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2024.03.14
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最近は鳥山明が亡くなって世界中のファンがショックを受けているようである。鳥山明といえば『ドラゴンボール』が代表作で世界で人気があるけれど、私は子供の頃に読んだので大人になってからあまり考えたことがなかった。というわけで徒然なるままに『ドラゴンボール』について考えることにした。

●『ドラゴンボール』とは何か

『ドラゴンボール』は週刊少年ジャンプに1984年11月20日-1995年6月5日に連載されて、全42巻、519話で完結した。単行本は全世界累計で2億6000万部発行されて、アニメは1986年から1996年まで放送されて平均視聴率20%以上を記録して全世界80か国以上で放送されて、日本の漫画・アニメの代表的な作品となった。

・あらすじ
田舎で孫悟飯に拾われて育った孫悟空が天才発明家のブルマと7つ集めれば何でも願いが叶うというドラゴンボールを探しに行って、ウーロンやヤムチャと知り合ってピラフの世界征服の野望を阻止して、亀仙人と知り合ってクリリンと一緒に亀仙人のもとで修行して天下一武道会に出場して天津飯と戦い、ピッコロ大魔王が復活したので戦う。
そこから時間が飛んで孫悟空が青年になってピッコロ大魔王の生まれ変わりのマジュニアと戦い、牛魔王の娘のチチと結婚して孫悟飯が生まれて、サイヤ人のラディッツが地球を侵略しに来たので倒すものの悟空が死んでしまって界王で修業して、ベジータやナッパが地球を侵略しに来たのでピッコロや悟飯とかのZ戦士が戦って悟空がドラゴンボールで復活して倒すものの、悟空が重傷を負ってピッコロが死んでドラゴンボールが使えなくなったので悟飯とクリリンとブルマがナメック星にドラゴンボールを探しに行って傷が治った悟空がピッコロを復活させて超サイヤ人になってフリーザを倒して、未来からベジータとブルマの息子のトランクスが来て人造人間セルが誕生してしまってセルの自爆を防ぐために悟空が死んで悟飯がセルを倒して、魔導士バビディが宇宙征服のために魔人ブウを復活させて悟天やトランクスがフュージョンして戦うものの敵わなくてミスターサタンが地球人に呼びかけて作った巨大な元気玉で倒す。

●『ドラゴンボール』の特徴

・画力が高い
鳥山明の画力の高さゆえにバトルシーンに迫力があって、攻撃が当たった時の顔の表情や満身創痍で悶絶する様子や強敵に絶望する様子がよく描けていて人物に精彩があった。ごつごつした岩の質感や爆発の影のつけ方や擬音とかの背景や演出の部分も格好よい。『Dr.スランプ』とは違う作者の絵のうまさが引き出されていた。コマ割りや構図がわかりやすいのもよい。『ONE PIECE』とかのごちゃごちゃした絵を描いている漫画家に見習ってほしいものである。

・空中の高速格闘
中国拳法を基にしてシュバババと高速でパンチやキックを繰り出して空中に蹴り上げて背後に瞬間移動し吹っ飛ばしたりして、現実ではありえないほど高速で戦うのがリアル寄りのバトル系漫画ではなかった戦い方で、漫画でも迫力があったけれどアニメ化したときにも画面映えした。格闘が中心でありながら「気」の遠隔攻撃も使うし、独特のファンタジーっぽい戦い方である。
いったん敵にやられて限界まで追い込まれてから逆転するのはプロレスに似たパターンの展開だけれど、プロレス系の『キン肉マン』と違って『ドラゴンボール』には投げ技や締め技がほとんどない。殴って蹴って吹っ飛んで岩や地面にめり込んだりするようなシンプルで派手な暴力の面白さがあって、主人公が修行して敵より強くなって勝つという子供にもわかりやすい展開になっている。

・変身
悟空が大猿やスーパーサイヤ人に変身したり、フリーザが最終形態に変身したり、セルがエネルギーを吸収して見た目が変わったり、魔人ブウが悪い人格に変わったり、敵より弱いキャラがフュージョンや界王神のポタラで合体したりして、能力だけでなく見た目も変わる変身をしている。
キャラが変身して強くなるアイデアは『BLEACH』の卍解や『ONE PIECE』のギアとか他のバトル系漫画にも引き継がれていった。『進撃の巨人』の巨人化もサイヤ人の大猿化と似ている。

