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こんにちは。ありのままで行っている、万吉です。さて、ありのままで行っている毎日ですが、昨日は結構ローテンションでした。まあ、それもありのままですわ(笑)今日は、会社の辞令公布がありました。当社としては異例の12月発令の人事でした。主たる収益源の現場の長が変わります。また、同時に営業部を新設しました。その2名の事例を公布したわけです。あまり要らぬ力を要れずに、ありのままの自分のいいところを前面に出して、たくさんの人の協力を得ながらやってほしいという言葉をかけました。吾ながら、私らしいコメントができました。ちょっと笑いもとりましたし・・・(笑)ありのままの自分で行っていると、自分を好きになることが多いです。自分を好きになることが多くなると、自分を客観的に見れるようになります。自分を客観的に見れるようになると、感情をコントロールしやすくなります。感情をコントロールしやすくなると、平常心を得る機会が多くなります。平常心を得る機会が多くなると、冷静に対処したり、新しいアイデアが生まれたり仕事がはかどったり、余裕が生まれたりするなどメリットがたくさん出てきます。また、ピンチのときほど平常心でいることができているときなどは、助けてくれる人や情報をキャッチすることができたりもします。平常心であれば、お金とか時間とかの活用が能率よくなります。無駄なことをしなくてすむわけです。ストレスフリーになれば、現実逃避することもなく、発散に無駄遣いすることも減ります。ありのままの自分。すべてを受け入れれるようにもう少しがんばってみようと思います。
2006年11月30日
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おはようございます。ありのままの自分で行っています。今日は朝から、ご機嫌な自分でありのままに行ってみる。ということを意識しています。先日、ゴルフにいったときの話です。私の実力は、あまりうまくありません。が、成長の途中であります。他人の目から見れば、実力は明らかに上昇しているそうです。まあ、100~110の間を行ったり来たりで100を切れれば、うれしい程度です。(笑)そんな私ですが、その日は、前半戦で68というスコアになってしまいました。これは、最近にしては、とても悪い成績です。いろいろと不具合があった結果です。この事実を受け入れることができました。というよりも数字で出ますから、受け入れざるを得ませんでした。休憩があって、食事を取りまして、その間に何をすれば成績が上がるかを考えました。前半の崩れた原因の中に、気分、気持ちに関するものがいくつかありそのことに気づきました。ということで、気分、気持ちをどのように処理するかを考えて見ました。そして、『自分はゴルフがうまい』という自己暗示をかけて、うまい人のような振る舞いをすることを心がけました。歩き方、待ち方、顔つき、話し方、しぐさ、このように見た目?を変えることにより、自分の中に変化が起こりました。ミスが発生しにくくなり、考え方も冷静になり、結果として50というスコアで終了しました。今の私では実力どおりであり、最近のスコアではまあまあの成績です。ということで、ありのままの自分で行くということでも、自分のよい状態のありのままの自分に設定して、振る舞いから変えていけば、その後の未来の自分の生産物、結果について大きく変化があるということを体感したわけです。セルフイメージを変化させた。ということなのかもしれません。ただし、ありのままの自分から派生したものであったことが勝因であると思います。人間は完璧なことはできませんから、いい状態をどのようにキープしていくか?自己暗示をかけて、自分の価値を最大化させるようにありのままの自分で、肩の力を抜いて行きます。まあ、悩みの種は、やるべきことをやってあとは神様にゆだねるということで処理することも覚えました。あとは、この思考を習慣にするということですわ(笑顔)今日も上機嫌でいけるように振舞います。
2006年11月29日
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おはようございます。ありのままの自分で行ってみる。ということでお送りしています。この考え方で行くことを決意して、本当に楽になった今日この頃です。昨日、新たな分野の企画をするためにお昼休みにかけて、打合せをしました。そのときに、でたことでのですが、ありのままの自分から出たことを企画にしてビジネスにしていこうということで話をしていました。すると、自分が幼きころから考えていることをもっと掘り下げて、それをベースに考えていきます。という意見がでました。非常にいい意見だと思いました。自分の目標を設定したりする上で過去という貴重な材料をほっておくのはもったいない。と感じたのです。従来から、過去は変えられないものという固定観念がありました。しかしながら、過去の事実は変えられないが過去の捉え方や過去を未来にどのように役立てるか?ということについては、変えられるのではないかと気づいたわけです。また、ありのままの自分で行く。ということは、自分自身をもっと客観的に見るということも必要であると思いました。私は昔実はいじめられっこでした。まあ、いまもいじられキャラですが・・・(笑)中学のころには、ワルのグループから今思えばいじめられているころがあったのです。そのときの私は、自分がいじめられるわけが無い。という考えがあり、とてもポジティブに考えていましたこういう風に考えることができる。という過去の経験を思い出したわけです。とにかく、明るい。いじめられても、毎日学校には行きました。休むことなど考えたこともありませんでした(笑)なんも考えなくて、楽しく過す方法を考えていました。ですから、今は会社が世間にいじめられているとして、悪気があるわけでもないし、それは自然なことである。とすれば、自分らしく、ありのままで行けば克服することはぜんぜん可能である。という結論になってしまいました。そんなこんなで、肩の力を抜いて、自分のエネルギーをやるべきことに集中して注入できるように、やっていったらええんだな。ということでございます。
