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人によりけりだと思うけれど、昔書いた日記って、総じて黒歴史ではないだろうか?・・・少なくとも私はそう。多分、このブログも、古い頁によっては、読み返して『ああああああああああああ』なんてことになる可能性もあるだろう。なにしろ私は、日々思う事をストレートに書きすぎる事がある。そんな私が見つけたのは、私が学生時代にノートに書いた、オーソドックスな日記であった。因みに、キッチンに隠してあった。・・・これは、怖い。何を書いたか皆目覚えていないのだが、きっと熱くなったり寒くなったり、・・・ああ、考えただけで嫌な汗が出そうだ。断捨離序に見つけた古の日記、これは、真っ先に断捨離対象ではあるまいか。見れば精神衛生によろしくないのではないか?と、しかし私はページをめくってしまった。私はとにかく日記が苦手で、三日坊主ならずとも、三か月保ったことがない。だから日記はノートの半分で終わっており、数年後家計簿となって、最後までノートとしての使命を果たしてはいた。生まれて初めてパーマを当てた日の事が書いてあった。学校行ったら「感じ変わった」と皆に笑われた、とふくれており、(確かに、髪に全くかからないパーマに5時間かけた結果、チリチリボサボサになった)続く言葉に少し驚いた。私は友人のファッションチェック?批評をしているのだ。‐ ○○ちゃんはいつも可愛いなあ、あの子地味というかさっぱりしていて、 定番のジーパンにシャツが全く見飽きない。 私は母の言う“お洒落”よりあの子のお洒落を見習いたい。‐ ○○ちゃんも上手、あっさりしていたりかっちりしていたり、着合わせに全く違和感がない。 自分に似合う色をよく解ってるみたい。‐ 派手じゃない○○ちゃんも、髪留めやネックレスでうまくアレンジしてる。 さりげなく靴下が“world Polo”だったりしてニクイ。へぇ誰だよこれ書いたの。 素直に人を賛美できるいい子ではないか。ン十年前の自分が、少しかわいく見える。 不思議なやや左上がりの文字体で、みっちりノートを埋める私の言葉。誰に見せる訳でもない日記。今の私にてらいなくこれが出来るだろうか。‐ ダメなのはあたし。自信なくしちゃう。うまく着合わせ出来ない。 ジーパンとTシャツいいじゃないか、でもそうすると母がやかましい訳よね覚えていないが、私は母に服装についていろいろ言われていたらしい。そういえば高校生時代は、何を着ていたのかさえ覚えていない。冬は、学校指定のコートを羽織っていれば、何となくサマになったから。大学デビューした頃は、着るものが無くて妹の服もよく借りた。少し、あの頃に思いを巡らせてみた。素直に人を羨む気持ちを持ち、自分を鑑みて不出来を嘆きはするが、可能性を捨てない。・・・若い、ってことだ。今でなければ出来ない事もあるが、当然若い時分でなければならなかった事もあるだろう何かを捨てて、何かを得て、・・・何を得たんだろうな私は。日記はその他にも、久しぶりに逢った友人への述懐や、なにかと不甲斐なく思う自分への戒めなどが続き、‐ 私だって気ィつかってるもん。 とやかく言われるの我慢なんない。 私だって疾風怒濤(シュトゥルム ウント ドラング)の時代をクリアして・・・ふぁっ、もうやめよう。親にいろいろ言われることに不満を持っていたらしい自分が、誰にも言えない胸の内をノートにぶつけるくだりで、私は恥ずかしくなってノートを閉じた。わざわざルビまで打つとは。あああああああああ、誰だこんなイタイの書いた奴。さて、この日記、断捨離(る)か・・・あと10年経ってから今一度これを開いたら、やっぱり嫌な汗をかくんだろうか?素直な自分、思いあがった自分、何の責任も持たず、批判も賛美もストレートに言葉に出来たあの頃。こんなにも痛々しくて、こんなにも愛しいのは、きっと、歳をとったから。私は元在った場所に、ノートを再び隠した。見えるところには置いておきたくなかった。もう何十年かしたら、きっと笑い飛ばせるはず。その時自分が何をして、何に向き合っていて、世界がどうなっているか。・・・想像もつかないけれども。そうしたら、この日記、捨てちまえ。
2019.08.08
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偶然、本当に偶然、昔の仕事仲間に会った。昔の・・・職場の・・・別部署のひと。ひとしきり再会を喜び、話に花を咲かせかつて私の属した職場が無くなったことを知った。何となく分かっていた事だった。「好きな仕事の出来る幸せ」を人質に取り、個人の幸せを搾取出来るだけしてきた職場だった。だが、人生の一時期を、其処に賭けていた人が確実に居た精神を壊した人がいた。身体を壊した人もいた。それでも、日々の仕事に忙殺されながら明日こそは、と闘った記憶。明日こそは・・・今思うと、何を目指していたのだろう。理不尽に耐え、ひとの残酷さを嘆き、時に呪いながら。夜食を買いに行き、小腹を宥めるために菓子を分け合い、慰め合い、笑った。花が好きだった。緑が好きだった。いつでも戻ってきて、と言われていたが、これで戻るところは無くなった。でも、戻るつもりも無かった。あの時共に闘ったひとは、誰もいないのだから。闘ったものは何だったのだろう。仕事だったのか、社会だったのか、無能な雇用主だったのか。はたまた「人」だったのか。年頭から忙殺されていて、『報告したいことが沢山あるよ!ごはんいこ!』との、かつての同僚のお誘いを受けて、断ったままだった。・・・ああ、『報告したいこと』は、この事だったのか。皆どうしているんだろう。・・・それぞれの人生に、なに色を織り込んでいるのだろう。私は心を壊したままだ。話を聞かせてくれた人とまたね、と言って別れた。昔は存在していなかった彼女の連れた幼子を見て、時が確実に流れたことを感じた。
2018.08.28
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思い立って万願寺唐辛子を植えてみた。良く採れるらしいから、りっちゃんも喜ぶだろう。でも、採れた実を何故だかりっちゃんは食べようとしない。一体、ピーマンやパプリカと何が違うのであろうか。不思議。そして、私はあまり万願寺唐辛子を食べないのだがそれは(笑)。
2018.06.12
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母の病気が見つかった時、最初からかなり治療が難しく、進行すると大変な病だと解っていたつもりだった。だけど、『大変なことになるいつか』から、目を逸らした結果、「明日は今日の続き」が、突然断ち切られることにより、激しい後悔をすることになった。当時は、病気になられた方の体験談や、実録が無いかと必死で探したけれど、殆ど見つからなかった。だから、母が亡くなるまでの数か月を、私と同じ立場の誰かの参考になれば、となんとか文章にしたいと思うのだけれど、進まない。とはいうものの、病状がとても速く進み、他の病の併発、認知機能の衰え、寝たきり、転倒骨折、介護認定、入院、と半年間で怒涛のように起きたことを考えると、例えば、他の方たちが私の体験談を読んだところで、車椅子を早く導入すべきであるとか、もっと別の医者にかかるべきであるとか、そういう教訓に出来ようはずもなく。(私自身がもう一度半年前に戻ったとしても出来ないだろう。)果たして私が書き起こすことに意味があるのだろうか、とも考える。(私は知りたかったが)・・・今は元気な父も、私の死ぬまで存在する訳ではない。なら、例え許さなくても、後悔のない別れの準備をするべきではないのか、との意見は分かるのだが、怒鳴って自分の意を通そうとする尊大な態度、都合の良い嘘、誤魔化しの数々を、少なくとも今は許すわけにはいかない。それが認知機能の衰えによるものだと解っていても。あの人は、他人に謝るということをしない。謝ったら負けだと思っているようだ。今度は私の番だ。謝ってもらおうと思わないが、起こったことを無かったことになど出来ない。私は心底憎んでいる。入院したりでもしたら、嫌がる大部屋へ入れ、水を欲しがったら、コップに湯を入れてやる。・・・だけど、母が居なくなり、父が独りになった家で寂しがっているだろう、と思うと、怒りの行き場がなくなってゆく気がする。・・・少なくとも今はまだ、怒りを抱えていたい。
2018.06.11
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日本の国会で、もりかけだーなんだと超絶不毛な馬鹿騒ぎをしている折に、世界情勢は不穏なものになっていった。そんな最中に。私は母親を失った。父親から罵倒され、父親に怒号を浴びせ、母を激しく責めた一日後、母は自宅で静かにこと切れた。「後悔」って、何だったろうか?病院で号泣したのはついこの間のことだ。母に顔立ちがよく似ている私は、鏡を見るたびに母を見る。幽鬼のように痩せ衰えた母を、自らの30年後の姿に見る。泣いても喚いても取り返しがつかないことがある。私はそれをやってしまった。残りの人生、春になり、桜を見るたびに、私は痛みを追体験するだろう。
2018.04.16
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・・・おやすみですか起きていますか外は静かです。冷気が沁み込んできます。知っている人も知らない人も知っていた方もこれから出会う方も昼間ぶつかったあの人もにっこりコーヒーを入れてくれたあの人もおやすみなさいどうぞ良い年をお迎えください。
2017.12.31
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お久しぶりです。 残暑が酷暑のまま、夏が過ぎていこうとしています。 相変わらず、の毎日です。 老いた両親との付き合いが少し変わりました。 私自身が変わらなければ、いずれ破綻すると思ったのですが、 これまでもじっと我慢して来たのに、 これ以上何を我慢するのかという内なる感情との鬩ぎ合いで、 胃痛が増えるばかり。 そんな時、実家で肉じゃがを作ろうとして鍋を焦がしまして。 (実家を訪問しては、おかずを用意し、掃除をします。 ヘルパーさんを呼び入れるのは嫌らしい。) 言い訳をすれば、そんなに真っ黒に焦げ付いた訳でなく、 炒めた牛肉が一部、鍋底に張り付いた、と言うものだったのですが、 父は至極立腹し、もう要らぬことはするな、と宣いました。 私は綺麗に鍋の焦げを落とし、証拠隠滅して帰るべきだった。 ・・・ですが、家事を父に任せきりにしたら、またぞろ爆発するのが目に見えています。 仕方ないので、焦げの発生しない、茹でる、煮る、などの作業で、一品作るようにしています。 そんな父母が妹のところに赴きまして、 父が例によって、私が鍋を焦がしたことを愚痴り出しました。 母が、「○○(私の名)に○○して貰って助かったわ」、等と言うと、 普段助かった、などと賛美して貰えない父は面白くないのです。 だから私の失敗などを殊更に論う。 結局、誰かに自分を褒めて認めて貰いたいという願望が滲み出ているのであって。 何かをした時、自分がこれだけの事をしたのに、誰も評価してくれない、 などという意識を捨てろ、と幼少より説き聞かされてきた本人より受けるこの仕打ち。 そうしましたら、 その場にいた五歳の姪が、何故か突然めちゃくちゃ怒り出したそうで。 「なんでそんなことをゆうの!」 と、怒りながら父(姪にとっては祖父)の腹をグーで叩き続けたらしい。 聞いても分かるまいと思っていた父は面食らって、何も言えず、何も出来なかったとか。 そう締めくくった妹が、 「お姉ちゃんの仇は見事取ったよ!」と、言うのをぼんやり聞いていました。 私にはもう、父に抗う気力がない。 父を怖がらない五歳の娘に負けるのだ。 ・・・そう、過日友人にぼやきましたら、 「ブフオッ!!」 ・・・何故か友人がいきなり噴出しました。 「あ、あかん、想像しただけでいくらでも噴き出すわ。 むっちゃ見たいやん!五歳の女の子がおじいちゃんに食って掛かるとこ!」 「・・・そ、そう?」 斜め上の反応に、正直戸惑ったのですが、 ・・・直ぐ、彼女なりに元気づけようとしてくれてるんだと悟りました。 ・・・ 吹き出す程面白い事とまでは思わなかったけど、 まぁ、笑っちゃえれば世は事もなし、なのかな、なんて思ったりして。 ・・・そう、 ・・・ ・・・たかが鍋を焦がした話、・・・ですもん。http://nico.ms/sm31751496
2017.08.25
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実家の母が弱っていて、しばしば様子を見に行く。その度に、父親と喧嘩する。年を取ってお互い丸くなったら、少しは歩み寄れるかと思いきや、そう巧くはいかなかった。大抵、いかに自分が日々大変な思いをしているか、頑張っているかを父は話す。(と言っても、それをせねば一体何をするのだ、というもの)こんな理屈に合わないことがあった、などと訴える。うんうんと聞いたり、それは違うよ、と意見したりする。その時、かなり気を遣って遠回しに意見する訳だが、反論を受けると父は気に入らないのだ。私は結構父から拳固を受けたり、怒鳴り声を聞いて育ったので、今だって、父を怒らせるのはとても心理的に苦痛である。だから、言葉を選んで慎重にものを言うのに、伝わらない。可愛がって私を育てた、手をあげたことなど一度もない、と父は言ってのける。一人で育ったような顔をするなと言う。可愛がられた記憶がないわけではない。 可愛がってくれたのも事実ではあろう。だが、しょっちゅう打たれた記憶だって消えやしない。殺すぞ、と言われたことは夢だったのだろうか、私は殺してみろ、と泣いたのに。本気で記憶がないのだろうか。それともあれは私の幻想だろうか。それとも、父は無かったことにしたいのだろうか。歳を取った親には須く忖度せよという事であろうか。育ててくれた恩もあるし、感謝は忘れていないが、だからといって、親のいう事を全て頷いて聞くことが、子の務めでもないはずだが。そういう理屈すら、もう通じそうにない。己が正しいと信じて疑っていない。気持ち良く過ごして欲しいと願う反面、鬱屈した気持ちばかりをぶつけられて、一体どうすればいいのか、母は弱ってゆくばかりだし、父もまた然りであろう。・・・方法が見えてこない。
2017.06.05
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明けましておめでとうございますのタイミングを逸して、早5か月、皆様、お元気でいらっしゃいますでしょうか。私は相変わらず、時間に振り回されつつ生きております。先だって、これは本当に近所で戦争始まるだろうか、というタイミングがあって、何故か某国に、オマエんとこに火の粉かけたる、とか恫喝されちゃって、ミサイル飛んで来たらこんなアラート鳴るんだ、なんて不思議にしみじみしたりして、もし、ここで世界が終わるようなことがあれば。後悔も一緒にあの世に連れてかなきゃなんないんだなぁ、などと思った次第で。後悔、・・・なんだろうな、きっと。ふと書きたくても書けなかったblogのことを思い出しました。ここ5か月程、結構皆さんのところへ巡回はしていましたが、ビックリする位何も書けなくなってしまっていたので。少しずつ、ことのはを取り戻そう。私にとっての言の葉を。そう思って、今日はPCのモニターに向かっています。*****あ、リドル君は元気です。羽根はまだ抜いちゃいますが。人の言葉をほとんど覚えないリドル君が、最近、一つ言葉を覚えました。「オイチー!!」です。「おいちい?」と尋ねる私の言葉をトレースしているので、微妙に「オイチー」と語尾が上がるのがご愛敬。例えるなら、ツクツクホーシの、ホーォシッ、ホォシッ、ホォシッ・・・という鳴き声にイントネーションが似ている気も、します(笑)。
2017.05.13
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びっくりしたわー。年越しそばをつくろー、って、今日買ってきた蕎麦を取り上げたら、三日前に賞味期限切れてた、っていうね。今日買ったんだよね、これ、どういう事なんだろうこれ、ってね。つっても、買った蕎麦はこれっきゃ無かった訳で、やむを得ず食べちゃったんですけどね。まぁ兎に角、食べ物を買う時は賞味期限に気を付けましょうという。厄落とし厄落とし(笑)さ、これで新年を迎える準備はできた。今年もお世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いいたします!!
