全2173件 (2173件中 51-100件目)
急に冷え込んできたので体が追い付かない。今年は秋が暖かかったので、近隣の池では勘違いしたヒキガエルが卵を産んでしまったそうだ。こんなことは珍しいので資料館の人が卵を暖かい場所に移動させ、孵化?させたのでおたまじゃくしを見せてもらった。うーん、おたまじゃくしにしては動きが弱々しいかなあ。やはり季節外れに産むと生命力が弱いのかもしれない。立派なカエルになれることを密かに祈る。なれなくても親を恨まないであげて。間違えて生んじゃっただけ。それも運命なんだ。とカエルのことは割りきるが…自分のことは難しい。私は春生まれなので生き延びるには良い時期だったはずだが、あまり丈夫ではない。先日、久しぶりに、ちょっと心配なことを娘に聞いたものだから実母に電話をした。相変わらずの毒舌ぶり。私の呼吸も上がる。血圧も上がっていたことだろう。イライラし、優しい言葉なんか出てこない。「あんたはどうしてそんなにガーガー言うのっ!私の妹はとても優しく話すのに!」は?また叔母の話?その人に育てられたんじゃないから!私を育てたのは毒舌のあなたですから!とは言えず「私はあの叔母さん、大嫌い!比較しないで!」「姪だって電話でいつも優しいんやからねっ!」は?今度は従姉妹?「あの人調子いいだけ。大嫌い!」別に大嫌いでもなんでもなく、無関心なだけだが母に言われると腹が立って来るのだ。つまりは、私が母にどんなに悪態をつかれてもひれ伏せというわけだ。ふんっ!誰が!この人に育てられたのか。言い様のない絶望感と虚無感に襲われる。生まれて来なければ良かった、リセットしたいと思ってしまう。結局大騒ぎになり、母は孫である私の娘に電話して2度と私に告げ口するなと怒り、娘はなんでばあばに電話したんだと私を責めてくる。母は私と娘の仲も引き裂きたくて仕方ないのだ。ほーんとに、生きてるのが嫌になった。しかし、翌日、職場の人に慰めてもらい、何とか切り替えた。娘だっていずれわかってくれるかもしれないし、わからない方が幸せかもしれない。親が我が子を苛めるなんて想像のつかない世界、と思って生きている方が幸せだろうし。娘は時々、わかっているのかわかっていないのか、不思議な行動をする。私は離婚しても元夫の悪口を娘に言わないようにしていた。離婚理由も曖昧にしている。それは自分の父親が嫌な人だと思って生きていくのは辛いだろうからである。元夫は私の更年期障害が理由で離婚したと娘に言っているらしく、娘もそれを信じているみたいだ。そんなアホな。私の更年期障害は大したことなかったのだから。でも娘は結婚しても、彼氏を父親に会わせていない。紹介していないということだ。つまり、それほど信頼していないということだろうか?もっともコロナ禍で若い人に会うのを嫌がる父親に合わせているだけかもしれないが。さてさて、寒い夜に愚痴っぽくなっているが私は元気だ。サ活とまではいかないが最近ホットヨガが好きになっている。寒い夜にホットヨガの部屋に入ると、床暖房と温風で生き返るように感じる。凍っていた血管が溶けて体温が戻っていく。おー、贅沢な時間だなと感激する。もっとも、参加するのはリラックス系ヨガだけ。いくらほっとしても暑いなかでハードに運動するほど体力はないから。汗だくになってシャワーを浴びたあと、大きな浴槽に浸かると、もう、温泉に行けなくたってこれで十分…と更に幸福感は高まる。ところが、帰り道自転車で15分。またまた冷えて帰宅する。これじゃ意味ないかと思ったが熱い味噌汁を飲むとまた血管が生き返る。風呂以外にも暖まる方法はありますねえ。どうか、この平和な生活を家族のゴタゴタで乱されませんように。さて、明日の仕事はなかなかハードな予定だ。今週もあと一日。仕事を頑張って気持ちよく終わりたい。
December 15, 2022
コメント(2)
還暦同窓会をしようと言っていたらコロナ禍で延期が続きました。ようやく開催!コロナ禍が収束したわけではないとわかっていましたが、どうしても行きたくて参加しました。というのも今年は先輩二人が相次いで急逝されたからです。コロナが落ち着いたら会いましょうと言っていたのに…こんな無念なことはありません。先延ばしにしていたら会いたい人は亡くなることもある。そんな年代だと痛感させられました。なので、区切りとして中学の同窓会にはどうしても!私の場合、小中一貫校と言ってもいいくらい、中学の同級生のなかには小学校の同級生が多いのです。参加は22名で、話し足りないくらいでした。昔話から近況まで、盛り上がりました。今週は現実に帰り、忙しい日々です。
December 8, 2022
コメント(2)
久しぶりの有給休暇。先週は6連勤だったからさすがにバテました。気付けばもうすぐ12月。相変わらず、花鳥風月と程遠く、紅葉を見たいと思う頃には落葉しております。12月ということで、ここ三年くらいの正月の抱負を読み直してみました。苦笑いせざるを得ないのは、かなり定年退職を意識していて、特に今年は自分の時間が増えると張り切っていたところです。現実は…定年退職あるあるなのですが、仕事内容全く変わらず、給料激減の日々でした。まさか、全く変わらないとは夢にも思っていなかった無邪気だったいい年をした私なのでした。体力も落ちてきたのかも知れませんが、ハードな仕事が全く変わらないとは…本当にわかっていなかったなあ。ただ、ルーティンになっている内容もあるので勢いで乗りきった…いや、まだ終わっていませんから気を抜けません。そしてまさかの三年連続のコロナ禍で、自由もかなり奪われ、仕事は同じようにしなくてはいけないけれど、旅行だの外食だのは制限がかかり、働け働け、でも楽しむなと言われているような日々でした。今年最大のショックは年の近い先輩方が相次いで亡くなったことでした。コロナ禍が過ぎたらまた会えると信じていたのに、二度と会えなくなりました。私は時間が有限なことをこの年になって学びました。老後の生活が心配で働いていたけれど、老後なんてあるかどうかわからない。61才まで現役で働いたんだもの。働き方改革をしようと決心した年なのです。そして会いたい人には可能な限り会う。来年なんて何があるかわかりゃしない。6連勤なんかしたから、今日は家にこもっていないといけないほどの疲労感です。若い人と同じことはもうできない。まあ、6連勤したくせに日曜日にダンスなんかしてるから疲れたのでしょうね。今日もダンスに行く予定でしたが取り止めます。少しは家のこともやらないといけないですからね。その前にお昼寝ですね。
November 29, 2022
コメント(2)
今週は6連勤だったし、残業も多かったのでちょっと疲れ気味だ。金曜日はホットヨガでデトックスしようとしたら仕事が終わらず、行けなかった。残念。ヨガも色々なクラスがある。私はリラックスヨガとかリンパデトックスヨガとか、癒し系しか出ないようにしている。体しぼりヨガとかボディメイクヨガをホットでやるとヘロヘロ、熱中症状態の上、膝も痛くなるからだ。ダンスもハードなラテンダンスはお休み中。膝を痛めているから。ジャズダンスに切り替えている。新米なので小さくなって後方でオドオドしながら踊っていて、挙動不審者状態。ジャズダンスはストレッチの時間も長いし、振り付けもどことなくバレエっぽいというか優雅で、インストラクターは素敵に踊っているが、私はまだまだ。それでも楽しい。フラ歴は五年と長くなったが新曲のたびに挙動不審になってしまう。こちらは伝統芸能なので奥が深く、ハワイの歴史や地理も頭に入れないといけない。ハンドモーションはまさに手話。ステップは軽やかそうに見えても、実は中腰で、膝を屈めるので下半身にかなり力がいる。ここでも気合いを入れすぎると膝が…明日は薬局で膝サポーターを購入しようかと思っている。ジム友はやはりあちこち故障が出ている。多いのは足底腹膜炎。バレエをやっている人も足の指を痛めている。元気にヒップホップ中心の人達はやはり膝。炎症が続くと安静にしなくてはならず、安静にしていると筋力が落ちてよけいにガタガタになるため、みんなヨガで調整に来ている。私もその一人。運動は続けないと。そしてホットヨガの発汗は本当にデトックスになるようで体調も良くなる。楽しいのはダンスなんだけど、そのためには体幹をしっかり鍛えて故障のない体にしたいからヨガと整体はやめられない私です。しかし、そんな休日も贅沢ですね。先日、娘の夫ご両親とお会いし、スキーなど若い頃の共通点はあったが、やはり土台が違うと感じた。娘夫の父親は28才のとき、まだ結婚もしていないうちから家を建てたそうだ。自分の両親と暮らせる家を建てたのだ。当時、親との同居を嫌がる娘たちは多かったから、お嫁さんが来てくれるのか不安だったという。その言葉を聞いて切なくなった。私たちの時代では長男は親と暮らすというパターンが多かったから、次男に人気があった。まだまだ家制度が色濃い時代だったのは同年代としてよくわかる。幸いにして、お嫁さんが来てくれて同居もしてくれたのでとても感謝していると話していた。私は同居は無理だった。同居できる人というのは例外なく働き者の女性で家族のために働くことをいとわないし、自分の時間が欲しいなんて言わない人達で、本当にえらいと思う。私にはできなかった。私のような女性は増えていたから、長男たちはなかなか結婚にこぎつけられかったという実態はよく知っている。親も子どもも奥さんも養って家のローンも払い、彼も大変立派だ。結婚したときには30才を過ぎていて本当にお嫁さん来るのか自信のないときもあったようだ。だから、我が息子が若くしてお嫁さんをもらえたことを喜んでくれているのだ。うちの娘はじゃじゃ馬だし、親孝行できるのか、心配。私が一人暮らしなのも気遣ってくださった。でも私は大家族は苦手なのである。とりあえずダンスを楽しめていて今は幸せだ
November 27, 2022
コメント(2)
「えー、何といいますか、私の時代とは全然順序が違いまして…本当はご挨拶が先なのですが、もう入籍をしたと全て事後報告だったものですから… 」あちらのお父様が困ったように言葉を選びながら話し出したのは駅前居酒屋の個室。あちらはご両親、妹さんとそのお子さんと、夫本人で総勢五名。娘は母親の私だけという親族初顔合わせなのだった。順序がめちゃくちゃなのは承知している。それでも私はほっとしているのだ。同棲を始めて、相手は結婚してくれる気があるのかハラハラしていたのだから。顔合わせの話は前からあったがあちらが大家族のため、コロナ禍で宴会も憚られ、入籍から3ヶ月も経っての顔合わせとなったのだ。私は娘の彼氏を大学生の頃から知っていた。私も行きつけのインターネットカフェで娘も彼氏もバイトしていたからだ。我が家に遊びに来たこともある。お付き合いが始まると週末は彼氏のお家で過ごすことが多かったため、あちらのご両親も娘のことはよく知っていた。単に私だけがご両親とは会っていないのだった。「お嬢さんはずいぶん華麗な学歴の持ち主のようで、うちでいいんでしょうか?」返事に困った。華麗とは違うが、確かに大学の偏差値のことを言っているならかなり違うのだろう。しかしそんなことを言ったら私と娘だって全然違う。返事を用意していなかったので本音で答えるしかなかった。「娘が人を学歴や学力で判断しないようにというのは私もその方針です。優しいのが一番です。そして娘が大好きになった人で、押し掛け女房のように結婚したのは娘の方ですから…」こんな返事でいいのか?沈黙が流れて気まずく、私は立て続けに喋った。「息子さんの優しい人柄を知っていましたので、可愛がられて育ったということはよくわかっていました。ですから、ご両親が優しい方々だというのは会わなくてもわかっていましたので、私は何も心配していませんでした」あーあ、娘がちょっと困った顔をしていたが、あちらのご両親は想定通り、優しい人達で会食は和やかに進んだ。お母様のほうは控えめなのか多くを語らず、もっぱら私とお父様が喋っていたが。娘を可愛がって下さっているのはよくわかった。私が一番年上、お父様が一つ下、お母様は3つ下。バブル時代のスキーの話に盛り上がった。お父様はウィンドサーフィンが好きなサーファーだったようだ。「私もウィンドサーフィン、やりましたっ」おいおい、二回だけじゃんか。沖縄やグァムに行ったらやる羽目になった、というくらい流行っていたのだ。「冬はお休みが取れるとスキーの板を抱えて、スキーとくとく切符という新幹線に乗り、日帰りで行きまして…」これも一人で行ったのは一回だけ。この話を聞いた友達が「やだ、誘ってよ」というので以降、ワイワイガヤガヤ行っていたのだが、お父様は感心された。「ずいぶん行動的なんですね、今でもジャズダンスをなさるとか」ジャズダンスは始めたばかりだ。膝を痛めてラテンダンスに出られなくなり、ラテンよりは緩やかなジャズダンスに挑戦しているものの、その踊りは優雅と程遠く、ドタバタ左右を間違えてはあたふたしているのが実情なので恥ずかしい。というわけで、大変楽しい時間を過ごせた。サーファーだったのか、懐かしい言葉だなあ。そして、この場で娘が実は転職したと聞かされ、仰天した。「えっ、あの福利厚生充実した会社をやめたの?」「そうだよ、ママに言うと絶対反対するから黙ってた」ひょえー今の若い人がすぐに転職する話は聞いていたが、娘はかなり恵まれた条件で働いていたのに。今度は設立して7年目のIT会社だそうだ。もともと娘は就職のときに、こういったベンチャー企業にかなり興味を持っていたが、大手の魅力に弾かれて、結局大手にした。そして、結局ベンチャー企業にしたか。今はWeb広告担当で、前と比べると残業も多いそうだ。もう優雅に夕飯を作っている場合じゃなく、なんと旦那様が作っているようだ。目を真ん丸にして話を聞いているとお父様が「お互いにないものを持っていて補い会えるからいいんじゃないですか」と取りなしてくれた…が、私たちの世代の夫婦というのはたいてい、どんなに共働きで忙しくても、男性が家事をすることは少ない。それなのに息子は夕飯作り、洗濯など引き受け、「乾燥機は縮んじゃうんだよねえ」なと所帯くさいことを言っているのだからどんな気持ちだろうか。家事をそこまでしていふとはご両親は知らなかったようだが「お前、そんなにやっているんだ」とニコニコしている。それにしてもそんな働き方をして子どもが生まれたらどうするんたろう。「あと五年は子どもいらないから」平然と娘が言うので、母としては焦る。「まだまだ若いから遊びたいでしょう。いいじゃないですか」取りなしてもらって、もうひたすら申し訳ない。私たちの世代では「嫁」失格なのである。それにしても、孫を可愛がる二人のご夫婦の姿はほのぼのとしていた。「自分の子どもが小さいときは寝顔しか見られませんでしたからねえ。今は休みの日に孫と遊ぶのが楽しみでしてねえ」妹さんが子どもを生んでくれていて良かったよ。うちの娘はいつになるやら。旦那様は子どもが好きで早く欲しい人なので、私はひたすら申し訳なく思っている。「一人ではお寂しいでしょう」と言われたけど、いえいえ、もう仕事で疲れきっておりますので…その割にダンスはするんですが…娘が娘なら母も母。孫がいたら楽しいだろうけど、私はしばらく休日はダンスを楽しんでいようかなと思う日々なのである。
November 21, 2022
コメント(2)
指 自分の指が嫌いだった。 物心ついたときには「あんたみたいな不器用は見たことがない!」と怒られてばかりいた。絵を描くのも禁じられ、針を持てば怒られ、ミシンを使うと「あんたが使ったあとのミシンは必ず調子が狂う!触らないで!」と言われてしまうので家庭科の宿題は自分ではやらせてもらえなかった。 今思うと母は強烈なコンプレックスの持ち主で、娘を下に見ることで安心感を得ていたのだろう。母は絵や縫い物が得意だったからである。もちろん、発達段階など理解できない。可哀想な人だと今は思うようにしているが、子ども時代にはそうした心理など知らないから、ひたすら自分はだめなんだと思い、私もまた強烈なコンプレックスの持ち主となり、自己肯定感など、持てるわけはなかった。 幸い子どもを生む頃には、育て方しだいでいかようにも伸ばせると学んでいた。 だから、娘は褒めまくって育てた。なので娘には何かができない、というコンプレックスはなかった。好きか嫌いか、ただそれだけであった。 高校生のとき、家庭科の時間に「縫えないんだ」とぼやいたことがあった。面白がった友達が「あら、あなたは指が動かないわけ?」と笑う。いや、指は動く。でも縫い物をしようとすると、できないという気持ちでいっぱいになり、固まるのだ。だが言われてみたら指は動くわけなので、それからは「指が動かないわけじゃない」と開き直って最低限の課題だけは縫ってこなせるようになった。 当時母にそれを話したら「親しか本当のことが言えないの。友達は耳障りのいいことしか言わないんだよ」と嘲笑された。親しか本当のことを言えないときはあるとしても、言っても傷つくだけで何も良くならないという理屈は母には通らないし、理解もできないだろう。私は黙った。 以来、言っても仕方ないので黙って結婚したり病気の手術を決めたりしてきた。子どもは作るなと命令されていたので、できてから報告した。母にとって子どもを生むなんて格下の私にしてはならないことだったのだ。 指を見るたびに不器用だと嘲笑われていた日々を思い出すので私は手を見るのが嫌いだ。 六十の手習いで色々なダンスをやるが、鏡を見ると私の指先はやはり、綺麗ではないなと感じてがっかりする。指先での表現も大事だからだ。私のコンプレックスの塊が踊っているようで情けなくなることもある。だが、練習を重ねていくうちに綺麗に表現できたと感じることもある。そうだ、高校の友達に言われた通り、指が動かないわけではないのだ。母の意地悪にこれ以上とらわれて生きていくのをやめよう。 そしてこの指を使って六十一歳まで働いたのだ。母とは違う。自分の力で子どもを育て、マンションのローンも払い終えた。娘の自己肯定感も高く育てることができた。 もう、呪いの言葉を忘れて今後の人生を楽しんでいこうと思う。