2006年11月28日
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このテーマはいい。気に入った。自分らしく、ありのままの自分で行ってみる。こう書いただけで、なんだか勇気が湧いてくる。弱い自分も、駄目な自分も、どうしょうもない自分も、それで、いいのだ!って思えるような。。。それで、いい。大丈夫。きっとうまくいく。もちろん裏づけになる努力もいるのだが、それはそれで、やっていけばいい。ちまちま考えこんでいるのは、もったいないし、近頃を振り返ると、考えることが多すぎたので、無い頭で考えすぎていたのかもしれない。それはそれで意味のあることであったが、そうやってちまちま考えていること自体も私らしくていいのかもしれない(爆)今日は結構笑うことが多かったのかもしれない。自分らしく、行こう。自分らしく、行ってみる。自分らしく、行ってもいいんだ。自分らしく、いけ~~~~ということなのだ。結構楽になる。
2006年11月27日
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次のテーマということで、いろいろ試行錯誤した結果(本当はしていない:笑)次のテーマで行くことにした。【ありのままの自分で行ってみる】これは昨日、書き込みにもあったが、考えすぎているという指摘に対して反応した結果であり、ある人からは、強がったらいけない。人間弱いところもあって、見せてもよい。たまにはのんびり無駄に過すことが必要。などの温かいメッセージをいただいたからである。私は自分を素直な人間と思っていた。が、案外、頭が固く、強がって、自分をよく見せようとしすぎる傾向がある。ようである。自分は自分でありのまま。アホなのだから、アホでよい。これがすなわち悟りの境地。ありのままの自分で行く。さて?どうやっていいのやら?まあ、肩の力をぬいて、リラックスして考えてみようと思う。自分らしさって何だろ?
2006年11月27日
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おはようございます。あいにくのお天気ですが、それなりに書きたいと思います。自分の希少性に気づくということでお送りしています。このシリーズも10回目を向かえ、一応今回で終わりにしたいと思います。希少性に気づく。ということは、自分自身を見つめなおす。ということだったように思います。見つめなおせば、自分自身がとても感謝するべきありがたいことの塊(かたまり)であることに気づく。それが、つまるところの、希少性である。こういう結論に達したわけです。自分自身を客観視する。冷徹なほど、自分を客観的に見る。そのことにより、いけてる部分に調子乗っている自分を戒め、いけてない部分にねちねち悩んでいる自分に発破をかける。こういうことが可能になります。また、落ち込むことのほうが、調子に乗ることよりも大切に感じました。落ち込むときは、思いっきり落ち込んで、自分自身を変えてしまうほど、落ち込んでしまうほうがいい。安易に、自分を励ましたり、妥協したりして、自分自身の変化に結び付けないことの方がもったいないような気がします。もちろん、最後には立ち直れるということが大前提になりますが。落ち込み続けるのは当然これも無駄です。自分の長所や短所を見つめてみることもとても大切だと思いますし、変化が1ヶ月ごとに見直すことで、自分の変化、成長に気づくことができるとのメッセージもよび師匠からいただきました。まあ、なんにせよ、自分自身というものや、そのほかの皆さんはすべて、希少性を有している人たちです。何気に人間として、この世を生きている。というものではありません。生活やお金のために生きているのでもありません。自分を苦しめるために生きているのでもありません。ただひたすら働くことのために生きているのでもありません。人生はバランスよく、悩んだり、楽しんだり。その中で、何を創造していくかだと思います。まあ、そんなことで、このシリーズを終わります。
2006年11月26日
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こんばんわ。今日も自分の希少性に気づくということで身勝手な持論を展開していきます。自分の希少性に気づくということで、結構自分はこの世で珍しい人物であり、とても恵まれた環境の中で生きているということに気づかせていただきました。その上、年齢もまだ若く、経営者という自分の理想の会社を作り上げることができる立場にいることも同時に感謝するべきことだと思います。また、自分の理想というものも、利益だけを最優先するのではなく、働く人間を中心に置き、その人たちの価値を最大化させることにより、価値を最大化させた人たちによる、お客様への極上のサービスが、社会貢献そのものであり、会社の利益につながる。そこで出た利益は、会社、社会、社員、奉仕の四つにバランスよく分配できるものとする。こういう考えを、知らず知らずにもっているということは、さらに、感謝するべきことだなと思う。