PR
カレンダー
カテゴリ
コメント新着
キーワードサーチ
「さびしいと いま」 こんな詩を繰り返し読んでいたぼくは 1974年 に二十歳になった青年でした。で、そのころのぼくは、たとえば 「石原吉郎の詩」 のことなんかを誰かと語り合うことが、最初から禁じられているような思いこみで、文字通り 「無為」 な学生生活を送っていました。詩がわかっていたわけではありません。しかし何かが刻み込まれていくような印象だけは残りました。
さびしいと いま
いったろう ひげだらけの
その土塀にぴったり
おしつけたその背の
その すぐうしろで
さびしいと いま
いったろう
そこだけが けものの
腹のようにあたたかく
手ばなしの影ばかりが
せつなくおりかさなって
いるあたりで
背なかあわせの 奇妙な
にくしみのあいだで
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかに それを
聞いたやつがいるのだ
いった口と
聞いた耳のあいだで
おもいもかけぬ
蓋がもちあがり
冗談のように あつい湯が
ふきこぼれる
あわててとびのくのは
土塀や おれの勝手だが
たしかに さびしいと
いったやつがいて
たしかにそれを
聞いたやつがいる以上
あのしいの木も
とちの木も
日ぐれもみずうみも
そっくりおれのものだ
(詩集「サンチョ・パンサの帰郷」より)
「世界がほろびる日に」 50年たったからといって、詩人の作品がよくわかるようになったわけではありません。詩人の死の年齢をとうに過ぎて、二十歳の青年が 「歩く」 よりほかに行動する意欲を失った老人になっただけです。この50年のあいだ、その半ばには、住んでいた神戸では大きな地震があり、その後、世紀末だというひと騒ぎもありました。それから10年たって、想像を絶する津波と原子力発電所の崩壊までも目にしました。にもかからわず、世界は陽気に存続しつづけています。
世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に掛けておけ
(詩集「禮節」より)
週刊 読書案内 朝倉裕子「雷がなってい… 2024.09.16
週刊 読書案内 朝倉裕子「母の眉」(編集… 2024.08.23
週刊 読書案内 宗左近「長編詩 炎える… 2024.07.09