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先日は、久しぶりの記事にも関わらず、温かいコメントや沢山のクリックをありがとうございました ^ー^+ + + 今日のブログの写真は、私が撮影したものではなく地元石巻の「本の工房 真羊舎」という出版・Web制作会社を運営されている日下さんが震災後の石巻の街の普段の様子を掲載しているHP『石巻百景』からお借りしました。日下さんの「石巻百景」には震災後の厳しい風景も、少しずつだけど前に進んでいる街の様子や地域の方の表情、大きな自然災害の後でも、命ある四季の花々や綺麗な新緑、そして穏やかな優しい石巻の風景、いろんな石巻の表情が掲載されています。一人でも多くの方にニュースや新聞だけでは見ることのできない石巻の様子を知っていただきたいとおもい、今回、日下さんにお願いして私のブログに写真をお借りしました。ここで紹介した他にも沢山の石巻の写真がありますので、どうぞご覧になってみてください。 『石巻百景』 【日下さんへ】 快く写真掲載の許可をいただき、ありがとうございました。 これからも色んな石巻を、 石巻のみんなのために、 石巻を離れているみんなのためも 撮り続けてくださると、嬉しいです。 + + + 震災後に、地元石巻の家族、親戚、友達誰とも連絡が取れない中で現在は宮城から離れて暮らす友人達と連絡を取り合っていました。交通機関が新幹線も飛行機も停まり、在来線は流されてしまった。。。。みんなで「地元である石巻から今、離れている私たちができること」を考えました。地元に帰って、被害の大きい沿岸部を自分の目でみたときは本当に言葉がでませんでした。いつも遊んでいた高校時代の友人の実家の青い屋根は、探しても見つけることはできませんでした。 (『石巻百景』より)ただただ広がる瓦礫、でもそれは瓦礫ではなくてみんなが日々を暮らしていた生活そのものでした。家や家電用品が重なり、車はぺちゃんこに押しつぶされている。天気のいい日は気持ちのいい青空が広がり、穏やかな地平線が広がっている石巻の景色をみていると、ニュースで見ていた津波が同じ場所を襲ったとは思えませんでした。 (『石巻百景』より)震災後は、道路もすべて瓦礫だったのでいつも通っている道路ですら、今どこを走っているのか、どこにいるのかすら分からなかったとみんな話していました。でも不思議と昔から何度も通っている場所やみんなでお茶を飲んだり、笑った親せきのお家は、すぐに思い出せる。心に刻まれているってこういうことなのかなって思いました。変わり果てた故郷を見た友人たちと話したのは、「地元から離れている私たちができるのは、家族を親戚を友達を自分の大切な人達を笑顔にすること」でした。そしてもう一つは、「被災地以外の場所に住むみなさんに被災地のことを知ってもらうこと。」 (『石巻百景』より)私のこのブログでは、ほんの少しの力にもならないかもしれないけど、それでも読んでくれる人が一人でもいれば、現状や被災地の情報を知ってもらえる。石巻を含め、東北の美味しいものや 石巻白謙蒲鉾店 株式会社 高重商店 (『石巻百景』より)綺麗な風景を紹介して食べてみたいなとか、旅行に行ってみたいなと思ってもらう (『石巻百景』より)そして、5月に石巻に帰るまでの2ヶ月、心細かった私自身も沢山の方に支えていただきました。震災直後は、夜も眠れずにニュースを見続けては泣いていた私を心配して「自分が元気じゃなきゃ、石巻に戻った時に家族や友達を元気にしてあげられないよ」と食事に誘いだしてくれたり、桜が綺麗に咲いた4月には、満開の桜を見に、公園にお散歩に連れていってくれたり、石巻に帰る5月には、「やっとみんなに会えるね」と空港まで車でお見送りしてくれました。福岡・能古島でお手伝いさせていただいたチャリティーイベントでは、東北から遠く離れた九州のみなさんが「東北のために」と一生懸命アイディアをだし、祈り、行動してくれていました。関東に住んでいる義両親、学生時代にお世話になった方、関西に住んでいる親戚のみんな、「大丈夫?」と何度も温かい電話やメールで励ましてくれました。私以上に「今、被災地では何が必要か」と考えてくれて何度も何度も、私の両親宛てに支援物資を送り、温かい気持ちを届けてくれました。そして、いつも隣で支えてくれた旦那さん。東北での仕事があると、会社で社内募集があったときに「東北のために」と真っ先に手を挙げてくれた気持ちがすごく有り難かったです。私自身が、周りの皆さんに沢山の優しさに元気と笑顔をもらうことができました。だんだんと、みなさんの元気をもらって笑顔になって、その分石巻に帰ったら、石巻のみんなを笑顔にしたいと思っていました。何も特別なことはできなかったけど、一緒にいるだけだったけど、笑顔をもらったのは、私の方でした^ー^みんなが、自分の周りにいる大切な人を笑顔にする。その気持ちが広がったら、みんながお互いを想い合って、笑顔になれるのかもしれません。 (『石巻百景』より)「つなみ」を経験した子供たち80人が自分たちの言葉で、3月11日のことを綴っています。忘れないことの大切さ、伝えることの大切さ。子供たちのたくさんの笑顔も載っています。沢山の人に、笑顔が広がっていきますように。にほんブログ村