・敵が味方になる
一般的なバトル系フィクションでは勧善懲悪で善い主人公が悪い敵を成敗して終わるので敵が味方になる展開はなかったけれど、『ドラゴンボール』ではピッコロやベジータや人造人間18号とかの一度倒した強敵が次のエピソードでは味方になって一緒に戦うのがユニークな展開で、それがキャラクターの新しい側面を掘り下げて魅力を増していた。プライドが高いベジータが徐々にデレていってブルマと結婚したり、人造人間18号がクリリンと結婚したりして、内面の成長がない悟空よりも脇役のほうが変化が多くてキャラクターとしては見どころがある。

・戦闘力インフレ
物語後半に戦闘力がインフレしてからはウーロンやプーアルやチャオズやランチとかの戦闘力がない脇役は出番がなくなって、ヤムチャや亀仙人やヤジロベーとかのそれまでの戦いの功労者も脱落して、ピッコロは悟飯の師匠役としてメインキャラ枠に残ったけれどセル編以降にベジータが悟空のライバル役になってからは活躍しなくなった。少年時代の孫悟空は筋斗雲や如意棒といった西遊記的な小道具を使っていたけれど舞空術や瞬間移動を使うようになって出番がなくなったし、ブルマのホイポイカプセルからかっこいい乗り物や家が出てくるあたりが鳥山明のデザインセンスが良く出ていたのに、その小道具を活かした初期の世界設定の面白さも後半にはなくなってしまった。『ドラゴンボール』はバトル系フィクションの金字塔には違いないけれど、際限のない戦闘力インフレとそれに伴う初期キャラの雑魚化は反省するべき点といえる。

・血統主義
孫悟空は実は地球人でなくて戦闘民族のサイヤ人の下級戦士カカロットだったという展開が物語前半の大きな見どころになっている。こういう血統の設定は漫画らしくて面白い一方で、地球人はどうやっても戦闘力ではサイヤ人には敵わないようになるというデメリットもある。
すごい血統に生まれたから強いという設定は主人公を目立たせるには便利なやり方なのでバトル系漫画で採用されやすいようで、『NARUTO』や『鬼滅の刃』とかのジャンプ漫画は似たようなエリート血統設定だらけになってマンネリになる原因にもなっている。

・死んだキャラを生き返らせる
基本的にフィクションでは登場人物が死んでも生き返らせてはだめで、それをやったらご都合主義になってリアリティーがなくなってしまうし、人が死ぬシーンが悲劇でなくなってしまう。例えば当時流行していたドラクエやファイナルファンタジーとかのRPGでは蘇生魔法があったけれど、漫画の『ドラゴンクエスト列伝 ロトの紋章』や『ダイの大冒険』やアニメの『ドラゴンクエスト』では蘇生魔法は使わなくて、アニメ版はザオリクとザオラルがない世界という設定になっている。それくらいキャラの蘇生は物語のバランスを崩すのでタブー扱いされている。
『ドラゴンボール』では仙豆を食べれば一瞬で怪我が全回復してサイヤ人は瀕死状態から回復するたびに戦闘力が上がるというだけでもバトル系フィクションとしては十分ご都合主義だけれど、さらにドラゴンボールを集めたら生き返らせることができるので、敵に地球人が大勢殺されても後でまとめて生き返らせればいいやという大雑把な展開になった。最初は死んで生き返るのは1回までという縛りがあったし願いを叶えた後にドラゴンボールが各地に散らばったけれど、孫悟空は死んだ後も占ババの力で1日だけ地球に戻ったり、魔人ブウと戦うために界王神の命をもらうことで復活したりしていて結局はご都合主義的に誰でも生き変えさせられるようになっている。ドラゴンボールを集めると神龍が何でも願いをかなえるのが初期の主なファンタジー要素だったのに、後半はドラゴンボールはただの復活用万能アイテムになってしまって神秘性も有難みもなくなった。

