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桜の花もほころびはじめたのに、まだ寒い。熱い味噌汁を飲んで温まろうと思って冷蔵庫をみたら、あら~、味噌が足りない。スーパーで袋に入った味噌を買う。この袋は、燃やした時に塩化水素など有害な物質を発生しない材質。印刷も水生インキを使用。たたんで捨てれば、かさばらない。カップに入っているものに比べて、22.2%の樹脂しか使っていないため、ごみの重量が約1/4!レジ袋も断ったし、歩いて行ったし、ちょっと「えこ」した気分♪トップの写真は、実家で母が味噌を小出しにするのに使っていたもの。 現在日本人一人が毎日出すごみの量は約1Kg。石油ショック以降横ばいだったのが1983年を境に増大に転じ、その後、急カーブで増え続け、各自治体はどこも最終処分場の確保に苦慮しています。ごみの中身もプラスチィックやガラス、あるいは、紙とプラスチィックを組み合わせた商品など処理しにくいものが増え、環境への影響が懸念されていますています。ごみの減量化には、企業、行政、そして市民が手を組み減量化への仕組みづくりをすることが必要ですが私たちの身の回りのことで改善できることも沢山あります。ちょっと、気を使ってみることが、ごみを減らすことになるのです。◎地球を救う127の方法・ごみを減らす◎*****さくら・さくら*****鬱金といふは浅黄なるはなびらもてる八重桜南千住のホームより見えしが最早かげもなし 榊原敦子 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月29日*あそび唄:お手玉の唄2* UP
2006.03.31
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はるなです。2月は、PCの調子が悪くて、日記を書かなかった日もあったとです。そのせいか、アクセス数が1月の平均より50以上減ったとです。( ̄□ ̄;)と書いたのは、2月25日。翌日のアクセスは、1719!!2/26 : 1719 2/27*25:おしゃれ手紙(1719) 2/27 : 995 2/28*50: おしゃれ手紙(995) 2/28 : 562 3/1 : 589 3/2 : 641 3/3 : 520 ・・・・・・・・・・・・・・・・1000以上は、初めて。アクセス数は少なくてもがっかりですが、小心者の私は、多すぎるアクセスに、びくびくしてました。今は、もとどうりですが、27日から5日間、なにがあったのか、謎です。☆★☆★3月のリンクしていただいたblog★☆★☆★★My京都・ランニング・ライフ ★一心不生さん。ありがたかとです(ノД`)★これまでに、リンクしていただいたblog★★☆★☆★★☆★☆★★☆★☆★体調が思わしくなくて、これからは、毎日書けなくなるかも・・・。本名とハンドルネームを使ひわけ彷徨ふわれの揺れ惑ふ日日 星川 孝 *****さくら・さくら***桜餅なら長明寺江戸の時代に、はやされし隅田川沿い恋人と 花見がてらに食べしゃんせ 渋谷和夫 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月29日*あそび唄:お手玉の唄2* UP
2006.03.30
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ありす様春でぴよ。春でぴよ。春は、うきうき「恋」の季節。「恋」をするって素敵ですね。私はいろんなものに「恋」してます。あの器。あの絵。あの写真。あの本。あの映画。あの曲。あの洋服。あの籠。あの家具。あの貝殻。あの鳥。あの楽器。あの鳥。あの道。あの時間。あの場所。あの景色。あのお店。あの木漏れ日。あの詩。あの自転車。あの花。あの雲。あの木。あの香り。あの色。あの空。あの太陽。あの月。あの島。あの森。あの土。あの海。あの博物館。あの灯り。あの風。そしてあの男・・・。ははは。「おしゃれ手紙.2」より。 先月、バレンタインデーがらみでいただいた、お手紙のテーマは恋♪返事を考えている間に、「春でぴよ」&「春はうきうき恋の季節」。でも、恋って、必ずしも男性が相手とはかぎりません。+++骨董市で買った小鉢が好き。拾ってきた古い足踏みミシンが好き。拾った火鉢が好き。実家で使っていた薔薇の模様のテーカップが好き。友人からもらった、小さな茶箪笥が好き。京都の骨董で買ったかわいい箪笥が好き。坪庭が好き。路地が好き。原っぱが好き。里山が好き。石垣が好き。藁葺き屋根が好き。小川が好き・・・。+++私の好きなものの一部を書いてみましたが、けっこうある。これら、愛するものに囲まれていると、幸せになってきます。ありすさんも沢山趣味があるでしょ。それを「恋」とよべば、そこから「幸せオーラ」が出てくると思うんだけど・・・。その結果、「あの人、ステキ!!」と思われたら、しめたもの( ̄▽ ̄) このほかに、美味しいものや、かわいい服・・・。ありすさんの「恋愛出来ない体質」改善のためには、まず、好きなモノを並べることをオススメします。では、またね♪ 天地 はるな■追伸桜が好き、京都も好きです。*****さくら・さくら***長興山の夜桜は寒い山から下りてきてライトアップに驚いて蹲っているタランチュラ 秋田興一郎 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月28日*あそび唄:お手玉の唄* UP
2006.03.29
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「さくら」 詩・まど みちおさくらの つぼみがふくらんできたと おもっているうちにもう まんかいに なっているきれいだなあきれいだなあと おもっているうちにもう ちりつくしてしまうまいねんの ことだけれどまた おもういちどでも いいほめてあげられたらなあ…とさくらの ことばでさくらに そのまんかいを・・・ 友人と近くの温泉に一泊した。以前から約束していたので、体に不安があったけれど出かけた。桜はまだ咲いていないので、買い物。「もうすぐ咲くね」と言いながら、咲いたら見に行く約束をする。老人ホームにいる母と妹とも4月1日には、花見の約束をしている。母も楽しみにしてくれている。桜の花はひとりで見ても美しい。けれども、親しい人と見る桜は、また格別。+++去年は、京都や尾道に桜を見に行ったね。その前は、赤穂の桜だったね・・・。今年はどこにする?そんな言葉を交わしながら、はたして花見ができるのだろうか・・・。桜の花を待ちながら、不安がぬぐえない。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月28日*あそび唄:お手玉の唄* UP
2006.03.28
