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会計事務所は2月がとても忙しくて、なんで2月は28日までしか無いの?!と思います。自分の担当しているお客さんの計算も早くしなきゃいけないのに、電話はバンバンかかってくるし、来客は多いし、他の人から頼まれた仕事もしなきゃいけない2月中に片付けるのが目標だったけど、毎日1~2時間余分に仕事をしても追いつかず、結局片付けられないまま2月が終わってしまいましたなんとか3月第1週のうちには片付けたいと思います。仕事が大変すぎて、家に帰ってから夕食を作るだけでも精一杯で、社労士講習の課題を放置していました。気がつけば締切りは目前つかの間の休日のはずだった今日は、家にこもって受験生並みに課題に取り組みましたそれでも終わらず・・・こちらはあと2,3日で片付けないとまずいので、明日と明後日頑張ります。次の検査結果がさらに悪くなれば、せっかく頑張った仕事も講習課題も無駄になっちゃうかもしれない。いつ再発するか、長生きできるかもわからないのに、コツコツ真面目に頑張る必要があるのか?もっと自由気ままに好きなことしていれば良いんじゃないか?と思うこともある。でも、仕事も講習も手を抜いてダラダラと自由気ままに過ごしておいて、後で検査結果が良かったとき、思いのほか人並み以上に長生きできたとき、困るのは自分なんだよね。頑張った事が無駄になるのと、頑張らずにおいて後で困るのと、後悔の質は前者の方が良いと思う。エネルギーの消耗も前者の方が大きいけど。やはり、今目の前にあること、自分が今できることを頑張る以外無いんだろう。インフルか?と思われた症状は、風邪薬で治まってくれました。今インフルだったら、仕事にしても講習課題にしても相当大変なことになったと思います。とりあえず良かったです。
2010年02月28日
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今日再検査をして、上昇していた2つのマーカーのうち1つは正常値(の範囲内でちょっと高めだけど・・・)まで下がっていました。もう1つのマーカーは保険の規定で月に1回までしか測れないので来月までわかりませんが、とりあえず1つは下がってくれたので少しほっとしました。血液凝固の数値は結果が出るまで2~3日かかるので今日はわかりません。次に主治医に会えるのは最短で1週間後なので、また1週間後に受診予約を取りました。それまでヒスロンは休止続行です。もし下がっているならわかり次第すぐにでも飲みたいのに主治医が転勤してから、こういう時にすごく困ります不安と恐怖でいっぱいいっぱいなのに追い打ちをかけるように、昨日からのどが痛く、全身が筋肉痛で、頭がガンガン痛いです。もしかしてインフル??でも今のところ熱は37℃台までしか上がってません。一昨日まで35℃未満だったことを思えばすごい上昇ですが。最近、風邪を引いたり下痢をしたり、免疫力の低下をつくづく感じます。
2010年02月24日
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3年以上飲み続けていたヒスロンを突然休止したら、副作用の反作用(?)が出てきたようです。体温が高めになるという副作用でここ1~2年の平熱は36.5℃くらいあったのに、昨日・今日は体温が34.8℃。低すぎです体温計がしっかり挟まっていなかったんじゃないかと思い、何度も計り直したけどやっぱり低い。体温が低いからなのかわからないけれど、体が重く、素早い身動きができない感じ。たぶん冬眠中の動物みたいな状態なんだと思います体温が低いとがん細胞が増えやすいと聞いたことがあるので、なんとか体温を上げたい。しょうが湯を飲んで、夕食は鍋にして、お風呂は長めに浸かろうと思います。血液凝固の数値が高い人にヒスロンは禁忌なので突然の休止はやむを得ないけれど、ホルモン剤の服用を突然止めるのは怖いことだと思いました。