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平成26年5月4日(みどりの日)橿原観光ホテルにおいて、昭和50年3月卒業、下市中学校同窓会を開催しました五月晴れとは、よく言ったもので、雲一つ無いいいお天気となりました当日は、恩師の3先生と58人の同級生が参加しました中学生当時、とても優しかった、また時にはおっかなかった先生方も、現職を離れなれ、とても素敵な人生の大先輩になっておられました先生は、挨拶で「下市出身の女性は美人が多い」と、仰っていましたが、僕も全くそのとおりだと思いました卒業から40年を経て、人生の様々な喜びや悲しみを重ねてきた人というのは、実にいい顔をしています女性がとても素敵だったことは言うまでもなく、男共も、なかなか凛としたいい顔をしていました昨日の挨拶でも言ったことですが、私は故郷とは生まれた土地のことだけではないと感じています自分というものの基盤となった、場所、人、思い出、そしてそれらの人が集う場所がすべからく故郷そのものであると強く感じました卒業以来ほとんどあっていなかった仲間在学中、口をきいたこともなかった女子素直になれず、自ら教えを請うこともなかった先生そのような人たちが、長い年月を経ても、まるで昨日まで一緒に校舎にいたような親しみ、暖かさ、懐の深さ本当に同窓会を開いて良かったと感じていますご臨席下さった先生、帰ってきてくれた同窓生のみんな、本当にありがとうございました
2014年05月05日
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骨髄バンクに登録したいと思いながら、してなかった 去年、原発事故が起こった時、放射能が原因の白血病が多発するだろうから、登録しなければとも思った でも、幸いにも原発事故により白血病になった方はおらず、いつの間にかドナー登録の事も忘れて過ごしていた 2~3日前、偶然にもこの動画を見た http://m.youtube.com/watch?v=H7W0CtsgE1c この方のCMは見た事がある 21歳で亡くなられたのか もし、型が合致する骨髄さえあれば助かったかも知れない もしかしたら、それは僕の骨髄の型では無かったか… もし、この方が亡くなるまでに僕が登録していれば助かったのでは無かったか? そして毎日の様に亡くなる白血病の方の型に、もしかしたら僕の骨髄が合致するのではないか 僕は気管支ぜんそくで投薬を受けている 骨髄バンクのホームページで、気管支ぜんそくの方はドナーになれないと書かれている ああ、やれやれ どうせ俺はドナーになれないんだから、仕方が無い 誰かが亡くなってもそれは俺の責任では無い でも、もしかしたら登録出来たのではないか 逡巡した 結論 それは俺が決める事や無い けんさして貰って、ダメだと言われて、初めて諦めたらええやないか そんな気持ちで、今回、献血ルームに行った すると、何と、登録出来たのだ! ありがとう、ありがとうございます! 僕は、ドナーカードを渡してくれた係りの方に深く頭を下げていた いつも好き勝手に生きてきたこの俺 そんな俺を、誰かの命を救う一助に加えてくれるのか! 本当に嬉しい! この上は、一日も早く適合する患者さんが見つかり健康な身体を取り戻していただきたい 年齢制限まで、あと2年しかない 今まで何もしなかった自分が本当に申し訳ない これが最後のチャンスかも知れない どうか、どうか、どうか患者さんと適合しますように!!
2012年11月04日
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こないだの本番があった日は、僕の父の命日でした あれから、早いもので28年が経ちました 当時の、自分がつぶれてしまいそうな喪失感は、すっかり忘れてしまいました 自分には、たった1人の父親 でも、妻子は会ったことも無いので、オヤジの昔話に過ぎない 少し寂しい気持ちがします でも、前回の日記に書いた祖父には、僕も会ったことはなく、命日がいつだか過去帳をめくってみないと分かりません 祖父がいて祖母がいて、父がいて母がいて、初めて自分がいる 妻にもその祖父母が、両親がいて、初めて僕と一緒になる そして僕がいて、妻がいて、初めて子どもたちがいる 縦糸と、横糸があって初めて、自分の人生がある ありがたいと、感じます 自分の人生の先行きを見ると、何だか父の死んだ58歳という年齢の先は考えられません そこで死んでしまうのか、それともそこで何かに深く気づきを得るのか、分かりませんが、いずれにしても自分の人生 大切に生きていきたいと思っています
2012年10月29日
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今日は、電車で琵琶湖を一周してきました湖北は、雪国でした国境の長いトンネルを抜けると…近江塩津駅でした
2012年02月11日
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昨晩、妻から、一人暮らし中の次女が久しぶりに帰ってくるとメールが来ました 次女は11月に、また被災地へ行くと聞いていたので何か冬物の衣類を取りに帰ったのだろうか? 僕が帰宅すると、娘はもう休んだ後でした 妻によれば、今日から、東北へ行くのだそうです 朝刊に、京都上七軒の舞妓さんが、被災地で舞を披露した後、地元の人とふれあったとの記事 笑顔で高齢女性の手を取る舞妓さん、その隣て目頭を抑える舞妓さんの写真 また、かつて被災地の小学校で、世界陸上で必ず金メダルを取ると約束した、ハンマー投げの室伏広治さんが、約束どおり金メダルと、以前小学生が寄せ書きをし、室伏さんが世界陸上てウイニングランで広げた日の丸を持って再びその小学校を訪問した記事がありました 舞妓さんは伝統芸能で、室伏さんはスポーツで、娘は絵で被災地に寄り添おうとしている 僕も何か出来る事は無いかと思っています 今朝、僕が出かける時は、娘はまだよく寝ていました 顔を見て一言でも話がしたかったけど、起こすのはかわいそうなので、布団の中の寝息に向かって「気をつけて行けよ」と、心の中で話しかけて出て来ました 駅前の駐輪場で係りの小父さんが、 「娘さん、帰って来はりましたな。久しぶりに顔見ました」 と、声をかけてくれました これから寒くなりますが、元気で行って来て欲しいと思います 父も、頑張ります
2011年11月01日
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今日は、父の27回目の命日ですあの日も今朝のように寒い朝であったように記憶しています吉野の山奥から毎日大阪の会社に通っていたまだ暗いうちに家を出て、遅くに帰ってくるいわゆる、モーレツ社員でした日曜日は、一日中寝ていた子どもの頃は、父親と遊びたかった母には、疲れた父が寝ている時は、物音を立てぬよう、よく叱られ、その度に、不満に感じていた僕でしたしかし、父の年齢にだんだん近づき、自分もまた、モーレツ社員になりかけている家にいると、安心して、少しでも寝ていたいと感じる父もまた、本当に疲れていたんだろうな、不満に思って申し訳なかったなと、今頃になって思います頭に「くそ」がつく位、真面目で勤勉で「超」がつく位、モーレツ社員てあった父僕は、好きな音楽もやり、気ままな男であるけど、この頃、何だか父に似て来たなと気づき、ハッとする事があります父は、本当は、どんな生き方をしたかったんだろう一度、確かめてみたい、この頃ですお父さん、貴方の息子は、何時の間にか50を越えました見かけは、だんだん貴方に似て来て、髪の薄いところなんか、怖い位そっくりですよ一方、達筆な貴方とは似ても似つかぬ悪筆で、もっぱらパソコンに頼る毎日ですよお父さん、俺の生き方は、これでいいですか?
2011年10月28日
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夢の中で、僕宛に郵便物が届いた封筒の中から、空の現金書留の封筒が何枚も出てきたそれぞれに宛先が書かれていて、差出人は僕の氏名のスタンプだ押されている宛先は、昔お世話になった人、すっかり御無沙汰してしまった人、現在苦労をしていると聞いている人や、故郷やこれまで過ごしたの学校や役場などになっている一体誰が送って来たのかは分からないが、これに幾ばくかのお金を入れて送れという事なのだろう自分は、おかげさまで健康で、家族や仕事、仲間に恵まれ、過ごしているそれを感謝する事もなく当たり前の様に過ごしている感謝の思いをなんらかの形で、返して行くようにと、夢は教えてくれたのだろうか?
