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「中国はいかにして中国になったか」
私
:この章の題名は、分かりにくいね。
それは、 中国
は世界でも 例外的な存在
で、世界で 人口
が最も多いのに、今日では、 政治的にも、文化的にも、言語的にも、1つにまとまった国
であると一般的に思われている。
実際に 、 紀元前221年
には 政治的に統一
されていた。
それ以来、多少の分裂はあったが、 統一されていた時代
のほうが長い。
文字システム
も最初から同じものが使われてきており、 ヨーロッパ
のように 何十もの異なるアルファベット
が使われていたわけではない。
言語
も 8億人以上が北京語
を話していて、 世界最大の母国語集団を形成
している。
他の言語も中国にあるが、 北京語
とよく似ている。
他の大陸諸国と比較して、どうして、 中国の統一性という特徴
が生まれたのかというのがこの題名の意味するところだね。
A氏
:そうだね。
人種的には、北部と南部は違うね。
北部
の中国人は 南部
より背が高く、体重も重いし、色白だね。
私
:それらの違いがあるのに、なぜ、 非常に似た言語
を話し、 非常に似た文化
を形成するようになったかだね。
おそらく、中国も他の 大陸諸国と同様
に、 昔は多様な言語が存在
していたと考えられる。
しかし、それらの言語が 消滅
していったと考えられる。
それは 中国人の大量移動
で、 人数で先住民を圧倒
して、 中国語
を使わせていったと考えられる。
紀元前1100年
から 紀元前221年
まで続いた 周王朝
の歴史記録には、中国語を話す国家が中国語を話さない人びとを征服し、併合したことが書かれているという。
A氏 :それから自然環境も北部と南部は違うね。
私
: 北部
は乾燥して寒い。
南部
は湿度が高く、気温が高い。
緯度が同じところでも、 沿岸部
は標高が低く、 内陸部
は標高が高い。
このために、中国では、 それぞれの地方にあった多様な食料生産
が行われたと思われる。
そして、これが 技術の発展
を促す。
これらの 地方文化
が 紀元前4000年
から 紀元前3000年
の間に 文化圏を拡大
させし、 相互に競争
し、 影響しながら融合
していったと考えられる。
そして、 北の 黄河
、 南の 揚子江
のように 東西をつなぐ地理的な状況
もその融合を助けた。
これが 南北の沿岸部
が平らになっていることで 黄河と揚子江で南北部をつなぐ運河の構想
も可能となった。
このような ヨーロッパと違う地理的な要素
が働いて、 文化的、政治的な統一
が比較的早い時期になされたという。
A氏
: 紀元前211年
には 秦王朝
ができるね。
秦の 始皇帝
は、 秦王朝
が登場する前の歴史書をことごとく燃やすように命じているね。
焚書
だね。
私
:場合によっては、このような 強権
で文化圏を拡大していったんだね。
現在の 一党独裁で統一された14億とい巨大な中国国家
も、この 伝統
を受け継いでいるのかもしれないね。
明日は「 アフリカがいかにして黒人の世界になったか」のミステリーに移ろう。