに対し幕府側の祈禱は、わずかなものでした。祈禱には武力と同じように現実的な力があると考えられていたので、万全の祈禱を行った朝廷が敗北するとは、とうてい考えられなかったことだったのでしょう。このことについて、大聖人は幼少の頃から疑問を抱き、答えを経典に求めるようになります。

災害が打ち続き、人心が乱れる中で研鑽

末法の到来を実感

大集経という経典には、「闘諍言訟して白法隠没せん」と説かれ、釈尊滅後二千年を過ぎると、仏法の中での争いが激しくなり、正しい法が見失われる時代になることが示されています。

仏教を学ぶ人々は、この経典に説かれる様相を目の当たりにし、末法の到来を実感していったのです。末法とは、仏の滅後を三つの時代に分けたうちの一つで、仏の教えの効力が消滅する時代のことです。当時、末法には釈尊の教えのみがあり実践とその結果としての覚りがないとされていました(注 2 )。日本で「末法に入る」と考えられていた年は、平安時代の永承 7 年( 1052 年)でした。

平安時代末期から、大聖人が聖誕される鎌倉時代初期にかけて、天候の異変による災害が続きました。例を挙げると、治承 4 年( 1180 年)の干ばつによって、西日本が深刻な飢饉に見舞われています。大聖人がお生まれになって間もない安貞 2 年( 1228 年)には、東日本が台風に襲われ、政治の中心地であった鎌倉でも大きな被害が出ました。

世の中の秩序も乱れました。大飢饉の渦中にあった寛永 3 年( 1231 年)には、京都で強盗が多発したという記録が残っています。

「まず臨終のことを」

本格化する武家政治、打ち続く災害、乱れ行く人々の心――。そのような時代の中で、大聖人は成長されました。

12 歳になると、安房国の清澄寺において研鑽・修行をはじめられます(新 310 ・全 370 )。

この頃、清澄寺の虚空蔵菩薩(注 3 )に「日本第一の智者となしたまえ」(新 1206 ・全 893 等)との願いを建てられました。そして、 16 歳の時、出家されたと考えられています。出家の際の師匠は道善坊という僧でした。

大聖人は、「まず臨終のことを習って後に他事を習うべし」(新 2101 ・全 1401 )と考えられました。乱れた世相を見つめ、生死の問題を解決することが出家の動機であったと拝されます。

以後、何としても生涯のうちに成仏のための修行を成し遂げ、生死の苦しみから脱するため、仏法を学び極めようとされます(新 2106 ・全 1407 参照)。

それは、大聖人一人だけのためではありません。出家と俗世を離れて仏道修行することですが、大聖人は、「父母の家を出でて出家の身となるのは、必ず父母をすく(救)わんがためなり」(新 58 ・全 192 )と仰せになっています。これは一般論として記されたものですが、大聖人御自身のこととも拝せます。さらに、「父母・師匠・国の大恩に報いるには、仏法を完全に習得し、智慧ある人となって初めて可能となるのではないか」(新 212 ・全 293 、趣意)とも仰せです。

身近な人々の恩に向きるため、生死の苦しみを超えるため、「日本第一の智者となしたまえ」との願いを立てられたのです。

なお、大聖人が〝父母のため〟後に仰せになっているのは、最も身近な存在を、現実に生きる民衆一人一人の代表として挙げられたからではないかと拝察されます(新 102 ・全 223 参照)。

民衆救済といっても、具体的な一人を幸せにできるかどうか、です。「父母をすく(救)わんがため」との仰せは、混乱し、人々の苦悩が深まる時代の中で、生き抜く希望と勇気をもたらす宗教を強く求められたからこそのものではないでしょうか。

「日本第一の智者となし給え」

「大智慧」を得る

祈りの中で、大聖人はある時、智慧を得られます。そのことを後に、虚空蔵菩薩から「大智慧」「明星のごとくなる大宝珠」の右の袖に受け取り、この智慧によって、さまざまな宗派、経典の優劣が分かるようになったと記されています(新 1206 ・全 893 、「池田先生の講義から」参照)。

大いなる知恵を得た大聖人は、鎌倉や、仏教就学の中心であった比叡山延暦寺をはじめ京都などへの求道の旅に向かわれたのです。それは、仏法を究め、民衆を救う誓願の人生の旅立ちでもありました。(続く)

(注1) 御聖誕の日付についての記述は御書にないが、大聖人が亡くなられて数十年後に現されたとされる「三師御伝土代」に「 2 16 日」とあり、広く支持されている。また、御聖誕の正確な地点は明らかになっていない。大地震や大津波によって海底に沈んでしまったと考えられている。

(注2) 三つの時代(三時)とは、正法・像法・末法のこと。一般的に日本では、中国の僧・基(慈恩大師)が『大乗法苑義林章』で述べた説に基づき、正法とは、釈尊の教えとその実践である行とその結果である証の三つがそなわる時代。像法とは、「教と行があって証のない時代とされる。