こういう考えがすきなのである。この考え方はいま始まったことではない。もちろん私が経営に携わる立場から実施したものでもないのである。中間管理職のころや、営業担当だったころから、常にこの考えをできる範囲でやっていた。このブログの過去のものには、会社の悪口を書いたものもある(笑)そのころから、今の考えをベースにできることをやってきたのである。すると、いま私たちの働く環境において、八割以上の人たちは、よくがんばって働いている。もちろん、悩みもあれば不安もある。そんな中ではあるが、いままでよりもよりよい雰囲気で働いている。これは相乗効果を生み、ネガティブな思想の人が表に出にくいのである。ということで、この考え方は間違いではなく、この考えをベースにできることを考え、その範囲で最大に価値を創出する。それだけでなく、自分のできる範囲を大きくしていくことも同時に意識していく。こういう方向でしかできないので、こういう方向でがんばらせていただきます。必ず、目標を達成します。ということでした。
2006年11月25日
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今日も朝からいろいろと仕事をした。自分でも今の状態は少々しんどいのである。それでも前をしっかり向いて、どうすればよい会社を作れるか?を考えて、考え続けている。こういう仕事は自分でも嫌いではない。何もないところから、何かを作っていく。今あるものが、外部環境の変化により、その形を変えざるを得ない状態である。もちろん愚痴りたくなる自分もいるし、そんなこと考えている場合じゃないという自分もいる。このような環境で仕事をできるということは、自分でも希少性だなと思う。今後の当社を取り巻く環境は、ずいぶんと変化をしている。得意先の変化が一番大きいのであるが、その変化に負けずに、当社のほうもしっかりと変化をしてきている。今までの変化は自分でいうのもなんだが、結構いけていると思う。しかしながら、外部環境の変化はさらに上手である(爆)実現しても、やはり半分だろう。残りの半分は、やはり次の課題となる。2年ほど前の単価なら、もう少し利益を残せたはずである。こちらの変化が遅いのかもしれないが、まあ、できることはしたので、いいとしよう。自分たちの働く環境はとても希少性がある。私は一応経営者の端くれであり、35歳という年齢で組織に対して多少の影響力があるということは、希少性以外の何者でもない。それに、自分の性格も特殊な考えをもっていると思うところもある。会社の目先の利益を追求するという手法がどうも好きになれないのである。ある意味、良心に恥じる行為である。自分だけが大金持ちになればいい。という考えにはどうもなれないのである。経営者の間では、きっと、甘いといわれるだろう。しかしながら、これまでの改革については、社員をはじめとする一人ひとりの働く人がやりがいをもってやりやすく働ける環境を、できる範囲ではあるが、整えてきた。やってきたことといえば、これだけであろう。アイデアも皆から集め、実行のときの試行錯誤も、皆で考えた。このやり方は、私の希少性そのものではないかと思う。もちろん、すべてがうまく円滑にいったわけではない。怒鳴ったり、泣いたり。悩んだり、失敗したり。いろいろあったのだ。それも希少性であろう。今の私がこうしていることは、やはり希少性である。この希少性を大切にして、自分のできることを最大限にしていく。自分の良心に恥じないように、しっかりと皆の働きやすい、すばらしい会社にしていこうと改めて決意する。では。
2006年11月24日
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こんにちは。自分の希少性に気づくということで、勝手に書いています。自分の希少性に気づくために、具体的に行動をしています。自分にとってありがたいと思うことを数える。ということをやってみては?と本に書いていましたので、やってみました。目とか鼻、口筋肉、健康、内臓、心臓、血、食欲、呼吸、今こうして生きていること全般。こうしたものは感謝するべきものですね。また、日本という平和な国にうまれ、世界的な視点でみれば、お金持ちな生活ができている。そりゃ悩みも多いですよ。昨日も深夜まで思い悩んで、気が狂いそうでしたが。。。(爆)そんなこんなで、自分がこうして、自分でいられるということが奇跡としかいいようがない。これはまさに希少性であります。それだけではなく、自分が自分の性格でいられるには、自分がこの世で成長するために、最適な環境であるということに気づくことも大切です。いまこうして、このようなブログを書いていることも、今仕事の昼休みに、私なりに背負っているものを普通に戦いながら、である状況・環境であることが、とてもありがたいことであり、自分が希少性を有しているという事実です。感謝するべき事実なのではないかと思います。自分の希少性に気づくということは、自分自身の価値に気づき、悩みやなんかがあっても、しっかりと前向きに、また、自分の欠点や短所など、自分が好きになれないところについても、自分が選択しているものであり、自分がこの世で学ぶべきポイントである。だからその短所も愛し、短所を愛することで、自分を愛する。そして、自分を愛することが出来たときに、他人を短所も含めて、愛すること、許すことができるようになる。という事実に気づくことなのではないか?と思います。また、気づくだけではなく、実際にそれができるように、ならないといけないし、なれるからこそ、なりたいと思えるということも、自分の希少性なのであると考えています。