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3月26日、娘のミナ、ちゅん太と近くの公園に。帰りに電車で帰る。家に帰って鍵を開けようと、財布を探したがない。鉄道会社に連絡、警察に連絡、カードの停止・・・。ぼんやりしているからと落ち込む。なんだか、最近体調が変。後頭部の頭痛、軽いふらつき・・・。2週間ほど前に受けたMRIの結果はよかったのだけれど、見過ごしはないのだろうか・・・。4月になったらあれもしよう、これもしようと思っていたのに・・・。桜は、三部咲きくらい。あと数日で、見頃。花見さえも出来ないのではないだろうかと不安がよぎる。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月27日*天地にわびて一輪いただく * UP
2006.03.27
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父の葬式は、やらないと決めていた。遠くの親戚に、会社を休んでまで来てもらうのは、気の毒だ。この先、なにかあっても、お返しが出来ないかもしれない。私たちは、故郷を遠く離れて暮らしているのだから・・・。けれども、妹の夫や私の夫が、是非、すべきだと言って譲らなかった。麦わら帽子の父の 写真を飾ったささやかな葬儀をしたが、結果的には、良かったと思っている。通夜や葬儀の慌ただしさが、悲しみを紛らしてくれたのだから・・・。葬式が終わって火葬場に行く。火葬場の待合室は、ホテルのロビーのように明るく、ゆったりとしていた。そこで、待っていると、故郷の遠縁が数人、来て言った。「49日の法要を兼ねた『お別れ会』を、うちの村でやって。私らが、なにもかも用意するから・・・。いやとは、言わせんよ。」思いがけない、ありがたい申し出に、ビックリした。血の繋がった人は、誰もいない故郷・・・。家を空けて、はや5年が経つ、故郷・・・。その故郷で、村の人が「お別れ会」を開いてくれるという。百姓仕事と人と話をすることが大好きだった、なんの肩書きも持たない父・・・。人のねうちと、煙草の味は、煙にならないとわからない。そんな、諺が、頭をよぎった。::::::::::::::::::::::::::::●February 28, 2003の日記を再度アップしました。 ♪ピンポンパンポン~ピンポンパンポン~いつも、ご来店いただき、まことにありがとうございますm(_ _)m222222番をおふみのお客さま、いらっしゃいましたら、最寄のコメント、掲示板でお知らせくださいますようお願いいたします。♪ピンポンパンポン~ピンポンパンポン~写真は、年末の買い物、6666円のレシート。ねらったわけではないのですが( ̄▽ ̄) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月26日*父の麦わら帽子:花ぞ昔の 香ににほひける* UP
2006.03.26
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友人が散歩に誘いに来てくれたので、万歩計をつけて歩いた。ただ、散歩というのは芸が無いので、春を探すことにした。舗装された道路は、車が主役。ツクシもタンポポもレンゲもスミレも咲いていない。でも、陽射しは春で、気持ちいい。少し歩くと、ああ、菜の花・・・。菜の花も桜と同じくらい好き。道端の畑にコスモスを植えている町をよく見るが、なんで菜の花にしないもだろう・・・。日本の春には菜の花がよく似合うのに・・・。それは菜の花が単に鑑賞用の花ではなく、里の暮らしに必要だったから。美しい里山の風景といえば田んぼや山、竹林、小川・・・。これらは、全て、人が暮らしていくのに必要なものだった。菜の花もまた、菜種油を採るために植えたものだった。必要なもののある風景は美しい。 風景 純銀もざいく 山村暮鳥いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなかすかなるむぎふえいちめんのなのはな・いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなひばりのおしゃべりいちめんのなのはな・いちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはないちめんのなのはなやめるはひるのつきいちめんのなのはな 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月24日*雨の名前:菜種梅雨* UP
2006.03.25
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■イチロー語録“I LOVE 王 JAPAN”★「王監督の偉大さを感じるし、そういう監督のもとで(野球が)できる。恥をかかせるわけにはいかない」(1月12日、日の丸を背負って戦うことについて)★「戦った相手が“向こう30年は日本に手が出せないな”という感じで勝ちたいと思う」(2月21日、福岡合宿初日の会見で)★「ボクらは何かあるんだ、自分たちは何かを持っているんだと感じています」(同16日、米国がメキシコに敗れ、準決勝進出が決まって)★「勝つべきチームが勝つべきだと思っていた。ボクらが(決勝へ)行くのは当然だと思っていました。最高に気持ちいい」(同18日、準決勝で韓国を6-0で破り)+++WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)でのイチロー選手の発言がとりざたされている。特に「向こう30年は・・・」という発言は、韓国の反感をかった。けれど、たんに「勝ちたい」と思うだけでは勝てない。「どういう勝ち方なのか」という具体的なイメージが大事になってくる。そして、それは、なにも野球だけに限らない。例えば、「痩せたい」と思う。これも、たんに痩せたいと思うだけでは、行動に移せない。「この服が着られるようになりたい」といった具体的なイメージが必要になってくる。環境問題でも、よく言われる「自然を守ろう」と言う言葉。その守る自然は、裏山の風景なのか、近所の鎮守の森なのか、近所の川の水をきれいにすることなのか・・・。具体的のイメージが強ければ強いほど、目標に到達しやすい。イチローは、そのことを知っていたから具体的に勝つイメージを言ったのでは、ないだろうかと思う。*言葉が種になる*思いを言葉にする事によって希望や願いが実現する、という意味の韓国の古い諺です。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月23日* お彼岸 * UP
2006.03.24
