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『ロスジェネの逆襲(池井戸潤)』面白かった。劇画的な面白さです。いかにも、日本的水戸黄門的やくざ映画的勧善懲悪物語。奥付の最後の一文「但し、古書店で購入されたものについてはお取替えできません。」は初めて見ました。ロスジェネの逆襲2012年6月28日 第1刷発行2013年8月28日 第15刷発行著者――――池井戸潤発行所―――ダイヤモンド社 〒150-8409 東京都渋谷区神宮前6-12-17 http://www.diamond.co.jp/ 電話/03・5778・7235(編集)03・5778・7240(販売)装画――――木内達朗装丁――――岩瀬聡製作進行――ダイヤモンド・グラフィック社印刷――――勇進印刷(本文)・加藤文明社(カバー)製本――――ブックアート編集担当――田中久夫 ©2012 Jun Ikeido ISBN 978-4-475-02050-0 落丁・乱丁本はお手数ですが小社営業局宛にお送りください。 送料小社負担にてお取替えいたします。 但し、古書店で購入されたものについてはお取替えできません。 無断転載・複製を禁ず Printed in Japan
2015.12.20
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『手仕事の日本』1985年5月16日 第1刷発行1997年4月4日 第22刷発行著者:柳宗悦発行者:安江良介発行所:株式会社 岩波書店〒101-02 東京都千代田区一ツ橋2-5-5電話 案内03-5210-4000 営業部03-5210-4111 文庫編集部03-5210-4051印刷・精興社 製本・桂川製本定価 本体560円+税 (2015.9.30現在=840円+税)岩波文庫 青169-2【歴史とは、この地上における人間の生活の出来事であります。それが積み重って今日の生活を成しているのであります。】p20機械の導入で、機械は【慾得のために利用せられる形となりました。】【人間の道徳がもっと進み、機械もそれに応じて発達するなら、】【ですが機械はいつ人間の利慾から解放せられるでありましょうか。】p28と、悲観的である。すべてを機械の所為にしては元も子も無くなるように思う。所謂、町工場の技術が日本の手仕事の伝統を継いでいるのではないかと思う。 【「美術品」と呼ばれるものには、仮令どんなつまらない作品にも、何某の作ということが記してあります。】p227【工人たちはわが名において仕事をする美術家たちではありませんでした。(中略)そこには邪念が近づかないでしょう。ですから無心なものの深さに交り得たのであります。】p229~230【生活を深いものにするために、どうしてもそれは美しさと結ばれねばなりません。これを欠くようでは全き生活はついに来ることがないでありましょう。/さて生活と美しさとを結ばしめる仲立ちは、実に用途のために作られる器物であります。】p231~232熊倉功夫の解説から・・・【何が美しいかを示し、なぜ美しいかを説明し、どうしたら美しいもので世を満たすことができるか方途を示し実践すること、これが民藝運動であった。】p251この、三要素は様々の事象にあてはめられる。例えば、何が正義かを示し、なぜそれが正義なのかを説明し、どうしたら正義で世を満たすことが出来るか・・・また、何が悪かを示し、なぜそれが悪であるのかを説明し、どうしたら悪をこの世からなくすことが出来るか・・・様々な考え方の基かもしれない。やはり、哲学??? この本の面白さは、無名の人々の仕事の美しさ、「用の美」を知らされてことである。TV番組『和風総本家』を見ていると、同じことを感じる。クールジャパンもいいけれど、何処か何故かしっくりこないのです。お仕着せの限界かとも・・・。
2015.10.16
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『ひらがなだいぼうけん』さく:宮下すずかえ:みやざきひろかず2008年11月 初版第1刷発行者:今井正樹発行所:株式会社偕成社印刷所:大昭和紙工産業株式会社製本所:株式会社難波製本孫に生まれた時から毎月本(絵本など)を贈っている。その中の一冊。「い、ち、も、く、さ、ん」「たべられたもじ」「へのへのもへじ」の三篇。ひらがな各々の役割や、かたちなどを工夫して物語にしてある。作者のウィットや悪戯心など、還暦過ぎの年寄りにも面白く、感心した。小さなときからこういう本に巡り合える今の子どもたちは羨ましいかぎり。2015.09.26
2015.09.26
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少しずつ読み進めて「折々のうた」10巻と「新折々のうた1.2」。今回の中で三橋敏雄の【戦争にたかる無数の蠅しづか】が今の世相を何処か似ているように思えた。次は3巻目です。新折々のうた2著者:大岡信発行者:安江良介1995年10月20日 第1刷発行岩波書店岩波新書(新赤版) 415印刷:精興社 カバー:半七印刷製本:永井製本
2015.09.25
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『されどわれらが日々――』柴田翔文藝春秋新社印刷:凸版印刷製本:大口製本1964年8月10日 初版1964年9月15日 三版定価 340円 1964年(昭和39年)上半期の芥川賞受賞作。所謂六全協後の学生たちの青春と挫折を描いたもの。団塊の世代を中心に、二十歳前後には必ず遭遇する小説であったが、今は殆ど忘れられている。芥川賞受賞当時は大江健三郎の再来と言われた人でしたが、作家活動より大学教授の道に進んだようです。東大の文学部長をつとめ名誉教授になり、1999-2007まで太宰治賞の選考委員、それ以降は不明。 ここに書かれている事柄(気分・空気も)は70年安保を学生時代に過ごした自分には実際の出来事として迫ってきた。登場人物たちの語る、観念的なもの、具体的なもの、それらが混然一体となり物語は形成される。ただ、それだけならばよくある、で片付けられるが、小説の構成が上手い。初めに主人公(大橋文夫)が古書店でH全集を見つけ、買うところから、その蔵書印が婚約者佐伯節子の借りた本の蔵書印と同じという偶然(?)。その偶然が必然(=宿命)となる。 【何故あのH全集の一冊におされた蔵書印が、あれほど気になったか、そして、それが佐野さんの蔵書印であったと知ったあと、佐野さんの消息を知ることに、何故あれほどこだわったか、今では自分にも不思議に思われます。(中略)偶然と見える無数の事柄が重なって、その動作が行われたにせよ、その動作が起きないということは決してありえなかったという意味で、それは宿命であったし・・・】(節子が文夫に宛てた手紙)p192※その動作とは、蔵書印を見つけてしまうことになるH全集を手にしたこと。 言葉づかいは当時の学生たちの口からのように回りくどい。だが、それも含めて時代を現わしていると思う。 何気なく、手に取り最後まで読んでしまった。40年以上前に読んだはずだが、当時この考えには至らなかった。 蛇足1:節子が文夫に宛てた手紙の最後・・・【さよなら、文夫さん。(中略)文夫さん。この手紙を、私の別れを、私を、判って下さい。今こそよく判ります。あなたは私の青春でした。どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした。】p210松任谷由美(荒井由美)の『卒業写真』の歌詞に見事に重なる。曰く「あなたは私の 青春そのもの・・・」 蛇足2:その時の他の芥川賞候補は、「那覇の木馬(五代夏夫)「影絵(小牧永典)」「素晴らしい空(佐江衆一)」「風葬(坂口澪子)」の「澪」が正しくはコロモ偏「薪能(立原正秋)」「青の儀式」(長谷川敬)」「どくだみ(三好三千子)」「愛のごとく(山川方夫)」の八作品。ボクが名前のみでも知っているのは佐江衆一、立原正秋、山川方夫の三人のみ。これにはもう一篇『ロクタル管の話』が入っている。これは芥川賞候補になっている。手製ラジオに夢中の中学生の話。真空管の専門的な部分は分からないが、あることに一所懸命な中学生の気持ちは誰も同じだ。
2015.09.19
