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Ryu-chan6708

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2017.06.27
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文科省 学習指導要領の改訂案 「聖徳太子」の呼 び方を「 聖徳太子(厩戸王〈うまやどのおう〉)」などと変えようとした ところ、批判が相次ぎ、 結局、表記は元に戻った という。

何故、そうなったのか を取りあげているね。

A 「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝副会長 が批判の中心になったようだね。

藤岡 氏は、 聖徳太子は中国(隋)に従属せず、対等外交を展開しようとし、十七条憲法で「和」の精神を打ち出し、聖徳太子が「日本人の精神の骨格をつくってきた 」という。

:ところが、 「日本書紀」には、冠位十二階や十七条憲法を制定した人物として「厩戸皇子(うまやどのおうじ)」の名前が記されていて、「聖徳太子」は登場しない。

奈良時代以降に日本仏教の祖とあがめられ、神話化が進んだ とされる。

A 指導要領の改訂 は、ほぼ 10年に一度 で、 文科省は今回、歴史の授業では「古事記」や「日本書紀」の史料に基づいて学ぶことを明記 することにし、これに伴い 「聖徳太子」の名が没後の呼称であるとの史実 を踏まえて 2月に改訂案として、小学校は「聖徳太子(厩戸王)」、中学校は「厩戸王(聖徳太子)」に改めるという内容を公表 し、 パブリックコメント を募った。

多くのコメントがあったようだが、文科省はコメントの詳細を明らかにしていない

文科省幹部によると、寄せられた意見には「小学校と中学校で呼び方が違うと教えづらい 」との 教員からの声 もあったという。

パブリックコメント を経て、 結果的に、小中学校とも「聖徳太子」の表記に戻ったというわけだ

ただ、中学校については「『古事記』や『日本書記』で『厩戸皇子』などと表記され、後に『聖徳太子』と称されるようになった」とのくだりが残り 文科省幹部は「いただいた意見をもとに修正するのは制度が予定するところ 」と語るという。

A 明治大学の吉村武彦名誉教授(日本古代史) は、 学界では「厩戸皇子」と「聖徳太子」を分けるのがオーソドックスな考え方 だとして、 「歴史を理解するためにも、『史実』と『神話』は区別して理解してほしい」 という。

:ただ、 吉村教授 は「ただ、『 史実』をすべて正しく理解しようとすると、あまりに難しい

子どもたちには難しいからと歴史を嫌いになってほしくない。小さなころは「聖徳太子」として歴史の流れを学び、中学生になったら名前を併記して歴史をより詳しく学べればいいのではないか 」と話しているという。

A 氏:ところで、 昨年 明治の日推進協議会 」というところで、 稲田朋美防衛相 が、

「『 神武天皇』の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい 」と発言したというニュースをネットで見た。

 「 神武天皇」は「神話」上の人物 なのを知らないらしい。

「神武天皇」の戦いで有名なのは「金鵄」と「八咫烏」 だね。

稲田大臣は大人なのにこの「神話」も信じている のだろうかね。

小学生 のうちに「 史実」と「神話」の区別 」を理解していないと、 大人になっても、正しい国の形に無知になる だけで、「 神話」は小学生でも理解できる よ。

 それに、やや 右派 よりの「 藤岡 氏の「 聖徳太子は中国(隋)に従属せず、対等外交を展開しようとした」 とあるのも「史実」と違うね。

 これは、このブログの 「異説あり 遣隋使、いつから 600年が最初、野蛮国扱いに奮起」 でとりあげている。






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Last updated  2017.06.27 15:37:54
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