小津安二郎の映画のタイトルには、季節を感じさせるものが多い。例えば『 晩春
』( 1949
)に『 早春
』( 1956
)。
特に秋に関してのタイトルは多く、『 彼岸花
』( 1958
)、『 秋日和
』( 1960
)、『 小早川家の秋
』( 1961
)、結果として遺作となった『 秋刀魚の味
』( 1962
)と並ぶ。彼は 12
月 12
日生まれで、ちょうど 60
歳となる 1962
年の誕生日に人生の幕を閉じた。くしくも人生の晩年期に、秋の季節を立て続けに描いたのだ。
きっと特別な理由があるのだと、多くの人は思う。いろんな評論家が彼の日記を読み解き、作品を分析して、仮説も立てている。だが、本人は例えば『秋刀魚の味』のとき、秋に公開する映画だからそうしたと素っ気なく答え、そのうえ、本編には秋刀魚など影も形も一度も出てこない。
『彼岸花』から『秋刀魚の味』まですべての作品は、小津と公私にわたって密接に交際した脚本家、野田高梧との共同執筆だが、 当時は映画の内容が全く決まっていないのに、宣伝の都合により、「とにかくタイトルだけでも決めてくれ」と先にタイトルを発表して、その後、タイトルに合わせた内容を二人で練り上げていったという。
じゃあ、タイトルにはあまり重い意味がないんだ、と言いきれれば簡単だが、記録魔だった小津の日記を読むと、そうではない記述も出てくるから油断できない。広く知られるが、彼は第二次世界大戦中、兵士として中国戦線に従軍している。その戦地で書いた文章の中には「麦」「秋日和」「浮草」「秋刀魚」と後にタイトルとなった言葉が何度も出てくる。死がすぐそばにある中で、目に映る美しいものを忘れてしまわないようにと書くかのように。
中でも秋刀魚はよほど恋しかったようで、秋刀魚を食べたいという素直な文章もあれば、俳句にも詠んでいる。戦後、日本に戻り、映画監督として充実する中、愛する母、あさゑが 1962
年(昭和 37
年) 2
月に亡くなったときには、葬儀の後、日記にこうも書いている。
「 もう下界はらんまんの春、りょうらんのさくら、此処にいてさんまんの僕は『さんまの味』に思いわずらう。
」
愛する人の不在を感じたときにふと思う、うまさと苦さ、それが小津にとっての秋刀魚の味だったのだろうか。
小津安二郎監督の『秋刀魚の味』は、なぜ秋刀魚も食べずに酒ばかり飲んでいるのか? |
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英題は、
An Autumn Afternoon
そういえば、今年はとうとうサンマを食べませんでした。
細いものが1尾100円ほどで売っていましたが、貧相で手に取る気にもならなかったです。
一昨日はブリのお刺身をいただき、昨日はイナダが安いお値段で並んでいましたが、鮭は見当たりません。
新巻鮭を1本買って囲炉裏で焼いたものが、子どもの頃の大晦日のごちそうでした。
結婚後も家から半身の新巻鮭が送られてきました。
今年は半身の冷凍品をひとつ確保してあるので、お正月に息子が来たら食べようと思っています。
ポセイドン・アドベンチャー 2024.05.31 コメント(5)
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