2006年11月24日
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さて、いよいよ実践編ですわ。自分の希少性を意識して日々の生活を体験したことを書いていきます。自分がこの世で希少なものであると、気づくために意識しています。すると、あら不思議、やること、なすこと、自分の身の回りに、起こる、いいこと・悪いこと、すべてが自分の希少性に気づかされることばかりなのです。たとえば、自分の会社にて、起こっている出来事は、分が悪いことも多いのですが、すべてが希少性がありまして、普通では体験できないことばかりでです。会社のビジョンについても、それを描く係りであり、私が描く理想の形も、世間一般の経営者とはかけ離れた、ものとなっています。とにかく、自分がこの世で希少な存在であると気づくことばかりなのです。もちろん、この世で生きるすべての人たちが希少性を有していることも間違いない事実なのですが、それに気づくと気づかないとでは、まったく違った結果になってしまうのです。自分の希少性に気づかないとか、そんなこと考えたこともないような人たちは、自分が生きるというより、生活するために、またお金のために生きてしまうのです。自分が自分の希少性に気づこうと意識すること自体、奇跡のようなものであると思います。そんな自分が経営する立場におり、35才という年齢において、希少性に気づこうとしているということだけで、さらに希少性に気づくわけです。自分が希少なものであると認識しただけで、どんなことが自分に変化として起こるのか?私の体験では、使命感が沸きます。自分の可能性を信じることができます。世間の自分の希少性に気づかない人が多いことに気づきます。やる気が沸いてきます。感謝の気持ちがあふれてきます。落ち込んでも、悩んでも、なんとかしようと考えます。前向きになります。などなど。自分がこの世で希少なもの、自分はこの世で一番の奇跡である。ということに気づくか気づかないかだけで、こんなに違いがうまれてくるのです。お金もかからないし、とてもいい心がけだと思います。さて、もうしばらくつづけてみます。では。。。。
2006年11月23日
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おはようございます。トップギアに入れて仕事を処理し続けています。自分の希少性に気づくということで、お送りしています。自分の希少性に気づくということが重要なことで、有益なことであるという説明なんかを書いてました。いろいろと考えをめぐらしていて思ったことを書きます。自分の希少性に気づくには、一度、自分を受け入れることが必要と書きました。自分を受け入れるというのは、結構難しいものなのではないかと今日、大便しながら考えたのです。自分がいけている、という考えを持てば、自分は落ち込み、思い悩むことも少ないです。でも、自分が成長する機会には恵まれないものです。自分がいけてない、という考えを持てば、自分は落ち込み、思い悩むことが多くなります。でも、自分が成長する機会には恵まれているといえます。生きていれば、自分が原因となる問題が発生します。直接的に自分が悪くなくっても、問題に巻き込まれてしまったこと事態は、逃げることはできませんし、潜在的には自分で巻き込まれる選択をしたということともいえなくないわけです。自分を一度落とし込んでみてはどうか?という提案をしたいと思います。自分がいかにいけていない人間であるかを、自分自身に目を向けて、思いっきり罵倒します。自分が本当に嫌になるくらいに、自分自身を責め立てるわけです。もちろん、日ごろから自分がいけていないと、くよくよしている人がいれば、そのままウツになってしまうかもしれませんから十分な注意が必要です。自分の希少性に気づこうということですから、その前提に立って、自分を思いっきり落とし込んで、その時点から、自分にいるもの、いらないものを選別する。よいものは伸ばせばよいし、悪いも物は捨てるなり、片付けるなり。う~ん。今日もうまくまとまりません。次回から実践的な自分の活動を書いていきます。そしたらちょっとはまとまるかもしれません♪
2006年11月22日
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こんばんは。今日も自分の希少性に気づくです。自分を受け入れる。自分を好きになる。自分を愛する。これができてこそ、他人、相手を受け入れることができる。他人、相手を好きになることができる。他人、相手を愛することができる。ということを昨日書きました。それでも、この世の中で生きていますと、不満もつのり、自分が嫌いになることも多い。できれば、現実の自分を受け入れたくないと思ってしまうことも多いのではないですかね?しかし、自分の希少性に気づくことができれば、自分の今の状態に不満があっても、納得することができます。とはいうものの、不満を満足に変えるには、どうしたらええのか?まず、不満を受け入れる、つまり不満があるという事実をしっかりと認識します。次に、不満の原因となるものを把握して、改善を図る。という手順で行います。それでも、うまくいかないこともあります。特に自分が原因ということも多いです。その原因となるものが自分自身であり、その改善が思うようにはかどらないときなどは、自分を責めてしまいます。このときには、自分を許してあげる。ということがとても重要になります。自分受け入れた後には、自分を許すというオプションをセットでお願いします(笑)自分を許すことができてこそ、他人、相手を許すことができます。自分の希少性に気づくことができれば、自分を許すこともできるのです。自分を許すことができれば、自分を受け入れることができます。自分を受け入れることができれば、自分をゆるして上げることが大事です。書いていることがばらばらですが、ただの独り言なので、そっとしておいてくださいませ(笑)きょうはおしまい♪