2016.12.31
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困っています。2016年が終わります。終わるのに実感がありません。まるで、違う時空軸にいるようです。私は何処にいるんだろう。自分のブログの過去ログを少し見ていて驚きました。MMDについて書き込んだのは、一昨年の正月だったのか・・・。ダメだ、完全に時間の感覚がゲシュタルト崩壊してる。個の顔と、全体の顔、見える世界に、見せない世界、建前と内実、・・・何処にいるんだ?本当に。いつも砂を吐く思いですが、どうにかこうにかMMDが触れるようになり、(超底辺には違いない)怒りで溺れそうだった生活にも慣れてきた。胃痛は既に友達の域に入っていて、宥める事も出来るようになってきた。・・・進化かもしれないし、退化かもしれない。だけど時間の管理がどんどん難しくなってきて、ギレンと同じ歳だと言い張る事も出来なくなって、何かを誤魔化す事が難しくなって、・・・泣いても喚いても大晦日。
2016.12.31
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とある店の前を通りがかったら、そこには通路沿いにお酢が山のように陳列されていた。お酢など、今までブランドを意識したこともないが、店の一押しなら、さぞいいものだろうかと足を止めたら、見知らぬおじさんに声をかけられた。「これ美味しいのよ」お酢の瓶の一つを指差す。「ホラ、(美味しいから)賞もとってるのよ」私に見るように促す。愛想笑いを浮かべてのぞき込むと、さらにプッシュして来られた。「一度買ってみ、美味しいから」「僕はね、別に(お酢のメーカーの)営業じゃないのよ、良いものをお勧めしてるだけ」「ホントおすすめ、使ってみたらわかる」一体どうしたことであろうか、どうして私に酢を試させたいのであろうか、おじさんは一歩も引かない。「今日は、買う予定じゃないから・・・」「きっかけだと思って。 使い良いよ、本当に買って後悔しないから」私が戸惑っていると、そこに通りがかった品の良さそうなマダム。「これ、本当に美味しいわよ」貴女もか!「これホンマ美味しいなぁ?」「うん、美味しいねぇ」私は二人に挟まれてしまった。 多分見知らぬ者同士の二人が、なぜこんなに意気投合しているのか、・・・そしてその二人から酢をプッシュされるという、何このポジション。「これ賞を・・・」何度目かのプッシュ攻勢に、私はいっそ買ってしまうか、と諦めかけた。その方が面倒がない。私が買えば、「良いことをした」と思うであろう、二人の顔も立てられる。・・・だがちょっと待て、私は酢を買いたくないんだよ?「瓶が重いから、今日は買いません。 いいモノお勧めしてくれてありがとう」遂に強行突破を試みた。一気に言って、次の言葉を聞く前に、その場を離れた。離れてから天井を仰いだ。善意に基づいた(と、推察される)押し売りは、とても苦手だ。多分、・・・本当にあの人たちは良かれと思ったんだろう。分かっているんだ。いろいろ投影しちゃうんだ私は。・・・だけど。思い返すとほんの少し、あのお酢はそんなに美味しいものだったんだろうか?なんて気持ちも、残っていたりする。
2016.12.25
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毎日、外出から帰ったら、兎に角一直線にリドル君のところに向かう。「タダイマ、タダイマッ!」と、かごの中から叫ぶリドル君を宥めながら、戸を開けてやる、・・・のが日課だった。ある日、外出から帰って、いつものように「りっちゃん、ただいまー」と、リビングの戸を開けたら、・・・そこにリドルが居た。・・・パソコンの前に。「ghjalぽlkじゃslk;oi:e??????」(←私)顔色を無くす、と言うのはこういう事だ。疲れていたが、慌てふためき、リドルをかごに押し込み、彼が、今までどこで何をしていたかをチェックする。破壊された洗濯機の悪夢が脳裏に浮かぶ。パソコン周りや家電の配線チェック。・・・OK。 少しホッとする。彼が噛んだであろう物のチェック。友人から借りた本にパンチ穴空けられた・・・・。 弁償決定。スマートフォン(忘れていた)の、奮発して買ったお気に入りのストラップ。ガリガリやらかしたらしい。 キャラクターの手が殆ど無くなってしまった・・・。他は、布類を噛み締めた跡は確認出来たが、特に処置はいらない。最後・・・ウンPチェック。・・・ダメージが大きかったので略。かごに戻されたリドル君が抗議の声を上げる中、黙々と掃除に励んだ。・・・今回も、リドル君に何もなくて、本当に良かった。察するに、リドル君はいつも自分がいく所以外は、覗いてみる勇気は無かったらしい。本やスマートフォンは、かなり敵視しているので、(私がそれを持つと、自分を相手にしてくれないから)見つけ次第、とっちめると決めていたらしい。後はひたすら、戸が開いたのに、なんで私が居ないのか?と、地味にストレスを受けていたらしく(なんでだよ)、あちこちに、最近では無かった量の羽が落ちていた。戸を閉めたことは、確実に確認しているが、深く、確実に閉めたかどうかが分からない。リドルが苦労の末、鍵の攻略に成功したのかもしれないし、単なる偶然かもしれない。かごの戸が、なぜ開いたのか分からないが、かくして、ナスカンが取り出され、かごにガッチリ取り付けられた。鳥は、基本的に人の目のないところで放鳥はしてはならない。アメリカなどでは、主人のいない間にチョコレートを食べてしまう等の事故も起きている。そして、今回、洗面所の戸が閉まっていたために被害を免れたが、愛する洗濯機まで飛んで来れたら、本気でリドル君は命が危なかったかもしれない。年末になって、ひやっとした出来事でした・・・。さて、弁償する本を買いに行くとしよう・・・。
2016.12.21
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今日はハロウィンということででございます。思えば花屋時代、仲間に、これからハロウィンのビッグウェーブが来ると予言して幾星霜、鼻で笑われたあの時の溜飲を下す術も無く。・・・・・・なんですか、経済効果がクリスマスに次ぐ勢いとか。とはいえ、目に映るのは・・・酔っ払った連中が道頓堀にダイブし、怒号が飛び交い、街がゴミと狼藉者で溢れている映像・・・違う、私の言いたかったハロウィーンはコレじゃねえ************関西の空気は、日中まだ少し蒸し暑さを孕んでいますが、気が付けば金木犀も花を終えました。秋は終わりに近づいています。何を着たらいいのか判らない。***姫路駐屯地創立65周年記念行事を観に行った旦那さんの撮った写真を載せておきます。偶には常識の範囲で羽目を外す日があるのもいいでしょう。一方、一昔どころか、大昔前の武器装備しか無い状態で、日本や日本人を守れ、と無茶振りされている方達が居る。その事に付いて、考えを巡らせる日があってもいいと思うのです。私たちを守ってくれる、この人たちを守るものは、一体何でしょう。武器ですか? 隊を率いる方の責任ですか?それとも、国の誇りですか?
2016.10.31
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駅で誰かが大声を出していた。声の主は駅員を罵倒し、汚い捨て台詞を吐いて、足早にホームへ向かっていった。・・・ああ、又だ。自分のつまらないストレスを、人にぶつける事でしか解消出来ず、自分の権利は死守するが、人の権利は踏みつける輩。歪んだ正義感を持っていても、声の大きいものの主張が罷り通る、・・・この世の何と生きにくい事か。*********ケースバイケースではあるが、私は、法律上でどういう規定があろうとも、人を怒鳴ったり、罵倒する事は、立派な傷害罪だと思っている。中には名誉毀損や侮辱罪などという罪科もあるけれど、腹に据えかねて訴えを起こしたところで、発言主が大きなペナルティを負うものでもない。とても不平等だ。 傷を受けた側が、常に相手を許さざるを得ないなんて。許していなくとも、気持ちに折り合いをつけねばならないなんて。関西私鉄の駅員が、数人の乗客から取り囲まれてドヤされている際、誰も彼を助けてはくれなかった。通りすがりの一般人には決して立ち入れない状況であるから、止むを得ないとも言えるが、「彼の不適切な行動」により、電鉄会社は謝罪を余儀なくされたし、今後、何らかの処分を下さない訳には行かないだろう。電車の遅延によりお客様に迷惑をかけた、と言う状況により、お客様に真摯に対応せよとの会社の方針から、彼はギリギリまで堪えたのだと思う。人身事故の発生によって止まった電車について、一介の駅員が何を言える? 何処まで我慢せよと? 逃げるなと?彼(駅員)のパーソナリティが原因という人が居るが、・・・どの口でそれを言う?関西の鉄道事故発生率の多さは異常だ。彼は、その度に、同様の目に遭わされて来たんだ。「死なせてくれ」と叫んだと一部で伝わっているが、多分、心の底から、そう思ったんだ。人から無意味な罵倒を受けるとね、脳の一番深い部分がすっ、と冷たくなるんだ。本当に、何か分泌されてるのかな、・・・氷のように冷たいんだよ。色んな感覚が遮断される。正面から受けたら、壊れてしまうから。 耳と目を閉じ(閉じられないけど)、口を噤んで、「スミマセン」、「モウシワケアリマセン」を繰り返す、ぶっ壊れたロボットになる。雑木の下でびしょ濡れのまま嵐をやり過ごす気分に似ている・・・・・・多分ね。・・・だからね、私は、どんなに非科学的と言われようとも、彼(駅員)を嬲った連中が、何らかの報いを受ける事を願ってやまない。・・・連中についているであろう倶生神にお願いしたい。「報い」がキョーレツな「こむら返り」であろうとも。個人的に、今回、報道を聞いた多くの人が、飛び降りて大怪我を追った駅員に同情的なこともあり、会社も、そう厳しい処分は下せないだろうと思っている。だが、彼を追い詰めたような、さもしいメンタルの人間が居る限り、(そして、「お客様はカミサマ」などと言う妄言が出回る限り、)悪意をぶつけられて心を壊す人はこれからも出続けるだろうし、・・・精神を病んでしまう人は決して居なくならない。・・・会社は決して守ってくれない。 誰も、守ってはくれない。心についた傷は、手当もままならない。・・・繰り返しになるけれど、人に対する罵詈雑言は、正真正銘、傷害という罪なのだ。
2016.09.30
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フアッ!?久しぶりに楽天ブログを開いたら、なんだかヘンな事になってる・・・^^;なんですかこれは??絵文字を刷新するとかすれば良いのになぁ・・・。*****『もう8月ですよ、8月・・・(日が過ぎるの)早過ぎるでしょ』職場でそんな事を言われて、改めてカレンダーを眺めました。成程、・・・成程。 一年が始まったと思ったら、早くも折り返し地点を過ぎちゃって、気が付きゃそろそろ、2016年の総括を始めなければならないのではないかと言う頃合。・・・お盆過ぎるでしょ? 残暑でへばって、早よ涼しならんかなー、などといい交わす間にお彼岸来るでしょ?セミが居なくなり、ススキの穂が開く頃にはすっかり空気が湿ってきて、とりっくおあとりーと!と世間が黒とオレンジと紫の三色で彩られ、コオロギが切ない鳴き方をするようになったら、冬が目の前。今年もWHAM!が流れ、赤白緑で街が満ち、もういくつねると・・・などと子供が口ずさむようになったら一年が終わる。来月あたり来年のカレンダーの発売が始まるよ?・・・イヤ、待って待って待って!!社会が、そして世界が目まぐるしく変わる中、8月です。
2016.08.01