2011年09月13日
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昨日7月17日、京都では祇園祭のハイライト「山鉾巡行」が行われました 平安の昔から続くこの祭の由緒は、平安時代、東北に地震と津波が襲い、京の都には疫病が流行 これを御霊の仕業と畏れ、京では国の数だけの鉾を立てたのがその始まりと言われています 山や鉾、祇園囃子で御霊を呼び寄せる、そして神の使いである稚児が、巡行時にそれを幽界へ送り返す そのような由緒を基礎知識として知ってから、この祭を見ると、今年の祇園祭は、とても意味深いものに感じました 事実鉾町の人々は、こんな時だから、祇園祭を盛大に行い日本中の災厄を祓いたいと考えておられるようでした 巡行のくじ改めや、注連縄切り、辻回しや祇園囃子などどれをとってみても、今年は例年になく厳かな思いがしたし、心の底から感動がこみ上げました そして、どうかこの祭をきっかけに、災難が消滅するようにと祈りました -------------------- ☆なでしこJAPAN、世界一に! 女子サッカーのことはよく知らない僕ですが、今朝は感動して涙が出ました これは、あくまで想像の域を出ませんが、今年の女子サッカーは、 「今年勝たなくていつ勝つんだ!」 という強い思いがあったのではないかと思います彼女らのプレーが、被災された方々はもちろん、日本中の人々をどれ程勇気づけたかは、想像に難くありません ニュースで繰り返しシーンが放送される度に涙が出て来ます 祇園祭とサッカー 全然別物のようでありながら、日本中を元気づけたという意味では相通ずるものがあると感じました。
2011年07月18日
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このタイトルの電子書籍が出ていたのは知っていました 何を隠そう、この僕は 掃除洗濯整理整頓が、大大大の苦手 独身時代、自炊は全く苦にならなかったけど、片付けは0点 結婚してみると、ワイフは、いつもきちんと片付いてないとストレスを感じる人 僕に対するストレスの8割は、それではないかと感じています 僕も何も雑然とするのが好きな訳じゃありません きちんと片付いている方がいいに決まっています でも、僕が片付けると、片付ける前より散らかってしまうし、要る時にモノが出てこない 最後には、(恐る恐る)ワイフに尋ねる羽目になる iPhoneのブックにタイトルの本が800円で出ていたけど、買う気にはならなかった 今朝朝刊の広告に、この本が載っていた 紙媒体は1400円位(電子書籍なら800円) 版元は僕の大好きなサンマーク出版 よし! 読んでみようと もしこれで片付いたなら、この本は800円どころか800万円位の値打ちがあるかも知れない って事で、さっきポチッとダウンロードしました さっそく読んで見ます
2011年06月28日
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俳優の長門裕之さんが亡くなったあまりよく存じ上げないが、奥さんの南田洋子さんがを看取った時の、愛情溢れる涙のコメントが、思い出される今頃は、きっと再開されて、仲良く過ごしていこうと笑っておられるだろう何だか、おめでとうと申し上げたいような気分です最愛の人を最期まで看病し、その後あまり長生きせず、人生を終える最高の生き方だなと思うそんな生き方をしたいと思う反面、妻より先に自分が死にたい、妻を亡くす悲しみを味わいたくないと思う弱い僕ですでは、また(^^)/~~~
2011年05月24日
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娘が嵯峨野で1人暮らしを始めて20日位経ちました 彼女は、1人暮らしが非常に気に入っている様子です 先日、プリンタを買って欲しいと言ってきました それなら、この連休に買ってやろうか この連休は、3日は仕事片付けに行き、4・5日とゆっくり休むつもりでした 3日の朝 娘に「連休の予定は?」とメールを送りましたが返事がない 仕方なく会社に向かおうと駅へ… 電車に乗ってドアが閉まった所にメールが返ってきました 「今日だけ休み、後はバイト」 なんと、父はその日だけ仕事で後は休みにしようかと そこで僕は、急きょ途中の駅で電車を降りて、逆向きの電車に乗り換えた 妻子にメール 「出勤は取り止め。家に戻って来るまで嵯峨野へ行きます」 大急ぎで妻と下の娘のちび3乗せて、京都駅前のヨドバシカメラへ そこで、ちび2と落ち合って、プリンタを買い、アパートへ プリンタを設置して、ご飯食べて 嵯峨野の座布団専門店へ行きました ここの座布団は全て一枚一枚手作りだそうです 一枚の座布団に、部分によって違う素材が使われていて、とても座り心地良く、なんだか背筋がしゃんとする感じがします ちょっと値が張りましたが、健康のため夫婦の分を買って帰りました それから、久しぶりにちび2が帰宅することになり(ほとんど僕が無理強いした)、夕方わいわいと帰ってきました 夕ご飯はお好み焼き食べて大満足 翌朝、僕は会社へ、ちび2はバイトへそれぞれ出発 ------------------ 昔、実家にいた頃、たまに姉が帰ってくると、日頃無口な父がそわそわして嬉しそうだったのを思い出しました 娘には、たまには帰ってきて欲しいな(←本音)
2011年05月05日
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昨日のTVで、津波で何もかも流されてしまった子供達のジャスバンドのニュースをやっていた 楽器も楽譜も校舎も失くし、音楽から遠ざかってしまった子ども達 少女は、泥まみれになって見つかったギターをなでる 小柄な彼女の為にと父が買ってくれたギター はヒビが入り、弦は錆び、音を出すことはなくなっていた トロンボーンの少女は、毎日楽器は無いが、スライドを動かすイメージトレーニングを欠かさない そのようななか、ジャスの本場ニューオリンズか、新品の楽器一式が届く 大喜びで練習を始める子ども達 やがて彼女達は避難所の前でジャスを演奏する 聴き入る老若男女 スウィング、スウィング、スウィング おばあちゃんまで、身体を左右に揺すっている 見るからに頑固そうな小父さん 何時の間にか、ハンカチで眼を押さえている ラストは「ふるさと」 山は蒼きふるさと 水は清きふるさと ほとんどの方々が泣いている 「元気をもらいました」 「必ず、もう一度町を元気にします」 これこそが、音楽なんだ これこそが音楽の力なんだ 僕は、スーツ脱ぐのも忘れ見入ってしまった 上手い下手なんかじゃ無い もう一度生きる力を奮い立たせる事こそ、音楽の本当の凄さなんだろう 行きたい 今すぐにでも被災地へ飛んで行き、昼間は瓦礫の片付け、夜は小さな本番をやりたい 叶わない今の状況が悔しい ジャスバンドの子ども達には、どうか元気で周りの人達を力づけ、そして自分たち自身も元気になり、幸せになって欲しいと願わずにはいられなかった
2011年04月27日
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2011年04月09日08:11 おはようございます 土曜日の今日は、これから仕事片付けに行き、夕方から次女の買い物に付き合った後、家族で外食予定です 娘は大学2年ですが、来週末に京都市内のアパートに引っ越して一人暮らしを始めます それで、今晩は一つの区切りって訳じゃ無いんだけど、夕ご飯食べる事に... 家族の中でひときわ陽気な次女が抜けると、寂しくなるだろうな 僕は高校出て京都に来て一人暮らし始めました 本人は嬉しくって楽しくって仕方がありませんでしたが、末っ子の僕が最後に実家を出た時、家族はきっと寂しかっただろうなと、今頃気づきました 子供はいつか巣立ちます これからは、少し離れたところから静かに見守ってやりたいと思います ----------------------------- 被災地では一万人を超える方が亡くなり、同数以上の方が行方不明になっています これら多くの方々、さらにご家族、友人知人それぞれに、関わって来た思い出があり、愛情があり、ずっと見守り、育てて行きたかった思いがあったと思います 被災者ではない我々は、皆さんの気持ちに、寄り添い、決して一人ぼっちなんかじゃないんだと、強く伝えて行きたいものですね どうか、現地が平穏でありますように
2011年04月09日
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2011年04月08日07:52 寒さも一段落して、春らしい暖かさになりました 今日は、天気予報に久しぶりに雨マークがついています 雨も降らないと困りますが、満開の桜のために少しだけ待って欲しい気もしますね さて、昨晩は宮城で大きな余震があったそうですが、被災者の皆さんは大丈夫だったでしょうか? 案じます 世界中で支援の声が上がり、日本を助けてくれています かつて日本人は「エコノミックアニマル」と称され、世界中で金さえあればなんでも出来るという傲慢な態度を振りまき、白眼視された事もありました にもかかわらず、世界中が日本を応援してくれています この温かな思いに応え、日本は一致団結して復興し、世界に向かって倍も三倍もの恩返しをして行かなければならないと思います どうか、行方不明の方が早く一人でも多く見つかります様に、被災者の心が一日でも早く癒えます様にと、強く祈ります
2011年04月08日
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2011年04月05日06:34 おはようございます 日記を書く事で自分が生きているんだと確かめています 日射しは、しっかり春なのに、気温は低く、コート無しではいられません 朝刊に、屋根に乗って漂流の末、3週間振りに救助された、わんこが飼い主と奇跡の再開を果たした事が載っていました 3週間も生きていられた事がまず奇跡、飼い主も生きていて、喜びの再開をした事は、またまた奇跡 きっと、私たちに、生命の不思議さ尊さを教えるために、このわんこは助かったのでしょう 若い愛人と一緒に幼い我が子を虐待死させた母親のニュース たにんの生命を守るため、命を落としたり、今も命がけの作業を続ける人達 どれも、今の日本に起きている現実です この大切な命や、思いを次の世代につなげて行く為、今ここにいる事の不思議さに感謝し、元気な日本をもう一度作りたいと思います では、今日も元気にまいりましょう\(^o^)/
2011年04月05日
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このところ、mixiでばっかり日記を書いていてこちらに書いていませんでした今日は、mixiにのせた日記をこちらに転載します【4月4日の日記】2011年04月04日22:48気合い入れて仕事片付け、9時半に会社出たのに、地下鉄は出たばっかり、京都駅でも快速は出たところ 普通なら家まで1時間位なのに、今日は半時間余計にかかります でも、それはダイヤどおりなんだから、誰も責められませんよねえ(^^) さて、今回の震災は、大きく三種類の災難が一度にやって来ました ひとつは、地震そのもの 史上稀に見る規模の大地震で、揺れそのものによる、建物の倒壊なども大きかった 二つ目は、言わずと知れた津波の恐ろしさ 陸地を舐めるように侵食する津波の前に、人間は余りにも非力でした 三つめは、原発の事故でした この被害は、まだまだ拡大しそうであり、我々が文明の恩恵を享受し、危険を省みなかったツケが、何の罪も無い美しい街に暮らす人達にもたらされてしまったのです はっきり言って、僕も原子力について余りにも無知でした 僕に限らず、この国で原子力の事は、 原子力絶対肯定推進派か、絶対反対派かの情報しかなく、反対派の多くは、イデオロギーに牛耳られており、時に暴力的手段に訴えるやり口から、国民の多くは距離を置いていました また、原発反対と言いながら、同じ口で、火力発電所反対派の、ダム 反対、なんでもかんでも反対反対反対反対 それなら代わりのエネルギーをどうするかといえば、代案はない 僕は、恥ずかしながら、今回の震災が起こるまでは原発は必要で安全だと信じていました そうではないと分かった今は思います もう一度、昔に戻ってはどうかと 昼は電気を点けない 夜は早く寝る ビルは半分にして木を植える 夏は外に打ち水をする 団扇片手に縁側でスイカ食べながら夕涼み 冬は、一枚二枚、重ね着して、たけのこ生活もいいじゃないか 旅行は列車でガソリン焚かない そうしているうちに、今まで考えもつかなかった奇抜な方法でエネルギーを取り出す術を発見する 安全でクリーンで永久的なエネルギーが\(^o^)/ 何百年か先、今回の大地震がきっかけで、エネルギーの大変革が起こり、世界に争いや、貧困はなくなったと教科書に載る そんな途方もない夢よ、叶え~っ!
