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そいはするんとうーちゃんの白いゆびのあいだを抜けてゆきました。やっとすくったと思った先から逃げ出して、手のなかにはもう何も残らんその繰り返し。 ( P3 )
書き出しの一文からもうかがわれますが、この作品の特徴は何といっても 「ことば」 です。作品の題として使われている 「かか」 という母に対する呼びかけの言葉に始まり、語り続ける 「うーちゃん」 が 「おまい」 と呼びかける二人称も、ある種、独特な 「身内ことば」 、ジジ、ババ、姉弟、親子というような世界で流通することばです。そのあたりのことを 「うーちゃん」自身 がこんなふうに語っています。
イッテラシャイモス。うたうような声がして、しましま模様の毛糸のパジャマに身を包み前髪を少女のようにばっつし切ったかかが立っていました。怪我した素足を冷やこい玄関の床にぺたしとくっつして柔こい笑みを赤こい頬いっぱいに浮かべています。かかが昔早朝から仕事に出ていたときのように、うーちゃんは本来であればイッテキマンモス、と答えなくちゃいけんかった、でも答えませんでした。このトンチキな挨拶はむろん方言でもなければババやジジたちの言葉でもない、かかの造語です。「ありがとさんすん」は「ありがとう」、そいから「まいみーすーもーす」は「おやすみなさい」、おまいも知ってるとおり、かかはもかにも似非関西弁だか九州弁のような、なまった幼児言葉のような言葉遣いしますが、うーちゃんはそいをひそかに「かか弁」と呼んでいました。 ( P10 ~ 11 )
わたしたちは故郷の言葉として、あるいは、一般的な始まりの言葉として 「方言」
を知っています。 石川啄木
が上野駅に聞きに行ったあの言葉ですが、実は、その 「故郷の言葉」
以前に、人は 「家族のことば」
とでもいうべき最初の言葉で世界と出会うのだという、当たり前のことなのですが忘れていたことに 宇佐美りん
という若い作家が挑んでいる作品でした。
生まれて最初に出会う 「はじまりの言葉」
の世界には人間という存在にとって、不可避の宿命のように始まってしまう、まだ形をとらない 「するんとゆびのあいだから抜けてゆく」
頼りない 「不安」
のようなものが漂っているのでしょうね。
19
歳の少女が、そんな 「はじまりの言葉」
の世界から自立し、 「自らの生の世界」
を獲得するための 「祈り」
のような作品でした。
作品を読み始めた当初、 熊野
へ旅する 「うーちゃん」
に、 横浜
で暮らす19歳の少女がどうして 「熊野」
を目的地にするのかというところに無理やりなものを感じていたのですが、作品の後半、 熊野の森
にたどり着いた 「うーちゃん」
の姿を読みながら、 1973年
の芥川賞候補作 「19歳の地図」
の 中上健次
を彷彿とさせられるとは想像もしませんでした。
かつて 「19歳の地図」
の少年は、緑の公衆電話を武器にしていたのですが、 「うーちゃん」
はスマホの画面に広がるSNSの世界を生き抜くことで戦いを挑んでいるかに見えます。
「うーちゃん」
にとって、ネットの世界はこんな感じなのです。
インターネットは思うより冷やこくないんです。匿名による悪意の表出、根拠のない誹謗中傷、などいうものは実際使い方の問題であってほんとうは鍵をかけて内にこもっていればネットはぬくい、現実よりもほんの少しだけ、ぬくいんです。表情が見えなくたって相手の文章のほのかなニュアンスを察してかかわるもんだし、人間関係も複雑だし、めんどうなところもそんなに変わらん、ほんの少しだけぬくいと言ったのは、コンプレックスをかくして、言わなくていいことは言わずにすむかんです。第一印象がいきなし見た目で決まってしまう現実社会とはべつにほんの少しだけかっこつけた自撮りをあげることもできるし、「学校どこ?」なんて聞いてくる人もいないし、教室でひとりお弁当を食べている事実を誰も知らないわけです。みんな少しずつ背伸びができて、人に言えん悩みは誰かに直接じゃなくて「誰かのいる」とこで吐き出すことがでるんです。(P34)
「公衆電話」
であろうと 「
SNS
」
であろうと、それぞれ、時代を描く 「道具」
としてリアルなのですが、この作品では、ある原型的な 「人間存在」
の疎外を、
SNS
を使い今の社会に生きている人間の姿で具体的に描いているところが 「あたらしい」
と思いました。
ただ、そういう 「うーちゃん」
を描く、 宇佐見りん
という作家は、案外、正統派のオーソドックスな作家ではないかという気もしたのですが、どうなのでしょうね。
追記2021・10・10
宇佐見りん
さんは、二作目の 「推し燃ゆ」(河出書房新社)
で 2021年の冬
の 芥川賞
を受賞しました。面白かったのは受賞のインタビューで 「中上健次」
の名前が出ていたことです。 「かか」
の主人公 うーちゃん
が 熊野
に旅をするのは、 うーちゃん
にとっての必然ではなくて、書き手の 宇佐見りん
にとっての必然だったようです。
それにしても、久しぶりに 中上健次
の名前を口にする作家が誕生したことに、何ともいえず 「嬉しい」
気持ちになったのでした。
もうそれだけで、この作家のこれからに期待してしまいそうです。
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