ちなみにヒスロンには顔が丸くなるという副作用もあるんですが、薬を休止しても今のところ顔は細くなっていませんヒスロンのせいではなかったのね。今は仕事がめちゃめちゃ忙しいおかげで昼間は余計なことを考えなくて済みますが、一人で家に居るときや車を運転しているときにど~んと不安や恐怖を感じてしまいます。3年前に静岡と東京でセカンドオピニオンを受けたとき、再発の可能性はかなり高いと言われました。再発したらまた抗がん剤治療をするという前提の下で、とりあえず4クールまでで抗がん剤治療を終了させることに決めました。だから「どうせまた1年くらいで再発するんだ」という覚悟と諦めが常に心にあって、長期的な夢や目標は抱かないようにしていました。それは、いざ再発した時に自分の受けるショックを最小限にするためでもありました。ところが1年が経ち、2年が経つうちに、月2回の血液検査をクリアするのが奇跡ではなく当り前になってきて、「このまま行けるんじゃないか」なんて思えるようになったら、いろんな欲が出てきて、夢や目標を抱くようになりました。10ヶ月以上元気でいられる自信が湧いてきたから学習期間が10ヶ月もある社労士の通信講座を申込んじゃったし、試験に合格したら将来は資格を生かして働きたいなんて欲も出てきちゃった。薬から解放されたら海外旅行に行きたいとか、いつか家を建てたいとか、そんな夢も抱いちゃった。いつの間に「また再発する」想定が頭の中から薄れていって、このまま生きられる前提で物事を考えるようになってしまった。家族も友達も会社の人も、私がこれからも普通に生きている前提で付き合ってくれている。今いきなり再発って言われても、そう簡単には受け入れられない。っていうか、これだけ夢を見させて調子に乗らせておいて、ここでどーんと突き落とされたら、あまりにもひどくないか??そんなひどい仕打ちを受けるほど、自分の日頃の行いが悪いとは思わない。「たまたま」一時的に数値が上がってしまったに違いない!と強気に思う自分と、もし再々々発だったらどう受け止めたらいいのかシュミレーションしてしまう自分が同居しています。
2010年02月22日
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すごく不気味な事態が起こって、ここ1~2年で味わったことのない不安に襲われています。もしかしたら再々々発かもしれない・・・全てが“ただのたまたま”であってほしいと願うばかりです。昨年12月、これまで毎月1回10割自己負担で打っていた注射を年内でやめよう、と主治医から提案がありました。この注射は最初の1年しか保険がきかない。3割負担の1年間は積極的だった主治医も、10割負担となると積極的には勧められないようです。私はもっと続けたかったけど、社労士講習云々で金欠だったこともあり、とりあえずやめることにしました。そのため約2ヶ月間、注射なしで過ごしています。昨年末には主治医から、年明けから通院を月1回に減らそうという提案もありました。それまでは月2回通院して血液の腫瘍マーカーをチッェクしていたのですが、「もう3年経ったんだから昇格していいんじゃない?」との事でした。そのため1月の検査は1回のみ。つまり、2月の通院日は1ヶ月ぶりの検査となりました。注射は2ヶ月なし、血液検査は1ヶ月ぶり。嬉しいような不安なような昇格をして、新しい形で迎えた2月の通院日。いつもなら先に採血をして、1時間くらい待ち、診察室で結果を聞きます。その日の結果をその日に聞くので、もし変な結果が出ていればすぐにその場で対策を練ります。しかし・・・この日に限って主治医が血液検査のオーダーを入れ忘れていたそのため、採血より先に診察を受けなくてはならず、診察でやることと言ったら薬の処方と次の通院日(1ヵ月後)の予約を取ったのみ。診察後に採血をしてから帰って、結果は電話で聞くことになりました。ここで問題が一つ。主治医は半年前によその病院に転勤し、今は週に1回しかも午後の2時間程度だけこちらの病院に来ています。