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(続きです)ものの200mほど歩いたところに、可愛い喫茶店を発見。ここは、前回来た時はまだオープンしてなかったなぁ・・・可愛いお店だなぁと思いつつ、 気が付いたらドアを開けていました(笑)。 近くにこのお店があったら、入り浸っちゃうなぁって位、居心地良い素敵なお店でした。マスターの御趣味か、店内にはレコードと年代ものの蓄音機が沢山あり、全て現役とのこと。 『ほんの四分ほどですが、(レコード)かけてみて宜しいですか?』との、にこやかなマスターの言葉に、一も二も無く頷きます。レコードって、古くても、身体が震えるような力強い音源となるのですね・・・。ファイヤーキングに淹れて下さった、美味しい自家焙煎珈琲を飲み干し、 「又来ます」と言って、お店を辞しました。ウン、私絶対又来ると思うから。そして、大きく迂回して、先ほど引き返した地点の近くまでやってきました。おお、これは・・・?線刻のお地蔵様が描かれているそうですが、風化が著しく、どんなに目を凝らしても判りません。 午前中だとようやっと見えることもある、と聞いたので午前中に此処へ来たかった訳ですが。 見上げるような岩の上に、一鍬で掻きとったようなスペースがあり、そこにおわす為に一鍬地蔵と言うそうです。 ちゃんと灯明を置く所も作ってあり、 大勢の方たちが手を合わせてきたのだろうな、と想像出来ます。 鎌倉中期の作と言われますが・・・もう、風化に任せるしかないのであれば、 人の口の端に上ることも徐々に無くなってゆくのでしょうか。岩船寺に到着です。花の寺として知られる岩船寺は、紫陽花が見事であることが知られています。・・・が、見頃には少し早かったみたい。(6/4)でも、睡蓮も咲いていました。カルミアも咲いてましたっけ。むせかえるような緑。 紫陽花はその殆どが人の背より高く、驚くほど大きいものでした。この五輪の塔は室町時代のもので、一つの石から作った量産型なのだそうです。富裕層の一般人が作らせたもののようです。寺の前に出ている売店。ここは無人ではありませんでしたが、郵便ポストが置いてあり、お金を入れて掛けてある商品を持っていって、と言うスタイルではありました。当尾の里は、こういう無人売店でも有名なのですが・・・今は販売する人も少ないようで、売店だった場所も、朽ちた板切れを残すのみとなった場所が多く、売店はあっても、この日は岩船寺前しか開いていませんでした。 年々少なくなってゆくような気がします。散策路近くで見つけたミミガタテンナンショウ。 自生しているのを見たのは初めて!!!前にも御挨拶しましたが、眠り仏さんにもご挨拶。 涎掛けが変わっていらっしゃる。南北朝時代の作。 敢えて掘り出さないであるそうです。そして到着、浄瑠璃時の門前。 先にUPした子猫のお母さんと思しきニャンコ。物凄く懐っこいため、観光客に人気があるようです。この子猫はお兄ちゃんかな?爪を研いでいた模様。 ・・・この子の後ろに見える石鉢は、さり気に鎌倉後期のものです。 何気なくヒツジグサが植わっています。物凄い歴史を持つものが、博物館のショーケースで無く、普段の生活に溶け込んでいるのが面白い。後ろの本堂には、吉祥天女他、有名な仏が沢山いらっしゃいます。いつか、ここの秘仏大日如来を拝見しなければ・・・。しかし、奈良のごみ焼却場建設問題・・・浄瑠璃寺から380m離れた所に出来るといいます。当然、地元の方々は反発されている訳で・・・500m、否1キロ離れた場所であっても、それで良しとはならないでしょう。だからと言って、何処の自治体も、ごみ問題が何かと逼迫している状況である事は想像に難くない。必要かもしれないが、ここには造るな、とは外の人間が言ってはならない。心情としてはどうしてここに?と思うのですが。どうなってしまうのだろう・・・。さて、ここまで来たら最終バスの出発まで後五分、ということになりまして。慌てて当尾に別れを告げ、バス停へ急いだのでございます。この日も盛り沢山でございました・・・。長らくのお付き合い、誠にありがとうございました。
2016.06.15
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先日の話の詳細です。私は、古い石仏やお地蔵様を見ることも好きですので、石仏の里として知られる当尾の里(木津川市)に惹かれるのは、自然な事ではあります。ですが、馴染みのない土地で山道に入ると言う事は、(地元の方だと山道とは言わないかもしれないけれど)自分の想像を軽く超えるものであることを、いつもこういう時に思い知らされるのです。今回はいつも行くルートの石仏+脇道に入って、見たことのない石仏を訪ねようとしたのですが、何の道標も見つからない上、暫く行くとこんな道になりました。心細くなった頃に現れた道標。 縋りたくなるものです。 が、残念ながら情報が足りない。水でじくじくの地面を踏みしめて、先にあるのかどうかも確信が持てないままに発見したのがこちら。浄瑠璃寺赤門跡水呑み地蔵。 鎌倉中期の作だそうですが・・・。木津川市のサイトに綺麗な写真が載ってますので、宜しかったらご覧下さい。近くに寄る事も出来ない(汗)。 見えるのは看板と、地蔵らしき大きな石。水が湧き出ている場所と知っていたので、どのあたりから湿地になるのか判らず、怖くて藪の中に踏み込めません。冬場なら全容が見えたのかもしれませんが、ホント、後ろも前もうっそうとした木や草しかなく、ここで水に落ちたらと思うと、蛮勇をかき集める気にもなりませんでした。この後更に歩みを進めますが、道・・・道が無い(汗)。伸びた草を踏み分けていくと、あちこちからカサカサ何かが蠢く音がします。虫に煽られ、抗議の一撃を喰らいます。 イヤホント、今日の私はどうして踝が出てる姿なのだろう(汗)。そして遂に行き止まりです。足許水溜りなのか何なのか・・・長靴でもなければ踏み込めません。多分・・・地面に渡してある竹は、通行人が投げたのでしょう。その上を器用に歩けば、向こうに行けるのかもしれない。しかし何歩歩いたら湿地を抜けるのかの目測が出来ず、此処まで来て諦める事に。っくぅ~~~っ。来た道をそのまま引き返し、振り出しに戻ります。 既に、散策を始めてから一時間半ほど経過。スタート地点に程近い場所(浄瑠璃寺バス停近く)で、暖簾が出ていたお店に入りました。 「吉祥庵」とありました。 かもせいろ、物凄く美味しかった! 蕎麦湯がこんなに美味しいお店を私は知らない。店内は趣深く、古い茶室を改造したもののようでした。メニュー。 素朴さが伝わってきて微笑ましい。 奥の工房?で焼き物を作っておられるようでした。次に来たら葛きりを食べなきゃな、などと考えつつ。さて、気を取り直して別ルートを取ります。
2016.06.14
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私は当尾の地に魅せられたのかもしれない。行って後悔する事もあるのに(過去に見てくださった方は、何の事か判る方が居られるかもしれない)こうして何度も足を運ぶ理由は、やはりその土地の魅力に負うところが大きいのだろうと思う。・・・が、この日は、藪の中の道なき道を、さ迷い歩く羽目になった。虫にたかられ、雨も降っていないのに、土から染み出す水で足元はずくずく。何故私は、こんな時に踝が露になるジーンズを穿いているのか?・・・『散策路』が、まさかの難所とは思わなかった。正直怖い。 ・・・誰も居ない。怖いのだが、歩みを止められない。・・・が、遂に行く手を湿地に阻まれ、進むことを断念。諦めてスタート地点へ戻り、殆ど徒労に終わった午前中。・・・気を取り直して、手打ち蕎麦のお店でせいろを頂いたら大当たりで、単純な私は直ぐに機嫌を良くする。・・・人生なんて、こんなものだ。訪れた浄瑠璃寺で見た光景。南北朝時代の見事な石灯籠の足許に、ちょこんと座るニャンコ。見ているのは池だろうか、対岸の三重塔だろうか。三重塔は「現実の苦悩を救い、目標の西方浄土へ送り出す遣送仏」である、薬師如来がおわす場所。それを「彼岸」である池の手前から仰ぎ見る。(本来は、三重塔のある場所から、池を挟んで本堂を見るのが正しいらしい)なんとも深遠なテーマではないか。そう考えると、まだあどけない子猫が、とても渇仰して見えたりする。猫を写していたら、最終バスの時間が来て、追い立てられるようにバス停へ急いだ。・・・やっぱりまた来なければ、と思いながら。
2016.06.06
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りっちゃんの洗濯機破壊に際して、あれほど、りっちゃんにも電気系統的にも何も無くて良かった、と言って頂いたのに、私はまたしても油断しました。作業に油断していたんだ、というのは言い訳でしかありません。りっちゃんが静かにしていると言う事は、りっちゃんも作業に没頭していると言う事。電気ケーブル等は、プラスチックでほぼ完全に覆っていたため、噛むなどと不可能で、鳥が何かをする(出来る)と言う事に考えが至らなかった、というのもあります。 ・・・慢心です。五分の後、なににしてんのー?と、リドルを迎えに行きましたが、目に入るところの何処にもリドルは居りません。がさっ、と言う音がした時、物凄く厭な予感がしました。恐る恐る覗いた洗濯機の後ろで、それはそれは達成感に満ちた顔をしているリドルを発見、同時に私は、彼の作品を目の当たりにして、再び絶望。・・・ロッククライミングみたいに伝い降りていったんでしょうね、洗濯機の後ろ、壁の隙間を。プラスチックに厳重に包まれたコードを伝って。そして、プラスチックの切れ目を見つけたんですね。そこをしゃかりきに齧った、と。ま、まだ、買い替えして一年経ってないんだよ!!お前!!!(号泣)慌ててコンセント引き抜いて、ふんづかまえて引っ張り出すの、物凄く大変でした・・・何その執着(汗)今回はメーカーさんに直して頂けたので、本当にありがたかった・・・。原因を伝えなかったので、メカニックさんは「何故こんな事に?」と、首を捻っていましたが。修理後、最後の動作確認で電源を入れたら、ピッ、と元気な音を立てた洗濯機に対し、『ヒーッ!!!』とりっちゃんがリビングで対抗したたのと、洗濯機を移動させた際にふわっと舞ったりっちゃんの抜けた羽根で、恐らくお察しだったかと。その後、コードは更に完膚なきまでガードされ、後ろに入られないようブロックされましたが、リドル君は洗面所には居られなくなりました。(飛んで来るので、侵入は阻止できませんが、すぐに連れ出されます)前も散々後悔しましたが、今回心底、懲りました。・・・リドル君は少し、いやかなり御不満な御様子です。
2016.05.31
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公園の林の中を歩いていた。明るい木漏れ日の中、湿った落葉と雑草を踏みながら歩く。この時期の、沸き立つような土の匂いが好きだ。懐かしいような、泣きたいような、空を仰ぎ見たいような気持ちになる。そんな感傷ともなんとも付かない気分に浸りながら歩いていた・・・・・・と、上から私の鼻先(正確には足許を見ていたので、額先)を掠めて、地上に落ちたものがある。ドサッ、と質量のある音を立てて。落下してきた物を見て悲鳴を上げた。『おわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!』(残念ながら、キャーなんて悲鳴、出てこない)大変立派なシマヘビだった。『あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁぁ!』咄嗟にマムシでないことは分かったが、兎に角頭を掠めて降って来たので至極驚いた。しかし蛇は蛇で、大声を上げた私に相当驚いたらしく(当たり前か)、特にコンバットダンスするでなく、絡まった姿のままそそくさと藪へと入っていった。奴の頭がどこにあったのかすら、認めることが出来ない素早さだった。土手を上り池に出ると、ゴワァゴワァ、と土蛙と思しき声が彼方此方から聞こえてきた。冬眠から醒め、ここ数ヶ月あれらを腹いっぱい食べてきた結果の姿だったのか。春が猛スピードで駆け抜けていった。(北海道の気温は戻っただろうか)気温は既に25度。夏が目の前だ。
2016.05.09
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日本に住んでいたら地震とは縁が切れない。それを知ってはいるものの・・・九州における地震の詳報を、私は辛くて見る事が出来ない。何処に行っても揺れが追いかけてくる、という恐怖を思い出す。過ごし易く、心躍る春が来たのに・・・・どうして地面は鳴動するのか。・・・どうして一部で日本を呪う言葉が溢れるのか。泣きたい。 けれど、今は泣きたくても泣けない方が沢山いらっしゃる。被災地に一日も早く平穏が戻るよう、同じ日本国民としてやれることをやらなければならない。・・・尊いお命を失われた方々に、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
2016.04.15
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電車の中でものを食べる事が嫌いだ。そもそも食卓に着いてご飯を頂く以外の飲食とは、特別なことではなかったか?(遠足や学校、オフィスで食べるなと言っているのではない。)電車の中と言う密閉された公的空間、パーソナルスペースを保つのも厳しい環境でものを食べることの弊害を考えた事はないだろうか。新幹線のような長距離なら話は別だ。 だが、各駅停車のロングシートで臭いのキツイ物などを食うのは如何なものか。今日私は、アイスモナカ↓揚げせんべい(カマンベール風味)一袋↓コロッケ(揚げたてっぽい)↓サキイカをがっつくサラリーマンと、ロングシート隣りあわせで6駅共にした。二の腕がぶつかり合う距離で彼が手についたモナカの粉をふるったり、食べ終わった袋を音を立ててつぶすたびに、「ナニ?」みたいな視線を無遠慮にぶつけたが、役に立たなかった。呪いたくなった。・・・呪われたのは私だった。揚げ物の臭いによって胸が悪くなり、執着した席から逃げ、駅のベンチで吐き気を鎮めるのに15分かかった。そんなにお腹が空いてるなら、ホームで食べればいいのに。・・・オーケー判ったよ、お腹が空いて死にそうだったんだな?食べるな、とは言わないよ、ちったぁ遠慮しろってんだ。・・・『駅弁』なんてものがある位だし、電車の中での飲食は禁止されてないのかも知れない。(地方の普通電車内で駅弁を食べる人は居ないだろう)だけど、状況に応じて飲食は最低限にお控え下さい。お願いします。
2016.04.04