・女性が戦闘では活躍しない
少年漫画では劇画タッチの硬派な男だらけであまりかわいい女性キャラが出てこなかった中で、『ドラゴンボール』では少女漫画に出てきてもおかしくないくらいかわいいブルマが悟空の相棒のメインキャラとして登場したところがユニークだった。しかしブルマはドラゴンレーダーや重力トレーニング室やナメック星に行く宇宙船を作ったりしてプロットを進行させるサポート役にすぎなくて、戦闘では活躍しない。チチは牛魔王の娘なので強いのかと思ったら気が強いだけで戦闘には参加しなかった。主人公側で強い女性は人造人間18号くらいしかいないけれど、それでもサイヤ人系キャラより弱いので魔人ブウ編ではたいして出番がない賑やかし要員になっているし、ビーデルもスポポビッチにボコボコにされたくらいしか見せ場がなかった。戦闘力がインフレしすぎて人類最強のクリリンでさえ戦闘では足手まといになっているのだから、クリリン以下の女性たちが活躍する余地がなくなっている。
フェミニズム批評的にみれば女性が男性に守ってもらう存在として描かれている男性中心主義的な作品で、『NARUTO』や『鬼滅の刃』で女性が命がけで戦って活躍しているのに比べたら女性が活躍していなくて、魅力的な女性キャラがいるのにあまり活かせていない。

・ストーリーはいまいち
私は『ドラゴンボール』の連載中に子供時代を過ごして、放課後に駄菓子屋でカードダスを買ったり同級生の家に行ってファミコンの『ドラゴンボール 神龍の謎』や『ドラゴンボール 大魔王復活』で遊んだりしていたけれど、魔人ブウ編ではすでに飽きていて連載が終わっても何の感慨もなかった。作者が連載を辞めたがっていたのに編集者がなだめすかして連載を続けさせていたという事情があるうえに週刊連載の締め切りに追われてじっくりストーリー展開を考える暇がないにせよ、批評眼がない子供でも展開がダレているのはわかる。敵よりも強くなって倒すことの繰り返しでマンネリだし、人造人間セルと魔人ブウが相手を吸収して強くなる設定は似ていて敵にも目新しさがなくなったし、超サイヤ人の次のパワーアップが超サイヤ人2→超サイヤ人3と安直だし、カリン様→神様→界王→界王神とどんどん上の偉い人が出てきて敵を倒すのを手伝ってくれるのもご都合主義だし、修行さえせずに合体して強くなるのではもはや亀仙流とかの拳法と関係なくなっているし、魔人ブウが敵をお菓子に変えて食べてしまうチート能力を持っているのはもはや格闘という次元でなくなったし兎人参化が触った相手を人参に変えるネタを安易に使いまわしているように見える。『ドラゴンボール』の初期の悟空の少年時代の物語が好きであるほど初期の世界設定がないがしろにされていく後半の展開がつまらなくなっていって、アニメ版の続編の『ドラゴンボールGT』や『ドラゴンボール超』は蛇足だと思って興味を持たなかったので見ていない。良くも悪くも少年漫画で、小学生の読者にとっては面白くても思春期を過ぎた読者にはあまり面白いものではない。たぶん鳥山明はデザイナーとして画力を上げる方向に才能を伸ばしてストーリーテリングの方面はあまり勉強していないのかもしれない。

●『ドラゴンボール』の商品化

戦隊ヒーロー系やロボット系が変身ベルトやフィギュアとかのおもちゃを子供に売るために物語を作っているのと違って、『ドラゴンボール』はおもちゃを売る目的でなかったのに漫画が人気になってキャラクターグッズの売上が大きくて、鳥山明が連載を辞めてしまうとおもちゃ業界とかにも大きな影響が出るのでなかなか辞められなかったようである。特にカードダスは男児のコレクション心を刺激してヒットして、その後もシリーズ化して今もアーケードのトレーディングカードゲームの『スーパードラゴンヒーローズ』が稼働している。
漫画の人気作品はたくさんあるけれど、連載が終わったら徐々に人気がなくなって忘れられていく作品が多い中で『ドラゴンボール』のように連載終了後もずっと人気が続いてゲームやトレーディングカードゲームが売れているのは珍しい。『ドラゴンボール』の連載終了後に鳥山明が掲載した漫画はあまり人気が出なかったので、鳥山明の作品が好きというよりは『ドラゴンボール』が好きという人が多いのだろう。
あと10年くらいしてAR技術が発展したらApple Vision ProみたいなARスカウターが作れるかもしれないし、もし実用的なスカウターが商品化されたら高くても買う人がいると思う。ベジータのかつらにLEDを仕込んで超サイヤ人みたいに光るようにしたコスプレグッズとか、ブロリーのギュムギュムいう足音がする靴とかも作ったら宴会芸用に売れると思う。