電話で結果を聞くといっても、次週の同じ曜日の午後の2時間の間に電話をする以外、聞く術がないのですいつもならその日のうちに聞ける結果を、聞かないまま1週間置いておくのはなんとも気持ち悪い。それでも「どうせ異常なしなんだから、まぁいっか」と思っていました。1週間後、主治医のいる時間を見計らって、仕事をちょっと抜け出して電話をしました。主治医の第一声は「あんまり伝えたくないんやけど・・・」腫瘍マーカーが2つ、基準値を超えていました。おまけに血液凝固の値がかなり高い。たまたま電話で結果を聞いた日に限って、前代未聞の悪い結果。これが診察室だったら、主治医はエコーをするなり、やめた注射を再開するなり、血液を溶かす薬を処方するなりするんだろうけど、電話では何もできない。すぐ翌日にでも受診したいところだけど、翌日に病院に行っても主治医はいない。最短でも1週間後までは主治医の診察を受けられない。急きょ電話口で1週間後に診察予約を入れてもらったけど、1週間も何もできずに置いておくのがすごくもどかしいです。今まで何かの弾みで1つのマーカーだけが基準値超えをすることは何度もあったけど、2つ同時なのは再発した時以外になかったので、ゾクゾクするような不安に襲われています。さらに悪いことに、血液凝固の値が高いためヒスロン(抗腫瘍作用のホルモン薬)の服用が禁止されました。マーカーが上がっているのに、注射は2ヵ月打っていないわ、ヒスロンも飲めないわで、がんに対抗できる武器を何も持っていない状態です。たまたま2ヵ月注射を打っていなくてたまたま検査の間隔が1ヶ月空いて、たまたま主治医が検査オーダーを忘れて、たまたま電話で検査結果を聞いたら、たまたまマーカーが2つ上がっていて、たまたま血液凝固が高くてヒスロンが禁止になったこんなにも悪い“たまたま”が連鎖すると、本当に気味が悪いです。気味が悪いのを抱えながら、何も対抗できずに1週間置いておくのがさらに気味悪くて嫌で仕方ありません。どうか全てがただのたまたまでありますように。
2010年02月20日
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ず~っと体調不良だった1月とは打って変わり、今月はとてもパワフルに動いています。まず、仕事は土曜日も出勤で週休1日。確定申告の繁忙期のため毎日やる事がいっぱい今はまだいいけど、2月後半になるにつれて追い込まれていく予感です。そして、ジョギング。先週からだいたい1日おきくらいに走っています。朝の出勤前か夕方の暗くなる前なのでせいぜい15分程度だけど、少しずつ体力が回復してきました。それから勉強。社労士の指定講習(通信教育)を少しずつ進めつつ、行き詰っています教えてくれる人がいないのがつらいところ。どれだけ教材を読んでも解らないことだらけです。締切りがあるので何とかしないといけないんですが、仕事が忙しくて時間もあまり無いし、かなりピンチです。そんな中でも、朝食べる食パンはホームベーカリーで自家製しています毎日お弁当を作って節約して、少しでも貯金を増やそうと頑張っています。いろいろと余裕が無くてきついけど、元気に動けるのはありがたいことです。なんとか元気にあと半月乗り切れますように。そういえば、先週、2月1回目の通院日がありました。3週間も下痢が続いたことを主治医に話すと、Dr.「内科の先生は何て言ってた?」私「細菌性でも無いし、炎症反応も無いし、原因がわからないと言われました。内科で出された薬を飲んでも全然良くなりませんでした。」Dr.「それなら、放射線治療の晩期後遺症かもしれない」私「放射線治療をしたのは3年以上も前なのに、そんなことあるんですか?でも確かに放射線治療中に起きた下痢とすごく似ていました」Dr.「何年も経ったあとに、ちょっとした何かの弾みで腸が詰まったりひどい下痢を起こす人がいるんだわ。放射線治療はよく効くけど、すごく恐ろしいんやよ。これからも警戒は必要だよ」こんなやりとりが行われ、意外な原因が見えてきました。本当に放射線治療の影響なのかどうかは確かめようがないので「予想」に過ぎませんが。放射線は恐ろしい、なんて今ごろ言われても・・・もう浴びちゃったものはどうしようもないので付き合っていくしかないですね