2011/07/09
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お久しぶりです。前回のブログから3カ月が経ちました。*震災からもうすぐ4カ月。3月11日から、あっという間だったような、長かったような4か月でした。5月に、やっと実家の宮城県石巻市に帰省して家族に会うことができました。まだ実家のある石巻までのJR仙石線は復旧していないので、仙台から東塩釜まで電車に乗って。家族が駅まで迎えにきてくれて、改札を抜けて母の顔を見た時はやっと会えたという嬉しさと、電話が通じるようになってからはほぼ毎日電話していたけど、「ほんとに無事だった~」と心から安心できて自然と涙が出てきました。旦那さんも仕事の都合で同時期に東北入りしていたので私もその間は石巻で家族や親戚、友達と時間を過ごすことができました。帰宅した日は、家族そろった食卓で、弟が小さな卓上焼き鳥焼きで焼き鳥を焼いてくれて(笑)いつも私が帰省すると父は毛蟹にお魚を沢山準備してくれているので、石巻港がまだ閉鎖している今「港がだめだから、魚が食べさせてやれない~」と残念そうにしていましたが。。。。いつも通りの母の手料理を前に、家族での乾杯したとき、こんな風にみんなと一緒に、食卓を囲めることは「当たり前じゃなくて」すごく「有り難い」幸せなことなんだなあぁと思いました。+帰省している間に親戚や友達、みんなから震災の時のこと、震災後の生活のこと、沢山の話を聞きました。全国から沢山の支援があり道路には「被災地災害支援」のステッカーを貼った沢山の車街のいたるところには、「がんばっぺ!石巻」の横断幕。叔父たちの家の片づけや、実家の周りの側溝の泥だしもボランティアの方に協力して、みんなの力を借りてすることができました。私の実家も親戚やお友達から沢山の温かい支援を頂きました。震災直後の非常食や乾電池、お水など少し落ち着いた頃には、ビタミンを摂らなくちゃと新鮮なお野菜からサプリメント、各地の美味しいものなど沢山送っていただいたり、車で何時間もかけて会いに来てくださったり、ほんとに感謝の気持ちでいっぱいになりました。6月18日で震災から100日が経ち、被災地では合同慰霊祭が行われました。大切な家族の命を奪われて、みんなの幸せや笑顔の日々が詰まったお家が流されて、どんなに辛い中でも、残された人は日常を続けていかなくてはならない現実。まだまだ家族が見つからない方も多い現実があります。残された人みんなが、家族とそして地域の人と同じ痛みを共有し、支えあって、少しずつ少しずつ前に進んでいます。先日の土曜日に、ふと宮城に住んでいる1つ上の従姉のことを考えていたときに「ピンポーン」とインターホンが鳴って、届いた小包はその従姉からでびっくり。従姉も今回の震災でお父さんと3歳の姪が亡くなってしまい、実家のある地域は壊滅状態となってしまいました。お父さんが見つかったのも4月になってから、小さな可愛い姪が見つかったのは私も宮城にいる5月11日。震災からちょうど2ヶ月目の日でした。自分よりずっとずっと小さな体の可愛い盛りの子を見送るのは、ほんとに辛いことで、「天国でじいちゃんと一緒に遊ぶんだよ」とただただ手をあわせて、みんなでお祈りしました。なくなった子の父親である従弟は、かわいいドレスを着せてもらって眠っている我が子の棺を抱きかかえるようにして、泣きながら棺をさすっていました。届いた小包を開けると、かわいい手作りの引越しハガキと一緒に仙台のお菓子が入っていました。新生活を始めた住所と亡くなったお父さんと姪の名前が載っていないハガキを見ると、この4か月どんな想いで毎日を過ごしていたのかなと涙がでました。とても辛い状況の中、帰省した私に、笑顔で「おかえり」と言ってくれたみんなの強さと優しさを改めて感じました。まだまだ復興には時間がかかるけれど、地元のみんなと会って思った事は、今までの「当たり前」だったことが実は当たり前じゃない「幸せ」だったこと。震災の当日は、市内全部の灯りが停電のためにまっくらで今までに見たことがないくらい、星が近くにあってこぼれるくらいに輝き綺麗だったそうです。沢山辛い想いをしたから、これからはみんなに沢山の幸せが訪れることを祈っています。前向きにしていても、時々辛くなることも、泣きたくなることもあるけどその時は無理をしないで立ち止まりながら。少しずつ、少しずつ。私も6月に福岡に戻ってきて、こちらでの生活を再スタートしました。7月2日で福岡に来て、ちょうど1年が経ちました。1年前は、見ず知らずたった福岡の土地で。。。笑顔で過ごせることの「幸せ」に感謝して。これからも何気ない日々の暮らしのこと、そして地元宮城のこともブログを通して、みなさんにお伝えできればと思っています。長くなりましたが、最後まで読んでくださってありがとうございます。にほんブログ村
2011/07/04
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