2011年04月04日
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昨日の日曜日は、(ケガでダウンの先々週を別にして)久しぶりに休みました 朝から妻と愛犬の検診と予防接種に行った後、家族と昼食、午後から免許取りたての長女の運転で買い物 帰ってお昼寝 夕方に帰って来た次女(間もなく家を出て一人暮らし)の所帯道具を買いに… 帰宅してすぐに、楽団の練習へ 練習も地震以来初めてでした いつもの愉快な仲間や、見学に来られたプレーヤーさんと、面白厳しく吹いて来ました 何事も起こらなければ、毎週がこんな生活だった 普通の日曜日 だけど、普通でいられるって事は、本当はすごいことなんだ 社会が正常に機能し、家族に病人もなく、もめ事も無く、仕事も休みが取れる こんな当たり前のことに、深く感謝し、喜びを感じた一日でした さあ、また新しい週がはじまります 一生懸命自分に出来ることをやり、週末は休もう 京都では、桜が咲き始めました どうか、被災地の方々のこころにも花が咲きますように(^^)/~~~
2011年04月04日
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おはようございます うららかか日射しの朝です さて、今日4月1日は、私が我が社に就職して31回目の記念日です 入社当日から、 「とんでもない所に来てしまった」 というのが正直な感想でした 果たしてここでやって行けるのか、心底不安であったことを思い出します それから今まで31年間。 有頂天になったこともありました 奈落の底に突き落とされた事もありました 結婚もしました 子供にも恵まれました マイホームも手に入れました それに、仕事場で,または私生活で,とても素晴らしい人との出会いがあり、悲しい永遠の別れもありました いずれにしても、僕と家族の幸せは、この会社があってこそのものであると思います 自分達に託された使命は、金になろうとなるまいと、必ず果たす 世のため人の為に力になるというのが仕事であるというのが僕の考え方です もっと楽な部署に代わりたいと思った事は、何度もありました 何もかも投げ出して、失踪してやろうかと(^ ^)考えた事も、恥ずかしながらあります でも、幸いにも 僕は今日も職場に向かっています 勤勉さや、愚直さを嗤う風潮があります 楽な仕事、収入の高い仕事、流行りの仕事に人気が集まります しかし、今の日本は、愚直で勤勉な先輩方が長い年月をかけて築いて来られたのだという事を忘れてはならないと思います 今朝の電車で僕の隣に座っている方は、黒のスーツを決めて、きちんとした座り方をして、多分入社式の説明であろう印刷物を見ている お隣さん、就職おめでとう! 親父は言いたい 簡単に諦めるな シャングリラの様な職場なんてない でも、厳しい環境であろうと職場を愛で満たす事は出来る それはあなた次第だ ----------------- 被災地も少しは温かくなっただろうか? どうか、一日も早く、被災者に笑顔が戻るようにと祈ります
2011年04月01日
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おはようございます 昨日は、三女「ちび3」の17歳の誕生日でした 娘よ、おめでとう! 悲惨な被害に合われた方が大勢おられるのに、おめでとうと言ってもいいものかと迷ったんだけど、この世に生まれて来て、この先の人生には、様々な出会いが待っている。 計り知れない可能性を持つお前に、父はやはりおめでとうと言いたい\(^o^)/ 娘と同い年でも、今回の地震で命を落としたり、家や家族を亡くされた方は、大勢いらっしゃると思う。 今を幸せに生きている娘には、生きる事の不思議さや、喜びを感じる人間になって欲しいと思います 自分が持たない事を、卑屈に思い、人を羨んだり、逆に持っているからと、持たない人を見下げたりということを絶対にせず、ただ、今ここにある幸せ、不思議さに感動出来る人になって欲しい この先の人生で、迷ったり悩んだりすることはたくさんあるだろう そんな時は、自分にとっての損得ではなく、それが世のため人の為になっているか、どちらが人の笑顔に繋がっているかを基準に判断して欲しい 自分の選択によって人が悲しむことになるなら、きっとそれは間違っている 数え切れない位多くの人の、思いやりや愛情があって、今の父や君たちがいる だから、娘たちも誰に対しても思いやりを持つ人になって欲しいと思います それと、産んでくれたお母さんは、何があっても大事にして下さい ------------------- 自宅滞在時間、7時間 娘の顔も見ず、おめでとうも言えなかった すまない 被災地の苦労に思いを馳せながら、今日もできる限りの仕事をしたいと思います
2011年03月30日
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おはようございます 昨日、栄転の挨拶に来た若手のN君は、 「長いことお借りしました。ありがとうございました」 と言って、 一冊の本を渡してくれました http://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/4893469622/ref=redir_mdp_mobile/377-1083438-6067602 「鏡の法則」野口嘉則著 総合法令出版 この本は、僕の座右の書としている一冊です 「貸してもらった時は、仕事も、会社の人間関係も行き詰まり、家では女房とも険悪で、思わず子どもに当たってしまうような毎日でした。その時にこの本を読んで、自分がそう言うものを作っていたんだと分かりました。昨晩、もう一度読み返しました。先輩の考えって、こうだったんだと、納得が行きました。新しい部署はどんな事が起こるか分かりませんが、頑張ります」 僕はこの本は数冊持っていて、いつも誰かに貸しています 彼に貸していた事は、忘れていました でも、よく見ると、返してくれたのはとてもきれいな本で、どうやら彼は自分で新品を買って来て返してくれたみたいです 新品買ったならそれを手元に置いて、古いのを返せばいいものを、…律儀だなあ 彼には、愛情を持って若手を育てる幹部になって欲しいと思います さて、今朝の新聞に、東北高校の甲子園戦が報じられていました 派手な応援の無い試合でも、全国の人々が現地に思いを寄せている事を、被災地に届けられたのではないかと思います 東北高校に対する声援は、そのまま「地震や津波に負けるな!」 という全国からの声援である 負けるな!被災地 負けるな!日本
2011年03月29日
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非常時に自粛を求められるのは、一番に歌舞音曲 甲子園でも鳴り物入りの応援の自粛 吹奏楽入りの応援はダメ あちこちで、イベントなどが中止になっている 被災地が苦難に直面し、悲嘆にくれているのに、という気持ちは分からないでもない しかし、僕はこんな時であるからこそ、甲子園では、明るく派手な、吹奏楽入りの、チアガールはポンポン振り回し、笑顔一杯で「頑張れ!頑張れ!」とエールを送って欲しい それはテレビを通じて被災地の皆さんが見たら、きっと自分達に向けられたエールに聞こえるであろうし、事実応援する側はまさそのような気持ちで大声を上げているに違いないからだ また、大きなイベントもどんどんやり、その中から、募金や収益の一部を復興のために使ってもらうなど、影響力のある手段を用いて、 被災地を応援したいものだ 要は、「愛」がこもっているかだけが、判断基準と考えていいと思う
2011年03月25日