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♪ジャパーン~、ジャパーン~(郷ひろみ風)WBCで優勝した王ジャパンの帰国をテレビで見ながら、以前に受けた講座を思い出していました。ある目的を達成するには、二つの機能が必要です。ひとつは、「技術的な機能」、もうひとつは「心理的な機能」。●技術的機能これは、いかに速い球を投げるか、いかにストライクを多くとるか。あるいは、いかに、ヒットやホームランを多く打つか、いかにバントを上手に打つか。そんな機能をいいます。●心理的な機能これは、メンタルな部分。いかに、チームをまとめるか、チームワークをよくするか。そのチームにいて楽しいと思えるか・・・。そんな機能のことです。この「技術的機能」と「心理的機能」がうまくかみ合ってこそ、実力以上の力が発揮できるのです。だから、チームには、技術的に優れた人もいるし、技術面で劣っていても、場を盛り上げるオワライ系も絶対に必要です。これは、単に野球のみならず、ボランティアのグループでもいえます。例えば、「野草の観察会」を自然保護団体がしたとします。そんな時、野草の名前や食べ方を知っているのは、「技術的機能」を持った人。でも、野草を食べて「美味しい!!」と喜んだり、名前を聞いて「ダジャレ」を言って場を和ます人がいれば、観察会は、盛り上がるもの。長いこと自然保護を言いながら、鳥や野草の名前を知らない私は、もっぱら、ダジャレ&喜び組。もっと技術的機能を高めねば・・・なんて考えないのが進歩しない原因 。_| ̄|○♪ジャパーン~、ジャパーン~(郷ひろみ風)と歌いながらそう思ったのです。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月23日* お彼岸 * UP
2006.03.23
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優勝キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!! いやー、いい仕事しましたね、王ジャパン!!私は、韓国戦も決勝戦もリアルタイムでは、見ることが出来ませんでした(ノД`)結果を何回も何回もはしごをして、見るたびに、嬉しくなってしまいます\(゚▽゚*)/王ジャパンの選手たちは、今やヒーロー。ヒーローといえば、決勝戦で戦った日本の相手、キューバのカストロ議長は、キューバのヒーロー。カストロ議長は、大の野球好きで、昔、野球の選手だったんだって。キャッチボールの相手が、チェ・ゲバラ!!*カストロとゲバラ*といえば、カリスマ革命家。ふたりとも、めちゃ、かっこいい、イケメン!!その二人が仲良く、キャチイボールなんて、なにか微笑ましくもあります。キューバの選手の帰国歓迎会でも、歓迎の演説をしていたカストロ議長。その会場には、ゲバラの写真が飾られていた。+++日本では大いに盛り上がった、「WBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)」、アメリカでは、そんなに知られていなかったみたい。だからなの?松井や井口、城嶋が参加しなかったのは?アメリカもベストメンバーでは、なかったみたいだし、ボブなんたら言うけったいなエコヒイキ丸出しの審判がいたりして・・・。日本は最後に大差で勝ったから、ボブ・エコヒイキの悪意に満ちた誤審も笑い話になったけど、これが近差で負けていたら、腹の虫が収まらないところ。それと、韓国もがんばった。日韓共催の2003年のワールドカップ、「冬のソナタ」に代表される韓国ドラマの人気、と日本と韓国の国民がお互いに近くなった感じがします。野球の交流ももっと度々やって、交流を深められたらいいなと思いました。組み合わせにしろ、公平さを欠いた審判にしろ、「?」と思う大会だったけど、日本が勝って嬉しい。アメリカが優勝しなくて、本当によかった。\(゚▽゚*)/**チェ・ゲバラ&カストロ**1953年大学を卒業したゲバラは、カストロと運命的な出会いをする。医者のたまごだった、ゲバラは、その後、革命に身を投じる。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月22日*めだかの学校・・・* UP
2006.03.22
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21日は、弘法大師の命日。この日、京都の東寺では、骨董市がたちます。骨董品、大好きな私は、妹と一緒に行ってきました。広い境内に1000軒以上の露店が並び、大賑わい。この日は、彼岸の中日もあって、いつもより人が多く、テレビも来ていました。うちには、古い漆器や食器、家具まであるから、もうこれ以上いらない。だからもうこれ以上は、持たない、買わない!!これ、なにに使っていたんだろう?と思うようなものもあって、骨董市は、見るだけでも楽しいのです。そのうち、妹が、お茶の「なつめ」を1500円で、ゲット!!安い!!私もなにか記念に欲しいと、きょろきょろ見回すと、ちょうど欲しいと思っていた、小鉢が・・・。小鉢は、なべをした時にも、関東炊き(おでん)を入れても、煮物を入れても、サラダを入れてもいいというスグレモノ。そんな小鉢が、50個ほど無造作に積んでありました。「あっ!!*うぶだし!!」と思わず心で呟いて、しゃがんで見てしまいました。値段を聞くと、500円!!!(゚∇゚ ;)エッ!?、500円??!!信じられない・・・。これぐらいのだったら、2000円以上が相場なのに・・・。「うぶだしですねん」と露店の奥さん。旧家などの蔵に眠っていたものを買い付けることをうぶだし(初出し)と言います。直接買った、その分安くなるというわけ。骨董の世界には、うぶだしをして回り、それを骨董商に売る「うぶだし屋」という商売もあるとか。本当は、このまま全部、一緒に旅館や料亭で使うのがいいのだろうけど、旅館や料亭を開く予定のない私は、その中から5個買いました。嗚呼、またシンプルライフが遠のく・・・。 _| ̄|○でも、嬉しい♪ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月21日*お彼岸のトリビア:お彼岸は、ピクニックの日であった。* UP
2006.03.21