November 12, 2022
コメント(2)
恐れていた月曜日が終わりました。行ってみたら仕事は予想以上にスムーズに進み、体調も完璧!良かった良かった。来年度から多分、職場はガラリと変わる。短時間勤務を希望しているからだ。そうなると土日休みではなくなるかもしれない。ブルーマンデーなんて、昔の出来事のように思えるかもしれない。飛び飛びに勤務することもあり得る。毎日時差ボケ状態?でも私はプチリタイアをとても楽しみにしている。平日休みになったら、お金のかからない方法で日々を楽しみたい。動物園も水族館も平日に行ける!しかも近い!年パス買っちゃおうかなあ。動物園に行ったら長いこと見ていないパンダを見たい。そして何よりふれあいコーナーに行ってヤギさんと思いきりふれ合いたい。猿山をじーっと見ているのも楽しそう。でも私はどちらかというと見るよりふれあいコーナーの方が好きかなあ。水族館に平日行ったら、南国気分で熱帯魚をゆっくり見たい。そしてアシカのショーを見たいなあ。大好きなコツメカワウソも見たい!クラゲコーナーで癒されるのもいいね!旅行は諦めているけどお一人様日帰りツアーくらいなら許されるかなあ。こういうのはほぼ平日なのである。土日は家族連れが多いからね。海や山をゆっくり楽しみたいな。車の運転ができたら一人でもいろんなところへ行けるのに残念。実は父の生まれそだった群馬の桐生へ一度行ってみたいのだ。祖父の作っていた帯の街。帯の博物館へ行ってみたい。しかし、桐生ツアーというのは聞いたことがないし、車を運転できない私は現地でまごつくだけだろう。桐生に行きたいなんて友達もいないしね。日帰りというのはかなり要領よくしないとできないものなのである。温泉は…ま、都内にも天然温泉スパがあるからねえ。ちょっと風情に欠けるのだけど。とりあえず、お金のかからない動物園、水族館を楽しみたいな。これからは、ちょっぴり自分のために時間を使いたい。
November 7, 2022
コメント(0)
今朝は怒りで目が覚めた。例によって夢見が悪かったのだ。今日は月曜日だ!月曜日なのに明け方に目を覚ましてしまった。なんで、もう仕事!やらねばならないことが頭を駆け巡る。もう、お休みが終わるだなんて悲しいのを通り越して腹立たしい。と思ったら、今日は日曜日だと気付いた。やったー、お休みじゃないか!どんだけ仕事を負担に思っているのやら、情けない話だ。機嫌を治して二度寝して、ハッピーなプチ朝寝坊。そしてドタバタと、ジムへ出かける支度をする。これは嬉しそうにしていいはずなのだが、本当はもっと寝ていたいのが本音なのでまたもやプチ不機嫌に。コロナ禍であんなに我慢したジム通いなので、喉元過ぎればなんとやらで、罰当たりだ。午前中にはフラのレッスンがある。休んだらまた振り付けがわからなくなるので、休むに休めない。ジムの経営戦略にしっかり乗っちゃっているなあ。でも行ってしまえば楽しいのだ。行って良かったと思える。私はただ単に朝寝坊したくてたまらないぐーたらなのである。フラが午後だといいのになあ。でもインストラクターだって、前夜遅くまでレッスンしていて、こんな遠い私たちのジムに来るのは億劫に違いない。それを来てくれているのだから、近い会員は贅沢言っちゃいけませんね。今日はフラ、ホットヨガ、ジャズダンスの三本立てスケジュール。朝グズっている割に行ってしまえば元気である。どれも下手でお話になりませんが、やることに意義あり。レッスンが立て続いているわけではないので合間に読書。今日持参したのは又もや遠藤周作で「侍」。400年前にタイムトリップ。最も合間に細切れで読んでいるため、400年前から、音楽を合図に、令和に戻る。慌ただしいのだが、こういう細切れ読書も意外に楽しい。時代物は得意ではないが、遠藤周作となると別。先日は「深い河」を久し振りに読んで、感動を新たにしたばかり。「侍」は、時代物なので読んでいなかった。「沈黙」を彷彿とさせる内容だ。寝る前にも読もう。寝不足にならない程度に。だって、何しろ明日は本当に月曜日なのだから。
November 6, 2022
コメント(0)
コロナ禍はまだ収まらないが、経済優先に舵を切った日本は賑やかさを取り戻しつつあるようだ。韓国でのハロウィンで死者が多く出たことは衝撃的だった。私の子ども時代もコンサートでアイドルの追っかけをして将棋倒しになる事件が起きていた。私は郷ひろみが大好きだったので、コンサートに行きたくてたまらなかったが、「将棋倒しになって死んじゃうからダメ!」と、母得意の禁止令が出た。将棋倒しは怖いが、親に禁止されずにコンサートに行ける若者たちを心底羨ましいと思った。熱量が羨ましかった。親は反対したのかもしれないが、逆らえるということがすごい。私にはできなかった。今思っても悔しい。悔しかったら今からでも郷ひろみのコンサートに行けばいいのだが、チケットが手に入らない。そして、コンサートで立ち続ける体力もない。年を取った。やはり、若いときに行っておけば良かったと恨めしく思う。お陰で将棋倒しに合わなかったため、今も生きているが、何もかも禁止された子ども時代、大切なものを経験し損ねたなあと思う。そんなことを思っていたら今年の渋谷も大騒ぎだったようだ。私のように親の禁止令に合った若者も多いのではないかなあ。渋谷に集える若者たちの自由さを思うとやはり羨ましいのだが、実際に渋谷に行ったら息が詰まるだろう。数々の禁止令が身に染み付いて、人混みが苦手なのだ。羨ましいと言いながら、そういう所には居られない体質になっている。だからと言って、今時の若者は、と眉をひそめる婆さんにもなりたくない。元々が、収穫祭だった。仮装するなら野菜に仮装してみては?あ、だからみんなカボチャ色を身に付けているのか。そしてカボチャを通り越して、様々なキャラクターに変身するのだ。ジャガイモや大根にならないのだ。カッコいいのかもしれないと思うのは訳がある。20代の若い頃。バブル時代か。まだハロウィンは日本では一般化された行事ではなかった。外国では子どもたちが仮装してお菓子をもらえるというくらいの知識しかなかった。英会話スクールではハロウィンパーティーをやろうという。仮装してきてと言われても何をどうしたらいいのかわからぬ。見たことがないのだ。仕方がないので赤いバンダナを頭に巻いて、籠を持っていた。「何に見える?」と、拙い英語で、アメリカ人の先生に聞いたら「うーん…カントリーガール?」と返事をされて、私は力なく笑った。私は赤ずきんちゃんのつもりだった…言えなかった…センスないよな、私。まさにカントリーガール。私の初めてのハロウィン仮装体験だった。今もセンスなく生きている。
November 1, 2022
コメント(2)
かなり疲れてしまった。今週は、残業も多かったし、若い人達と同じように働くことの限界を感じ始めている。昨年までは、運動していれば体力がついて快復できると思っていたのだが、これも若さと相関性がある。二週間ほど前に膝を痛めてしまった。仕事のせいか運動のせいかわからない。気付いたのは運動しているとき。膝がおかしい。自分の体なのに、自分でないような感じだ。多分膝をかばうのか、あるいは周辺の筋肉も痛めているのか、とにかく思うように動けない。労って運動を減らしたら、早速太ってしまった。もう、どうしたらいいのっ!あ、食べなきゃいいんですよね?太ってしまったけれど、膝は治ったので、今後は無理なくやっていかなきゃねえ。私はやるかやらないか、極端なので困る。メンタル面も疲れてしまった。来年から思いきって仕事を減らすことにした。表向きは体力の限界ということになっているが、実はメンタルが限界なのである。経済的には厳しいことになるが…これ以上どうやって節約するのだ?でも、もう少しゆっくりして、好きなエッセイやジムを楽しむ老後生活にシフトしてもいいかなあ。今年は続けて敬愛する先輩方の訃報を受けた。他人事ではないのである。働き詰めの人生も悪くはないが、私にも少し時間を、と神からの啓示かもしれないと思うようになった。自分のことだけ考える人生には抵抗があった。人の役に立っていると思うことで奮起してきた。でもそろそろ自分を労ろうかなあ。まあ、まずは、睡眠なのである。
October 22, 2022
コメント(2)
先々週から膝を痛めている。原因はよくわからない。仕事かも知れないし、ジムでやり過ぎたかも知れない。ボディジャムというズンバよりハードなレッスンに興味があり、出てしまったのだが、ジャンプ、回転が多すぎてこれは、膝に来たかなー。でも一時的なことと考え、数日後、ホットヨガに出た。かなり踏み込んだり屈んだりするポーズ、キープが多く、このとき、膝にギクッときた。と言うわけで日曜日のラテンダンスに参加するのを取り止めました。ボディジャムほどではないけれど、ジャンプ、回転が多いので膝が痛いときはやめた方がいいかなと。せっかくラテンシューズもラテンウェアも揃えたのに残念です。それで、61才から始めたジャズダンスだけ続けることに。あ、もちろんフラとホットでないヨガは継続しています。それで、やってみて思ったんだけど日曜日にレッスン4本はやはり私の年ではキツイとしみじみ思いました。立て続けですからね。こうやって諦めるものが、増えていくのかな。ラテンは、このままフェードアウトかも。ジャズダンスはハードではないけれど、振り付け覚えるのが大変です。フラもそうですが。ジムのスタジオレッスンって集客するためにすごい工夫してますね。だって、休むと振り付けわからなくなるから、休まずに行かなきゃって思っちゃうんですよ。ヨガも自律神経にいいからやめられない。内臓にもいいとなるとあちこちガタのくるお年頃だから、やはりやらなきゃと思っちゃいます。膝の痛みも引いてきたので、水曜日夜はズンバと骨盤リズム体操も、出ちゃいました。ラテンは、近隣で夜、ラテンだけやれるなら、やりたいですが日曜日へばってしまうから。数回に分けながらいっぺんにやらないようにするのが続けるコツかなあ。
October 15, 2022
コメント(0)
またもや先輩の訃報が来ました。まだ71才だったのに。定年退職後も元気に65才まで再任用として働かれ、その後はゆっくり趣味を…でもこの三年間はコロナ禍で、思うように活動できなかったのではないでしょうか。「手芸や絵などをやろうと思ったけど、合唱団に入って良かったわ。やはり、趣味は人と交流できるものがいいわよね」そう言っていたのが印象的でした。そうか、老後の趣味は人と交流できるものがいいのか。参考になりました。合唱のために声楽の先生にも個人レッスンをしてもらい、とても羨ましく思って見ていました。定年直前にご主人が病気で2ヶ月足らずの入院で亡くなられました。「定年退職後は一緒に旅行に行ったりするつもりだったのに」と寂しそうに呟かれ、でもいつも前向きでした。一人息子さんが結婚して二人のお孫さんにも恵まれました。同居ではないけれど、近くのマンションに住んでいました。コロナ禍で合唱の練習に行けなくなり、がっかりしていたけれど、まだ現役で働いている後輩たちのために手作りマスクをたくさん作ってくれました。こども食堂のお手伝いもしていて、コロナ禍では食堂でなく、お弁当配布になりましたが、毎月お手伝いに行っていました。そう、3ヶ月前までは。昨年から少し体調を崩して入院することもありましたが、大病ではないとのことでした。でも目眩が続くと言っていました。それでも5月には久しぶりに合唱の発表会があり、「緊張するわー」と言いながらも嬉しそうでした。私も聴きに行きました。白いドレスを着て晴れ舞台でした。優しい歌をたくさん聴かせていただきました。この2ヶ月、急激に体力を落とされ、入院していたのですが、コロナ禍で家族以外は面会叶わず…そして、亡くなったと連絡がありました。コロナが落ち着いたら、恒例のお花見をしようと約束していたのに。先輩の訃報が続いて、人生百年なんて思えないです。優しい人が次々に…何故、弱ってしまわれたのか。ウォーキングもしていたし、一人暮らしでもお料理はちゃんとしていました。コロナワクチンも4回受けていらして、副反応はないとのことでしたが、体のためにはどうだったのか、モヤモヤします。明日はお通夜です。最後のお別れに行って来ます。
October 9, 2022
コメント(2)
近隣にヘアカラーショップが出来たので、月に一度通っている。自分では染めきれない。経済的に許されるなら毎週行きたいのだが…生えてくるのが白髪ばかりなので。2週間に一度は自分でも染めている。今日は仕事帰りに予約が取れたので、人様にやってもらえるのは本当にありがたいなあ!シャンプーも気持ちいい!美容師さんが「頭皮柔らかいんですねえ。凝ってる方が多いのに」と言うからびっくり。私はどこもかしこも凝っていると思っていたから。「神経質な方やストレスの多い方は頭も凝るんですよ」ええっ?私は結構ストレス多いし、神経質とは違うかも知れないけどとことん突き詰めて悩むことは多いのだ。もしかしたら、染めてもらっている間に読んでいた遠藤周作のユーモアエッセイが良かったのかな?遠藤周作氏の本は若いときから好きで中学生時代から読んでいる。ユーモアエッセイは本当に可笑しくて吹き出しそうになるのをこらえるのに必死。もちろん、純文学の方も好きだが落ち込んでいるときはこりあん先生の方に限る。悲哀に満ちて、そして可笑しい。「読んでいたエッセイが面白かったせいかしら」「あ、テレビで言っていました。ストレスを貯めない方法の一つに読書があるそうです」そうなんだ。こりあん先生は私の頭皮も和らげてくださっていたのか。ありがたいありがたい。しかし、好きな小説家が鬼籍に入られていることが多いのはやはり寂しい。佐藤愛子先生のエッセイも元気をくれる。だからずっとずっと長生きしていただきたい。
October 4, 2022
コメント(2)
秋と言えば食欲の秋、読書の秋、スポーツの秋。どれも貪欲に楽しんだお陰で腹痛を起こしましたです…秋と関係ないけど、節約を始めた。今更ながら自炊率高し。何十年主婦やってたんだと言わないでくださいまし。ずっとずっと過酷?に働いておりましたので、外食も出来合いのお惣菜率もすごく高かったのであります。一番の原因は私が料理下手なせいですけどねっ。買った方が美味しいんだもの!で、秋なので、サツマイモ、キノコ率がすごく上がりました。職場に弁当も手作りで持って行くようになり、面白がられています。大人の弁当なんて、毎日同じメニューだっていいよね?茶色い弁当でもいいよね?子どもなら今時はキャラ弁なんだろうけど、大人なんて何でもいいはず!最初はメンズ用の二段弁当箱を使いましたが、さすがにこれ、いくらでも入りすぎる!ご飯なんかおにぎり三個入っちゃう。そして、おかずも大量。それとばかりにキノコでかさ上げした焼き肉、冷凍ブロッコリーとか冷凍オクラとか一応野菜らしきものを入れ、ゆで卵を入れる。プチトマトとか入れたら綺麗なんだけど、トマトは…出されたら食べるけど、自分で買うことは生涯ないであろう。それから三個で88円のヨーグルトを一個。食後にスイーツ欲しいよね?炊飯器で炊いたホットケーキなんだけど、焼くより絶対美味しい!これを小分けに冷凍しておいてデザートに持ち込む。順調に体重が増えてしまい、男弁当やめました。レディース用弁当箱に変えました。でもヨーグルト、ゆで卵、ホットケーキは別の小袋で持参。つまり、ご飯がちょっと減っただけ。職場の人は私がお弁当を持ってくるのが面白いらしく、弁当箱を変えてもすぐに気付きます。「細長いのに変えたんだね!」と言われて、ありゃ、みんな見てるんだと恥ずかしくなりました。今はコンビニでも安い野菜を仕入れるところが増えて、ファミマだとブナシメジ1パック55円!サツマイモも安く買えちゃう。調子に乗ってサツマイモご飯とかシメジご飯とか炊いたけど…ちょっと今一だったかな。残念。スープ弁当箱も持ってるので先日はポトフを持参しましたが、漏れてしまい、鞄が悲惨なことに。閉め方が悪かったのか10年前の弁当箱だからダメだったのか。でもサツマイモを入れた豚汁が好きなので懲りずにまた作って持って行こう。今度はビニール袋に入れて行くから!最近、膝が痛いのは食べ過ぎて体重の重みに膝が悲鳴を上げているからかなと不安になっています。膝が痛いので負荷の強い運動ができず、悪循環。よし!今週から絶対プールも開始する!本当は金曜日に行くつもりだったけど、疲れはてて、運動する気になれなかった…水中ウォーキングだけでも、と自分に言い聞かせましたが、頑として自分はベッドに潜り込み、自分の言うことを聞きませんでした。膝が痛いときは、膝に負荷のかからない運動を!と、人には薦めているくせに。火曜日に絶対、アクアビクスに行きます!お腹が痛くなかったらね…読書の秋の話はまた次回。