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おはようございます これから暖かくなると、修学旅行のシーズンがやって来ます ここ京都には、日本中から修学旅行生が見えます 当然、今回被災されたみちのく、関東、北海道からもたくさんの方が訪れます 以前、仕事帰りにお寺に寄った時は、東北からの高校生の団体が来ていて、話してみると、京都に住む僕が赤面する程、歴史や京都をよく知っていて、口々に「京都が大好き」と、言っていた あの子達は無事なのだろうか? このように京都は観光面で今被災されている方々から、多大な支持を得て、国際観光都市と呼ばれるに至っている いうなれば、全国の人々のお陰で現在の京都がある訳だ 京都に住む我々は、今こそ被災地に日頃の御恩返しをしなければならないと思います 被災地の一日も早い復興を祈ります
2011年03月24日
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地震以来実に200時間以上倒壊した家屋に閉じ込められていた少年とお祖母さんが救出された わずかな空間、冷蔵庫のわずかな食べ物、10日目にしてようやく外に抜け出る事ができた事など、偶然の重なりが、奇跡となった 新聞によれば、救出時に警察官が「将来何になりたい?」と声をかけると「芸術家」と答えたという 命からがらの救出時に、将来の夢などあったものじゃないというかも知れないが、この質問で少年は「自分は助かったんだ、将来があるんだ」という気持ちを強くした事は想像に難くない また、父親の「自分達だけが助かって、申し訳ない気持ちで一杯」とのコメントも、幸運を手放しで喜べない被災地の窮状を現している どうか、少年は芸術家になって、彼にしか出来ない方法で傷ついた人びとを癒す人間になっていただきたいと思う また、原発の放水作業にあたった消防官に奥さんは「日本の救世主になって」とメールしたという 誰しも自分の夫には危ない仕事などして欲しくない 仕事を辞めてでもここにいて欲しいというのが本心であろう しかし、奥さんはこの仕事は誰かがやらなければならないし、誰にでも出来る任務ではない事も分かっていた 放っておけば、日本中に放射能の危険が及ぶ 「あなた、あなたは私が止めたって辞めるような人ではない。だから、私はあなたと一緒になったんです。どうか、気を付けて行ってらっしゃい。そして、必ず帰って来てくださいね。日本の救世主として必ず帰って来ると約束してください」そう言う思いでメールされたんだろう 彼らは自分の命を賭けて何千万人もの命を救ったのだ 自分さえ良ければという人間の多い中、このような人がおられる事に、同じ日本人として誇りに感じる
2011年03月22日
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少しずつ、テレビが通常の番組に戻って来た しかし、普通の番組を見る気は起こらない ところで、被災地では、どの様な放送がなされているのだろう ニュース番組は、非常に重要である事は論を待たないが、僕はそろそろ娯楽番組が必要なのではないかと思う プライバシーが極端に制限された空間 耳にはいるのは、暗いニュースばかり 僕は、こんな時だからこそ、子ども向きの娯楽番組 歌番組、バラエティー番組を放送してあげて欲しいと思う むずがる小さな子が、少しでも笑う事が出来るなら 不安におののく人達がひと時だけでも、きを紛らわせたり、互いに知らない人同士が、歌を口ずさみ、一瞬でも笑顔になれるなら 数年前の台風の時、水没したバスの屋根で一晩過ごした人達は、皆で歌を歌って過ごしたという 番組が、被災者を傷つけるものでないか、厳選しなければならないが、この様な災難であるからこそ、「にもかかわらず笑う」という事が必要なのではないかと、思うのだ どうか、今日は被災地が安寧でありますようにと、祈ります
2011年03月19日
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被災地が冷静である一方で、日本各地で食品類や生活用品を買い漁る傾向が見られるとのことそれらが被災地に送られ、店頭から消えたのなら、それは仕方ないことしかし、食糧がなくなると言うデマがデマを呼び、震災とは何の関係のない者が買い漁っているなら、それは餓鬼の所業以外の何物でもない買い占めさえしなけりゃ、我々の前から米やパン、即席麺がなくなることはないよしんば無くなっても、他のものを食べればいいそう簡単に飢え死になんてしない!買い占めることで、被災地に回るはずの食糧がなくなることこそ、大変なことなのだ諸外国の多くが被災地の皆さんの冷静な行動を称賛されている被災地ではないところに住む我々が、餓鬼になってどうする被災地以外なら、好き嫌い言わなければ、食べ物がなくなるなんてことはない心を被災地に向けよう当分、自分の事は二の次でいい心を合わせ、エゴを捨て、救出と復旧に協力しようではないか!!
2011年03月17日
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一昨年、次女が山形の大学に行きたいと言う事で、親子3人でオープンキャンパスに行った 仙台で泊まり、山形までバスで1時間 どちらの街も、とても美しく、こんな街で住みたいとさえ思ったものだ 結果として、娘は山形の大学に行かなかったが、もし行っていたら、今頃どれ程心配していただろうか 家族の行方が分からず、瓦礫のしたに埋まっているだろうとは想像出来ても、この目で確かめるまでは生きていると信じたい また、もし亡くなっているのであれば、早く見つけ出して、きれいに弔ってやりたい、それが真情であろう また、救出に当たる各機関の方々も、一縷の希望に自分を奮い立たせ、あるいは、無念にも命を落とした人を少しでも早く、遺族のもとに返してあげようと、渾身の力を振り絞っておられる 自分の家族の行方が分からないのにも関わらず、他の被災者の救出に懸命に尽くす関係機関の方々 外国からの温かい援助や、日本に向けた励ましのメッセージ、日本人選手が在籍しないにも関わらず、日本へのエールを横断幕に書いてくれたチーム 本当に尊い姿です 絶対に忘れてはなりません 日本全国から、警察消防医療機関、自治体や電気ガスなどの関係団体などから応援が駆け付けています 被災地以外に暮らす我々は、これらの機関に、今は出来るだけ迷惑をかけないようにしたいものだ そして、 被災地の方々を慰め励まし、傷ついた心身を、少しでも癒し、再び日本人の故郷とも言える、美しくみちのくを再生出来るよう、役に立ちたいと思います 負けるな! 頑張ろう、日本!
2011年03月15日
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明らかになる度に、増えていく死者・不明者数 現地で家族をなくされた方、家族の安否の分からない方 、または住んでいた家を無くし、職場を無くし、財産を無くされた方は、どれ程不安で心細い毎日を過ごされている事だろうか? 考えただけでも涙が出て来る 諸外国から救援、支援の手が差し伸べられている 本当にありがたい事です 被災地以外に暮らす我々にとっても、地震は決して他人事ではない 日本に暮らすものとして、今回の地震は、自分の親や子ども、兄妹の災難であり、国力の喪失という観点から言えば、これはまさに自分自身に降りかかった災難である 戦争中、「欲しがりません、勝つまでは」というスローガンがあった 戦争に勝つまでは贅沢をしないというものだが、僕は今「欲しがりません、克つまでは」と言う気持ちを持ちたいと思う この国難に打ち克つまでは、欲しいものを我慢しよう、華美な生活を慎み、余ったお金を義援金に回す タクシーを止めてバスにする バスに乗らずに歩く 本を買わずに、以前読んだものを読み返す ランチを止めてお弁当にする 飲み会を止めて缶ビールにする 節約しようと思えばいくらでも方法はある 被災地の方々に笑顔が戻り、復興の兆しが見えるまで、自分の身の丈に応じた事をやって行きたい そして、日本人として忘れてはならないのが、今回全世界から寄せられた、救援、義援金などの善意の輪である 私たちは、決して一人ではない 全世界の人たちが、我が事のように心配し、手を差し伸べてくれている 本当にありがとうございます 今は、善意に甘えようではないか そして、受けた情けは石に刻み、復興したあかつきには、全世界に恩返しをしていこう さあ、自分に出来る事から始めよう!
