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2013年08月24日
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カテゴリ: キネシオロジー

さて感情についてですが
ほとんどの人は、自分が本当は何を感じているか?
ということに気づいていません。
例えば、相手が何かをしたりしなかったりしたことで
それに対し自分が怒りを感じていることには気づいていても
それが「自分は人から認められていない」とか「愛されていない」いう
恐れの感情からの反応であることは、気づかないのです。
例えば、今の彼の言動に不満を感じていても
それらは過去に何らかの要因があり
根本的な要因は彼との関係そのものにはない場合がほとんどです。

少し前におさむが
「なぜか、たまに一瞬、ムカっとしてしまう人がいるんだよね。
クライアントさんには一度も感じたことがないのだけど」
というので、調べてみたら
「必要とされていない」「よそよそしい」という感情が出てきました。
そして、子供の頃に彼のお姉さんに
冷たくされたり、責められたり、必要とされなかったことが
根本的な要因だと出てきました。
彼が普段、人に必要とされていないと思っているわけではないのですが
過去のそういう意識が残っていると
ちょっとした相手の言動で「責められている」ように感じてしまったり
また、相手がよそよそしいエネルギーを感じさせるような人だと
一瞬ムカっという感情として出てくるのです。
でも、その根底にある感情は、つながりたい、さみしい、やさしくしてほしい
という思い。
その根本的な要因に気づいて、エネルギー的に癒されれば
相手のどんな言動に対しても、もうそういった感情は湧いてこなくなります。
でも、多くの人は自分の感情を受け入れることができないので
「この人は苦手」とか「嫌いなタイプ」などというレッテルを貼ることで
処理してしまうのです。

そして、感情は、ただ何か傷つくような出来事やストレスからだけ
起こっているわけではありません。
私たちが生まれてからずっと見たり、聞いたり、感じたりしたことによって
得た情報は、知覚として大脳皮質の一部や脳梁や脳幹に影響を与えています。
そして、その情報によって、こういう場面の時は、こういう感情になる
とほぼ自動的に反応を起こしています。
この知覚、認識のことをGestalt ゲシュタルト、と言うのですが
キネジェティクスの脳のフォーマットで
最も選ばれているのが、このゲシュタルトプロセスの調整です。
たぶん、ここ2ヶ月ぐらいの間に、100件ぐらいこの調整法が
出てきたように思うのですが、いかに私たちが知覚しているものが
無意識の反応を起こしているのかがよくわかります。
ゲシュタルトプロセスは、感情だけでなく、その人の価値判断や
振る舞い方や意思の力や知性などすべてに影響しています。
ある場面で「こうするのはおかしい」とか
「こうなるのが当たり前だ」という瞬時の価値判断も
この知覚、認識によって自動的に(無意識に)行われています。

例えば「すぐにあきらめてしまう」とか
「いつもきちんとしていないと気がすまない」
「神経質」「なまけもの」「努力家」
「人の話を聞かない」「優柔不断」「短気」「何でも一生懸命」
など一般的に「性格」と言われているものは
原始反射が残っているために起こっているものもありますし
遺伝的な要因もありますが
このゲシュタルトプロセスによるものがとても大きいのです。

ですから、ここに埋め込まれた情報を変化させることで
自動的に出てくる感情や価値判断や意思などの反応を変化させることができるし
当然、性格も変化させます。
もともと「性格」というのは、私たちが本来が持っているものではないのです。

例えば「いつもすぐにあきらめてしまって長続きしない」
という性質の人と
「何でもがんばって最後までやり遂げようとする」
という性質の人と比較すると
一般的には「何でもがんばって最後までやり遂げる」方が
よしとされていますが
実はどちらに偏っていても、私たち本来の姿とは違ってきます。
私たちは誰でも、時には「あきらめてきっぱりやめること」が必要であり
また時には「あきらめずに忍耐強く続けること」が必要であって
それは状況と時によって変わってゆくものであって
一つの性格として固定されれば、それは限界となってしまうからです。
同じように「きれい好き」という性質自体はよくも悪くもないですが
「きれいでないと気がすまない」となってくれば
例えば、一緒に住んでいるパートナーが部屋を散らかしていると
イライラする、などの問題を生み出します。
「きれい好きだけれど、いつもきれいでなくても平気でいられる」
など、性格として固定されていなければ、より楽に自由に生きられます。
限界を生み出しているものを手放し、無限の可能性を広げてゆくプロセス
私にとっては、これがヒーリングの醍醐味です。

さて、このゲシュタルトプロセスは、両親からの影響が最も大きく関わってきます。
簡単な例でいうと、先日セッションを受けられた方で
満員電車などで人が自分に触れた途端、腹が立って切れそうになってしまう、
という方がいらっしゃったのですが
その方のお父さんは、人に足を踏まれると切れてしまう人、だったそうです。
その方自身は、すぐに切れることがよいことだとは思っていないし
それをやめたいと思っていても
お父さんを言動を子供の頃から見ていて、脳がそれを知覚認識しているため
自動的に反応してしまうのです。
ゲシュタルトとしては、自分から見た親の好きな面だけでなく
親のこういうところが嫌だなあと思うような面も受け継いでいることがよくあります。