October 3, 2022
コメント(2)
節約で整体に行く回数を減らしたとたんに膝が痛くなって運動できなくなってきた。フラやヨガなら何とかなるけど、ジャンプの多いダンス系は痛くて無理。整体へ行きました(笑)鍼を打ってもらって、矯正もしてもらったらすごく楽になりました。自力ヨガだけではやはり無理なのかな。私の股関節、膝が内向きなので、この足で運動しようとすると他の人よりずっと力が必要になってしまい、疲労してしまうようです。10年前にもあまりに足が痛いから整形外科でレントゲンを撮ったら、膝の骨が曲がっていた…膝関節症といってお年寄りに多いそうで「あなたの年で珍しい」と言われてしまった。お年寄りだったらヒアルロン酸注射で痛みを取る方法があるけど、あなたはまだ若いんだから、太ももを鍛えてカバーしてくださいと言われたっけ。膝に負荷のかからない運動をしてくださいってね。それで私はプールに通い始めた。膝に負荷のかからない運動と言ったらやはりプールが一番なのだ。水中歩行をやってみたけど面白くない。水泳は下手で苦しい。それでアクアビクスにした。足の痛みは確かに消えたのだが、当時かなり体力のなかった私はプールに入るたびに冷えて風邪をひいた。それで調子に乗って、地上でダンスなどを始めたわけである。フラは強度は低いけれど、太ももを鍛えるところまではいかない。ヨガも然り。ズンバやラテンダンスを始めたらみるみる体重が落ち、太もも強化には良かった。しかし、これらは膝に負荷がかかるのである。うーんプールを再度取り入れるべきか。だいぶ体力もついてきたし。矯正も必要だから、整体代は削ってはいけなかったらしい。でも、これじゃ全く節約にならん。困ったなあ。ダンスも続けたいなあ。
September 25, 2022
コメント(2)
連休を利用して沖縄に出かけた娘夫婦。ビーチでウェディングフォトを撮影する予定が台風で撮れず…急遽屋内撮影です。台風だというのに飛行機に乗って帰ってくるというから昨夜は心配でねむれませんでした。空港に着いたらLINEしてねと言ったのに、全然連絡なくて。結局、遅延したそうで11時過ぎに到着したそうで、終電ギリギリでした。墜落しなかっただけでありがたいです。子供は、生きていてくれたらそれだけで幸せです。それにしてもかなりセクシーなウェディングドレス!私なんて正統派の長袖ウェディングドレスだったよなあ。ベールもかぶってたし。でも、断然、娘の方が似合っていて可愛いです!親バカですみません。七五三、成人式、全て気乗りしない娘で、実はウェディングドレスも渋々着たよう。でも、今までのなかで、一番可愛い…と、また親バカです。昨夜は眠れなかったので、お昼寝します。
September 19, 2022
コメント(2)
節約のために、自炊率を高めたのはいいが、どうして私が自炊を始めたら物価高なんだ!と言ってももう、コンビニ弁当は高くて買えない…定年退職してお給料4割カット、ただし、仕事内容は今までと全く変わらない…定年退職あるある、なんです。かなり厳しいので、来年は仕事内容を少しでも軽くしたくて、そうなるとさらに二割カットなんです。そう考えると、贅沢はできない。と言ってももともと贅沢していなくて、時間をお金で買うような生活で、食事なんかかなり外注しちゃっていました。そこを節約しているのですが、仕事内容がまるで変わらないので疲れていることにも変わりありません。簡単な自炊を模索中です。まずお米は無洗米。お米を研がずにすむとご飯を炊くハードル下がります。ただし、安いお米にしています。健康のためには玄米ご飯がいいそうですが、苦手なので、麦ご飯にしています。麦の割合少ないので、気休めかな?小麦が高いのでパンは週に一回と決めています。幸い、お米は大好きなのでこれは苦になりません。さて、問題はおかず。焼くだけですむ豚肉細切れが多いです。近隣のお肉屋さんは美味しくて安いお肉を売っているのでまとめ買いして冷凍に。豚肉細切れか、鶏胸肉なんですが、撮り胸肉は美味しく簡単にと言うのが意外に面倒。すぐパサパサしますから。焼く前日にお酒、みりん、醤油につけて冷蔵庫に入れておくとまあまあ行けます。野菜ですが、簡単に食べる方法はスープや味噌汁に入れてしまうことかな。キャベツをたくさん入れたポトフを保温鍋でよく作っています。お昼ごはんもお弁当にしました。大人のお弁当なので毎日同じようなものを入れても気にすることはないと開き直りました。夕飯の残りを中心に入れます。スープ弁当箱を持っているのでポトフでも味噌汁でも持参。そして、いつの日の景品だったか、電気ゆで卵ゆで器を持っているんですよね。入れておけばゆで卵が出来ているので、毎日お弁当に持参です。キノコは安いので炒め物、味噌汁、スープにもジャンジャン使っています。生活応援用品で安売りしている納豆は朝ごはんに、バナナ、ヨーグルトもお昼に持参です。スイーツも今度からホットケーキを小分け冷凍にしておいて持参しようかなあ。どんだけお昼に食べているんだって感じですが(笑)今はお返しにいただいた千疋屋のゼリーがデザートですが、さすが高級品、美味しくて涙が出そう。これは自力で買う勇気ありません。いいんです、なくなったら3個で88円なのヨーグルトに戻ります。意外に酸味が強くて子ども時代に食べていた懐かしいヨーグルトって感じでこれも好きなんです。この程度の節約でうまくいくのかなあ。整体も毎週だったのを隔週にしました。来年はお給料がさらに下がるので、月一にするつもりです。その分、自力整体を頑張っていますよ。早い話がヨガです。ジムを再開したので、ヨガの回数を増やしています。ピラティスもやりたいのですが、予約枠が週に10回と制限があるので厳しいです。まだどれにどれだけ参加するか、未定のものも多いのですが。日曜日だけで4つは消化してしまうのです。フラ、ヨガ、ラテンダンス、ジャズダンス、その他予約の要らないストレッチや腹筋に参加しています。でも来月から腹筋のクラスがなくなるので困ったなあ。ハードなので人気がなく、廃止になるようです。私には必要なのに。お腹周り、すごいんですよね。自宅だとサボってしまうんです。土曜日は試行錯誤中ですが、今のところ、ハタヨガとフラのみです。木曜日のホットヨガ、ズンバは決まっているのですが、あと二枠あるので、水曜日のズンバか、金曜日のボディジャム(ヒップホップやストリートをミックスした超ハード系)か。あるいは木曜日にピラティスを追加するか。ボディジャムは一度試しに参加してみましたがあり得ないほどの筋肉痛を起こしたし、無理かなあ。色々やりたいんです。山登りにも憧れがあります。でも友達に「あれもこれもじゃなくて、今までやっていたものをしっかり続けたら?ダンス好きなんでしょ?」と言われ、それもそうだと思いました。だから、ボディジャムじゃなくて、ズンバを増やすかな。ピラティスもやりたいけど、ホットヨガと続いている上にこのピラティス、ホットピラティスなんで、そのつぎにズンバも控えているとなると、木曜日やりすぎで金曜日の仕事に差し支えるかな。なので、腹筋は家でやらなきゃ!ヨガは週に三回だから、整体を減らしても何とかなりそうです!
September 17, 2022
コメント(2)
仕事でトラブルあり、精根尽き果てた。何十年も働いているのだから、トラブル慣れしているとはいえ、晩節に辛い。そうでなくても最近は仕事に行くのが辛かったのに。先日亡くなった元上司のお子さんたちからお葉書が届いた。楽しい思い出や感謝の気持ちは色褪せることがないと…これが元上司の遺言と思っていいのかな。入院中の先輩の病状も思わしくない。コロナ禍で家族ですら面会に行けない。まして私など行けるはずもない。気を揉むだけ。奇跡が起きてくれればいいのだけれど…まだ古希を迎えたばかりなのに。私は朝から泣いていた。職場では最年長のため、本音で愚痴を言うことはできない。思いきって一年ぶりに電話カウンセリングを申し込んだ。コロナ禍だから対面カウンセリングではなくなったのだ。電話をする前に話したいことを箇条書きにしておいた。カウンセラーからは、私は立て続けに喪失体験をしているので、それはかなり気持ちを蝕んでしまっているとのこと。親族ではないが親しい先輩が亡くなったり入院したりしていること。娘が結婚したのは嬉しいことのようだが、やはり喪失体験になるそうだ。お給料が半減したことも喪失体験の一つなのだそうだ。せめて家でだけはリラックスしてほしいと。また、立て続けに友達がコロナ関連で落ち込んでいる。そのことも、先輩たちのことがあり、できるだけのことをしなければと焦っていた。しかし、相手が自分から発信してくるのを待ったほうがいい、今は前のめりになってしまっていると。境界線を持つことは大事と言われた。前のめりになると境界線を超えてしまい、消耗してしまうと。仕事でトラブルがある相手とは距離をおくこと。印象を薄くしてしまうことは、積極的な解決方法だと言われた。仕事に関してはもう、やり尽くしたと思って新たな別の仕事を始めていいのではないかと言われた。そうだな。これから良くなっていくというより、私はできる限りをやり尽くしたのだ。そう思えばあと7カ月弱、なんとか乗り越えられると言うか、時は過ぎていくだろう。本当は来週から早速休みたいけれど一年契約の立場。勝手なことをしたら、来年から更新してもらえなくなる。今までだって乗り越えてきたけれど、今回だって時は過ぎるだろう。それに明日は日曜日だ!ダンスの日だ!楽しみにしている日曜日なのである。電話カウンセリング、して良かった。
September 4, 2022
コメント(2)
明け方の夢。私は10才くらいの女の子に戻り、明治時代へタイムスリップした。そこで知り合った男の子が素敵で、楽しく遊び、この子と結婚すると決めた。ところが、昭和に戻る。私は何故かピアノの練習を強いられる生活で、母親に厳しく練習するように言われる。この母親ってのが、自分の母親とちがって、ひたすら教育熱心で、負担でならなかった。もう、明治に戻る!あの男の子のお嫁さんになって、昭和には帰ってきたくない!私は念願通り、その男の子の家に住み着いた。着物なんか着ちゃって、もうこのままでいい!でも昭和に戻る。父親に「16才にならないと結婚できないんだよ」と言われ、聞こうとしなかったら、なんと父親と一緒に明治にタイムスリップして、その男の子の両親と父が話し合うのだ。あちらのご両親も「確かに今の状態だと誘拐だと思われてしまいますからねえ」と困っている様子。泣く泣く昭和の家に戻る。もう二度とタイムスリップできないとわかっていた。月日が流れて私は大人になっていた。ひょんなことから、明治の男の子の家を教えてもらうことになった。「あそこの家はね、今はおじいさんが住んでるよ」あ、そうか。明治の人だからおじいさんになっているのだ。私はその家に行ってみた。意外に近い。門構えが同じだと感激する。家は戦争で焼けてしまったので、現代風の家に建て替えられていた。おじいさんに会う!あの時の男の子だ。私がお嫁さんになりたかった、あの男の子は、おじいさんになっていて、面影はなかったが、優しい人のいいおじいさんになっていた。子ども時代に私が遊びに来ていたのを覚えているという。写真を見ながら「私はあなたのお父さん、お母さんを覚えているのよ!」と興奮して話す。興奮していたので身体がどんどん熱くなってくる。現実に帰る。こんなに熱いなんて、私はコロナだろうか…と恐怖に満ちてきたところですーっと身体が冷えて体温が下がったのを感じた。寝ぼけまなこで計測するとまったくの平熱。わー、わたし、タイムスリップしちゃった!初めて!さっそくネットで夢占いをしてみた。あらら…現実逃避の願望?疲れている?ここのところ、朗読会や映画で過去の時代にタイムスリップして楽しんでいたから、夢にも出てきたのかな。現実は、確かに疲れる日々。わたし、職場変わりたいなあ。もう、責任重いの嫌だ。それに最近は先輩が亡くなったり病気で入院したりが続いている。同年代の友人もコロナ鬱のような状態なので、先日、LINE電話をしたばかりだ。現実逃避というか、気分転換したくても旅行すらできなかった。もちろん、ひきこもったりはせず、近場で映画や朗読会を楽しんだりはしている。それすら立場的にできない人もいるとわかっているので、私はそれなりにうまく気分転換できているつもりだった。何度も書いたかも知れないが、旅行を諦めているのは猫が気がかりなせいもある。最後のペットになるであろうここちゃんを一晩でも孤独にしたくないのだ。だから、私はそれなりに幸せなのだが、本音は現実逃避したいのかな。でも、できる範囲で、やろう。読書でもして、リアルなタイムスリップをしようっと。
August 29, 2022
コメント(2)
物価高のため、経費節減を考える人が増えているのだろう。美容室も色々できて、ヘアカラー専門店も増えてきた。お試しで行ってみることにした。初回は1800円の最安値。髪の毛のTゾーンだけリタッチカラー、ドライヤーは自分でするというコース。これは白髪染めに限った話だが、私のように実は全白髪という人には向かない。Tゾーン以外も白髪だらけだからだ。同い年でもヘアドネーションできるほど、白髪のない人もいるのに、私ときたら中学生の時から白髪があるのだ。当然、同年代の人より白髪になるのは早かった。子ども時代に栄養が、足りなかったのだろうか。痩せこけていたからなあ。親は子どもに食べさせるものまで、ケチっていたのだ。と、還暦過ぎてまで恨むのはもう、やめたいのだが、お金がかかるとなるとやはり悔しい気がする。髪の毛は人より老け満載で悔しいが、肌はありがたいことに乾燥肌でなく、日焼けにも強い。肌年齢はかなり若いんじゃないかと勝手に思い込んでいるため、まあ、老けている部分もあっても仕方ない。体型は太ると老ける!ま、痩せすぎも老けてみえるが、太っているのはなんとも情けない。それでもかなり落としたのだが、最近は落ち込んで運動不足がたたり、まだまだ体脂肪が多すぎる!何とかしないと!ただ、痩せたいという願望だけだと私のような老女にはあまり強い動機付けにならないので困っている。楽しくないことは、続かないのだ。話を髪の毛に戻そう。昨日は2800円のコースで全部リタッチカラーにしてもらった。お陰で今回は美容室に行ったのに白髪が…ということはなかった。ここで気に入ったのは実はドライヤー。最新式のレプロナイザーを使わせてくれるのだ。これは57000円もするドライヤーで、確かに高品質。自分でドライヤーを、かけているのに、オイルも使っていないのにしっとり、ツヤツヤになるのだ。うーんこれは欲しくなるなあ。おっと、節約してるんだよね。節約は整体にまで及ぶ。40代から毎週鍼治療を受けてきた。かなりの出費だ。お給料が、激減した今、毎週はキツくなってきた。ヨガの効果も出てきているので、隔週にすることにした。本当は年をとってこそ、毎週やりたいのだが、仕方ない。自力整体といこう。来年は役職ってほどのものでもないけど、それを返上するつもりでいる。もう、責任から逃れたくなっているのである。そうなるとさらにお給料ダウン。整体は月に一回になるかも…ま、ヨガを増やせばいいか。ヨガもインストラクター次第とわかってきたので、今はお気に入りのインストラクターのレッスンに出るようにしている。身体のことをよく勉強しているインストラクターだと、このポーズはこの内臓にいいとか、腰痛予防になるとか教えてくれる。メンタルにも良い。こうして、節約している…けど、レプロナイザー、欲しいー!
