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私の母は二十数年まえ突然の心臓疾患で急死しました。前日まであんなに元気だったのに余りにもあっ気ない別れにその時は何も考えられず、ただ時間だけが・・・あまりにも早く過ぎたことに後できずき驚きました。私も現役を引退して、今は年金生活ですが、近頃、夜、休もうと床に入り横になると時々子供の頃のまだ若かった母親の懐かしい姿が目に浮かび。いつも私の我が儘を優しい笑顔で受け入れてくれた母、あのころを思い出し、小さく静かに呼んでみた。かあちゃーん・・・。 暫らくすると涙が出た。 なんでだろう。
2017.03.27
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水道の水の出口をなぜ蛇口というか?1898年(明治31)東京に、多摩川から引いた水をろ過して貯水池にため、鉄管や鉛管で配水する新しい水道が登場しました。ただ、各家に引くには料金が高かったので共同水道として使った。この水道の出口が竜の顔の形をしており、各自がもっている開閉鍵を頭部の穴に差し込んで回して出した。日本神話の八岐大蛇(やまたのおろち)が竜であることからわかるように、日本では竜は大蛇なので水の出口を蛇口といったのですね。
2016.03.13
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・国際女性デー(国連)1904年3月8日、ニューヨークの女性労働者が参政権を求めて集会を開いた。国連は1975年からこの日を国際的な婦人解放の記念日として「国際女性デー」と定めた。・みつばちの日。3(みつ)と8(はち)からこの日を設定。
2016.03.08
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顔と頭の境界線は。普段何気なく使っている言葉でも、明確な定義となると、はたと首を傾げるものがありますね。例えば、顔と頭。両方とも人間の体の首から上の部分を指すが、どこからどこまでが顔でどこからどこまでが頭なのかというと、迷う人が多いはずですね。 おそらくもっとも多い答えは、髪の毛の生えているところが頭、生えていないところが顔というところでしょうか?、これは間違いです。これではすっかりハゲ上がってしまったような人は、頭がなくなってしまいます。正解は、鼻の付け根から眉毛を通って、耳の穴に達する曲線を引き、そこから上が頭、下が顔と言うことです。ということは、おでこは顔ではなく頭と言うことですね。
2016.02.29
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初心を忘れるな」とよく言われます。初心とは、志を立てる時、初めて事に当たるときの純粋で真剣な気持ちのことです。室町時代に能を大成した世阿弥の「花鏡」には次のようにあります。「是非初心を忘れるべからず。時々の初心を忘れるべからず。老後の初心を忘れるべからず」私たちは少年時代以降、自分自身の成長に応じてその都度大小の志を立て、「初心」を持ちます。「千里の道も一歩から」といいます。しっかりとした指針を持って、一歩ずつ、着実に歩んでいきましょう。
2016.02.25
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・「プラスの心」「生活習慣病」とはある日突然やってくるものではなく、若いころからの生活習慣によって病気の根が徐徐に広がりある年齢に達した時に症状が出るのだといいます。私も今思えば後悔ばかりで、悔やまれますが。同時に、私たちの日々の小さな心遣いも、積み重ねると、人生を大きく変えていくのではないでしょうか。私たちの心は、プラスにもマイナスにも働きます。だからこそ、毎日の小さな行いを通して、「プラスの心」の生活習慣を持つように心がけたいものです。今すぐに出来ることを通して「プラスの心」を生活習慣にしていけば、自分の心に喜びが生まれ、周囲に幸福感を与えることが出来るでしょうね。
2016.02.20
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・足をしびれさせない正座のコツ。工夫もなく正座していれば、確実に足はしびれます。ただし、多少のコツを知っていれば、その、「症状」をかなり和らげることは出来ます。第一のコツは、右足と左足の親指どうしを重ね合わせることです。この、左右の・スクラム・の上に尻をのせ、しっかりと体重を受け止めるのです、そして、しびれてきたなと思ったら、すかさず足の指を組み替える。第二には、膝を握り拳が一つ入る程度に、やや開きぎみにすること。では、ミニスカートをはいているときはどうするか?そもそも正座するような場所には、そのようなスカートをはいて来てはいけない、常識ですね。
2016.02.18
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・声優の選び方。映画などの外国スターの「吹き替え」はどうやって選ぶ?アラン・ドロンといえば野沢那智、コロンボ刑事といえば、故、小池朝雄という具合に、外国スターの吹き替えには、はまり役の声優(俳優)が居るものですが、彼ら声優たちはどの様にして選ばれたのか?声が似ているのは当然ですが、では、どうやって声が似ている声優を探すのか、まず、外国スターの顔の骨格、アゴの張り具合、口の大きさ、こうした声に関する体の部位が似ている声優を探せば、まず間違いないという。たしかに、二重アゴの声優に、アラン・ドロンの声は出せない、野沢那智のように頬がこけたヤサ男のほうが、アラン・ドロンの声に近いでしょうね。さて、自分の声ならどの俳優さんに合う声でしょうか?。