2006年11月21日
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久しぶりの深夜の更新です。自分をよく分析したということで、よび師匠♪さまよりお褒めの言葉と貴重なアドバイスをいただきました。前回日記でやってみた、内面思考に関して、月に一度その進捗状況を見てみよると2歩進んで1歩下がるという具合にその進歩が伺えるそうです。すばらしいアドバイスに感謝です。さて、自分の希少性ということに気づくということで、昨日、自分を分析して、それを事実として受け入れるということをやってみました。長所も短所もかわいい自分の一部ですからそれをすっかり受け入れてしまおうということです。すっかり受け入れることができないと自分を自分が受け入れていないということになります。実はこのように自分を自分が受け入れていない人が結構います。こういう人は、自分の責任であると指摘されると、とても憤慨したり、傷ついたりします。私もこういう一面がないわけでもないですが、ないほうだと思います。ちなみに私の周りには一人いましたが、会社を退職してしまいました。受け入れるように、しかったこともありますが、まったくの逆効果でした(苦笑)自分で自分を受け入れることが自分の希少性に気づくことにどのようにつながるのか?もちろんつながるから、こうして書いてるのですけどね、自分の希少性に気づくということは、自分が世界唯一の存在であり、とても貴重な存在であり、だからこそ、その存在に価値があるということに改めて気づこうということなのです。ということで、自分自身を受け入れることができて初めてそのことに気づき、本気で認識することにつながるわけです。自分の自分を受け入れなければ、自分自身を好きになることができないし、自分自身に自信を持つことができないのです。自分に自信を持たないとか、自分を好きになれないとか、そういう状態であれば、自分自身を希少性のあるものとしての認識などできるはずはないのです。自分の希少性に気づくとは、自分自身を尊重し、尊敬し、その存在自体を認めることです。その存在を認めた上で、その価値に気づくことなのです。その価値に気づくことで、自分の持っている長所生かして、さらに短所を直したり、逆に利用したりして自分自身を愛すことができるように自己実現を成し遂げることができる。という私の考えです。ちなみに、この本↓この本には、『神の覚書』という文書が登場します。この文書は、サイモンポッターさんという方が書いたように物語にはあったと記憶しています。(ちがったらごめんちゃい)この文章は、100日間毎日読み続ければ、自分の人生が変わる。というものです。相変わらず、オグの物語から潜在意識へ植え込む文章のハーモニーの基本形をかもし出しています。そうそう、この文章『神の覚書』をなぜ紹介するかというと、まさに、自分自身の希少性に気づくということが出ているのです。自分自身の希少性ということに気づかせるためのたくさんの事実や比喩が使用されています。精子と卵子の結合。そのどれの場合も違った人格になっている。目、脳、口、筋肉、皮膚など自分の肉体のありがたさと精巧さ。神様との関係において、人間一人ひとりが神様から認められ、愛されている存在であるということがやさしい文章で紹介されています。自分の希少性に気づくことから自分をさらに成長させることにつながるのです。また、他人を愛するということを行う場合には、自分自身を愛することができないといけないのです。お金がない人は、お金を与えることができない。これと同じなのです。自分自身を愛することで、自分自身の愛の製造工場にて、愛を製造し続ける。そのあふれたもので、他人を愛していかなければならないという順番なのです。自分の希少性に気づくということが自分自身に思っている以上のエネルギーを供給してくれます。そのエネルギーをしっかりと感じ取ってほしいのです。私も感じ取りたいのです。そのエネルギーを活用できてこそ、自分の本来達成することができる本来持っている目標や使命の達成を成し遂げることができるのです。それが自分の希少性に気づくということです。今日は今まで、ひとつの問題にさいなまれていました。とても大きな悩みへと発展してしまいました。もとはといえば、自分の短所から派生した問題です。自分自身の希少性に気づくということを意識して、その問題に対処していると、いろいろと問題はありましたが、最終的な段階になって、その問題の解決には、自分が希少性を有するものであり、自分の短所も治すことができる崇高な存在だと思い、納得することで、その問題を解決へと向かわせたわけです。自分自身の希少性のメリットはもっともっとあるはずなので、この特集の期間中にもっと発見したいと考えています。
2006年11月21日
