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LAU - Sea英断はできなかった。ので、遠回りをすることになった。林間学校の。
2011.06.29
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慢心は思いも寄らないところから見つかる。偶然のように思える些細な間違いは必然であり、それは慢心が原因で生じるものである。本当に完璧な人間は間違えない。というのは、完璧に至る条件が"無欠"と"謙遜"であるから。 第一、「間違いが偶然起こった」と思う時点で十二分に傲岸不遜であると言える。 ならばなぜ日頃我々は「この分野はもう大丈夫」だと感じてしまうのか。あり得ないのに。それは一重に「間違いは誰でも犯す」という大きな勘違いが原因であると言える。 ここを誰よりも正しいと僕は考える。 僕は2011年度のセンター試験でまさしくこの勘違い、たった1つのこのどうしようもない勘違いによって大失敗した大馬鹿野郎なのであるから。 「人は誰でも間違えることがある」のは、初見の問題での話である。二度間違えてよいものか。計算ミスなどという"たまたま"その時起こしてしまった突発性のあるミスは許されないのである。 「こんなところで間違えてしまった。次から気をつけよう。」 では済まない。二度間違えてはならない。間違えてしまったら三日三晩加持祈祷せよ。完璧な人間とは、一度取り組んだ諸課題へのアプローチを二度と間違えない人間のことである。凡ミスは重罪。 このくらい書いておけばよいかな。12月頃になったら自分で見る為に書いておきました。
2011.06.29
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栄光と辛酸の両方を知る。だからこそ分かりうることもあって。 大学生と浪人の関係は正しく"隣の芝生は青い"なのである。無論、これはあくまで"僕"の主観が二者の主観として置かれた場合の関係であるから、皆様方の抱く感想とはかけ離れているのは言うまでもない。 もし仮に僕と同じような感想を大学に抱くような人がいるとしたら、そいつは僕と同様に保守的で、時代に取り残されていて、いつも文句を言っていて、他人の言うことを聞かない頭の硬い人物なのだと思う。 だが、そんな古い考えを持っているようではこの指数関数的に急激な変化を遂げる社会に淘汰されてしまう。非力な学生である今懐古論を垂れ流すのではなく、自らを流動的な社会に無理にでも馴染ませ、ある程度社会的に力を持ってから、懐古論をあたかも"新しい流行"のように流布する。 そうして結果的に、僕の望むかつての"学生"の姿を、現世の学生もどきに投影させるのである。全く以て甚だしい世迷言ではあるが、医学とも無機工業化学とも異なった僕の夢の1つであった。 あいかわらずつまんないね
2011.06.27
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