2016.02.16
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美しい言葉を使っていますか?家庭の中で、日ごろ親は子供に対して何を語り、どのような態度で接し、どのような後ろ姿を見せていますか?「ありがとう」「大好き」「うれしい」「きれいね」「ごめんなさい」・・・こうした言葉を聞くと、心にふわっとした温かなぬくもりを感じます。言葉は私たちの心を映し出す鏡です。美しい心からは、美しい言葉が生まれます。同時に「美しい言葉が美しい心を育てていく」とも言えますね。自分自身の心を育てるためにも、美しい言葉を積極的に使っていきたいものです。家庭内でこうした言葉が何時も飛び交うようになれば、どんなに素晴らしいことでしょうか。子供の美しい言葉、思いやりの心を引き出すのは、親自身の美しい言葉であり、温かな思いやりのある心からです。日本に昔から伝わる美しい言葉大切に残していきたいものですね。
2016.02.15
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・日本人は酒が強いか、弱いか?シカゴ大学などが行ったPET(陽電子放出断層撮影)によるアルコール臨床研究によると、欧米人と日本人のどちらが酒に強いか、欧米人は体格や肝臓が相対的に大きく、少量の飲酒後に顔面が紅潮したり動悸、頭痛が起きるフラッシング反応が小さいので酒が強いALDH2活性型ですが、一方、日本人のおよそ半数は、体格や肝臓のハンデもありフラッシング反応も大きいALDH2低活性型です。つまり、日本人の方が酒に弱いということです。では、日本国内で酒に強い、弱いの地域差はあるのか?、筑波大学の原田勝二教授らのALDH2活性型の研究によれば、酒の強いベスト3は、秋田、岩手、鹿児島ですが。では、酒が弱いベスト3とは、三重、愛知、石川でした。上戸なのか下戸なのか、自分の体質を知り、美味い料理を肴に、愉しく酒を味わいたいものですね。「酒がいちばんいいね 酒というのは人の顔を見ない、 貧乏人も金持ちも同じように 酔わせてくれるんだ」 古今亭志ん生。
2016.02.14
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心の中の「我」を浄化する。自分こそが正しいという「我」は、知らず知らずのうちに私たちの心の中に忍び込んできます。物事が思うように運ばなかったり、思わぬ障害に出会ったときこそ、その原因は自分の心の中にひそむ「我」にあるのではないかと、反省してみることが大切ですね。そして、穏やかに相手の立場に立った思いやりの心を働かせていけば、自分中心の「我」の心が少しずつ浄化され、弱まっていきます。それはちょうど、濁った水が入ったコップに綺麗な水を少しずつ注ぐようなものです。コップの中の水は、すぐに綺麗にはならないが、長く続けていくと、必ず澄んだ綺麗な水になります。心もこれと同じではないでしょうか。心の通い合う豊かな社会を築くために、一人ひとりが自分の心に潜む「我」に気づき、それを少しずつ穏やかで温かい心に変えていきたいものですね。
2016.02.13
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余寒の梅。梅に鶯というように、1月~2月に咲く早春の花。花の色は白、紅とあり、八重咲きもあります。バラ科サクラ属。白梅、紅梅の順に咲きます。中国名の「mei」から「むめ」(梅の古名)や「うめ」と呼ばれるようになったとか。木々が枝先に固く蕾を閉じて春を待ち、若芽のうちに息吹を秘める早春。いち早くしとやかな花を咲かせる梅は、他の花に先立って開花する花の兄とも言われます。また、春を知らせる春告草(はるつげくさ)とも、きりっと引き締まる冬ざれの寒さに風景からほとんど色が消えてしまうさなか、凛と白く浮かび上がる梅の花には生き生きとした、命が宿っています。そんな梅は「万葉集」の時代から数々の歌に詠まれ、とくに雪のなかに咲くさまは、好んで題材とされました。「残りたる 雪に交れる 梅の花 早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも」 大伴 旅人(おおとも の たびと)「難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと 咲くやこの花」 王 仁(わに)冬至を過ぎて次の春へと近づいていく間、一日に畳一目ずつ日が伸びると言いますが、一輪ほころんだらその一輪分、暖かい春の足音が聞こえてくるよう、と早春の花のさまをとらえた句があります。「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ」 服部 嵐雪(はっとり らんせつ)「雨つつみ 日を経てあみ戸 あけ見れば 標(お)ちて梅あり その実三つ四つ」 橘 曙覧 (たちばな の あけみ)まだ寒さの残る早春の梅の花、いいですね。
2016.02.12
