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歩行者用の信号が数十メートル先で明滅を始める。それに気づいてか、ビニール傘を差した何人かの勤め人が急ぎ足で横断歩道を駆けていく。佐久間亮介は、ドロップハンドルのポジションをブラケット部分からドロップ部分へと変えた。状態がさらに前傾になる。 2021年 の後期の 芥川賞 受賞作、 砂川文次 の 「ブラックボックス」(講談社) の冒頭部分です。自転車に乗っている男が前に見える交差点の信号に反応しながら、混雑する自動車の脇を抜けて一気に走り抜けようとしている瞬間の描写です。
サドルから腰を上げ、身体を左右に振って回転数(ケイデンス)を上げる。車体は、降られた身体とほんのわずかだけ逆方向に傾くが、重心は捉えている。雨音の合間を縫うようにしてラチェット音が聞こえる。速度が上がるにつれて頬を打つ雨粒一つ一つがチクリとした痛みを伴うようになった。
信号なんかで足止めを食らいたくなかった。
歩行者の信号が赤に変わる。サクマは口をすぼめて腹の底から息を吐きだす。視線を車道の信号に一瞬向ける。ドロップハンドルをさっきより強めに握った。パーテープのクッション感と心地よい反発がグローブを通して伝わってくる。追い越し車線を走る車のブレーキランプが先頭から順々に点灯しだす。車道の信号は黄色。横断歩道まであと少し、左右の景色が流れていく。(1P~2P)
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