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その部屋には母と、父親のちがう弟の大輝と、三人で暮らしていた。
引っ越してきたのは、大輝が小学校に上がる年だっただろうか、私は四つ年上だったから、小学校四年生だったことになる。それから、中学を卒業するまぎわまでここに住んでいたのだが、そのとき大輝はもういなかった。
私が小学校を卒業する二日前の夜、大輝はひとりでお風呂に入り、心臓発作を起こして息を引き取った。(P20)
大輝を失ってからしばらく、母は大輝の姿だけを描くようになった。それが何枚も積み重なるうちに、大輝の姿は歴史の中で命を落とした子供たちの姿と重なり、一つの壮大な連作として、母の中期の代表作となった。 作品が始まって、主人公がこんなふうに語り始めるのを読みながら、 石原燃 という作家が小説家 津島祐子 の長女であるということが、否応なく浮かんできました。 津島佑子 の作家としての登場に出会ったのは、40年以上も昔、学生時代でしたが、その頃の彼女の 「光の領分」 という作品には、中学生の少女が登場したと思いますが、作家であった母、 津島佑子 によって、その作品中に召喚された少女が、今、自分の言葉で語り始めているという印象です。
あの頃の母もこんなふう気持ちで大輝を描き続けたのかもしれないと思う。いや、どうなんだろう。よくわからない。
母の絵から自分の姿が消えてしまったことに傷ついたこともあった、でも、今はそんな単純なことでもないと思う。だって私は生きているのだから。
生きている人間を一方的に絵に閉じ込めることはできないのだから。(P22)
どれくらい時間が経ったのだろう。ぼんやりと立ち尽くして、風呂上がりの子供のように拭かれるままになっていた。小さいころ、こんなふうに身体を拭かれたことがあった。やわらかいタオルの感触が懐かしい。 主人公 千夏 がブラジルのスコールにずぶぬれになったシーンです。彼女が耳にする声はその場にいる 芽衣子 の声であり、思い出の中の 母恭子 の声でもあるというダブル・ミーニングに加えて、作家にとっての母、 津島佑子 の声が優しく聞こえてくると感じさせる哀切なラストです。
「びっくりしたよ、雨の中走りまわっているんだもん。」
聞き覚えのある声が、耳元で聞こえる。
ぼんやりと、肌に当たる冷たさを思い出す。
震えが止まらない。そういえば服が濡れている。髪の毛から水がしたたる。
タオルを肩にかけたまま、めがねを外してTシャツで拭いた。濡れたTシャツではうまく拭けず、めがねをかけると、水滴のつぶが見えた。(P156~P157)
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