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・春宵(しゅんしょう)の沈丁花。小さくて寒くて可哀そうと思い、室内に取り込んでいた、沈丁花の鉢植えが早々と花を咲かせました。この近くの路地植えは毎年3月上旬に咲きます。樹高1メートル程の常緑の木。ジンチョウゲ科。中国原生で、縁起のいい花として古来愛され、日本には室町時代に渡ってきました。沈丁花の甘い匂いが漂いはじめると、春の気配を辺り一面に感じます。「若き日の 夢はうかびく 沈丁花 やみのさ庭に 香のただよへば」 佐々木 信綱(ささき のぶつな)お香に用いられる香木の沈香(じんこう)や芳香を放つフトモモ科の丁子(ちょうじ)と香りが似ていることから、沈丁花という名前が付いたそうです。遠く千里先までも、芳しい匂いを感じられるからと、千里花とも呼ばれます。あぁ、沈丁花の匂いがする、もう春だなぁ、という気分はさまざまな詩や歌に詠われてきました。「向こう行くのは お春じゃないか 薄情な眼つきで 知らぬ顔 沈丁花を匂はせて おや まあ ひと雨くるね」 (はっぴいえんど「春らんまん」作詞 松本 隆より)。「沈丁の 瓶を障子の 外に置き 春浅きねむり ふかくあらしめよ」 葛原 妙子(くずはら たえこ)
2016.02.11
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・「もったいない」という心がけ。地球環境保護運動に尽力されたケニアのワンガリ・マータイさん、(1940年~2011年 ノーベル平和賞受賞)は来日時に「もったいない」という日本語に出会って感銘を受け、これを世界に広めることを提唱しました。もったいないーこの言葉には「その物の値打ちが生かされず、無駄になるのが惜しい」という意味が含まれています。我が国の先人たちは「もったいない」の精神で物の価値を生かしきり、資源を次の世代のために保ち、残してきました。この精神をしっかりと受け継いで、一人ひとりが日々の暮らしの中で資源を浪費せず、どの様な物も大切に扱い、リサイクルも含めて十分に活用する努力をしていくことが、地球環境を守るために私たち一人ひとりに出来る、「小さな心がけ」の一つではないでしょうか。とわ言え、私のように要らない物をなかなか捨てられないのも困ったものですが。
2016.02.10
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水仙の夢うつつ。久々の更新です、と言っても私自身のネタはナシ。相も変わらず詰らない話で申し訳ありません。さて水仙ですが、雪のなかに咲くので雪中華とも呼ばれます。開花時期は十一月~三月ごろ、地中海地方原産。日本に自生するのはニホンズイセン、ヒガンバナ科。白や黄色の花を咲かせます。「真ん中の 小さき黄色の 盃に 甘き香もれる 水仙の花」 木下利玄(きのした りげん)白くつぶらに開いた花の真ん中に黄色い盃のようなもの(副花冠)を戴いた水仙の花を歌ったものです。 春や初夏の花でいうと、百合やあやめ等にも近い印象を覚えますがしんと張りつめた冬の静けさのさなかに現れる水仙は、心の奥まで届いてくるような生命の息吹をたたえています。その強い生命力は甘い香りと相まって、たとえ静かに咲いているだけであっても、花のたたずまいに秘めた雰囲気が漂うようですね。 「水仙の 香やこぼれても 雪の上」 千代女(ちよじょ)。雪も幻想的なもの。その上に香りがこぼれるとは、美しい幻に包まれることであり、厳しい寒さに晒されることであり・・水仙とは、水辺を好む仙人のような清らかな花という意味だそうです。また、別名を金箋銀台(きんせんぎんだい)と言って、銀の台の上に戴いた金の盃に例えられ、七十二候でも、立冬の末候に「金箋香し」として登場します。
2016.02.09
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チャキチャキの江戸っ子というが「チャキチャキ」とは?音からすると威勢のいい江戸っ子を表す語源からきた言葉のように思えますが、チャキを表す漢字があります。嫡子や嫡男、嫡流の嫡で、チャキチャキは嫡々ですね。嫡は「正しい血筋」を意味する言葉だから、嫡々はそれを2つ重ねて、「正統で生粋の」という意味になります。一代目や二代目ではなく三代以上続いた江戸っ子と云う事ですね。
2016.02.04
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・「恥ずかしながら・・・」横井庄一さん帰国。「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」グアム島のジャングルに潜んでいた元陸軍軍曹、横井庄一さんが1972年2月2日午後2時15分、羽田着日航特別機948便で帰国しました。第2次世界大戦終了後、28年間に及んだたったひとりの戦争が終わった日ですね。お疲れ様でした。・日本初のバスガール。1920年(大正9)のこの日、東京の乗合自動車に初めてバスガ―ルがお目見えしました。年齢18歳以上で初任給35円という当時としては高級待遇が話題に。小学校教員の初任給が40~55円の時代ですからね。
2016.02.02
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・テレビ放送記念日。1953年2月1日午後2時、千代田区内幸町の放送会館第一スタジオから、NHK東京テレビ開局祝賀式に続き、菊五郎一座の舞台中継など、日本初のテレビ本放送を開始ししました。当時の受信契約数は866台、受信料は月額200円でした。因みにカラーテレビの放送は1960年9月10日からです。
2016.02.01
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女性や子供のカン高い声を何故「黄色い声」というか?黄色い声というのは仏教のお経からきた言葉です。お経といえば眠くなるような単純な響きですが、中国から伝わったばかりの飛鳥時代にはもっと音楽的な高低強弱の響きがありました。そしてどの箇所の声を高くし、どの箇所を低くするかは、お経の文字の横に色で印が付けられていました。その中の「一番高い音」が黄色だった。そこから、カン高い声を黄色い声というのですね。