August 25, 2022
コメント(2)
金曜日にお休みをいただいて、東銀座の花籠ホールにて朗読会に行ってきました。ここは歌舞伎座の隣にあります。この夏、二回目の朗読会です。今回は夏らしく「番長皿屋敷」でした。ホラーなイメージなんですが、実は悲恋の物語。時空を超えて、江戸時代へ。私の先祖は農民か商人ばかりだし、武家社会というものがよくわかっていないのですが、なかなか厳しい世界です。何しろ「斬り捨てご免」なんですからね、武士は。庶民を切り殺しても、現代のように罪に問われない時代です。でも、恋人を斬るということは、たとえ罪に問われなくても、深い罪悪感の中で生きていかなくてはならないでしょう。番長皿屋敷は、たくさんの言い伝えがあり、口承文化で色々なストーリーで語り継がれています。今回の物語では、斬り捨てたものの、侍は自暴自棄になり、ついに切腹してしまいます。他の伝承物語では、出家したとなっているものもあります。そしてずっと、斬り捨てた恋人を供養していたとか。先祖に武士はいないのですが、娘の父方は下級武士だったようです。で、こちらのご先祖というか、娘の祖父、父親と共に人情に厚い反面、短気なんですよ。刀を使っていいのなら、私など斬られていたかもしれません。そんな短気な一面を娘も多少受け継いでいるように感じることがあるんですよ。そうでなきゃ、武士なんて勤まりませんね。時代によって、正義は違いますし、女性は従うしかなかった時代が長く続きました。そんな女性の切なさ、でも強くて逞しい男性に惹かれていく気持ちもわかります…でも、今の時代ならDVなんですけどね。女性は長い歴史のなかで、恋心を持っても、従うしかなかったのですね。たとえ死罪だと言われても受け入れるしかなかった。武士が、みんな、狂暴だと言っているわけではありません。しかし、人を斬るのが仕事なのですから、感覚は麻痺していったに違いありません。生きるか死ぬかの世界なのですから。斬られて井戸に沈められたお菊は抵抗する言葉を持てなかった。だから、成仏できなかったのだと思います。それにしても迫真の演技の朗読会、いつ行ってもドキドキハラハラの臨場感です。 朗読はかつて語り部がいたように、語りで物語の世界へ連れて行ってくれます。前回は明治時代へ、今回は江戸時代へ連れて行ってもらえた。旅行に行けなくてもタイムトリップできたのだから満足な夏休みなのである。
August 22, 2022
コメント(2)
少し気力が落ちている。と言い訳しながらダラダラと家で過ごす。仕事はもちろん、行っています。今の職場は今年度で終わりだから悔いのない日々にしたいです。それにしてもこんな60代を過ごしているとは…40年前には夢にも思わなかった。あの若き日々、40年後は一人暮らしをして、猫だけが癒しなんだよと教えたらさぞかし、ガックリしたであろう。20代は楽しかった。色んなことをやっていたなあ。仕事が終わると英会話スクールやテニススクールに飛び込み、真っ直ぐ帰るといったことがなかった。童話の勉強会にも行っていた。週末はテニスが多かったな。こういうとすごくテニス好きのように聞こえるが、バブルのあの頃、テニスは社交辞令というか、やっていないと友達と遊べなかったのだ。なので、ちっとも、うまくならないテニスに正直、うんざりしていたこともあった。もっと得意なことに時間を使えば良かったのに、と思う時もある。高校の部活も然り。本を読む余力もないほど疲れきっていた。冬はスキー。これはブームだったというのもあるが、唯一、やっていて楽しいと思えるスポーツだった。団体競技に向いていないのだろう。自分のペースで滑り、白銀の世界にワクワクする。お金のかかるスポーツなので近場に1シーズン五回行ければ上等だったけれど、リフトに乗り、流れるユーミンの歌をバックに…そういうのは苗場でしたねえ。英会話は海外旅行に行くとき困らないようにという動機で、これも当時ブームだったのだ。ところが、予想以上に外国の友達が、増えていき、ホームパーティーに呼ばれると日本人は、自分だけなんてこともあったっけ。人間、英語しか使えないところに身を置かれると必死になって駆使して喋るものだ。日常会話というものはだいたい、英検でいうと3級レベルでなんとかなる。記念に二級を、受験してみてあっさり受かったのでその上を目指してみたが、私の語彙力、読解力、文法レベルでは二級が限界でした。当時の私の夢はやはり、ブームになっていた海外留学で、必死で貯金していたけれど、実家にお金を結構入れていた上、食費は自分持ちだったので思うようには貯まらず…夏休みは海外旅行、冬はスキーとバブリーな時代ではありました。この時代、エアロビクスも最盛期で、今思うとテニスよりこっちをやっとけば良かったなと思うときはあります。それは、今でもエアロマニアさんが結構いらっしゃるけど、バブル時代にやっていた人が多いからです。ま、何もかもはできませんね。30代から、私はお酒も飲まなくなり、つまり飲み会にもあまり参加しなくなりました。子育てが始まったからです。結婚に関してはもっと、慎重であるべきでしたが、当時、結婚しないという、選択は周囲からの圧力に耐えられたものではありませんでした。家事は女性がやって当たり前、結婚したら相手の家の人間になるという、まるで明治時代みたいな生活、価値観がまだまだ主流でしたねえ。おまけに相手の収入は気にしないという男性から見たらとても都合のいい女性でした。気にしないかわり、家事、子育ては平等に願いたかったです。当時は男性の収入がたいしたことなくても、共働きになっても女性の、家事育児は当たり前でした。でもできないものはできないよ!当時、私はかなり、親の言いなりになっていましたから、そのことも精神的に大きな負担となり、メンタルが壊れてしまいました。壊れても気付かずに働いていました。でも子育ては楽しかったな。保育園に迎えに行くと同じビルにある図書館へ直行。たくさんの絵本をその場でも読んで借りて、私の子育ては絵本と読み聞かせが主流でした。普段預けているのだから、お休みの日はお出かけ三昧。人形劇、博物館、プール、アスレチック公園と出かけ、それが私の新しい楽しみでした。普段、保育園に預けているのだから、休日は楽しいものにしようとかなりむきになっていました。夜更かし気味になっても読み聞かせは小学生になっても続けました。それは私が児童文学が大好きだったので、楽しい時間を共有したかったからです。つまり、まあ、家事はメチャクチャなことになっていましたねえ。娘は社交的で、友達と遊ぶ方を好みましたから、私もそれなりに子離れしていきました。娘が中学生の頃から新たにジムを再開し、ヨガやプールを、始めたというわけです。どっちも長続きしませんでしたが。今は下手でもダンスの、時間が楽しみです。もっと早くに始めていれば良かったな。ヨガも私はスピリチュアルっぽい先生が好きなんです。宗教チックとは違いますが、この動きはこの内臓にいいとか、教えてくれるとよし、頑張ろうと思えます。しかし、老後は始まっているのにどうしよう。相変わらずあれもやりたい、これもやりたい、でも仕事で疲れていて何もかも中途半端です。しかもコロナ禍の3年間は思うようにジムに通えず…愚痴を言っても始まらない。後悔のないように生きたいです。若いときにいっぱい旅行したので悔いはありません。上手くならなかったテニスやバドミントンも、今の私の体力は若いときに運動していたからこそのもので無駄にはなっていません。旅行も贅沢な外食も控えている昨今、せめてダンスとヨガだけは続けたいです。
August 16, 2022
コメント(2)
娘がついに入籍しました!「24年間育ててくれてありがとう」と言ってくれました。感無量です。
August 10, 2022
コメント(2)
私にとって大切な元上司が急逝されたと、娘さんから知らせがあったのは先週の土曜日。遠い九州で亡くなられたので、私の体力では駆け付けることも叶わず、元同僚たちとお花を送るので精一杯だった。私は凹みまくって寝込んだ。元気だと信じきっていたのだ。急逝と書いたが、家族にとっては予想できる状態であったようだ。4月に娘さんの住む九州へ気分転換に帰ると聞いてはいたが、実は病気だったのだ。延命治療を拒み、自宅で緩和療法を受けながら人生を生ききると決心されたそうで、私には元気だという知らせしかなかった。立て続けにご両親を亡くされ、ガン治療の壮絶さをご存知だったからこその選択だったのだろう。九州に戻られてからは娘さんご家族と一緒に外食をしたり、小旅行をしたりと最後まで楽しく過ごされ、毎日幸せだと言っていたそうだ。きっと、お子さんやお孫さんに悲しい思いをさせまい、苦労をかけまいと思っていらしたに違いない。そして、そんな、実情を知ったら真っ青になりそうな元部下には心配をかけたくなかったのだろう。余命4ヶ月と知ってどんなお気持ちでいらしたか。いつも、自分より人のことを大事にしていた。私も大事にしていただいていた。自信がなく、落ち込んでばかりいる私の話をいつも親身になって聞き、共感してくれた。私の娘が思春期に荒れていて、離婚直後で家のローン、娘の学費、うまくいかない仕事、八つ当たりしてくる母…私は本当に消えたい思いだった。いいことなどなかった。そんな時に「来週は美味しいもの食べに行こうよ。それまで頑張れるでしょ?」と声をかけてくださり、私は本当にそれだけを頼りにその週を乗りきったことが、しばしばあった。荒れている娘のことも「全部受け入れてあげて。優しい気持ちはあるのよ。うまく表現できないのよ」と完全受容を勧められた。中学生の娘が茶髪になり、パーマをかけ、ピアスの穴を開け、成績は最低、高校に上がれるかどうかも怪しく、学校に呼び出され…「そのパーマ、似合ってるねと言ってあげて」「学校には頭だけ下げておけばいいよ」「たとえ高校に行けなくても受け入れてあげて」度胸の要る話だった。全部実行できたわけではないが、基本的にはそのようにした。娘は嘘のように立ち直って行った。もっとも口の悪いのはなかなか治らなかったが、私は言い返さなかった。後になってどんなに酷いことを言ってもママは悲しそうにするだけですごく後悔していたと話してくれた。それもこれも、全部元上司のアドバイスに従ったのです。なぜ、65才の若さで、あんな優しい人を天国に召されるのですか。置いていかないで欲しかった。でも、きっと天国で大好きだったお母様とご一緒なのですね。私はどうしたら…お花はグループで送ったので、本日、お香典にメッセージを添えて郵便局から九州へ送りました。お子さんやお孫さんたちが元気でいてくれるから、その中に元上司が生きているから…それだけが救いだから。そして私の心の中にも。勝手に一人で過ごした初七日でした。
August 5, 2022
コメント(2)
先週の金曜日に、ファイザーのワクチンを予約した私は少し奢っていたかもしれない。ファイザーはモデルナより人気なので、ネットの苦手なお年寄りは予約しにくかったかもしれない。仕事後、残り3枠だったファイザーを予約できてホッとしていた。昨年、一回目、二回目とも副反応なし。二回目など、翌日元気に働いていた…は言い過ぎで実は少しクラクラしていたのだが、人手不足である。私が休んだらどうしようとハラハラする後輩がいるのに弱音を吐けなかった。3回目は大雪の日だった。初めてのモデルナ。大規模接種会場はプレハブのような急ごしらえ。雪など想定していなかったであろう。予約時間より早く着いた人達はボタ雪のなか、外で並ぶしかなかった。ダウンジャケットの上に雨合羽を羽織って、雪を浴びながら並ぶ。以前、こんなことがあった…そう、スキー場である。あの頃は嬉々として並んでいたではないか。モデルナとは言え、やっと取れた予約なのだ。結局一時間くらい雪の中を並んで接種し、冷えきって帰宅した。そして翌日高熱を出したが、副反応だったのか冷えたせいなのかよくわからなかった。2日目には元気だったので副反応だったのだろう。でも今度はファイザーだ。夏だから雪の心配もないし、大規模接種会場でなく、小綺麗な新しい医院である。と思ったら大雨で、私はまた雨合羽を着ていた。どこへ行くにも自転車なので傘をさすという発想を失くしているところが貧乏ったらしい。おまけに新しい医院、場所の検討は付けていたが、優秀なる方向音痴ぶりをまたもや発揮し、医院の前を駆け抜けて行き、何度も何度も雨のなかを行ったり来たりしてまたもやずぶ濡れ。注射は痛くなかった。あれならプラセンタ注射の方がよほど痛い。帰宅すると、翌日多少の副反応が出ることを踏まえ、洗濯を済ませておいた。雨なので外に干せないのがシャクだが、梅雨の後戻りだか何だか連日雨なので仕方がない。さーて、翌日は、頭痛くらいはするかな。解熱剤オーケー、冷えピタオーケー、イオン飲料オーケー。翌日の朝は発熱なし。しかし、昼間になるとクラクラが始まり…結局38度まで熱が上がった。何だか短期間に毒をガンガン盛るとこうやって弱っていくのかなとどんどんネガティブになった。その翌日の朝も微熱は、あったがそこでおしまい。連休前にしておいて良かった。若い人には副反応が、強いと知っている。しかし、若くない私がなぜ…私と同年代で副反応を起こさない人達を知っている。ふだんからたくさん運動していて体力がある。私は弱ってしまったというところか。起きたことは仕方ない。免疫力、体力を、制限ある中でどうやって付けていこうか。これが目下の課題だ。
July 19, 2022
コメント(2)
3年ぶりに朗読会へ行きました。 「明治45年の源氏物語」というタイトルで元フジテレビアナウンサーが勢揃いの華やかな朗読会です。朗読というよりお芝居のようです。舞台はタイトル通り明治45年の女学校。当時は女の子が読むものではないと言われていた源氏物語をこっそり読み始めた女学生が仲間を作り、先生を説き伏せて、発表会で朗読するというストーリーでした。今でこそ源氏物語を読んでいるということは日本人の教養として評価されますが明治時代は違ったのですね。恋愛小説ですものね、世界最古の。女学校の生徒さんたちは学びの喜びに溢れていました。私も女学生になったかのような錯覚に陥りました。やはり、ライブならではこそ、臨場感溢れていました。母方の祖母を思い出しました。祖母は結婚後、苦労に苦労を重ねています。明治生まれの女性は我慢するしかなかったのです。でも、女学校で習った英語や俳句を楽しんでいる人でした。女子教育の大切さもわかっている人でしたが、何しろ戦中戦後は食べるのがやっとで、教育どころではありません。末娘だけは少し余裕ができたのか、高校、短大に進学させていました。苦労の多い人生でしたが女学校時代が一番幸せだったのかもしれません。今の女子高生とは大違いですね。その末娘というのは私の叔母に当たりますが今でも母校の勉強会に参加し、英語の勉強を続けています。80代ですが。私が読書好きなのは祖母や叔母の影響もあるかもしれません。父方の祖母は貧しくて幼いうちから置屋に売られ、舞妓さんになりました。駆け落ちしてしまったので芸妓さんにはなっていません。小学校にも行けなかったようです。明治生まれと言ってもやはり格差が大きいですね。ただ、こちらの祖母は結婚後大切にされていて、お手伝いさんもいる家庭の主婦となりました。戦中戦後も土地を持っていたため、食べるのに困ることはなかったようです。教育を受けられた祖母と受けられなかった祖母。結婚に関しては父方の祖母の方が幸せだったのかなと思いますので、人生はわかりませんね。舞妓だったということは日本舞踊や唄の訓練は受けていたことでしょう。私が歌やダンス好きなのはこちらの影響?いや、どちらの祖母にも育てられたわけではないからこじつけかな。文学、ダンス、どちらも楽しんで生きたいと思います。
July 15, 2022
コメント(2)