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『神々のたそがれ(アレクセイ・ゲルマン)』面白いがよく分からない映画が時々ボクを苦しめる。この『神々のたそがれ』もそれだ。『ニーチェの馬(タル・ベーラ)2011』以来の体験である。こういうものは2度見ても分からないが2度は見たいと思う。『ニーチェの馬』は1度しか見られなかった。作家の中村文則が【ここ十年ほどの傾向として、よく本や映画に触れた後の感想に「共感できたかどうか」というのがある。しかしながら、何かに共感できるのはとてもいいことだけど、「共感できないから駄目」という意見は乱暴ではないか・・・云々。共感は、人によってその方向性も、その幅も違う。「共感できなかった」という意見は、要するに「自分の内面の幅の中ではなかった」ということで、それは作品の「良し悪し」を意味しない。自分の好き嫌いの選択をしているということなので・・・云々】と新聞に書いていた。長いが引用【~】した。ボクには『神々のたそがれ』に共感できるほど『神々のたそがれ』を理解できないが、面白いと感じた。物語、作品の周辺事情は公式サイトやその他にあるので省く。サイトには「地球より800年ほど進化が遅れている別の惑星に、学者30人が派遣された。その惑星にはルネッサンス初期を思わせたが、何かが起こることを怖れるかのように反動化が進んでいた。・・・」とある。原作は1964年発表のSF小説という。モノクロの圧倒的な画面が迫って来る。物語を追いかけようとするがうまく捕まえられないまま、振り落とされないよう必至にしがみつくが何処に行くのか、何処へ連れられて行くのか分からぬままに映画は進む。そして177分が済む。嗚呼ああ・・・である。公式サイトhttp://www.ivc-tokyo.co.jp/kamigami/(●●●●●●●●●●●●●
2015.06.01
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【2010年に群像新人文学賞を受賞してデビューした淺川継太氏の最新作「ある日の結婚」は、群像2013年7月号に掲載され、各紙文芸時評でも高く評価された傑作です。ありふれた男女の恋愛がたどる奇想天外な展開と衝撃のラスト。「恋愛の究極」を淡々とユーモラスに描いて恐ろしくも美しい、一度読んだら忘れられない表題作ほか、デビュー作「朝が止まる」、フジテレビ「世にも奇妙な物語 2013年秋の特別編」で映像化され話題を呼んだ短編「水を預かる」を収録する、著者の第一作品集。【「ある日の結婚」のストーリー】毎朝、ぼくは同じ駅の同じ場所で、必ず彼女とすれ違う。いつもより早く出た日も、電車が遅れた日も、一日も欠かすことなくすれ違うのだ。偶然を超えた「奇跡」を確信した二人は急速に惹かれあうが、やがて互いの身体に対する、性愛を超えた欲望を止められなくなって……。】【~~】は講談社HPからの引用です。「ある日の結婚」はとてもエロティックで哀しくって可笑しい奇妙な物語です。ボクが最もエロティックだと感じた箇所は、映画を見た初めのデートの次のデート、雨でずぶ濡れになった二人は女の部屋に行く。そこで・・・、【―――わたしこんなふうに一緒にお風呂に入るのって、初めて……いままでは、嫌だったの……/(中略)/彼女が身じろぎして股のところをぼくに押しつけると、信じれれない滑らかさで、彼女のなかにぼくの性器が埋まっていく。いつもはこんなふうではないのだと、彼女は思いつめた、額と鼻に汗をまとわせた顔で言う。彼女の毛のなかの部分は、潰れたゼリーみたいに柔らかくなっている。湯のなかで触れても、くっきり分かるほど高密度に濡れているのだ。】【~~】はp24.25の引用。今までに出会ったことのない描写力である。この一点において淺川継太は数あるポルノ小説や官能小説を超えたのではないか。安部公房を彷彿とさせる云々らしいが、ボクには星新一を思い出させる文体であった。『ある日の結婚(淺川継太)』講談社2014年4月28日第一刷発行「ある日の結婚」・・・2013年7月号「水を預かる」・・・2011年4月号「朝が止まる」・・・2010年6月号すべて「群像」
2014.08.22
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『大江健三郎自選短編』大江健三郎が岩波文庫から出た。遂に大江が岩波文庫に・・・。それを書店で見た時の徒ならぬ気分を考えてみた。その徒ならぬ気分は決して良いものではなかった。大江がノーベル文学賞を取った時の気分は壮快であったが、此の度は嫌な感じであった。朝日・岩波・NHKと言われる。この三社ものには間違いがないという考えから翻って情報権威の三悪とも。その岩波から大江が文庫を出す。勿論、大江は岩波書店から今までも本を出しているから不思議ではないが、違和感と嫌な感じを感じた。大江のファンとしては権威主義的な影を感じたのだと思う。ボク自身は決して岩波文庫を嫌ってはいない。むしろ売れそうもない本を文庫本にし、せっせと出し続ける点を気に入っているのだ。やはり、この度のボクにとっての事件は、大江に権威の影を見たことによる不快感だと結論付けられる。飽くまでもボクの感じる権威主義的なものでしかないのだが・・・。しかし、購入したのだから自己矛盾。『大江健三郎自選短編』岩波文庫 緑197-12104年8月19日 第1刷発行
2014.08.21
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『蜜の証拠(サルワ・アル・ネイミ/齋藤可津子訳)』【人はしばしば心をひきあいに出す。しかしわたしは軀(からだ)をひきあいに出す。自分の心も他人の心も、わたしにはわからないけれど、軀なら自分のものも他人のものも知っている。】訳者のあとがきによると、2007年ベイルートで発行され、2008年著差自身の監訳でフランス語版が出た。その訳が本書。いろいろ勿体ぶってもポルノグラフィーです。しかし、なんだか回りくどくって、が感想。〈思想家〉だとか〈旅行者〉であるとかそのメタファーは結局自身の事か?以前途中まで読んだ『ダブル・ファンタジー(村山由佳)』を思い出した。アラブ圏の性事情が少しわかった様な気になります。蜜の証拠サルワ・アル・ネイミ/齋藤可津子訳2010年9月21日 第一刷発行新潮社
2014.08.01
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『ポドロフスキーのDUNE(フランク・パヴィッチ)2013』○これがなかったら、『スター・ウォーズ(1977)』も『エイリアン(1979)』も生まれる前この映画が企画されていた。しかし、流産。幻の映画と言うことになった。監督の証言とその製作に係わった人たちへのインタヴューで構成されている。衣裳や宇宙船らしきものデッサンなど実に魅力的である。しかし、ポドロフスキーの話が多くて、実際に準備したコンテやイメージをもっと受け狙いで良いから見せてほしかった。お話だけでは詰らない。7月28日(月)TV『SMAP×SMAP』の中で斎藤工がこの映画をSMAPのメンバーに勧めていたのでビックリした。こんなマイナーな映画をと、思いながらも嬉しかった。
2014.07.31
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●アナ雪 DVD115万枚予約。まだ劇場で続映中の『アナと雪の女王』のDVD(ブルーレイ)が予約115万枚と言う。映画の良し悪しは別にして、この枚数は驚きだ。特に今の我が国の傾向としては、一つのものに多くが群がり大ヒットを作る傾向にあると感じる。穿った見方をすれば、周囲が評価する(良いと言う)ので己も良いと言う。そういう風に世の中が流れている、雰囲気のみで価値が動く、自身で判断しない、あらゆる価値がそこで生まれる。それに恐怖を感じる。私は天邪鬼なので、逆の方角に動く。これでも裏返しでしかないのだが。従うミーハーと逆らうミーハーの違いでしかありませんね。
2014.07.19
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中日新聞 2104年7月16日見出し:勝手な自主規制の怖さ小見出し:「九条」俳句 掲載拒否に思う中村桂子 JT生活誌研究館館長引用します【さいたま市大宮区の七十三歳の女性が詠んだ俳句が、地域の公民館が発行する「公民館だより」に掲載拒否をされたという報道があった。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という句だ。公民館で開かれている俳句教室での互選で選ばれた一句を毎月「公民館だより」に載せることになっているのに、なぜかこの句が掲載予定の七月号には俳句欄がなかったというのである。/ここで公民館長は「世論が大きく二つに分かれる問題で、一方の意見だけ載せられない」と説明し、公民館を管轄する立場の人は「この句が市の考えだと誤解を招いてはいけない。公民館の判断は妥当だ」と言っている。(中略)ここで、「市の考え」という言葉がでてくるのもふしぎだ。/ここで行われたのは行政の勝手な自主規制である。地方自治体としてはやってはならないことだ。(中略)しかも上から禁止のお達しがあったわけではなかろう。市民に最も近いところが自主規制をした時に社会はどうなるか、考えるだに恐ろしい。】これと、同じ趣旨の論評が中日新聞 2104年7月8日第一面「中日春秋」にも載っている。
2014.07.17