2011年03月14日
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今朝方に見た夢は、面白かった まず一本目 僕は故郷の山道を歩いていました 生家から小学校までは、子どもの足で小一時間 車の通らない山道を歩きます もちろん今はみんなクルマを使うので、山道の存在すら、誰もが忘れていると思います 夢の中で僕は、山道を生家に向かって上っています そこでふと思い出しました 確かこの辺りで、野いちごを帽子一杯に採った事があったよなあ 山道から少し藪に入ると… あるわあるわ、秋に実を付ける木いちご、それに春の野いちごが同時にこれでもかという位、成っている 両方摘んで食べてみる 昔は、春の甘い野いちごが大好きだったのに、今は、秋の酸っぱい木いちごがたまらなく美味しい 摘んでは食べ、食べては摘んでいると足下で何かが動いた 尻尾がニョロニョロ 蛇だ! 蛇は僕の膝に乗って来て、イチゴをくれとせがむ 蛇が苦手の僕だが、不思議と怖くない だが、イチゴをやるのは嫌だ そこで目が覚めました 2本目の夢夢の中で僕は、朝に若い知らない女性と歩いていました どうやら、前の晩はその人と過ごしたようでしたが、僕らは一晩中面白おかしな話で盛り上がりましたが、男としてその人をどうしようという気は全く起こらず、極めて健全に朝を迎え、京都駅を歩いていました その日は仕事は休みのようで、僕は早く帰って眠りたいと思っていましたが、相手の女性は、どこかで朝ごはん食べて一日中遊ぼうと言っています 「君、ええ加減にせえよ。オレは帰って寝たい。それに今日は女房も仕事休みだから、もし京都に買い物にでも来て偶然ばったり出会ったら、誤解されて痛くない腹を探られるやないか」 「固いなあ、パパさんは(-。-; ま、仕方ないか?じゃ、また遊びましょうね、パパさん」 そう言うなりその人は、僕のホッペにチューをしたんです その瞬間 「見たで~!」 という聞き覚えのある声 あっ、ワイフである 「なっ、なんでお前がここに」 「あんた、毎日咳が止まらんって言ってたのに、夕べ帰って来ないから、どこかで倒れてるんじゃないかと心配で、一晩中探しまわったわ。 そやのにあんたは、その子と一晩過ごし、挙句の果てに、チューかいっ!」 ワイフは駅地下の階段に倒れ込みながら、恨み言を続ける 「落ち着け、聞いてくれ。オレはこの子に指一本触れてへん!」 「ええい白々しい!チューしてたやないか!チュー」 「それはこの子が勝手に!」 「ええい、男らしくない!何をやったか正直に言わんかい?」 そういわれてもほんまに、してないんやもんなあ( i _ i ) ってところで目が覚めました 覚めてから結構笑えました
2011年02月13日
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みなさん、おはようございます暦の上では、昨日が立春昨晩は、以前仕えたお偉いさんの退職の送別会に行ってきましたその人とは2回同じ職場になりました一度目は10年以上前で、猛烈に厳しい上司でした仕事のために家族との約束を何度反故にしたか分かりません二度目は今から3年位前で、その時は以前とはうって変わって温厚な人物になっていて逆にこっちがツッコミ入れたり笑わせたりと、非常に愉快な仕事をしました昨晩彼は一度目の時の事を「まっちゃんは、気づいてたか分からんが、あの時は、最前線やった。君らがこけたら、会社としてお終いやったんや。」言われて見ればあの頃は、組織の転換期で、分からず屋の石頭相手に毎日が戦争だったような気がします昨晩僕は、スピーチで、彼の昔の暴露ばなしや、ものまねをして場内大爆笑最高に楽しい宴会でしたさらに、うれしかったのは、3年前に退職された相棒で大先輩のおK女史が参加し、積もる話をたくさん出来た事でしたたくさん書きたいんだけど、会社に着いてしまったので、また後ほど\(^o^)/
2011年02月05日
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皆さん、どんな大晦日をお過ごしですか?今日、京都市内は多分初雪なのに、ものすごい(京都にしては)大雪今朝家を出るときは、もしかしたら降るかな?程度だったのに、会社に着いてから降るわ降るわ写真のとおり(^o^)実はせっかくの休みで雪なので、仕事場から神社仏閣直行して、雪景色を撮ろうかと思ったんだけど、この分だと自宅も大雪だろうし、家族が大雪でどこにも行けずにいるのに、自分だけが京都観光するなんて…と、地味に嫁さんに気を遣い、仕事を切り上げて自宅に直帰したが、なんと自宅付近はぜんぜん降ってない、積もってないなんだか、肩すかしを食らわされたような天候でしたさて、例によって、私の今年のダイジェスト日記を書きます○1月 35年振りに出場したアンサンブルコンテスト残念ながら銅賞でしたが、4人の仲間が心を合わせて練習を積んだことは貴重な経験となりました限界までの忙しさの中、自分の仕事が評価され、また頑張ってやっていこうと心を入れ直しました1/31若き隣人の急逝で命の儚さ、尊さを実感しました○2月長女が成人式を終えた記念に家族で写真館に記念撮影に行きました元同僚のパワフル女子、国宝醍醐寺にて行われた五大力尊仁王会の力自慢餅持ち上げ大会に出場、みごと3位入賞○3月次女の高校卒業式に夫婦で参列してきました娘は答辞を読ませてもらい、感動するやら、異様に長い校長先生の式辞に笑いこらえて死にかけるやら、楽しい卒業式になりました三女の誕生日まだまだ子供だと思っていた娘も、16歳になりました○4月僕が社会人になって30年を迎えました○5月四年振りの中学同窓会に行ってきました同級生から熱いエネルギーをいっぱいいただきました僕は楽器を持っていって演奏しました伴奏のもっちゃん、ありがとう!!5/30グリストブラスバンドコンサート2010今年は初めてお客様の数が800人を超えましたみなさんありがとうございました○6月先月に続き、今度は高校の同窓会実に10年振りでした同窓生のみんな、ありがとう○7月ちび2の学校の招待で、真言宗大覚寺派総本山大覚寺を見学・参拝してきました僧職の方から直接案内や説明をしていただき、久しぶりの京都を満喫しました○8月吹奏楽コンクール、今年は銀でした貴重な学びを得たコンクールでした中学の恩師の息子さんの陶人展に行ってきました本物の発するオーラをしっかり吸収しました懐かしい下鴨の地をしっかり探索してきました34年間、四条河原町に若者のランドマークとして君臨した「四条河原町阪急」百貨店が閉店しました今は昔、僕もここを待ち合わせの定番としていましたありがとう、四条河原町阪急○9月残暑の中、駅の音楽会に出場してきましたおKさん、暑い中応援に来てくださって、ほんまにありがとうねギネス以上の記録!滋賀県長浜市の浅井中学校270人271脚でギネス記録を打ち立てたと思ったら、実はゴール直前に一人の足のひもがほどけていたと自ら打ち明けた田舎町の小さな中学校の学生や先生、保護者の誠実な姿勢に、本当に尊いのは記録ではなく、正直であるということを教えられましたグリストブラスバンド第1回修学旅行練習や本番とは違うメンバーの良き一面をみることが出来ました○10月携帯をi-phoneに変えました今年一番のいい買い物でした南米チリの鉱山に閉じこめられた人々がただ一人のけが人もなく、救出されました北に拉致された被害者もこんな風にカプセルで救出出来たらどれほどうれしいだろうと考えてしまいました○11月今年も無事に、結婚記念日を迎えました妻よ、いつもありがとう○12月16日温かな音楽仲間と忙年会をしましたいつもながら、最初から最後までしゃべりっぱなし、笑いっぱなしで、一年間のもやもやが飛んでいきましたみんな、新年会でもよろしく頼みます宇治駅前他3カ所でクリスマス街頭ライブをしました26楽団締めくくりの忘年会がありましたお世話をしてくれた厄月ゆうくん、ありがとうさて、皆さんはどんな1年でしたか?来るぺき新年が、皆様にとって幸せに満ちたものになるように祈っています今年も一年間、ほんとにありがとうございました
2010年12月31日
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みなさん、お久しぶりですこのページも放りっぱなしで、こないだ自分で覗いてみると、表示されない写真がたくさんありますどうやら、画像を保存していたインフォシークの無料のファイルマネージャーのサービスが終了してしまったようです古い日記や、フリーページの写真はほとんどパーになってしまいましたでも、考えてみれば、お金も払わないのに長い事、サーバーを提供してくれたインフォシークって、すごいなあ消えてしまった写真は残念だけど、インフォシークには、とても感謝しています長い事、ありがとう デジものサービスって、結構流行廃りがありますね一時期、こぞって楽天ページをアップしていたかと思えば、次はmixiに夢中、その次はツイッターを一生懸命やって、今はなんだか、何もせずにぼーっとしています ブログもしばらく休んでいましたが、またぼちぼち楽しい日常を発信していこうかなと思っています皆さん、これからもよろしくお願いいたしますね
2010年11月20日
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昨日(土曜日)、会社にいると妻からメールが来た 「車がパンクして、買い物に行けません」 何~っ、休みも家を放りっぱなしの亭主にキレて、とうとうパンクさせたのか? 電話してみると、妻は笑っている どうやら、偶発的なパンクのようだ 昨日は夕方早めに切り上げて帰宅した 確かにパンクしている…が、暗くてよく見えない 今朝早く目が覚めた 今日は雨との予報 まだ降り出していない はやくスペアタイヤに履き替えないと、雨の中びしょ濡れの作業になる この車(シエンタ)、まだ一度も自分でタイヤ交換をしたことがない スペアタイヤが格納してある場所は分かるが、ジャッキは何処じゃ この車、中古で買ったのでマニュアルがついていない ネットで調べる …助手席の下かあ ジャッキをセットして、ジャッキのハンドルを回す が、ハンドルのクランクの幅が狭く、めちゃくちゃ重たい 前のエスティマは車は重かったがジャッキはもっと軽かった ようやくスペアタイヤに履き替え、ディーラーに持って行き、修理して貰った タイヤには、しっかり釘が刺さっていました それにしても、この頃の車はパンクしない 昔は、長距離を走ると必ず路肩でジャッキアップしている車や、オーバーヒートしてボンネットを開けている車があったものだが、この頃は滅多に見なくなった 車を買うとき、やれ見た目がどうだの、エンジンがどうだのと言うが、いかに見た目が良くてもエンジンに馬力があっても、釘1本で車は機能を果たさない 我々の社会もそうだろう 社長がどうだの、幹部がどうだのと言ったところで、最前線の社員の故障で社会は機能しないのだ 見た目、エンジンなどとタイヤは決してどちらが上と言うことはないのだ