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♪春は名のみの風の寒さよ~さぶ~~。昭和30年代の子どもは、寒い時、なにを着ていたのか?答えは、「ちゃんちゃんこ」。昔も子どもは、親に作ってもらったちゃんちゃんこを着て遊んでいた。「ちゃんちゃんこ」は、羽毛の代わりに綿が入った、袖の無いダウンジャケットみたいなもの。「ちゃんちゃんこ」といえば、還暦のお祝いに赤いちゃんちゃんこを着る風習があったが、今の60歳は、そんなものを着ない。+++写真のちゃんちゃんこは、実家にあったもの。親戚の家から母がもらってきて、箱の中にしまったまま長い間、眠っていた。実家に誰も住まなくなって、着物の処分をしようとして見つけたもの。子どもが生まれて、お宮参りや七五三の晴れ着として着たものをちゃんちゃんこに縫い直したもの。もう、誰もちゃんちゃんこなんて、着ないし作らない。だけど捨てられなかった。だから捨てられなかった。冬の間、私の部屋に掛けて楽しんでいる。孫のちゅん太(2歳)がもう少し大きくなったら、着せよう。そして、こんなにものを大切にしていた時代があったことを伝えよう。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月19日* 大阪の地名:「御祓筋(おはらいすじ)* UP
2006.03.20
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今日、里山で炭焼きを手伝ってきた。帰りは、友人と野道をテクテク歩く。「あっ!!ノビル!!」とさっそく根っこから採った。小さな球根が可愛らしい。私が子どもの頃は、ノビルをおみい(雑炊)に入れて食べていた。来年もまた食べたいから、数本しか採らなかった。茹でて、酢味噌で食べよう。ニンニクのことを古名で、蒜(ひる)といい、野生する蒜(ひる)という意味から、ノビルになったとされています。 里山に行くと、ほんの少しでも、里山保全に役立つことをしたい。そして、その見返りとして、ほんの少しだけ、自然の恵みを受けたいと思う。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月19日* 大阪の地名:「御祓筋(おはらいすじ)* UP
2006.03.19
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二月最初の午(うま)の日を「初午(はつうま)」という。が、本来は旧暦二月の最初の午の日。旧暦では1月から3月が春。元々は春先の行事だったのが、冬の一番寒い時期の行事となってしまった。こんなの「初午」じゃない (ノ`Д´)ノ彡┻━┻と思ったのか、最近「3月18日、はつうま」の張り紙を写真の近所神社で見ました。先月城之崎温泉に行った時、通った、出石でも「出石初午」が3月17日、18日、19日と行われるというポスターが貼ってあった。+++寒い冬が終わって、暖かい日差しを感じる頃になると、外に出かけたくなるのは、人間の性分。春先の気候のいい日に、近くの寺社に参るという大義名分で、田畑仕事も、家事もみんな休んで女たちは、連れ立った出かけたと父がよく言っていた。「初午」は、はるか平安時代から盛んだったそうだ。こんな、由緒正しき遊びは続けなくては・・・。そう思って、明日友人と、里山で遊ぶ予定。この他にも、今月いっぱい、予定が詰まっている。桜も咲き始めるし、いよいよ行楽シーズン到来♪今日から春の彼岸の入り。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月18日*■テレビしびれて■「恋する京都」* UP
2006.03.18
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寒い!!もうすぐ、彼岸の入りだというのに寒い。だから献立は、体が温まる、なべにしよう!!ヘルシーな、なべは体重が気になる私たち夫婦の強力な味方と週に一回はなべにしている。が、しかし、先日の新聞を見て、 ガクっときた。ナベには、欠かせない豆腐の材料の大豆が、豆腐と関係のない、南米で作られているという。南米から日本まで大豆を運ぶエネルギーを考えると、少々、電気のスイッチをマメに消しても、合わないと思って、がっくりきてします。+++1995年から、東京都の面積の5倍にあたる100万ヘクタールが毎年、大豆畑のなっているという。以前はリンゴ園だった農場も、リンゴの木などを引き抜いて大豆畑に変えてしまう。大豆は連作すると土壌がやせ病害になるからと他の作物を勧めても、「大豆の方が儲かるから」っと相手にしないそうだ。私は毎週、生協で豆腐とアゲは注文している。醤油も国産大豆使用のもの。でも、納豆が体にいいと夫が納豆をスーパーで買ってくる。だから、「私の家は、輸入大豆を使っていません」と胸をはって言えない私。命を育て、恵みをいただくという農業の精神をいつの間にか、失ってしまった現代人。なべの豆腐を切りながら、そんなことを思った。農業は、生きものとともに暮らす仕事である。春の訪れとともに生まれ、秋が終わるとき死んでいく夥しい数の生命を育て、また、看取る仕事である。 (玉村豊男)::::::::::::::魚の乱獲を防ぐため、アラ料理のススメ 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月17日*こんな公園あったらいいな・・・。* UP
2006.03.17
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滋賀県の大津市で今、猿の大群が暴れている。墓地でお供え物の花をかじったり、柿を木から落として食べる作物は荒らされる・・・。家の中まで入って来る。町の人たちは、爆竹などで追い払おうとするけれど、すぐ帰って来る猿。エアガンを手に猿を追い払う住民まで出て、捕獲作戦に乗り出したが効果はなし。この大騒ぎの原因は今を猿じゃなかった去ること40年前に遡る。山に自動車道を作り、野生の猿の住処を奪った。その代わりにと比叡山では野生猿を観光の目玉にしようと大津市が餌付けをしていた時期もあった。ところが、40年たった現在、猿は増えすぎてしまった。そこで、滋賀県は個体数調整、つまり群れの一部を射殺する事決定。それに反発して、滋賀県には動物愛護団体などから射殺の方針を撤回するよう求める声が寄せられている。住民の中にも、少ないながら反対派もいて、住民集会では、喧嘩腰の言い合い。それをテレビで見ていた我が家。「猿は、棲家を追われて、人間がエサをくれるっていうから、住んでいるだけなのに・・・」と猿に同情する私。「ほんなら、ジブン(関西では、相手のことをジブンと言い、自分のこともジブンを言う)が芋を作っていて、それを猿に取られたら怒るやろ?」と夫が住民に理解をしめし、これまた喧嘩腰。「私は、猿には怒らへん。滋賀県・大津市に怒る」と夫の言葉に怒る私。「猿がはびこる背景の1つにこの地域に平安時代から伝わる猿信仰があり、猿は神さまの使い「神猿(まさる)様」として崇められてきた」とテレビ。猿ものは追わずともいかずに住民は頭を抱えている。猿は増えすぎると、銃殺される。人間は、多すぎるのに、「少子化対策」なんてなんか、割り切れない思いがする・・・。◎地球を救う127の方法:頭の使い方・考え方◎120.美しいもの、目を惹くものや、利用価値のあるものだけでなく、全ての生き物を大切にする。(「タデ喰う虫も好き好き」 「ミミズだってオケラだって、アメンボだって、みんなみんな生きているんだ!」 存在するものは、それだけで意義があるんです。)123.熊や鹿が村に降りてくるなど、ペットや人間と、野生の動物との対立抗争事件があったときには、 野生動物の弁護を買って出る。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月16日*里山* UP
2006.03.16
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木灰は古くは酒作りに使われたが、このほか染色の媒洗染剤、焼き物(窯業)における釉薬、洗剤、食料加工、肥料などに使われていた。とりわけ、広葉樹の木材がよく、媒染剤ではとくにツバキの灰が使われた。これは灰の中にアルミニウムイオンが含まれているからである。西日本に分布するハイノキは燃やした後に灰が多く残るところからつけられた。こうした需要の多さから、専門に灰を扱う灰問屋が知られている。「環境の民俗」より・・・・・・・・・・先日、友人と京都をうろついていたら、家の前に、袋に詰めた「灰」を売っているのを見た。火鉢やお茶の風呂なんかに使うのかな・・・。さすが、古いものがある京都、と感心しながら帰った。+++私が子どもの頃も、食器を洗う時の洗剤の代わりに、ワラビなどのアク抜きに(アクの漢字は灰汁!!)畑の肥料にと使われていた灰。そういえば、「花咲じいさん」が枯れ木に花を咲かすというマジックの小道具は、灰!!燃料としての役目を果たしてもまだ、いろんなことに使える草木灰(そうもくばい)は、エライ!!もちろん、この灰は、草木を燃やしたもので、紙やプラスチックなどが入ってはいけない。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月14日* セピア色の入学式 * UP
2006.03.15
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2月14日を女性から好きな人にチョコレートを贈る日「バレンタインデー」にしよう。そしてその一ヶ月後の3月14日を「ホワイトデー」とし、チョコレートをもらった男性が、お返しにお菓子を贈る日にしよう。そんな菓子屋、越後屋の悪巧みにまんまと乗ってしまった、日本人。( ̄m ̄*)ところで、私の記憶が確かなら、「ホワイトデー」のお返しのお菓子って、*マシュマロ*だ!!**マシュマロ**マシュマロとは、ゼラチン・卵白・砂糖などを混ぜて作られた弾力のある洋菓子。マシュマロは、植物「ウスベニタチアオイ」の英語名「marsh mallow(マーシュマロウ)」が語源で、マーシュマロウは「沼地の葵」という意味。マシューマロウの樹液に卵白や砂糖を混ぜたものを「マシュマロ」と言ったが、19世紀頃に現在のゼラチンを使う作り方に改良され、「マシュマロ」という名前だけが残った。マーシュマロウの成分には喉や胃腸の炎症をを抑える効果があるため、お菓子のマシュマロが作られる以前から、咳止め用トローチの原料などにも使われており、薬用植物としては古代から用いられていた。「へえ~~!!」「バレンタインデー」が普及する前に結婚してしまった私は、この国民的イベントに参加したことがないのですが、今の若いオンナのこたちが、マシュマロで満足するのだろうかと気になる今日この頃。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月13日*トウがたつ。* UP
2006.03.14
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今から30年以上前のドラマを見た。先日、亡くなった、演出家で作家の久世光彦(くぜてるひこ)さんの追悼番組として、1974年の人気ドラマ「寺内貫太郎一家」が放送された。■あらすじ■東京・谷中で三代続く老舗の石屋の主人・寺内貫太郎一家の物語。貫太郎は、いわゆる雷オヤジ。101キロの巨体で妻に手を振り上げ、ちゃぶ台をひっくり返し、止めに入った息子をも張り倒す毎日である。そんなマナーに欠ける雷オヤジだが、実はものすごく不器用に家族を愛しているのだった。■出演■小林亜星、加藤治子、悠木千帆、梶芽衣子、西城秀樹、堺正章、浅田美代子、左とん平、由利徹、藤竜也、篠ヒロコ、横尾忠則、伴淳三郎、ほか 出演者が、ものすごく若い。浅田美代子、西城秀樹は、まだ十代だったのかもしれない。おばあちゃん役の悠木千帆は、20代?今、80歳を越えている、加藤治子さんもこの時は、今の私よりも若い!!!それに「じゅり~~」も若い!!「久世光彦さんがえがいたものには、なぜか、「絶滅」寸前のものが多い。「時間ですよ」では、風呂屋、「寺内貫太郎一家」では、石屋、「ムー一族」では、足袋屋・・・。」と先日の日記に書いた私。でも、絶滅寸前なのは、風呂屋、石屋、足袋屋だけではなかった。働く人の心意気もまた、違った。金儲けのためなら、平気で偽装する今の社会。それに比べて、たんに金儲けだけでなく、職人の心意気のようなものが感じられた。やっぱり、昭和は、遠くなってしまったのか・・・。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月13日*トウがたつ。* UP
2006.03.13
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すみれ色の涙byジャッキー吉川とブルーコメッツスミレって、スミレってブルーな恋人どうしが キスして、キスして生まれた花だと思うの寂しかったから あなたを信じて寂しかったから あなたを愛した悲しかったから あなたにさよならをそして一粒 すみれ色の涙・・・・・・・・・「スミレ」という花の名前を聞くと思い出す言葉は、「ぽかぽか」とした「温かい」「春」・・・。私が子どもの頃の昭和30年代の田舎では、スミレは、どこにでも咲く春の花だった。春になるとクローバーにタンポポを混ぜて首飾りを作ったけれども、スミレは、その中にも入らない小さな花だった。陽のあたる場所で、咲いていたのだけれど、それでも、目立つ花ではなかった。目立たないけれども、「日陰」のイメージの無いスミレは、「ブルーな恋人どうし」、「寂しかった」、「悲しかった」、「さよなら」、「そして一粒 すみれ色の涙」という言葉とは、無縁だと思っていた。なのに、「すみれ色の涙」をはじめて聞いた時、「ああ!!」と不思議に納得してしまった。+++子どもの頃は、咲いているのをを見ても摘みもしなかったのに、今では気になって仕方が無い春の花。懐かしがって、今年も鉢植えのスミレを買った。小さな花が可憐に咲いている「エドスミレ:ゆしま」。ついでに、西洋スミレの白や紫、紫紺、青の4株を買って暖かい春の日差しの日に植えた。スミレにはやっぱり、こんな暖かな日差しが似合う。こんな日を「すみれ日和」とよぼう。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月12日*まな板の語源* UP
2006.03.12
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無計画な増改築の繰り返しで奇怪な間取りになった狭小住宅。プライベートな部屋などなく、それどころか、階段は、狭く急で危険。収納不足であふれる物・・・。そんな、住みにくい家を住みやすくオシャレに劇的に変身させる番組*「大改造!!劇的ビフォーアフター」*が3月19日の放送をもって終了する。私も以前、何度か見たことがあって「うちも、あんなにきれいにしてくれないかな~、タダで・・・('ー;')」と思っていました。そして、もうひとつ、思っていたのは、古い家を改造するシーンで「わー、アスベスト、出てそう!!(゜ロ゜*)」でした。去年は中皮腫(ちゅうひしゅ)、肺がんにかかった人のことが取り上げられて、*アスベスト問題*で大いに感心が強まったと思ったのに、その後耐震強度偽装などが出てきて、今や忘れられたみたい・・・。でも、この番組は大人気だったのにやめるのは、アスベスト問題のことがあったのかも・・・。安全で住みやすい家に住むための改造は、仕方の無いことだけど、作業には気をつけて欲しい。そのてん、古い家はいい!!町屋はいい!!アスベストなんか使っていないもん。オシャレで、環境にもいい町屋を是非、残して欲しいと、どうしても、話をこういうところに持っていく私。( ̄▽ ̄) **アスベスト**アスベストは非常に細い繊維です。1本の繊維の太さは、髪の毛の5000分の1くらいです。熱や薬品に強く、磨耗に耐え、「ピアノ線より強い」と言われるほど切れにくく、紡いで織ることもでき、しかも安い・・・こんな便利な繊維はほかにありません。一時は「奇跡の鉱物」とか「天然の贈り物」と呼ばれ、さまざまな用途に使われてきました。あなたの身の回りにも、あちこちにアスベスト製品があるはずです。 ところが、この便利なアスベストの繊維を肺に吸い込むと、20年から50年後にがんになるおそれがあるのです。「奇跡の鉱物」は、同時に「静かな時限爆弾」だったのです :::::::::::::::::::::::::::::::::ニュース・石綿被害者救済法、27日施行政府は7日、石綿による健康被害者救済のための石綿新法の施行日を今月27日とする政令を閣議決定した。同法は申請の受け付けを施行の1週間前からと定めており、20日の受け付け開始が確定した。 対象は石綿が原因で中皮腫(ちゅうひしゅ)、肺がんにかかった人とその遺族。時効で労災が受けられなかった労働者は労働基準監督署で受け付け。工場周辺住民らは、独立行政法人「環境再生保全機構」(川崎、大阪)か、環境省の地方環境事務所(札幌、仙台、さいたま、新潟、名古屋、大阪、岡山、広島、高松、福岡、熊本)に申請する。 全国の保健所での受け付けは、4月以降、順次始まる予定。問い合わせは、同機構のフリーダイヤル(0120・389・931)へ。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月11日*万葉集メモ:こもよみこもち * UP
2006.03.11
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今年になって、月曜日と金曜日のみ出勤の私たち。久しぶりに会って、得意先の人生の先輩のミヨさんも入り、話に花が咲く。私「みんな、休みには、なにしてんの?」「おかずの用意をしたりしてけっこう忙しいわ」と得意先のミヨさん。私「チェゴサングン様~ヽ(゜∀゜)ノ 」「あんたも見てるんか?( ゚∀゚)人(゚∀゚ )NHKの韓国ドラマ??主人公の女の子の名前、なんてゆうんやった?」とミヨさん。私「チャングム!! 」ミヨ「そうそう、チャーミング!」チャーミングって・・・。 _| ̄|○久しぶりの会社にみんな、生き生きとした表情。一時は、辞めようかとも思ったけれど、辞めなくてよかった。(^-^) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月9日* そうだ京都いこう!*杉本家雛飾り展* UP
2006.03.10
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先日、城之崎温泉に行くときに通った円山川での治水工事を見ながら、夫と二人で言った。「これからは、台風がどんどん増えるから、イタチゴッコやな。」「ようは、地球温暖化をどうするかが、問われているのにね・・・。」二人でため息をついた。度々、氾濫する円山川。では、昔の人は、そんな円山川とどうやって付き合っていたんだろうと思った。+++但馬豊岡の地で生まれた「柳ごうり最中」+++豊岡市を貫流する円山川は、かってはその水路の蛇行によってたびたび氾濫を起こしておりました。それは、周辺流域に柳の生育に適した湿地と肥料をもたらしました。杞柳細工の原料である但馬柳(杞柳)は、学名「コリヤナギ」と言い株を植えておけば毎年一株から数十本の細い枝を出します。皮を剥ぎ、乾燥させて籠や曲物などに編み上げ作業は、冬季雪の多い当地では農家にとって良い副業でもありました。+++風が吹けば桶屋が儲かるではないけれど、台風で大水が出れば、柳が育つ!!自然にさからわずに、逆手にとって、その地方の特産物にしていくという昔の考え方。これこそ、自然との共生といえるのでは、ないでしょうか。子どもの頃、この時期になると川のほとりに*ネコヤナギ*にを採りに行った。手折って、そのふわふわした、銀色の小さな毛皮のような芽?を撫でていた。そんな小さな春の楽しみさえも、出来ないほど日本の川は、人工的になってしまった。+++●イラストは、ウイリアム・モリスの有名な柳の壁紙のパターン。●「柳ごうり最中」食べたかったな。( ̄~ ̄) 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月9日* そうだ京都いこう!*杉本家雛飾り展* UP
2006.03.09
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先日、城之崎温泉に行く途中、出石川を通った。「出石川リバースプロジェクト」なる看板が掲げてあった。川をいじくりまわすという意味の名前らしい。その「プロジェクト」のため、水が濁っていた。当然、魚は、住み難くなるだろう。その魚を餌に生きている、鳥達が住み難くなるだろう。岸の草が消え、それをねぐらにする、水鳥が減るだろう。そんなことを考えていたら、景色は変わって、*円山川*に沿ってバスは走った。景色は変われど、人間のやっていることは同じで、円山川でも、工事をしていた。この円山川周辺は、去年の台風で大きな打撃を受けた。バスの屋根に上って、助けを待つ映像は、衝撃的で、何度も何度もテレビで流された。あんなことは、もうごめんだ。だから、川をいじろうということらしい。最近の川の工事を見ると、蛇行している川をまっすぐにして、大水の時いかに早く水を流すかということがなされている。がしかし、山を守らないと、川は守れない。山間部に降った雨は、ちゃんと管理された山であれば、木の葉が、根が水を吸って、山肌に水を溜める。そして、地下水となって、時間をかけて、放出される。国は、円山川、出石川の治水に総額900億円を投じるるという。その何分の一でもいいから、山の保全に使って欲しいと思う。そのことが、長い目でみれば、治水になるのだから・・・。蛇行する川には蛇行の理由あり急げばいいってもんじゃないよと 俵 万智●○●今日の健康●○●●2/25ごろから、頭痛。10日間続いた。今日、精密検査を受けたが異常なし。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月8日* ♪春よ来い・・・赤い鼻緒のじょじょ * UP
2006.03.08
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多くの人気テレビドラマを手がけた演出家で作家の久世光彦(くぜ・てるひこ)さんが2日、70歳で亡くなった。「七人の孫」、「時間ですよ」、「寺内貫太郎一家」、「ムー一族」・・・。久世さんの作品を並べると、それを見ていた、当時の私が目に浮かぶ。最近では、昨年の新春番組で普段の夏目漱石をえがいた「夏目家の食卓」が記憶に新しい。多くの久世作品の中でも好きだったのが、「向田邦子新春スペシャル」。東京の中流の女学生の目から見た、戦中の日本がテーマだった。ドラマに出てくる女性達は、普段はつつましく暮らしていても、お正月は別。正月にはきちんと着物を着て、ご馳走を食べる。その、特別な日を迎えるために、大掃除をてきぱきをこなした。そんな、現代が無くしたものを久世光彦さんは、懐かしくえがいた。久世光彦さんがえがいたものには、なぜか、「絶滅」寸前のものが多い。「時間ですよ」では、風呂屋、「寺内貫太郎一家」では、石屋、「ムー一族」では、足袋屋・・・。私は、久世光彦氏のえがく、ノスタルジックな世界が好きだった。もう、見えないんですね、ノスタルジックな久世光彦ワールド。合掌。昏れなずむ過去をめざして旅をするノスタルジアといふ名の船で 星川 孝 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月7日*春を告げる、ネコヤナギ * UP
2006.03.07
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いやー、楽しかった。土曜日、東京から来た友人と京都で遊び、夜は「女遊び」。集まった11人の平均年齢は、50歳以上。年金、ボケ防止、老後、老人ホームなど話題も年々深刻なものになってくる。 _| ̄|○その中で「一日に最低、10人と会話する ことがボケ防止になる」とA子が言った。「(゚∇゚ ;)エッ!?、本当??」と私。「そうやで。『こんにちわ』だけでも、一人とカウントできるんやで」とB子。家にいたら、10人と喋るのは、なかなか大変だけど、会社なら簡単に達成できる。「今日は、この場で、10人以上と会話したね。( ̄▽ ̄) 」+++会社に行かない日は、10人に届かない日も。おじいちゃん、おばあちゃんから孫まで同居の大家族だった昔は、そういう意味で、よかったんだなー。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月6日*父の麦わら帽子:大地に帰る* UP
2006.03.06
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東京の友人が関西に遊びに来たので、京都に行ってきました。京都に残る古い町並みを町屋と言います。町屋を生かして、カフェやレストランなどのお店にするのが今、流行っています。建物を生かして、雰囲気のあるスペースにし、飾ってある花や器にも、新鮮な町屋のセンス。二人とも、町屋が大好き!!これまでにも、*「膳所間ぽっちり」*や*「一之船入(いちのふないり)」*などのレストランで食事をしたことがあります。今、大ブームの町屋も一時は、見向きもされず、とり壊され、ビルになったりしていました。高度経済成長期から、バブル経済期以降、多くの伝統的な町家が壊され、歴史的な町並みが経済価値優先の流れの中で失われていく・・・。この状況を嘆き、町家の保全・再生を望む有志によって、先人の知恵の賜物である京町家を継承しようと、「京町屋友の会」が発足しました。(平成4年)景観としても、環境の面からもいい町屋。その後ろには、長く地道な活動があったんですね。今回は、残念ながら、町屋でも食事は出来ませんでしたが、次回は、絶対に「omoya(おもや)」に行こうと張り切っている私たち。京都の楽しみは、神社、仏閣だけにあらず。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月4日*こって牛・・・「華岡青洲の妻」* UP
2006.03.05
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★監督賞★主演男優賞:吉岡秀隆★助演女優賞:薬師丸ひろこ★助演男優賞:堤真一★音楽賞★脚本賞★撮影賞★編集賞★美術賞★録音賞★作品賞をはじめ、賞を総なめにして、映画、「ALWAYS 三丁目の夕日」が日本アカデミー賞で圧倒的な強さをほこった。この映画を見て、私は懐かしさで涙が出ましたが、今の若い人たちは、東南アジアの発展途上国??って思うかも・・・。そんな貧しい時代。でも、皆が明日の暮らしに夢を見ることが、出来た時代。「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代、昭和33年とは、そんな時代でした。この時代を懐かしいと感じる50代以上の人だけでなく、若者にも支持されて空前の大ヒット。+++ところで、もうひとつのヒット作「パッチギ」の時代は、1968年。今でこそ「冬のソナタ」に代表されるように、韓国文化が日本に受け入れられているけれど、1968年当時の日本では、在日挑戦人に対する差別が露骨にあった。そのため、朝鮮人の家は、死人が出ても、棺おけすら家に入らないくらいに貧しかった。日本人の高校2年生の目から、当時の在日挑戦人の問題、南北朝鮮の問題などが見える。♪誰が祖国を分けてしまったの・・・映画の中で何回も流れる「イムジン河」(ザ・フォーク・クルセダーズ)は、映画の芯になっている。娯楽性と社会性のバランスがいい。タイトルの「パッチギ」とは、「突き破る、乗り越える」という意味を持つハングル語で、「頭突き」の意味。原作は、ザ・フォーク・クルセダーズのヒット曲「帰ってきたヨッパライ」の作詞者で、雑誌「ポパイ」や「ブルータス」などに編集者、ライターとして関わった松山猛の自伝的小説「少年Mのイムジン河」。もし、「パッチギ」が前年度の作品だったら、きっと作品賞ものなのに、と思うと少し気の毒。「ALWAYS 三丁目の夕日」は1958年、その頃、私の家には、テレビもラジオも冷蔵庫も洗濯機も、なんにもなかった。そしてそれから10年後の1968年は「パッチギ」の時代、電話は、まだ無かった。どちらも、私には、懐かしい時代。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月3日*雛祭 2005 * UP
2006.03.04
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しかし、それ(ルワンダの人々の苦しみ)は彼ら(白人)だけの罪ではない。有色人種でありながら西側に属しているわれわれもまた同罪なのである。1994年に、そのことを、われわれは知っていただろうか。見終わったあと、それが棘のように胸に残る。(上野昴志)・・・・・・・・・・10日間で100万人の人の命が奪われた1994年、ルワンダの内紛。そんな中、1200人の命を救った男の勇気ある行動を描く実話に基づく物語、「ホテル・ルワンダ」を見てから、なんと自分は、のんきに暮らしていたんだろうと思う日々です。ムリもない。アフリカと日本では、共通点がない。どうしたら、もっと身近に考えることができるのか・・・。そんな時に見た*アムダ*の写真展。そこには、難民キャンプの様子がうつっていた。難民達は、町を逃れ、森の中に入る。木を伐って薪にする。そのために棲家を追われるゴリラ。ルワンダの難民は、新たな環境問題を生んでいるのだ。大きな目で見れば、ルワンダの森林伐採は、地球温暖化につながる。「人間にとっての豊さを考えることと、地球にとっての豊さを考えることとは地続きの問題だ。」と倉本聰さんは言う。なら、ゴリラにとっての豊かさと人間にとっての豊かさは地続き。そして、日本人とルワンダ人の豊かさは地続きなのだ。そう思うことで、遠くのものを自分のこととして、捉えたいと思う。■参考■■「ホテル・ルワンダ」はシネ・ヌーヴォで上映中。■■心に残る棘:「ホテル・ルワンダ」■■ネットのチカラ「ホテル・ルワンダ」■ **AMDA**1984年に設立し岡山県に本部を置くAMDAはアジア、アフリカ、中南米において戦争・自然災害・貧困等により社会的・経済的に恵まれず社会から取り残されている人々への医療救援と生活状態改善のための支援を実施している、NGO・国際医療ボランティア組織です。1995年にはその功績が認められ、国連経済社会理事会(UNECOSOC)より国連の協議資格を授与されました。現在、アジア、アフリカ、中南米14カ国(現在の活動参照)で地域開発活動を実施しています。2001年8月30日、岡山県より「特定非営利活動法人」格を認証されました。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月3日*雛祭 2005 * UP
2006.03.03
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夫とバスに乗って、日帰りで城之崎温泉に行ってきた。大阪の繁華街・難波から3時間あまり。車窓から見えるのは、高さや大きさに制限のないビルや、空を走る高速道路と人口のものが続く。まあ、私たちも、その高速道路の上を走るバスに乗っているのだけれど・・・。行けども、行けども、際限なく続く家並みは、山に近くなると中腹まで続く。街に溢れた人口は、次々と自然を食い荒らし、そこに住んでいた動物たちを追い詰め、景色を醜いものにする。こんな所まで、人で溢れているのに、まだ「少子化」対策が必要なのだろうかと思ってしまう。山肌がむき出しになって居る所や、台風で倒れた山の木がそのままになっている所。竹を使わないから、竹やぶが氾濫して山を覆っている所・・・。街は醜いし、田舎の景色も悲しい。+++以前、娘2人と私の3人でイギリスの湖水地方に出かけたことがあった。ピーターラビットで有名な、湖水地方は、まさに絵のようだった。が、それにもまして、ロンドンからの列車から見た風景は、広々とした牧草地、石積みも塀・・・。草原には、ウサギまでいてこれぞイギリスというものだった。旅の楽しみの、半分は道中にあって欲しい。車窓から見えるもの、それは、景色という名の文化。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月2日*流し雛 * UP
2006.03.02
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ホテルの部屋を予約する時に「眺めのいい部屋をお願いします」というのが多くの人の希望です。山あいの旅館や海辺のホテルで眺めのいい部屋は美しい景色をひとりじめです。(略)窓の位置と大きさは、とても大事だと思いますが、窓から見える景色は、さらに重要です。市街地だと「眺望抜群」の期待は裏切られる可能性が大です。中途半端な高さから眺める街は、下品な看板や高速道路が目前に迫って、景色とは程遠いものです。(略)見晴らしがいいのと眺めがいいかどうかは、まったく別のものだと考えます。「インテリア レッスン」 津田晴美・・・・・・・・・・・映画「眺めのいい部屋」は、ホテルの眺めのいい部屋がとれなかった主人公、ルーシーたちに、自分達の部屋と交換してくれたところから、始まる。フィレンツェの街の中や郊外の景色と、服、イギリスでの優雅な暮らしに、うっとりとする。監督は、「日の名残り」「ハワーズエンド」などのジェイムズ・アイボリー。前と後ろに大きな駐車場のある、我が家では、「眺めのいい部屋」など、望むべくもなく、ブラインドが閉めっぱなし。(ノД`)**「眺めのいい部屋」**1907年、まだ封建的な風潮が強かったころ、イギリスの良家の令嬢ルーシーは、従姉妹とともにイタリアのフィレンツェを訪れた。開放的な地で、繊細で情熱的な青年ジョージと出会い、とまどいながらも心惹かれる。自分の気持ちに気づかず帰国したルーシーは、求められるままに貴族の青年と婚約するが、苦悩の中で本来の自分自身を発見する。若い女性の心の成長と真実の愛を描く永遠の名作ロマンス。 人気blogランキングへ・・・・・・・・・・・・・◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★3月1日*雛の花* UP
2006.03.01
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