意外な戦史を語る~  カモメとウツボのメクルメク戦史対談

意外な戦史を語る~ カモメとウツボのメクルメク戦史対談

2011.03.18
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カテゴリ: 海軍予備生徒
(ウツボ)佐々木大尉は佐世保鎮守府附に発令されていたので、9号輸送艦を退艦した。昭和二十年三月一日、佐々木大尉は父島方面根拠地隊附を命ぜられ、特設駆潜艇「文丸」(三五九トン)の艇長に任命された。

(カモメ)五月二十九日、八丈島輸送のため、「文丸」は横須賀港を出港しました。ところが、大島東方を南下中、P-51戦闘機六機と交戦、機銃掃射で艇は蜂の巣のようになったのですね。

(ウツボ)そうだね。佐々木大尉も被弾して、両腕を止血し、右足を縛り、応急手当をして館山湾までたどり着いたが、その後意識不明になった。気がついたら館山海軍航空隊の病室だった。

(カモメ)その後、佐々木大尉は横須賀海軍病院に移送されました。重傷のため、退院したのは五月二十五日でした。そして終戦を迎えたのです。

(ウツボ)次に、水産講習所・遠洋漁業科四十六回生の高橋利治氏の手記も紹介してみる。高橋利治氏は遠洋漁業科(予備生徒)を卒業し、昭和十九年十月一日海軍少尉に任官した。

(カモメ)昭和十九年十一月、駆逐艦「夕風」(基準排水量一二一五トン)乗り組みました。仕事は、航海長を補佐して、通信、信号、操舵、レーダー、ソーナー等を総括しました。かなり激務でした。

(ウツボ)先任将校は海軍兵学校出身だった。呉に入港すると、先任将校と兵学校同期の駆逐艦乗り、潜水艦乗りがよく来艦し、士官室に集まってきた。

(カモメ)彼らの会話はいつも真剣そのものでした。ところが、「新大型潜水艦を連ねて米国沿岸に上陸しよう。その時は予備士官出を入れない」という話を、高橋少尉は聞いたのです。

(ウツボ)そうだね。そのとき、高橋少尉は「何だ、この野郎。制帽の徽章の抱き茗荷の中が桜であろうと何であろうと、国家存亡のとき全く同等に海軍を担っているのに」と思った。

(カモメ)にがにがしく感じたのでしょうね。それでも、高橋少尉は柱島投錨中に、敵機、グラマンの空襲を受け、艦橋前の機銃群指揮官として必死に戦ったのです。

(ウツボ)昭和二十年五月、高橋少尉は揚子江部隊の砲艦「二見」(基準排水量二〇五トン)乗組みを命ぜられた。

(カモメ)上海方面根拠地隊司令部に着くと「二見」はすでに要塞砲として大砲を降ろし繋留してあり、高橋少尉は長官承命服務となったのです。

(ウツボ)昭和二十年六月一日に海軍中尉に昇進した。高橋中尉は「何でもいいから艦に乗せてくれ」と頼んでいたら、第220号駆潜艇の艇長を命ぜられ、上海の江南造船所に着任した。

(カモメ)岸壁に整列している乗組員を見渡せば、頭に包帯をぐるぐる巻きにした水兵や、包帯で靴もはけない下士官などが何人もいました。

(ウツボ)話を聞くと、米軍機と交戦して沈没した僚艦二隻の乗組員で構成されていた。高橋中尉が着任挨拶をしていると、空襲警報が鳴り、ロッキードP-38の機影が見えた。

(カモメ)高橋中尉は第220号駆潜艇に飛び乗り、指揮をとり、岸壁を離れ、「対空戦闘」の命令を出しました。一機が上流から突っ込んできて機銃掃射を行ってきました。その敵機が去った瞬間に反転して、下流に向けて舵をとったのです。

(ウツボ)空襲警報が解除されたので、ヤレヤレと近くの岸壁に接岸した。一服していると、突然、倉庫の陰から爆音と機銃音が鳴り響いた。思わずその場で対空戦闘の指揮をとった。

(カモメ)その後また空襲警報が鳴り、三度目の空襲があり、P-38が真正面から突っ込んできたのです。機銃掃射の波しぶきが艇に向かってまともに近づいてきました。

(ウツボ)だが、川幅が狭く操艦が思うようにできなかったので、ついに被弾した。その瞬間、高橋艇長は首をすくめた。艦橋は金物類に当たって飛び散る音が、まるで何十発も一度に被弾したような賑やかさだった。だが、甲板上の機銃員などにも負傷者は出なかった。

(カモメ)艦橋内は、あちこちめくりあがり、破片が飛び散り、中には天井を下から貫通しているものもありました。この戦闘で高橋中尉は戦闘中、艇長は何をしたらよいかを身をもって学んだのです。

(ウツボ)そうだね。戦闘中はみな夢中で戦っているが、命は誰でも惜しい。だから、彼らを勇気付けることは、艇長が一番危険な目だったところに立ち、彼らの目を見ながら陣頭指揮をすることだと、高橋中尉は信じた。

(カモメ)ある日、揚子江入口で、米軍哨戒機から執拗な機銃掃射を受け応戦しました。この戦闘で、米軍哨戒機のほうが被弾して着水したのです。

(ウツボ)米軍の操縦士ら乗組員が救命ボートを浮かべ乗り移ろうとしているのを発見した。部下たちから接近して攻撃しようとの声が上がったが、高橋中尉は反対した。まず今は帰港すべきだと主張した。遠くに見覚えのある特務艦がいた。

(カモメ)昭和二十年八月十五日、部下を後甲板に整列させ、高橋中尉自身は、自分自身に言い聞かせるように軍刀を抜いて立って、玉音放送を聴いたのです。よく聞き取れなかったが、どうやら戦争は終わったらしいと思いました。甲板から嗚咽が洩れました。

(ウツボ)その後、桟橋付近にアメリカ軍のMPがうろうろし始めた。噂によると、あの哨戒機のことを調べているらしかった。

(カモメ)あの特務艦の艦長が戦犯容疑で連行されたらしかった。例の救命ボートを攻撃したのだろうと高橋中尉は思いました。

(ウツボ)高橋中尉は戦後、よく考え込んだ。「戦争で守ろうとしたものは、何であったのか」と思い煩ったのだ。

(カモメ)守るべきものは、当時としては、一般的には日本帝国の天皇と国民、国土、それに固有の文化と財産ですね。高橋中尉はそれに疑問を感じたのでしょうか?

(ウツボ)う~ん、これだけの記述なので、俺にもよく分からない。だが、守るべきものは、唯一、人の命ではなかったか、と感じたのだろうかね。とすると、日本人と同様に世界中の人間の命も含まれる。だが戦争では当然矛盾を生じる。そしてその解決は難しい。

(カモメ)そうですね。でも、海軍予備生徒出身の青年士官は、海軍兵学校出身の青年士官に劣らず、全力を尽くして戦争に立ち向かったことは事実ですね。

(ウツボ)そうだね。教育機関は違っても、裸になれば、ともに日本人の若者ですね。同じですね。祖国の危機を救うため、自らの命をかけて勇敢に戦闘に身を投じた。

(今回で「海軍予備生徒」は終わりです。次回からは「三式戦『飛燕』空戦記録」が始まります)







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最終更新日  2015.08.03 13:24:54


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