選挙が終わった。衝撃的なラストだった。と言っても結果は予想されていた通りだったから、驚いたわけではないけれど、直前に元総理が暗殺されるとは、想定外過ぎる。容疑者の生い立ちを聞いていると胸が締め付けられるような思いだし、元々は優秀な人だったらしいから、良い方向に生かせなかったのだろうか。宗教というものも改めて考えさせられる。日本人は形式だけ宗教的なところがあるが、信仰心のある人は少ないだろう。私は新興宗教に勧誘されやすい若者だった。食事や映画に誘われて行ってみると宗教絡みだったことが頻繁に起きた。その話を職場でしたら「なんか、可哀想な人に見えたんじゃない?」むむ…確かにそうかもしれない。いつも自信がなくオドオドしていたし、うつ向いて歩いていることが多かった。単に姿勢が悪いだけなのだが哀れに見えたのだろう。しかし、親が信者で破産するほどお布施をしていて、そのために進学もできないとなったら子どもは、救われない。また、そういう親は純粋で人はいいと来ているから、周囲の理解も得にくいだろう。これは容疑者の話である。私を勧誘しきれなかったのは実はそこまでお人好しじゃなかったからだ。また、宗教そのものに興味はあったので、新興宗教に対して警戒心を持っていたというのもあるかもしれない。そんなふうに見えなかったのだろうし、洗脳しやすそうに見えたのだろう。人はなぜ、宗教を持つようになったのだろう。死への恐怖が根底にあったからともいわれる。だとしたら、人を殺してはいけないと真っ先に教えなくてはいけないのである。でも、宗教絡みの戦争がなんと多いことか。それは聖戦となるのだ。間違った解釈なのに、それがまかり通ってしまう。でも、多分、人間は正義だけで生きていけないのだろう。歴史があまり好きでないのは戦争のことばかり出てくるからだ。殺し合いの話はうんざり。脳科学から見たら、ホモサピエンスはそうやって発展してきたのだから、攻撃性はみんな遺伝子として持っている。そこにどうスイッチが入るか、家庭環境なり学校教育なり。オンデマンドでヒューマニエンスを見ているが、人類は動物を家畜化して進化し、なんと人類も家畜化して来ているのだ。つまり、家畜のように攻撃性が少なくなり、従順になってきている。野生のような人は排除されていくというか、パートナーとして選ばれなくなるから、子孫は従順な人達が繁栄するということか。話が飛びまくるが、先代の猫は野性味が強かった。何しろハンターとして栄えたアメリカンショートヘアーだ。野性味が強い、生きる力が強い。故に賢く、トイレの失敗はほぼなかった。排せつ物を隠せないのは野性として致命的なのだろう。家畜化もされているから、環境に慣れるのも早かった。今いる、ここちゃんは、家畜化されすぎているのか、野性を忘れているところが多い。臆病という遺伝子を強く持っているので、私と娘以外には心を開かない。と、話が二転三転してしまったが、TVとネット画面でしか見たことのない元総理ではあるが、長期政権であったため、遺影として見るのは何とも辛い。政治家一家の跡取り、御曹司で、大切に育てられたであろうから、こんな最後は、令和のこの時代にあり得ない亡くなり方だ。元総理は色々な宗教の集会に出られていたようだ。組織票のこともあるので、必ずしも信心して出ていたわけではなかろうと思う。銃撃の映像は恐ろしくて見ることができない。ネットでチラリと見るだけで恐怖心が募る。今日はお通夜が取り上げられていた。どんな立場の人であろうと銃で亡くなるなどということがあってはいけない。平和に生きていくこと、それが人としてのつとめだ。今度の選挙結果において、日本の平和は守られるように機能するのだろうか。不安になる。
July 11, 2022
コメント(0)
佐野浅夫さんが96才で逝去された。私の父より年上なので驚く。水戸黄門が代表作で有名だ。私は時代劇はどうも苦手だった。子ども時代から日本史に興味がなかったことと、チャンバラというか、戦いものは好きではなかったし、推理することも苦手だった。だから水戸黄門は見ていないのだが、佐野浅夫さんは知っていた。あれは小学校4年生の夏休み。何もかも禁じられていた。中耳炎になるから学校のプールへ行くな、友達と遊ぶな、だけど家族で出かけるわけでもない。兄は母の実家滋賀県に毎年夏休みに長期滞在していて不在。私は家で皿洗い、お米研ぎ、洗濯物畳みとおよそ面白くもなんとないことだけさせられ、あとは寝ていろと言われていた。テレビも禁止。母は見ていたけれど私には見せてくれない。夏休みの日記を書かなくてはいけないのだが、何もしない日々なのだ。昨今のコロナ禍の夏と似ているなとふと思う。義務は果たせ、でも楽しむなという地獄の夏休みで、学校の方がよほどましだった。そんななかで、ラジオで聴く「お話し出てこい」とちう番組だけが楽しみだった。ナレーションは佐野浅夫さんだった。「でーてこい、でてこい、でてこい」という歌と共に佐野さんが語ってくれる民話はとても楽しかった。私が民話好きなのはこの夏の影響ではないだろうか。やがて私は自分でも民話集を買ったり借りたりし、日本だけでなく、韓国の民話も読んだ。民話と違うがギリシャ神話に興味を持ったのもこの頃だ。民話ははるか彼方昔へタイムトリップさせてくれる。日本がかつて、お米をお腹いっぱい食べるのが夢だったと民話から教わった。「ねずみのすもう」「かさ地蔵」など、ラストはお米をいっぱいもらってめでたしめでたし。そうなると自分の惨めな夏休みも、お米を食べられるんだからいいかと思えたりしたのを覚えている。佐野さん、孤独だった少女にラジオ番組で、楽しい昔話をたくさん聞かせてくれてありがとうございました。私は今でも昔話が好きで励まされています。私もいつか、孫ができたら昔話を語ってやりたいなあ。そんな日が来るだろうか。
July 4, 2022
コメント(2)
仕事をしているせいか、相変わらず飛ぶように日々が過ぎていく。気付けば、明日から7月ではないか。新年の抱負を語って早くも半年以上経過だ。ダイエットも節約も足踏み状態。ボーナスを今年も頂けたが、預金残高はえっと驚く数値。でもこんなことがかつてもあった。娘の中学受験のとき。夏期講習だの、模試だのであっという間にボーナスが消えたのを思い出す。大学受験なんて、受験費用、入学金、いや、その前の予備校代…飛ぶようにお金が消えたな。今は、伸び代がないのが困る。来年は雇用形態を、変えてもらうつもりなので今よりさらに2割減額だ。本当は頑張りたかったが、今の働き方だと体が持たない。いや、正直に言うと体力というより精神力だろう。体力だけで言ったら3年前より私は元気なのである。でも精神的にかなり疲れてしまった感じだ。昨日はすごく久しぶりに実家訪問をした。頂き物のメロンを持って。母はフルーツに目がないからだ。口の悪いのは相変わらず。「こんな小さなメロンしかもらえないの、あんたは?」はぁ、メロンなんて自分で買えないんだから、私には極上の頂き物なのに。すごく美味しいんだぞ。実家の犬が挙動不審に走り回る。「相変わらず落ち着かない子だね」と言うと「あんたのことが嫌いなんやて!」はいはい、そうですか。「いいバッグ持ってるやん!」と早速持ち物チェックが入る。「定年退職のお祝いに頂いたのよ」自分で買ったのではないことをなぜか強調して言い訳する。「定年退職金、たんまりもらったんやな?」「家のローンでつかっちゃったよ」とここでも、逃げる。何しろ、夫の金だろうと娘の金だろうと、じぶんのものという認識なので。「ほう、じゃ、働かなあかんな」「でも今の仕事は今年度でやめるよ、もうヘトヘト」「暇になったら退屈するで。私なんか66才まで現役で頑張ったんや」うそばっかり、46才までなのに相変わらずのおおぼらふき。あとは父の稼ぎだけだったのを覚えている。あ、私も家にお金を入れてたな、ボーナスも。孫の話になる。「あの子だけは幸せにならんと可哀相や」はい、娘はどうでもいいですね?「あんた、痩せたな」「コロナ禍で大変だったのよ」「なに、コロナにかかったん?」「私はかかってないよ、周りはいたけどね」「ああ、会わんといて良かった」はい、私はバイ菌です。早々に引き上げましたが、帰るときに隣の奥さまにお会いした。それまでニコリともしなかった母が急に笑顔になり「ねえねえ、私の娘なの!」自慢し始めた。数年前、父が老人ホームに入っていたとき、父は隣の席のおじいさんに「○○さん、私の娘です!」誇らしそうに言っていた姿とかぶった。何も自慢するところのない、私も老婆なのであるが、文句を言っていても娘の訪問が嬉しいのだろうということが帰り際になって感じられ、切ない。相変わらず仕事をやめるなというお説教つき。自分は働いてなかったのにな。自転車前かごのカバーが斜めになっていることにも目ざとく気付き、「こういうのがあんたはシャキっとしてないんだから」ご注意を受けました。色々思うことはありますが、私はこの人に鍛えられたからこそ、色々な人間関係に耐えられたのかな。子ども時代よりは、ずっとましってね。それにしても86才にしては、シャキシャキしてるし、犬の世話も散歩もしているようなので一安心です。どっと疲れたので今日は行こうと思っていたヨガをお休みしました。またフルーツを手に入れたら行かなくてはいけませんね。
June 30, 2022
コメント(2)
同級生が家をリフォームしたというので見せてもらった。ムーミンバレーパークの家を思い出してしまった。友達の家は北欧のお家のように素敵なインテリアだった。小窓から覗くお部屋はムーミンのお部屋みたいだった。立て続けにお孫さんが生まれたということで赤ちゃんグッズも揃っていた。同居しているわけではないが遊びに来たときに備えているのだ。今の赤ちゃんグッズってこんなに進化しているの?自分の子育て時代と比較すると雲泥の差。ベビーラックからして違う!娘の時代も電動はあったが、二人目を望んでいるわけでもなかったので我慢したのを思い出す。今のは電動で、静かに揺らす動作まである!マッサージ機のようだ。娘は抱き癖がついていて、下に降ろすと泣く。唯一ベビーラックで揺らしていればご機嫌だったが自動ではない。私は足でラックを蹴って揺らしながら洗濯物を干したっけ。ご飯の用意はそれではさすがにできなくて、首もろくに座らないうちからおぶって、ワンオペ育児、キツかったな。そしてボールプールにするためのたくさんのボール、室内滑り台、トランポリンまである。今どきのトランポリンってお洒落。友達はそれでもまだジャンプができないとボヤいていたが、こんなに環境を整えてあげていたらあっという間にできるようになるだろう。私のようにラックを足で蹴りながら洗濯なんかしていたら雑に育つに決まっているがここのお孫さんは穏やかな優しいお子さんに育つであろう。何より驚くのがたくさんあるお部屋が全部ピカピカ。「これ、一人で掃除してるの?お手伝いさんでもいるの?」と聞いてしまった。「だってもう、散らかす人がいないじゃないの」うぅー、うちは猫が上からポンポン物を落とすからと言い訳したくなったが、嘘です。私がモノを出しっぱなしにするからです。「掃除機なんて要らないのよ、全部ダスキンよ」あ、ダスキンね、私、あれもトライしたけど挫折したっけ。モップがけなんかしないうちに次のモップが届いちゃうんだもん。コツはモノを下に置かないことだそうです。だからルンバも大活躍していました。「孫の誕生日もクリスマスもお食い初めもみんな家でやるのよね。それっておばあちゃんは招待されていくものじゃないの?」と言っても全部実家開催になるのだそうだ。お食い初めの写真を見せてもらったら豪華なタイの尾頭付き!娘のわびしいお食い初めを思い出した。今どきはお食い初めセットをネットで取り寄せられるらしいが当時はそんなのなかった。一応尾頭付きを買ったものの、調理しきれないから小さなタイだった。石をかじらせる儀式というのがよくわからなくて、その辺の石を拾ってきて洗ってとりあえずかじる真似をさせたっけ。今は梅干しで代用するのだとか。今の赤ちゃんはお洒落着を着せてもらってお食い初めセットに向かい合うのだ。ああ、娘よ、ごめんね。でも、きっと私なんかお食い初めなんてやってもらっていないと確信しているし、5ヶ月じゃ覚えてないしなあ。歩行器のように見えたものは中に入って遊ぶ遊具だった!全身を動かせるよう配慮されている。孫はお金がかかるときいているがこういうことか。いや、私にはこんなにハイテクグッズは揃えられそうにないな。娘の時には何もかもレンタルしていた。ベビーベッド、ベビーラック、ベビーカーまでレンタルしていた。買ったのは高くもないベビーバスだけ。あれは働く親の必需品だった。娘が一才で仕事に復帰したため、夕方は忙しくて一緒にお風呂に入る余裕がないこともしばしばあった。ベビーバスがあればその中にお湯を張って2歳くらいまでお湯浴びのようにそこでささっと済ませることができた。その後はベランダに出して夏の行水に使った。その他はレンタルです。置場所がないという理由で。しかし、若い親にはここまで揃えられないだろう。祖父母の経済力影響はとても大きい。先輩が孫にお金がかかって赤字だといっていたのがよくわかりました。子どもにしてやれなかったことを孫にはしてやりたいものなのかも。そんな実家に娘さんたちは頻繁に遊びに来るそうだ。だって隣の家が娘さんの家なんだもの。土地を持っているって強いなあ。友達も大事に育てられた人だ。我が子たちも大事に育て、女の子は二人ともバレエを習っていたときの写真が飾られていた。昭和の格差は令和にも続いている。
June 26, 2022
コメント(2)
何だか、楽天の様式が変わってから写真がうまくアップできない。というわけで公開できないが、昨日やっと日日草の苗を植えた。一ヶ月遅れだ。例年GWに植えるが今年は寒くて苗が育たず、手に入らなかったのである。GWを逃すとなかなか、プランターに向き合えない。朝早起きすればいいだけなのだが。パンジーもビオラもまだ咲いていて、伸びきったモヤシのようになっているが、まだ咲いていると思うと抜くのは忍びない。というわけで昨年のようにたくさんの日日草は植えていない。こんな時期に庭に出るとヤブ蚊との戦いになるのでそれもちょっと憂うつ。いっそ雨の日にカッパを着てやってしまおうかと思っている。むきになって花を植えるのは、せっかく庭があるのにもったいないという訳のわからない意地である。あとはなかなかフラワーパークに行く余裕もないのでせめてプランターだけでも自然を楽しみたいという願いもある。今年の目標だったピラティス参加はまだ実施されないうちに6月になってしまった。半年過ぎたのだ。ピラティスはやっていないが、何とかかんとか腹筋はやっている。体重に変化はないので今度自分で腹囲を計ってみようかな。コロナ禍は収まりつつあるが、これ、収束宣言出るのだろうか。旅行を諦めてから久しい。職場の人たちも帰省はするようになったが、旅行の話は聞かない。ある人に言わせると帰省は家族に会うだけだからいいが旅行は不特定多数の人に会うから良くないのだそうだ。帰省先などない東京生まれ東京育ちだと言ったら「都会育ちなんですね」と訳のわからないことを言われた。こんなことを聞いていると憂うつになるので、私は最近寡黙になってきた。「口は災いのもと」「雉も鳴かずば撃たれまい」などの言葉が脳裏をよぎる。お花を植えました。こんな本を読んでいます。無難なのはそんな会話しかない。オリンピックのとき、恨めしかった。自粛警察だらけだったあのころ、オリンピック関係だけは別世界。特権階級のように見えた。私たちは県をまたいでもいけないのに、堂々と国をまたいで来日する人々。友達と食事に行くことすら非難する人たちはオリンピック関連なら許されるのだった。そして今は帰省だけなら堂々と?こんな僻んだことを言うのは夏の予定などさっぱり立たないからだ。はいはい、読書してますよ、東京生まれの東京育ちですからね。昨年の夏、悔しくてオリンピック関連のテレビは一切見なかった。今年の夏かあ。海も山も温泉もなさそう。だけど気付いてしまった。旅行に行かなくても生きていけるのだと。社会人になってから、旅行に行かない年などなかった。私の人生は大きく変わろうとしている。
June 12, 2022
コメント(2)
先週の日曜日、ひきこもって寝込んでしまったら、寝過ぎで、体が固まったらしく、あちこち痛かった。というわけで、休日寝ないようにすごく努力してる…って起きただけ?今日はヨガ、フラ、ストレッチ、腹筋、ラテンと頑張って参加!(ストレッチは20分、腹筋は15分なので大したことない)いやー、なんて楽しくて幸せなんだろう!起きてて良かった!待ち時間用に適当に本棚から文庫本を引っ張りだした。有吉佐和子の「乱舞」これ、いつ買ったかな?買ったことを覚えてなくて、当然読んでいなかった。読み出したら面白くてドキドキして、ジムにいるのになんで読書してんのーって感じ。変な人になってしまったのだが、やめられない、とまらないカッパえびせんになってしまったのだ。1967年に書かれたそうだ。舞台は日本舞踊。もう、これ読んでから歌舞伎でも日本舞踊でも、見たら鑑賞力、すごく上がってしまうだろう。有吉佐和子さん、生きていて欲しかったな。もっと日本舞踊のこと、歌舞伎のこと、解説して欲しかった。これがもう、読んでいて、躍りが見えるようなのです。華やかな着物も見えるようなのです。花柳界のことは他の本でも書いていらっしゃいますが、芸者さんたちの切なさ、生命力をすごく感じました。前にも書きましたが、祖母が10代で置き部屋に売られているので、他人事と思えません。祖母は日本舞踊やお三味線を習う前に駆け落ちしているため、芸事が好きだったかどうかもわかりませんがもし、駆け落ちしていなければ習ったのでしょうね。日本舞踊が好きになっていたかも知れません。その駆け落ち相手が、私の祖父です。祇園から九州まで逃げていったとか。職も失い、大変だったようですが、なんと自分で始めた事業が成功しちゃったというラッキーな人生…と思ったらガンで早世しちゃったので、ジェットコースターのような人生だったようです。私が下手なダンスや歌を好むのはその血筋なのかなと思うとちょっとファンタジー。祖母は好きだったかも知れませんね。天国で私が踊っているのを見たら喜ぶのかな?もっともハードチックなラテン音楽がかかっているスタジオで読書に引き込まれている私は相当な変人です。もちろん、少ししか読めなかったので、帰宅後一気読みしたのですが。読書好きはもう一人の祖母譲り?こうなるとわかりませんね、遺伝なのか環境なのか。私の親類でダンス好きはいない…と思ったらいたいた、年上の従姉妹が、社交ダンス好きでした。これも祖母の影響?踊るのは本能に組み込まれているのかもしれません。ゆっくり踊るフラも好きですがアップテンポのラテンも楽しいです!今週も頑張って、また楽しく踊れる休日を励みにします!そして、有吉佐和子さんの「連舞」注文しました!楽しみです!
