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2009年07月16日
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カテゴリ: 素敵なメッセージ


現在、福岡の北九州市で『ガイアの風』という
エコ&スピリチュアルなラジオ番組を企画されている私の先輩が
(おととし、不思議なご縁で、出会った方ですが
私と同じ高校の先輩だということがわかったのです♪)
先日、とても素晴らしいお話を、教えてくださったので
ぜひ、ここでご紹介させてくださいね。


制限文字数を越えてしまって、アップできなかったので
2つに分けます~


嶋野榮道師 ~ ニューヨークの禅僧


1).ニューヨークに降り立った禅僧■

 1964(昭和39)年の大晦日、
30過ぎの若き一人の禅僧が、ニュ ーヨークのケネディ空港に降り立った。
警策( 座禅の 時、修行者の肩を打つ棒)一本と、
仏像1体、スーツケース1 個、現金5ドル、これが所持品のすべてだった。
嶋野榮道(えいどう)師である。

「これからこのアメリカに、座禅の味と仏法のありがたさを広 めていくんだ」と、
胸の中は高揚感に満たされていた。
5ドル はマンハッタンまでのバス代だけで、
簡単に日本に帰れないよう、背水の陣で臨むためだった。

 榮道師はニューヨークに来る前に4年間、ハワイで座禅の指 導をしたり、
大学で仏教の講義を受けたりした。ある時、ハワ イ大学の図書館で
歴史家アーノルド・トインビーの本を見つけ、
手にとってパッと開くと、そこには "Transmission of Buddism
from East to West" (仏法東漸)という言葉があった。
将来、 世界の歴史家が集まって、20世紀最大の出来事は何かと議論
したら、原子爆弾や世界大戦よりも、
仏教が東洋から西洋に伝 わったことであろう、というのである。

 仏教がインドに生まれ、中国、朝鮮と東漸して、
6世紀半ば に日本に伝わった。
この仏教がさらに東漸するなら、アメリカ 大陸に伝わることになる。
榮道師は、この偶然に出合った言葉 に、
天から自分に与えられた使命を感じた。

 そこで、すでに仏教普及の先駆者のいるハワイやロサンゼル スでなく、
ニューヨークを選んだのである。



2)スパゲッティーと水で飢えを凌ぐ■

 その晩は、セントラル・パークまでバスで行って、
日本で面 識を得ていたワイス博士の家に泊めて貰った。
翌元日、ワイス 博士の奥さんが、近くに小さなアパートを見つけてくれた。
家 賃は110ドルだったが、月末に払うことで了解して貰った。

 ワイスさんの奥さんは毛布を二枚持ってきてくれたが、
それ 以外にはベッドもない。
元日の午後から、榮道師は完全に一人になった。
所持金は2ドルほどしか残っていなかった。
とにか く腹が減ったので、残ったお金でスパゲッティの缶詰を買い、
それと水道の水で空腹を満たした。

 1月2日になった。何もしなくても腹が減る。
ともかく街に 出てみたが、厳しい寒さの中、コートもなし、
足袋と草履で歩 き回った。

 道を歩いていると、"What are you doing?
(何しているんだい?)"と、一人の男性から声をかけられた。
僧の衣装が目を引 いたのだろう。
「日本から来て、座禅の道場を作るつもりだ」
と答えると、"May I come?(行ってもいいですか?)"と聞いてきた。
「いいよ」と答えて、アパートの住所を教えた。

 シドニーというその男性は本当に榮道師のアパートにやってきた。
線香を焚(た)いて、二人で座禅をした。
帰りがけに、シドニーは、"May I make contribution?
(寄付をさせて貰っ てもいいですか?)と聞いて、
5ドル寄付してくれた。
これで またスパゲッティが食べられるな、と榮道師は思った。

 シドニーはたびたびやってきては、座禅をし、
帰り際にかならず5ドルの寄付を置いていってくれた。
こうして、食べるこ とだけはなんとか目処が付いたが、
月末には110ドルを払わねばならない。
崖っぷちに身を置いて、などと偉そうなことを 考えたのは間違いだったか、
と榮道師は弱気になった。


3)「果たして私は法のために心身を捧げていただろうか」■

 なんとか月末までに110ドルを作ろうと、
榮道師は職を探 すことにした。
何社か断られたあと、東京銀行のニューヨーク 支店で
運転手として雇ってくれることになった。
これで家賃は なんとかなる、とほっとした瞬間、
日本で師から習った言葉が 雷鳴のごとく響いた。

If you give yourself to the Dharma, the Dharma will
give itself to you.