●なぜ『ドラゴンボール』は世界的に人気になったのか

『ドラゴンボール』は悟空が大人になったあたりから外国で人気が出て、『Dr.スランプ』的なテイストがあるギャグ寄りの少年時代はあまり人気がない。鳥山明がキャラクターデザインを担当した『ドラゴンクエスト』シリーズも外国では人気がない。その違いに外国で人気になる理由があると思う。
ヒットの主な理由としては、まず外国人はマッチョイズムへの共感度合いが高いのだろうと思う。例えば『ドラゴンボール』とは画風が全く違う『北斗の拳』もマッチョが悪人を倒す展開で世界では人気がある。それにアメリカではマーベルのスーパーヒーロー系が人気があるし、『パワーレンジャー』とかの日本の特撮ヒーローもアメリカや南米で人気が出たそうなので、スーパーヒーローへの変身がもう一つの重要な要素と言えるだろう。悟空が単なるマッチョなヒーローでなくて、超サイヤ人に変身するマッチョなスーパーヒーローである点が外国でヒットした決定的な要因だと思う。アメリカのタイツ系のスーパーヒーローはたぶんプロレス由来なのだろうけれど、武道の道着を着たマーシャルアーツ系スーパーヒーローは外国ではいなかったので、亀仙流の道着はビジュアル面でも差別化できている。道着の色が白でなくてオレンジであるところも派手好きな外国人にウケる要素だろう。
ではアメリカ人のマッチョなスーパーヒーローへの憧れはどこからくるのか。子供は単に強いキャラが好きと言えるだろうけれど、大人でもスーパーヒーロー好きが多いのは単なる懐古趣味でなくて文化的な理由があると思う。宗教から考えてみると、ベジータ、フリーザ、セル、魔人ブウとかの悪い敵が現れて地球が滅亡するピンチになって地球人の代表のZ戦士たちが戦って勝利して善い死者がドラゴンボールで蘇るという展開はキリスト教やユダヤ教の終末論と似ている。神による救済の代わりにスーパーヒーローが地球を滅亡から救って再生する展開が欧米人が考えるフィクションの理想の勝利像なのかもしれない。『ドラゴンボール』では天界に閻魔大王がいる仏教的な要素と界王神や破壊神とかの多神教の要素が混じっている世界なのでたぶん鳥山明は一神教を意識して終末論的な物語にしたわけではないだろうけれど、結果的に終末論を教えられている欧米人の理想と合致したがゆえに人気になったのかもしれない。あるいはカルヴァンの予定説のように神が救済する人を予め決めているという考え方だとどう努力しても運命は変えられないことになるけれど、一神教でないフィクションの世界で、自分は潜在的にすごい能力を秘めていて修行したらスーパーヒーローに変身できるのだ、巨悪を倒せる超越的な存在になれるのだ、という考え方は一神教の国で神に運命を決められていると思い込んでいる人たちにとっては魅力的に映るのかもしれない。
時代背景としては、ブルース・リーやジャッキー・チェンといったアジア系のアクション俳優が1970-80年代に世界的に有名になったり、1984年に映画『ベスト・キッド』がヒットしたことも『ドラゴンボール』が外国でヒットする下地になったと思う。亀仙人がジャッキー・チュンという偽名で天下一武道に出場したように、鳥山明もジャッキー・チェンを意識していたのだろう。さらに黒髪で黒目のアジア系の風貌の悟空が金髪で青い目の超サイヤ人になることで、単なるアジア系の主人公よりも白人の視聴者にとっては親しみやすくなったと思われる。1980-90年代にレーガンやブッシュが保護貿易主義をとって対日赤字を解消するために日本製のパソコンやテレビや自動車に対して関税を高くしたり輸入を規制したりする中で、日本のコンテンツが規制されなかったのもよかった。時代に合った作品だったところは狙ってやってうまくいくものではないので、運が良くて連載時期やアニメ化の時期が外国でウケるタイミングと重なったのだと思う。
というわけで、外国でヒットするコンテンツを作りたい人はマッチョ要素、スーパーヒーロー要素、終末論要素を入れてみるとよいと思う。





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最終更新日  2024.03.16 00:41:03
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