たやすく書かれた詩
窓の外で夜の雨がささやき
六畳の部屋はよその国、
詩人とは悲しい天命だと知りつつも
一行の詩でも記してみるか、
汗の匂いと愛の香りがほのぬくく漂う
送ってくださった学費封筒を受け取り
大学ノートを小脇にかかえて
老いた教授の講義を聴きにゆく。
思い返せば幼い日の友ら
ひとり、ふたり、みな失くしてしまい
私は何を望んで
私はただひとり澱のように沈んでいるのだろうか?
人生は生きがたいものだというのに
詩がこれほどもたやすく書けるのは
恥ずかしいことだ。
六畳の部屋はよその国
窓の外で夜の雨がささやいているが、
灯りをつよめて暗がりを少し押しやり、
時代のようにくるであろう朝を待つ最後の私、
私は私に小さな手を差しだし
涙と慰めを込めて握る最初の握手。
1942
年 尹東柱 24
歳
東京 獄死 3
年前
韓国の専門学校を出て、立教大学に留学していましたが、
1942
年 10
月 1
日、同志社大学文学部に専科生として入学しました。
しかし、ハングルで詩を書いたことが独立運動につながるとして、
1943
年 7
月 14
日、下鴨署に逮捕され、治安維持法違反で懲役2年の判決。
1945
年 2
月 16
日、 27
歳の若さで福岡刑務所で獄死しました。
彼の詩 100
編余りを友人たちが甕に隠して地下に保存したといいます。
「恥ずかしい」という感性は、奥深いところで神へのはじらい、
聖書で言う「罪の自覚」に通じるものです。
彼は韓国では三代目のキリスト者
だそうです。
ウィキなどからですが、こんな写真も見つけました。
立教、同志社どちらでしょう。
「言葉と文を失い、名前まで失った時代」に生きた詩人です。
本が見得を切るんだよ 2022.09.01 コメント(4)