地を這う虫

2023/03/18
XML
カテゴリ: 新聞記事
3月末までの工期の仕事を両手くらい抱えていたが、ここ数週間土日も休まず仕事に励んだので、7~8割かた完了しました。一番やっかいでややこしい仕事にもケリがついたので一安心。後は惰性でも処理できるやつ(のはず 苦笑)だから今日は完全休養日にすっかなぁ~~。

そろそろ海水温も少しずつ上昇し、最近は投げ釣りで30~35センチくらいのカレイがちょこちょこ上がってるみたいだから、釣りにも行きないなぁ~~。いわゆる「花見カレイ」ってやつですな。2日ほど寝かせたマコカレイの刺し身って、養殖ヒラメよりもずっと美味いんだよな。食いたいなぁ・・・。勿論メイタカレイでもOK。でも、30センチサイズのメイタカレイの釣れる確率は極端に低いからな~~。


【閑話休題】


先日、alex99さんとこの記事

大江健三郎逝く

にコメントを書きました。私の大江健三郎への評価はそこに書いたとおりです。

学生時代に読んだ大江の小説は、記憶では

「奇妙な仕事」、「死者の奢り」、「飼育」、「人間の羊」、「芽むしり仔撃ち」、「見る前に跳べ」、「不意の唖」、「戦いの今日」、「われらの時代」、「青春の汚名」、「上機嫌」、「遅れてきた青年」、「セブンティーン」(出版社への右翼の襲撃事件又は脅迫事件があった影響で、販売自粛になり当時既に手に入らなかったかも)、「日常生活の冒険」、「性的人間」、「空の怪物アグイー」くらいですかね。「万延元年のフットボール」は数十頁読んだ後脱落しますた。とても読めません。だらだらと牛の涎のように長くて理解しにくい文章はとても読めませんわ。

あ~~~、「死者の奢り」「飼育」「見る前に跳べ」といったごく初期の小説は文章も感性も瑞々しくて秀逸だと今でも評価はしておりますよ(苦笑

学生時代の一時期学生寮に住んでいました。同期の友人の部屋に遊びに行くと大江の評論集「厳粛な綱渡り」、「沖縄ノート」、「核時代の想像力」等を本棚に並べてる奴が数人いましたが、私は評論集を読んだ記憶はありません。まぁ、そういう評論集を本棚に並べてた奴(読んでたどうかは知りません 笑)はだいたい朝日ジャーナルを読んでましたね(苦笑


今朝の日経新聞の文化面(48面)に

自由をつくったひと 大江健三郎さんを悼む 作家 星野智幸

という文章が載っていました。日経のサイトには「2023年3月15日 5:00 [有料会員限定]」との記載がありますな。関東版の紙面には3/15に載った文章なんでしょうかね。ようわからん。
有料会員限定記事だけど、最初の数行は無料で見られるので、ここに転載させてもらういませう(コレコレ

--------------- 転載開始 ----------------

大江さんは私の母と同じ昭和10年(1935年)生まれである。私の母が認知症になり衰えていく姿を見ながら、私はときおり大江さんのことを考えた。だから、この日が来る心の準備もできていたと思っていたけれど、逝去の報に接したら、覚悟していたよりもずっと大きな喪失感に見舞われて虚脱した。

最初に感じたのは、民主化された戦後の日本で、言語表現の自由を格闘しながら作ってきた経緯と大変さは、今後、忘れ去られてし...


---------------- 転載終了 ----------------

紙版の文章を全文読みましたが、たいしたことは書いていないです(笑
ほぼ全文星野智之の思い込みに基づく駄文です。他は2011年に「俺俺」という星野の小説を大江健三郎賞に選んでもらった感謝、エピソード絡みの話です。個々の文章をアレコレ批判するほどの価値もない文章なので、内容についてはこれくらいで・・・(笑

で、、、

ノーベル文学賞受賞の大作家先生(笑)の大江健三郎の追悼文が星野のような小物が書いたものでいいんですか???

と日経新聞に尋ねてみたいな、ということです(笑
大物の作家先生に「大江の追悼文なんて私は書く気は毛頭ありません」てな感じで断られ続けた結果、星野にお鉢が回ってきたのではないか(笑


私は星野智幸の小説なんぞは読んだことがないし、読む気も皆無です。ですが、星野智之という名前には記憶がありました。ここ最近、世間では野球のWBCの話題で盛り上がってます。普段野球に興味がないうちのかみさんや娘もTVで観ています。まぁ、大谷選手見たさ所以だと思います。かみさんは大谷はかっこよい上にかわいいと言ってますから(苦笑

そのWBCの2006年大会時のイチロ-選手の発言について、当時中日新聞にクソみたいな駄文を書いた奴が、この星野智幸です。。。


2006年4月3日 中日新聞夕刊・文化欄に載った星野智之の文章の一部は↓




当時、こことは別のブログでこの件について書いた文章があるので、それをここに貼っておきませう。東海地方在住時、会社で中日新聞をとっていたので、会社で読んだり家に持ち帰ってざっとは目を通していました。
まぁ、中韓に極めてお優しい新聞ですわ。特に韓国については、彼らの主張を日本はなんでも喜んで受け入れろ!という極めて明確なスタンスです。トヨタ等の製造業が盛んな地域である東海地方で絶大な影響力を持つ(であろう)中日新聞がなぜこれほど中韓べったりなのか、私には意味不明でしたけどね。企業労組がそういう立場だからなのかな?ようわからん。