(注3) 虚空のように広大無辺で揺るぎない智慧と福徳を具え、是を衆生に与え、願いを満たして救うという菩薩。清澄寺は宝亀 2 年( 771 年)、無名の法師が虚空蔵菩薩像を刻んで小堂を営んだのが始め利とされる。

関連御書

「佐渡御勘気抄」、「本尊問答抄」、「開目抄」、「佐渡御書」、「中興入道消息」、「清澄寺大衆中」、「神国王御書」、「妙法尼御前御返事」、「妙法比丘尼御返事」、「報恩抄」

参考

「池田大作全集」第 32 巻(「御書の世界 [ ] ――人間主義の宗教を語る」第一章、第二章)

池田先生の講義から

諸宗、諸経の肝要を知る智慧とは、仏法の根幹にかかわる智慧です。

要するに、妙法の智慧を開かれたのです。

民衆を根本から救いたいとの大誓願を持ち、必死に求道され、開覚されたのです。

わが身の法性を、豁然と開覚されたと拝することができます。凡夫の身に仏性を開かれたのです。

どうすれば民衆を救えるかという深く真剣な祈りゆえに、智慧の宝珠を得られたと拝される。

大事なことは、大聖人が、それを到達点とされるのではなく、この悟りを出発点として、さらなる求道の道に入っていかれたことです。

大聖人の誓願は、恩ある人々を救うために日本第一の智者になりたいということです。

その誓願を、御遊学を通して、末法全体を救済したいという誓願に深められていった。そして、広宣流布の大願として確立され、立宗宣言に至る。

自分だけ悟りの安住するのは、ある意味では簡単です。大聖人の場合は、つねに民衆を救い、末法の時代を現実に転換するための智慧を求めておられる。自分に覚りがあったからと言って、それで終わりではない。

つねに「誓願」があって「悟り」がある。

立宗後も、大難を超えられながら誓願を貫くことによって、悟りを深められ、ついには発迹顕本されて、末法の御本仏の御境地を顕されていくのです。

(「池田大作全集」第 32 巻(「御書の世界 [ ] ――人間主義の宗教を語る」第二章)

ノート

歴史の転換点「承久の乱」

日蓮大聖人が度々、言及される承久の乱について確認します。

承久の乱が起こる前、後鳥羽上皇と第 3 代将軍・源実朝との関係は良好でした。その上、上皇の皇子を後継将軍に迎えることで権威を高めたい鎌倉幕府と、わが子を将軍に据えて、東国にも影響力を持ち、日本全体を支配したい上皇とが、それぞれの利益のために手を結ぶはずでした。

ところが、建保 7 年(=承久元年〈 1219 年〉 1 月、実朝が暗殺されるという衝撃的な事件によって事態は急変します。

信頼関係にあった実朝の暗殺を防げなかった幕府に対して、上皇は不信感を募らせていったようです。

さらに、実朝の家司 ( 家の庶務を司る職 ) で、同年、大内守護(皇居=内裏〈当時は大内裏といった〉を守護する職)になった源頼茂が、 7 月に謀反の疑いで追討された揚げ句、内裏の中心に当たる仁寿殿に火を放って自害します。これによって代理は焼亡してしまいます。この大事件に心を痛めた条項に追い打ちをかけたのが、内裏の再建に幕府が協力しようとしなかったことでした。そのような幕府を支配下に置くべく、上皇は行動を起こします。

承久 3 5 月、執権・北条義時追討の命令を下したのです。

これを知った幕府側は、北条政子を中心に結束し、即座に反撃に出ると、激戦を制して京都に入り、幕府側が勝利したのでした。

しかも乱の首謀者である後鳥羽上皇が隠岐国 ( 島根県隠岐諸島 ) に流されたのをはじめ、 3 人の条項が配流されるという前代未聞の結末となりました。

上皇方の所領は没収され、その地に新たな地頭 ( 幕府から任命され、警察権や徴税権などを持つ職 ) が設置されます。没収地は西国が多く、東国の武士の温床として与えられると、多数の武士が移住しました。京都には、幕府の出張所である六波羅探題が設置され、東国中心であった幕府の勢力が、西国にも及ぶようになりました。

幕府をコントロールし、日本全土を支配しようとした上皇。上皇の権威を借りようとした幕府。お互いに力を合わせようとした勢力が、力関係を逆転させ、貴族による支配から武士による支配へと、誰も予想しなかった歴史の大転換が起きたのが承久の乱でした。

この翌年、日蓮大聖人が誕生されたのです。 ( 坂井孝一著『承久の乱――真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書等を参照しました )

【〚御聖誕 万 800 年記念企画〛日蓮大聖人――誓願と慈悲の御生涯 創価学会教学部編】大白蓮華 2022 2 月号






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Last updated  May 16, 2023 09:43:37 PM
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