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私:このシリーズの最終巻だね。
何故、硫黄島のような戦いをせざるを得なかったかという知的散歩でもある。
結論的に言うと、根本的な原因として 昭和の日本人は絶対的な思考になっていて、相対思考ができなくなっていたとあるね。
江戸時代のような多様性の欠如だね。
司馬氏は、ある国のことを考えるとき、その国の人になりきるという 思考訓練
を若いときからしていたという。
その国の人になりきるには、その国の歴史などをよく知らないといけない。
牧野伸顕
という昭和の有名な政治家がいるが、昭和2年頃、イギリスの女性が国に帰ることになったので、友人たち十人くらいで送別会をした。
そのとき、ある人がそのイギリス女性に「 これから日本はどうなるでしょうか
」と聞いたら、その女性は「 日本は亡びるでしょう
」と言ったという。
A氏 :何故?
私
:ヨーロッパでは、フランス軍もドイツ軍もそれぞれの長所短所を相対してよく把握している。
しかし、 日本軍は、自分たちが世界で一番強いと思っている
。
相対的な思考がない
。
したがって、 軍部の権力が強大となり、それが国を滅ぼすという。
A氏 :その話は昭和2年だそうだが、当たっているね。
私 : 孫文 が大正13年に神戸で講演しているが、そこでこの30年くらい前までは、 アジアで植民地でなく独立した国はなかったと言っていたという。
A氏 :日本は、徳川幕府で安政条約があるんじゃないの?
私
:これは不平等条約だね。
日本では 横浜居留地
とかきれいな言葉で逃げているが、 上海租界
と同じで、日本国土ではない。
日本の政治、司法の及ばない 植民地
だね。
明治27年になってようやく対等な条約にこぎつける。
それまでは、孫文の目から見ると日本は独立した国家ではないんだね。
A氏
:なるほど、孫文のように外から見ると、そういう見方もできるね。
それが相対的な見方か。
私
:孫文はそれで、独立した日本が今後、欧米のようなアジアに対して 覇道(力で抑える道)
を行くのか、中国とともに 王道(それぞれ自立して協調していく道)
を行くのか、それを選択すべきで、孫文は王道を行くべきだという。
聴衆は大きな拍手でそれに応えたというね。
残念ながら、孫文は翌年、ガンで亡くなる。
ところで、日露戦争を陸軍がまとめた膨大な「 日露戦史 」というのがある。これは悪書で有名だそうで、司馬氏はこれを古本屋で購入する。
そして少しずつ読んで、長い間かけて全部読んだというが実につまらない本だという。
A氏 :なんでそんなにつまらないの?
私
:これを書いたのはある陸軍大佐だが、後に彼は陸軍の閑職に回される。
ある人がその彼にあって聞いたところでは、彼が「日露戦史」を書いていると、当時のいろいろな大将などが来て「 このように書け
」というのだという。
正確に書いていたら、出版してから、それらの大将からクレームがつき、閑職に追われたという。
アメリカは第二次世界大戦の戦史は、軍人に書かせない。歴史家や学者に書かせたという。
日本軍は相対的な思考、自己解剖的な思考ができなかったという 。
明治初期は、日本は欧米に遅れており、追いつこうしているが、本当に追いつけるかという不安の時代だから、相対主義であった。
むしろ、国として ノイローゼ気味 であった。
それが日露戦争以降、絶対的になる。
これに対して、ジャーナリズムも責任があるともいう。
ジャーナリズムは日露戦争は、すれすれの勝負であり、危ないところだということを強調することをしなかったという。
A氏: そういう相対主義のジャーナリズムが明治後期から大正にかけて一般的になっていたら太平洋戦争は避けられたかもしれないね。
私
:司馬氏は「 昭和の小説は書きたくない
」とはっきり言っている。
書くとどうしても戦争にふれないといけない。
昭和は戦争の時代だからね。
書くことを想像するだけで息苦しくなるという。
事実、「 坂の上の雲
」でも 203高地
の戦いでは何べんも息苦しくなり筆を置いたという。
確かに、 硫黄島の戦いなど
、書くと息苦しくなるだろうね。
自分たちの民族が悲惨で書く気が起こらないだろうね。
黒澤明が、本当の戦争を描く映画は 観客に弾丸が飛んでこなくてはダメだ
ということを言ったというがそうかもね。
黒澤明が、唯一、昭和の戦争映画をアメリカと共同で描こうとした「 トラトラトラ
」はハリウッドと意見が対立し、監督を解任されているね。
司馬氏は、1980年代の偏差値問題にもどって心配している。
その当時、高知県の偏差値は最低線にあった。
司馬氏は、 高知は多くの名文家を出していると言って、偏差値では測れないものがあるのではないかと言っているね。
ある女子学生が「 日本は息苦しい
」、だから、西洋人と結婚して欧米に行きたいと言っていたという。
人生の多様性を失うと、子供の自殺も増えるのではないかね。
司馬氏は、その問題解決は、これからの若い人の宿題だとして終わっているね。
A氏
:冷たいなぁ。
君や俺の孫の時代が心配だよ。
昭和の魔法
というカルトは形を変えて生きているのかもしれないね。
私
:それはひょっとしたら、 市場原理主義
かもね。
司馬氏が生存のときは、まだ、問題になっていなかったので、それにはふれていないがね。
司馬氏がなくなってから「 国家の品格
」がベストセラーになったからね。
いずれにせよ、 日本は
カルトにひっかからないためには、相対的な見方を失わないようにすべきだね。
司馬氏は重要な問題解決を宿題にしてしまい、このTVの雑談後、10年でなくなってしまったね。
司馬氏には孫がいなかったので、一般の若い人への宿題になってしまったね。
今後、若い人は昭和と違った意味で大変な時代を生きていなければならないことは確かだね。
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