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自分の希少性ということで、自分がいかにこの世で唯一の存在かを再認識して、今後の人生に弾みをつけようというものである。自分の希少性を認識する上で、まず必要だなと考えたことは、『自分自身を知る』ということです。自分自身を知るということは、長所や短所を把握する自分の環境を認識する自分が成し遂げたことを再確認する自分がこれから成し遂げることを明確にするということです。そしてそれらのことを、前向きに自分自身でしっかりと受け入れる。事実として、この世での天命・使命として、しっかりと受け入れる。しっかりと受け入れるとは、ありのままの自分でいいのだと、自分自身を認め、尊重するということです。自分自身を肯定するということです。自分自身を好きになるということです。自分自身を責めたりしないということです。さて、その一歩が、自分自身の長所と短所を書き出すことです。いつものごとく、20リストアップしてみます。ちなみに、長所とは、超所であり、短所は、端所と考えています。長所つまり、超所とは、自分が他者よりも優れているポイントであり、他者を超えているという意味です。また、こんな自分でいることに対して、ありがたいな~っと感謝するべきことともいえます。一方短所つまり、端所とは、自分が苦手な分野であり、そのことを自分の端に追いやっていくことが必要という意味です。また、この世での克服するべきポイントであったり、自分に科せられた試練の原因となるべきものです。克服するもよし、うまく付き合っていくのもよし。それによって他の長所が伸びることもあります。逆に大切な要素ではないかと考えています。◆ 自分の長所 1.何事にも前向きに取り組んでいる 2.素直な心がある 3.他者を思う気持ちを持っている 4.たくさんの人に支えられている 5.恵まれた環境に生きている 6.困難に立ち向かう勇気を持っている 7.やさしい心を持っている 8.努力をしてきた実績がある 9.自分を客観視することができる10.健康、元気である11.今までの人生でたくさんの学びを得た12.最後まであきらめない心を持っている13.自分の可能性を信じている14.困難から何かを必ず得ている15.バランス感覚が優れている16.基本的に明るい性格である17.和を重んじる心を持っている18.深夜までの労働に対して抵抗がない19.愛想がよい20.改善する能力を持っている上げてみて思ったのは、時間を掛ければ、もっと出てくるなという感じ。それと他人の目をきにすることなく、自己中心的に書けばいいと思うし、ありがたいな~っと思うことを書けば、自然に長所になるんだなという気づきもある。次に、短所◆自分の短所 1.短気である 2.わがままといわれることがある 3.気分屋である 4.気を使いすぎていると自分で思い込んでいる(笑) 5.怒るときに怒鳴ってしまう(波動砲と呼ばれている(爆)) 6.マイナス思考に陥るとトコトンまで行ってしまう 7.努力が中途半端である 8.ギャンブル依存症になりやすい 9.スケベである10.太っている11.寝坊をしてしまう12.少々投げやりな言葉を投げ捨てることがある13.知らず知らずに人を傷つけてしまう14.いい人ぶって、失敗する15.自分で災いを招いていることがある16.自分の能力以上の理想を妄想してしまいがちである17.よくすねる(すぐスネ夫と呼ばれたことあり:爆)18.勉強など苦手な分野の努力が続かない19.めんどくさがりである20.忘れっぽい性格である短所を挙げていて思ったことは、長所に比べて、書きやすいということである。他人の長所よりも短所のほうが目に付いたり、飲みに行っても、他人の悪口の方が多いことがこのことからわかる。自分の短所を出すことは簡単である。その短所から何を学ぶかということが大切である。その短所について意味があり、価値があるということを認識することも必要である。この自分が出した長所や短所をまず素直に受け入れる。このことが自分の希少性に改めて気づくということの始まりなのである。この長所・短所については、きっと自分独自のものとなる。そこが希少性である。自分はその存在自体に価値がある。価値があるからこそ、この世に存在している。という前提からスタートしてみます。こうしてブログに表していることが希少性の一つなのだと思うわけです。
2006年11月20日
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さて、反省的なテーマである、気を使わない。ということでやってきました。一つの結論がでましたので、次のテーマに進みます。自分の希少性に気づく。希少性とは、珍しい、一つとして同じものは無い、世界に唯一の存在である。ということとします。自分は、世界に一つだけの存在である。SMAPのヒット曲にもありました。その歌の歌詞の通りですわ。自分と同じ人間は一人としていないのです。このブログもたくさんの人が開設していますが、一つとして全く同じものはありません。やはり自分は希少性のあるものなのです。生まれるにしても、奇跡的な確立で、生命として誕生します。精子と卵子。たくさんの精子とたった一つの卵子。その上、ご両親の出会いの確率。そのご両親の誕生の確率。そして、それぞれのご両親の出会いの確率。・・・・とすれば、途方も無い確率の上に自分は存在しているのです。この確率の上に誕生している自分という存在があることを論理的に説明することは不可能です。ですから、自分は奇跡である。ということを改めて認識すればいいのです。奇跡であるということは、神様という存在を肯定して説明することでしか、表現することは難しいのです。とにかく、私たちそれぞれ、一人ひとりは、価値のあるものであり、認められるものなのです。ということで、その価値ある人間が歩む人生というものは、それだけで価値があるということです。案外、自分を軽く考えてしまいがちです。自分の可能性なんて知れている。と評価してしまいがちです。自分で自分の希少性を否定しているのです。オグの著書にこういう記述が多いです。ですからこのことを意識して、しばらく過してみようと思うわけです。さあ、次は何が、どう、変わるでしょうか?