(もし本当に法のために心身を捧げるなら、法のほうから
やってくる)

 忘れていたこの言葉が急に頭の中に浮かび上がって、榮道師 は気がついた。

 なるほどそうだったのか・・・。
果たして私は法のため に心身を捧げていただろうか。
毎日毎日ひもじいとか寂しいとか思うだけで、ニューヨークに来てからというもの、
坊さんらしいことを何もやっていない。
いくらなんでも銀行のドライバーになるために坊さんになったわけではないし、
ニューヨークに来たのでもないだろう・・・。

 断食をしているといえば、聞こえはいいけど、
お金がなくて 食べ物が買えないからだ。
朝は遅くまで寝て、座禅も掃除も読経もしたりしなかったり、
という毎日だった。これでは法のほうから近づいてくれるはずもない。
「困り果てるのは当然だ」
と素直に思った。

 榮道師は東京銀行の仕事を丁重に断った。
すると、相手は
「何か事情がおありのようですね。
よろしかったらお聞かせ下さい」と急に態度を改めた。
榮道師がニューヨークに来た思いを洗いざらい話すと、相手は
「よく分かりました」と言って、
アパートでもできる簡単なアルバイトの仕事をくれ、
110ド ル払ってくれた。

 これで一月の家賃を払える。
突然、目の前が開けたような気 がした。


4)「法のほうからやってくる」■

 それから、榮道師は「とにかく一生懸命やってみよう」
と心 に決めた。誰もいないとか、誰も見ていないとかは関係ない。

 朝は4時に起きて、僧堂並に部屋をきちんと掃除する。
座禅 も読経も、きちんとやる。
禅僧として当然だが、その当然のことをきちんとやるのが
法に心身を捧げる第一歩だと考えた。

 そのうちに、シドニーが何人か友達を連れてくるようになった。
彼らも、本物の禅僧の生活を送るようになった榮道師に
何事かを感じ取ったのだろう。
彼らは「ベッドがないじゃないか」 「机も必要だろう」と言って、
いつの間にか生活に必要なもの が揃っていった。

 シドニーが連れてきた人の中に
ケイという50代半ばのカナダ人女性がいた。
ある朝、榮道師が一人で座禅を組んでいると、
ケイがやってきて、
「カナダに帰らなくちゃいけない。これは お供えに」
と、封筒を仏像の前に置いた。
「ありがとう。でも、 帰っちゃうのですか。寂しいですね」 
そんな話をして別れた。

 ケイが帰ったあと、封筒を開けてみると、そこには数年分の
アパート代の相当する金額の小切手が入っていた。

 こうして榮道師が禅僧として心身を捧げようと決意した途端に、
人々がやってくるようになり、
彼らを通じて必要な物もお金も自然に集まるようになった。
まさに「もし本当に法のため に心身を捧げるなら、法のほうからやってくる」
が現実となったのである。


5)「われわれアメリカ人はあなたに何もしていません」■

 そのうちに、非常に気品のある老夫妻が
アパートにやってく るようになった。
名前も名乗らず、ただ来て、ただ座って、帰っ ていく。
榮道師の方からも何も尋ねない。誰でも受け入れて、
「どうぞ」という気持ちで座禅をして貰っていた。

 1年ほどしたある日、夫君の方から電話がかかってきて、
「会いたい」と言う。「どうぞ」とお招きして、
一緒にお茶を 飲んだ後、彼は次のように切り出した。

 あなたは遠く日本から来て、われわれアメリカ人のため
に座禅を教えてくれています。
しかし、われわれアメリカ 人はあなたに何もしていません。申し訳ない。
そこで家内 と相談して、何かお手伝いをしようと思います。

 夫妻は数日後にまたやってきて、小さなビルが買えるほどの
金額の小切手を置いていった。

 これがカールソン夫妻との出会いだった。
夫のチェスター・ カールソン氏は貧しいスウェーデン移民の家に生まれ、
苦学し て物理学を学んだ。
やがて一人で研究をして、コピー機の原理を発明し、
ゼロックス社の前身に特許の権利を売って、
億万長者になった。
そして自分と同様、苦労しながら頑張っている人たちを後援していた。
「死ぬときは一文無しで逝きたい」とい
うのが口癖だった。

6)「何ものかがして御座る」■

 榮道師は、このお金で禅堂用のビルを持てるかな、と思った。
すると、数日後、マンハッタンの一角に、
妙に気を引かれるガ レージを見つけた。
3階建てで、大きさは禅堂にするのにぴったりである。
そのうえ "For Sale (売出し中)"という札までついている。
しかし、その値段はカールソン夫妻からいただいた額よりも高かった。

 榮道師はビルを購入する決心を固め、不足額は
銀行でローン を組んで貰った。

 数日後、カールソン夫人から電話で「その後どうですか」と
聞いてきた。ローンを組んだことを話し出すと、途中で遮って、
"Don't do it. We will take care of it.
(やめておきなさい。私たちに任せなさい)"とぴしゃりと言われた。

 そこまでして貰ってもいいのかな、と思いつつ、
ローンを解 消すると、夫妻は残った借金をすべて払ってくれた。

 内装工事が終わって、1968(昭和43)年9月15日、
ついに 「ニューヨーク禅堂正法寺」がオープンした。
榮道師がニュー ヨークに降り立ってから、
わずか3年9カ月の事だった。

 オープニング・セレモニーに出席した人々は皆、
"Miracle! (奇跡だ)" と言ってくれたが、
榮道師は奇跡とは思えなかった。
「何ものかがして御座る」という、
疑う余地のない流れなのだ、 という確信があった。


次に続きます~~

CSC_0976 のコピー.JPG
@Cusco







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最終更新日  2009年07月17日 07時05分17秒
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