2010年10月03日
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先日、滋賀県長浜市の浅井中学校の体育祭で、生徒が270人271脚を成功させ、ギネス申請するというニュースがあった今朝の新聞を見ると、ゴールの数メートル手前で1人の生徒の足のひもがほどけたと、本人から申し出があり、学校はビデオで検証し、映像では事実の確認はできなかったが、申し出を尊重して、ギネスへの申請を断念することにしたと報じられていた近頃の胸くその悪くなるニュースの中で、今朝ほど感動したニュースも少ないまず、申し出た生徒黙ってたら分からないかも知れない誰でもそう思うだろうしかし、自分の良心に照らして本当にそれでいいのかと葛藤し友人に相談した友人「誰も気付いてないやん、黙っとけ」というのは一番簡単でも、友人は正直に言うようアドバイスこれを受けて本人は母親に相談母親正直に言えば学校で子どもが責められるかも知れないしかし、正直に申し出た子どもの誠意をどうか通してやりたいと学校に相談学校疑念断念は残念だが、正直に申し出た子どもの気持ちを汲んでギネス断念現在の日本の大人社会で、これだけ誠実に生きている人間が果たして何人いるかこのニュースは、子どもの頃の道徳の教科書以上に、正直に生きる尊さを教えてくれている滋賀県の田舎町の、正直なこの素晴らしい中学校にどうか幸あれと祈らずにはいられないギネス以上のギネスです
2010年09月16日
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先日、中学の担任の先生の息子さんが出品されている韓国古陶磁探求陶人展を見に行った事を日記に書いたところ、先生がお礼のお便りが届きました先生からにお便りには、展覧会に来てくれたお礼、いつもこのブログを楽しみに読んで下さっていること、僕がいい家族と仲間に恵まれて幸せな事、更にはこれからも身体を大事にがんばって欲しいと言うことが書かれていました先生、ありがとうございますすぐに返事を出さないとと思ったんですが、ご存じのとおりの悪筆で、ペンを握って書いたら出すまでに秋になってしまうので、ブログでお返事を書きます今年は、京都に限ったことではないと思いますが、酷暑で、夜も寝苦しい毎日でしたここ数日少しましになったように感じています私が先生の薫陶を受けたとき、先生はまだ30歳だったように記憶していますその私も、とうとう50歳の大台を超えました当時は、先生の教えも素直に聞くこともなく、きっと困った生徒だったんじゃないだろうかと思います自分も、子供を持ち会社でも後進を育てる立場に立ち、ようやく当時の先生の親心や、苦心がほんの少し分かるようになりました一生かかっても先生の足下に及ばないとは思いますが、自分なりに先生から受けたご恩を、次の世代に引き継げたらと思っています今日の新聞に吉野山の桜を守るためのライブが開かれたと報じられていましたいつの日にか、私も故郷に恩返し出来たらなと、考えましたとりとめのない日記になりました先生、僕は先生の教え子であることを誇りに思っていますどうか、身体を大事にされて、ご家族共々お元気にお過ごし下さいブログ上での、失礼な返事をどうかお許し下さいね
2010年08月29日
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↑前回の駅の音楽会での演奏おはようございます来る9月5日(日)午後我々グリストブラスバンドは、1年半振りに、京都駅ビルで開催される「駅の音楽会」に出演致します出演は午後3時半頃になると思いますブリティッシュブラスならではの、ダイナミックで楽しい演奏をお聴かせ致しますみなさん、是非来て下さいね
2010年08月25日
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今日は、10時から5時まで社外で研修一旦出社してから向かうとすると、会社到着してすぐ出発しかも講習場所は自宅と会社との中間かといって、出社しないと欠勤になるので、しっかりと朝1時間、夕方1時間の年休を取って、自宅から直行直帰おかげでいつもより1時間遅く起きて、さくらも散歩に連れて行きましたでは、ゆっくり行ってきます
2010年08月24日
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おはようございます一昨日の晩は、京都大文字五山送り火が焚かれました送り火が終わると京都も少し暑さも和らぎます昨日、仕事中かつての同僚のパワフル女史がやってきましたくれたのが上の写真「はいこれ!大文字の…」「うわぁ、これ本物の大文字の消し炭やん」なんでもパワフルさんは、朝の5時から大文字山(東山如意ヶ嶽)に消し炭を拾いに行き、お裾分けに下さったのです大文字の消し炭は、京都では古くから、病除け・厄除けのため、半紙に来るんで水引をかけ、玄関に吊すと良いと言われています送り火の翌日には京都中から消し炭を拾う人が一斉に登山し、午前中にはなくなってしまうそうです貴重なものを頂きましたパワフルさんありがとうでは、今日も元気に行きましょう
2010年08月18日
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昨日出場した京都府吹奏楽コンクール残念ながら銀賞でした金賞は連続3で止まりました今年コンクールに出ることは、非常に厳しいものがありました果して、エントリーして大丈夫かメンバーは揃うのか奏者全員が揃ったのはコンクール当日でした銀と言う結果には、メンバーそれぞれの思いがあると思いますしかし、僕は出てよかったと思っています勝てる時にだけ試合に臨むのではなく、負け戦は負け戦として、しっかり心に刻み、この悔しさをバネに、また新たなメンバーを迎えて楽団を盛り上げ、いつか「あの年の『銀』があったからこそ、今のグリストがある」と笑って振り返る日まで、また一から頑張って行きたいと思いますこんな僕を今年も大きな舞台に引っ張り上げてくれた指揮者始め楽団のみんな、本当にありがとう
2010年08月02日
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おはようございますこのところ、仕事が多忙で帰宅してから翌朝家を出るまでが6~7時間しかありません(T_T)☆アクセスカウンターをみると、あと30位で24万アクセスですここにブログを設置したのが2003年の6月だから7年間続いた訳です調子よく毎日日記を更新して、何百というアクセスがあったのは昔のことで、この頃はほとんど独り言状態ですでも、ここで知り合えた素敵な人たちは僕の宝物ですこれからもよろしくお願いしますね
2010年07月27日
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京都に来て30年余りですが、祇園祭の山鉾を一度も拝まなかったのは数えるほど今年は体力維持のため巡行はテレビで見ました以前なら「テレビで祭が分かるか!」なんて言ってたけど、専門家の解説付きなので今まで知らなかった祭の由来、しきたり、成り立ちなどが、良く分かりました京都ってほんまに深くてええ街ですテレビで得た知識をもとに来年はまた実物見ながら楽しみたいと思います
2010年07月18日
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ずいぶん久しぶりに、土日と休みました!昨日の昼間は、家族とイオンモール京都へ買い物に…本屋で買い物していると、ママから電話「シルバニアファミリー森のお家(ちび2がバイトしている)で、これから体操が始まるんだけど、ちび2の姿が見えないんで、多分出るのとちがうかな?」僕は急ぎ足で森のお家へ、でも娘に気付かれたら恥ずかしいし人混みに紛れないとね始まったメインのキャラクターの「ショコラうさぎ」と「おねえさん」ちびにはグリーンのエプロンに、ヘッドセットのマイク付けてお姉さんを熱演ショコラうさぎと一緒に体操をしながら歌いますその後、子ども達とショコラうさぎのツーショットを案内します元々あまり子どもが得意でなかったちび2が、子ども達を惹き付けて一生懸命頑張る姿をうれしく思いました終わったあと、ママが「お父さん、どうだった?」「んーー、そやな」と考えてると、すかさず「感動のあまり泣いてるんとちゃうやろな」「アホなこというな」と言おうとすると、なぜか涙が出て来ました帰宅して、夕方からは楽器の個人練習に宇治田原へ参加メンバーは少なかったけど…えらいものを見せてもらいましたベッソンテナーホーン「プレステージ」つい最近新発売された、テナーホーンの世界最高峰です福ちゃんが持ってきていて、ちょっと吹かせてもらったんだけど「全然違う」というのが印象でも、金額的に手が出ませんさて、今日もこれから練習に行ってきます
2010年07月11日