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『おやじの背中』 第一話「圭さんと瞳子さん」始まって少し経ってからチャンネルを合わせる。バカリズムが松たか子(瞳子)にプロポーズしているあたりから見る。田村正和と松たか子が親子であるというのは直感的に分かる。すでにタイトルが親子だと言っている。雑誌スイングジャーナルが並んでいる部屋、「虹の彼方に(Over the rainbow)」を聴きながら寛いでいる田村正和。瞳子の好きな小説家は幸田文、二番目がサガン、好きなJazz、晴れた日はジルベルト(=アストラッド・ジルベルト)、曇っているとサラ・ヴォーンを聴く。こういう世界は最近のTVでは珍しい。私自身の好きな雰囲気だから嫌ではないが、少々嫌味にも見える。趣味が良いという悪趣味か?あざとさを感じる。とはいえ、面白いと思う。一話完結で10回の連続ドラマ。10人の脚本家の競演は楽しみである。
2014.07.14
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『収容病棟(ワン・ビン)』http://moviola.jp/shuuyou/劇場公開は前篇後篇に分けてあるが、実際は4時間にわたる長編ドキュメンタリー。中国雲南省の精神病院を撮ったもの。色々な理由で、家族や周囲の人により約200人が入院させられている病院。真っ裸のまま、枕の布を幾度も幾度も畳みなおす男、他人のベッドで一緒に寝たがる男、妻が訪ねてきて色々と世話を焼かれる男、手錠をかけられた男、裸のまま廊下を行き水を頭からかぶる男、恋愛感情にまで発展する男女。さまざまな人の景色を映し出す。しかし、それだけでは退屈極まりない。確かに、病院内にカメラを据え、延々と撮り続けることの凄まじさ、執念は大したものだ。
2014.07.12
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今日(7/10)の毎日新聞『読書はイベントにならない娯楽です』「夏の読書特集」作家伊坂幸太郎のインタヴューから・・・【最近気づいたのですが、読書はイベントにならない娯楽です。映画でもライブでも「一日の予定」となります。一方、読書はなにもすることがないからやる、待ち合わせまで時間があるから読むという普段の生活の隙間に入るもの。しかも1人でやることです。(中略)不思議な娯楽ですね。】【イベントにならない娯楽】は発見ですね。でも、【読書はなにもすることがないからやる】訳ではないのです。読みたくって読むのですから。東日本大震災の時は小説が読めなかったという。それで初めて読めたのがリョサの『チボの狂宴』や『ドートマンダー』シリーズ(ドナルド・E・ウエストレイク著)だという。大江健三郎と北方謙三を混ぜたような小説を書こうと思い書いている、と。大江健三郎とリョサが出てきたので、少し嬉しくなりました。伊坂幸太郎の映画化されたものは少し、面白く見ていますが、読んだのは『魔王』のみで、あまり面白くなかったから、その後読んでいないのです。チャンスがあれば、大江とリョサに背中を押され読んでみようかと・・・。
2014.07.10
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「戦争絶滅受合法案」 長谷川如是閑戦争をする国が戦争行為の開始か、宣戦布告の効力を生じた後、十時間以内に以下の条件に該当する人物を一平卒として召集し、最前線に送るよう定めている。1.国家の元首。君主か、大統領かは問わないが、男子であること2.国家元首の男性の親族で、十六歳以上の者3.総理大臣および国務大臣、さらに次官4.国民によって選出された立法部の男性国会議員。ただし、戦争に反対票を投じた者は除かれる5.キリスト教または他の主教の管長や僧正など高い地位の聖職者を務めながら、戦争に対して公然と反対しなかったもの―の、五つを挙げている。加えて、召集で健康状態などは考慮しないという注釈がつく。さらに彼らの妻や娘、姉妹らも看護師などとして召集し、最も戦場に近い野戦病院に勤務させるとする。つまり、戦争を決めた者たちが率先し、戦場に赴くことを義務づけている。【我等】1929(昭和4)年1月号 巻頭言より中日新聞2014年7月5日
2014.07.07
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ラブド・ワン(1965)THE LOVED ONEをVHSからDVDにダビングする。以前、TVを録画したVHS(そのほとんどは処分(=廃棄)したのですが)が少し手許にあります。その1本が『ラブド・ワン(トニー・リチャードソン)1965』です。画質は良くありません。というより悪いの最上級です。かつてはレンタルビデオが有ったらしいですけれど、しかし、日本にソフトはないのです。こういう作品をできる限り、残してあるVHSを少しずつDVDにダビングしています。あの国にはDVDがあるようです。http://www.imdb.com/title/tt0059410/?ref_=ttmd_md_..この前は小川伸介の『ニッポン国古屋敷村(1982)』をDVDにしました。これも画質はw悪い。
2014.06.30
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罪の手ざわり(ジャ・ジャンクー)『長江哀歌(2006)』以来のジャ・ジャンクーです。開巻のトラックの転覆と荷物のトマト。トマトの赤が鮮やか。そして、いきなりの拳銃による殺人。四つのエピソードから成る。叩く場面が三か所。初めの話で主人公(=ダーハイ)がスコップで何度も叩かれる。馬がこれも何度も何度も鞭打たれる。サウナの受付(シャオユー)が客に札束で、これも幾度も幾度も叩かれる。彼彼女は黙ってはいない。相手を殺す。猟銃で、果物ナイフで。「俺を苦しめた奴より悪人になってやる」いつ、何がきっかけで人は罪を犯すのか。誰にでもその危機はある。
2014.06.29
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時々衝動的に買います。本やCDまたはDVDを。今日(20140626)は文庫本5冊『雨のことば辞典』『違いをあらわす「基礎日本語辞典」』『気持ちをあらわす「「基礎日本語辞典」』『失われた足跡』『石垣りん詩集』最初の予定は、『雨のことば辞典』『違いをあらわす「基礎日本語辞典」』『気持ちをあらわす「「基礎日本語辞典」』の3冊でしたが、前から買おうと思っていた2冊も、この際と、買ってしまう。『雨のことば辞典』・・・【日本洋傘振興協議会の調査によれば、日本人一人当たりの傘の平均所有本数は男1.8本、女3.5本で、四、五人家族の家庭に10本の傘があるのが普通だという。】(2000年 単行本発行当時のまえがきより)また、腰巻には【雨づくしの1200語 甘霖(かんりん)、片時雨(かたしぐれ)、狐の嫁入り、神立(かんだち)、夜春(やしゅん)、お糞流し(おくそながし)、小糠雨(こにかあめ)、大抜(おおぬけ)、風の実(かぜのみ)、躙上(にじりあがり) あなたはいくつ知っていますか?】2週間ほど前に見つけて、いつかは手に入れようと思っていた本です。
2014.06.27
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『大いなる遺産(デヴィッド・リーン)1946』見つけました。もちろんネットで探せばあるのですけれど…。本もDVDもアナログ世界で見つけたいのです。中古DVD、少し効果でしたが即断即決で購入。原作はチャールズ・ディケンズ、アカデミー賞も2部門受賞、大好きなデヴィッド・リーン監督作品です。
2014.06.19
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『諏訪哲史の偏愛蔵書室』中日新聞平成26年6月17日(火)朝刊●見出し:人生であり回想であり告白■小見出し:日常から「遠い本」にヒント■小見出し:100作品への思いを聞く(四年二カ月の連載)【取り上げたのは、いずれも「遠い本」だ。海外の本であれば空間的に、昔の本であれば時間的に。「遠い本は読みにくいがゆえに、いろんな疑問を生じさせる。遠いものにこそヒントがある」。(※)「最近は、趣味や世代など自分の生きている範囲で書かれた『近い本』だけが好まれる。柔らかくなったものしか読まれない」と、】云々。【「本の書き手はいちいち承認されない。(中略)恐ろしく長い一人一人の孤独を持っている。孤独や虚無に耐えられず嘔吐したつぶやきが僕らの胸を打つ」と】※の部分は【だからこそ政治的、性的に危険そうな本にも嗅覚が働く。】【】内は新聞の引用その100作品、1回目がホフマンスタール『チャドス卿の手紙』100回目がウラジミール・ナボコフ『ロリータ』残る98作品に食指が動く(が、以下の理由で読まないだろう)。この秋に単行本になるという。楽しみだ。本が好きだから、つい魅かれる。先日も筒井康隆『創作の極意と掟』を読んだ所だ。以前は本選びの手引書だった。しかし、何年も生きられない年になり、読める本の限界を見極めつつ何を読むかの決断を楽しみの一つとしている。何を読むかは、何〈どの本〉を手許に置いておくか、に繋がる。データベースとしての本はどうしても手許に置きたい。その一つが文学全集だ。辞書や歳時記もその内である。映画では双葉十三郎『ぼくの採点表』やキネマ旬報『ベスト10全史』。これらがデータベース。そして、ラテンアメリカ文学、安部公房全集、大江健三郎、小林秀雄、幸田露伴、その他岩波文庫の少々と詩集、句集、映画の本+α。この位が最低限だと思っている。可也整理、処分はしたがまだ処分、整理の必要がある。だが、行動に移れぬまま日数のみ経っている。