私も時々はっと気づくのは
無意識に母がよく言っていたことと全く同じことを
しかも同じような言い方で言っているのですよね。
例えば、おさむが電気をつけっぱなしにしていたり
物を出しっ放しにしていると
「(電気を)つけたら消す~」とか「(物を)出したらしまう~」
など、子供の頃、母が言っていたのと全く同じイントネーションで
ブツクサ言いながら、おさむが出しっ放しの物をしまっていたりします。
私自身も、時には物を出しっ放しにすることもあるし
そんなにきっちりとしていないのですが
何かの拍子に無意識に反応しているのですね。
おさむにとっては、小さな頃からそう言われ続けたわけではないので
そういう認識はありません。
ですから、この自分の認識がどこから来るのかがわかっていなければ
自分の感覚が正しいと思ってしまうので
「こういう時はこうするのが普通でしょ?」
「こういう風に言われたら、傷つくのが当たり前でしょう?』
などと問題は相手にある、と考えてしまうのです。

また、人に対してだけでなく、物事に対する好き嫌いも
この知覚されている意識によって起こります。
これはまだやってないのですが、例えば、私が昔から電話が嫌いなところなども
このゲシュタルトプロセスが関連している可能性が高いです。
もちろん、久々に古い友人から電話があったりするとうれしいのですが
基本的にはできるだけ電話で話すよりメールを選んでしまいます。
これは、子供の頃に、私の母がよく電話で長話や無駄話をしていて
母は、電話の後は、たいていその電話での会話を思い返していて
いつも上の空になって、子供の頃の私が何かを話しても
全く聞いてくれなかった記憶が知覚として残っているせいだろうなあと。
なので、電話だけでなく「上の空」や「世間話」というのも苦手で
おさむに話しかけた時に、たまに彼が他のことを考えていて上の空だったりすると
「(考え事をしないで)意識を今ここに向けて~」
とプンプンと怒っています
(最近、世間話に関しては、受け入れることができたのだけれど)

もっとも、それらは、怒りというほとでもないので
問題とするようなレベルではないものの
もし私がこの部分でのゲシュタルトを変化させれば
電話を苦手だとは感じなくなるでしょうし
例え、おさむに話しかけた時に、彼が上の空でいたとしても
一瞬ムカっとこなくなるでしょう。
それは、制限がなくなってより自由になる、ということを意味します。

さて、この前、おさむに指摘されたのは
「のりこは、酒飲みや食事の場になると
人にたくさん飲んだり食べたりすることを勧めるよね。
弟はダイエット中なんだし、のりこがそうやって弟にいつも与えようとするのは
彼にとってけして幸せとは言えないよ」

確かに~。
これは明らかに私の両親からの影響によるゲシュタルトです。
私の両親は、とにかく来客があると
母はこれでもか~というほど、たくさんの料理を出すし
父はどんどん酒を飲むことを勧めるので
それが私にとって当たり前の意識として認識されているのですね。
なので、相手が十分に食べたり飲んだりしないと気がすまなくなってしまうのです。
先日弟と話したのですが、彼もまったく同じ性質を持っていて、同じように
人に対して飲めや食べやになってしまうそう。

この性格というか
自分にとって好きな性質というのは、例えそれが問題を生み出していたとしても
なかなか変えようとはしないものです。
例えば「やる気が出ないで困っています」とか
「何でも長続きしないのです」という問題を持ってこられる方は多いですが
「やりすぎてしまいます」とか「がんばりすぎなのです」
などという問題を持ってこられる方は、ほとんどいないのですよね。

私の場合「だめだと思ったら、すぐに方向転換する」
「その時々の感覚にしたがって行動する」
という私にとっては好きな性質があるのですが
一方で、それが「意思の弱さ」に関するゲシュタルトとして出てきました。
なので、ある時に集中して何時間もヨガや瞑想をすることはできのに
毎日、少しずつヨガをするとか、同じことを繰り返すことは苦手なのです。
また、他にも問題として出てきている私の性質で、意思の弱さとも関連していますが
「一旦自分が好きなことを始めたらとまらない。とめることができない」
ということ。
それが仕事でも遊びでも、やりすぎになってしまうのです。

キネシオロジーのセッションも始めたら、もっと深くいきたいと感じて
なかなかやめることができない、とか
ブログも書き出したらとまらなくなってしまう(だから長くなる)とか
先日も「ハイジ」に引き続き、連続アニメで「地球へ」をおさむと見ていたのですが
「今日はここまでにしよう」と言うのは、いつもおさむで、私はいつも
「え~もう少し見ようよ~~」とダダをこねてしまいます
おさむは次の日のことや、その後のことを考えて行動することができるのですが
私は、感情的に止めることができなくなってしまうのです。

そういう私の性質がたたって?
先日も1日4人クライアントさんが入っていた時に
それぞれ3時間ぐらい(一人は4時間)かかってしまって
計13時間ほとんど休みなく筋反射を取り続けていたら
最後のセッションになって、急に指の付け根に激痛が走り
腱鞘炎みたいになってしまいました。
幸い、、何とか回復したのでよかったのですが
やっぱりこれはやりすぎだなあと。
一旦、何かをやり始めると、先のことも自分の身体のことも
眼中になくなってしまうようなところが昔からあるのですが
「今この瞬間にすべてをかける」という性質も行き過ぎると
バランスを崩してしまうのですよね。
これは、自分の好きな部分でもあったので
これまでなかなか’調整しようとしなかったのですが
これもゲシュタルトの調整になりそうです。

感情や感覚は私たちの中からのお知らせです。
自分のすべての感情や感覚を受け入れていること
それが何であるかに気づいていること
これが「目覚めている」ということです。
目覚めていれば、相手がどういう意識でその言動を引き起こしているのかも
見えてきますから、人間関係はより楽になってゆきます。
そして、ヒーリングは目覚めのプロセスなのです。

ということで、今日も長くなってしまいましたが、このへんで





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最終更新日  2013年08月25日 09時16分25秒
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