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一昨日(日曜日)は、午後からうちの娘の大学の経営母体でもある、京都真言宗大覚寺派総本山「大覚寺」へ行ってきました 大学から、見学したい人はどうぞと案内状が来たので、京都大好きな僕としてはじっとしていられなくなって、仕事は午前中で切り上げ、見学してきました 見学は、案内の僧侶の方が1人ついて説明して下さったので、一般の参拝ではなかなか聞けない話を聞くことが出来ました 嵯峨天皇と弘法大師・空海の関係 大伽藍が南北の争乱や応仁の乱で焼けて今の規模になったこと 南北朝の和解がこの寺で行われたこと いくら本で読んでも、頭の中で理解しようとしてもそれは単なる知識に過ぎませんが、直接お邪魔して僧職の方から説明して頂き、そのうえ、普段は一般公開していない宝物殿なども見せて頂きました また、僕の中の京都大好き虫がうずき始めましたあとの写真はこちらをご覧下さい
2010年07月06日
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おはようございます 写真は数日前、会社の前の路上から西の空を撮ったものです 不思議なくらい鮮やかな夕映えでした ようやく人間らしい暮らしに戻りました 僕はまず楽天にブログを作り、今はmixiメインになっています それぞれに新しい交流が生まれ、とても良かったと思っています 次にやるのは「ツイッター」かな? 使い方が分からなかったので、登録して長いこと使ってなかったんだけど、検索してみると、大好きな学者さんや論客が、分単位でためになるメッセージを発していて、見るだけでも十分に楽しめます 書き込みも140字以内なのでちょっとした暇を見つけてアップ出来るのが楽しい ちなみに、僕はツイッターでは、また1から始めたいと思っていますので、ここではリンクしません ご縁があってツイッターで出会った方はよろしくお願いします では、今日も元気にまいりましょう
2010年06月29日
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ひと月ばかりの間に2回の同窓会がありました ひと月前と今の気持ちを比較すると、ずいぶん違う 中学の同窓会までの自分は、どこかで学生時代を「思い出したくもない時代」と思っていたのかも知れない 1回目中学の同窓会を終え、なんだかとても幸せな中学時代だったんだなあ なんで今まで気づかなかったんだろうと思いました そして先日の高校の同窓会を終えたときは、過去のすべてに感謝したい気持ちに変わっていました 誰しも、またどの時代にもあまり愉快ではない思い出の一つや二つはあると思います 不愉快だから同窓会には行かないという人もいると思います ずいぶん前に、どこかで同窓会のビールに毒を入れて捕まった人の事が報道されたことがありま した 動機は、中学時代自分をいじめた奴が許せなかったのだと… その時、マスコミや世間はこぞって犯人の性格の異常さを強調したように覚えています しかし、その時僕は 「犯人の気持ちが分かる。犯人を性格異常になるまでいじめた奴が楽しく酒を飲んで、許せなかった犯人だけが異常人格とされて終わりでいいのか」 と思ったものです 僕はその犯人がかわいそうでなりません その人は、もし何かのきっかけで自分も一同窓生としてその同窓会に参加していたなら、きっと彼はそのような行いをしなかっただろう それどころか、中学時代とはまた違う同級生の側面を発見し、現在の自分を同級生にぶつけることが出来たなら… きっと、彼の積年の恨みは氷解し、そこから新しい人間関係が築けたのではないかと思うのです 人間は長い時間をかけて、変わっていきます こないだの高校の同窓会では 「イメージが昔と違う。お前、そんなに明るくなかっただろう」 と言われました そうかも知れません そして、同窓会に出ることがなければ、高校の同級生の中で、僕はやや暗い人物として記憶されたか、忘れ去られたでしょう 同窓会の度に新しい友人が出来ます 当時は話さえしたことがなかった人や、どこの誰か最後まで全く思い出せなかった人と、愉快に酒を酌み交わし、声が枯れるくらい笑い、またいつか会おうと約束して帰路につく 本当にいいものです 【おまけ】20年前の年賀状 卒業以来初めて会った吹奏楽部の友人 その人は僕を一目見て 「松島君でしょ、面影あるわ」 って声をかけてくれた そして 「高校を出てから、一度年賀状くれたでしょう?」 「そうだったかな?」 「くれたのよ。なのにお母さんがすぐに教えてくれなくて、何ヶ月も経ってから気づいたの。だから返事も出さなくてごめんね。ずっと気になってたんよ」 「そうかぁ。そんなことあったの」 律儀な人だなあ 30年前の年賀状のことを覚えていてくれて、謝ってくれるなんて… 他に一緒に吹いていた仲間も来ていて、僕が今演奏を再開していることをとても喜んでくれました でも、痛恨はこの仲間二人の連絡先を聞くのを忘れたこと(-_-;) 演奏会の案内状が出せないじゃん 今日の土曜は休みたいけど、業務が立て込んでいるので、出ないと回りません では、みなさん良い週末を
2010年06月12日
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こないだの同窓会には来なかったが、友人にナカという奴がいるこの男は当時はなかなかの秀才だった当時、こいつは僕に言った「オレは『天狗』を見たことがある」天狗という名の映画などではない天狗とは、ご存じのように鼻の巨大な妖怪であるなんでもナカは、小学校の時下校途中、小さなお宮さんに通りかかると、なんと非常にでかい、人間とは違う生き物で、斜め後ろから見ても鼻が異様に巨大な『天狗』が、祠に向かってしゃがみ、拝んでいたというのである「その時には、BとNが一緒にいたんや。オレは後ろのNに向かって『来たらあかん、天狗や!』と小声で制した」ナカというのは、なかなか面白い男だが、理系で何事も科学的に説明する男だからこの手の嘘などつく訳がないしかし、本当だろうか僕は高校を卒業間近に「ナカよ、あの話、ほんまは嘘やろ?」とたずねると「お前にだけは疑われることは無いと思っていた。心外だ」と非常に憤慨しただから、僕は今までずっと、こいつは天狗を見たのだと思い込んだまま30年以上が経っていたで、先日の高校の同窓会には当のナカは来ていなかったが、一緒に天狗を目撃したというBが来ていた(前回の日記参照)で、僕はBに聞いてみた「俺、昔ナカに天狗を見た話を聞いたんだけど、あれはほんまの話か?」「えっ?」「高校の時本人に質したら、あいつ本気で怒ったんや。だから俺はあれはほんまの話やと思ってたけど、念のために教えてくれ。ほんまの話か?」すると、Bはこれ以上愉快な話はないと言う位うれしそうな顔で言った「ポックリ(僕は中高の同級生の間では『ポックリ』と呼ばれている)、お前あの話信じてたんか?」「ええっ?信じてたんかってお前…もしかして」「ポックリ怒るなよ。あれは、ウッソでーーーす」「何やてか?でもあのナカは、真剣な顔をして『お前が疑うなんて…』って怒ったんぞ」「あのなあ、あの時、その場にいた全員で口裏合わせたんや!『ええか、天狗を見たことにするんやぞ!裏切ったらひどい目に遭わせるからな』ってな」「何ぃっ?」「そやから、天狗はウソ!真っ赤なウソで~す。ポックリ、お前35年も騙されて、信じてくれてご苦労はん!ヒッヒッヒ、こんな愉快な話はないわ」「…(-_-;)」「まあ、あいつもお前を騙しつづけたんは大したもんや。何なら今度ナカを呼んでもういっぺんウソ付かせて見よか?そこで俺が大ウソを明かしたるわ」Bは、それはそれはうれしそうに一人で盛り上がったそもそも、僕は天狗話がBから聞いたのなら、はじめから信用する訳がなかったBは昔から人をハメるのが生き甲斐みたいな男なので、信用などしなかったしかし、ウソをつくのが苦手そうなナカが言うので、それも真剣に言うので僕はそのようなアンビリバボーなこともあるのかもしれないと、まんまと騙されてしまったのだ「ポックリ、今日の話ブログに書けよ」こらBよ、お前に言われんでも、これが書かずにいられるかい同窓会は、本当に面白いそれは、単に昔の同級生と旧交を温めるにとどまらず、過去のしがらみや疑問などをリセットする貴重な機会だと思ううちのワイフは全然同窓会に行かないけど、たまには顔を出して、こんな機会に触れて欲しいと思うでは、今日も一日元気に過ごしましょう
2010年06月08日
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今日は母校 大淀高校同窓会でしたこれから帰りの電車です高校同窓会は実に10年ぶり先月中学の同窓会があったばかりなのでどうしようか迷っていたんだけど、中学の同窓会に来なかった親友のKちゃんが行くというので出ることにしましたKちゃんは高校を出て一緒に京都に来た友人で、京都での学生時代を共有した唯一の親友ですもう何年も会ってなかったけど、心の奥ではずっとつながっていて、一度会って話をしたい人でした会えば涙が出てしまいやせぬかと、心配していましたKちゃんは昔どおり誠実で、30年の時を埋めてくれる貴重な時間を共有することができました彼のガチッとした手と何度も握手をしました更には昔は絶対に許せないとさえ思っていたBとも、腹を割って話すことができましたその中でBは、彼も非常に辛い一時期があったことを話してくれましたその時は彼の小さな目から涙がこぼれていましたBにもそんな辛い一時期があったのかと思うと、知らず知らず僕の胸も一杯になり、危うく泣きそうになりました辛い過去があり、それがあるからこそ今につながっているそう思えばこの世に不要なものなど何もなくすべては有機的につながっていると理解できます間もなく電車は駅に着きます続きは帰宅してから書きますね【追記2010/06/07 6:30】おはようございます朝から、写真を追加しました今はもうない、木造校舎です同窓会では、他に同業他社で頑張っているS君ともたくさん話をしました高校時代は面白いことばっかり言っていた彼は、すっかり(当たり前だけど)立派な大人になって、とてもとても大きな人間に見えました「今後、公私ともによろしく」と握手して別れました仕事では、自分1人が大変なような錯覚に陥っていましたが、彼もまた体力勝負、家族サービスも出来ずに仕事を頑張っている様子でしたお互い、残りの10年間、悔いの残らないようしっかり仕事をしていきたいものですさて、先週の定演、昨日の同窓会と少し遊びすぎたので、これからは真面目なマイホームパパに徹します(か?)