2010年02月14日
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最近テレビでバンクーバーの様子が放映されるたびに、悔しいような寂しいような熱くなるような、なんとも言えない気持ちになります。バンクーバーは私にとって思い出の場所です。今からちょうど7年前、大学1年生の春休みに、バンクーバーで3週間のホームステイ&語学学校の旅をしました。初めての飛行機(正確には記憶にない程小さい時に一度乗っているらしいけど)、初めての海外、しかも一人旅という、大冒険でした。ホストファミリーにも恵まれ、語学学校で友達もでき、毎日が楽しくて仕方ない3週間。バンクーバーの街は本当に絵に描いたように美しくて、乗り物やお店も充実していて快適で、このまま住み続けたい!と思うような街でした。7年前の当時にも、「2010」と描かれたオリンピックのポスターが街の至るところにありました。語学学校のオプションツアーで、スキー競技が行われるウィスラーにも訪れました。(しかしスキーのできない私はウィスラーに行ったのにスキーをしていない・・・苦笑)あの時、7年後の冬季オリンピックのときにまたバンクーバーに来ようと強く思いました。ホストマザーは「日本人観客のための案内通訳のボランティアが募集されるだろうから、英語を磨いてボランティアとしていらっしゃい。そのときは泊めてあげる」と言ってくれました。7年後のバンクーバーを夢見て、日本に帰ってからも英会話の勉強をしたり、ホストマザーとメールを交換したり、はたまたマスコミに就職すれば取材でバンクーバーに行けるんじゃないか?なんて考えたりもしていました。今思うと、私のこれまでの人生の中でも希望と可能性に満ち溢れていた時期でした。そんな日々はたったの4ヶ月でした。がんが発覚して治療が始まり、怒涛の生活の中で、英会話教室を辞めざるを得ず、ホストマザーとの連絡も途絶えてしまいました。今の私は、血栓のできやすい薬を飲んでいるため長時間の飛行機はダメで、個人的に旅行でバンクーバーに行くことすらできません。「もしがんにならなければ・・・」と考えることは、無駄であり、自分が悲しくなるだけなので、極力考えないようにしています。でも最近テレビでバンクーバーの様子を見るたびに懐かしい思い出がいっぱい浮かんできて、「もしがんにならなければ2010年のバンクーバーに行けたかも・・・」とどうしても考えてしまいます。う~行きたかったよ~悔しいよ~いつになるかわからないけど、薬から解放されたらまたバンクーバーに行こうと決めました。
2010年02月11日
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4週間も前ですが、1月13日は通院日でした。大雪だったあの日朝、会社まで行くのに、普段20分のところが1時間20分もかかりました昼に早退して病院に向かう道中も雪だらけ。実はこの日の朝から下痢が始まっていたのだけど、当時は「寒さで冷えたんだろう」くらいにしか思わず、特に主治医に伝えることもしなかったのです。その後3週間くらい下痢が続いたので、診察のときに一言でも主治医に伝えておけばよかったですこの日の診察で、年末に受けた骨密度検査の結果が出ました。なんと、80歳代レベルまで低下していた昨年4月よりも、さらに低下してしまっていました昨年の4月に検査を受けた後、それまでの弱い薬から強い薬に変更することになったのだけど、副作用がきつすぎて1回でギブアップ結局、弱い薬に戻してもらっていました。その代わり、カルシウムの入った食品を食べるよう心がけたり、ジョギングをしたりと生活面での注意はしました。しかし今回の結果で、やはり弱い薬と生活面での注意だけでは骨が減る一方だということがわかり、否応無しに強い薬に変更することになりました「強い薬」は、週に1回決まった曜日に飲むもので、胃腸への副作用があります。