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私
:今朝の新聞には 8月15日
という日付の下に「 終戦記念日
」とあるね。
これがこの日の正式名かね。
A氏:カレンダー にもそうなっているね。
私 :本当は、 敗戦の日 なんだが、戦争が終わってホッとしたという気分でつけたんだろうかね。
A氏 : この日から 、空襲におびえて、 不気味な空襲警報のサイレン で、夜、電灯を黒い布で囲むことも、なくなったからね。
私 :この記念日になるといろいろな人がいろいろな場所で、この日の体験を語っているが、次第に ナマの体験を語る人 が減っているね。
A氏
:それに 本当の戦争の地獄を見た第一線の兵士
だった人は、多くは黙して語らない。
語る言葉もないし、語りたくもないんだろうね。
私
:俺には戦争の悲惨な体験はないね。
俺の8月15日
は 母の実家の田舎の家
で迎えたね。
夏休みだから、山奥の母の実家に行っていたんだね。
俺の兄は、 学徒動員
で工場勤めだったから、地方都市にある俺の家から通っていた。
夏休みなしだね。
内陸奥地の地方都市だから、 B29
による空襲もなかった。
8月15日は、記憶では俺がいた田舎は晴天
だったと思う。
伯父に連れられて、魚をとるために朝早くから 川に投網
に行った。
途中、昼飯を食べに、近くの農家に寄ったら、そこで戦争が終わったと言われて知ったね。
実は、俺の家があった 地方都市
は、 8月13日だと思うが艦載機の機銃掃射
を受けている。
艦載機は、俺の兄が働いている工場を狙った。
俺の兄は、それを逃れて、田舎にある父親の実家に行った。
母も俺が泊まっている実家に逃れて来た。
その夜、母と久しぶりに会ったが、寝るとき、母がしみじみと「 日本は負けだね
」と言った。
軍国少年
の俺は
「 きっと神風が吹く。
そんなことを言うのは 非国民
だ」
と怒ったことをいまだに鮮明に記憶しているね。
そして、 2日後に母の言うように日本は負けた。
夏休みが終わって、学校に行って、 すべてが百八十度、変わりだしたことを体験 することになるね。 教科書に墨を塗る のは、もう少し後になるがね。
それが、俺が「 終戦記念日 」で連想することだね。
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