2014.06.18
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小さなマイ・ブーム 20世紀最後の巨匠と言われるバルテュス今は東京で次は京都で展覧会行ければ嬉しい。
2014.06.14
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TV番組「ほこたて」(=やらせで終了しました)や「凄わざ(NHK)」は町工場の技術を紹介して面白い。この本は、その町工場の凄い技術を分かりやすく教えてくれる。痛くない注射針、重心が中心にある砲丸投げの玉、はやぶさ、安全な缶ぶた、目の不自由な人でも絵が描ける筆ペン、どんな人の手にもぴったり合うスプーン、100分の1ミリを削り分ける技術。100分の1ミリの違いは髪の毛の太さの違いだと、その違いを我々は触って見分けることができるというエピソード。いくらコンピュータが進歩しても人の精神・思い・心は崇高(大袈裟ではなく)であることも。困難であればあるほど作ってやろうという職人気質。その裏には想像を絶する失敗。諦めればそこで【The End】成功するまでやって、はじめて成功とは旨く言ったものだ。町工場のものづくり―生きて、働いて、考える―小関智弘2014年2月10日 初版第1刷発行少年写真新聞社
2014.06.13
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丸栄百貨店の「諸官庁忘れ物大放出市」 【今回も官公庁、JR、私鉄などからの遺失物払い下げ品を特別処分価格にて販売。 お馴染みの長傘、折りたたみ傘を中心に、杖やバッグ類、ぬいぐるみやおもちゃまで、 数々のお品を販売。】丸栄のHPより。 そこで、前原光榮商店http://maehara.co.jp/の傘を見つけました。他の傘と比べると価格は40倍くらい。しかし、迷わず買いました。手はマラッカ竹、骨は12本、色は紺。忘れ物ですから中古品です。以前から前原の傘が欲しかったし、最近名古屋の丸善で傘を買おうと思っていたから、 忘れ物でもノー・プレブレム。今年の梅雨は楽しくなります。 丸善の傘も前原商店製です。 \(^▽^)/
2014.06.05
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『僕は当初、本好きの大人が読者層だと思っていたのに、編集局から十代の若い読者の反響が大きいと聞き、嬉しかった。苦言も頂いた。「売れ筋の新刊の書評で十分。図書館にしかない絶版本を紹介されても読めない」と。僕にとって、当世的ベストセラーに阿るほど恥ずかしい読書はない。好事家であればあるほどその恥辱を知り、もし読んだ本が後に売れ筋にでもなれば、直ちに処分するか本棚の奥へ押し込むかするだろう。2010年4月から四年と二カ月、100回の連載後の執筆解雇』。より引用。【諏訪哲史の偏愛蔵書室 執筆回顧/中日新聞2014年6月3日】「売れ筋の新刊の書評で十分。図書館にしかない絶版本を紹介されても読めない」のは分かるが、本好きとすれば、図書館にあればラッキーです。図書館になければ古本屋で探す。そういうのが本好きの醍醐味です。僕は『家畜小屋(池田得太郎)1959』を愛知県図書館で借りて読んだ。他にも食指が動くこと度々であった。それに、後になって売れ筋になった本。自分は売れる前に読んだら先見の明ありとつい自慢したくなります。この、『偏愛蔵書室』が単行本になることを願います。
2014.06.03
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第九折々のうた 大岡信ほぼ毎日、湯船につかりながら読み続けて第九まで行った。 そのあとがき【機械は便利になればなるほど人をますますこき使うものだと・・・云々】1991年7月とある。これは、FAXについてのことだが、今のITはますますにますます拍車をかけて人をこき使う。第九折々のうた 大岡信1991年8月21日 第1刷発行岩波新書
2014.06.01
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Jazz、その出会い。その2前回は、新しいもの「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」のことでした。今回は、1967年のジョージ大塚トリオ「PAGE1」です。アルバムのリリースは1968年です。今から46~7年前のもの。このトリオの演奏は名古屋YAMAHAビルのホールで聞きました。「PAGE1」が出た時です。日本Jazzのレコードレーベルtactが出来、そこから多くのJazzの録音がリリースされました。この度、それら中から、ピアノトリオを選んでCDが出たようです。その中の1枚です。懐かしく、つい手が出てしまいました。実はレコードもあったのですが、レコードを聴く機械が手許には無くCDで聴くしかないのが実情です。もう半世紀近く前のものですが、活き活きした演奏を楽しみました。ページ1ジョージ大塚トリオジョージ大塚(ds)市川秀男(p)寺川正興(b)1967年10月14日録音
2014.05.29
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Jazz、その出会い。もうずいぶん前から活動していたらしいので、こちらが知らなかっただけ。2005年から活動している「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」のこと。タワーレコードで視聴して購入。それも2枚も。『夜の歴史』と『戦前と戦後』だ。久しぶりに新たなJazz(Jazzと言うよりラテンであるが)を知ったと思う。実に魅力的だ。You tubeで見て下さい。菊地成孔は『東京大学のアルバート・アイラー-東大ジャズ講義録・歴史編/大谷能生共著』で知っていたくらいで、演奏家としては全くノー・マークであった。こちらはJazzの好きな人には面白本いと思う。
2014.05.27
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本屋の棚に宇能鴻一郎の名を見つけて、おやっ?あの人はまだ現役で書いていたのか?宇能鴻一郎は【純文学の世界は一発芸で稼ぐ以外は小さなパイの取り合いだ。新聞の求めに応じて自分の文学的立場を書いたら、[先輩作家を敵視する]と評された。(中略)一刻も早く純文学から逃げ出すことだ。】とポルノ小説のモーツァルトを目指した、という。その昔、川上宗薫、梶山季之と並び密かに読む作家であった。今でもそうかも知れない。この『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化』もあだ花のようだ。そして、手に取り新作であることを確かめる。ぱらぱらとページをめくりタイトル,目次を読む。一瞬買うか買うまいか迷う。このたび、図書館(地元の図書館にはなくて、県の図書館で借りる)で借りて読む。それについても予約をして、であった。夢十夜とあるように、全部で十夜からなる・・・、第一夜 ヴィナス第二夜 殉教第三夜 少年第四夜 羅馬第五夜 聖牛第六夜 谷崎、三島第七夜 福岡第八夜 秘密第九夜 鮎子第十夜 愛人(かな)あとがき――気のむくままの謝辞と補注著者、宇能鴻一郎の少年時代からある時点までの事柄を交えながら亜礼知之君として著者が登場する。劇中劇的な扱いで、亜礼の小説が入ってくる。構成は複雑だが、それぞれのエピソードとして亜礼の小説は面白く読める。全体に貫かれているのは、亜礼(宇能鴻一郎)の芸術観だと思う。80年の人生、その豊富な経験と知識(絵画、彫刻、建築、音楽、文学、映画)が縦横無尽に繰り広げられている。実名で書かれる作家も、それらしい人を連想させる部分も、それぞれに僕ののぞき趣味的な興味をそそられる。下世話な読み方で、作者には申し訳ないが。でも、大変面白かった。週刊文春HP以下、版元のHPから、「十の夢」という形で展開される長編小説。著者自身の満州における幼年時代、殉教を志した長崎の花魁、 現代に蘇る谷崎と三島……様々なテーマが交錯し時空を超えた壮大な小説世界を構築する。三十年もの 間純文学から離れていた芥川賞作家・宇能鴻一郎復活! の書き下ろし小説。『夢十夜 双面神ヤヌスの谷崎・三島変化(へんげ)(宇能鴻一郎)』2014年3月10日 第一版第一刷井済堂出版
2014.05.25
