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世界中の国々が破れかぶれ1~2世界中で、金融やさまざまな市場での欠損・損失を、中央銀行と政府が肩代りするという、社会主義的政策をとらざるをえなくなってきている。資本主義が質時間回帰して社会主義的政策下におかれる、ということだ。それでももうもはや、何年か前に書いたように、どこを立ててもどこも立たない、という状況だ。その先、世界中の国々が破れかぶれになっていき、世界大混乱が始まっていくだろう。ほかにも、新しい伝染病や食糧危機そのほかなども世界を待ち構えている。そう遠くない将来、世界中がヤケをおこして自暴自棄、という前代未聞の事態に突入していくだろう。*加筆*以前の円に代わって、低金利のドルを使っての、レバレッジを効かせたキャリートレードが復活してきている、とのことだ。日本に代わって、日本の近くの国が、米国債を多く買うようになってきている。以上のふたつのことは、日本の金融や経済にとっては、いいことだが(環境破壊が強まる、という意味では、困るが)、それでもなお、「世界中の国々が破れかぶれになっていく」ということに変わりはない。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)****以下は、下書きしておいて、投稿するのを忘れていた分です。見つけたので、ここに載せておきます。下書き2009/03/03 日経とダウ 編集 削除日経とダウ最近までのかなり永いあいだ、日経平均株価とダウ平均株価の数値がかなり似ている状況が続いてきていた。円とドルの数値であるから、価値は異なるのであるが、数値が、そんな歩みをしてきた。単純に考えて、おかしい、とだれもが思う展開であった。それがここ数日、離れてきている。そこにおいてはいくつか仮説が立つのであるが、時間がないので省略するとして、その変化は、そういった方面の状況が新たな段階にはいったことを示している可能性がある。以上、過去の下書き****(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.31
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~10思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なる自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれもいい散文詩では詩的表現だけが腕のみせどころなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというのは、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、のことである、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかそれが発想・思考の大きな基礎となるほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う手と指で食器を洗うのだけれど、ついてる食べ物などがすべて落ちる・落ちたのを指で確認しながら(手と指の感触・感覚を発達させる)油汚れのある食器類もお湯で洗うとそうできる(ちなみに、熱いお湯につけておけば、洗剤は使わなくてもきれいにできる。このばあい、あとは水で洗えばいい水かお湯につけておけば、ついてるものはふやけてかんたんに落ちるようになる)(参考までに;洗濯機がないときとか、少しを手洗したいばあいも、熱いお湯に洗濯する物を数分~十分間くらいつけておいてから水を入れ冷やし、それから手なり足なりでお湯で洗うとかんたんにきれいになる洗濯機・洗剤を使ったばあいと比べてみたことがあるけど、手洗の方がきれいだったような/笑)(ぼくはどうも、石鹸やシャンプーや洗剤のたぐいを、皮膚につけたくない、という心的傾向があるような感じ/でも歯みがきはたくさんつける、このところは、そのほうがはやくきれいになるから)(ここは、食器洗い・洗濯コーナーになってしまったw)全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいい、自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練する(たとえば、ぼくは、高校の三年のころには、利き手の反対の左手で、文字を書けるようになった、漢字まで、鏡文字で、以上、自慢、wwちなみに、このブログは、自慢・趣味・ストレス解消ブログですので、悪しからずwこのブログを読んで、癪に障る方は、自分のブログで、ぼくよりもっと自慢してくださいとはいえ、自慢ばかりしていると、マイナスの質時間をたくさん貯めることになるので、そこは注意して、なんとかバランスをとるように心がけています)ただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしないたとえば、ゴルフの素振りでも、いつもと反対のフォームでやると、注意が散漫になるし、調子がくるうしで、近くの人を叩きかねない自転車の乗り降りでも、逆をやると、車や通行人などとの関係で危ないことになりうる自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください料理をつくる創作料理をつくるつくる手順を前もって考えて、ムダのない進行で作る、細かいところまで前もって考えるのはなかなかむずかしいけれど、ナゾナゾをつくるなんでもいいから、出題と答えを、つくる・考える笑い話を考えるジョークを考える課題を得たら、それを徹底的に考えつづける何日もそのあとは、毎日少しそれを続けていくと、かならずなにかいいものがでてくる(ちなみにぼくは、いくつかの課題を抱えて、毎日いくらかずつ考えつづけてきている)なにか新しい課題はないか、と探しつづける絵をかくいろんな文章をかく自分の得意な分野をのばす健康に留意する運動をするなにかの健康法をおこなう自分の心をみつめる作詞作曲をする音楽をつくる新しいなにかを考える・つくる新しい芸術を考えるほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました全部思考というのにはふたつの意味がある脳だけを用いて考えるのではなく、脳以外も使って考える(のだろう)、ということ/身体という意味ではなく考える対象に制限をつけない、すべてを考える、全部思考する、ということ(超欲張りな表現w)脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.30
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世界中の国々が破れかぶれ世界中で、金融やさまざまな市場での欠損・損失を、中央銀行と政府が肩代りするという、社会主義的政策をとらざるをえなくなってきている。資本主義が質時間回帰して社会主義的政策下におかれる、ということだ。それでももうもはや、何年か前に書いたように、どこを立ててもどこも立たない、という状況だ。その先、世界中の国々が破れかぶれになっていき、世界大混乱が始まっていくだろう。ほかにも、新しい伝染病や食糧危機そのほかなども世界を待ち構えている。そう遠くない将来、世界中がヤケをおこして自暴自棄、という前代未聞の事態に突入していくだろう。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.29
