言わせてもらいますが

言わせてもらいますが

2024.06.25
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当選目的に直結しないポスターを貼ることがそもそも想定していない。
だからといってそれを禁止することが法律に明示されていない以上、現時点では処罰するべきでないし、検挙することは権力の濫用だと考える。
民主主義における最大のポイントは、権力者を民意、つまり選挙で選んで非暴力的に権力者を交代させることにあり、その手段たる選挙は民主主義において最も守らなければならない点だ。
その意味で、票の格差は民主主義の根幹にかかわるあるまじき問題なのだが、ここでは話がずれてしまう。
ということで、現在の法制度においてこの暴挙を指をくわえてみているしかない。
我々市民ができることといえば、ポスターを貼る権利を購入しないことであり、ポスター掲示者においてマイナスの効果をもたらすことしかできない。

ここまではポスター掲示という表の問題。

で、このような暴挙が行われるに至った経緯や背景を考えてみる。
もちろん単純な要因に起因するだけでなく、様々な要因が積み重なっているのだけれど、2つの大きなポイントがある。
1つは、迷惑系ユーチューバー、逮捕系ユーチューバーなど市民の良識よりも個人の利益を優先しながら、ずる賢いふるまいとして賞賛されるという問題だ。
今回のポスター問題は、同じ延長線にある。
一昔前のこういった行動は、例えば暴走行為など、仲間内では勇気があると称されることがあったとしてお社会的には悪であることが共通認識であった。
それが、一部の仲間内の範囲というのを超えて、それはネットという情報伝搬手段とも切り離せないが、社会的にやったもん勝ちを助長することになってしまっている。
小学生が堂々と将来の夢がユーチューバーというのはまともな社会なのか。
2つ目は、政治不信である。
国民を幸せにするために政治ではなく、お仲間への利益供与のための政治という堕落がここにつながっている。
この点においては、桜を見る会をはじめとして、選挙運動でのヤジを取り締まることまであらゆるといっていいほどすべての言動が自分たちの仲間のためとしか思えない安倍政治を長きに渡って、結果的に許していたことに他ならない。

今回の発生した事象に対しては、公職選挙法の改正により縛ることが避けられない。
しかし選挙という自由な民主主義活動を決して縛るようなことにつながらないようにしなければならない。
対処としては必要だけれど、根本的な対策はやはり政治不信の解決なのであろう。
そのためには、問題を起こした議員を再選させない毎度の選挙における有権者の活動こそが求められている。
政治家にまかせてもよくならないが、一人一人の行動でよくすることはいくらでもできる。






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最終更新日  2024.06.25 09:23:20
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