2016.01.30
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白バイが白いのは?白バイが初めて登場したのは、大正七年ですが、当時の白バイは「白バイ」ではなかった。ボディからハンドルまで、真っ赤でした。実際、そのバイクは「赤バイ」と呼ばれたのだが、なぜ、赤だったのか?これは、当時のクルマには、現在のような赤い派手なクルマがなかったからですね。しかし、時代と共に少しずつ派手な色のクルマが現れるようになると、赤バイが目立たなくなり、そこで、昭和11年、ようやく白バイが誕生した。それから、半世紀以上、これだけ白いクルマが増えると、そろそろ白バイもモデルチェンジした方がいいかも?。
2016.01.29
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花嫁は、なぜ白装束を身にまとうのか?白は「どんな色にも染まります」という花嫁の決意を表したものという誤解があるが、正しくは、神に仕える結婚式で、神を祭る人として、女性(花嫁)は清潔で穢れのない白い衣装を身にまとうのです。その考えが現代も白無垢や角隠(つのかく)し、あるいは純白のウエディングドレスに引き継がれています。神に仕える姿だから白ですね。
2016.01.28
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「カメは万年」というが本当はどうなのか?一万年はオーバーにしても、いろいろな記録を見るとカメが長生きなのは間違いないようです。1766年にフランスの探検家が年齢50年くらいのアルダブラゾウガメを捕まえたが、その後も生き続け1918年に事故で死んだということだからそのカメは202年くらい生きたことになります。事故に遭わなければもっと生きたでしょうね。その他、アメリカハコガメの138年ヨーロッパヌマガメの100年以上という記録もあるようです。
2016.01.26
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きょうは何の日。 1/24日1872年(明治5)のこの日、明治天皇が初めて牛肉を試食しました。明治初期の東京の新聞「新聞雑誌」には、「我が朝にしては、中古以来肉食を禁ぜられしに、恐れ多くも天皇謂なき儀に思召し、自今肉食を遊ばさるる旨、宮内にて御定めこれありたり」とある。時の右大臣、岩倉具視は、部下のひとりにちゃっかり西洋料理店を開かせ、これが宮内庁ご用達となった。現在も続く「上野精養軒」ですね。
2016.01.24
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八甲田山で210人の兵士が遭難し死者199人。1902年(明治35)のこの日、弘前に本営をおく第八師団第五連隊の兵士210名は、酷寒の八甲田山に向かって出発しました。冬の八甲田山は雪地獄で本来は冬の重装備が必要だが、指導部の無謀から兵士は軽装のまま行軍を開始。たちまち、猛吹雪の中で道を失い、寒さと空腹と疲労の中で遭難していった。結局210人中、死者は199人にのぼった。日露戦争を前にした軍部は、国民の批判を恐れ遭難者を英雄として美談に仕立てました。
2016.01.23
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「どこの馬の骨だかわからない」というが、なぜ馬なのか?中国では役に立たない物の例えを「一に鶏肋(けいろく)二に馬骨(ばこつ)」と云いますが。鶏肋はニワトリの肋骨ですが、これは小さいのでゴミ捨て場に捨ててしまえば片づくし、役立たずだが邪魔にはならない。しかし、馬の骨となると大きくて捨てるのにも困る邪魔なもの。そこから誰にも大切にされず、ゴロゴロしている人という意味になったとのことです。・旬の野菜「蕪(かぶ)」。春の七草のひとつ、すずなは蕪の古名だそうです。やわらかみのある春と、甘味の増す秋~冬が旬です。葉にはカロテンやカルシウム、鉄分などが含まれ、白くて丸い根にはビタミンCやカリウムが豊富です。鍋には勿論、蕪の炊いたもの、漬物も、摩り下ろした蕪で白身魚や海老を包むかぶら蒸ししもおつなもの、じんわりと冬の美味しさを味わえますね。
2016.01.22
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一年でもっとも寒さが厳しいころのこと。日がしだいに長くなり、春へ向かう時期でもあります。「三寒四温」3日寒い日が続くと、その後には4日ほど暖かい日があるという意味の三寒四温。中国の東北区や朝鮮半島でいわれていた言いならわしが、日本に伝わってきたようです。大寒とは言え、寒いばかりではありません。寒暖を繰り返しながらだんだん春になっていくよ、という季節への眼差しが感じられる言葉ですね。
2016.01.21
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昔の街道の街路樹は今と違って柿や梨が多かった。何故か?街路樹といえばプラタナスやイチョウが思い浮かびますが、これらは排気ガスに強く成長も早いから全国的に採用されていますが、昔の街道沿いの街路樹と言えば日光街道のスギや東海道の松が有名ですが、それ以外の多くの街道に植えられていたのは柿や梨など実の成る木でした。昔の旅は凸凹の山道を歩いたので、疲れた旅人がその下で休憩し、実を食べられる果樹が植えられていました。街路樹の下は休憩所であり、仮眠所また食堂だったのです。