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【明治屋 閉店】名古屋市栄の明治屋が5月22日閉店。これは、ニュースになるのですね、TVニュースでも取り上げていました。お昼休みにのぞくと、レジは長蛇の列。先週まで沢山あったワインの棚もほとんど空、他の棚も完売状態でした。この跡地は駐車場になるそうです。写真は、裏から見た明治屋のあるビルです。このビルの手前(今は駐車場)が丸善でした。
2014.05.23
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『巨匠の目 川端康成と東山魁夷』仕事の都合で数年前からこの時期に静岡に行きます。それはいつも月曜日に仕事があり一晩泊って翌日帰ります。その翌日の楽しみが<静岡市美術館>へ行くことです。今年は『巨匠の目 川端康成と東山魁夷』を見ました。美術展というより川端康成の書および収集物と本の装丁、他の作家から川端康成への手紙の展示。東山魁夷も同様に収集物と魁夷の絵。ボクには手紙と装丁が面白かった。しかし、その中で太宰治の芥川賞を下さいという手紙と菊池寛からの手紙。これは川端が菊池寛に金の無心(?)をしたものへの返事らしい。その二通は、興味は湧くが他人に見せるものだろうかと思った。すでに三人ともこの世にはいないが、歴史のかなたのものでもあるまいに…。http://www.shizubi.jp/exhibition/future_140412.php
2014.05.20
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冬がれわけてひとり唐苣(たうじき) 野水しらじらと砕けしは人の骨か何 杜国『冬の日』「狂句こがらしの巻」より。『第九折々のうた(大岡信)岩波新書』から引用。唐苣とは今の不断菜(不断草)のこと、と出ていた。その当時からあった。今ではスイスチャードと言われることが多い。写真は茎や葉脈が赤いが黄色、オレンジ色、白と様々である。そのままでも食べられるが、茎は炒めると甘みが出ておいしい。
2014.05.18
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ボクには分からないが、村上春樹読者には『木野』が一番の評判らしい。村上の不熱心な読者のボクにとっては、唯一主人公木野の聴くJazzが気になった。アート・テイタムのピアノソロや、コールマン・ホーキンスの「ジェリコの戦い」、そのベーシスト、メジャー・ホリーのことなど。古いJazzマンの名前も出てくる。特にコールマン・ホーキンスの「ジェリコの戦い」は、1962年のライブ録音。‘62はボクがjazzを聴き始めたころで、今は手許にはないが、LPがその後出て、買った思い出もある。此の度、村上春樹を読み、『ジェリコの戦い』を思い出し、そのことを考えると、実に興味深い。しかし、ボクのJazzの知識や経験の殆どが今から40年前のもので、それ以降は、それらの経験知識のヴァージョンアップ的焼き直しでしかないとつくづく思うのである。ボクの持論の一つに、ティーンエイジャーの頃、13歳から19歳までに何に凝っていたか、何が好きだったか、何に淫していたのか、寝食忘れて何をしたか、その何が人生の一部を大きく決めるということなのだが、ボクの場合それがJazzであった。結局自分はその頃から一歩も出ていないのだと、本質は何も変わらないのだと、三つ子の魂百までというが、その上にティーンエイジャーの魂も付け加えられるのだと言う事だ。少し付け加えれば、ボクのティーンエイジャーは、jazzと映画と小説とTVやラジオであった。繰り返すが、いまだにその中に居る。
2014.05.17
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昭和39年の東京オリンピックの文学者による記録『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典(講談社編)』を読む。その大会を見ることなく死んだ佐藤春夫当時72歳から29歳の大江健三郎まで40人の作家が新聞や雑誌に寄せたものを、開会式、競技、閉会式、随想の4構成で91篇から成る。錚々たるメンバー、先にあげた二人以外三島由紀夫(当時39歳)石原慎太郎(32歳)阿川弘之(44歳)曽野綾子(33歳)瀬戸内晴美(42歳)他に小林秀雄、大岡昇平、武田泰淳、井上靖、松本清張、水上勉などなど・・・。その中で、「日本人の国際感覚(武田泰淳)」を一部引く、【しかし、いくら知りたがっても、全部知りつくすことはできません。そこで、めいめいが自分流に知ったつもりになり、(略)ところが、全部を知りつくすことが出来ないという絶対条件は変わらないのだから、それぞれの専門家の意見をうかがって安心しようとする。しかるに、専門家なるものがまた、全部を知りつくすことができない人間にすぎず、また、好ききらいの偏見からのがれることのできない生物なのですから、云々】小林秀雄「オリンピックのテレビ」、円盤投げの選手が【しきりに円盤に唾を付けている。(中略)解説者の声・・・口の中はカラカラなんですよ、唾なんか出てやしないんですよ――私は、突然、異様な感動を受けた。】【勝負するすべての選手達が、その肉体の動きによって、私の眼に、何も彼も、さらけ出している。(中略)孤独だとか、自分との闘いだとか、そんな文学的常套語を使うより、選手達の口の中はカラカラだと言う方がいいかも知れないのである。】菊村到「やってみてよかった」の一節【こんどのオリンピックは、筆のオリンピックなどともいわれた。ずいぶん、おおぜいの小説家や評論家が、オリンピックについて、なにかを書いてきた。/こんなにも多くの文士が、あるひとつの行事に対して、いっせいに勝手なことを書きちらした、ということは、おそらくほかに例がないだろう。】全部を読むつもりはなかったが、あれよあれよと言う間に396pを読み終えた。『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典(講談社編)』講談社文芸文庫2014年1月10日第一刷発行2014年2月17日第二刷発行
2014.05.14
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中村義洋は『みなさん、さようなら(2012)『ちょんまげぷりん(2010)』『ゴールデンスランバー(2009)』を見ている。どれも面白かった。しかし、今回は首をかしげる。シニア料金1100円も返せとも思わない。でも、すっきりしない。あまりにも机上のお話し過ぎるからだ。いや、そうじゃない。今のTV局なんてあんなもんだ。裏も取らずに興味本位の垂れ流し状態だよと。それも含め今を照射しているのだよ。そうだとしてもご都合主義すぎないか。真犯人が誰であるかに視点はむいていない。一制作会社の男、赤星(綾野剛)のツイッターを支点に物語が展開してゆく、そのことに警鐘を鳴らすことやTVの無責任さも分かる。今の世の中の危うさだ。その点の葛藤がないのがご都合主義と言う理由だ。すべてに今更と思える。でも、時間余り遊ばせて頂いた。感謝。
2014.05.12
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単行本ではなく文藝春秋を図書館で借りて読みました。それも3作。村上春樹を読むのは初めてです。遠い昔『風の歌を聴け(1979)』を読んだくらいで、すっかり忘れていますが。まずの感想は、とても読み易い、でした。純文学でこれほど売れるのも分かる気になりました。しかし、きっとその読み易さが陥穽では(?)と用心用心であります。2014年5月8日の中日新聞夕刊、コラム「大波小波」に(男のいない女)氏が【反知性主義】を持ち出し、警鐘を鳴らしています。それには同感ですと言いたいところですが、まだ村上春樹を3作、それも短編のみの読者としては早計だからです。さて、読み終えた3作は「ドライブ・マイ・カー」「イエスタデイ」「独立器官」です。丁度単行本の前から3作品にあたります。図書館で借りた順序に従い読んだだけですから、これは偶然です。村上春樹にはよく音楽が出てくるようだ。「ねじまき鳥クロニクル」の初めにクラウディオ・アバド云々があったし、(これは出たときに立ち読み)小沢征爾との対談集もあし、Jazzについてのものもある。これらの知識は、すべて立ち読みのつまみ読みからです。記憶違いもあるかも知れません。「ドライブ・マイ・カー」にベートーヴェンの弦楽四重奏が出てきたので、手許にあるそれのCDをかけています。その程度の理解です。この読み易さの後ろにあるものが何か、それを掴むには再三再度読むことだと、思っています。いずれ単行本でと、思っています。「イエスタデイ」の関西弁訳は面白い。それもミーハー的な興味だと自分自身のことは捉えています。なぜ、今になり村上春樹を読む気になったのか、それは分からないのですが、「イエスタデイ」の訳や「ドライブ・マイ・カー」でのタバコを窓の外に捨てるところなど、単行本では変わったことを新聞で読んだからだとも思う。ミーハー的好奇心、覗き見趣味的なものが動機であったと思うのです。しかし、これを機に単行本を読み、いろいろ考えてみようと今は思っています。