May 22, 2022
コメント(2)
毎日、仕事のことで気を揉んで、これじゃ定年退職前とまったく変わらない。いや、変わらないどころか、精神的に持たなくなっている。もう、伸び代がないのだ。もう、これ以上のことはできないと心が悲鳴を上げ始めた。そんなとき、上司に「60才になったらやりたいことを書き出して実現させていくっていう方法を聞いたけど」とアドバイスされた。そ、それは…60才過ぎて働かなくていい人たちの話だよねと一瞬ひねくれた。「私もやりたいこと、いっぱいあったんですけど、生活が定年前と何も変わらなくて」あ、でも、やりたいこと、あったんだっけ。書き出してみたら実現するための方法も考えられるかしら?遠い昔は、リタイアしたら、カルチャーセンター通いしたいと思っていた。好きなだけ児童文学や心理学をやってみたかった。旅行も、リタイアしたら、ドイツの友達に会いに行くと約束していた。こどものときから憧れていた北欧も見てみたかった。しかし、今の社会情勢、コロナ禍はもちろん、ヨーロッパは危険な香りに溢れすぎている。しかも私の興味関心が、ファンタジーや心理学から変わってきて、人類学や動物行動心理学の方に気持ちが行っている。それはともかく!9やりたいこと10選1 エッセイを、極めたい 入賞したいし、自費出版も!2 ダンスがうまくなりたい フラ、ラテン、ズンバを始めたがもっともっとやりたい!3 動物園に行きたい ホエールズウォッチングしたい 大きな動物園、水族館に行きたい4 川柳をちゃんと、勉強したい 入賞するところまでやりたい5 娘の花嫁姿を見たい 写真だけでも…6 孫の世話をしたい7 山に登りたい8 海を見たい9 定期的に同窓会をしたい10 ガーデニングを極めたいありゃりゃだとしたら今のままだと、厳しいな。一にも二にも仕事なんだもん。お給料さらに、下がってももう少し負担の少ない職場へ異動希望してみるか。今のままなら、時間を工夫しながら執筆、ダンスを組み入れていくこと。ダンスうまくなりたかったら柔軟な体を。ヨガとストレッチ増やそう。と言いながら、今週、心が折れそうで運動どころではなかった。ジムに行ったけれど、お風呂会員と化していた。ジムのお風呂、行くだけでも少し痩せるから不思議だ。ジムまで足が辿り着かないほど疲れている日は徒歩三分の銭湯に行った。心が折れそうなときに大きなお風呂に入るというのはこどもが生まれてからずっとやっていた。それは温泉だったり、健康ランドだったり、銭湯だったりした。不思議なことに大きなお風呂に入っているとかなり温泉に近い疲労回復効果があり、メンタルにもいいのだ。でも癒されるだけでなく、アクティブにもなりたい。癒しが必要なほど疲れる仕事をいつまで続ける気なのだろうか、私は。もう十分頑張ったじゃないかと思う。でも人生、様々なアクシデントに合ってきたから、同年代の人の平均貯蓄に追い付いていないということが私を焦らせている。
May 21, 2022
コメント(0)
なぜ働くかと言ったら、生活するためだ。その生活の基準は色々だろう。猫の餌代、病院代もかかるし…と言ったら贅沢していたらキリがないとある人に言われてしまった。贅沢というか、ここちゃんは家族なので、私は保護者なのだ。よって、働かねばならぬ。ここちゃんは自分の名前を間違えているかもしれない。「可愛い」「大好き」が名前だと思っているのじゃないだろうか?もちろん、私が生んだと勘違いしているに違いない。犬は自分も人間だと主張していて、そこが微笑ましい。猫は人間も大きな猫と思っているらしい。堂々たるわがままぶり、マイペースぶり。私はここちゃんがいなかったら生きる望みを失うだろう。逆にここちゃんがいるからこそ、外で何を言われようと頑張るのだ。ボケと言われようと、老人と言われようと。贅沢とかそういうのじゃない。ところで、老いるということが少しずつわかってきた。というか、いつガクッと老いるのか怖かったのだ。病気でもしない限り、急に老いたりはしない。少しずつ少しずつ老いる。毎日会っていれば変化には気付かないが、久しぶりに会うとわかるのである。例えば先日、母の日ランチに行ったとき、デザートの前で写真を撮った。その時くらい、とマスクを外して撮影したら、あまりに顔がブルドックのように垂れ下がっていて、ショックを受けた。毎日マスクをしていたので、ここまで垂れ下がったとは意識していなかった。撮影やり直し。もちろん、マスクをして。この方がずっと若く見えるではないか。悔しくて、それからはリーファ(顔のマッサージ)を欠かさず朝晩やっている。今月末の誕生日にはあんなブルドック顔で写真に写りたくない。努力もやっぱり必要だ。運動を再開したので、体重は少し落ちたが、顔がやつれて見えるのは残念だ。しかも再開した運動を前ほど頑張れない。すぐにサボろうとする。自分の外見程度のことではあまり動機付けにならないようだ。でも運動しなくなった友達に久しぶりに会うと、年をとっても、脂肪だけはつくというのが残酷なほどよくわかる。やつれて見えたっていいやい、またあんな肥満に戻りたくない!あれ、老いを受け入れているように書いたけどまだまだ私はかなり抵抗があるらしい。もう少し頑張ろう。仕事を辞めたくなった一日の終わりに呟く独り言でした。
May 18, 2022
コメント(2)
何もせず、のらりくらりとして過ごしてしまった。もともと、朝はやる気が出ない。仕事があるから仕方なく起きている。最近は夜もさっさと寝てしまいたくなり、人生から逃げてんのか!食べ物もある物で適当に済ませた。防災用食品に手をつける始末。なんでもいいや、お腹が膨れれば。図書館にいこうかと思ったけど面倒になり、アマゾンプライムを見て過ごした。ムーミンのアニメを見た。例によって凝り性だから。フィンランドかー、北欧かー、いいなあ。いつか行きたいと思いながら叶わなかったな。フィンランドと言えばスプーンおばさんやニルスもいたっけ。スウェーデンはリンドグレーン。美しい自然描写、素朴で優しい人々に子ども時代どれだけ憧れ、癒されたか。今日は「ムーミン谷と彗星」を見ていたけど、冒険に出ながら危険に会うたびに「大丈夫。きっとパパとママが助けてくれる」とムーミンは立ち直り、頑張るのだ。優しいスナフキン、ちょっとわがままなスニフ、変わり者のヘムレンさん、こどもの気持ち、よくわかっているなあ。ムーミンが書かれたころ、「ながくつしたのピッピ」が売れていて、比較されたのだそうだ。ピッピはどこまでもこども目線、でもムーミンはちょっと哲学っぽくてこどもにはどうなのかという論争があったそうだ。トーベ・ヤンソンは「こどものために書いているのではない。書きたいから書いている」と言ったそうだ。作家は表現し、書かずにはいられないから書いている。表現したい思いがいっぱいある人たちだ。ヤンソンは第二次世界大戦で世の中が暗くなっているとき、癒しのような気持ちでムーミンを書いたそうだ。自分を癒したかったそうだ。挿し絵もお話も書いているからすごい。もともと芸術家の家系なのだ。小学生のとき、ピッピもムーミンも読んでいるのでこれらが比べられたときいて驚いた。どちらも楽しく、わくわくする世界だったから。どっちがいいとか考えたことはなかった。行ったことのない北欧の美しさに憧れるばかりだった。今でも。本当に行きたかったら行けばいいだけの話だが、コロナ禍でなくてもあまり現実的ではない。かかる費用を思うと、やはり家にいて本を読んだり映画を見ている方が安全かなと保守的になる。もう若くないなあ。家にいるからといって安全に生きていける保障はない。これまでだって思いがけないトラブルに合いながら生き延びてきた。辛いとき、ムーミンのように「パパとママが何とかしてくれる」と思えるのって幸せだな。いや、そう思っていた時代もあったのだ。親はあまり私のことは考えていないという現実を受け入れるのに時間がかかった。でも時々は気にしてくれていたんだと思う。友達にだって恵まれてきた。そういうふうに生きて来られたのだから私は幸せだったと思う。ムーミンみたいに可愛いここちゃんもいるんだから、まだまだ、ご隠居さんになれないぞ。母ちゃんは働く。働くためには体力がいるんだから、運動もしなくちゃ。運動と言えばインストラクターも顔ぶれ、変わったなあ。寂しい思いもあるが、私にダンスを教えてくれてありがとう。違いインストラクターになっても、私はダンスを続けよう。今日はサボったけど。いつか、本当にダンスどころでなくなる日が来たとき、もっとやっておけば良かったと思わないように。私が旅行を諦められるのは若いときにいっぱい旅行したから、満足感があるのだ。ダンスはこれから!綺麗に踊るためには柔軟な体が欲しい。だからヨガも続けよう。のらりくらりはもうやめよう。時間がもったいない。
May 15, 2022
コメント(2)
ムーミンバレーパーク、ついに行ってきました! フィンランドを再現した飯能市、素敵です!小学生のときから楽しく読んでいたムーミンに会えるなんて感激です。ムーミンは冒険心があって、いつも楽しそうで、そんなファンタジーな世界に浸れた子ども時代が懐かしい。こういうテーマパークはいいなあ。アトラクションは少なめだけど、ゆったり過ごせるんです。新緑の美しさと言ったら!心が洗われました。ここのところ、都内を出ていなくて、自然に触れる機会もなかったから、脳がびっくりしてハイテンション!こういうリフレッシュ、大切ですね。ムーミンと出会えた人生で良かった。トーベ・ヤンソンさん、ありがとう。ムーミンとは一生友達です。早くもリピートしたくなっています。
May 12, 2022
コメント(2)
GWに昼夜逆転してしまった。正月と同じだ。前回書いたが「とんび」にハマって、引き続き重松清。「その日の前に」を読んだ。ちょっと鬱々していた時に小学校時代の友達から「悲しいけどじーんとくるよ」と薦められた。職場の先輩からは「あれは悲しすぎて涙が止まらないから落ち込んでるときにはどうかな」と言われた。結局読んだ。感覚が麻痺しているので涙は出なかったがいつものことだ。私は自分の感情がわからなくなるのだ。でもしっかり感情移入したようだ。物語はすべて優しくて切なかった。そして私も死ぬ人のような気持ちになってきた。リズムが狂ったせいで動悸が続いていた。あ、私、死んじゃう。弱っていく。「助けて」と言っても猫しかいない。ここちゃんは少し寄り添ってくれたが、すぐに私のお腹をジャンプして踏みつけながら出ていった。く、くるしい。どうも冷えたらしい。夕方は小雨が降って気温が下がり、初夏とは到底思えない。毎年GWには日日草の苗を植えるのに、今年は寒くてまだ苗が育ってないらしく、出荷されていない。つまりまあ、今年はまだまだ朝夕寒いのである。あまりに冷え込むので、寒気がして発熱するかと思ったが平熱だった。リズムが狂っているので胃腸の調子も悪い。それで痩せるかと言ったら全く体重が変わらない。明日は無理やり起きて、運動しようと思う。月曜日から仕事なんだから。血圧が下がっているので、ちゃんと働けるか心配。明日は午前中運動して…帰宅したら昼寝しちゃうかなあ。まあ、どうするかは明日の体調次第だ。昨日は久しぶりにホットヨガをやったのだが、どうも私はあの暑さは苦手。水分をいくら取っても熱中症のように、クラクラしてしまう。ただ、ヨガはやりたい。右肩が上がりにくくなっているのを感じた。やはり習慣付けないと。ヨガはサボっているとてきめんだ。体がガチガチに固まって来ているのを、感じる。こんなに硬い体で働いていてはいけない。故障のもとだ。エッセイも、書き始めた。ところで私って本当は何をやりたいんだろう。手当たり次第やっていて、全て中途半端。仕事をしている以上、体のメンテナンスは必至だ。だから運動はしなくてはいけない。ここまではいいのだが、どうせやるなら楽しく、と思ってしまうのでダンス系に走る。うまくならない、もっとやらなきゃ…あれ、私のやりたいことは、ダンスだっけ?エッセイこそはライフワーク。それなのにかけている時間が少ない。読書ももっとしたい。書くからにはインプットが、必要。家のことも、さぼりすぎだ。日日草が、手に入らないけどその前に草むしりしなくちゃね。ああ、めんどくさい。これじゃプランターガーデニングが趣味です何て言えやしない。草ボーボーだもん。同年代の友達を、みていると運動していないと柔軟性が落ちてケガをしやすいようだ。みんなウォーキングや、ジョギングはしてるけど、上半身の運動が足りなくて腕が上がらなくなったりしている。若いときはヨガをガンガンやってたのにな。明日は我が身。ヨガやストレッチサボるとダンスをしたくても、腕が上がらなくなる。だから綺麗に踊りたかったら、ヨガはやらなきゃ!で、エッセイを、書く時間が…うまく時間配分しなくちゃ。
May 8, 2022
コメント(2)
都内から一歩も出ないうちにGWが過ぎようとしている。若いときなら考えられない。もっとも私が若い頃のGWは飛び石連休ばかりだった気がする。だから、近場でテニスというのが多かったか。子どもが生まれてからは意地になったかのように、近隣であっても泊まりで出かけた。保養所のあるところばかりだったが、家族で出かけると高くつくので驚いたものだ。ほとんど温泉。そしてGWはこども目当ての映画特集が組まれる。我が家はクレヨンしんちゃんが多かった。そんな日々が懐かしい。連休トップの映画はこれとんび。私は洋画が好きだが、重松清は好きなので友達と見に行った。重松清の読者は若い人も多いと思うが、映画になると、年齢層高い!子育ての喜びに溢れた映画なので、子育て終了組が多いのだろう。お陰で連休は「とんび」漬け。原作を読み、NHkオンデマンドでドラマも観た。そのまま重松清の作品を読み続けている。私は凝り性なのだ。娘がイタリアンレストランを予約したと言うので奢ってやるかと出かけたらサプライズ、花火の上がるプレートで母の日をお祝いしてくれました!嬉しくていっぱいお喋りしちゃいました。というか、殆ど私が喋っていて娘がハイハイと聞いていた。親孝行の聞き役に徹した?私の生活態度がしっかりしていないことなど説教されてしまい、親子逆転になってしまった…娘はお料理を頑張っていて、節約にも励んでいます。私と大違いです。夏に入籍予定とのこと、結婚式はしないと言っていました。写真くらい撮ればいいのに。でもひょっとしたら娘は自分の家庭状況を気にしているのかな。以前、「もしバージンロードを歩くとしたらママと歩くの?」と聞かれたので「パパを呼んでくればいいんだよ。パパだってあなたを育てたんだし、パパとママは今では友達なんだから気にしなくていいんだよ」と答えた。まあ、私は確かに気にしないのだが、娘はそんな複雑な家庭を披露したくないのかもしれない。双方、お互いの親に紹介済みではあるものの、親同士の面識はないから、今後どうなるやら。無事に入籍できますように。となると私がおばあちゃんになれる日も遠からず?とちょっと期待したが「子どもは当分作らない」ガクッ!娘は子どもを持つ前にファイナンシャルプランナーの上級試験に合格したいこと、会社でも今は一般職なのでエリア総合職試験を受けたいこと、もし受かったらすぐに妊娠というわけにはいかないことなどを理由に上げていた。そうね、まだ24才だもんね。仕事で足場を固めておきたいきもちはわかる。それでも入籍はしたいと言うのだからよほど彼氏のことが好きなのだろう。彼氏は試験勉強で忙しい娘のためにお弁当まで作ってくれるそうだ。今どきの人って感じでいいな。そんなに協力してもらっているのなら、ぜひ合格できますように!「ママが65才で引退する頃にこどもかな。そのときはよろしくっ」そんな計算通りにいきますかいな。元気なおばあちゃんになれるよう、体力作り。GW中はジムの回数を増やし、フラ、ホットヨガ、ズンバ、ストレッチに励んでいます。あと2日、元気作りのために頑張ります!少し体重落ちました!
May 7, 2022
コメント(2)
タイトルではズンバでヘトヘトになったように読めるでしょうが、実は仕事でヘトヘトになっています。あまり疲れると夜にジムへ行くのは億劫になってきます。それでも明日から飛び休ではありますがゴールデンウィーク。今日は疲れていても気合いを入れてジムのズンバに参加してきました。途中、バテてくるのを感じましたが、何とか参加は続けたというヨレヨレ感満載の参加となりました。あまり平日に来ていないので、顔見知りは少ないし、今日のズンバは知っている曲が一曲もなかったです。やはり同じインストラクターのところに定期的に通った方がいいですね。知っている曲や振り付けの方がテンション上がりますから。でもたくさん汗をかいて爽快でした。木曜日は思い出したかのように、たまに夜ズンバに参加しています。帰り際にインストラクターさんから「来週もお待ちしています」の声がけをされ、嬉しかったです。のりやすい私はそう言われるとモチベーション上がるんです。サボらずに来よう。来週の予約、しっかり入れました。ピラティスはこのズンバの前に6時半からレッスンをやっていますが、それに参加しようとすると、仕事を慌ただしく終えなくてはならないので、ためらってしまいます。仕事が終わったら一息つきたいですし、お腹も空いています。なので7時45分から始まるズンバは時間的にとても行きやすいです。ゴールデンウィークは今年も何が起きるかわからないので、旅行の予定はありません。ジムと映画、ガーデニングと言った家の近隣をうろうろする予定ばかり。旅行はたとえ1泊でもワクワクします。自然に囲まれてのんびり温泉、ホテルライフ、もう3年もしていません。でも、今やシングルマザーどころか、シングルペットマザーです。娘がいなくなってここちゃんはやはり寂しいようです。そこへ持ってきて、私が一晩いないとなるとここちゃん、相当寂しがると思います。ちょっと分離不安気味だからです。ここちゃんが寂しがっていると思ったら私は切なくて楽しめそうにありません。分離不安症は私かも。というわけでゴールデンウィークも旅行へ行かず、近隣を楽しみます!
April 28, 2022
コメント(2)
久しぶりになります。一月に慌てて植えた水仙とチューリップが今頃咲いています。前回ひなまつりのことを書いていますから、どれだけのお花が咲いたことでしょう。梅、桜、ハナミズキ、どれも通りすぎるように咲いて散って行きました。ゆっくり見ていられないのは例年同様です。パンジー、ビオラは長く咲いてくれるのでいいですね。ジュリアンは早々に枯れたので、来年はパンジー、ビオラのみで行きます。コロナ禍で様々なことがあり、私はかかりませんでしたが周囲には多かったです。かからなかったけど恐怖でメンタルやられていました。風評被害が怖いのです。オンラインフィットネスが思うように続かず、運動不足、友達にもあまり会えなくてうつうつとする日々でした。コロナにはかからなかったけど、メンタルやられて体力も免疫力も低下しました。そんな中で、3月末には定年退職し、翌日には同じ職場で今までとまったく変わらない仕事をしています。変わったのは一年更新なこと、給料4割カットになったことくらい。でも退職金で無事に住宅ローン繰り上げ返済をすませ、人生の大きなミッション果たせたかなと肩の荷が少し降りました。金銭面はまだ不安があります。退職金を使ってしまったし、貯金額は平均的な人たちから見たら半額くらいやのかなと思うんです。頼みの体力低下で自信を失い、ジム活を再開しました。まだピラティスには通えていませんが、ストレッチのコーナーでインストラクター指導のもとに腹筋を始めました。腹筋は苦しいのですが、苦しい!と思ったらなぜかうつ気分から解放されました。運動ってすごい!今週こそピラティスに通います!