2016.01.20
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虹の色は、七つに決まっている・・・そう言う人は、日本人ですね。外国では、虹を七色と数えない国も沢山あります。例えば英語圏では、あまり虹の色の数を問題にしないが、数える時には六色。これは、白を一色と数えないためですね。また、特殊な例では、マヤ族は五色と数える。白を数えないうえに、彼らは青と緑を区別しないからです。どれが正しい、とは言えない、いずれの民族も、自分たちが認識できる色の数を問題にいしているだけのこと。虹の光をプリズムで分光すれば、コンピュータは何万色にも区別できます。
2016.01.17
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「御馳走」に「走」という字が入っているのはなぜ?粗食の禅宗のお寺でも、客が来ると、精進料理ではあるが、何品かでもてなしましたが、しかし常備には限りがあります、そこで、食材はまかないが走り回って(馳走して)集めた。そこから、客をもてなす料理を「馳走」といい、それが今の「ご馳走」に繋がったようです。
2016.01.16
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・七十二候「雉(きじ)初めて鳴く」。雉のオスが、メスに恋して鳴き始めるころ。小正月は十五日、正月納めもそろそろですね。この時期、旧暦では満月を迎えます。新年最初の満月の日に、正月を祝っていました。なので、本来はこの日までが松の内。昔からこの小正月には小豆粥を食べる習わしがありますが、小豆粥はお米と小豆を炊き込んだ、晴れの日の食べ物。正月中も忙しく働いた女性たちがやっとひと息つける頃だから、女正月(おんなしょうがつ)とも呼ばれます。・きょうの何故?「元旦は寝正月で終日過ごします」は間違い、ではなぜ?。元旦は元日とイコ-ルではありません。なぜなら、元旦は「初日の出」のことだからです。そこから広がって元日の朝(午前中)となりました。元旦の「旦」は地平線(一)から太陽(日)が出て来た処を表す象形文字です。そこで午前中を表す元旦に「寝正月で一日過ごす」は間違いですね。カレンダーに「元旦」とだけ表記してあるのも間違いですよ。
2016.01.15
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・南極で生きていた タロとジロ。1959年(昭和34)1月14日。1956年秋、日本の南極観測隊が観測船「宗谷」に乗り、東京湾を出発。11人の隊員と供に15頭のカラフト犬も犬ゾリ隊として参加しました。翌年1月には南極に昭和基地を開設したが1958年、再び南極を訪れた「宗谷」は厚い氷に阻まれ基地に近づけず、第2次越冬隊を送り込むことを断念。やっとのことで11人の越冬隊員をヘリコプターで救出したが15頭のカラフト犬たちは無人の昭和基地に置き去りにされました。翌1959年のこの日ヘリコプターが南極の雪上に動くカラフト犬、タロとジロを発見。2頭が生存している事を確認しました。あの厳寒で食も儘ならない南極の地で生き抜いた、タロとジロの精神力、生命力の強さに只々感服・・・ご苦労様でした。その後、ジロは南極で死亡しましたが、タロは5年後に、日本に帰国し、余生を北海道で過ごしました。それに引きかえ家の「りゅう」の在りし日の毎日は散歩が済めば後は、食っちゃ寝、食っちゃ寝の毎日を過ごしておりました。「この極楽トンボが」でしたね。・旬の魚介「鮟鱇(あんこう)」「鮟鱇は捨てるとこるがない」といわれ、トモ(ひれ)皮、えら、アンキモ(肝)水袋(胃袋)ぬの(卵巣)身のどれも美味しく、鮟鱇の七つ道具と呼ばれています。旬は冬。海のフォアグラとさえ言われるアンキモで鍋の出汁をとり、七つ道具を入れ、味噌で味をつけるどぶ汁は絶品です。また、寿司ネタなら、身と肝を合わせた「とも合え」の軍艦巻がこれまた、美味ですよ。
2016.01.14
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・「おかげさま」の思いを生かす「恩送り」。昔から日本人は、人からお礼を言われると「お互いさまですから」と、慎ましく答えていました。また物事が無事に終わると謙虚に「おかげさまで」と感謝したものです。人間は皆、互いに支え、支えられながら生活する存在であることを自覚していたからこその表現でしょう。私たちが今日を迎えるまでには、どれだけ多くの人のお世話になったことでしょうか、その人たちに対する直接の「恩返し」は勿論大切ですが、中には直接返すことの出来ない恩もあるでしょう。そうした時は自分の受けた善意を別の人に「送る」ことです、この「恩送り」ということを心に刻んで、周囲を見渡してみましょう。お世話が必要な子供たちは「誰もが歩んできた道」手助けを必要とするお年寄りは「誰もがこれから歩む道」。全ては「お互いさま」「おかげさま」なのですね。私の好きな言葉で「情けは 人の為ならず」日本人でよかった。・東京が一番寒かった日。1/13日。1876年(明治9)のこの日、東京で氷点下9度二分を記録、因みに、日本の最低気温は1902年1月25日、北海道旭川市で観測された氷点下41度、世界の最低気温は1983年7月21日、南極ボストーク基地で観測された氷点下89、2度があります。嗚呼、思うに震えが止まらない。
