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あれから瞬く間に半年が経った。早すぎる。本当に早い。果たして僕は本旨を見失っているのだろうか。あの落胆と絶望を忘れたのか。それは違う。 高校の同級生らから未だにメールがもらえるのは非常にありがたい話である。彼らから逐一メールが来る度に、どれだけ高校時代が充実していたのかを実感させられる。 同じ時間を繰り返すことはできない一方で、再現することは可能である。 かつて僕は、ひたすら前へ前へと、誰よりも早く進み続けることに価値を置いていた。その先に自らの願いがあるのだと。進歩主義者であった。同時に努力主義者でもあった。 現在でもそのようなきらいは少なからずあるのだが、だいぶ考えは変わってきている。 僕らが今行なっていることの良し悪しを判断するのは、現在の僕らではなく、将来の誰かであったり、将来の僕らであったりする。回想,想起,追憶,回顧…といった彼らの総合評価には、達成或いは喪失の感も入っていることだろう。つまりは、過程と結果が完全に現れた将来の人間に評価されて初めて、現在の僕らの行いが正しかったのだと言えるのである。当然のごとく、僕らが今、行いの良し悪しを知ることはできない。 一方で、進歩には誤った進歩の仕方もある。進歩の方向を誤れば、その先にあるのは没落や破滅である。その最たる例が、『核の冬』という人類の進歩に於ける失敗の結果である。誤った進歩を辿らないためにも、僕らは正しい進歩を選択しなければならない。―ただ、それは100%には行えない。先述したとおり、どれが正しいのかまだ分かっていないのだから。 ただ、正しくなるであろう道を「予想」することはできる。その試料として使われるのが、「過去」であり、過去に於ける誤った進歩の結果である「失敗」なのである。かつてどんな状況があったか。どんな選択をしたか。どんな結果になったか。それを参考にして、どの選択、すなわち進歩を選べば失敗しないのかを「予想」することで、誤った進歩を回避するのである。もちろん、これは確実ではない。だが、過去の失敗例が多ければ多いほど、"ほぼ"確実となりうるのである。 これを専門的に研究しているのが失敗学であり、失敗学に限らずとも、人類はこうして正しい進歩をこれまで選択してきたのだ―そしてこれを我々は「学習」と名付けたのである。 同日に、「よく考えろ」と3人から言われた日以降、僕はやたら考え込むようになった。決して深遠な部分にまで踏み込んでいるとは言えないが、それでも以前よりもはるかにものを考えるようになった。 何も考えず、ただひたすら進み続け、その先に何があるかも知らずに、ただ進み続け。進歩主義と努力主義の先にあるのはこの世の楽土か或いは…。 目的を失った努力に意味は無い。そして過去の失敗を汲み取りつつ、慎重な選択をしなければならない。 僕にとって丁度この時期がそれに最適だった。合理化とも逃避ともとれるが、6月の選択に誤りはなかったのかもしれない。僕には考える時間が必要だったのだ。中学受験の勉強を始めた時から何かに興じ続けてきた僕には。 東山のモノクロ写真に映る賢者達の情念を僕は果たすことができるのであろうか。いや、それもまたエゴか? Rinocerose - Head Like A Volcano Dolly Parton - Jolene
2011.10.28
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