2006年11月16日
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気を使わないということで長らく考えて、意識して行動してきた。そのまとめである。結果としては、いろいろな気づきがあった。とてもありがたいことである。どんな気づきかといえば、1.気を使っているようで、使い切れていない。2.どんなに気を使っても、ミス、抜けが発生する。3.逆に気を使われていることもある。4.気を使われていないこともある。5.自分が心地よくまた、不満に思うのと自分の気遣いスキルは 同等のレベルである。6.気遣いも因果応報の法則に則っている。というものである。人に嫌われたくない。人からよく思われたい。昔の私はこの意識がとても強い人間であった。しかし、それでも人に嫌われたり、陰口を言われたりする。どんなにいい人でも陰口の対象となることも多い。そんな気づきから、そんなに気にしなくなった。つもりである。が、気を使うということは、この考え方の筋道と同じ経路をたどる。気を使っても、使っても、相手が解釈することであるから、いろいろな受け取られ方をするものである。足りないものは足りない。自分も求めてしまっているのである。自分が求めている分、相手も求める。相手が求める分、自分も求める。この世の中は、やはりうまく出来ている。ほどほどに気を使うことも必要である。しかしながら、結果としては、気を使うよりももっと大切なことがある自分自身をもっと大切にして、他人の目をあまり気にせず、自分の良心に恥じないように、なるべく笑いにこだわって、しっかりと本当に自分がやるべきことに全力で取り組み、さらに自分を磨くかのごとく、自己鍛錬をして、人の倍働き、がんばり、自分を超える。ということだろうか?次のテーマを考えているが、おとといより、オグの著書を読み返している。何か新たなものを感じ取れるような気がするし、行動や習慣に落とし込めるようにする。
2006年11月15日
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ご無沙汰であった。研修旅行に行ってきた。石垣島である。石垣島って全く知らなかったのである。沖縄?程度である。それも、ピンチヒッターでの参加となったので、はじめてお会いするひとばかりである。気を使うなといっても、気を使うことで当然である。先日の書き込みに、よび師匠から、あんたは、どちらでもないよ♪という温かいメッセージを頂戴し、出発したわけである。初対面なので、意識したのは、名前を必死で覚えた。顔を見て、人との会話を聞いて、名簿を見て、都度都度確認した。なるべく名前で呼ぼうとした。それに、周りの気遣いがやはりすごい。なるべく名前で呼び合うのである。親しい関係の人同士なら、『なあ~』『おい』などで呼び合いがちなのだが、初めての人や回数が少ない人のためにか?名前で呼び合っているのである。それに、すぐにお茶に誘ってくれたり、っとっても親切である。気を使うとは、こういうことなのだな。と関心する機会となった。私もあまりにも恐縮しすぎて、遠慮をしてしまいがちなので、今回はなるべく明るく、振舞った。お酒の力も利用しながら、積極的に皆さんに顔を覚えていただくように必死で努力した。気を使わないと意識した点は、相手に気を使わせすぎないように、極力考えて行動した。自分の欲求はなるべく前に出して、かつ謙虚になった。私が一番年下であったようなので、それに見合った態度で過したつもりである。気を使っているつもりになり、相手に気を使わせる。こうならないようにすることができた。この、気を使わないことを意識する生活がすこしは役に立った事例であった。日本最南端、最西端のゴルフ場でゴルフをして、おいしいものをたくさん食べて、すこし太って、きれいな景色や、見たこと無いものを見た。とてもありがたい経験となりました。まあ、しっかし、疲れましたわ♪
2006年11月13日
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気を使わないということを意識しています。今日は違う角度で考えて見ます。気を使わないということを意識するのをやめようということで取り組む理由として自分が基本的に気を使いすぎているという自負、うぬぼれがあったのです。しかしながら、人と接するにあたり、自分が100%気を使うことができているのか?人を傷つけたりすることを全くしていないのか?人に劣等感を与えたり、自尊心を傷つけたりしていないか?ということを省みてみた。自分はまだまだ気を使いきれていないし、その上無駄な気をつかっているに過ぎない。昨日には、約4件の心配事が発生してしまった。発生の原因は自分自身にあり、気を十分に使えていないということが根本的な要因であると分析した。気をつかわないということを意識することもできていないのにも関わらず、普段の自分の行いが相手にとって気を十分使えていない。自分のことを考えるがゆえに、自分の事情ばかりが優先するがゆえに、結果として、必要とされている人に対して電話をしなかったり、認めてほしい人を認めることばを掛けなかったり、相手が不愉快に思うことばを無意識に掛けてたり、いらん気回しによって、無駄な妄想を抱いたり。このようにして、昨日~今日にかけては、それこそ、苦よ苦よとなってしまった。それは対策として、いくつかのリストを作成し、実行することをやっている。しかしながら、相手に与えた傷や関係の修復には時間がかかるだろうし、その傷は消えない。必ず傷跡が残ってしまうのである。自分が傷つきやすい分、相手を傷つけてしまうことも多い。気をつかう。明らかに相手が欲していることや逆にしてほしくないことをやったり、やらなかったり。このような発想ではなく、気の変わりに、奇を使う。使うことで、相手を笑顔にする。これを実践することが、本来あるべき、自分が理想とする気遣いの名人となるということではないかと思う。