本当は1月の通院日のあとすぐに始める予定だったのだけど、ずっと下痢が続いていたので飲めず・・・。先週になって初めて1回飲みました。やはり飲んだ後しばらくは気持ち悪くて、食欲も落ち、胃もたれがしましたでもなんとか持ちこたえる事ができました。これから毎週飲まないといけないのか、と考えるだけで憂鬱になりますが、これ以上骨が減ったら見た目に現れる(背が縮む、腰が曲がる等)日も遠くないと思うので、飲むしかないです。強い薬&ジョギングで、今度こそ骨の若返りができますように
2010年02月09日
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2月からついに社労士の事務指定講習が始まりました。「社会保険労務士」として仕事をするには、社会保険労務士試験合格 ↓(実務経験のない人は)事務指定講習を修了。 4ヶ月の通信教育+4日間の講義 ↓社労士登録+社労士会に入会し、開業手続き という手順を踏まなければなりません。形だけでも「開業」という手続きをしない限りは、社労士業務を行ってはいけないそうです(法律違反)。つまり、今の私はただ試験に通っただけの人であって、社労士としての仕事をしてはいけない状態。しかし・・・お金がかかりすぎ!事務指定講習を受けるのに7万円。。登録・入会・開業手続きでは20万円以上かかるようです。試験に合格してから、お金が減る一方なんですけど私はとりあえず講習だけ受けておいて、お金が貯まりしだい登録・入会手続きに進もうと思っています。だって、登録・入会を済ませて社労士業務を行えるようになったところで、すぐに収入が増えるわけではない。収入の当ても無いのに、がん再発に備えて貯めている命がけの貯金を、登録・入会に使うのは怖すぎます試験に受かれば道が拓けると心躍ったのに、医療費のかかるがん患者にはそう簡単に道は拓けないようです。悔しい。冬のボーナスを費やして申し込んだ講習の教材が、少し前に届きました。でっかいダンボールにいっぱい。かなりの重量です。これを2月~5月の4ヶ月で仕上げなければなりません。しかも、1ヶ月ごとにノルマというか提出の目安が定められています。一方で私の職場は、2月は確定申告の繁忙期。日曜日以外は出勤です。そんな中で勉強するのはけっこうきつく、まだ全然進んでいません今日は貴重な休日なので朝からみっちり勉強しようと思ったのに、勉強する習慣がすっかり無くなってしまったせいか、全然集中できませんかなりまずいです。明日から心を入れ替えて頑張ります勉強に集中できない~どうしよう~と苦しんでいたお昼前、太陽が照って地面の雪も溶けてきたので、久々のジョギングをしてきました。年明けからずっと体調不良だったため、なんと今日が走り初めです市長選挙会場の小学校まで走って往復。ゆっくり軽く1.7キロほど走りました。ジャージで息を切らしながら投票するのはちょっと恥ずかしかったですが久々に走って気持ちよかったです。そのあと気持ちよく昼寝をしてしまい、ますます勉強が進まなかったのだけど体が元気で、走れて、よく食べて、よく眠れるって素晴らしいと思いました。6連勤の仕事と講習で大忙しの2月。今日のしわ寄せで残り3回の日曜日は大変そうです元気に乗り切れるよう頑張ります
2010年02月07日
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かれこれ20日近くも続いていた下痢ちょっと前まで「薬を飲んでいれば大丈夫」な状態だったのが、やっと昨日くらいから「薬を飲まなくても大丈夫」になりました。あ~本当に長かった・・・こんなにも食べられない日々が続いたのは抗がん剤・放射線治療のとき以来でした。何でも美味しく好きなだけ食べられるって、なんと素晴らしいことなんだろうと改めて実感しています。例年、一年のうちで一番体重が増える1月に、2キロ近く痩せてしまったので、これからもりもり食べて栄養とります!
