つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2007.01.08
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カテゴリ: 源氏物語
『源氏物語』をめぐる視点は、大きく分けて3つあります。
ひとつは、国文学からの視点。これはもういわずもがな。
ひとつは、世界文学として捉える視点。(現在のところ)主に欧米系の学者先生による自国の文学理論を基盤として、その上に国文学研究の成果を重ねながら展開する理論です。私見ですが、 ロイヤル・タイラー氏などの源氏解釈 はこの部類に属するようです。

そして最後に、日本文学として捉える視座があります。これは、アリストテレス以来の西洋文学理論とともに平安時代の時空間的文脈と背景を基盤にして、互いに交差させながらテクストの読みの可能性を探る試みです。

ハルオ・シラネさんはサイデンステッカー先生のお弟子さんですが 、『源氏』と先行する散文物語、『源氏』と和歌( 相聞歌及び挽歌 )、『源氏』と平安時代、『源氏』の各帖同士の相互関係を明らかにしながら、西洋の読者にも日本の読者にも違和感なく読めるような「日本文学理論」を構築された一人だと思います。

有名な出だし 「いづれの御時」 とは大体、紫式部の生きていた時代から 百年くらい前 を指すそうです。この時代は、式部の生きていた「道長の時代」とくらべて、比較的藤原氏の影響力が強くなかった時代でもあります。源氏は天皇の息子ですが、頭の中将は藤原氏。匂宮は源氏の子孫ですが、薫は頭の中将一族の柏木の子供です。 物語における敗者は一貫して藤原氏 なのですが、式部は時代設定を百年前に設定することで、藤原一族が機嫌を損ねないように工夫しているわけです。なるほど。

将来冷泉帝となる皇太子は源氏の子ですが、不倫の胤なので、そうは言えません。桐壺帝は知ってかしらずか源氏を摂政にします。このあたりも藤原氏への配慮でしょうか。いずれにせよ、源氏と藤壺は結果的に阿吽の呼吸(?)で結託して我が子のために秘密を守り通します。それでも源氏は自らの恋愛行為がもとで都を追放されしまいました。

恋愛といえば、『源氏』の主題のひとつに男女の恋愛があります。大きく分けて葵―藤壺―若紫―女三宮という本系と、空蝉―末摘花―源典侍―玉鬘という傍系に分けられますが、本系においては子をなすなり幸せな伴侶に恵まれるなどする源氏も、傍系の恋愛においてはことごとく失敗します。式部は本系の逸話と傍系の逸話を交互に 「対位法的に」 紹介しています。このあたり、源氏に人間くささをもたらしている理由のひとつと言えるかもしれません。

また追放といえば、『竹取物語』以来の貴種流離譚と『落窪物語』に代表される継子いじめの物語がどのように『源氏物語』において幸福に結合したかは周知のとおりです。また光源氏に『伊勢物語』のプレイボーイ在原業平の影がみられることもいうまでもありません。紫式部は最初源氏を源高明など藤原氏によって失脚させられた貴族になぞらえています。 藤原氏に睨まれた貴族が都に復帰することは歴史上ありませんでしたが、物語の中の光源氏はまるで神話上の英雄(海幸彦山幸彦の)山幸彦のように追放先で姫を得て、見事「社会復帰」を果たします。

紫式部のパトロンである藤原道長はこれを読んでどう思ったでしょうか。あるいは不愉快に思ったのかもしれません。それに配慮してか、いわゆる玉鬘十帖をはさんで「藤葉裏」にみられる 絶頂期の源氏はまるで藤原道長のようです。もっともその絶頂も長くは続かず、「若菜」上下においてすでに破綻してしまうのですが

ここでも、設定を百年前にしたおかげでやぶへびを免れているわけです。

また、著者はそこまで言っていませんが、 源氏物語はフェミニズムの教科書として読むことも可能です。 世界の文学者の中で、紫式部ほど一夫多妻制における女性の苦悩と悲劇を描きえた女性はいません。そういう意味では 是非インドネシア語やアラビア語に翻訳していただきたいと思うのですが 、今のところその気配はなさそうです。

吉村作治氏によれば、エジプトの女性は一夫多妻制のストレスをかなり抱え込んでいるそうです。平安貴族においても、おそらくそうだったでしょう。源氏の建てた六条院は、言うまでもなく六条の御息所の霊の鎮魂のために建てられたものですし、一人の男性をめぐる二人の女性の三角関係は、ほとんど物語全編に満ちています。まめ男夕霧の妻雲井雁さえ、このトライアングルに悩まされるのです。

桐壺帝―藤壺―源氏、匂宮―浮舟―薫というような、一見女一人の三角関係にみえるときでさえ、男の側には別の女(正妻等)がいます。玉の輿に乗るということは、経済的自由と引き換えに、女の精神的自由を奪うことでもありました。 この憂鬱の道から抜け出すほとんど唯一の道が「出家」だったのです。

では源氏物語七十余年の時間軸における仏教思想とはどのようなものであったでしょうか。第一部部においては加持祈祷、陰陽道中心の密教でした。それが第二部、さらには紫式部と同時代に近い、浮舟の登場する第三部の終末近くになるにつれ、次第に 浄土教的色彩が濃くなっていきます。

著者によれば、それは単に因果応報の物語というだけでなく、キリスト教が西洋文学に深いドラマをもたらしているように、 浄土教が源氏物語に深い劇的構造をもたらしている のだということです。

源氏物語は、オデュッセア(貴種流離譚)とシンデレラ(継子いじめ)物語を基盤にしてそれを変形させながら、最初は一種のサクセス・ストーリーとして描かれたのかもしれません。しかしそれが好評だったために、おそらくは請われるままに次々と続編を綴っていったのでしょう。喜劇は悲劇となり、ついには紫の上も光源氏も死んでしまいます。それでも物語は終わらずに、光源氏が到達してしまった境地から新たなる主人公が出発し、さらに陰鬱な筋書きが展開されました。

これら一連の過程において、紫式部が一夫多妻制の社会における男女の関係と女性の身の処し方について彼女なりに苦闘し、その考えを深化させていったのだと著者は説きます。 社会的ロマンスの横糸と精神的求道の縦糸の織り成す一大タペストリー。 本書を読むとまるで源氏物語が全く瑕疵ひとつない完璧な創造物であるかのような「錯覚」さえ受けます。当然、著者は源氏物語複数作者説には懐疑的です。





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Last updated  2007.01.09 15:51:42
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