2010年06月06日
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こないだの定演の時、写真屋さんに舞台の上で写真を撮ってもらったこの写真、一人で写った写真としては、今までの中で一番気に入っている大好きな楽器を持って、せり上がる客席をバックに静かに写っているそんな風に撮ってもらった者はあまりいなかったので、写真屋さんは丁寧に何カットも撮ってくれた定演全部の写真ができあがりアルバムに挟んで団員に回されると、僕のその写真がやたらと多く、ややひんしゅくものではあった(*^_^*)僕は、この写真を遺影に使ってほしいと思うそういうと、誰もが「縁起でもない」などと言うもちろん、まだまだ死ぬ予定はないしかし、我々は生きている以上いつか必ず死ぬのだ世の中では、死は究極のマイナスな出来事と認識されており、「親戚に不幸があった」などという果たしてそうだろうか?誰もが迎える人生の終焉は「不幸」なのだろうか?僕は違うと思う確かに、生きている親しい者と分かれることは寂しいことかもしれないしかし、精一杯この世を行き、または自分の病を受け容れ、人生を全うした結果が「不幸」なんかである筈がない僕は死を究極のマイナスととらえ、忌み嫌い、なるべく死というものを考えずに暮らしていることこそ「不幸」なことであると思わざるを得ない死はいつ、どこで、どのようにやってくるか分からないだから、いつも人に対してやり残しのないようにしておきたい家を出るとき、会社を出るとき、笑顔で挨拶をするお礼を言わなければならない人には、遅れることなく感謝を伝える謝らなくてはいけないことは、必ず精算しておくその上で、自分が死んだ後の事も、どこかに何らかの形で頼んでおきたいと思うのだその一つ目が、この写真を遺影にして欲しいということそして、死んでしまった僕は、決して不幸な人物ではなく、遺った人は何も悲しむ必要はなく、自分のなすべき事をしっかりとらえて、幸せに生きて行って欲しいと言うことだお葬式が終わった後は、この写真をながめながら「ほんまに満足そうな顔をしてるなあ」と言いながら、生前の楽しかった事などを語り合い、その上で「また、いつか会おう」と言って欲しいそうすれば、写真の中の僕は「うん、必ず会おう!」と言いながら親指を立ててみせるかも知れない何度も断っておくが、僕は決して死にたい訳ではないでも、予想もせず急に死んでしまった場合には、取り乱したり哀れんだりすることなく、これがこの男の寿命なんだと受け入れ、笑って見送って欲しいただ、念のために言い遺しておきたかったのだでは、みなさん良い週末を(^^)/~~~
2010年06月04日
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日曜日は、娘の自転車の買い換えに行きました行った先は、「イズミヤ大久保店」色々自転車が並んでいる僕なんかにしてみれば、自転車は走りさえすれば、見た目なんかにはこだわらず、やすけりやいいというもんだが、娘はなかなかそうはいかない「色は緑系やな」緑の自転車はある「このハンドルは、モサいな」「タイヤの小さなのがかわいいな」あれこれ見た後ちび2が選んだのは、折り畳み式の自転車いかにもちび2が好みそうなもので、値段は3万円あまり…高っか~っ(T_T)おまけにライトは標準装備されていないので、別購入結構かかるもんだなあお店が引き渡しのための整備をしてくれている間に僕と娘は食料品の買い出しに…買い出しを終えて自転車売場に戻り自転車を受け取る「?お前、この自転車前カゴついてないぞ、ええのか?」「そんなん困るわ」お店に聞いてみると、この自転車はカゴはついておらず、後付けも出来ないとのこと「え~っ」しかし、もうお金も払って保証書にも記入されていて、防犯登録も済んでいるお店には何の落ち度もない「あの~、前カゴが付いてなかったら困るんですけど、いまさら交換や返品なんかは出来ませんよねえ」ダメ元で聞いてみたすると、店員さんは嫌な顔の一つせず「させてもらいますよ!私どもの説明不足でしたね」そこで僕らは再び自転車選び次に選んだのは何とさっきの半額の格安自転車高いものに変えるなら店の売り上げになるけど、半額じゃ損だろうなしかし、店員さんは終始笑顔で気持ちよく対応してくれたお客様本位っていうのは、こういうのを言うんだろうな非常に勉強になった出来事でした
2010年05月11日
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【2010/03/16 06:52】おはようございます朝の電車の中です絶対に笑ってはいけない時ってありますよねでも、往々にしてそういうときに限っておかしくてたまらないことってありませんか?こないだの娘の卒業式でのこと娘は、「校長先生の話って言うのが、いつも異常に長くって、毎年式の後のホームルームの時間がなくなる」ってほんまかいな?で、式は卒業証書授与が無事に終わり、保護者は我が子の成長した姿に感無量と行ったところでした「校長式辞」普通、式辞って言えば蛇腹折りした紙に書かれたものを読むって言うのが一般的だが、校長先生は何も持たず壇上にあがったそして、先生は実にゆっくりとした口調で、「本日ここに…」って話し始め、我が校の特長やこれまでの成果など、言葉と言葉の間(ま)が非常に長く、まるで臨終を迎えた人がこれまでの人生を懐かしんで話しているようでしたでも、そのうちさっき聞いたような話がまた出てきましたあれれ、(-_-;)いつの間にか時間は10分を越しています普通の式辞は長くても3分くらいでしょうね「では最後に卒業生諸君に…」やれやれようやく最後に差し掛かったかその「最後」に続く話は実に5分くらいあったそして「最後」の終わりには「結びにあたりまして…」この校長先生は「最後」とは別の「結び」というエンディングを出してきたこれが更に10分位そして「結び」の最後に「終わりに」というチャプターを出してきたそのなかで、またまた「結びに」という言葉が出てきた・・??あかん、校長先生酔ってる自分の話に酔いしれて訳が分からなくなっているすでに式辞は20分に差し掛かっていた僕の頭は急遽「お笑い」にスイッチされたしわぶきひとつない、静粛な会場の中、のんきな声の校長先生のいつ果てるとも分からない長~い式辞みんな、よく普通に聞いてられるなあと思うと、おかしくておかしくてたまらなくなった笑ってはいけない、笑うまいと思えば思うほど、笑いがこみ上げてくる先生、お願いだから早く切り上げてくれ!「では、諸君へのはなむけに…」まだあるのかよ!!初めのうち僕は、こみ上げる笑いを鼻から息を出してそらしていたでも、あんまり「フンフン」鼻息を立てるのもいかがなものか?僕は、次に息をこらえて笑いを止めようとしたすると、僕のブレーキ以上の笑いの大波が押し寄せ、「ぷーーーっ」と、吹いてしまった横では、女房があきれ果てた顔で僕の方を見ている(お前、よく笑わずにいられるなあ)しかし、女房が平静を保ってくれたおかげで、僕は「がはは」と笑うことだけは避けられたのだ笑いをこらえて悶絶死するかと思った卒業式でしたでは、今日も楽しく過ごしましょう(^^)/
2010年03月17日
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昨日は、次女の高校卒業式に行ってきました自分の卒業式の時は特に何とも感じなかったものが、親として参列してみれば、感じるものです詳しくは、電車の中で書いて、帰ってから更新しますねでは、今日も会社へ行ってきますはい、電車の中です卒業式にはずいぶん早く到着してしまいました会場に入るとまだ数組の保護者が来ているだけでした係りの先生は「どうぞ、一番前の席へ。特等席ですよ」(^^)/娘の学校は美術系の私学で、同級生は140人ばかり人数が少ないからか、卒業証書は一人一人校長先生から手渡しされますその後、賞状授与があり、娘はなんと学校長賞をいただきました(他に皆勤賞も…これは順当か^^;)そして、校長先生の式辞(これについては別に日記で書きますね)来賓祝辞のあと在校生の送辞そしていよいよ答辞名前を呼ばれて壇上の校長先生の前に行きますちび2は、よっぽど気合いが入っているのか、大きなおまんじゅう頭(でかい!)女房によるとここのところ緊張してお腹の調子が悪かったそうです娘は、静かに読み始めましたいつも、僕とばか笑いしている娘とはまるで別人です卒業式や修学旅行の思い出などは、どこの高校の答辞でも入っていると思われますが、娘はフェリーで北海道に向かう途中海が大荒れして、ほとんど全員がひどい船酔いになったことや、そうであったからこそ助け合う気持ちが培えたことなどを織り込んでいましたまた、美術を続ける上で壁に突き当たったこと、自分が希望する学問ができて幸せだったことなどを、時々涙声になりながら読みました聞いている僕は、(大方の予想通り)目から涙があふれました卒業式が終わって、妻は教室の方に行きましたが、僕はあまりゆっくりも出来ず、会社に向かいました我が家は、裕福な家庭ではありませんこの子には、公立高校へ行かせるつもりでしたでも、娘が「美術をやりたいから」この学校へ行きたいと言ったとき、僕は二つ返事でOKを出していました何をしたいのかというビジョンがあるなら、少々無理してでも行かせてやりたいと思うのが親なのです卒業した今となっての感想は…この学校に行かせて本当によかったということ娘は小学校までは引っ込み思案で、人の前に出たりすることはなかった中学でテニスに出会い、苦労して自分に打ち克つということを覚え、そのころから何事にも前向きになったように思います高校に入ってからは、いつも前に出て何かをしていました小さい頃の娘からは想像だに出来ませんまた、この学校では先生方やクラスメートとの心からの交流があったようで、その様子は話で聞いていても楽しいものでした今後の人生で行き詰まったり、くじけそうになったりすることは必ず起こってくると思いますその時に、この3年間で自分の心の引き出しに入れたものが、きっと役立つだろうと思います娘には、ここまで来れたのは、決して自分だけの力ではなく、いつも支えてくれた先生方や友人、家族があってのことだと言うことを忘れずに歩いていって欲しいと思いますちび2よ、おめでとう※今日はホワイトデー仕事を終えて帰りにケーキ屋に寄りましたが、もうほとんど売り切れていましたなんとか、妻子の分は買うことが出来ましたこれから帰宅して、すぐ楽団の練習です2010.03.14.20:23
2010年03月14日
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