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~9思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいい散文詩では詩的表現だけが腕のみせどころなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う手と指で食器を洗うのだけれど、ついてる食べ物などがすべて落ちる・落ちたのを指で確認しながら(手と指の感触を発達させる)油汚れのある食器類もお湯で洗うとそうできる(ちなみに、熱いお湯につけておけば、洗剤は使わなくてもきれいにできる。このばあい、あとは水で洗えばいい水かお湯につけておけば、ついてるものはふやけてかんたんに落ちるようになる)(参考までに;洗濯機がないときとか、少しを手洗したいばあいも、熱いお湯に洗濯する物を数分~十分間くらいつけておいてから水を入れ冷やし、それから手なり足なりでお湯で洗うとかんたんにきれいになる洗濯機・洗剤を使ったばあいと比べてみたことがあるけど、手洗の方がきれいだったような/笑)(ぼくはどうも、石鹸やシャンプーや洗剤のたぐいを、皮膚につけたくない、という心的傾向があるような感じ/でも歯みがきはたくさんつける、このところは、そのほうがはやくきれいになるから)(ここは、食器洗い・洗濯コーナーになってしまったw)全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練する(たとえば、ぼくは、高校の三年のころには、利き手の反対の左手で、文字を書けるようになった、漢字まで、鏡文字で、以上、自慢、wwちなみに、このブログは、自慢・趣味・ストレス解消ブログですので、悪しからずwこのブログを読んで、癪に障る方は、自分のブログで、ぼくより自慢してくださいとはいえ、自慢ばかりしていると、マイナスの質時間をたくさん貯めることになるので、そこは注意して、なんとかバランスをとるように心がけています)ただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしないたとえば、ゴルフの素振りでも、いつもと反対のフォームでやると、調子がくるって、近くの人を叩きかねない自転車の乗り降りでも、逆をやると、車や通行人などとの関係で危ないことになりうる自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください料理をつくる創作料理をつくる作る手順を前もって考えて、ムダのない進行で作る、細かいところまで前もって考えるのはなかなかむずかしいけれど、ナゾナゾをつくるなんでもいいから、出題と答えを、つくる・考える笑い話を考える課題を得たら、それを徹底的に考えつづける何日もそのあとは、毎日少しそれを続けていくと、かならずなにかいいものがでてくる(ちなみにぼくは、いくつかの課題を抱えて、毎日いくらかずつ考えつづけている)なにか新しい課題はないか、と探しつづける絵をかくいろんな文章をかくほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました全部思考というのにはふたつの意味がある脳だけを用いて考えるのではなく、脳以外も使って考える(のだろう)、ということ/身体という意味ではなく考える対象に制限をつけない、すべてを考える、全部思考する、ということ(超欲張りな表現w)脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.28
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~8思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいい散文詩では詩的表現だけが腕のみせどころなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う手と指で食器を洗うのだけれど、ついてる食べ物などがすべて落ちる・落ちたのを指で確認しながら(手と指の感触を発達させる)油汚れのある食器類もお湯で洗うとそうできる(ちなみに、熱いお湯につけておけば、洗剤は使わなくてもきれいにできる。このばあい、あとは水で洗えばいい水かお湯につけておけば、ついてるものはふやけてかんたんに落ちるようになる)(参考までに;洗濯機がないときとか、少しを手洗したいばあいも、熱いお湯に洗濯する物を数分~十分間くらいつけておいてから水を入れ冷やし、それから手なり足なりでお湯で洗うとかんたんにきれいになる洗濯機・洗剤を使ったばあいと比べてみたことがあるけど、手洗の方がきれいだったような/笑)(ぼくはどうも、石鹸やシャンプーや洗剤のたぐいを、皮膚につけたくない、という心的傾向があるような感じ/でも歯みがきはたくさんつける、そのほうがはやくきれいになるから)(ここは、食器洗い・洗濯コーナーになってしまったw)全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練する(たとえば、ぼくは、高校の三年のころには、利き手の反対の左手で、文字を書けるようになった、漢字まで、鏡文字で、以上、自慢、ww)ただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしないたとえば、ゴルフの素振りでも、いつもと反対のフォームでやると、調子がくるって、近くの人を叩きかねない自転車の乗り降りでも、逆をやると、車や通行人などとの関係で危ないことになりうる自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください料理をつくる創作料理をつくるナゾナゾをつくるなんでもいいから、出題と答えを、つくる・考える笑い話うを考える課題を得たら、それを徹底的に考えつづける何日もそのあとは、毎日少しほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました全部思考というのにはふたつの意味がある脳だけを用いて考えるのではなく、脳以外も使って考える(のだろう)、ということ/身体という意味ではなく考える対象に制限をつけない、すべてを考える、全部思考する、ということ(超欲張りな表現w)脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.27
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~7思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいい散文詩では詩的表現だけが腕のみせどころなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う手と指で食器を洗うのだけれど、ついてる食べ物などがすべて落ちる・落ちたのを指で確認しながら油汚れのある食器類もお湯で洗うとそうできる(ちなみに、熱いお湯につけておけば、洗剤は使わなくてもきれいにできる。このばあい、あとは水で洗えばいい水かお湯につけておけば、ついてるものはふやけてかんたんに落ちるようになる)(参考までに;洗濯機がないときとか、少しを手洗したいばあいも、熱いお湯に洗濯する物を数分~十分間くらいつけておいてから水を入れ冷やし、それから手なり足なりでお湯で洗うとかんたんにきれいになる洗濯機・洗剤を使ったばあいと比べてみたことがあるけど、手洗の方がきれいだったような/笑)(ぼくはどうも、石鹸やシャンプーや洗剤のたぐいを、皮膚につけたくない、という心的傾向があるような感じ/でも歯みがきはたくさんつける、そのほうがはやくきれいになるから)(ここは、食器洗い・洗濯コーナーになってしまったw)全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練する(たとえば、ぼくは、高校の三年のころには、利き手の反対の左手で、文字を書けるようになった、漢字まで、鏡文字で、以上、自慢、ww)ただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしないたとえば、ゴルフの素振りでも、いつもと反対のフォームでやると、調子がくるって、近くの人を叩きかねない自転車の乗り降りでも、逆をやると、車や通行人などとの関係で危ないことになりうる自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください料理をつくる創作料理をつくるほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました全部思考というのにはふたつの意味がある脳だけを用いて考えるのではなく、脳以外も使って考える(のだろう)、ということ/身体という意味ではなく考える対象に制限をつけない、すべてを考える、全部思考する、ということ(超欲張りな表現w)脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.26
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~6思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいいなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う手と指で食器を洗うのだけれど、ついてる食べ物などがすべて落ちる・落ちたのを指で確認しながら油汚れのある食器類もお湯で洗うとそうできる(ちなみに、熱いお湯につけておけば、洗剤は使わなくてもきれいにできる。このばあい、あとは水で洗えばいい水かお湯につけておけば、ついてるものはふやけてかんたんに落ちるようになる)(参考までに;洗濯機がないときとか、少しを手洗したいばあいも、熱いお湯に洗濯する物を数分~十分間くらいつけておいてから水を入れ冷やし、それから手なり足なりでお湯で洗うとかんたんにきれいになる洗濯機・洗剤を使ったばあいと比べてみたことがあるけど、手洗の方がきれいだったような/笑)(ぼくはどうも、石鹸やシャンプーや洗剤のたぐいを、皮膚につけたくない、という心的傾向があるような感じ/でも歯みがきはたくさんつける、そのほうがはやくきれいになるから)(ここは、食器洗い・洗濯コーナーになってしまった/笑)全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練するただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしない自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってくださいほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました全部思考というのにはふたつの意味がある脳だけを用いて考えるのではなく、脳以外も使って考える(のだろう)、ということ/身体という意味ではなく考える対象に制限をつけない、すべてを考える、全部思考する、ということ(超欲張りな表現/笑)脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.25
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~5思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・部分先行全体先行そのあいだのどこか先行いろいろあるきっかけを探す問題意識・目的意識をもってその問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくる問題意識・目的意識をもたないでいろいろあるなんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいいなんらかのイメージ・問題意識・目標をもって発想しつくるそのイメージ・問題意識・目標は、おもにイメージ思考からでてくるなんのイメージ・問題意識・目標ももたずに発想しつくるこのばあい、とっかかりが掴めれば、そこから問題意識・目標が展開していくことが多い昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方でのだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想や思考力をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみる人には、利き手・利き足・利きフォームなどがあるが、利きの逆の方もできるだけ使える・行えるように訓練するただし、危険のある場所・場合などでは、そういうことは絶対にしない自分の部屋の中だけでそういったことを行うこと絶対に安全にそれをなすこと絶対に安全にそれを行うこと(あと一千万回繰り返し)さらに、刃物などの扱いといった危険を伴うことについては、そういう訓練はしないことこのブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってくださいほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ知性だけではなく、心・意識についても、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログのどこかを参考にされる場合は、すべて、絶対に危険がないように、絶対に安全に行ってください。このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.24
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~4思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・なんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいい昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしい(もの好きというと、あの赤ずきんちゃんの友達の、ものずきんちゃん、である、ということはない。ものずきんちゃんは、赤ずきんちゃんの友だちの赤の他人である。/ジョーク)たいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方のだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかくヘタでもいいからイラストや絵をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいいあまりに動きに乏しいようなら、うまい人に指導してもらうのもいい足の指も動かしてみるほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるけれど、脳よりも重要なものがあると考え、おおいに欲張って、全部思考法、としました脳だけで、知性が生じるのか田舎、じゃなかった、否か、それは一番大事な課題のひとつ(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.23
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~3思考法としては;イメージ思考する発想する新しいなにかを見つけだす思考をイメージが主導する全体をみわたす部分を詳しくみる中くらいの部分をみるそれらのつながりをみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・なんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということ(感じ思考法ではいまひとつ感じがよくないので、イメージのいい、イメージ思考としました。/ダジャレ入り)そのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修する論理的扱いの部分までイメージ思考がとりしきるイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、散文詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ5と7が繰り返されるあれである韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う自分なりにでも韻がふめてないばあいは散文詩となるそれでもいい昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしいたいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方のだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているそういったいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想をゆたかにしていくのではないだろうかほかには;講義や勉強になる対象を見聞したら、それについて文章とイラストをかいてみるまとめでもいいし、感想でもいいし、触発されたことでもいいし、たいして関係のないことでもいい別に細かく覚える必要はないなんでもいいから毎日文章をかく鍵盤楽器を弾き、思いっきり指全部を動かすキーボード以外でもいい食器を手洗する油汚れのないものは手だけで洗う全身をさまざまに動かす踊り・ダンスをする参考にいろいろ見てもいいが自己流のほうがいい足の指も動かしてみるほかにも昔、全脳思考、という表現も考えたことがあるが、脳よりも重要なものがあるということで、全部思考法、としました(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.22
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「全部思考法」を身につけ伸ばす1~2思考法としては;思考をイメージが主導する全体を見渡す部分を詳しくみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・なんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということそのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修するイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象とリズムで勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとっては自由律といっても、自分なりになんらかに韻をふむ音楽的になるだから散文詩とは異なると思う昔、ぼくは、もの好きにも、40日ぐらいのあいだ、毎日、10数篇~40数篇くらいずつ、いいかげんな詩のようなものを書きつづけたことがある面白いけれどきつい、というような日々だった今思うとなつかしいたいしてつくってはいないが、俳句と短歌についていうと、といっても、季語とかきまりはほとんど考えないやり方のだけど、短歌の方が少し長いわけで、その分つくりにくいな、という感想をもったことがあったが、今ではそう感じなくなっているいろんな修練・訓練が、イメージ思考を養い、発想をゆたかにしていくのではないだろうか(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.21
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「全部思考法」を伸ばす思考法としては;思考をイメージが主導する全体を見渡す部分を詳しくみるそこからでてきたものを表現する言葉、芸術、発明、学問・・・なんといっても、イメージ思考の力を伸ばすのが必須であるイメージ思考というのは、感じで考える、ということそのイメージ思考が思考の結末の仕上げまで舵をとり監修するイメージ思考力を伸ばすには;まず、詩や詩歌をつくってみる俳句、短歌、韻文詩、自由律詩、などなど俳句や短歌にはいろいろ決まりがあるようだが、そういった決まりは用いない自由につくる俳句や短歌は韻文の詩歌の一種韻というのは、音楽的効果、リズム俳句、短歌では、音節の数で韻をふむ韻文詩では、韻をふむのにいろんな形がある自由律詩はそれこそ自由なんの制約もない内容と音の印象で勝負これが一番ダイナミックで面白いぼくにとってはかなり前ぼくは(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.20
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世界崩壊質時間回帰:いよいよ、世界の金融と金融資本主義は、奈落の底へのダイビングを始めそうな段階に至ったようだ。すでに世界中の人々に知れ渡ってしまっている事実;先物、信用取り引き、レバレッジ、(金融工学)、などなどによって、平均していうと、プロ中のプロが儲け、プロ以下は損する。で、ここからは質の科学による見解だが、そういったことを主導したり行ってきた者たちの意識の主体には膨大なマイナスの質時間が積みあがってしまっている。とてつもないマイナスの質時間だ。そのマイナスの質時間が激烈な質時間回帰をその者たちに与えることになる。質時間回帰だ。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.19
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「表象」という単語1~3「表象」という単語は、慎重に用いなければならないだろう。だいたい、人によってその意味のとり方が異なっているし、いろんな意味をもつので、用いない方がいいくらいのもんだ。象徴、シンボル、フィギュア、姿形、イメージ、姿、形、外形、像、心象、印象、直覚、エンブレム、標章、化身、具現、といったふうに、実に広く用いられる。基本をとらえてみよう。表象の、「象」は動物のゾウから離れて、形、型どる、のり、しるし、その他、の意で、それを表す、表現する、といったところだろうか。(「象」ではなく「像」を使わないといけない、というくらいのもんだ。実にいいかげんである。(ここで加筆。辞書をひいてみたら、象には、いろんな幅広い意味をもたせてあって、像よりは象の方がいいことがわかった)この、いいかげんという表現もいいかげんであって、ふたつの相反する意味をもつ。アクセントやイントネーションによって使い分けされるが、地域によって反対になったりするので、さらにどうしようもなくいいかげんである)。つまり、対象・実体・現物・現実などがあって、その姿・形、さらに、その感じ・イメージ・心での像、加えて、それを図や記号などにしたもの、という理解でいいのだろう。(それ以上、どう解すればいいのか。中身に乏しい学者なら、そういったことを煙幕にするのだろう)。さらに、言葉という音による言い表し、言葉という文字による言い表し、そのほか記号による言い表しなども、そこに加えられる。そもそも、表象、という漢字構成からは、この最後者がもっとも似つかわしい。つまり、表象、という単語はできそこない、ということだろう。学問などには、そういったことが多くある(この、多く、を、多々と表現することが多いが、下品である。たた、という音もそうだが、多い、という単語があるのに、それを使わず、たた、の方がかっこいい、という認識が下品で知性に欠けると感じる。まあ、ぼくも使うことはあるが。ほかにも、粛々と、とか、看過・かんか、とか、食すとか、いろいろある。粛々は、静かに落ち着いて、とか、看過できないは、見過ごせない、とか、食すは、口にする、とか、もっとスマートな大和言葉での言い回しがある。などと書いてしまったが、親切心が薄れたときなどにそれらをぼくも使うことはある)そういうことで、ともかく、「表象」という単語は、できるだけ使わない方がいいだろう。(さらに加筆。以上書いてきたが、「象」について辞書でよく確認しないうちに表現したので、このコラムは書き直したほうがよさそうである。とはいえ、基本線は変わらない)(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.18
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「表象」という単語1~2「表象」という単語は、慎重に用いなければならないだろう。だいたい、人によってその意味のとり方が異なっているし、いろんな意味をもつので、用いない方がいいくらいのもんだ。象徴、シンボル、フィギュア、姿形、イメージ、姿、形、外形、像、心象、印象、直覚、エンブレム、標章、化身、具現、といったふうに、実に広く用いられる。基本をとらえてみよう。表象の、「象」は動物のゾウから離れて、形、型どる、の意で、それを表す、表現する、といったところだろうか。(「象」ではなく「像」を使わないといけない、というくらいのもんだ。実にいいかげんである。この、いいかげんという表現もいいかげんであって、ふたつの相反する意味をもつ。アクセントやイントネーションによって使い分けされるが、地域によって反対になったりするので、さらにどうしようもなくいいかげんである)。つまり、対象・実体・現物・現実などがあって、その姿・形、さらに、その感じ・イメージ・心での像、加えて、それを図や記号などにしたもの、という理解でいいのだろう。(それ以上、どう解すればいいのか。中身に乏しい学者なら、そういったことを煙幕にするのだろう)。さらに、言葉という音による言い表し、言葉という文字による言い表し、そのほか記号による言い表しなども、そこに加えられる。そもそも、表象、という漢字構成からは、この最後者がもっとも似つかわしい。つまり、表象、という単語はできそこない、ということだろう。学問などには、そういったことが多くある(この、多く、を、多々と表現することが多いが、下品である。たた、という音もそうだが、多い、という単語があるのに、それを使わず、たた、の方がかっこいい、という認識が下品で知性に欠けると感じる。まあ、ぼくも使うことはあるが。ほかにも、粛々と、とか、看過・かんか、とか、食すとか、いろいろある。粛々は、静かに落ち着いて、とか、看過できないは、見過ごせない、とか、食すは、口にする、とか、もっとスマートな大和言葉での言い回しがある。などと書いてしまったが、親切心が薄れたときなどにそれらをぼくも使うことはある)そういうことで、ともかく、「表象」という単語は、できるだけ使わない方がいいだろう。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.17
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「表象」という単語「表象」という単語は、慎重に用いなければならないだろう。だいたい、人によってその意味のとり方が異なっているし、いろんな意味をもつので、用いない方がいいくらいのもんだ。象徴、シンボル、フィギュア、姿形、イメージ、姿、形、外形、像、心象、印象、直覚、エンブレム、標章、化身、具現、といったふうに、実に広く用いられる。基本をとらえてみよう。象は動物のゾウから離れて、形、型どる、の意で、それを表す、表現する、といったところだろうか。つまり、対象・実体・現物・現実などがあって、その姿・形、さらに、その感じ・イメージ・心での像、加えて、それを図などにしたもの、という理解でいいのだろう。ともかく、「表象」という単語は、できるだけ使わない方がいいだろう。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.16
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科学と宗教科学も迷信をある程度~かなり含んでいるで、科学は現実に役立ってきた要素も多くもつしかし、現実を悪くしてきた要素をも同じくらいもつしかも、科学は、あとになって修正されたり改新されたりもするということで、科学というのも宗教と似たりよったりである(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.15
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学問の世界もたとえばあるひとつの音楽を何十回も聴くとするするといくらか才能のある人は似たような感じの曲を作れるようになっていく学問の世界でもそういうことがほとんどである(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.14
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質時間回帰そろそろ日本人・日本の精神的傾向その総和が反転する時期そこに至ってきているそうではないだろうかそうだとするとその先世界の国々との関係が・・・ということになっていくだろう(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.13
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SF思考雑文自然界にあるものその中で知性や意識のないもの石や鉱物そのほかここでは植物や知性のないようにみえる生物そういったものは一応除いておいて石や鉱物そのほかそういったものはエントロピーを低下させることは普通はないエントロピーを低下させるそういったことができるのは知性と意識をもった人間のような存在しかしそういった存在でもほっとけばエントロピーを増大させるムチとアメがないとほとんどのばあいエントロピーを増大させる意識エネルギーについていえば眠らないと意識エネルギーは蓄えられないそうみえる食物からのエネルギーは意識エネルギーにはならないそうみえる意識エネルギーは人間のような生物に特有そうなのかもしれない人間のばあいエントロピーを低下させるだけでなく価値意味美なども創りだすそういったこともできるそれも知性と意識と意識エネルギーそれらのなせる業そうみえる知性と意識と意識エネルギーそれらが先に述べた植物や知性のないようにみえる生物それらの中に意識のあるものがあるかどうかそれについては(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.12
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エントロピー全宇宙のエントロピーそれは変動しながらある範囲を保ちつづける永遠にあるいはマックスに達したらミニマムに転移するそのどちらかかもしくは宇宙が永遠に続いていくそんなエントロピーのなんらかの在り方それらのどれかであるそう予想されるそうでないとツジツマのあわないことだらけだから(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.11
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時代世界の行く先どん詰まり崖っぷちついに時代は世界はそこに至ったのだろうか時代の世界の不確かな情勢がますますその怪しさを増し時代は世界はその脚を踏み入れる未知の領域にその先時代は世界は人類の心理と行為によって地獄へとダイビングを始めるそういうことになっても時代は世界は終わりを迎えることはない決してそしてまた始まる新たな時代が新たな世界が(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.10
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英語学習過去に、エイゴマシンとでもいうか、エイゴのセンテンスなどを読み上げたり、同じフレーズを繰り返したりする装置が発売されたことがある。それはとくに子供向けとして企画されていたと思う。謳い文句として、これで英会話の先生はいなくてもOKとかなんとかだったような。(以上、記憶に基づいて書いているので、間違いがあるかもしれません)しかし、そういったものがヒットしたという情報などに出会ったことがない。つまり、機械では学習がさほどうまくいかない、ということなのだろうか。もしそうならそれはなぜだろうか。ここでは幼児や子供の学習者を考えてみて、ひょっとして、子供たちはエイゴの手本となる人(先生と呼ぼう)に、なんらかに共振するのではないだろうか。空間のエネルギーかなにかを用いて先生に共鳴して、意味や内容が子供にはいってくる、と。ただし、先生が人間でないとモティヴェーションがあがらない、人間だとそれがあがる、ということもあるだろうが。それは仮説のようなものだが、その検証は可能だろうか。たとえば、かなり人間に近いロボットに教えさせたらどうなるか、というところからある程度検証ができるかもしれない。ほかには、鳥は目玉模様を恐がるが、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.09
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世界情勢現在の世界情勢をみていると、日本に覇権が移動してくる可能性はかなり高いといえる、とよめるのかもしれない。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.08
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付け加えることなど1~2数ヵ月前に、自由意志と、この世界の法則と数学の関係についてそれぞれ書いた。それらに付け加えることがある(一部は重複)。1。数学の世界は純粋である。一方、現実の世界には、ゴミ・汚れ・乱れ・サビ・ぼやけ、小さな歪み、など(以下、ゴミと名付ける)が存在する。それらは数学の世界にはない。そういうふうに定義できるゴミというものが存在する(予想)。そのゴミの(変化の)法則を数学で記述できるか否か。できないだろう(予想)。原理的にも記述できないとわかるだろう(予想)。そのゴミは、自由意志発現の土台ともなる(?)よって、自由意志は存在する(ただし、あるレベルの法則というか、「こんなばあいは、ほとんどにおいて、人はこうする」、といったような確率的必然性=蓋然性は存在するが)(予想)。しかも、そのゴミによって、数学的に記述できる将来(それは全体の一部にすぎないが)も大きく変わっていく(予想)。よって、将来は決定されていない面が多い(予想)。つまり自由意志はある(予想)。ただし、知性と自由意志で目指したとおりになるとも限らない。数学的に、この世界のすべてを完璧には記述できない。=数学的には、この世界の一部をいいかげんにしか記述できない。原理的にも同じくそうである。(予想)数学的にこの世界(の一部)を記述できるケースというのは、その変化などの規則性が一致しているばあいだけである。そういう部分は、この世界の一部である(予想)。そこにおいても自由意志の存在が担保されている(予想)。(以上のどこかが、まちがっているばあいは、予想→ヨソウ、予想はヨソウ、となるのは当然です。(大笑))上に述べたのは、この世界の物質的な面について着目してのものである。そこに、一応心の世界も含まれると、普通に仮定しての展開である。付け加えることはまだまだある。今度はじかに心について述べる。自由意志については、数学的に記述できない(予想)。原理的にも記述できないとわかる(予想)。ただし、いくらかは記述できる部分はある(予想)。自由意志をもった心という存在は、物質の法則上にはない(予想)。よって自由意志はある(予想)。物理学における多体問題は、体数が増えるほど、解けなくなっていくだろう。天文の三体問題ですら解けるか解けないかわからない、という状態となる。そらが人間ともなると、一人の人間についてだけいっても、過去に述べたように、無数に近い体の問題となるだろう(予想)。そういった問題は解けない(予想)。そういった問題には解はない(予想)。原理的に解けない・解はない。よって、自由意志はある(予想)。(以上のどこかが、まちがっているばあいは、予想→ヨソウ、予想はヨソウ、となるのは当然です。(爆))さらに、心の器というものが(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.08
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付け加えることなど数ヵ月前に、自由意志と、この世界の法則と数学の関係についてそれぞれ書いた。それらに付け加えることがある(一部は重複)。1。数学の世界は純粋である。一方、現実の世界には、ゴミ・汚れ・乱れ・サビ・小さな歪み、など(以下、ゴミと名付ける)が存在する。それらは数学の世界にはない。そういうふうに定義できるゴミというものが存在する(予想)。そのゴミの(変化の)法則を数学で記述できるか否か。できないだろう(予想)。原理的にも記述できないとわかるだろう(予想)。そのゴミは、自由意志発現の土台ともなる(?)よって、自由意志は存在する(ただし、あるレベルの法則というか、こんなばあいは、ほとんどにおいて、こうする、といったような確率的必然性=蓋然性は存在するが)(予想)。しかも、そのゴミによって、数学的に記述できる将来(全体の一部だが)も大きく変わっていく(予想)。数学的に、この世界のすべてを完璧には記述できない。=数学的には、この世界の一部をいいかげんにしか記述できない。原理的にも同じくそうである。(予想)数学的にこの世界(の一部)を記述できるケースというのは、その変化などの規則性が一致しているばあいだけである。そういう部分は、この世界の一部である(予想)。そこにも自由意志の存在が担保されている(予想)。(以上のどこかが、まちがっているばあいは、予想=ヨソウ、予想はヨソウ、となるのは当然です。(大笑))付け加えることはまだまだある。心については、(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.07
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歴史に学ぶ人びとも国家たちも、歴史に学べない。学ぼうとする人たちや国々はあるのだが、かりに学んだとしても、それは不完全な形でしかありえないし、質時間回帰則があるので、結局は学んだ成果による効果を発揮できないことと同じになる。つまり、一時的・部分的には、歴史に学んで、よい成果をあげることはできるが、時の経過とともに、総計すると、学ばなかったのと同じ結果になるということだ。質の科学でみるとそうなる。さらに、学んでも実行しない・できないことも多い。それでもなお、学ぶのはいいことだ。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.06
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トマトが育って今度は、トマトが育ってきました。二十日くらい前、キッチンのタワシの上で、芽がでている種をひとつみつけたので、それを植木鉢に植えておいたんだ。その形と大きさからして、トマトだろうと思っていたし、思っている。そのうちネットで確認しよう。それが二十センチくらいに成長してきている。こういうのもものすごく嬉しくて楽しいもんです。今までに、ほかにもそういうのがあって、過去に書いたのには、ヤマイモ(冷蔵庫の中で芽がでていたもの)、ドラゴンフルーツ(果実の中で発芽していたもの)、がある。ヤマイモは生け垣で茂りまくっているし、ドラゴンフルーツも大きくなってきている。今、このあいだ食べたサクランボの種たちを、水をかけた柔かい紙の上にのせて、「さあさあ、サクランボちゃんたちよ、芽をだすんだよ~~」っていう感じで挑戦しているんだけど、まだ芽がでない。もう、十日以上たつのに、まだ芽がでない。そこで、冷蔵庫にいれておいた。何日かしてだしていくらかすれば発芽するかも、ってね。あと、いったん乾燥させるとかもいいのかも。それから暑い思いをさせるとか。それくらいしか考えつかなかったんだけれど、ネットで調べればいい手がみつかるのかもしれない。ほかにも、庭には、鳥が運んできた種から、知らない木が芽吹いて大きくなってきている、という喜びもあります。こういうのも楽しい世界です。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.05
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次にくる金融・経済システム現在すでに崩壊中であるが、そう遠くない将来、現在の形の資本主義システムは崩壊してしまうと予想される。そのあとにやってくるものは、どういった形をしているのだろう。現在までに存在したシステムたちの中から、それぞれよいところをとって組み合わせたようなものだろうか。いずれにしても、質の科学では、人々の質時間の総和と質時間回帰を考慮すべきである、となる。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.04
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つけ加えること1~6過去に書いたものに、つけ加えることがあります。「人によって異なるし、同じ人でも時期や時によって異なる」ということ。これを書きくわえることを忘れていたものがいくつかあると思う。これは非常に重要なことだと思います。「同じ人でも時期や時によって異なる」ということに関連しているが、「ぼくはテレビをまったくといっていいほど見ない」と書いたことがある。もう長い間そうなんだが、それでも、テレビがつけてある所にいて、興味を惹かれたら見ることもある。役に立ちそうな番組を知ったら見たこともある。それ以前はいくらか見ていた時期もあった。総計するとぼくはほんとにテレビを見ない男だと思う。格助詞「は」について書いたことがある。「は」は主格を示すのではなく、今のテーマに関して言う、という条件をつける助詞である、といったようなことだった(表現はちがうが)。それに次のことをつけ加えておきます。格助詞「は」は、主格を示す、ととらえていいケースもある。「以上、そう考えてみただけであって、一切の参考にはなりません」という文を加筆すべきものたちもある。とくに、世界の金融や経済、利益や損失にかかわる可能性のあるものなど、の予想などについて、そういえる。「人によって異なるし、同じ人でも時期や時によって異なる」ということについて、さらにおもしろいことを考えてみることができる。転生があるとすると、「同じ人でも時期や時によって異なる」ということは、転生していくとさまざまに変わっていき、正反対にもなっていくということにもなる。これは質の科学の分野だが、興味深い世界である。質の科学についていえば、質の科学における事項たちの証明らしいものはあるが、検証はまだまだ不足している。しかし、歴史や多くの人々の人生、ことわざ、哲学的思考、さまざまな思想・哲学などを参考にすれば、かなり検証されている、といっていいのかもしれない。「人によって異なるし、同じ人でも時期や時によって異なる」ということに関連して、「これこれしています」と書いていても、時期が過ぎれば、そうしなくなるケースがある。それは当然ですが、書いておきます。書いたあとで、訂正すべきことに気がついても、そのままにしてあるものがけっこうたくさんあります。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.03