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この頃、私ちょっぴりついてるんです。某イベントでガラガラ抽選会に参加したら、肉のセットが当たったり、同じくガラガラしたらお菓子セット(駄菓子だけど)当たったり、少し前には、友達と某百貨店の新潟物産展で日本酒の立ち飲み(有料試飲)なんぞやっちゃったりしてたら、売り子の人が、売り切れた人気銘柄をこっそり試飲させてくれちゃったり。ささやかなんですが、ちょっぴり嬉しい。そんなときに届いたのが、行きつけのクリーニング屋さんで、運試しにやってきなよ、と言われて忘れてた、日帰り京都旅行のパックツアー抽選。御当選ですおめでとうございます!なんて葉書が来て、オヤ、当たった!なんつって。いそいそ読んでみると、パックツアーだけど無料ご招待はお一人様分のみ。同乗者はいちまんえん余り払わなきゃダメとか。この辺りで少し「え~」って感じでしたが、パックで一人でも平気なので読み進めてみますと、なんですか、・・・確かに昼ごはんに湯豆腐を食べさせてくれるそうですが、美味しそうな季節の筍料理コースなんぞ頼むと、ウン千円別料金で取られます。 (・・・。)いーよ、湯豆腐で、と思ってスケジュールを検めると、・・・このバスツアー、殆どお買い物ツアーの様相。スケジュールで行くトコ行くトコ、『お買い物をお楽しみ下さい』なんつって、その手の場所でありまして。ま、待って、こ、これで限られた時間で清水行ったって、何にも頭に残りゃしない。そしてスケジュールの究め付けが、一日の最後に連れて行かれる宝石屋さん。・・・宝石? 宝石とな?このシルバーすらロクにつけないあたしに?問答無用で宝石屋さんに連れて行かれて、75分間、脇をがっちり固められた状態で接客されるなんて地獄ではないか。私が最も苦手とするもの。こりゃぁ、昼ごはん代タダに乗ったら、えらい目に遭う。・・・ネットでちょっと調べたら、そこそこ悪名高いツアーでした。タダに乗って何十万もする宝石を買うなんて考えられませんが、・・・購入される人も居るようで。いえね、後悔しない、良いお買い物ならばそれもアリです。 寧ろ、気に入った宝石に出会えた喜びを得られた方には良かったのかもしれない。しかし、「京都」、「湯豆腐」、「タダのバス」のキーワードで、最後に「宝石」が入る意味が解らない。これが究極の釣りなんでしょうかねえ・・・。気軽に勧めてくれたクリーニング屋さんのおばちゃんとは顔なじみで、それこそおばちゃんはツアーの内容すら知らない可能性がありますが、(宝石屋云々は、パンフの片隅に書いてありましたので)こちらとしては、つまらないものに個人情報を書き込んでしまった悔しさで一杯。えらい落とし穴の淵まで行ってしまった・・・。仰々しい当選通知をそのまま破り捨てました。みなさまも、「おめでとうございます!」には御注意を・・・。
2016.03.31
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バスを降りました。無言で歩き出し、すぐに向こうから一生懸命走ってくる小さな身体に気付きました。私も無言で走り出します。『ぺぺるちゃーん!!』姪っ子は私の腰にしがみ付きました。 おやおや、また背が伸びている。しばらくして、『ぺぺるたんダイすきー!!』というたどたどしい叫び声。ベビーカーを押した母親(妹)と登場した、二番目の姪っ子でした。有難いことにとても懐いてくれて、訪問した時は、争奪戦が激しくて困ります。昨日は、プリンセスプリキュアが、アンパンマン、メロンパンナちゃんと共に、バイキンマンを「凍らせる魔法」で立ち向かう(「アナと雪の女王」が入ってる)、と言う設定で、散々付き合わされました。やっと、「ばーいばーいきーん!」と言ったので、やれやれ御仕舞いかと思いきや、押入れを指差し、「ぺぺるちゃん、大変! オニがきたわ! やっつけなきゃ!」(待ってwww どこからオニ出てきたwww)少しげっそりしていると、エルサが、げんきのでるまほうをかけたげる、とか言っちゃって、何ラウンド目になるのか、戦いの火蓋は再び。へとへとです。妹はいつも相手をしてくれて助かる、と言いつつも、私と妹とが話を始めようとすると、二方向から妨害が入るので、いつも物足りなさげです。上の姪っ子は、赤ちゃんの頃から感情の起伏の激しい子でした。泣き出すと、あやそうが何しようが手が付けられないくらい泣きました。何が引き金になるのか判らず、妹はとても悩んでいました。私にしてみれば・・・小さい子なんてまだ「ヒト」じゃありませんから、(モラルや規範の外に居ると言う意味で)街を歩けば、パンツ脱ぎ捨てて走ってったり、棚置きしてある商品を台から叩き落したり、泣き叫んで床をゴロゴロする子なんて光景も珍しくなかったもので、さほど大事だとは思わなかったのですが。そこはそれ、おかあさんは違います。先週、幼稚園から帰宅しうがいをしている時、姪っ子が口に含んだ水を捨てようと、ふざけて水を前の鏡に掛けました。洗面台を掃除したばかりの妹はひどく怒り、姪っ子は私のところに逃げてきました。妹を取り成しましたが、叱られても全く堪えない姪っ子に、妹は少し涙目。仕方なく姪っ子に、ふざけてお母さんを困らせたことに対し、ごめんなさいを言いに行こう、と言いました。美味しいご飯作ってくれるやろ?いつもお仕度手伝ってくれるやろ?わざとじゃなくても、鏡びしょぬれになったやろ?ぺぺるちゃんが一緒に付いていって謝ってあげよ。・・・そうしてぷりぷり怒っている妹のところへ連れて行って、「ごめんなさい」を言わせたら、姪っ子が泣き出しました。静かに、声を殺しながら、大粒の涙をぽろぽろこぼして。泣き喚かないことに私は驚きました。いつの間にか中身も大きくなってきてたんだなぁ・・・。そろそろ「ヒト」認定も待ったなしか。抱っこして宥めて、作っておいたフルーチェ食べよ?と誘ったら、すぐ泣き止んだんですけどね。さて、散々エルサとアンパンマンに付き合って、ぺぺるちゃん帰るよ、と告げると、『イヤっ』と、これは下の姪っ子。絶賛イヤイヤ期で妹を嘆かせています。眠くなると、『ぺぺるたんきらい』。『嫌いかぁ~・・・じゃ、帰ろっか?』『イヤ!』『ちょっとお昼寝しようか?』『イヤ!』何を言っても『イヤ』ですもんねえ・・・『イヤイヤ期』とはよく言ったもんだ。しかし楽しい(笑)。お姉ちゃんに比べ、まだ圧倒的に語彙が少ないので、意味も解らないのに、一生懸命音をトレースします。知ったかぶりで頓珍漢なことを言う姪っ子が可愛い。最後は『ばいばい』で、見送ってくれるのですが。会えば飛びついてきて、帰らないでとお願いされて、また来てねとバイバイされる、訪問に要する長距離の移動は結構大変だけど、今だけの特権ですねぇ・・・。
2016.03.24
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リドル君の洗濯機愛が半端ありません。去年洗濯機を壊されてから、出来るだけ目を離さないようにしてきたのですが、・・・何がそんなにお気に入りなのかさっぱり判りませんが・・・りっちゃんは毎日、籠から出せ出せと要求し、出たら一目散に洗濯機の上に飛んで行って、首の周りの毛をぶわっと膨らませて、こちらに何かアピールしています。どうも、・・・領土宣言みたいなんですよね。その内、ハンガーを入れているケースの隙間などに入り込み、本格的に篭城を始めようとします。その内洗濯機をドラミング、コンコココンコココココ!!ハーイ薬を飲むよー。おうち帰ろう、と手を出すと噛まれます。『ジョー!ジョー!ケケケケッ!』と鳴き、抗議、帰らぬと主張します。洗濯機の後ろにまで入り込み、どうしても出てこない場合(こちらも焦る)、・・・掃除機のスイッチを入れます。あっという間に飛び出してきます。「ヤツ(掃除機)はどこだぁぁぁ!!」と言う感じで。そのまま手を出すと、掃除機に引導を渡す勢いで噛まれますから、掃除機を保護、攻撃から回避させてハイハイハイハイ、と腕に止まらせ、宥めつつ対象確保。日々、これの繰り返し・・・・(笑)。******************************私の住んでいる地方は、対外的におしゃんてぃーにアピールしまくってて、ある程度、イメージ戦略は成功しているようですが、皆様も御存知のように、去年あたりから、とある不穏な空気が一部で引きもきらず流れております。実際迷惑を受けている方もおられますし、見て見ぬ振りをせねばならぬことがある事も知っております。私は只管近づかない、に徹しています。 近づかない。ですが、危険から近寄ってくるのは怖い。止むを得ずしばしば行く所で、不幸にして巻き添えになって亡くなった方が居る事を知っているため、 ・・・そこを通る時、私はいつも軽く緊張します。何も無い、人通りもある、普通に色の付いた世界なんですけれど、残念ながら、恐ろしいことに、この世の中は、雨以外のものが降る可能性も無くはないのだと思うと。
2016.03.15
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久しく「感動の涙」、てヤツを流したことがありません。映画も見ないし、綺麗な景色も見ないし、最後に美術館に行ったのは・・・ああ、「琳派イメージ展」でしたか。 ・・・宗達、光琳の後の展示に反発して帰ってきた有様で感動など無い。それが、些細な創作動画を見て涙が止まらなくなりました。涙を流しきった後、なんだかスッキリしまして、人間には、『涙を流すこと』が、時に必要なのかもしれないと思った次第で。*******もう数ヶ月前になるのですが、いまだに引きずってる事がありまして。・・・駅で、お年寄りを怒鳴りつけました。そのお年寄りが、駅員を怒鳴りつけたことに対して我慢出来なかったのです。仕事をしている人に「仕事をしろ!」とは何事かと、私はたまたまそこに居合わせただけの第三者、なのに、反射的に「どうしてそんなことを言うのですか!」と、怒鳴りつけてしまった。・・・・・・杖をついた、小さな方でした。二言三言言い交わした後、その方が同伴者に連れられてその場を去ったので、私は論破のタイミングを失いましたが、そこを通るたびに、私を睨み付けた目を思い出します。『あの駅は怖い』そう、連れに訴えているかもしれない。年寄りの当然の権利として、怒鳴りつける傲慢さが我慢ならなかった。嘲りを感じて頭に来た。だけど、足、腰、背中が痛かろう、非力で矮小な老人を前にして、二の句を継ぐ事も出来なかった。かの人も、長きに渡って波乱万丈の人生を紡いでこられた筈だ。今の社会を支えてこられた、尊い人材である筈だ。だから老人の言うことは無条件に聞くべき? 違うだろう。そう、自分を擁護し、言い訳してみるものの・・・私は駅を通るたびに周りを見回し、そして、後悔に似たやるせない気持ちになる。私はどう言えば良かったのだろう。「ありがとうございました」当時、怒鳴られた駅員さんは、私に小声で礼を言いました。・・・誰もが、互いを尊重し合える、ただ、そんな社会であって欲しいです・・・。
2016.02.15
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大分前、それこそ学生の頃に、この鉄道標識を撮った筈なんです(廃線なので、もう使われていないものです)。劣化したなぁ・・・と感慨深く昔の写真を見たら、載っている番号が違ってた。て事は、確実に違う被写体な筈、なのですが・・・その可能性をちらりと覚えて、二度通って、二度とも同じ標識撮ってきたってぇことは。昔の番号は劣化して沢に落ちたか、かつては二枚立ってたのに一枚しか撮らなかったか。・・・もう会うことは無いのかな。
2016.02.09
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今年も、非公開文化財特別公開の「京の冬の旅」シーズンに、招待券を頂きましたので、有難く行ってまいりました。2016年は、臨済禅師の円寂1150年に当たるそうで、今回は禅宗寺院の公開になります。一月には相国寺、二月真如寺。真如寺法堂 大雄殿1286年無外如大尼という尼僧が、日本に帰化した中国の僧無学祖元の遺爪髪を祀るための塔所としたところが始まりだそうです。もともとお武家の一族であるご婦人、それは美しいお方だったそうで、出家してから、身辺に近寄ってくる男を寄せ付けぬよう、己の頬を焼いたのだといいます。法堂にはそのお姿をとった像もありますが、頬の傷は経年で見えなくなっているようです。ガイドさんが、その美しさを吉永小百合さんに喩えたのが面白かったです。美しい宝冠釈迦如来坐像を拝見出来ます。 室町時代の作だそうですが、京都には余りにも沢山の仏像があるため、重文にもして貰えない、と、冗談のようにガイドさんが言われてましたが、何か理由があるのでしょう。 さて、このまま特別公開寺院を巡ろうかとも思いましたが、そこは二月。 北野白梅町まで足を伸ばせば、北野八幡宮迄あと少し。梅花を見なければ。言わずと知れた天神信仰の中心地、学問の神様の菅原道真公を祀っています。道真公は皇族でないため、途中呼称が「北野神社」となったそうで、再び「天満宮」と呼べるようになったのは戦後だとか。白梅が綺麗でしたが、紅梅は少しピークを越した感が。しかし梅園(別途入場料が要ります。 お茶とお菓子付700円)は三分咲きでした。宝物殿で宝刀展を開催していました。入り口に、神域の雰囲気に余りそぐわないパネルが立っててびっくり。あの今をときめくオンラインゲーム、『刀剣乱舞』のキャラクターです。名刀が武将の姿で現れる、刀剣擬人化育成シミュレーションゲーム・・・その影響にびっくりです。だって、宝刀鑑賞者の女子率、めちゃくちゃ高いですもの。携帯による撮影は自由(カメラ不可)だったので、皆真剣に撮影してるし・・・。一応これは武器で、・・・などと考えるとやや微妙な気分にはなりましたが、私も撮りました。このパネルの美丈夫は、名刀「髭切」と言う名が付いてまして、罪人の首を試し切りしたら、髭までスパッと切れた、所から付けられた名だそうです・・・。 「鬼切」とも言うそうです。 上手く撮れなかったので・・・重要文化財「助守」です。美丈夫が入ってるかどうかは知りませんが、名刀は、確かに惹きつけられる何かを持っている気は、します。入館料300円。 梅園も見るなら、共通割引券があります。梅の花は八重も綺麗ですが・・・やっぱり一重が可愛くていいなぁ。その昔、豊臣秀吉が、天下統一後に荒れた京の町の改造計画の一環として川の氾濫や、外敵の来襲に備えるための土塁を22キロに渡って造営したのですが、その史跡「御土居」と呼ばれる土塁の一部が、北野天満宮の敷地内にあります。どの土塁に囲まれた地域を「洛中」、外側を「洛外」と呼ぶのだそうです。その後は平野神社へ。ここは桜で非常に有名だから、今の時期は寂しいかと思ったのですが、樹齢400年の樟です。これを見るだけでも、足を伸ばす価値大有りです。この日は、甘味にありつけませんでした。・・・あ、そういえば、北野八幡宮の梅園で、梅昆布茶と麩菓子を頂きました。
