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私
: 朝日新聞の求人広告
にときどき、 有名人のエッセイ
みたいのが掲載されているが、これが結構、いいことを書いているね。
17日、日曜日では、俳優の 仲代達矢
氏
が書いている。
見出しは「 終戦で大人への不信感を持った
」とあるね。
A氏
:俺も読んだね。
仲代氏は、中学1年で8月15日を迎える。
前日まで 鬼畜米英
と言い続いていた大人が、 一日にして 民主主義
を唱え出し、 親米平和
を言い出す。
わずか 14歳にしてショック
を受け、 大人に対する不信感
を抱くようになる。
俺たちと同じ世代で、同じ体験を共有しているね。
これは 同時代体験
だね。
このショックは同じ世代でないと分からないだろうね。
私
: 仲代
氏は、戦後、大人から鬼畜と押し込まれていた アメリカやフランス映画を見て、第2のショック
を受ける。
これだけの映画を作る国
と戦っていたのか驚く。
そして 映画館に入りびたりの 映画少年
になる。
さらに、アメリカ映画のスターが、単に、顔がいいとか個性的であるということだけでなく、 俳優としてきちんとした基礎訓練を受けている
ことを知る。
日本映画にはそういうシステムがなかった。
A氏 :それが 仲代氏 が俳優になるために、まず、 新劇の 俳優養成所に入る原点 のようだね。
私
:カネはないから、 夜はキャバレー
、 バー
で働き、 日曜日は材木担ぎなどの肉体労働
で稼ぎ、何とか卒業するね。
今でいう ワーキングプア
だけど、 夢
があったのだね。
当時は、 技術屋にはアメリカの技術に追いつくという夢
があった。
仲代氏
の場合は アメリカ俳優モデル
があったんだね。
A氏:夢があったので、苦労も 絶望 にならなかったんだろうね。
私:
敗戦で大人に失望した 軍国少年
は、その後、 アメリカのすぐれたものをモデルとして吸収
するようになるね。
当時のアメリカは 中流階級が厚く
、追いかけるにふさわしいモデルだったね。
トヨタ
も敗戦後、 フォードに2名の技術者を派遣
しているね。
そして、技術とともに 作業員の提案制度
も学ぶ。
これが後に「 カイゼン
」として トヨタ経営の中核
となる。
しかし、 レーガン大統領頃からの新保守主義のアメリカ
からは学ぶものは少ないね。
A氏 :学んだ結果、「 小泉、竹中改革 」で、 アメリカの後を追いかけて ワーキングプアの発生、医療制度の崩壊 が始まった。
私:
ところで、日本の成功者のなかには、 親の七光りで成功した者
もあるが、 人知れない苦労をして現在の人生を築きあげた人
もいるんだね。
そういう人は、何か人として厚みを感ずるね。
だから、 仲代達矢が映画に出ると、それだけで存在感
を感じるね。
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