2010年02月04日
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先週、母校の高校で、生まれて初めて「授業」というものをさせていただきました。2年生の1クラスで、50分の授業。2週間くらい前にお話をいただいて、これは頑張らなくちゃ!と張り切りたいところだったのだけど・・・ずっと腹痛と下痢の体調不良が続いていて、こたつでゴロゴロしながら何を話そうか思い巡らせていました。でも、力が入りすぎなくて逆によかったのかも。後輩たちに何を伝えたらいいんだろう?私が国や社会に対して訴えたいことは、がん患者の就労問題、治療費をもっと軽減してほしい、がん患者が堂々と生きられる世の中になってほしい、ということ。でもこれを高校生に対して述べたところで、問題を知ってもらうことはできるけど、遠い話に聞こえてしまうんじゃないか?私の闘病体験や就職の苦労を語り、治療の大変さやがん患者の実態を知らしめて、「がんになったらこんなに大変なんだよ!だから生活習慣に気をつけて、検診も受けなきゃだめよ!」という脅し的な授業にはしたくない。同じ高校の先輩が大学へ行った矢先にがんになった事実を伝えて、「あなた達もいつどんな不幸に見舞われるかわからない。だから今を精一杯生きなさい」という反面教師的な授業にもしたくない。あれこれ考えた末、高校の先輩の一人として、そしてがん患者の一人として、後輩達にこんな話をしてきました。まずは自分の高校時代の話、大学受験の話、大学生活の話をしました。4月から受験生になる彼らなので興味を持って聞いてくれました。身近な先輩だと感じてもらえたあたりで、がんの話をスタート。一瞬空気がピリッとしました。医療系の進学を志す子も多いので、私がお世話になった医療者(医師・看護師・検査技師・放射線技師)との関わりについても説明。テレビや映画ではがん患者の髪が抜けるところまでしかやらない場合が多いので、かつらを被って大学に行っていた頃の写真とか、抗がん剤が終わった後にだんだん髪が生えてきた頭の写真を順に並べたり(笑)、髪が伸びて地毛デビューした頃の写真を見せました。ハゲ頭の衝撃は大きかったかもしれないけど、みんなじっと見てくれました。就職活動の苦労や、がん=死という偏見がまだまだ強いことを説明しつつ、理解ある職場に恵まれて新たな道で働いていることも説明。19歳でがんになったこと、農学部を出たのに研究職に就けなかったこと、子どもを産めなくなったことは、高校時代に思い描いていた人生から見たら大きな挫折ではあるけど、かわいそうな人生でも惨めな人生でもない、ということを負け惜しみに聞こえないように話しました。その後にRFL中部で撮った“がんいこ&OUTLET”の集合写真を見てもらいました。「がん患者とその家族、友人達です。かわいそうな人たちには見えないでしょ?」と説明すると、ちょっと驚いたような顔や安心したような笑顔で見てくれました。最後に、がんは怖い病気で治療も大変だけれど、がんになったからと言ってその人の生き方そのものが「かわいそうな人生」になるわけではない。将来、皆さん自身が突然重い病気や障害を負ったり大きな挫折をする事があっても、そこで全て終わりだと諦めないでほしいし、皆さんの周りの人がそういう事態に陥ったときは、かわいそうという目で見て否定するのではなく、様々な生き方を肯定して共に生きられる人になってほしい。と伝えて終わりました。伝えたい事が多すぎて、途中でチャイムが鳴ったらどうしようと心配でしたがほぼ予定通りに終了。すごく緊張したけどあっという間に終わり、自分の体験をさらけ出したからなのか、すがすがしい気分とほっとした気分でした。感想と質問を書いて提出してもらうと、いろいろ書いてありました。感想の一例●本物のがん患者を初めて見た●がんの見方が変わった●苦しい思いをしている人を支えられる人になりたい・・・思い切って自分の体験を話してよかったと思いました。●ますます医療の道を志したくなった●患者さんの気持ちに寄り添える看護師になりたい・・・後輩達の今後の活躍が楽しみです。質問は、受験勉強についてや大学生活についてが多かったのですが、その次に多かったのが・・・○○先生とのなれそめは?家での○○先生はどんな感じ?という質問○○先生とは相方のこと。偶然にも今、相方は私の母校に配属されているのです。相方の妻だということは伏せて“卒業生”として行ったのに、買い物中とかに目撃されて顔を知っている子が数人いたのでしょう。授業の間に徐々に広がり、半分以上の子にバレていたようですこれからは変な格好で買い物には行けません予想外の質問には戸惑いましたが、本当に貴重な機会をいただいたと思います。金曜日の7時限目という一番疲れている時間なのに、一人も寝ずに聞いてくれました。下手でぎこちない私の話を最後までしっかり聞いてくれた後輩たちに感謝です。ありがとう☆
2010年02月01日
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