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私
:日 本近現代史シリーズ
の 第6巻
だね。
1巻
、 2巻
、 3巻
、 4巻
、 5巻
と続いてきた 知的街道
だね。
この 6巻
は 1940年の第2次近衛内閣の成立から、太平洋戦争の開戦、そして1945年の敗戦までの「5年間」を中心にカバー
しているね。
A氏 : 太平洋戦争 でなく、 アジア をつけているね。
私
:著者は、アジアを巻き込んでいる戦争なので、「 アジア・太平洋戦争
」としているね。
その意味で「 大東亜戦争
」という言い方をもできるが、GHQが嫌ったように別な政治的なニュアンスを感ずるので避けているね。
A氏 :今朝の朝日新聞をみると「 歴史は生きている 」欄でやはり「 アジア・太平洋戦争 」という言葉を使っているね。
私
:著者は50才代なので、戦争体験のない制約もあるかもしれないね。
この本で 沖縄の集団自決は「軍の命令だ」
と決め付けていることからして、著者の立場は明らかだね。
教科書問題
のほうは、「 強制
」を「 関与
」にしてなんとか 政治的妥協
となりそうだね。
しかし、 新書版一冊で、この5年間をざっと俯瞰できるのは便利
だね。
新しい視点
としては、 この戦争の性格、すなわち、大儀名分
を 開戦のいきさつ
から検討している点だね。
第1 は、 真珠湾攻撃よりイギリス領のマレー半島攻撃が1時間ほど早い ことから、 対米戦争よりも対英戦争として「アジア・太平洋戦争」は発足 したという。
A氏 :すでに 同盟国ドイツ は イギリス本土上陸作戦 のため、 イギリス本土空爆を開始 しているから、それとの関係があるね。
私
: 第2
は 自衛か、戦略かの戦争責任論
だね。
アメリカの強硬な姿勢によって、 やむを得ず、自衛として日米開戦
したのかどうかだね。
著者は、自衛だけではないとして、まず、 日米関係の悪化は日中戦争と密接な関係があり、その日中戦争は欧米並みの侵略戦争
だとしているね。
当時の日米交渉の最大の争点は、日中戦争で日本が得たものを放棄するかどうか
だったからだね。
これは 中国撤退論の近衛首相
と 強硬論の東条陸相
とが対立し、結局、 近衛内閣は総辞職し、東条内閣ができる
。
今朝の朝日新聞をみると「 歴史は生きている
」欄では、 中国撤退反対の理由は「それまでの戦死者に申し訳ない」というのが大義名分
のようだね。
この 呪縛
にかかったという論だね。
だから 、「日中戦争」の延長線上に「アジア・太平洋戦争」がある
という考えだね。
A氏 :それはその通りだと思うね。
私
:次に、「 ハル・ノート
」の 強硬な対日姿勢が日本を自衛戦争に走らす動機になったという理由
であるが、これはおかしいと著者は言う。
「 ハル・ノート
」が翻訳され、関係方面に配付したのは 11月28日で、2日前の26日には千島列島エトロフ島に集結していた海軍の機動部隊が真珠湾に向けてすでに出港
している。
A氏 :ということは、「 ハル・ノート 」前に、軍は行動を起していたということか。
私
:それに、 開戦まで7月2日、9月6日、11月5日、12月1日の4回の御前会議
があるが、 自衛戦争だという人は、戦争開始の決断は「ハル・ノート」が出た後の12月1日の御前会議
だという。
しかし、 実際に軍が行動を起すのは、3回目の11月5日の会議後で12月1日は形式的な会議である
という。
東京裁判
では 自衛を強調
するため、 この3回目の会議は隠され、最初、起訴状は3回の会議になっていたが、後で4回あったことがわかる。
また、「 ハル・ノート
」はまさに「ノート」であり、これを 対日最後通牒とみなすのは無理
があるとしているね。
A氏 : 真珠湾攻撃の対米連絡 は、当時の 駐米日本大使館 がアメリカに文書を手渡すのが遅れたという「 出先き」の責任問題 として考えられているね。
私
:ところが、その後、日本の外務省本部がぎりぎりまで発電を遅らせ、かつ、「 至急
」の指定をしないで「 普通電
」で送っていたという。
しかも、 電文は宣戦布告でなく、交渉決裂通告
であった。
宣戦布告を明記した案もあったというがこれは不採用
となったという。
A氏 :軍部のペースによる「 だまし討ち 」の非難は避けられないね。
私 : 第3 は、「 アジア・太平洋戦争 」は日本側から見たら 植民地解放戦争として開始 されたのかという問題だね。
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