2016.02.06
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りっちゃんです。小さな三角コーンがライバルです。本当は、コレを幾つか立てておいて、右へ左へとちょろちょろ歩き回らせる芸を取得願いたかったのですが、リドル君が、そんなことする訳がありませんでした。逃げることはしませんが、見た途端突進してきて、コーンに噛み付き、掴み上げ、床に叩きつけ、踏みつけるのが、彼の日課です。何が気に入らないのかさっぱり判りませんが・・・コーンのフチが、彼の嘴によってギザギザになっている所、一応彼の輝かしい戦績なので、そこのトコ宜しくです。 *****土鍋がね、もう使い始めてかんなりの年数なんです。 火に焼けて色が変わり、かなり染みも残り、彼方此方欠けも出て来て、買い直そうかと思ったのです。馴染みの深い鍋ですし、捨てるとなると中々勇気も要る。そこで、思い切りよく洗って、今まで有難うね、っつって早々に袋に入れ、来週の収集に備えていましたが、・・・寒いです。 やっぱり夜は鍋にしたいです。で、後身の鍋を探しにいくのですが、中々コレといって欲しいものが見つからない。ネットでも探してみますが、なかなか。諦めて、袋から古い鍋を出して、又綺麗に洗って。本当にごめんね、っつって、鍋料理に使いました。(新しい鍋を買ってから捨てるのは、古い鍋に可哀想な気がしたんです・・・)この際、九十九神が宿るまで使い続けるべきでしょうか、断舎利が叫ばれる昨今、土鍋の扱い一つで頭を抱える私には、家中の物をハカリにかけるなど、ややもって荷が重過ぎて困ります。
2016.01.23
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あけまして、・・・もうとっくに「明けて」ますが、改めましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。**************今年は正月休みが短い、との嘆きが伝え聞こえる2016年。皆様いかがお過ごしでしたでしょうか。12/31に掃除の際カビキラーに中り、風呂もやっとの状態で寝込みまして、グロッキーでした。紅白どころか、行く年来る年も観てません。一日はのそのそ起き出して、初詣に。 ・・・といいますか、暮れも押し迫った頃に、愛用のスマホにサヨナラする羽目に陥りまして、機種変更だとお金がポーンと飛んでいくため、やむを得ずキャリアを変えたのです。1/1、ピンポイントで処理をしなければ、何故か5000円位持ってかれるとのことでしたので、面倒ですが出掛けざるを得なかった、と。強いて正月っぽいイベントと言えば、正月だってんで、大晦日に筑前煮を作ったんですが、クックパッドを斜め読みしながら、我流で大根、人参、里芋、コンニャク、牛蒡、鶏肉、車麩、と入れたいものをどんどんぶち込んだら、何故か、土鍋いーっぱいの筑前煮?が出来まして、・・・三が日が終わっても食べ切れなかったです。二日から仕事でしたので、後は特に正月を意識しませんでした。・・・ナニこの通常運転。明けて早6日。夕方6時半を回った頃、私は消化器科の病院待合室に居ました。暴飲暴食はしてないよ(汗) ホントだよ。胃は第二の脳、などと申しましたっけか、ヤワな私の胃腸は、この頃すぐに私に甘えるのでございます。もー、この頃は、吐き気とか日常茶飯事だかんね。陀羅○助丸やら○田胃酸やら、ちーっとも効かないかんね。・・・あんた達、もうどの位の付き合いになるのよ、私に冷た過ぎるよ!「前回の検査でピロリ菌は居ませんでしたね」医師は、昨日まで正月休みを謳歌されていたとは思えないほどの疲労っぷり。今日はさぞ患者さんが押しかけたのだろう、目が真っ赤になっておられる。「前回の薬は、胃カメラ飲まないと処方出来ないんですよ・・・ですから、前回の薬とは違う薬を飲んで、一ヶ月様子見ましょう。状況が改善されなければカメラ飲みましょうか。」「規則正しい生活をしましょう。 きちんと規則正しく食べて、運動するんです。 ストレスに晒されたらそれを逃さないと」・・・と、処方された薬は、前回全く効かなかった薬でした。待合室は、先生の趣味なのか、スパニッシュ風?ギター演奏のBGMが流れていて、いわゆる泣きのギターの旋律が、私を物悲しくさせました。一ヵ月後またココへ来るのかな、来るんだろうな・・・。予定より遅く家に帰ったら、りっちゃんが激怒してました。・・・以上、世の中の一大イベント、『お正月』が、私の前を素通りして言った話でした。
2016.01.07
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かすかにほっぺたが引き攣れる感触を覚えて、手をあてた。何か付いている・・・・・・バナナだ。私が如何にいやしかろうと、顔にバナナを散らしながら食べる趣味は無い。コレは、先ほどまで肩でバナナをねだっていたりっちゃんの仕業である。チョーダイチョーダイと、ねだりながら、口から溢れた分は遠慮なく首を振って飛ばす、そういう奴である。・・・ひょっとしたら、壁にも飛ばしたかも知れぬ。我が家の廊下から洗面所にかけては、現在散らかりまくっている。「プチプチ」と俗に言う緩衝材と、ダンボールの切れ端、バルサ材ではちゃめちゃである。何故か?・・・全ては、りっちゃんのお好みだからである。りっちゃんは、噛めるものが何でも好きだ。歯応えがあればあるほどいいらしいが、噛めない物は歯牙にもかけず。噛んで、噛み散らかして楽しんでいる。・・・買い与えたおもちゃには一瞥もくれないくせに。この、年末の大掃除が必要とされるタイミングに、彼はダンボールを片付ける事を許してくれない。一度、彼が他に注意を払っているときに、ダンボールを畳んでゴミ袋に入れようとしたことがある。視線に気付いて振り返った私の眼に入ったのは。・・・コミックスの『スヌーピー』を知っている方なら御存知だろうか、スヌーピーの、「ガラガラヘビのポーズ」をとったりっちゃんが、ジョーズのBGMよろしく、私に向かって突進してくるところだった。「やめろぉ」という、りっちゃんの心の叫びを聞いた私は、諦めてダンボールを手放した。トイレに入っていると、ぺぺるもそうだったけど、鳥さんは、個室で何が行われているのか知りたくてたまらないらしい。他聞に漏れずりっちゃんも、戸の下から懸命に覗こうとする。やめて、といって聞いてくれるものではない。落ち着かないことこの上ないが、一緒に入る訳にも行かないので、締め出していた今日この頃、・・・戸から凄い音がしてきた。・・・メキョッ、ゴリッ。・・・ビックリして飛び出すと、りっちゃんが、トイレの戸の下部分に下嘴を入れて、戸をゴリゴリ削っているところだった。80g足らずの小鳥に家が壊されてしまう恐怖たるや(笑)止む無く、扉にはプチプチが貼り付けられた。りっちゃんは、壁をコンコン叩いてその反響を楽しむクセがある。集合住宅では、全く、許し難い趣味である。(結構大きく響く)かくして、りっちゃんがドラミングする壁面にも、プチプチが貼られた。他にも、りっちゃんが床に叩きつけて喜ぶ靴磨きの蓋やら、片車輪を粉砕されたペンギンのオモチャ、噛み心地の良さという点では、他の追随を赦さないパソコンのマウスなどが転がり、洗面所のカオスっぷりは、ここ何年かの内でも最高潮に達している。片付けたくても片付けられない悲しさよ・・・。こうして、家は散らかっていくのである。一年が終わると言うのに、私は片付ける手立てを何一つ持たない。そもそも掃除機をかけたら、掃除機の首っ玉目掛けて、漏れなく決死の攻撃をかける我が家の王子は、「掃除」と言うものが理解出来ないらしい。今のところ掃除機の首は、皮一枚で繋がっているが、いつ、お陀仏になっても不思議ではない。彼は、いつか必ず掃除機を殺ってやろうと、嘴を磨いているのだ。そして、私は、バナナをこよなく愛する王子様のご機嫌を伺うしかないのである。
2015.12.28
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ブログを書くときは、数日前から考えていたりするのですが、この頃、記憶力が怪しくて、油断すると、既に書いたネタについて、一所懸命構成を考えていたりします。(実際、upしちゃった事もあります。)どうぞ、恥ずかしげも無く二度目ネタを再披露していましたら、既出だよ、と、囁いてやって下さい。深い冬眠に入りたいと思います・・・。************暮れの押し迫ったクリスマス。姪っ子たちと「くりすます」をするべく、私は出掛けてゆきました。まずは昼ごはん。・・・四歳になった姪っ子は、サンドウィッチを頬張りながら、私を見つめて言うのです。『ぺぺるちゃん、かおがみどりいろだよ』みどりいろ。・・・緑色。待って、緑色って、フツー顔の描写には余り使わない。なんだっけ、アバター?スマーフ? 青いのはいるね、うん。緑、・・・ああ、カーミット? それはカエルだよっっ妹が済まなさそうに、「子供は残酷だからねえ」などと、私を上目遣いで見ながら言う。「ナニ、何で? なんかの顔料付いてる?」私が少しうろたえると、「多分・・・目の下のクマじゃない?」ああ、クマね、クマ、・・・って緑でしたっけ。なんとなく了解したけど、実際指摘されると結構ショックだなぁ。・・・緑ですか、顔が緑に見えちゃいますか。「○○ちゃん(自分)も、ときどきみどりいろだよ」姪っ子は私の沈んだ空気を読んで、すかさずフォローしました。こういう時、このコ頭良いなぁ、と感心します。しかし、・・・いやいや、4歳児は緑色にゃなりませんて。その後、例によって「ぺぺるちゃん、あそぼうよう」が始まり、散々遊びに付き合って。次は次は、と繰り出される遊びに付き合って。夕闇がお日様を隠し始める頃、「もう帰らなきゃ」と言って立ち上がると、「なんで、・・・もうかえるの」。今こそ奥の手、と、クリスマスプレゼント攻勢を披露、よっしゃ、プレゼントに注意が行っている今こそ、チャンス!と、上着を着ようとすると、「ぺぺるちゃんさ、くるのおそいとおもうよ?」と非難されました。「今日はおねえちゃんが来るってんで、朝からすごいテンション高かったのよ、チャイムなるたびに玄関に飛んで行って・・・「もっと遊びたかったのね」と、妹。え、今日、私頑張って11時には来たじゃん! と言う抗弁は通らない訳で。しかし、まあ、考えてみれば、ぺぺるちゃんぺぺるちゃんと慕ってくれるうちが花ですね。・・・仕方ない、更に奥の手。「よ~~~~しよしよしよしよし、ごめんなぁぁぁぁ、またくるよぉぉぉぉ~~~~!!」頭を抱えてごしごしごしごしごしごしごし・・・・秘技「ムツゴロウさん」攻撃。でも、さすがに全力で相手すると疲れるわ、・・・顔が緑色にもなるわ。因みに下の姪っ子は、その頃、私の持ってきたサルのぬいぐるみに夢中になってました。次々プレゼントを繰り出す私に対し、上の姪っ子は、「なんできょうはぷれぜんといっぱいあるんだよう」と言いました。しまった、まだクリスマスをよく知らなかったんだ、プレゼントも要らなかったかッッ!!!後日、賀状には、「うきき」と名付けられた元・私のサルが載っていました。
2015.12.25
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きぃぃぃぃーーーーーーッ!!!何も出来てないですよッ!何もしてないですよッ!!しかし、2015年が後十日で終わる現実!私は認めないぞ、断じて認めないッ!!!・・・・・・認めようが認めなかろうが、一年は終わるんです。もう、今年のクリスマスすら、世間じゃオワコン感がハンパ無い。こういった結果が、積り積って「人生」となるのかと思うと、全く、リアルで頭を抱える今日この頃。昔は『モモ』みたいに、『時間泥棒』が居ると思っていましたが、どうやら現実はそうではないらしい。ネトゲなんぞで寝落ちしていたのは古の話、今はゲームをしている時間も、根性も無い・・・てか、待って。時間よ、置いてかないで(画像は、10月に武田尾の廃線跡で訪れたトンネル・・・二ヶ月前とは!!)