某ブログで2006年4月上旬に書いた記事を以下に貼っておきます。




そのうちこのような記事が載るだろう予想していたら、案の定、昨日の中日新聞夕刊に星野智幸という作家の電波文章が載りました。愛工大名電高出身のイチローは名古屋では英雄なので、昔から中日新聞は基本的にイチローを誹謗中傷する記事は書きません。だけど、今回のWBCでのイチロー発言は中日新聞又は東京新聞の首脳陣には我慢ならなかったようですね(笑)。以下に記事をスキャンした画像を載せておきます。星野というこの作家の小説を全く読んだことがない私ですが、小泉純イチロー首相という作家にあるまじき下品な表現を読むだけでこの作家の値打ちがどれほどのものか充分に理解できる。すべての文章が電波まみれで読むと気分が悪くなるが、この男が書くように「こじれる一方である首相の靖国神社参拝問題などによって、日本人の間に韓国を疎ましく思う気持ちが強まっており、WBCで・・・・」というのは明らかな嘘だろう。とりあえず「竹島」の不法占拠を即刻中止して出直してこい というのが「韓国を疎ましく思う」理由として大きいと思いますが、私は。それから、「韓国や中国がうるさく言うからあえて参拝してやれ、という一種の嫌がらせのような空気すら・・・」という記述があるが、私はそれ大賛成です。あえて参拝してやることに意義があるのです。嫌がらせ、大賛成です。中韓の数十年来続く嫌がらせには「嫌がらせ」で対抗するのは当たり前でしょう。



以下は記事の引用です。ネットのどなたかの日記からパクリました。


差別はなかったか…WBCがまとう暗いナショナリズム 星野智幸

 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で王ジャパンが優勝した日、日本じゅうが盛りあがっているのを尻目に、私は暗い気分でいた。WBCがアメリカ主導のいびつな運営だったというだけでなく、イチロー選手の言動とその受け止められ方にどうしても引っ掛かりを覚えてしまうからである。

 イチロー選手の才能と偉業には、私も常々、畏敬の念を抱いてきた。あれだけ巨大な存在だからこそ、その発言は当人の意図を超えて、よいほうにも悪いほうにも影響を及ぼす。私が疑問を感じるのは、イチロー選手の発言をめぐる日本社会の反応である。

 特に私が違和感を覚えたのは、二次リーグで韓国に連敗を喫した後の、「ぼくの野球人生の中で最も屈辱的な日です」というコメントである。 「屈辱」という言葉は、ライバル意識や「悔しい」という自分の内面を示すだけでなく、 相手から不当な辱めを受けたという敵も含む。 私はここに、相手を蔑むニュアンスを感じずにはいられない。 仮にあなたが、同期入社の社員より早く係長なり課長なりに昇進したとしよう。 その社員が「最大の屈辱だ」とコメントしたら、あなたは「見下された」と感じないだろうか。むろん私も、月面に着陸したアメリカ人宇宙飛行士よろしく、マウンドに太極旗を立てた韓国人選手たちの行為を「みっともない」と思ったが、「屈辱だ」とは思わなかった。

 その後、韓国と三たび相まみえることになったとき、イチロー選手は「日本が三回も同じ相手に負けることは決して許されない」と述べた。ほとんどけんか腰とも言えるようなその口調が誰かに似ている、と思ったら、それは去年の夏、優勢民営化法案が否決され衆議院を解散したときの、小泉純イチロー首相の会見での話し方だった。

 そう、二人は似ているのである。闘志と感情をむきだしに己を鼓舞し、仮想的を作り、勝利ののちは自画自賛する。優勝後にいたるまでイチロー選手の口から聞かれたのは、日本代表や日本野球のすばらしさを自ら讃える言葉ばかりだった。韓国という隣人の感情を想像しようとはしないデリカシーの欠如においても、両者はそっくりである。

だが、私が最も異様に感じたのは、そのデリカシーの欠如を、日本人の多くが共有しているらしいということである。「屈辱」という、どう解釈しても差別的なイチロー選手の発言は、不思議なことに、大手メディアを始め、日本の中ではそれほど物議を醸さなかった。つまるところ、多くの日本人の中には同じような差別意識が潜んでいるがゆえに、誰も疑問に思わないのではないか、とさえ思ってしまう。

 これは私の勝手な考えだが、こじれる一方である首相の靖国神社参拝問題によって、日本人の間には韓国を疎ましく思う気持ちが強まっており、WBCでのイチロー選手の発言はその傾向にみごとに合致した、ということではないだろうか。極端に言うと、イチロー選手の発言は、靖国参拝という国内事情にガタガタ口を挟む韓国への恫喝として、日本の視聴者の賛同を得たかのように、私の目には映りもしたのである。

 首相の靖国神社参拝について、多くの世論調査で賛否はほぼ拮抗しているようだ。だが、実際に自分が靖国神社へ参拝している人はとても少ない。首相参拝に賛成している人のうち、小泉首相が参拝して問題となる以前から「首相はなぜ参拝しないのだ」と思っていた人は、はたしてどのくらいいるのだろう。

 私には、世論が架空の敵を作っているようにしか見えない。靖国神社自体のことは本当は重要ではなく、韓国や中国がうるさく言うからあえて参拝してやれ、という一種の嫌がらせのような空気すら感じるのである。そこには、他人を貶めることで自我を強固にしたいという、攻撃欲が含まれてはいないか。

 せっかく好ゲームを展開して優勝したはずのWBCに、暗いものがつきまとって感じられるのは、日本の中に潜むこのような攻撃欲があからさまに姿を見せ始めた大会だったからである。これまで他の国際スポーツ大会、特にオリンピックやサッカーのワールドカップでも、他者を差別することでモチベーションと熱狂を高めるような露骨なナショナリズムはあまり見られなかった。

 そのことを疑問に思う声が少なく、新聞でさえも差別を問う議論がなかったことに、私は失望している。

(2006年4月3日 中日新聞夕刊・文化欄 に載った文章)








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023/03/18 02:39:06 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

Keyword Search

▼キーワード検索

Comments


© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: