アメリゴベスプッチはフィレンツェのロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici)(1463年~1503年)に仕えてセビリアに来た。そこでコロンブスの探検に係わる事になったのだ。 コロンブスがアジアと信じていた大陸は、実は全く別の未知の大陸だったと証明するに至る理由はそこから派生している。
メディチ家と
メディチ銀行 アメリゴより 12歳年下の学友ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ
は メディチ銀行を創設したジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ
のひ孫
である。 ※ ジョヴァンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチ(Giovanni di Bicci de' Medici)(1360年~1429年)
また本来は分家筋になるのだが、父の早世により彼は現 メディチ本家の当主ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)
の養子でもあった。 ※ ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)(Lorenzo de' Medici detto il Magnifico)(1449年~1492年)
ジャンネット・ベラルディ(Gianotto Berardi)
先にも紹介したようアメリゴは叔父の学舎で知り合ったロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチ(Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici)(1463年~1503年)に、その能力を買われたのだろう。 メディチ家の海外事業のビジネスサポートをする事になる。
Amerigo Vespucci, Mundus Novus アメリゴ・ベスプッチ「新世界」
アメリゴの業績はどのように世間に知れ渡ったか? それは アメリゴが生前したためた書簡2通が本として出版され紹介された事による
。
1通は 学友でありかつての主であるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチに宛てた手紙
である。 「Amerigo Vespucci, Mundus Novus, Letter to Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici」 『アメリゴ・ベスプッチ「新世界」』ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・デ・メディチへの手紙
。 ※ 新世界(Mundus Novus)の初版がいつか定かでないが1504年にはすでに発行されていて、出版から 1 年以内に、イタリア語、フランス語、ドイツ語、オランダ語など多言語で翻訳され12 の版が印刷。1550 年までに 50版は発行された。
コロンブスはマルコポーロに憧れていた? 彼のバイブル「東方見聞録・マルコポーロの冒険(The Travels of Marco Polo)」で知った黄金の国・ジパング。 未知のアジアを旅したマルコポーロが記した東の果てにあるとされる伝説の黄金の国。
そこに辿り付きたい。と言うロマンを多分に秘めた夢の冒険家だった
のではないか?
※ フランスがギアナに入るのは17世紀初頭。ルイ16世がトリアノン宮殿の植物園で働いていたルイ・クロード・リシャール(Louis Claude Marie Richard)(1754年~1821年)を1781年ギアナに派遣。植物の調査研究をさせている。ギアナもオランダ、イギリス、ポルトガルと分割されたり支配者が交代。
今回は「アジアと欧州を結ぶ交易路 」番外 扱いでお願いします。 Back number入れて起きます。