2015.12.21
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目下、可愛い孫に夢中な両親の話を聞きながら、私(孫)にとっての祖母についての思い出を、つらつらと話した。可愛いけど、孫の相手は疲れるよねー、孫は、自分が大人の相手を「してあげている」つもりになってるからねー。現在、私の姪っ子には「おじいちゃん」と「おばあちゃん」が、二人ずつ居るが、物心付く頃の私には、母方の「おばあちゃん」が一人、だった。唯一無二の「おばあちゃん」が大好きだった。身内の事だが、孫から見ても品のある『おばあちゃんらしいおばあちゃん』で、私の父などは、祖母が故人になった今でも「あんな綺麗な『ご婦人』は見たことが無かった」と手放しで絶賛する。遠くに住んでいたので、年に一度会うか会わないかだったが、一度だけ、関西に遊びに来てくれたことがある。食事の支度をしている母、ぽつんとちゃぶ台の前に座る祖母を見て、子供心に気を遣い、退屈させてはならないという妙な責任感から、私は、祖母に、遊ぼう遊ぼうと纏わり付いた。おはじき等を教わったりして遊んでいたが、暫くすると、祖母は子供の相手に疲れたのだろう、「あっち行って遊んでらっしゃい」と突き放すように言い、当時の私を至極ガッカリさせた。・・・「他意は無いんだよ、あの人は思ったことをそのまま口にしただけだ」と父は言った。「判ってるよ。 子供の相手が相当疲れるって事も解るしね」と私。「お祖母ちゃんねえ、」母が何かを思い出したように言った。「若い頃、その物言いから、周囲に『辻斬り』って呼ばれていたらしいわ」はーーーーーーッ!?仰天した。 ・・・つ、辻斬りって、あの、出会い頭にがちょーんというあの、・・・「若い頃よ? 奉公先でそう呼ばれたんだって。」初耳だった。あの綺麗な祖母が、まさか「辻斬り」だなどという物騒な二つ名を戴いていた頃があったとは。どれだけ切れ味のいい言葉を繰り出していたのだろうか。 祖母が亡くなって、もう大分経つ。遠い所で、子供の私には判らない嫁姑問題による葛藤もあったようだし、晩年は、必ずしも全てが上手くいっていた訳ではなかったようだ。だが、関東大震災と大戦を潜り抜け、家を建てて四人の子供を育てた。当時では当たり前かもしれないが、昔の人の強さは、現代では計り知れない。私にとって、祖母は近い人にはなり得なかったが、ひょんな事で『辻斬り』などという呼び名を聞いてしまったことで、「昔の人」で括られていた故人である祖母が、少し身近に寄ってくれたような気がした。それにしても、・・・だ・・・。どうして、その、『辻斬り』な気性が私に遺伝してくれなかったんだろうか。・・・かえすがえすも、惜しい。・・・そして、心底羨ましい。
2015.11.30
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喫茶店にて。薄いコーヒーを啜りながら談笑していたら、友人が突然話題を変えた。「あたし、この間、老眼鏡作ってん」・・・・・・こんな場合、どう言えば地雷を回避出来るのだろう?倍速で考えを巡らせた。1 そっかー、誰もが通る道だよねー2 え、まだ早いよー、モノが見辛いならちゃんと診察して貰わなきゃ! 病院行った?3 乙乙!友人は私の小さな苦悩には気付かなかった。「仕事してると、夕方になるともう、メガネだろうとコンタクトだろうと、対象物が見難くてね、見え方がおかしいんで、診察してもらったの」「そうしたら、受ける検査受ける検査、どう考えても「老眼」に対する検査なのね」「検査が終わったらなんとなく私には判ってたんだけどさ、医師が「老眼」て言わないの」「あの手この手で「老眼」と言う言葉を回避するのよ」「『加齢や疲れ目で目の焦点が合いにくくなる症状』みたいにね」「それを何度も繰り返すからイライラして、」「『先生、私気にしませんから。 はっきり老眼って仰って下さっていいです!』って言ったら」「『そう言って頂けるなら有難いですが』とか言いながら、やっぱり「老眼」と言わない」「で、眼鏡の処方箋を貰って、眼鏡屋に行ったら」「やっぱり、『目の焦点が合い難くなる症状に対応する眼鏡をお求めですね(ニッコリ)』とかいうわけ」「何で皆、『老眼』って言わないわけ? 失礼だとか思うわけ?こっちは思わないのに」 「ホント腫れ物に触られるような扱いが頭にくるわ」私は、一瞬前の自分の逡巡を悟られまいと努めた。「なんでやろねえ」と、軽く答えながら、自分たちがそういう年齢であること、世間から少しセンシティブに扱われる立場であることを、少し、思った。一応。パソコンやスマートフォンを使う関係で、「老眼」になる人はどんどん低年齢化しているという。私はもともと近視である上に、強度の乱視であるから、裸眼では生活できず、今の所、老眼鏡を購入する必要は無いけれど、それでも、夕方酷く目のぼやける事だって無くはない。『年をとるとね、』なんて言葉を聞くと、少しドキッとするようになった。時間の経過と共に全てが劣ってゆく激流の中を、立ち止まることも叶わず、足に纏わり付く水を蹴散らし、ざばざばと遡ってゆくような、いつの頃からか、そんな流れに入ってしまった。健脚で、私よりずっと足の早かった叔母は、痛みに苦しみ、歩行器が手放せないし、肺病持ちの母は、近くの買い物ですら、すぐ疲れると言って中々出歩かない。頑健に見える父すら、完全に右足を引き摺って歩いている。どんな人間も、「老い」に攻め立てられながら生きてゆかねばならないのだと、せつない気持ちで頬杖を付いてみる。しかし、医師に対し、ハッキリ言って下さい!と言い切った友人のように、どんな現実に対しても、オブラートに包んだりせず、真正面から立ち向かって行きたいものだと、・・・そう思う。・・・辛いけど。
2015.11.27
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りっちゃんです。秋が深まり、お嫁さんが欲しいアピールがあって、それから二三日、再び毛を抜く日々が続きました;;医師も言ってたけど、発情すると毛引きしちゃうんだね・・・;;ごめんよ、お嫁さんはお迎え出来ないの・・・;;やっと落ち着きました。夜の九時になるとリビングの電気を全部消し完全消灯します。遊び足りないと怒っていたりっちゃんも、暗くすると寝ないわけには行かず、そのうち寝てしまいます。人間は、真っ暗なリビングと、明かりが漏れるので、手元しか照らせない照明で、辛うじて食事の後始末をする始末。別の部屋へ連れて行く、という選択肢も考えましたが、何かあった時(地震など)に対応できるのがリビングなので、移動も出来ず。今取れる最善策。『今はね、毛引きは、鳥の「問題行動」と言い換えられています。鳥飼いのポピュラーなアメリカなどでは、人の精神安定に関わる薬を、鳥に処方出来ないかの研究が進んでいますが、・・・命に関わる事じゃないですからね。関東の、誰もが知る有名獣医は「毛引きには何も処置しない」方針だと言いますよ。鳥が自分で身体を傷つけて、血が出る事態になったら、抗生物質を処方する、と。それまでは、薬で痒みを抑えつつ、新しい羽毛の発育促進を図る、しかないと思いますね。』獣医師はそう言いました。いつもの先生がいらっしゃらなかったのですが・・・当分お休みの模様。この日の先生を信用してない訳ではないですが・・・早く診療現場に帰ってきて欲しいなぁ。りっちゃんは何の迷いも無く医師の手に乗りましたが、ひっくり返されて触られるうちに、嫌がって、私の肩に自発的に戻ってきちゃいました。で、私の頭の横で医師を威嚇する始末・・・やれやれ。本当ならもっと触診して、内臓の様子などを診て頂きたかったのですが・・・この先生はあまり触りたくないようでした。「久しぶりなので・・・そのうの検査も」と申し出て、やっとしてくれましたが。本当なら・・・糞便検査もするべき・・・なんですけれど。今日診て頂いた医師の言葉は、なにも目新しいものではなく、別に私も、りっちゃんが魔法のように治る方法があると思っていた訳ではありません。・・・が、医師と信頼関係を築けないという事が、これ程までに心細いものとは。最新情報も持っておられるし、診られない訳ではないのですが・・・ご専門とは違うようで。鳥を診られる獣医師はまだまだ少ないです。 動物病院は、犬猫に特化しているところも少なくありません。診て頂けるところがあるだけでも、有難いと思わなければなりませんが、(毎回、診察の為に片道一時間以上掛けて通う人がいる話も聞いています)同時に、もっと鳥のお医者さんが居ればいいのに、と思わずにはいられません。帰り道、広場の隅に座って、りっちゃんに紅葉した木を見せてやりました。家に帰ったら、柿を切ってやりました。
2015.11.23
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長時間の外出が中々難しくなった分、近場のお出掛けについて考えるようになりました。(りっちゃんが、ハーネス付けてお出掛けできたらいいんですけれども。)そうすると、好みはあるかもしれませんが、我が街にも色々見所があると知りまして・・・私は、義務教育を受ける殆どの期間を、他の地方に居りましたので、『遠足』といって出掛ける近場を、よくは知りません。ならば、『大人の遠足』と洒落込みましょうか、と。この日は、神戸で唯一の、国宝を見に行こう!と思い立ちました。三身山「太山寺」。 天台宗仏教寺院。あの藤原氏の始祖、藤原(中臣)鎌足の息子定恵が開山、その弟不比等の子が創建。七堂伽藍を整備し薬師如来の尊像を安置した・・・と、『縁起』にはあります。古い古いお寺です。上の画像は仁王門です。 堂々たる御仁王様がいらっしゃいます。本当は移築(室町)前には上層部もあったらしく、それは大きな見事な門だった事でしょう。創建は鎌倉時代末期とか。門前にカンテウノ松、という古い木の切り株がありましたが、由緒その他は不明。 どうやら「イボとり」に霊験があるのでは、という書付は見ましたが・・・神戸市サン教えて。これが国宝の本堂(鎌倉時代)。 華美さはないですが、とても風格のある建物です。蔀戸越しとはいえ薬師如来さんを近くで見せてくださいます(引き戸かも)。奥に見えるのが阿弥陀堂。中には3m近い立派な阿弥陀様が座っていらっしゃいます。 鎌倉初期の造りで重要文化財認定。最初本に、事前予約をすれば拝観できる、とあったので電話してお聞きしたところ、普通に蔀戸越しに拝観できますよ、とのこと。 本当に近くで拝見できて驚きました。そう広くない堂内はひんやり冷気が漂い、冷気というより霊気かと錯覚を覚えるほど。恐らく、見る人全てを圧すほどの威厳を備えておいでなのだな、と。境内を一周して、奥の院へ向かいます。見えるのは閼伽井橋。これを渡ると、稲荷舎と地蔵堂がありますが、写せなかった。何しろ古いお地蔵様、仏様が沢山立っていて、古さゆえ、首が落ちていたりするのです。 正直怖かった。しかしここの地蔵堂は、一願地蔵というお地蔵様が居て、ひとつのお願いについてお蔭を頂け、霊験あらたかというお噂です。さて、この先に磨崖仏がある、との、お寺から頂いたリーフレットの情報でしたが、(太山寺川というのですが、流れてきたか、崩れてきたか、大岩の数々で、水が見えません。 )先に進めようはずも無く。山手の方にもお地蔵様が沢山建っていましたが、土砂崩れがあったらしく先へ進めない。仕方なく戻って、ご朱印を受け取りに受付へ行き、磨崖仏を見たかった、と言うと、今は境内からは無理ですよ、との答え。行くならね、ここを出て農道通って、道路に出るから・・・と説明を聞き、御礼を言って、勇んで出発しましたが、最後に係りの人が言った、「自己責任でね」と言う、言葉が引っかかっていました。お言葉通り進むと、比較的簡単に近くまで行けました。公道を塞ぐ大きなフェンスで行く手を阻まれ、私は係りの人の言った意味が、ようやっと解りました。そこには、磨崖仏に関する丁寧な説明版がありましたが、こっから先は行けませんよ、と、どこにも書いてないのに警告だと思しき柵。でも、フェンスは左端がやや開いていました。ここまで来たら行くしかない!と、そのまま歩みを進めましたが・・・心細かったこと心細かったこと。違法?じゃ無いにしても、これが自己責任の最たる形。多分、後ろで爆竹鳴らされたら、失神するレベルで緊張しました。道路はアスファルトだし、道路の橋はちゃんとガードレールがあるのですでも、ミラーは割れてるし、道路の三分の一位は、落葉や雑草で埋まってる。 落石があって、通行止めになって、もう大分経つのでしょう。誰かが通る、という希望的観測が全く無いことが、これ程まで怖いとは。・・・いいです、私はチキンです。チキンで結構です。そして、どうぞ、見たいと思われる方はこの恐怖をお忘れなきよう。どんなトラブルに巻き込まれて、大声や防犯ブザーで助けを求めても、一切助けは期待出来ません。仏様の前で・・・と思いますが、こんなご時勢ですから・・・。そうやって撮って来たのが、この磨崖仏です。基本、仏様は撮らない事にしていますが・・・こちらは明王様にお願いして、撮らせて頂きました。もう、再びお会いすることも無いかと思って。鎌倉時代後期に作られた、神戸市指定の不動明王像の磨崖仏です。この近くに流れの淀むところがあり、行場として使われていた所なのだそうです。・・・神戸市営地下鉄伊川谷駅から30分ばかり歩いて行き、歩いて帰りました。色々ありますが・・・「大人の遠足」、中々いいものです。本堂より三重塔を望む。 (江戸時代 県指定文化財)
2015.10.17
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うちのIEは潰れてるんでしょうか。上手く動作しない上に(クリックしてからの作業動作のインターバルが長過ぎ)、リンク張れない、画像貼れない、絵文字も表示不可で、こいつぁいけねえや、とGoogle Chromeで表示することにしました。・・・あ、いつもどおりの表示に戻った。*****職場でね、いつもどおり黙々と仕事してましたら、手錠に腰紐付けられた人が、5人ばかりの人たちと歩いて来ました。私ももう、大概長く生きてきましたから、こんな光景は、残念ながら飽きるほど見てきたのです。今更「うひょー、刑事モンのドラマみてー」とか、思わないのです。しかしまぁ、どんなに取り繕ってみても、手錠の掛かった手の上に、布を被せて隠してみても、「犯罪者乙」な、空気は否めない訳です。何があったかは知りません。何をしたのか知りません。この人は法を犯し、被害を被った人が居るという事実のみ。野次馬が二人ほど、さり気に見に行ってましたが、引き返してくる時に、繋がれた人の動作の物真似を、面白おかしくして仲間と爆笑していました。罪を犯して露見するというのは、つまりそういうことで、どんなに馬鹿にされようと、反論のしようも無い。「可哀相」と、「自業自得」との気持ちが、漣のように、引いては寄せてゆきます。可哀相だと思ってはならない。 きっと悔しいと思えばこそ、立ち直ってくれると信じたい。逆に見つからなければ、痛い目を見なければ、続ける可能性だってある。・・・頑張って、こっちへ戻っておいで。そう思いながら、仕事を続けたわけですが。あの若さがありゃあねえ何だって出来るだろうし、楽しい事だってたくさんあるでしょうに。どうして道を誤ってしまったのかしらねえ。そういう同僚の言葉にウンウンと頷かずに居られなかったのです。逆に、増えに増える老人の万引きについて。もうホント、このままじゃ社会が壊れるよ・・・割と真剣に。かなり根っこから対策取らないと・・・。
2015.10.16
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りっちゃんは、カメラのファインダーを向けると、結構カメラ目線、ってヤツをくれるのです。見事なまでに。しかし、ドアップでもっともっと、と撮りに行くと・・・ぐああっ!!!向かってきます。いつか、レンズカバーに噛み付いて、壊したろ、と思っているようです・・・。・・・ヤメテ(汗)*****一ヶ月前の話です。一年前に行った、加古川の鶴林寺へ行きたくなって、友人を誘い、行ってみました。・・・・・・迷ったね。自分でもびっくりした。 もう三回目なのに!大船に乗ったつもりで付いてきな、見たいに先導して歩いてたら、どんどん知らない場所へ向かってる。(最初は寺でなく、とあるカフェを探しており、見つけられずに諦めて、そのまま寺に向かったのが敗因かと)グーグル様に助けを求めたら、南に行かなきゃ行けないとこを、一心に西に向かってた、ってな位、方角間違ってたよね。いい加減、感覚で進むの止めようね自分、ってな感じで。謝ったら、「え、もう、馴れたし?」とか言っちゃう友人は、どこまで懐が深いのか。折しも、彼岸花が綺麗な頃でして。境内の至る所に彼岸花が咲いていました。彼岸花ってね、普通の花の持つ柔軟性を全く持たないの。物理的な衝撃にすごく弱いのです。ところどころ、踏み拉かれたようになってる花を見て憤慨していたら、ホント、至る所に咲いているがゆえに、自分で気付かず蹴ってしまった・・・ごめんなさい(汗)本堂の前にも彼岸花が。この日は暑いほどの日差しでしたが、お堂の中は涼しかったです。彼岸花は忌み嫌われるところもありますが・・・普段、中々お目にかかれないので、結構美しいものと感じました。そういえば、宅地造成などで、土深く埋められた球根は、一年、また一年と地上へ向かって突き進み、やがて地表へ芽が出てくるのだと聞いたことがあります。その強い執念みたいなものと、この物理的な花茎の弱さのギャップは、なんなのでしょう。知りたいです。(石の塔はお墓じゃないですよ)例によって、加古川B級グルメ筆頭、かつめしを食べて帰りました。
2015.10.11
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洗濯機はボクの陣地 posted by (C)ぺぺるお元気ですか?リドル君です。少しお豆腐メンタルなリドル君は、春に毛引きを発症しました。ある朝起こそうと、カゴに掛けた布を捲り上げたら、カゴが抜いた毛で一杯になっていた恐怖。・・・獣医の先生には、ああ、この子達はねえ、人に馴れる分、神経質だよー、と言われました。リドル君を迎えるに当たり、一羽飼いしか出来ないので、寂しかろうと気を遣い、毛引きの可能性を常に忘れず、ストレスを回避するべく努め、(と言うか、知識はあったので、ずっと恐れていた)、かなり慎重に育てたのですが・・・それが裏目に出てしまったのでしょうか。リドル君は、少し神経質に育ちました。噛み癖は治り、反抗期も過ぎ、私にはベタ馴れになりましたが、元々一人遊びが出来ない子だったので、人間がいない時間が多くなると、その事が激しいストレスになってしまいました。・・・結果、リドル君は自分で自分の毛をむりやり抜いてしまい、哀れな姿になりました。下半身の毛が抜きたくられた姿を見た時のショックは、忘れられません。その場に崩れ落ちました。それはもう、私の脳内で軍法会議が繰り返し実施されましたが、結果に対して、責任を追及してもどうしようもない為、取敢えず、「ぴかぴかの鳥になって貰います!」と、ここへ書き込んで自戒としました。今も、あのときの恐怖が拭えず、夜は心配で心配で殆ど出歩けません。外にいる時も、落ち着かない顔をしてるんじゃないかと思います。・・・が、投薬を続け、酷い毛引きは少し落ち着いています。(投薬と言っても、ストレス緩和などではなく、抗ヒスタミン剤で、毛が生え変わる時に、痒みを感じて抜かないように、との医師の判断です。)完全に治ってはいませんので、気は抜けませんが、少しは立ち直ったような気がします。(春には、腰からお尻の上の毛(色の付いた毛)が、殆ど抜かれていたのですが、今は全て生えているためです)とはいえ、気を抜くと、私の目の前でぶちっと抜いちゃいます。特にスマホをいじると、その傾向があることに気付きました。(基本、「構ってちゃん」なので)私が音楽を聴くと叫ぶので、ストレスを与えない為に、ヘッドフォン推奨になりました。生活に色々制約が出来ちゃいましたが、リドル君がいない生活が考えられない今は、それでも良いと思っています。問題は、これが鳥ごときに振り回されている、と評価されてしまう事です・・・・・・解せぬ。
2015.10.02
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ビーチに行く気がない人ほどビーチボーイズを聴けとか、そんなタイトルの映画コラムを雑誌で読み、(映画『LOVE & MERCY』)内容は兎も角、そのタイトルにいたく感心してしまった。ビーチに行く気がない人ほど、か。私のこと、か?(ビーチに行く時間があったら、山に行ってる確率の方が遥かに高い。)・・・ビーチボーイズ(日本のドラマじゃないですよ?)の名前を見て、Good Vibrationが耳に蘇る。音楽は時として視覚や聴覚、記憶を刺激して様々な感情や感傷を呼び起こす。特にビーチボーイズは、テーマやイメージが固定しているような気がするので(私は全ての曲を知らないので、これは一個人の感想)、聴いた途端、波の音が聞こえるような気がするのも、無理からぬものなのかもしれない。でも、私は余りビーチボーイズは好きじゃなかった・・・。どちらかと言うと、ブライアン・ウィルソンらの娘たちの所属する、Wilson Phillipsの方をよく聴いた・・・。海の近くに居ながら、私は海を遠くから眺めるだけで関わりを持たない。亜米利加西海岸も、ビキニもオープンカーもヨットも、わが人生に交叉するタイミングは100%無いだろう感心はしたが、解らない。このコラムを書いた人は、ビーチボーイズを聴いて、どうせよと言うつもりだったんだろうか。聴いていた昔を思い出せと?良さを再認識せよと?映画を観に行けと?***・・・先月のある日、神戸港近くで「珈琲部」、って名付けられたイベントが夕方からあったんです。『珈琲をこよなく愛するCOFFEE SHOPが集まり、自家焙煎やこだわりの豆で自慢の一杯を皆様へお届けします。港らしい情緒ある風景と夜景を感じながらのアイス珈琲は格別。・・・』と言うもので、珈琲を嗜みつつ、のんびり海を見ると言うだけのゆるいイベント。エスプレッソを飲めない、エセ珈琲スキーの私ですが、いそいそ出掛けて行きました。平日なので、早々人も押し寄せる訳ではなく・・・(実行委員会の人は頭を抱えたかもしれませんが)私はテーブルを一つ占拠して、珈琲を求め、ずっと海を見ていました。・・・無為ですが、幸せな時間でした。ビーチではありませんでしたので、ビーチボーイズは終ぞ耳に蘇りませんでしたけれども。と、ところで、私がサボってる間に、また楽天ブログの仕様変わりました?リンクが貼れない・・・絵文字も使えない・・・(汗)う~~~む・・・。
2015.08.27
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世の中には・・・テレビを爆破したインコがいる(羽毛が排熱口?に詰まって)パソコンのキーボードを破壊するインコがいる(一つ一つのキーを毟り取って)・・・うちのインコは洗濯機を破壊した。原因は、察して下さい・・・。・・・警戒はしていたんですけれどねえ・・・流石にちょっと脱力してしまった。イヤ、元気なのはいいことです。病気は完治していませんが、りっちゃんが元気になってくれるなら、洗濯機の一つや二つ・・・(号泣)・・・いえ、ごめんなさい、嘘言いました。家電を破壊するのはやめてください・・・危ないです・・・お願いします(切実)***暑いですね。去年、私は暑さについて、「フライパンの上のようだ」、などと言ったことがありましたが、勘違いでした。・・・どう考えてもロースターでしょう(滝汗) ジュウジュウ肉を焼く系の。上から下から・・・、太陽熱と照り返す熱と・・・大好きなまどみちお氏は、「いつから」と言う詩の中で、「いつから太陽と空気が嫌いになったのか」と、書かれていますが、今や、こんな「むごい太陽」も、「息をすると違和感を覚える熱い空気」も、嫌いと言わずとも好きじゃない。うちのバラは、朝咲いて、夕方にはドライフラワーになりかけていますこんなに水切れが頻発してたら、モナルダは咲かないかもしれない・・・。ホンマもー、勘弁して欲しいわ、どないかなりそうやわ・・・夏。夏が大好きだった夏休みのある頃に戻れたら、どんなに暑かろうと、又感想は違うのかしら。先日、少々油断して熱中症に罹りそうになりました。ただ街を歩いていただけなんですが・・・頃が悪かったカンカン照りの午後二時。皆様もどうぞ、お気をつけください。
2015.07.31
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二年ぶり、位になる昔の職場の人から唐突に連絡があり、『介護は順番だねー、遂に来たよ。 ・・・ぺぺるさんを思い出した』と言われるので、『よければ、息抜きにお茶でもしませんか?』と、お誘いしたところ、二つ返事で快諾された。お茶でなく、ランチにして、予定を合わせて落ち合い、二時間ほど、ノンストップで近況など話し合った。「ラストオーダーです」と、ウェイターが声を掛けてきた。それを切欠のように、その人は、この日初めて、勢いづいて話し出した(ように見えた)。「ぺぺるさんには今、癒しってある?」と。相手の思惑が図れず、困惑して、特にないと応えると、「じゃあ、私があげる」と、やおらエステの紹介を始められた。それから閉店間際まで、i-phoneで動画やら、パンフやらを色々見せられ、無料のお試しとやらの予約を入れるよう、散々勧められたのだが、脳内の警戒警報が鳴り止まず、私は辛うじて返事を保留にした。別れた後、自分が何処をどう歩いているのかよく判らなかった。何故ほっつき歩いているのかもよく判らなかったが、座ると泣き出しそうな気がした。結局、介護の話は嘘ではないにしろ、釣りの餌だった。私は、彼女が連絡してきた時から感じていた漠然とした疑問の元に辿りついた。私は彼女が大好きだった。職場でトラブルが起きておろおろする私の手を、握り締めてくれた時もあった。彼女の聞かせてくれる、他愛ない話が大好きだった。彼女の生み出すアートが大好きだった。彼女の言う事は無条件に信じたし、信じるべきだと思い、尊敬もしていた。決して彼女は私を悩まそうとした訳ではないのだろう、自分で言うように、自分の良いと思うものを、是非にと教えたかっただけだろう、それがエステで、美顔器だったというだけだ、なのに、この気分の落ち込みようは何だろう。どうして涙が出てくるんだろう。必要か否かは置いておいて、私はエステに興味が無かった、高価な美顔器にも興味は無かった、なのに「興味が無い」と言い切れなかった。彼女との縁を、無意識の内に守りたかったのだろう。「行きたければ行くといいよ、無料というんだし?」ある友人は言った。「但し、絶対断る事が出来ないと思うなら、一度でも行くべきじゃないよ?サロンに着けば、鞄は預かると言ってロッカーに入れられ、帰りたくても、左右を固められて執拗に勧誘されるんだよ?特にぺぺるちゃんの場合は元職場の先輩でしょう? 断りにくい事は間違いないよね」・・・強制しないと言ってるよ?・・・断りたいなら、絶対に私が守るからって言ってるよ?「どちら側の人間なのか、まずよく考えるべきだよ。」手元に残されたパンフからネット検索し、エステ会社の世間の評価を読んだ私は、心が折れた。「ネットとかでは色々言われてるけど、私が悪いものを勧めるはずがないでしょ?」「絶対ぺぺるさんの役に立つから!」どこまでも明るい彼女の声が耳に残っている。彼女の善意は疑わないが、彼女の善意には乗ることは出来ない。「忘れろ。君の好きだった先輩はもういない」友人にそう言われ、私は再び泣いた。
2015.07.22
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この間チラッと見たテレビ番組が、半ば「仏女」特集だった。仏スキが高じて、学芸員にまでなったと言う仏女は、東北の、とある有名な仏様を紹介しつつ、「私の推しメンはこちらです!」「おムコさんに如何ですか?」などとノリノリでタレントに話しており、少し呆気に取られた。私も綺麗な御尊顔の仏様を、イケメンと評する事はあるが、・・・いやでもしかし。古来より日本人は、仏の高みへと上がろうと足掻いて来た。今や、仏を俗世のポジションに引き下げ、価値観に嵌めようとする。お心の広い仏様は、苦笑の上赦してくださるだろうが・・・。*******齢この年まで知らなかったんですが。神戸にはいくつもお城がありました。勿論その全てが今は形無く、城址として名残を留めるか、伝承のみですが。中でも山城ファンに有名なのが、JR新神戸駅の裏山、瀧山城なのだそうです。***瀧山城は大阪湾を見通して、往来する船を監視する事が出来、西の再度山城、東の摩耶山城を両翼に、戦略上二つと無い拠点にあります。(案内板より)瀧山城築城についてはよく判っていないようですが、南北朝時代に赤松円心則村によって築かれ、幕府討伐の拠点となり南朝に攻め込まれ、たびたび戦場となったようです。則村の死後の城に付いても、よく判っていません。戦国時代に松永久秀によって修築され、その後城主が時々代わります。同じく神戸にあった花隈城の支城として使われていたようです。 天正6年、荒木村重が織田信長に謀叛を起こし、攻められ、放棄されたようです。(落城?放棄?よく判りません) その後、織田方が拠点として使っていたりしたようですが、花隈城が落城してからは、再び記録に瀧山城が現れる事はなかったようです。石垣などは、兵庫城築城のために運び去られたのだそうです。(その兵庫城も、今や当該場所に石碑と案内板を残すのみですが)標高の高い場所から、築城に用いる石を運び出すのは相当骨が折れたと思いますが、折も折、先月兵庫津遺跡(城跡)の発掘調査で、兵庫城の石垣に、墓石やお地蔵様が、割られ、多数埋め込まれていた事が判明しました。敵城の築材など、当然余さず使うでしょう。 石材は、相当貴重品だったようです。入り口には標識があり、迷う事は無いし、ハイキングコースにもなっていますから、それなりに土が踏み固められ、階段が整備されており、道は比較的歩き易いです、・・・が、山城は元来戦うための城、訪れるものを歓迎しよう筈がありません。よそ様のブログでも拝見しましたが、真夏に登るのは厳しいと思います。所々に見える郭(曲輪)。人為的に山肌を削り、土をならし、平らな敷地を作って敵襲に備えた跡です。本当に至る所に、と言う感じでありました。土橋。 左右は堀、になるのだそうです。でも、今は土が流れ雑草が生い茂り、堀というイメージが湧きません。(土橋ではないとする説も)本丸近くの堀切。峰や尾根を、堀を作って流れを切り、尾根沿いに侵入を図る敵を防ぐ目的で作られました。至る所に土塁、削平が見られますが、石垣の残りも城の名残を伝えてくれます。(階段は近年造られたもの)主郭 ・・・所謂本丸のあった場所です。東屋が造ってありました。 これは郭の一番奥から見た様子。雑木が多く、残念ながら下界や景色は殆ど見えません。櫓台には城碑が建てられていました。なにか、碑の前に器が見えるけど・・・何のつもりだろうか。ここから再度山(ふたたびさんと読む)へ行けるようですが、この日はこれで引き返します。下りる時は早いものです。大して息も切らせず、直ぐ中腹まで来ると、ぽっかり視界の拓ける場所がありました。おお、海までまっすぐ見通せる。上を見上げると、ロープウェーが。このロープウェーは、新神戸から布引ハーブ園へと連れて行ってくれます。沢の音が強くなり、地上?に近づきました。川の近くの土壌だからか、コアジサイ(柴紫陽花)の群生が元気。さて、地上に到着です。 『猿の架け橋』。徳島の、祖谷のかずら橋を模したものだそうです。森林保護を目的として、木の生育を阻害するつる類を取り除き、集めたさるなしのつるで既存の橋に装飾を施したのだそうです。(六甲山の瀬戸内海国立公園編入50周年記念)さてここからも色々なところへ行けますが、この日の目的は城でしたので、布引の滝だけを見て帰ります。この滝については又今度・・・。お付き合いくださり、ありがとうございました。^^
2015.06.15
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・・・久しぶりに。ホントひっさしぶりに、頂き物の、Royal Doltonのお洒落なマグカップを出してきて、コーヒーを飲みました。陶磁器大好き、なのですが、普段、ノベルティのカップばかり使っています。因みに今は専ら、某家電量販店のくれたリラックマのマグカップ。Royal Doltonのマグは、洗う時、音も無くシンクで割れました。膝から崩れ落ちそうになった・・・orz。これだからヤなんですよ、いい食器を使うのは・・・。んもう、立ち直るのに時間かかるかかる・・・。普段使いのカップに、余り気を遣わないので、それが常態になってしまったんでしょうかねえ・・・扱い方が良くなかったか。割れた要因すらよく判らない。あーもう、なんで今使う気になったんだろう~><。といっても、覆水は盆に返らず、割れたマグも元には戻りゃしません。コーヒーは美味しけりゃ、何使ったって良いんです。 だから、使い易いどこぞのノベルティを愛用したりしてるわけで。しかし良いカップはやっぱり口当たりもいいもので、・・・失うとひどく寂しい。・・・気に入りのボレスワビェツ陶器、一つ買っちゃおうかな。そして、長い事眺めた挙句、使ってシンクで割ったりするのよね・・・・(嘆)。うぉっ、ちらりとマグを検索した途端、楽天から怒涛のようなマグプッシュ!・・・いいです、いいです、今凹んでるんで、私の水屋事情は放っといてください・・・。
2015.06.14
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なんでしょうか、こないだまで寒いとか言ってフリース着たりしてたのにいつの間にか台風来たり、半袖着たりしています。気象がオカシイ風味です。橋下さんが敗北宣言を出していましたね。大阪都構想は、大阪市民によって否決されました。 対岸の火事、的に見ていても良かったのですが、三月、兵庫県東部も大阪都にしようなどという観測気球が上がったので、動きは見ていました。私の母などは、「橋下さんこそ、政治を変えてくれる」と信じて疑わないですし。彼のキャラクターは、外見にしろ何にしろ人を魅了して止まない。 それは認めます。ただ、大阪市民が都構想に賛成大多数なら、大阪都実施前に神戸でも住民投票して貰わなければ困るなぁ、と思っていました。(八尾にオスプレイを、と言ったそばから、やっぱ神戸空港に、などと翻意する重要な事を思いつきで放言する、あの辺の感覚が、本当によく解らない。そして、ワイドショーの無責任なコメンテーターじゃないんだから、思いつきで他の自治体に丸投げして言いっ放しなど、言語道断)ニコニコ笑いながら、民主主義って素晴らしい!と敗戦の弁を語る橋下氏。「あなた方の気持ちはよく解りました。 今後どうなっても、それを選んだのはあなた方です。 私はもう、知りませんよ」と、言葉の外を読む私はひねくれ過ぎでしょうか。あの会見を見て不安を覚えた方は少なくなかったと思います。橋下さんは都構想を辞めるのではなく、政治家を辞めるのですから。大抵の政治家は自分のポジションに固執するから、・・・こんな選択肢も珍しい。今後市政が行き詰った時、皆橋下さんの言う事を聞くべきだったと振り返る時が来るのでしょうか。(来るでしょう。)彼が都構想をぶち上げてから今日まで、様々な議論がなされ、大阪市の民意は二つに割れた。観測気球を揚げられただけの兵庫県東部ですら、梯子を外された感があるのに。(盛り上がらないなら、四月の神戸の市会議員選挙で維新が躍進したりしませんよね?)これらを放り出して去るのは、甚だ無責任なようにも思える。 最初にも書いたように、私は橋下さんに余り良い印象を持っていませんでした。しかし、彼の発言に一から十まで反対という訳ではないし、どころか、拍手喝采することもあったから、余り悪く言いたくはなかった。しかし彼のあの笑顔が、今後じわじわと効いてくる事があった場合、都構想こそが、やはり唯一無二の施策なのだと信じる第二派が台頭した場合、もし、都構想を巡る市民投票が再度あったら、賛成派の勢いを遮る事は出来ないでしょう。私は、忘れません。しかし、ネットで播州地方在住の方が、「神戸は、〇〇(自治体の名)が神戸によってされてきた事を、大阪都に入る事によって体感すればいい」と言うように、憤懣やるかたない風に書いてあるのを見て、自分が想像もしたことのない、自分の住む所が、他の自治体からそういう見方をされる事もあるのだと知ったこと。・・・対岸の火事と言いましたが、なかなか今回の投票は、考えさせられる事の多い出来事ではありました。
2015.05.21
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新緑の美しい季節になってきました。辛夷も見ましたし、桜も見ました。一方、すっかり枯れちゃってます。私のことです。なんと言いますか、やる気が湧いてこないです。この頃「ぐでたま」状態です。 『だりぃ~~』春になっておきながら、雨の多い事多い事。肌寒くて、まだTシャツ一枚になれません。家で着ているフリースの下では、リドルがもぞもぞしている状態。可哀想な事に、毛がはげちょろけですので、寒いものと思われます。 ・・・でも、換羽の時期で、新しい羽の鞘が出ててツクツクで、触ると痛いらしく怒られます。右見て左見て上を見上げて、結構、ラブコール受けてモテまくってるんですが(身内に)、ホント、ぐでたま宜しく『だりぃ~』と呟いてしまいそうで、必死で台詞を飲み込む。いかんいかん。あ、三月の姫路城のグランドオープンに際し、ブルーインパルスの祝賀飛行を観に行くと、私が申しておりました事、御記憶にある方もいらっしゃるでしょう。顛末だけ書いておきましょう。結論を言えば、「見ました」。・・・・・・・・・姫路駅のホームで・・・。舐めてましたねー、完全に。お城の付近で前泊する人がいる中、悠々と当日の朝行くなんて、愚の骨頂でした。ついでに、電車は遅れました。じりじりしながらウン十分、姫路のホームに電車が滑り込んだ時には、そのホームに既に人が一杯でした。ブルーインパルスを見るために。当然混乱を抑える為に、駅員さんは声を枯らしています。駅近のビルの屋上には、ほぼ人がいましたよ。 普段立ち入り禁止だろうに。姫路と言うのはお城の景観を守る為に、必要以上に高層のビルなどを造っていませんから、青空の下では、ぞくぞくするような空気だったでしょうね。私は、駅から出ることさえ叶わず(物凄い混雑で)、下りの、ホームの屋根と屋根の隙間からブルーを拝みました。「うわー、見えた見えた!」ナンつって、おば様の歓声と、どこぞに実況してるのか、「ああっ、ブルーインパルス、今見えましたーっ!」なんて声と共に・・・。ブルーの描くハートも下三分の一、上五分の一切れてましたが、見ましたよー。架線の向こう側で(しくしくしくしく)。その後、ホント激流と言うべき人の流れに逆らいながら、(凄かった・・・押し戻されそうだった。 警備員の少なさに愕然とした)姫路市立美術館に行きましたが、竹内栖鳳展なんて、そんなに混まないだろうと思ったら、(私は、去年京都でアトリエを見たので、興味があった)結構観客だったと思しき人たちが流れて来ていて驚いたり。美術館のカフェで一服しようと思ったら、カフェが閉店になっていたり。色々想定外のことが続いて、へとへとになって帰りました。・・・まぁ、考えてみれば人も多い筈です。この日の主役は姫路城であって、皆、オープンを待ち焦がれていた訳ですから。桜は殆ど咲いていませんでした。 今しも咲きそうではありましたが。多分、ですが、姫路には陸自の駐屯地がありますので、そこの人たちがヘルプに来ていたようです。・・・裏方さんですけどね。それにしてもいい天気で、綺麗な空だったから、良かったんだろうなぁ。どうぞ、ネットに溢れる素晴らしい写真を、御興味あれば検索してみてください。ブルーは遠かった。以上、私と姫路城とブルーインパルス、顛末でした。
2015.04.21
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リドルが病気になりました。厄介な病気で・・・なかなか完治が難しい。当のリドルは、涼しい顔をしている訳ですが・・・。医師を信じて治療するしかありません。今は、飲み水に薬を溶かして与えているのですが、大人しく飲む筈も無く。(野生なら泥水でも飲んじゃうんだから、薬水位飲んでくれたっていいのに・・・。)ふんじばって、朝晩口に含ませています。当鳥、イヤでたまらないらしく、私が洗面所にいると、飛びついて来て、蛇口の水を切望するようになりました。当然、ここで水が飲める、と学習させたら、もう二度とカゴの中では飲みませんから、心を鬼にして阻止しています。可愛い、本当に可愛いし、今の私には居なくては耐えられない存在ですが、彼の姿を見るたびに、心が痛みます。インコはなまじ知能がある分、飼育がとても難しいです。解っていたつもりでしたが、残念ながら認識が甘かったと言わざるを得ません・・・。でも、頑張ります。この投薬の結果、人間不信を募らせてカミカミ鳥が復活したって、再び健康な、ぴっかぴかの鳥になって貰います。
2015.04.09
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駅のホームで電車を待っていた。高架式のやや暗いホーム、後数分で普通電車が来る。ぼんやり足許に目を落とすと、チョークで何か書いてある。〇にバツ、矢印。 そして・・・書き殴った「足」の文字。ぼんやりしてはいたが、目を離せなくなった。そのまま右へ目をやる。「三両目」、「四両目」、「連結器」・・・薄くなって読み取れない文字群。もう一度、視線を左へ。 ・・・先ほどの文字より、更に遠いところにも矢印。・・・「メガネ」。電車がホームに入る事を告げるアナウンス。 私の右手には別の女性が立った。(二列で並ぶため)「足」の文字は見えなくなった。乗客がホームですっころんで怪我をした為に、一時的に電車を停めた事案があったかもしれない。でなければ・・・京阪神地区のJR線は、もう大分前から、人身事故の非常に多いことで知られている。運が悪ければ、電車の中で缶詰状態になる。代行輸送もさくさく始まる。職員さんの事故対応能力もかなり高い。電車に乗って、シートに身を預けた。検証が終わっても、チョークの文字を残したのは何故だろう。
2015.03.06
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