2006年11月07日
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気を使わないということを意識して数日が過ぎ去った。その効果はあるのだろうか?はい。ありま~~~す。もちろん完全に解消などするはずもなく、それでいて、気を使うこともあるし、気を使わないでいられることもあった。こういう取り組みは、やってみるべしである。やってみなくちゃ~わからないものなのだぁ(バカボンパパ風)気を使わないということについて考えていると、結局、【恐怖心】との戦いということになってしまった。気を使うというのは、相手に嫌われたりすることを恐怖と感じ相手によく思われたいという気持ちから発せられる衝動なのである。恐怖心というものは、とても大きな課題であり、この克服をすることが人生においての大きな課題なのではないかと思う。恐怖心というのは、まさに自分自身が作り出したものであり、それは幻想であり、幻でもある。実際に現実的にその恐怖心が襲ってくる場合もあるのであるが、時が過ぎ去れば、なんともちっぽけなものなのであり、それを克服してしまうのが人間なのである。この恐怖心との戦いについては、大きなテーマであるから、またさらに考えていかなければならないので今日はこれくらいにしておいてやる!(めだか師匠より)話を気遣いに戻すが、こちらが気を使うことで、相手は尊重されている結果に満足する場合もあるだろうし、逆に、その気遣いに気がつかないこともある。他人に気を使うのであれば、自分にもっと気を使うべきである。ということにも気がついた。自分にどういう風に気を使えばいいのだろうか?自分に気を使うとはどういうことか?未来の自分にして上げれること。今の自分に何を気をつけてあげたいのか?これまた、自問自答によって導き出さねばならないのである。こうして、気をつかう、使わないということを意識しているだけで、いろんなことに発展していくのである。生きているということは、本当に尊いことであり、いつか死んでその答えがわかる。そのためには、自分にどうやって気を使うか?とても大切なテーマだと思うわけである。
2006年11月06日
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昨日は、クヨクヨしそうになったが、なんとか耐えた!と、思う(爆)クヨクヨとは、苦よ苦よ。らしい。さすがよび師匠♪最高である(笑)さて、気を使わないということで、こんな本を読んだ。↑この本は、この本↓の参考文献にあったのだ。そしてこの本↓の四つの約束とは、 1.正しい言葉を使うこと 2.何事も個人的に受け取らないこと 3.思い込みをしないこと 4.常にベストを尽くすことという約束である。ただしい言葉とは、自分に背を向けたことばを使わない。自分のことがどれくらいすばらしく、自分のことをどれくらい愛しているかを自分に言葉で言い聞かせるということが必要である。何事も個人的に受け取らないとは、相手からの言葉を簡単に受け入れない。受け止めてしまうと合意したことになる。特に自分が責められている場合には。そして、自分を褒め称えることばであっても、すでに自分がすばらしいことは自分で知っているので、そんなことばも受け取らなくていいのである。思い込みをしない。人間は常に思い込みをしている。顔を見て、判断したり、自分のことを嫌いと思っているだろう。とか。本当のことはわからないのだから。常にベストを尽くす。人間は自分の状態によってべストが違う。日々刻々とその状態は変わるのである。常に同じようなベストを尽くすのではなく自分の状態も把握した上でベストを尽くす。という4つの約束である。もっと詳しくは本に書いてますから買って下さい。(笑)この4つの約束は、平常心や気を使わないということに対してとても有効な約束だと思いました。いらん思い込みや、気を使う人=いい人などとほめられていい気になっていてはいけないのだなと思ったわけです。究極の目的は、最強のあっほーなので、修行はまだまだ、はじまったばかりです♪
2006年11月02日
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こんにちは。ちょっと曇り空です。気をつかわれているようです。気を使わなさすぎかもしれません。クヨクヨと考えないようにしています。が、クヨクヨ考えてしまいそうです。今できることは何か?自分の価値を信じて、恐怖心に打ち克つように、力を発揮します。きょうは、これまで!!ごめんなさい。
2006年11月01日
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