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定冠詞と不定冠詞1~5かなり前に、日本語の格助詞の「が」には、定冠詞の役割もある、と書いたことがある。分析してみたことがあって、そういう結論に達していたからだった。すると、養老氏の本に、「格助詞・が、には、不定冠詞の機能がある。格助詞・は、には、定冠詞の機能がある」という記載があるという情報をいただいた。それによると、「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました」という文章から、そういえるという。(以上、記憶に基づいて書いているので、間違いがあるかもしれませんが)それは間違いだ。その「が」は、やはり、定冠詞の機能をもっている。「この物語りで、着目している、その」ということになるからだ。不定冠詞だと、だれでもいいが、だれか知らないが、ランダムで選んだおじいさんとおばあさん、ということになる。それだと物語にはならない。だから、定冠詞の働きがあるのだ。それをそこで不定冠詞としたのはたぶん、分析もせず、エイゴの品詞の扱いをそのまま援用してのことだろう。エイゴで、単数で、同じように物語の冒頭に、主人公的な人物で「an old man」とあったとしても、その「a(an)」は、同じく「一人のその」となって、定冠詞のようなものとなる。その人物を任意に選んだのなら物語りにはならない。その人物を任意に選んだのではなく、ちゃんと着目して選んでいるではないか。先に日本語において述べたのと同じ理屈だ。エイゴのばあい、まず、物語の冒頭に、「an old man」とでてきて、次から同人物を「the old manとかhe(屁ではなくて、ヒーです。ジョーク)」と呼ぶことになる。その「a(an)」は不定冠詞とされる。それをそのままもってきて、「が」に不定冠詞の機能がある、としたのだろう。ところが、それは間違いだ。既に述べたとおり、エイゴのケースでも、それは定冠詞的となる。「一人のその」だ。もっともかんたんに言えば、「この物語の主人公の」だ。自分で分析しないと、そんなこともあるのだ。すべては解明途上にある。どれも完成していない。だから、自分で考えないとよろしくない。結局、「~が」は、「ほかでもない~」という強調の役割をもっているともいえる。一方、「は」についていうと、「~は」は、「~について言えば、それは」という、今の状況で対象を決める、とか、主題における何らかの対象を示す、などの機能をもっている。単に主格を示す、ととらえてもいいケースもある。さらに「は」は、着目を示すケースもある。たとえば、否定形のばあい、「は」をつけた個所だけを否定する、といった役割をもつ。で、先にでた何かについて言うことになるケースでは、当然、「は」に定冠詞にいくらか似たニュアンスを感じることもできる。ひとつ、付け加えておくと、「が」は定冠詞的であるものの、読者にとって未知な人物などが初めてでてくるばあいは、読者にとって不定冠詞的要素がいくらかある、ということを否定はできない。それでもなお、「が」は定冠詞的要素が最大である。このコラムを書いていく中でも、「は」「が」「を」「も」などの使い分けに注意せざるをえなかった。とくに、どれでもいいケースが稀にある、ということを強調しておこう。ただしそのばあいでも、ニュアンスがいくらか異なるが。実際には、「をも」とか、「をが」とか、「をは」、「もが」、「もは」などの省略形のケースもある。日本語の文法の定式化もまだまだ不完全であって、それは解明途上にある。誰かが挑戦する分野でもあるのだろう。さらに、日本語自体の文法も変化をしつづけてきているので、この先も変化しつづけていくことだろう。日本語をはじめとして、そういった自然言語が完全に発達すると、その中に、さまざまな論理や文法が現れてくるだろう、と予想される。その予想は、心脳工学のモデルとシステムに基づいてのことである。(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.02
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定冠詞と不定冠詞1~4かなり前に、日本語の格助詞の「が」には、定冠詞の役割もある、と書いたことがある。分析してみたことがあって、そういう結論に達していたからだった。すると、養老氏の本に、「格助詞・が、には、不定冠詞の機能がある。格助詞・は、には、定冠詞の機能がある」という記載があるという情報をいただいた。それによると、「むかしむかし、あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川に洗濯にいきました」という文章から、そういえるという。(以上、記憶に基づいて書いているので、間違いがあるかもしれませんが)それは間違いだ。その「が」は、やはり、定冠詞の機能をもっている。「この物語りで、着目している、その」ということになるからだ。不定冠詞だと、だれでもいいが、だれか知らないが、ランダムで選んだおじいさんとおばあさん、ということになる。それだと物語にはならない。だから、定冠詞の働きがあるのだ。それをそこで不定冠詞としたのはたぶん、分析もせず、エイゴの品詞の扱いをそのまま援用してのことだろう。エイゴで、単数で、同じように物語の冒頭に、主人公的な人物で「an old man」とあったとしても、その「a(an)」は、同じく「一人のその」となって、定冠詞のようなものとなる。その人物を任意に選んだのなら物語りにはならない。その人物を任意に選んだのではなく、ちゃんと着目して選んでいるではないか。先に日本語において述べたのと同じ理屈だ。エイゴのばあい、まず、物語の冒頭に、「an old man」とでてきて、次から同人物を「the old manとかhe(屁ではなくて、ヒーです。ジョーク)」と呼ぶことになる。その「a(an)」は不定冠詞とされる。それをそのままもってきて、「が」に不定冠詞の機能がある、としたのだろう。ところが、それは間違いだ。既に述べたとおり、エイゴのケースでも、それは定冠詞的となる。「一人のその」だ。もっともかんたんに言えば、「この物語の主人公の」だ。自分で分析しないと、そんなこともあるのだ。すべては解明途上にある。どれも完成していない。だから、自分で考えないとよろしくない。結局、「~が」は、「ほかでもない~」という強調の役割をもっているともいえる。一方、「は」についていうと、「~は」は、「~について言えば、それは」という、今の状況で対象を決める、とか、主題における何らかの対象を示す、などの機能をもっている。単に主格を示す、ととらえてもいいケースもある。さらに「は」は、着目を示すケースもある。たとえば、否定形のばあい、「は」をつけた個所だけを否定する、といった役割をもつ。で、先にでた何かについて言うことになるケースでは、当然、「は」に定冠詞にいくらか似たニュアンスを感じることもできる。ひとつ、付け加えておくと、「が」は定冠詞的であるものの、読者にとって未知な人物などが初めてでてくるばあいは、読者にとって不定冠詞的要素がいくらかある、ということを否定はできない。それでもなお、「が」は定冠詞的要素が最大である。(このコラムを書いていく中でも、「は」「が」「を」「も」などの使い分けに注意せざるをえなかった。とくに、どれでもいいケースが稀にある、ということを強調しておこう。ただしそのばあいでも、ニュアンスがいくらか異なるが。実際には、「をも」とか、「をが」とか、「はが」、などの省略形のケースもある)(時間ぎれにつき続く。イメージスケッチです)(未構成です。推敲してません)このブログの文章・内容のすべては、春楽天のオリジナルです(慣用的・常識的なものは除く。引用的なものはそうわかるように記しています)(世界情勢や将来の予想においては、さまざまな情報を得ながら行っています)。このブログの著作権はすべて春楽天に帰属します(イラスト・イメージは除いて。トップページの、本やサイトの紹介文言の一部は除いて)。それらの無断利用を禁じます。Copyright (C) 春楽天, All rights reserved. 宇宙人がでました(?)
2009.08.01
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