2014.05.10
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1. 『同時代ゲーム(大江健三郎)』はようやく半分まで。壊す人たちの集落と日本軍との戦い、小説では「五十日戦争」と言う。リョサの『世界終末戦争』を思い出す。丁度ひと月前に三度目の挑戦と書いたが、一ヶ月で半分。2. その間に、他を色々読んだ。夏石鈴子『わたしのしくみ』や伊藤比呂美の『閉経記』など。ボクはこの二人を同類の作家と見ている。女流として日常的な性を書いている。『ダブルファンタジー』のような御伽噺的(まさにファンタジー)なものもあるが、ボクは鈴木や伊藤が好みだ。3. 今、齧るような読み方をしているのが『万葉集(一)(岩波文庫)』『武玉川(岩波文庫)』『不眠の森を駆け抜けて(白坂依志夫)』『おふくろの夜回り(三浦哲郎)』。4. そして、『コヨーテのおはなし(リー・ペック/さく・ヴァージニア・リー・バートン/え・あんどう のりこ/やく)』と『ちいさいおうち(ヴァージニア・リー・バートン/さく え いしい ももこ/やく)』を読む計画。自分の読書の本流は、『同時代ゲーム』であり、その次はリョサの『ラ・カテドラルでの対話』の予定。2~4の部分は、支流の読書。だが、読書には本流も支流もない。
2013.06.23
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昨日今日(5/25・26)の畑で、グリーンピースとスナックエンドウを抜き其処を耕す。グリーンピースは豆ご飯にして頂く。一部は子供の所に送る。その他、胡瓜の手を取る為の網を掛け、モロッコインゲンを植える。もちろん一人で全部したのではない。どちらかといえば、自分は手伝いの側。読書は『同時代ゲーム』を読み始める。今回が3度目の読み始め。今までの2度は初めの章である「第一の手紙」の途中で挫折(?)。兎に角この小説はわかりづらい始まりをしている。きっと書き手の大江健三郎はあえてそうしているのだと思う。『万延元年のフットボール』もそうであったが、よりややこしい書き方だ。リョサの『緑の家』も同じであった。だが、こういう本は読み進めるとある時点から大変面白くなる。そういう期待がるので止められない。
2013.05.26
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手許にあるDVDの整理をしていたら突然『ピクニックatハンギング・ロック/監督ピーター・ウィアー(1975)』が気になった。手許にはないが、深夜TVを録画して見た記憶がある。早速DVDを借りて見た。1900年の豪州、ピクニックに行った女生徒3人と1人の教師が行方不明になる。1人の女生徒は見つかるが、ついに他は行方不明のままという話。ボクが常々思うのですが、映画とTV(DVD)の違いは?ボクの場合、TV画面でDVDを見る際、どうしても物語の確認、劇場で観た映画の場合は追体験という感じになる。矢張り、物語を追いかけている自分を感じる。『ピクニックatハンギングロック』でいえば、ピクニックをする山の風景や女生徒たちの服装や等々を映像として見る時、スクリーンで見たいと思うのです。だから、映画(=映像と音と物語と・・・)でありTV・DV(=は画面とセリフと・・・)であり、論を翻し乱暴に言えば、映画は監督、TVは脚本家で見るという基準がボクにはある。徒然なるままに思うのです。
2013.03.03
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鳥を見るのが好き。見るより観る、です。囀りが聞こえるとそちらに目をやる。すると時々鳥が見える。見えないことも多い。休日の朝の散歩で鳥を見ることがある。以前は小さな単眼鏡をポケットに入れて歩いた。囀りや動くもの〈=飛ぶもの〉を見つけてはそちらを単眼鏡で覗くが中々鳥を見られない。先日、家人が舞台を見る時に使うため少しだけお金を掛けて、双眼鏡を買った。8倍。それを首からぶら下げて散歩に出た。するとどうだ、今まで見られなかった鳥を視野が捉えた。安物の単眼鏡では決して捉えられなかった鳥だ。単眼鏡の所為にしてはいけないが、鳥が捉えられないのでなく鳥を捉えられないのだ。動くもの、聞こえるもの、検討を付けてその方向を見ると不思議(?)、鳥が居るではないか、である。幾年も同じコースを散歩してきたが、初めて見る鳥の姿であった。この日に限って、今まで居なかった鳥が来た訳ではなかろう、今までは見る能力が無かっただけだ。そう思った。この差は?双眼鏡の力である。お金の掛け方だろう。それが快適に繋がった。Comfortableだpleasantだ。今更ながら思う事。金で色々なものが買える。
2013.02.27
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今日2月23日この五冊を借りました。果たしてどれほど読めるだろうか・・・?1. 竹馬狂吟集2. いまは昔 むかしは今 第2巻3. 日活1954-19714. MOVIE:BOX5. テーマ別世界神話イメージ大百科1=3,500円2=8,000円3=4,700円4=3,800円5=9,500円以上、締めて29,500円。これほどの書籍費は使えるものではありません。1と2は借りようと思って借りたもの。3,、4、5は書棚で見つけたもの。1の中にある「新撰犬筑波集」を読みたくて借りる。最初の句は「春」で、霞の衣すそはぬれけり佐保姫の春立ちながら尿をしてその他、内は赤くて外はまつ黒知らねども女の持てる物に似てまことにはまだうちとけぬ中なほりめうとながらや夜を待つらんなどなど興味深いものばかりです。この「新撰犬筑波集」は、新潮日本古典集成の一巻です。
2013.02.23
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【信彦氏が日本のミステリー業界に関わっていた青春期を描いた4篇を集めたもの。「夙川事件」(単行本初収録)は全て実名で谷崎潤一郎・渡辺温を軸に戦前の博文館周辺を語る。「半巨人の肖像」「隅の老人」「男たちの輪」(単行本初収録)は擬人化して(信彦氏=今野、江戸川乱歩=氷川鬼道)『宝石』『ヒッチコック・マガジン』の人間関係を活写。】【】上記はネットから引用。ボクは、「男たちの輪」以外は、読んでいたが、殆ど忘れていた。一番新しい「夙川事件―谷崎潤一郎余聞―」は雑誌発表時に読んだ。以前のボクは小林信彦と言うだけで、雑誌発表時、単行本、その文庫本と同じものを嬉々として三度、時には四度も読んだ。そういう時期があった。思えば、「うらなり」辺りがその最後?「うらなし」を文庫本では読んでいない。この『四重奏』は書店で見かけた。思ったのは「夙川事件―谷崎潤一郎余聞―」が入ったなぁ、と言う程度。「隅の老人」には色々な所でお目にかかっている。「男たちの輪」は今回初めてであった。「男たちの輪」の最後のところ。映画『仁義なき戦い/頂上作戦』のラストシーンを思い出した。と言いながら、今回の読書は大変しんどかった。読んでいて退屈(?)なのだ。ワクワクしない。ボクの興味の方向が変わったのだろう。週刊文春の連載は時々読むが、別に退屈はしない。短いものを読む限りは何でもないのかも知れぬ。何故かは分からぬ。四重奏 カルテット小林信彦幻戯書房2012年8月28日 第1刷発行
2012.10.17
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『現代の作家一〇一人(百目鬼恭三郎)』阿川弘之から和田芳恵までの一〇一人を切り刻んで一歩も退かない。読み手にとっては痛快。誰の評かは伏せるが、【純文学か通俗小説かは、物語性が弱い強いで決まることではなくて、文章の力によって左右されるものなのだ。このことを、私たちは良く心得ておく必要があろう。】大岡昇平のところ、【人は年をとると、想像力を失う代わりに、事実に対する興味がつよくなって考証趣味に陥るといわれる。大岡の近年(*)の傾向も、ひとつにはたしかに年のせいであろう。】【私たちは考証家大岡に、新しい文学、たとえば露伴の『運命』のごときもの、を期待できそうな気がしてならないのだ。】佐多稲子のところ、【佐多稲子の処女作『キャラメル工場から』を読むと、小説の上手下手は天分次第だ、ということを痛感させられる。むろん、教養や修行によって段々小説が上手くなってゆく作家もいて、云々・・・一言でいうと、天性のうまさのほうがより直接に読者の心をとらえるものである。】これら101人の評を読みながら、手許の本を漁ったり、図書館で借りたりしました。佐多稲子の短編「水」は面白く読みました。また露伴の「運命」に手をつけたのですが難しすぎて・・・、辞書を片手に、というより辞書(漢和辞典)と首っ引きで解読というように読んでいます。いつまで掛かるか今はわかりません。そして、前書「この本の宣伝のための架空講演」・・・【これまで熱心な文学読者ではなかった私は、純文学と大衆文学の差はそれほどなかろう位に考えていたのであります。