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1ヶ月前の2月24日、岡山市操山に行きました。4世紀後半の古墳時代前期、吉備いや倭国を代表する前方後円墳である金蔵山(かなくらやま)古墳の第4次発掘調査の現説(現地説明会)があったのです。過去の現説に関しては、
金蔵山幻想2月27日の現説
金蔵山現地説明会
に詳しい。
さて、今回は東側くびれ部に、「島状遺構」が検出されました(写真で〇で囲んだ「島」の部分)。前回までに明らかになった、前方部西側の造り出しに続いて、吉備の古墳祭祀を見る上で、貴重な発見です。
写真の人物のいる上のあたりが、前方後円墳の墳丘です。こうやって見ると大きいことがわかる。私は研究者ではないので、発掘経過や細かい遺物や、詳細な見解は無視します。私の視点は、この時代の大和政権との関係、祭祀のイメージと歴史、そして出来ることならば、吉備王国の概観です。
この形象埴輪の登場と、島状遺構、造り出し祭祀の登場は、そもそも同時に起こったのか。わかるのは、金蔵山古墳と機内古墳の祭祀の変化は、ほぼタイムラグがなく同時に起こったということです。つまり、この金蔵山の埋葬者は、かなり機内大和政権とつながりが緊密だったということになります。上の写真は島状遺構の形を確認するためのさまざまな発掘成果を説明しているところ。もともとある岩を利用していたり、葺石を張り付けていたり、説明はあったようだが、あまり私は関心はなかったので適当に写真を張り付けます。
今回は展示していないですが、今まで島状遺構の反対側にある造り出しからは図にあるような形象埴輪が出土しています。
今回出土した埴輪は、墳丘から転落したとみられる円筒埴輪、朝顔形埴輪のほか頭頂部からのものとみられる直径70センチほどもある大型の円筒埴輪、笠の直径が1メートル近い大型の蓋形埴輪などが出土。
島状遺構上からは、小破片しか出ていませんが、柵形埴輪、蓋形埴輪。注目すべきは、溝状部分から柵形埴輪、囲形埴輪、家形埴輪が集中していること。どうももともと溝部分に配置していたようだ。そういうことを含めて、初期の形象埴輪祭祀の解明に貢献する発掘になったようだ。
造り出し祭祀と島状遺構祭祀の違い。その解明は、文字資料のほとんどない「古墳時代」初期における、さらに言えば弥生時代の直後の時代の雰囲気をつかむうえでも興味深い。この発掘は、吉備でも珍しい(国指定を目指す)調査発掘です。めでたく国指定になることを願ってやまない。
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