April 25, 2022
コメント(2)
今日はひな祭りの日だった。ひな祭りは女の子の節句だということを幼児期に知らなかった。小学生になって、五月の節句の日、友達の家の庭には大きな鯉のぼりが上げられていて、羨ましかった。「うちも鯉のぼり、欲しい」母は怒った。「鯉のぼりは男の子の節句なの!あんたが欲しがるものじゃない!」そうなのか。そして、ひな祭りは女の子の節句だと気付いた。どの友達の家にも雛飾りがある。立派な段飾りもあれば、折り紙で作ったお雛様もあった。ないのはうちだけ?「ひな祭りは女の子の日でしょ?みんな飾ってるよ、お雛様」母はまた怖い顔をした。「お雛様は、お母さんの実家から贈られるものなの!あんたのおばあちゃんが贈ってくれないから家にはないの!」そうなのか。でも折り紙のお雛様もあったのに。あれはおばあちゃんじゃなくて、親が子どもと一緒に作ったものだろう。親が子どもを大切に思えば質素でもお雛様はあるだろうに。そんなことを言ったらまた怒られるだけだから私は諦めた。私は昼間、母に言っただけなので父には何も言わなかったような気がする。しかし、数日後、父が何やら木彫りの女の子の人形を買ってきたのだ。「おまえ、お雛様が欲しいんだろう」びっくりした。「お父さん、お雛様って御内裏さまとお雛様と言って二人いるんだよ」父は笑いだした。「そうなのか!」一人きりの木彫り人形は私にあまり喜ばれず、しばらくガラスケースに入れられていた。父はお雛様を知らないのか。もう仕方ない。それでも私を喜ばせようととんちんかんな人形を買ってきてくれた気持ちはやはり嬉しいような気もした。おばあちゃんも母も買おうとしなかったものを、父は買ってくれたのだから。雛人形ではなかったけれど。一人きりの人形はその後の私の人生を予言していたかのような気もするが。その後、私は大人になり妊娠した。男か女が性別は聞かないことにしていたが、母は女の子だと勝手に決めていた。そして、友達が木目込人形作りを教えていたので習いに行ったのである。完成した雛人形を母は自分の家に飾った。人形は作った人に似るというが、確かに母の顔に似ていた。私にはしてくれなかったけど、孫にはしてくれるんだと思うと嬉しかった。しかし、母は言いはなった。「あんたにはやらん」母は自分も雛人形など、飾ってもらえない家庭で育ったから自分のために作ったのだと気付いて、私は少し落ち込んだ。歴史は繰り返されるのか。いや、繰り返すまい。私はトイザらスに出かけ、安価ではあるけれど見た目が美しい雛人形を買った。もちろん、父の二の舞は嫌だから御内裏さまとセットである。もう、この辺は私の意地だった。華やかなひな飾りを、見て9が月の赤ちゃんだった娘は喜んだ。「あー、あー」と指差しながら嬉しそうにする姿を見て、私はやっと雛人形を買ってもらえなかった自分の子ども時代を取り戻せた気がした。つまり、あなたの成長を喜んでいるよという証だったのである。だから毎年飾ったと言えばハッピーエンドだったが、私はだんだん飾るのが面倒になってしまい、数年しか飾らなかった。だからいい加減なところは受け継いでいたわけだ。小学校高学年になって娘がクローゼットに自分で飾っているのを見たときは、かなり気が咎めたが、楽天的な娘はそれで親に恨みを持つこともない様子だった。親が飾らないから自分で飾る、これも娘の自立心だったのだろう。娘は楽天的でもあり、クールでもあった。今は押し入れにしまわれたきり。今年も飾らなかった。家のインテリアに気を遣う余裕がまったくなかったこの数年だった。母が作った木目込人形も飾られることはなくなったようだ。母は自分がしてもらえなかったことは同じように私にはしたくなかったのだ。自分の母親への恨みなのかもしれない。母方の実家は昔式の考え方で、内孫と外孫への扱いが全然違った。祖母は内孫にはお祝いしていたようだ。「内孫と外孫は違います」はっきり言われた。そんなものかと早々に諦めた。昔の人だから仕方ない。そして、大人になった私は、母方の親戚からは決して生むなと猛反対されるなか、生まれたのだと知った。冷たいのは祖父母だけでなく、叔母も同じだった。叔母は兄のところに、生まれた私と同い年の女の子の誕生はとても喜び、姪を可愛がっていた。私はと言えば、反対したのに生まれてきてしまったのだから、母のために生きて欲しいというのが叔母の願いなのだった。道具でしかなかったのである。父方の親戚と言えば、私を嫌うわけではないものの、どうでもいい存在だったようでこちらにも可愛がられた記憶はない。「あんたはね、誰からも嫌われるこどもなんだよ」憎々しげに言う母の言葉を私は傷付くことなく受け止めた。もう、そんなことで傷ついていたら生きていけないというほど私は感情が麻痺していた。どちらの親戚も私には苦手だった。でも私は近所のおばちゃんたちから可愛がってもらっていた。昔は近所づきあいが濃かったのである。「桃太郎ちゃんは本当によく頑張ってえらいよ」と慰めてもらっていた。さすがに雛人形はくれなかったが、成人式に着物も着られないときいて「うちの娘の着物で良かったら着て」と言ってもらっていて、素直に嬉しかった。その家のお姉さんの振り袖はとても素敵だったから試着させてもらってとても嬉しかった。これで私は成人式に行ける。それを見た、プライドの高い母は気を悪くした。「振り袖なんかうちで買えるから借りなくていい」 成人式直前になって母は私を展示会場に連れていき、母好みの古典柄の着物に急遽決まった。お姉さんの花柄の振り袖の方が気に入っていたが、そんなことを言えばまた母の逆鱗に触れる。母は二十歳になった私でも平気で手を出す人だったから逆らえなかった。振り袖は結婚後に袖を切ったから後輩の結婚式に着ていきたいと40代の私は母に申し出た。私は乾杯の挨拶を引き受けていたから、これは事実上主賓なので、正装したかったのである。「あんた、幾つだと思ってるの?40過ぎてピンクの着物なんか!」ああ、何も私にくれたくないんだ。またまた諦めた。こんなことの繰り返しの人生だった。一つだけ希望とすれば、父が買ってくれた木彫り人形だ。母が捨てたのでもうないが、私の誕生を喜んでくれたたった一人の人のちょっととんちんかんな人形があったことが思い出の中の救いだ。いつか女の子の孫が生まれることがあったら出し入れに負担のかからない小さくても可愛い雛人形を買ってあげられるおばあちゃんになりたい。
March 4, 2022
コメント(2)
今朝の夢は音付きだった。本来、水曜日は可燃ゴミを出す日なので祝日とは言え、朝寝坊していると収集車が行ってしまう…と寝ぼけながらも起きられず、挙げ句の果てには再眠していたのである。ガサゴソガサゴソ、ゴミ袋にゴミをまとめる音がする。夢の中では平気で時空を越える。あっ、夫がゴミ出しのためにゴミをまとめているんだ…あれ、でも夫はずいぶん帰ってきてないけど、いつの間に帰って来たのだろう。「帰って来てたの?」「俺が帰ってくるわけないだろう」え?じゃ、なんで声がするわけ?だれがゴミ出ししているの?夢の中ではうまく声が出せない。はっきり声に出そう。私は力を振り絞る。「帰って来たの?」シーン。ゴミ出しの音は消え、同時に頭の中がクリアになり、恐ろしいほどの静寂。そうだね、離婚したんだっけ。私はサバサバした気持ちで思いだし、同時に認知症になると毎日こうやって夢の中にいるような気になるのかなと思った。常に時空を越えるのだ。先日の夢の中では両親と暮らしていた。父親に「そろそろ独り立ちしてくれないか。一年以内に自分の家を見つけて出ていってほしい」と言われ、困惑した。もう定年間際なのに今から家を買えと言われても、ローンを組めない。あ、でも昔買ったマンションがあったか。あそこに戻るか。ずっと帰っていないから、戻るのは怖いなあ。と思ったら目が覚めて、私はその怖いマンションに住んでいるのだと思い出した。父がとっくに亡くなっていることも。私は深層心理の中では親離れしていないのだろうか。前日は初めて鳥の夢を見た。鳥の夢は吉夢だそうで羽ばたく前触れだとか。でも私が世話をしていたのは飛ばない大きなアヒルのような鳥で、何羽もいたので忙しいなあと思っていた。私は鳥も結構好きなのだ。こどものときは、文鳥を飼っていたし。私は羽ばたけるのであろうか?定年退職目前ですが。しかもこんなご時世なので、毎日ドタバタ感染症対策に追われ、休日はひきこもっていて、娘にも会えない日々。もうすぐ3月だけど、送別会など集まることは禁止されている。直前までドタバタ働いて終わりだろう。私の死に際を暗示しているかのようだ。もちろん、それで良いのである。元気なら働く、それだけだ。私はそういうことには淡々としている。それに、4月からまた、働き続けるわけだし。同級生が65才定年なので安心していたら、今月誕生日で60才だから、給料減らすと言われてショックだと同級生ラインに書いてきた。これは当時のバドミントン部のグループラインである。専業主婦もいるか、ほとんどの人は働いている。それぞれの返事が個性的だった。一人は再任用だが、役職手当てなどほとんど変わらず同じように支給されている。残業はなくなると思っていたが、若いときと同じようにはできないので早めの出勤をして、残業代は出ないけど少し残る。若いときのようにできないから自分の能力の問題と思っていて仕方ないと割りきっている。もう一人は医療系。再任用になるので給料は半分になる。でも夜勤がなくなるし、責任も軽くなるかなと期待して、マイペースで、働くそうだ。私の返事。再任用になったら年収4割カット。仕事内容はあまり変わらないと覚悟している。それでも年金がまだもらえないのだから、65才までは元気なら働くつもり。書かなかったが、仕事が定時に終わらないこともあるだろうけれど、それこそ年なので能率下がるのだろうし、自分の元々の能力の問題もある。一年契約だから文句を言ったら翌年採用されないかもしれない。働けるだけありがたいという心境かな。使いやすい老人でいなくては。それには、一にも二にも体力だ。ジムに通えない今の健康法。朝起きたらラジオ体操でスタート。身体の硬い寝ぼけた状態でやって、意外に怪我をしやすいと聞いているので朝は座ったままやっている。それでもかなり目覚ましになるし、肩凝り予防にもなる。時間があればオンラインのフラを、早送りして五分くらい踊る。もちろん、このときには、立っています。それから最近習慣づけようと頑張っているのが踏み台昇降。段ボール製の安物だが、場所を取らずに意外に使える。これを、二、三分やるんですが、意外にハードで筋肉痛を、起こすほどだ。でも老いは足から来る。父を見ていてよくわかった。ジョギングも、ウォーキングも、朝寝坊の私には続かないため、踏み台昇降で頑張るつもりだ。朝の運動は、これで終了。全部で10分もかからない。夜に気持ちに余裕があればストレッチをオンラインでやっている。柔軟性がないと腰を痛めやすいから。休日は好きなことをしたいので、オンラインでフラ、ラテンエアロ、ズンバをやっている。その他、コロナ感染対策としてうがいは、吉村知事オススメだった、イソジンを使っている。長期に使わない方がいいと聞いているが、コロナ禍の間は使うつもりだ。そして免疫力アップのために漢方薬補中益気湯を服用。コロナにかかった人にも処方されることがあるらしい。感染を防ぐものではないが、万が一ウィルスを取り込んでしまった時のため、免疫力でカバーしたい。あとはよく寝る。だからよけいな夢を見るのだが睡眠は、最強の免疫力アップ方法なのだ。以上、コロナ禍の健康対策法でした。
February 23, 2022
コメント(2)
コロナ禍を過ぎ、やっと少しずつ外出を楽しめるようになったところでまたコロナ禍だ。もうやめてと思うが、自分だけではないので、ここ二年間の自粛の仕方を思い出しながら何とか乗り切ろうとする日々である。いつもの薬をもらいにかかりつけ医に行く。医師だってどんな患者がなんのウィルスを持って来るかわからないので戦々恐々としているに決まっている。この医師が担当になって8年くらいになるだろうか。私の仕事のことも理解していただいているので、コロナ禍になってからは半分戦友のような気持ち?「頑張って生き残りましょう」なんて励まし合っている。私は大病院より、こうした地域に根差した小さなクリニックの方がずっと安心できる。私のことを理解してくれる病院。精神的にホッとするのだ。基本、本音を言えば、病院は怖くて苦手。小さい頃から同じお医者さんでないとだめだった。耳鼻科へ行くべきなのに、いつも同じ小児科へ通った。その先生はめったに注射をしないし、苦い粉薬が苦手な私にいつも丸薬を処方してくれる優しい先生だった。確か、お子さんが小児麻痺を患って後遺症が残っているという話だった。だから、小さい子どもや気弱な病人の気持ちをわかってくれたのではないかと今になって思う。二十歳で引っ越すまでそこにしか行かなかった。と話は飛んだが今日の先生も物腰柔らかく、私が不安になるようなことは言わない。「またコロナ流行っちゃいましたねえ」とお互いに苦笑いする。「先生、これが最後の流行ですよね?そう思って頑張ってるんです」「それはどうかなあ。ゼロコロナにはならないからねえ」そうか、医学界の見解ではこれが最後じゃないのね。「お互いに、これからも注意しながら頑張っていきましょう」励まされて帰ってきた。終わりが見えないなあ。でもそれはみんな同じだから。できる範囲で楽しみを見つけ、それぞれの分野で社会貢献して生きていくのだ。帰宅後は再び始めたオンラインフィットネスに少し取り組む。運動から遠ざかってはだめだ。細々とでもいいから続けることが大事と自分に言い聞かせる。健康のためでもあるし、ささやかな楽しみの一つでもある。オンラインでもダンスができると楽しい。狭いリビングで家具にぶつかりそうになりながら今日はメガダンスのライブレッスンを30分。メガダンスは3回目の挑戦だ。ダンスはインストラクターによって教え方が全然違う。と言ってもスタジオでメガダンスをやったことはない。30分なので3曲。ヒップホップ、ラテン、最後のはエアロビクスっぽいステップだった。ステップはふだん教わっているものとは違うので左右間違えてばかり。そこにハンドモーションがつくとさらにめちゃくちゃになるが誰も見てないから、恥ずかしくはない。メガダンスというのはリトモスやズンバより簡単だという。高齢者でも参加しやすいという話だが、ヒップホップもエアロビクスもやらない私には難しい。でも楽しいから続けちゃおう。リトモスはスタジオで三回くらい挑戦したがあまりに速い動きで、挫折している。ズンバは下手なりに一年以上続けたから楽しい。いつかスタジオに復帰できたら、メガダンスのクラスにも出てみたいなあ。オンラインの場合、少しずつでいいから毎日取り組むように、しないと幽霊会員になってしまうと過去の経験から学んでいる。今の予定では月曜日フラ、火曜日メガダンス、水曜日ラテンエアロ、木曜日ズンバ、土曜日もズンバと決めているが、他の曜日はまだ未定。ヨガ、ピラティスになるかなあ。運動できる限り、私は前向きでいられる。
January 11, 2022
コメント(2)
新年早々だがプチうつに入っている。よせばいいのに、また文春を買ってしまった。さやかちゃんのことがやはり気になってしまうのだ。恋人からの罵詈雑言が録音されていると聞いていた。どんな酷いことを言われたのだろう。単純にいうと「死ね」の連発だったようだ。私は終戦16年後に生まれた。もはや戦後ではない、と言っても戦争を生々しく記憶している人がたくさんいた時代だ。やっと生き延びた人達が多い時代。だからどんなに罵詈雑言と言っても「死ね」は本気でない限り使われない時代だったと思う。ドリフターズがどんなに、下ネタを使ってもそういう言葉は出てこなかった。言ってはいけないというより、語彙のなかになかったという感じだ。もちろん、言うなと親に言い聞かされた覚えはない。中学、高校共に不良が多かったが「死ね」は聞いたことがない。ところが平成になって私はそういう言葉を投げつけられるようになった。同じく昭和育ちの元夫だ。喧嘩になるのはたいていお金のことだったが要求が通らないとキレて「死ね」「頼むから死んでくれ」「このキチガイ!」を連発していた。「殺してやる」も言われたな。キチガイというのは死語というか、差別用語の最たるものでこれも私の育った家庭では出なかった言葉だ。なぜ、キチガイというかというと、私が時おり心療内科に通っていたせいだろう。心療内科や精神科に偏見の強い時代に育ったのはよくわかる。だが元夫の母親も通ったはずだし、元夫は母親には決してそんなことは言わないのだが妻である私には言ったのだ。私は娘の前で差別用語を使うことにはさすがに耐えかねた。元夫はクレジットカードで借金をしてしまうので何度も立て替えた。もう二度としないという約束は何度も破られた。それは最後に立て替えるときだ。立て替える代わりに私は誓約書を書いてもらった。「二度とキチガイと言いません」という内容だった。そして立て替えて一週間もしないうちにその約束は破られ、気に入らないと「キチガイ!」の連発になった。「キチガイに稼いでもらってお金払わせてるわけ?」と言い返すと、「うるさい、キチガイ、死にやがれ!」だった。なんでこんなことを思い出したかというと、さやかちゃんが、彼氏に誓約書を書かせて一週間で破られたと書かれていたからだ。そうなんだよ、誓約書書かされるような男は決して守れないんだよ…身近な人ならそうアドバイスできたのに。いくら死ねと言われても死ぬ気にならなかったのは娘や猫を守るのは自分だと思っていたからだと思う。また娘に「パパはボキャ貧なんだよ。死ねとキチガイしか言わないから。ママは言葉が多すぎる」と諌められていたからだろう。自殺する気は、さらさらなかったが生きていたいとも思っていなかった。そんな私を母が見かねて強引に離婚へと話が進められた。もともと母は私が結婚したり出産したりすることに反対していたのもある。私に女であって欲しくなかったのである。娘は定年まで働いていてほしい、なるべく聞こえのいい仕事をしていてほしいというのが母の願いだった。無責任なようだが電撃離婚だった。離婚の話が出たら一ヶ月もしないうちに届けが出された。つまり私はまたしても母の言いなりになったのだ。反旗を翻して結婚し、子どもを生んだのに。でも私はこれ以上キチガイという、差別用語を聞きたくないと無意識に思っていたので、ついに母に根負けしたわけだ。離婚ならもっと前から母には薦められていたが経済的に自信がなかったのだ。当時、元夫よりは稼いでいたのだが。さやかちゃんも子どもがいたら歯止めになったのだろうか。自分のために生きるというのは意外に難しい。だれかのためと思えばなんとか、踏みとどまれる。それでテーマの言葉の暴力だが、もう一つエピソード。知り合いはやはりご主人が、借金を重ねてしまい、働かなくなったりしてやはり苦労していた。彼女はとても優しく、優秀な人で収入も、多かったのにいつも金策に追われ、質素な生活をしていた。そしてついに離婚に至ったが、なんと引き金は「殺してやる」の言葉だった。既に私は離婚していたが、その友の言葉に少し引いた。「殺してやるなんて言葉を使う人と暮らせない」あら、じゃ毎度のように言われていて鈍感になっていた私はどうなる?ひょっとしてとっくに別れていなきゃ、いけなかった?さやかちゃんは喉も悪くしていて歌で自立する自信も失くしていたのだろう。親に頼ることもできず、八方塞がりになった。そこへ「死んだらみんな喜ぶ」なんて言われてしまったら…飼い犬では歯止めにならなかったのか?私は今、娘が独立して一人暮らしだ。優しかった父も兄も死んだ。私が死んだら悲しむ人はいても、困る人はもういない。母はもういいでしょう。母の望みどおり、定年退職まで私は頑張りました!もうそれで許して欲しい。私をこの世にひき止めているのはここちゃんだけ。この子は幸せにすると決めていたから。さやかちゃん、犬じゃ、だめだったの?人間なんてあてにならないのよ。友達だっていざとなったら自分の家族優先。でも、犬や猫はあなたたよりに生きているかけがえのない家族なのです。
January 8, 2022
コメント(2)
今年もよろしくお願いいたします!今日は娘がやってきたので恒例の具だくさんお雑煮を作りました。さて、今年の抱負。3月に定年退職を迎え、4月からは再任用フルタイムで働きます。少しは自分の時間が増えるかな。働くからには体力!やはりダンスが好きなのでフラ、ラテン、ズンバをメインにヨガやストレッチ、ピラティスを取り入れたいと思います。エッセイは本腰を入れたいので、書く時間を増やします。川柳も今年は投稿に挑戦します。そのために文春買ってますから。文春の川柳コーナー、好きなんです。やり直し英語にも挑戦します。朝ドラのカムカムエブリバディに刺激を受けています。戦後の貧しい時代にラジオで勉強していた人たちを見習いたいのです。だから買いました。音読していきたいです。アウトプットとして英語を書く練習をしたいのですがこれはツイッターを使おうかな。そして昨年末に書いたとおり、プランターガーデニング!そして苦手だけど断捨離もすすめたいです!