2016.01.13
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関西より西から沖縄や台湾にかけて山中に自生す常緑樹。柊(ひいら)ぐ、という言葉があるそうです。古語で、ヒリヒリと痛むという意味だそうですが、柊の名前の由来だそうです。寒くなる季節にも青々とした葉に白い小花が群れなして咲き、晩秋から初冬にかけてキンモクセイに似た香りを漂わせます。「柊の 花一本の 香りかな」高野 素十(たかのすじゅう)春の節分では豆まきとともに、鰯の頭を枝葉に刺した柊を門口に飾りますが、その時の柊も魔除けのためのもの。ちくちくと尖ったトゲで鬼を追い払います。因みに豆は魔(ま)を滅(め)する、の語呂合わせ。焼いた鰯の頭を柊の枝葉に刺したものは、焼き鰯の強い臭いで鬼を退散させるためですね。「ひいらぎのおいのりが、まいにち、きこえないでくださいね おかあさんの棚ももう 草だらけの冥土を おぼれているから ひとはり ひとはりの つつがないうったえのむこうには ひの色をした線路が わらっているばかりなんです」。 久谷 雉「くたに きじ)「あろえの花より」きょうは何の日。1/12日桜島(鹿児島県)の大爆発で、対岸と地続きに。1914年(大正3)死者35人を出した桜島の噴火は、史上最大級のもの、この日から2月上旬にかけて噴出した溶岩によって幅450m、深さ70mの海峡が埋まり、対岸の大島半島と陸続きになった。なお、火山灰は鹿児島市で45cmに達しました。
2016.01.12
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メギ科ナンテン属。開花が梅雨と重なり、花粉が雨に流されると実が成らない為、雨をよけて軒先に植えます。赤い小さな実がいくつも枝について穂のように垂れ下がる姿を、木枯らし吹くなかにも、雪降り積もるなかにも目にできたとき、寒さにこわばっていた顔がふっと、ほころびます。「おもひつめては 南天の実」種田山頭火(たねだ さんとうか)南天という名前の音の響きは、難を転じるにも通じることから、厄除けの縁起のいい木とされています。家の鬼門に植えるほか、正月飾りに用いたり、おせちの二の重を彩ったり、また、赤飯の下に南天の葉を敷くならわしがありますが、縁起物だからだけでなく、南天の葉に解毒作用があるためです。昔は南天の実をせき止めの薬に用いたそうですが、煎じてお茶にしていたとか、ただ、少量の毒を含んでいるので、摂り過ぎてはいけません。雪やこんこんと遊びまわっているうちに体を冷やして咳でも出てきたら、赤い木の実を煎じてお茶に。雪の降る日に小兎が食べたいという実は、冬に元気で外遊びする、子供のためにも沢山、真っ赤に実ってほしいものですね。・旬の野菜。 「みずな」京都では水と土だけで育てたことから、水菜と書いて「みずな」といいます。他の地方では京菜とも呼ばれます。旬は十二月~三月。ピリリときいた辛みが特徴で、カロテン、ビタミンB、C、E、などがたっぷり。豚肉とみずなのハリハリ鍋は、関西の冬の醍醐味です。また、サラダなどでシャッキリした食感を楽しみつつ栄養をしっかり摂るのもおすすめですね。
2016.01.11
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幼稚園でヒヨコが生まれた日、その感動が伝えたくて、お母さんのいる居間へ急いで 飛び込んだチビちゃん。ところが、忙しかったお母さんは「後で聞いてあげるからね」と結局、お母さんの用事が終わるころにはチビちゃんの感動は薄れてしまっていたのでした。親は家事や仕事に追われていると、幼い子供の話しかけを「フン フン」と生返事で聞き過ごしたり、「今 忙しいから後でね」と後回しにしたりしてしまいがちです。しかし子供は、その内容(事柄)よりも感情(気持ち)を伝えたくて、急ぎ話しかけていることが多いのです。話をしたいと思って勢い込んでいるときに聞いて貰えないと気持ちは萎え もう後で話す気にはなりませんね。忙しくても少しの間、手を休め、子供の言葉の奥にある「心の声」に耳を傾けてあげたいものです。聞き上手な、お母さんになることで、親子の温かい心の交流をより深く広げてください。 (ありし日のりゅう)きょうは何の日・110番の日(警察庁)。年々増加する110番の利用に対して、いたずら電話をなくし、有効、適切な利用を呼び掛けるため、警察庁が制定した日、1986年より実地。因みに110番の設置は1948年10月1日。
2016.01.10
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・「春の小川」のモデルは何という川?「春の小川はサラサラ行くよ」の「春の小川」。小学唱歌の中でも代表的な曲ですね。その歌詞によると、川岸にはレンゲやスミレが咲き乱れ川の中には小鮒やメダカの群れが泳いでいる。どうみても、田舎の小川を歌った歌のように思えます。ところが、この川のモデルになったのは、東京のど真ん中、現在の原宿付近を流れていた河骨川で、その周辺のイメージを元に作られた曲なのです。もっとも、高野辰之がこの曲を作詞したのは、明治四五年のことです。東京とはいえ、原宿や代々木辺りは街灯もない田舎で、川の水は現在の田舎の小川よりもはるかに澄んでいたのでしょうね。その後、河骨川は河川改修工事で埋められ、残念ながら、今では古き良き時代の川の流れ、また フナやメダカの姿は見ることができません。・旬の魚介。「氷下魚(こまい)」。水温が氷点下になっても凍らないから、その名も氷下魚。秘密は、零度以下でも凍らない成分が血液中にあるからとか。ヒメダラの名前で出回っている干物がおいしく、軽くあぶれば、酒のつまみにも最適ですね。お茶漬けにも最高の味が出て、美味しいですよ。
