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私
:著者は40歳代半ばの明治学院大学教授の学者だ。
専門は 日本政治思想史
だね。
A氏
:君のブログでとりあげた「 大正天皇
」で 毎日出版文化賞
を得ているね。
一昨日まで、「 昭和天皇
」を 1
. 2
. 3
. 4
. 5
と5回に分けてふれているね。
私:
ところがこの本はガラリと変わり、 原氏の小学校時代の 日教組の教育の話
だね。
学者が「 私
」を書くのは 禁じ手
とされているという。
A氏
:「 木を見て森を見ず
」になるからかね。
学者は全体を見なくてはいけないからかね。
私
:しかし、森はいろいろな一本、一本の木からなっている。
だから、俺は「 まず、木を見てから、森を見て、もう一度、木を見よ
」と言ってるんだがね。
しかし、この本では 原
氏は「 私
」を描きながら、並行して、いろいろな 日本の全体の政治経済とリンク
させながら、小学校時代の 日教組の理念
による学校生活を中心に描いている。
当時は、 団地
とはあこがれの住家で、抽選に多数の家庭が応募した時代だね。
「 滝山団地
」は東京郊外にあり、著者は、その団地に住んで、近くの小学校に通った。
A氏
:当時は、団地の各家庭は、高度成長の核家族で、父親は勤めに出て、妻が家を守るというパターンだね。
そして大体、子どもは2人くらいが標準だね。
私: 日本の「 政治の季節 」は、 60年代の安保闘争 以来、いったん途絶えるが、 ベトナム反戦運動や全共闘と再び復活 し、 1972 年の 連合赤軍事件 あたりまで続くね。
A氏
:一方で、政治とは関係を持たない「 私生活主義
」が拡大し、郊外に団地ができ、 経済の高度成長を支える
中間層
が増えていくね。
俺も君も、当時は団地住まいで、高度成長でどんどん成長していく 企業活動に多忙
で、政治問題はあまり強い関心がなかったね。
団地住まいの 核家族化
、妻は 専業主婦
、旦那が稼ぐという分業だね。
私
:著者は、1974年に小学6年生になるんだが、実は、「 政治の季節
」は終わっていないとしているね。
著者の「 滝山団地
」周辺では、日本共産党候補がトップ当選していたという。
そして、滝山団地の児童は、近くの小学校に通うが、小学生はほとんど、団地の子どもだ。
そして、 先生として全共闘世代の教員
がくる。
父親は会社に行っていないから、団地や子どもの教育は母親になる。
先生、母親、子供を主人公とする一つの地域共同体が形成
された。
だから、この 小学校
では「 君が代
」は歌われなかったという。
それは「 私生活主義
」とは違った共同体で、 国家権力からの自立と、児童を主催者とする学園の確立
を目指したものだったという。
著者は小学生として、その共同体に巻き込まれたが、その 共同体を「滝山コミューン」
として、この本の題名となったわけだね。
A氏 :やはり、 日教組 の運動と関係するのかね。
私
:進歩的な学校の教育方法の中心になったのは 片山先生
で、 1971年に大卒新人
で3年生を受け持つ。
当時の日教組で 全国生活指導研究協議会
、略して 全生研
というのがあって、これが強調したのは「 大衆社会状況の中で子どもたちの中に生まれてきている個人主義、自由主義意識を集団主義的なものへ変革する
」というものだね。
この 集団主義的教育
は 旧ソ連の教育学者のマカレンコ
の著作によるところが多いという。
片山先生
は、 1971年に全生研
の「 学級集団づくり
」にすっかり魅せられ、自分のクラスを変えようとする。
著者は、 片山先生のクラス
ではないが、その動きを見ながら、小学生でありながら絶えず、 批判の視点
を失っていないね。
片山先生 の活動の成果は3年かけて、次第にあがるが 、とんでもない結果 を生むことになる。
明日はそれについてふれていこう。
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