January 3, 2022
コメント(2)
思い腰を上げてやっと植え替えをしました。パンジー、ビオラ、プリムラジュリアンの苗を植えて水仙の球根も植えました。寒い冬を彩ってほしいです。今年はコロナ禍ということもあり、いつもより園芸に力を入れたというか、やたらにたくさんの日日草であふれかえりましたっけ。こんなに!なつかしいなあ。冬は冬で春の先取りを楽しんでいきます。いっぱい咲いて欲しいな。夏のように。コロナ禍が二年続きました。恒例だった年末温泉も二年続けてなし。忘年会もやらなくなり、季節感がなくなってきましたけど、元気に年越しできるだけでありがたいです。私の干支も終わってしまう~。来年は娘の干支になります。娘は幸せそうにしています。将来どうする気なんだろうとさすがに心配になりますが、時代が違いますものね。娘は新たに資格試験を目指すそうなので、頑張れ!と応援するのみ。そこまでの向学心、学生時代にあれば良かったのにと思いますが、働いてみて気付いたことも多いのでしょう。私も定年退職まであと3ヶ月になりました。ずっと組織に守られ続けたありがたみに改めて気付きました。これからは多少自由になる分、自分で自分を守るしかありません。一人で生きていくということはこういうことなのですね。今までやりたかったけどやれなかったことに挑戦するとか、既に老後を見越して挑戦し始めたことは引き続き頑張っていきます。時間はできると思いますから。コロナ禍で始めたプランターガーデニングもやってみたら楽しかった。来年の目標としては夏に千日紅をたくさん咲かせてドライフラワーを作り、それを使ってクリスマスリースを作る、というふうに年間の見通しを持って楽しんでいければと思います。野菜もやりたいのですが、土壌を良くしないと野菜は難しいんですよ。それに野菜を目当てにハクビシンとか来られても困るし。蝶々くらいにしておきたいんです。そうでなくても野良猫ちゃん侵入でここちゃんが不安定になった時期がありますし。野良猫ちゃんには軒下くらい使わせてあげたいのですが、ここちゃんが嫌がるんですよね。困ったものです。ただ、シソくらいは育ててもいいかな。あれは簡単らしいし、夏に焼き肉を巻いて食べるのもいいですよね。他にもやりたいことだらけですが、新年の抱負に書くとして。温かく見守っていただいてありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
December 31, 2021
コメント(2)
週刊文春は好きだ。面白いエッセイが多いから。芸能ニュースが好きなわけじゃない。何しろテレビがないので、最近の芸能人のことは全くわからないし、なんのことを言っているのかわからぬ。先週の文春は衝撃的だった。いくら芸能界に疎くても同世代の歌手はわかる。その娘が二世でやはりスター街道を上がっていくのは微笑ましく、励まされることだった。恋愛や結婚で躓くのが若い女性にとってどんなに辛いか、さんざん苦労してきたから胸が痛む思いで読んだ。私の父は優しいが、浮気はしょっちゅうだった。そんな中で育ったので、私は基本的に男はどうしようもないよねと思っている。それはもう、遺伝子のなせる業で、奥さんがいくら怒っても治らない。だから二股交際とか聞いてもそこはそんなに驚かない。いいか悪いかは別にして。ただ、うんざりしていたから、浮気性でない男を選ばないと苦労すると思っていた。でも浮気性でなくても、苦労することはたくさんある。文春を読んでショックだったのは、二股かけられたことより、「お前なんかお前の母親と同じだ!」と罵られたと書かれていたからだ。事実ならこれは辛い。母親とは違う生き方をしようと努力している女性に、この言葉は胸に突き刺さる。努力したってやはり駄目なんだと思うしかない。人はそうやって人を判断するものなのだと悲しくなるだろう。なんでそこに共感しているかというと若いときに似たようなことを言われたことがあるからだ。我が娘の名誉のために言っておくが、それは娘の父親である元夫ではなく、別の男性だ。ただ、私はなぜそんなことを言われるのか深くは理解していなかった。突き詰めていたら生きていくことが本当に嫌になっただろう。私はまだ希望を抱いていたのである。いつか本当に母を乗り越えられる母親になる日を夢見て。その後、実母とはまた違うタイプで私もダメ母だと思い知ることになったわけだが、30代のときの私はまだまだ楽観的だった。元夫にも喧嘩のときに言われた。「お前なんか親にも愛されずに育ったような女なんだ!」これ、傷ついたかというとそうでもなかった。やはり他人から見てもそうなんだなと冷静に受け止めた。まあ、親の愛情の表し方なんか千差万別、不器用な人もいる。本当は愛情があるのにうまく表現できない人もいる。そして残念なことに本当に愛情のない人もいる。そういう人はやはり親に愛されずに育っている。その愛情は配偶者や恋人に求めてはダメだ。だって親じゃないんだから。でも求めて恋愛依存になってしまうこともあるだろう。残念なのかそれで良かったのか私はそんなに恋愛体質ではない。まあ、女子力が高くないことをよく自覚しているので、そんな機会はめったに巡ってこないと若い頃から承知していた。私の愛情はこどもと飼い猫に向けられた。それで良かった。平和だから。素敵な人を見ればいいなあと思うくらいの淡い恋愛感覚はまだ持っているが、それは見ているだけ、眼福というやつですね。とにかく、母を乗り越えようと頑張っている女性に「母親と同じだ!」だけはタブーな言葉なのだ。出自は変えられないし、その人のせいじゃないのだからいじめと言われても仕方のない言葉なのである。男は女性ほど言葉巧みに話せないので、追い詰められると相手が一番傷付きそうな言葉で攻撃してくるという幼稚なのも少なくない。これは学歴と関係なく、ボキャ貧のやる意地悪である。こんなのに引っ掛かってはだめ。だけど恋愛中は冷静になれないんだな。だから相談できる人がいるといいんだけどね。命を絶たなくても、解決方法はあっただろうなあ。運悪く変なのと付き合っちゃうと…若いときはすぐ次の恋愛に走りたくなるものな。私だって娘がいたから頑張れたのだ。いなかったら絶望して、生きる望みなんかなくしていたかも。その娘も自立した。もう二度と一緒に暮らすことはないだろう。それでいい。巣だったのだ。ここちゃんと平和に暮らして幸せだ。それくらい猫というのは人を癒やす力が大きい。離れて暮らしていても娘が元気で幸せならそれでいい。こどもは生きていてくれたらそれでいい。それが叶わなかった聖子ちゃんを思うと暗澹とする。
December 28, 2021
コメント(2)
楽天アプリが終了すると機械音痴の私にこの日記が続けられるだろうか。 スタートは娘が4歳の時。保育園の連絡帳がなくなり、育児日記代わりに、楽天で書き始めた。もう18年にもなるのか。 初めての育児、仕事との両立に頭を悩ませながら、母親として娘に最善のことをするためにはどうしたらいいのか書きながら考えていた。 当時は専業主婦が多い時代だった。少なくとも子どもが小学校に上がるまでは家にいる女性が圧倒的。 「一番甘えたいときに働くなんて」という批判もいっぱいあった。 当時の私は格差社会の仕組みなどよくわからなかった。我が家は共働きなのになぜ家計が厳しいのだろうとぼんやり思ってはいたが。 親から譲り受ける資産などなかった私達は二人で働いてマンションを買うだけで精一杯だったのだ。 色々なことが起きて持ち家などの資産は簡単に崩されることもあると気付いた。奪われない資産と言えば教育だと思い込んだのである。元夫もそのように育てられていた。親が残せるのは教育だけ、と。その教育すら放棄されて育った私にとって娘に教育を与えるのは共働きだろうとなんだろうと最大のミッションであった。つまり人生のリベンジだった。 思うように行かなかった。娘は教育されることを好んではいなかったからだ。つまりあまり勉強したくない子どもだったのである。 机上の勉強だけではいけないと思い、自分が日本史苦手なくせに世界遺産を見せようと張り切って旅行を計画したこともあった。 自然体験が大事と思い、キャンプ活動にも参加させていた。 結果、娘は日本史苦手、自然よりも都会を好む思春期を迎えた。運動も、アウトドアよりインドアを好む子どもだった。テニスよりも卓球が好きという具合だ。 それに共働きどころか、私はシングルマザーになってしまい、この日記を書き始めた頃には思いもよらない事態を迎えた。 綱渡りのような娘の思春期だった。私立中学に入れてしまったし、家のローンもあり、理系苦手な娘は国立大学は狙えそうになかった。 だが私は思いがけず友人が遺産相続をしてくれたり、父が援助してくれたりした。職場にも、恵まれ、働き続けることができた。 娘をなんとか、晴れ着を着せて成人式に参加させ、私立大学も奨学金なしで卒業させてやれた。 家のローンも何とかなりそうだ。 そして私は数ヶ月後には定年退職を迎える。 たくさんの人に、助けてもらったからこそここまでくることができた。感謝の気持ちでいっぱいだ。働き続けられたのは職場の方々に助けられたからこそだし、親は介護などで私に負担をかけず、自分達の収入で賄えた。父が80才過ぎまで、働いていたからこそだろう。母とはうまくいかないことが多かったが少なくとも大変元気で今のところ私に負担をかけずにいてくれる。というより、意地でも私の負担になりたくなりようだ。介護があったら私は働き続けられなかっただろう。 両親は共に家庭的でなく、子どもの教育にも無関心だった。その代わり負担を娘の私に一切かけなかった。その点では、感謝している。二人とも私が定年まで働き続けることを望んでいたからだ。 私もそこは見習いたい。 だから私も定年退職後も働き続ける。隠居する余裕はない。娘の負担になってはいけない。 働けるのは元気だからだ。慢心せず、健康に気を付けて可能な限り働きたい。父のように80才過ぎても働くのは無理そうだが、このまま諦めずに運動を続けていけば70才くらいまでは働けるのではないかと希望を持っている。 ここまで頑張ったのだから、あとは、自分のために生きたらいいというご意見もあるが私はやはり、何らかの社会貢献をして生きていきたいのである。そのためには働き続けるというのが、一番現実的なのだ。 働くために健康、体力を維持する。目標があった方がいい。 しかし趣味を楽しむくらいは許されるのではないか。 体力を維持するためのダンスは続けたい。もちろん、もともと運動は得意ではないので頑張ってもそんなに、うまくならないだろう。でも楽しむくらいは許されるのではないか。 そしてライフワークの書くこと、これもなかなか、難しいが細々と、続けていきたい。ダンスよりは達成感が強い。だけど運動も大事だからを、いいわけに、さいきんダンスに比重が、いきすぎている。悠々自適の定年後ならダンスに打ち込むのも、書くことに専念するのもいいが仕事があるのだ。 子育て中も、思ったな。子育てに専念したかったし、そうできるひとたちが羨ましかった。 しかし、格差社会のなかで、私のカーストは低い。今後も仕事がメインという労働者の立場で、細々と趣味を楽しんでいきたいものだ。 楽天ブログも、続けられますように。
December 14, 2021
コメント(2)
お昼に私は例によってインターネットカフェにいた。エッセイサークルの宿題をするためだった。家にパソコンはあるのだがつい寝てしまうので、インターネットカフェに立て込もって書くのである。 そこはビルの8階。 私は半個室でリクライニングチェアにふんぞり返ってリラックスしていた。 その時、ドカンと縦揺れが来た。うわっ、こんな所で地震! 取り乱して慌てて荷物やコートを持って半個室から飛び出した。横揺れが続く。同じように半個室から出てきた人たちが多かったが男性が多いせいか、みんな落ち着いて冷静。声ひとつ上げない。 私の思ったことは早くここから逃げ帰って自宅のここちゃんを守らなくてはということだった。あ、でも支払いしてない、どうしよう。皆さん平然と半個室に戻って行く。 テレビはないのでスマホの地震情報を見たが震度3だったらしい。 ビクビクしたが収まったようなので、結局私も平然と原稿を書き続けた。 それにしても、ビルで地震は怖いな。非常口も確認していなかったし、かつてネットカフェで火災があり、逃げ遅れた人がいるのを思い出した。やはり怖い。 だが、私は先日行った長瀞の猿のことを書き続けたのだった。長瀞は荒川の上流、川沿いを伝って東京に来てしまう猿が毎年いて、警察が出動して大騒ぎになる。鹿や猪が降りてくることもある。猪は川を泳いで逃げてしまう。鹿は捕まってしまった。猿の運動神経は相当なもので、警官が追い回しても俊敏に逃げ回り、たいてい捕まらない。日本猿は狂暴なので、都民には注意喚起があり、テレビでもやたらと取り上げられる。私は猿が好きなので、捕まらないで川沿いを伝って山に帰れるよういつも願っている。狂暴なのだろうが日本猿はやはり貴重な日本の住民だと思うからだ。同じ霊長類の仲間として平和に生き延びて欲しいのである。 地震が怖いといいながらそんなことを書いていたのであった。
December 12, 2021
コメント(2)
先日の健康診断でほぼメタボ確定なため、がっくり来ていた。コロナ禍でジムに通えていなかったとは言え、オンラインでそれなりに頑張っていたからだ。 ふと気が向いてホットヨガのクラスに参加してみた。初めてではない。初トライは7年くらい前だろうか。 もともとサウナが苦手な私は暑くて蒸し蒸ししたところはかなりきつい。レッスン中はそれなりに頑張ってやっていたが、部屋を出たら寒暖差で頭痛を起こした。真冬だったからだ。帰宅してネットで調べるとホットヨガは体力のある人向きだそうだ。 諦めて再トライしたのはその2年後、冬だと寒暖差がありすぎるので夏に挑戦してみた。暑い日に更に暑い部屋…水分補給をしなくてはいけないのだが私は水も飲めないほど衰弱。だが、レッスン中は動いていた。 レッスンが終わると部屋の外にあったマッサージ機に倒れこみ、一時間動けなかった。まあ、熱中症だったわけだ。一時間経って水を飲めるようになり、立ち上がれた。熱中症の時は水も飲めなくなるとよくわかった。私はそれほど体力がなかったのである。 それから4年後、懲りもせず再再トライ。ズンバの後で時間があったので参加した。今度は気を付けて水ではなくイオン飲料持参。ズンバに参加できるほど体力は持ち直していたので熱中症は起こさなかった。が、ホットヨガルームから出た私はかなりフラついていて、一緒に参加した人に「大丈夫?」と心配されたほどヨレヨレになっていた。 というわけで、体力快復したといっても他の有酸素運動をしたあとにホットヨガをやれるほどには体力がないのである。ホットでないヨガならいいのだが、今はホットヨガブーム。新たに入ったジムのヨガはホットヨガがほとんどなのだ。それが売りなのだから仕方ない。 ホットヨガは確かに人気で、若い人の参加も多い。それから私のようにダイエットしたいんだなと思われる人達も多い。 そこで他のプログラムには参加せずホットヨガのみ、先週参加してみた。もちろんイオン飲料持参である。 とにかく発汗量の多いこと。Tシャツは絞れば水がしたたるに違いない。私はリラックス系のヨガが好きなのだが、プログラムの多くはダイエット効果を狙うのか動きが多い。 とにかく熱中症を起こさずにホッとした。体重計に乗ってみた。ビックリ。ズンバの時より体重が落ちている。もちろん、筋肉がつくのはズンバの方だと思うが、こんなに体重が落ちはしない。何しろメタボなのだ。楽しいダンスばかりやっている場合じゃない。 ホットヨガでダイエットしたいなら週に2回から三回とネットで読んだが、それは無理だ。私はまだ現役で残業が多い。楽しいダンスもやりたい。 週に一回でも3ヶ月続けると効果が出るらしい。これは週一参加だな。 だけどコロナもどうなるか嫌なうわさも流れている。なのでオンラインと併用しながら続けていきたい。いざとなったらまたオンラインのみの運動になるかもしれないからまだ解約はできない。 ダイエットしたいがダイエット生き甲斐みたいな人生もつまらない。といってもライザッ○が人気になるのはよくわかる。体重が落ちる時の快感、達成感ったらない。洋服だって変えられるのだから。 それからホットヨガがお肌にいいというのも実感した。あんなに汗をかくのだ。一時期酵素温浴にハマっていた。かなり暑いのだが、体調は良くなるし、肌はツヤツヤ、髪の毛までサラサラになるのである。ホットヨガはさすがに髪の毛までには影響がないが、毒素が抜けて肌の調子が良くなるのは確かだ。7年前より体力がついて、熱中症を起こさずに参加できるほど、元気を取り戻せたというのも嬉しい。 だけどダンスもやりたいから、細く長く続けていこう。
November 28, 2021
コメント(2)
全2173件 (2173件中 51-100件目)