2016.01.09
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「おかあさん」はいつ頃から使われ始めた言葉なのか?。「おかあさん」の語源は、平安時代、身分の高い人の奥方のことを呼んだ「おかたさま」にあるようです。高貴な人の奥方の住む部屋は、寝殿造りの建物の北の方角と決まっていました。そのため、「北の方」と呼ばれていたのが、「方」だけをとって「おかたさま」という敬称になったのです。しかし、「おかあさん」が広く使われるようになったのは、明治時代の後半以降のことだそうです。明治三六年発行の「尋常小学校読本」で「オカアサン、オハヨウゴザイマス」「オカアサン、オヤスミナサイ」と教えはじめてからのことですね。江戸期までは、一般に武士は「おかあさま」町人は「おっかさん」「おっかあ」と呼んでいました。
2016.01.08
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芹がすくすくと群れ生えてくるころ。春の七草のひとつですが、五節句の一つにあたる一月七日に、今年も健康でありますようにと願い、春の七草の入った七草粥をいただきます。江戸時代には、七草をとんとんと叩いて調理するとき、歌をうたいながらしたそうです。「草なずな 唐土の鳥と 日本の鳥と 渡らぬ先に」七草粥の習わしは聖徳太子の時代 飛鳥時代まで遡るといいます。古代中国から伝えられた歳時記に、一月七日は七種の采の羹(あつもの「若菜汁」)を作るとありました。日本でもそれを取り入れたのが、七草粥の始まりとか。さらに平安時代には、一月十五日に餅粥といって、米、粟(あわ)黍(きび)稗(ひえ)みの、胡麻、小豆という七種類の穀物の粥をいただく行事があったそうです。また、十五日の餅粥は、時代を経てだんだん小豆だけが具として残り、小正月にいただく小豆粥になったようですね。春の七草。「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ」。
2016.01.07
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二十四節気のひとつ、小寒とは。寒さが極まるやや手前のころのこと。寒の入りを迎え、立春になる寒の明けまでの約一か月が寒の内です。「小寒の氷 大寒に解く」という言葉があるように小寒に張った氷が大寒に解けるほど、むしろ小寒の方が寒いと感じるときもありますね。白い息を吐きながら、頬をほてらせ、つい星のまたたきに見とれてしまうのもまた、この頃ならではないでしょうか。この時期 旬の魚介。・鱈(たら)。鍋といえば鱈、というほど冬の定番の魚。やさしい白身の味は、鱈チリにすると、他の具材と生かし合って美味しく、体が温まります。火が通りやすく、身が崩れやすいので、先に野菜、後から鱈、がいいようです。また、鱈の仲間のスケトウダラの卵が「たらこ」や「明太子」に鱈の旬はもちろん冬です。できれば白子のあるオスのほうが美味ですよ。
2016.01.06
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・魚河岸の初セリ。各地の魚河岸でこの日にセリを開始します。新年(暦の上で)の初物としてご祝儀相場がつけられますね。・囲碁の日。1(い)5(ご)の語呂合わせ。日本棋院では打初め式が行われます。・夏目漱石生まれる。「坊ちゃん」「こころ」など、数多い名作を生んだ、国民的作家、夏目漱石が1867年(慶応3)のこの日東京で生まれた。ユーモアと風刺に満ちた作風で、当時の文壇に衝撃を与え、現代もなお、根強い人気を持つ、「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ 兎角に人の世は住みにくい」は「草枕」巻頭の有名な一節ですね。
2016.01.05
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・御用始め/大発会。官庁で年末、年始の休みが明けて、その年最初の事務を執るのがご用始め。大発会は証券取引所における新年最初の立会。・石の日。い(1)し(4)の語呂合わせ。お地蔵さんや神社の狛犬など、神様のよりつく石に触れると願いが叶うものとして尊ばれていることから生まれました。 昨日は最高気温が16、5度と桜が咲くころの気温でしたが、余りの暖かさに我が家の沈丁花の蕾が早くも膨らんできました。 お互いに、穏やかで暖かい「春」が待たれますね。
2016.01.04
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「一富士 ニ鷹 三なすび」新しい年を迎えて初めて見る夢が初夢ですが、昔の人は、夢は神仏の示しと信じ夢によって吉凶を占ったりしました。今は、元日の夜から二日の朝にかけて見る夢とされていますが、江戸時代には大晦日から元日にかて見る夢、二日に見る夢、三日に見る夢など、いろいろな説があったそうです。おめでたい夢として「一富士、二鷹、三なすび」が言われます。この由来には諸説あり、いずれも駿河の国の名物であり、三河出身の徳川家康にあやかりたいという願望からとする説もあれば、霊験あらたかな富士山に、鷹は「高い」、なすびは「成す」に通じるからという説などがあります。縁起がいい、御目出度いことをことのほか喜び、楽しむ、日本人の遊び心でしょうね。 みなさんの初夢は如何でしたか?
