意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

2007.10.19
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カテゴリ: 珊瑚海海戦
(ウツボ)昭和17年5月7日~8日に行われた珊瑚海海戦。それに到るまでに、連合軍と日本帝国海軍は、昭和16年12月8日の開戦以来8つの海戦を行っているね。

(カモメ)そうですね。真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)、マレー沖海戦(12月10日)、ウェーキー島攻略戦(12月11日)、ジャワ沖海戦(昭和17年2月4日)、バリ島沖海戦(2月19日)、スラバヤ沖海戦(2月27日)、バタビア沖海戦(3月1日)、セイロン島沖海戦(4月5日~9日)ですね。

(ウツボ)開戦以来、これらの海戦は日本帝国海軍が一方的勝利で勝ち進んできた海戦だ。

(カモメ)そうですね。これらの海戦で日本帝国海軍の失った艦船は、ウェーキー島攻略戦で駆逐艦「如月」と「疾風」の二隻だけです。

(ウツボ)いかに一方的勝利かということだね。それに対して真珠湾攻撃を含めた8つの海戦で連合軍側は23隻の、戦艦、巡洋艦、駆逐艦を日本帝国海軍に撃沈されている。

(カモメ)「米軍が記録したガダルカナルの戦い」(草思社)によると、空母対空母の初対決という世界の先史に残る珊瑚海海戦は昭和17年5月7日早朝から火蓋を切ったのですね。

(ウツボ)うん。だが、その前に、なぜ珊瑚海海戦が行われたか、それに至る、当時の日本海軍と米軍の作戦状況を話しておこう。

(カモメ)そうですね。日米開戦当初から短期決戦を企図していた山本五十六連合艦隊司令長官は、初期の第一弾作戦で真珠湾攻撃に続くマレー沖、インド洋の各海戦で勝利を収めたのですね。

(ウツボ)そうだね。それで、第二段作戦でも攻勢を維持し、米機動部隊を壊滅に追い込もうと考えていたんだ。

(カモメ)大本営は昭和17年4月、第二段作戦を決定しました。

(ウツボ)その第二段作戦の一つがオーストラリア領ニューギニア南部の一大軍事基地ポートモレスビー攻略であり、もう一つは六月に予定しているミッドウェー島攻略作戦だった。

(カモメ)ポートモレスビー攻略の意図はオーストラリアとアメリカを遮断して、オーストラリアを孤立させることにあった訳ですね。さらにポートモレスビーを占領し、そこを基点としてオーストラリア北部を攻撃する作戦を立案していたのですね。

(ウツボ)それはね、そういう作戦上のことがあるのはもっともなんだが、現地の日本海軍のゼロ戦パイロットたちは、悲鳴を上げていたんだ。撃墜しても撃墜しても、ポートモレスビー基地から敵戦闘機が次から次に増強されてやって来る。米豪英の連合軍の航空機が次から次に補給されていたんだ。

(カモメ)それで最初は陸軍が陸路からポートモレスビー作戦を立案、攻略に踏み切りましたが、さすがにスタンレー山脈は越えられない。

(ウツボ)そうだね。「図解雑学太平洋戦争」(ナツメ社)によると、ポートモレスビーの北方には4000メートル級の山々が連なるスタンレー山脈がそびえており、陸路からの攻略は困難であったと記されている。

(カモメ)それで海路から陸軍の攻略部隊を輸送して上陸作戦を行うことが決定された。

(ウツボ)「昭和日本史4太平洋戦争前期」(暁教育図書)によると、ポートモレスビーを海路から攻略する作戦は「MO作戦」と呼ばれたんだ。

(カモメ)連合艦隊司令部の作戦命令により、MO作戦の総指揮官である第四艦隊司令長官・井上成美中将は、六戦隊(重巡四)と空母祥鳳を中心に、水雷戦隊、上陸部隊を乗せた輸送船団をもって編成しました。

(ウツボ)そう。これが「MO攻略部隊」と呼ばれた。指揮官は第六戦隊司令官・五藤存知少将だね。

(カモメ)だが総指揮官である井上中将は航空兵力の整備が不十分であるため、より強力な空母を増強するよう軍令部に要請しましたね。

(ウツボ)慎重で思慮深い井上中将は、先を読んでいた。

(カモメ)そこで軍令部は第五戦隊の重巡妙高、羽黒、および駆逐艦二隻に加え、南雲部隊から真珠湾攻撃で活躍した空母翔鶴(25675トン)と瑞鶴(25675トン)を中心とする第五航空戦隊(原忠一少将指揮)と駆逐艦四隻を増派することにしました。

(ウツボ)この部隊を「MO機動部隊」と呼んだ。指揮官は第五戦隊司令官・高木武雄中将だね。

(カモメ)ポートモレスビー攻略作戦は「MO攻略部隊」と「MO機動部隊」の二つの部隊で実施されたのですね。

(ウツボ)ところが、ハワイのパールハーバーにあった米海軍情報部は、暗号解読で日本軍の「ポートモレスビー作戦計画」を知っていたんだ。もうこの時点で暗号は解読されていた。それで情報部は米太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督に情報を転送したんだよ。

(カモメ)米艦隊司令部は情報を検討した結果、日本海軍は5月初めにポートモレスビー攻略を実施するであろうと読みました。

(ウツボ)それで、その作戦を阻止するために迎撃準備に入ったんだ。それが4月17日だね。

(カモメ)ニミッツ提督は回想記で「そのときすぐ使用できる空母はF・J・フレッチャー少将のヨークタウン(19900トン)とオーブリー・W・フィッチ少将の空母レキシントン(36000トン)部隊だけであった」と述べています。

(ウツボ)そうだね。珊瑚海方面にすぐに回せる空母はその二隻だけだった。だけどレキシトンは当時世界最強の空母だったから、ニミッツ提督は勝算はあったんだ。だから、その空母二隻を中心に第十七機動部隊を編成して珊瑚海に送り込もうと即座に決心したといわれている。

(カモメ)「戦艦大和と艦隊戦史」(新人物往来社)によると、米軍は第十七機動部隊を編成し、5月1日、珊瑚海南東海上に集結し、日本海軍のMO部隊を待ち受けました。

(ウツボ)そう、待ち受けていたんだ。指揮官はヨークタウンのF・J・フレッチャー少将が任命されたんだ。

(カモメ)その陣容は空母二隻、重巡七隻(内オーストラリア艦二隻)、軽巡一隻(オーストラリア艦)、駆逐艦十一隻(内オーストラリア艦二隻)、給油艦二隻でした。

(ウツボ)緊急にかき集めた艦隊だったんだね。それほどポートモレスビーは航空基地として連合軍にとって、作戦に重要なポイントだった。







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最終更新日  2015.08.30 08:58:16


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