ところが、よく読んでみると、その差が予想以上に大きいことを知って驚いたのですね。通俗小説を純文学作品と同列にならべたのでは、悪口を書くほかなくなる(笑声)。で、通俗小説のほうは、できるだけそのとりえを推奨することに重点をおくことにしたのであります。にもかかわらず「けしからんことを書いた」と腹を立てて騒いだのは、甘くしたはずの通俗小説作家ばかりだった(笑声)。通俗作家のほうは、日ごろ雑誌の編集者からほめられてばかりいて、まともに批評されたことがない。だから、ちょっとでも自分の欠点を指摘されると、カッと頭に血がのぼるらしいのですね。ことに女流はそうらしい(笑声)。】云々・・・この後は痛烈【悪口をいわれて腹を立てるのは、人間性が健全な証拠である。実をいうと、私はそれまで、この人たちがあんな小説を平気で書いていられるのはどういう神経なのか、よくわからなかったのですね(笑声・拍手)。それがこれでよくわかって安心したような次第であります。】初めに紹介した「誰か」は日経新聞連載の小説が有名ですね。これを再び読むきっかけは、本の処分で整理をしていて見つかったもの。百目鬼恭三郎をまとめて読んだことがある。百目鬼恭三郎は「風」の名で週刊誌の文学批評を書いていた。ボクは「風」の書評を2冊読みその後これを読んだように思う。今回の方がより面白く読めたようだ。「ようだ」というのは、以前に読んだ時の記憶がないからだ。百目鬼恭三郎と一緒に見つけたのが山本夏彦の後期の評論である。それも処分を免れた。*昭和48年2月から50年3月にかけて、朝日新聞に連載された「作家Who’s Who」の単行本。だから、近年とは48年2月から50年3月のこと。【】内 引用。現代の作家一〇一人百目鬼恭三郎(どうめききょうざぶろう)発行/昭和50年10月20日10刷/昭和53年12月25日新潮社
2012.09.17
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東日本大震災をはさんで書かれた8編の短編集。「光線(2011/10)」「海のサイレン(2011/12)」「原子海岸(2012/2)」「ばあば神(2012/4)」「関門(2011/2)」「夕暮れの菜の花の真ん中(2011/4)」「山の人生(2010/7)」「楽園(2010/11)」「楽園」について大学のゼミ、コミュニケーション学の実習で鍾乳洞の洞窟探検。その中に洞窟潜水というのがある。白蓮洞(これと同名の洞が東北にあるが、この話は山口県=秋芳洞が舞台)の地底湖を巡り語られる。その地底湖の第七新洞を発見した瀧山晋司とゼミ学生とのメールが興味深い。実は第七新洞を発見したとされる瀧山晋司を含むチームは、発見時あまりにも第七新洞が深く途中で引き返している。その翌年イギリスの調査隊が踏破して終点に到達したが、その成果を彼ら(=瀧山ら)に譲った。だが、瀧山はその翌年単独で第七新洞を潜り直し、イギリス隊の到達点を超えた奥に、さらに1キロメートルに及ぶ支洞、第七超新洞を発見するも、そこで瀧山は支洞に迷い込み約七時間さまよい帰還する。潜水開始が午前10時、帰還が午後8時45分。なんと8時間45分洞窟に居たことになる。帰還後瀧山は廃人同様になるが二年後奇跡的に復帰する。学生とのメールは復帰後のもの・・・、ボクが興味を持ったところを引用します。【瀧山晋司:闇は物量でも、奈落でもありません。闇は人間の精神の中にあり、洞窟の闇は簡単に光りを持ち込める軽い種類の闇と感じます。一枚田梨花(学生):確かに闇は光りを持ってくればすぐ払われますが、ライトが消えてしまって二度と点かないとしたら、それでも軽い闇と言えますか?瀧山:ともかく光源さえあれば暗くなるという意味で、洞窟の闇は軽いです。(言葉の限界を感じますが)p207~208】【瀧山晋司:造物主の存在に拮抗するものの一つとして科学があると思うのです。多くの場合、洞窟の存在の仕方は科学の推測するものと違う形で存在します。p210】ボクが面白いと思った(=興味を持った)のは、【光源さえあれば暗くなるという意味で、洞窟の闇は軽い】の所。光源があっても暗い所、それは地上には無いのだろう。宇宙の中にはそういう場所がある?このような話を読むと、今の電気不足が云々と言われているが、闇(=暗さ)なんかは高が知れていると思うのだ。次の引用は、科学(=理論・理屈・計算など)は自然を予測しきれないと言うことの、一つの証明。政府などの統計の予測も多くの場合外れる。人の動き(=変化)や自然の動き(=変化)は造物主の掌の上か?科学の予測は一つの見解であり自身の勘と経験も一つの見解ということ。どちらが重い訳ではないだろう。「楽園」の参考書『未踏の大洞窟へ(櫻井進嗣)』を見てみたい(読みたいではなく、パラパラと見てみたい)。『光線(村田喜代子)』文藝春秋/2012年7月15日第1刷発行
2012.09.08
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●『[劇場版]ライバル伝説 光と影(菊野浩樹)』【人生において「ライバル」はいた方がよいのだろうか。それともいない方がよいのだろうか・・・。 TBSテレビで放送され、好評を博した「ライバル伝説・・・光と影」と「スポーツ人間交差点・・・光と影」をテレビ放送時には入りきらなかった未公開シーンを加え、大幅に再構成・再編集。日本のスポーツ史に名を刻んだ選手達。あの時何を思い、いかにしてその後の人生を歩んできたのか。当事者が語る戦いの真実と、積年の思いを、それぞれの視点から描いていく。ナレーション=堤真一】【】内はチラシから。これらのドキュメンタリーはいずれもTV局の手になるもの。『ライバル伝説 光と影』は[劇場版]と敢えていうのは、劇場で公開するためにTV放送したものを再編集したもの。よくあるパターンだ。ボクはそもそもドキュメンタリーは劇場ではなくTVでより多くの人に見せるのがよいと考えているので、このように劇場でみることは若干気になるのですね。民間放送局のドキュメンタリーは、その作り手によほどの思い入れや根性がないと作れないように思う。放送局も営利企業であり現場は相当大変であろう。でも、そういうことの好きな人が作るドキュメンタリーの面白さは格別である。今回の二本も大変面白く見た。ライバルそれぞれが会うラスト。江川卓と西本聖のそれ、有森裕子と松野明美のそれはまさにドキュメンタリーのドキュメンタリーと言えるもの。互いに憎悪に近い感情を持っていた時期があり、番組とは言え積年の思いを持ちながらの面会。複雑であろう。そして、その思いの嵩の微妙な違いが面会の場面に現れる。江川より西本、有森より松野、その嵩の差をカメラは映像と音声で捕らえる。それが映画(=TV)だ。そして、面会の中でその嵩の差が無くなってゆく。相手のことを態度、表情、言葉で知るからだ。直接会って話すことの大切さが見て取れる。こういう価値が副産物として出てくる。矢張り、面白い。松野よりも嵩の少なかった有森が会って後に嵩が増えてゆく過程も見事に映像は捉えていた。●『死刑弁護人(齊藤潤一)』【光市母子殺害事件、オウム真理教事件、和歌山毒カレー事件……数々の重大事件で被告の弁護人を務めてきた安田は“鬼畜”“悪魔”と呼ばれ、社会の嫌悪と批判を一身に浴びてきた。「マスコミは人を傷つけることが多い。特に弱者を」と語る彼はほとんどの取材を拒否しているため、その生き方や心情を知る機会も少ない。本作は、そんな安田に密着、なぜリスクが多い“死刑弁護人”という道を選んだのかを、手がけた事件を追いながら描いていく。また、不動産会社に所得隠しを指示したとして安田自身が逮捕された、通称「安田事件」の真相にせまる部分も見逃せない。多くの問いを投げかけ、見る者の心を揺さぶる、スリリングな97分。ナレーション=山本太郎。】【】内はチラシから。この続きはまたいずれ・・・。
2012.07.09
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この「ちくま日本文学全集」は1991年芥川龍之介と寺山修司を皮切りに、当初は全50巻で刊行され、途中から全60巻になった、文庫本サイズの全集である。金額は1000円丁度。 最近、装丁を変えて全40巻で復刊された。 さて、先日読んだ『遅読のすすめ(山村修)』に柳田國男の「木綿以前の事」があった。『木綿以前の事』は岩波文庫がある。山村修が触れているのはこちらの方だが、手許に「ちくま日本文学全集」柳田國男があり、そのなかの「木綿以前の事」を読んだ。 気になった記述を引く・・・、 【久しい年月を隔てて後に、あるいは忍びがたい悪結果を見出したとしても、これによって先祖の軽慮は責めることはできぬ。ただ彼等の経験によって学び得る一事は、かようにいろいろの偶然に支配せらるる人間世界では、進歩の途が常に善に向かっているものと、安心してはいられぬということである。(中略)静かに考えてみると損もあり得もある。その損を気付かぬゆえに後悔せず、悔いても詮がないからそっとしておくと、その糸筋の長い端は、すなわち目前の現実であって、やっぱり我々の身に纏わって来る。どうしてもひとりの力では始末のできぬように、この世はなっているのである。】 【(木綿による)熱の放射の障碍である。近い頃までも夏だけはなお麻を用い、木綿といっても多くは太物であり、織目も手織で締まらなかったから、まだ外気との交通が容易であったが、これから後はどうなって行くのであろうか。汗は元来乾いて涼しさを与えるために、出るようなしくみになっているものに相違ない。湿気の多い島国の暑中は、裸でいてすらも蒸発はむつかしいのに、目の細かい綾織などでぴたりと体を包み、水分を含ませておく風習などを、どうして我々が真似る気になったのであろうか。】 大正13(1924)年10月 柳田國男49歳の時 以上。 今読むと色々なことが頭を巡る。 ちくま日本文学全集/柳田國男1875-1962 033 解説:南伸坊 1992年6月20日 第一刷発行 筑摩書房