2016.01.03
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おはようございます。今朝も最低気温がー1、6度と冷たい朝を迎えた、りゅう地方ですが、皆さんの所では如何でしょうか?さて、初詣は本来、生まれた土地の産土神様や、住んでいる場所の氏神様にお参りし、新年の無事と平安を祈願するものでした。初詣では正月三が日に参拝するとも、松の内の七日までに参拝するとも言われますが、はっきりした決まりはありません。お正月用の大きなお賽銭箱に、破魔矢やお守り、干支の飾りやお札、絵馬、おみくじ、ときには獅子舞や太鼓の音も・・・新年の神社のにぎわい、その光景は、日本ならではの風物詩ですね。初詣には、前年の古いお守りやお札などを納め、新しいお札やお守りをいただいて帰りましょう。 この一年が皆様にとっていい年でありますように。
2016.01.02
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お屠蘇(とそ)。一年に一度、お正月にしか使わない屠蘇器。重ねられた大、中、小の盃とお屠蘇を入れる銚子の、酒器ぞろえ。その趣きのある姿に、お屠蘇が大事にされてきたことが感じられます。お屠蘇は中国の唐の時代の風習が平安時代に日本に伝わって貴族の儀式となり、江戸時代に庶民に広まったと言われています。お屠蘇という名は「蘇という名の鬼を屠る(退治する)」や「邪気を屠り、心身を蘇らせる」からつけられたと言われ、年の初めに無病長寿を願っていただくものです。普通、酒席では年長者から盃を下しますが、お屠蘇は年少者から年長者の順にいただくとされています。お屠蘇は山椒、肉桂、防風、桔梗、白朮など数種類の生薬を合わせた屠蘇散(屠蘇延命散)を、お酒やみりんに浸して作ります。胃腸の働きを助け、体を温める成分が入っているので御馳走続きのお正月、寒い時期にピッタリの薬酒ですね。今年もよろしく。 ありがとう。
2016.01.01
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今日25日は何処もクリスマス一色ですが、私はあまり興味がありません。ましてや、25日と云えばりゅうの月命日です。世間様と同じように浮かれてはおられません。午前中に動物霊園へお参りに行ってきます。嗚呼、いろいろ思い出しては、またつらい。
2015.12.25
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今朝の最低気温が6,5度、昼過ぎ現在が8,5度と気温が余り上がらない寒い日のりゅう地方です。我が家のベランダで鉢植えの金柑がいい色に実っています。この間から時々取り入れていますが、 この金柑には手こずり困っています。その原因はと言うと、生食で口にすると、ビックリするほど酸っぱくてとてもそのままでは食べられた物ではない。流石に柑橘類の好きな、母さんもお手上げの状態です。他にジャム等に加工すればと思いますが。それには、悲しいかな、量が足りない。でも、折角我が家で育った金柑だから、食用ではなく、観賞用として、これからも育てたいと思います。
2015.12.21
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「大岡裁き」で知られる数々の名裁判は、その殆んどが作り話。このモデルとなった大岡越前守忠相は、約20年間町奉行を務めたが、その間に起きたわずか3件の事件のうち1件を裁いただけとか。しかし、それ以上に江戸市民の生活を安定させるための数々の業績を残しました。元文の、問屋ー仲買ー小売りという流通組織の確立。町火消し「いろは四十七組」の結成、避難用地としての空き地作りと管理、小石川養生所の設立など、史上まれにみる有能な実務官僚と評されました。1751年(宝暦元)12月19日、名奉行大岡忠相逝去。 75歳。
2015.12.19
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朝、これまでは目覚めると、取りあえず、りゅうの散歩の段取りで時間に追われましたが、りゅう亡き今は、早く目覚めても別段何をするでも無し、こんな、目的もない毎日が続いております。今日もまた、新たに購入した新刊とか、本棚の隅に忘れ、ほこりにまみれた、古い本などを引っ張り出し暇にまかせた読書三昧の日を送っておりますが、古い本を二度、三度と読み返すと、今まで気付かなかった新たな事柄に出会えたりして楽しくなります。暇な時間が多くあると、余りよい事は考えませんね。若かりし頃の日々、何かに追われてるような、息つく間もなく忙しかった毎日が何だか懐かしい。
2015.12.17
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私たちの日常に当たり前のように存在する家族に対して心から感謝するということは、そう簡単にできません。困難に直面したとき、初めてその有り難さを痛感したという経験を持つ人も、少なくないでしょう。「人間の単位は個人かも知れないが、幸せの単位は家族である」とも。家族の絆を強めてこそ、、どんな困難も乗り越えていく力が育まれます。 にほんブログ村
2015.12.12
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どの道も、何度も谷底に突き落とされ、はい上がってこなければ身につかない。人生に後戻りはない、ただただ前進あるのみ。やさしく教えられる位では「合点」にとどまるだけ。失敗は成功の元と言います。挫けず、これから何度でも挑戦。にほんブログ村
2015.12.10
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