2012.05.15
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この人(山村修または[狐])の本はボクには猛毒である。それは前にも言ったこと。やはり、これも猛毒であった。が、少々免疫力がついたと思うが、その毒気に当てられずに進むところもあった。そもそも読書=毒書。そして遅読=知毒、速読=即毒。多読=多毒、少読=少毒。であると勝手に解釈。さて、本書で月に100冊読むF氏や速読派のT氏を一方に据え、山村修は真正面からその方法にノンを唱える。その意気や善しである。そして、山村修の言う読書とF氏、T氏のいう読書(何冊読んだ)の意味が違うのではないかと指摘する。即ち、【山村修=一冊読む=通読】 【T氏=一冊読む=目を通す、部分的に読むあるいは調べる・参照するために読む】の違いと。週刊文春T氏の「私の読書日記」を最近の号で見たところ、本を買ったと書いてあるが読んだとは書いてなかった。ボクの偏見かも知れぬが・・・。読書=快楽 文字による快楽 文字によって作られた言葉による快楽言葉と言葉によって作られる表現(文章)による快楽表現によって作られる思想にふれる快楽その思想によって垣間見られる作者〈筆者〉の思いを知る快楽作者の思いに近づく快楽畢竟、快楽とは時間をかけることであり、ゆっくり行為することで得られる・・・、何事も。食べることも、眠ることも、そして×××ことも。そう確信する。今回は、多少毒気を避けられたと言うものの、本書の冒頭にある『我輩は猫である』の引用部分を確認したり、『更科日記』や『赤い百合(アナトール・フランス)』、ビンバ・ランドマンの絵本『ジョットという名の少年』を図書館から借りてきたりしたのである。そして、俳句の読みについての部分は、白眉と思う。【かもめ来よ天金の書をひらくたび 三橋敏雄北村薫がのちになって作家・須永朝彦の『扇さばき』という本を読んでいると、この句について書かれている文章があったという。/その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。/そのとき読んでいた北村薫の本を、私(北村修)もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。/たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。】【】は引用。この句は、随分前10年以上前に読んだと思う、ただただイメージのみの読みで済ませていた。青い海と白いかもめ、灯台とバスクシャツの男、その程度。《見巧者》という言葉があります。芝居などの見方の上手い人と言う意味。芝居を映画にしてもいいと・・・。小林信彦は渥美清を見巧者と言っていました。そして、山村修は《読巧者》とでも言える。だから、ボクには猛毒なのだ。増補 遅読のすすめ山村修 2011年8月10日 第一刷発行ちくま文庫 き19-3「遅読のすすめ」の初版は2002年10月 新潮社
2012.05.09
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『少年と自転車(ダルデンヌ兄弟)』これほどに、見終えて直ぐに気持ちが柔らかく優しく仕合せな気持ちになった映画はいつの事か思い出せないほどで久々の体験である。お見事!!と言う他ない。一言で言えば「少年の成長物語」。それが大人も含め、見る側の気持ちまで巻き込むような物語になっている。「朝日新聞デジタル(「少年と自転車」ダルデンヌ兄弟×樹木希林対談)」の記事を引く・・・、「リュック」:私たちの撮影は、リハーサル期間がすごく長いんです。撮影前に40日間と演劇並みです。リハーサルでは身体的な部分から始めます。動きを通じて俳優は登場人物の中に入り込んでいきます。今まで殆ど有名な俳優を使っていない監督が、今回セシル・ドゥ・フランスを少年の里親役に起用した。それについて・・・、「リュック」:セシルの場合、それまでのキャリアで身につけた技術がある。でも今回の相手役は少年で動物的。ただそこにいるだけで存在感があります。一方、彼女の方は自分の技術を完全に見えないようにしないと存在感が出てこない。時間はかかりましたが、セシルは自分でそれに気がつきました。歩き方、見つめ方、ふりかえり方を「普段はつくるけど、今回はつくらない」と。これを読むとセシル・ドゥ・フランスも凄いなあと思う。リハーサルの長さだけではないと思うが、まさに練りに練られた作品。わずか(今は長い映画が多い)87分であるが、濃密だ。少年シリルが木炭の紙袋を抱え自転車が左に曲がり画面が暗くなる。映画が終わったのだ。これほどに、見終えて直ぐに気持ちが柔らかく優しく仕合せな気持ちになった映画はいつの事か思い出せないほどで久々の体験である。お見事!!と言う他ない。一言で言えば「少年の成長物語」。それが大人も含め、見る側の気持ちまで巻き込むような物語になっている。何故、父は頑なにシリルを拒むのか?何故、サマンサはいくら頼まれたからと言って、男を捨ててまでシリルの里親を続けるのか?特にサマンサの件は気になる。人は一人では生きてゆけないと、ダルテンヌ兄弟監督は語っているが、それでは当たり前すぎるであろう。もっと他に何かがなければ、サマンサの行為は分からない。そして、音楽がいい。印象に残ったのは二場面。一つは、父親に盗みで貰った金を渡しにいくが断られ自転車で帰るときのバック。ベートーヴェン?それとエンドタイトルの音楽。ピアノ協奏曲?いずれもよい。いずれ、既存の曲だろう。分かればよいが・・・。
2012.04.25
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『ドライヴ(ニコラス・ウィンディング・レフン)』開巻から100分、目を離せない、緊張感いっぱい。クリスタルガラスのような清澄な緊張感、あるいはミステリーやホラーにある次に何が起こるかが分からないドキドキさせられる緊張感とは全く異なる。ライアン・ゴズリングの肉体や表情が醸し出すもの、その画面から伝わって来るもの、すべてが緊張感を生み、見るものにその重圧が伝わる。今まで経験した事のないカッコよさ。ジョニー・トーの様式美的スタイリッシュとは異なるスタイリッシュだ。人間の精神・肉体のスタイリッシュとでも言えばよいのだろう。アメリカ映画だがどうしてもヨーロッパ映画にしか見えない。私のイメージするアメリカのカッコよさではないからだ。フランスか、東欧か。惚れた女へのストイックな接し方や、最後まで羽織り続けたサソリのブルゾンとそこに付いた血。それらのディテールが生み出す緊張感。新しい感覚を見た。
2012.04.19
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見ている間、これほどきつい映画は最近無かった。きついが退屈ではないし苦しくもない。ただただ、スクリーンの前で身を潜めて映し出されるものを凝視続けるしかなかった。父と娘の六日間を映画は写している。が、記録映画ではない。歴とした劇映画。だが、写していると書かざるを得ない。そこにあるドラマがそう云わせる。ジャガイモをただ茹でるだけの食事。そのカットを四方から見せる。四回の食事場面を、その都度違う方向から撮っていくが決して斜めではない。右手の不自由な父親は、その熱いジャガイモを拳で叩き潰しその皮をとりながら食べる。娘は両手で同じように皮を剥きながら食べる。始まりは父親が駆る荷馬車と馬と吹き荒れる風の場面。馬と父親、吹き荒れる風、風に舞う木々の葉の場面が延々と続く。右腕の不自由な父親の着替えを手伝う娘。その着替えの場面も幾度か繰り返される。恰も写真集のページを繰りながら見ているようだ。それが、二人の日常。その日常が日々のわずかな変化とともに描かれる。だが、その変化こそが怖しい。それだけのことがドラマになる。劇になる。物語が生まれる。それに映画館という空間で立ち会う。それが『ニーチェの馬』を見ることだ。見ている間は確かにきつかった。こういう体験はもういい、と思ったが・・・。こう書いている今、もう一度『ニーチェの馬』を見たいと思っている。154分の体験を再度したいと・・・。
2012.04.13
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